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小倉百人一首と万葉集と和歌コミュの「小倉百人一首」

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コミュ内全体

小倉百人一首とは百人について、それぞれ一首ずつを撰んで、合計百首でこうせいする秀歌集のことです。

「小倉百人一首」は藤原定家{ふじわらのさだいえ}という鎌倉時代の大歌人が、
 古来の秀歌を撰び集めたものです。ふつう百人一首と言えば、これをさしています。

「古今集」は醍醐天皇が紀貫之{きのつらゆき}らに編集を命じて成立した歌集ですが、
       そのように編まれる選集のことを勅撰集{ちょくせんしゅう}とよんでいます。

「古今集」の後もその編集は50年ごとに「後撰集{後撰集}拾遺集{しゅういしゅう}
 後拾遺集」{ごしゅういしゅう}。「金葉集」{きんようしゅう}。「詞花集」{しかしゅう}。
 「千載集」{せんざいしゅう}。「新古今集」{しんこきんしゅう}と編まれ
 
この「古今集」から「新古今集」までを八代集と総称しています。

その後も勅撰集編集の伝統は続きますが
 八代集こそが王朝和歌の最も充実した時期の作品として重視されるのです。


<六歌仙>とは、「古今集」の仮名序{かなじょ}に「近き世にその名聞こえたる人{近頃の歌人で有名な  人}として挙げられる、僧正遍照{そうじょうへんじょう}{12}・在原業平{ありわらのなりひら}{17}・
  文屋康秀{ふんやのやすひで}{22}・喜撰法師{きせんほうし}{8}・小野小町{おののこまち}{9}・
  大友黒主{おおとものくろぬし}の六人の歌人の総称。
仮名序の中では、万葉の歌人であった柿本人麻呂{かきのもとのひとまろ}{3}と山部赤人{やまべの      あかひと}{4}が「歌聖{うたひじり}として評価されているだけで、「六歌仙」という言葉はない。
「六歌仙」は後代になってからの呼び名。
「六歌仙」が活躍したのは9世紀中ごろあら後半、和歌の社会的地位が次第に上昇志向を見せ始めた      時期にあたる。
理知的・観念的な古今的歌風の確立する撰者{せんじゃ}時代直前に、個性豊かな歌を詠んだ歌人た       ちである。

「仮名序」は撰者である紀貫之{きのつらゆき}{35}の歌論といえるもので、そこでは、心と詞{ことば}        の調和と歌の風体{歌風}とを基準にして歌人たちを評している。
       貫之の六歌仙評は賛辞というより批判的に取り上げたという感がするが、
         他の歌人たちが まったく問題にされていないことから鑑{かんが}みるに、批評の対象          になったこと自体が逆に評価されていたということになるのであろう。

以下にその六歌仙評を挙げる。



*「僧正遍照」{そうじょうへんじょう}{12}    「歌の様は得たれども、誠少なし。たとへば、
                             絵に描ける女を見て、いたづらに心を動かすがごとし
                             {歌の姿は整っているが真実味が乏しい。絵に描いた女                              性に無駄に心を動かしているようだ}」。
           遍照の歌は、歌風はよいが真情に乏しいということか。
           擬人法や見立ての技法を用いた巧みな歌を詠んでいる。
           歌僧の先駆けとなった人物でもある。


*在原業平{ありわらのなりひら}{17}     「その心あまりて詞足らず。しぼめる花の、色なくて匂ひ                              残れるがごとし{作者の詩情がありすぎて歌の表現が                              それに対応できていない。しぼんでしまった花で色艶                    {いろつや}が落ちて、それでも薫{かおり}が残っているもののようだ}」。
           業平の歌は、真情」のほうが強すぎて心と詞とが不調和だとされている。


*文屋康秀{ふんやのやすひで}{22}     「詞はたくみにて、その様身に負はず。いはば、商人の                             よき衣着たらむがごとし{表現は巧みであるが、歌の姿                              が心情と対応していない。いうなれば、商人が立派な衣                             装を着ているようだ}」。
           言葉の用い方は巧みであるが、歌の内容がよくないというのである。


*喜撰法師{きせんほうし}{8}}         「詞かすかにして、始め終り確かならず。いはば、秋の
                             月を見るに、暁の雲にあへるがごとし。よめる歌多く聞こ                             えねば、かれこれかよはして、よく知らず{表現が不足気                             味で歌の心情が伝わって来ない。いうなれば、秋の月を                             見ているうちに暁の雲に覆われてしまったようだ。多くの                             歌が知られていないので、いろいろと参照して十分に検                             当することができない}」。

           「古今集」の撰者時代にすでによくわかっていない人物であったらしい。
           「古今集」にも「わが庵は」の歌一首のみ入集しているだけである。
            


*小野小町{おののこまち}{9}        「いにしへの衣通姫{そとほりひめ}の流なり。あはれなる                             ようにて、強からず。いはば、よき女の悩めるところあるに                            似たり。強からぬは、女の歌なればなるべし{昔の衣通姫                            の系統。しみじみと身にしみるところがあるが、強くはな                             い。いうなれば、高貴な女が病んでいるようである。強くな                            いのは女であるからなのであろう}」。
           「衣通姫」は、「古事記」に見える、美しさが衣を通して輝いていたという女性。
           小町が美人であったという伝承がすでに生まれていたのだろう。
           縁語{えんご}・{掛詞{かけことば}などの技法を用いた歌をよく詠んだ。



*大友黒主{おおとものくろぬし}       その様いやし。いはば、薪{たきぎ}負へる山人の、花のか                           げに休めるがごとし{歌の姿が鄙{ひな}びている。いうなれ                           ば、薪を負った山人が花の陰で休んでいるようだ}」。
           黒主は近江{おうみ}国滋賀の豪族の出で、宮廷の歌人たちとは少し違う立場の人で            あった。
           古風で素朴な詠みぶりが特徴である。
           六歌仙の仲では「百人一首」にただ一人採られていない。


+「小町説話」ー 「古今集」に僧正遍照や文屋康秀との交流が見えることや、
            十八首入集して伊勢{いせ}{19}に次ぐ二番目の女性歌人であることから、
            実在したことや小野氏に関わる女性であったことは推定されるが、それ以外の事情            はほとんどわかっていない。ただ、平安時代末期以降、小町に関わるさまざまな説             話や伝承が各地で生み出されていく。 
         小町美人説や小町が男嫌いであった説など、絶世の美女であったというイメージをともな          いながら伝説化された小町像のほうが定着していくのである。
         特に美人の小町が年老いて醜くなってしまうという小町哀老説話は、中世に入って
         無常観と結びついて広く受け入れられた。
         また謡曲{ようきょく}や歌舞伎{かぶき}にも小町を主人公にした作品が作られるなど、
         以後の文芸や芸能にも大きな影響を残している。
        現在でも説話・伝承に対応するように全国各地に誕生地や墓所が点在し、
        京都市左京区静市市原町{しずいちいちはらちょう}の、ふだらく寺には小野小町老哀像と        小町供養塔などがある。




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{100}雑




「百人一首」と勅撰{ちょくせん}和歌集
           「百人一首」に収録されている和歌は、十冊の勅撰和歌集から選ばれている。

           それぞれの和歌集と入撰数は次のとおりである。
 
<歌集名 >   < 成立  >  <撰進下命者> <撰者>        
{こきん}}    {えんぎ}        {だいご}
「古今和歌集」  延喜5{905}年?  醍醐天皇    紀友則{きのとものり}
                                  紀貫之{{きのつらゆき}
                                  凡河内躬恒{おおしこうものみつね}                                         壬生忠嶺{みぶのただみね}
 ごせん}     {てんりゃく}     むらかみ}
「五撰和歌集」  天暦5{951}年? 村上天皇    梨壷{なしつぼ}の五人
                                   源順{みなもとのしたごう}
                                   清原元輔{きよはらのもとすけ}
                                   坂上望城{さかのうえのもちき} 
                                   紀時文{きのときふみ}
                                   大中能宣{おおなかとみのよしのぶ}


 {しゅうい}    {かんこう}      かざんいん}        ふじわらのきんとう    
「拾遺和歌集    寛弘年間       火山院       火山院{藤原公任 とも}

 ごしゅうい      おうとく        しらかわ
「後拾遺和歌集」  応徳3{1086}年  白川天皇     藤原通俊{ふじわらのみちとし}

 きんよう       だいじ         しらかわいん
「金葉和歌集」    大治2{1127}年  白川院      源俊頼{みなもとのとしより}

 しか         にんぴょう        すとくいん
「詞花和歌集」    仁平元{1151}年? 崇徳院     藤原顕輔{ふじわらのあきすけ}

せんさい        ぶんじ          ごしらかわ
「千載和歌集」    文治4{1188}?年? 後白川    藤原俊成{ふじわらのとしなり}

 しんこきん      げんきゅう         ごとばいん
「新古今和歌集」   元久2{1205}年    後鳥羽院  源通具{みなもとのみちとも}
                                     藤原有家{ふじわらのありいえ}
                                     藤原定家{ふじわらのさだいえ}
                                     藤原家隆{ふじわらのいえたか}
                                     藤原雅経{ふじわらのまさつね}
                                     寂蓮{じゃくれん}

しんちょくせん     ぶんりゃく         ごほりかわ
「新勅撰和歌集」   文暦2{1235}年    後堀川天皇 藤原定家{ふじわらのさだいえ}

しょくごせん      けんちょう         ごさがいん
「続後撰和歌集」   建長3{1251}年    後嵯峨院   藤原為家{ふじわらのためいえ}





*<特徴>」  ー< 入選数 >

  「古今和歌集」− 最初の勅撰和歌集。優美で繊細、理知的な「古今調」といわれる歌風が特徴。
            {24}

  「後撰和歌集」− 専門歌人の歌はほとんど採らずに、日常交わされた贈答歌を多く収める。
            {7}

  「拾遺和歌集」− 歌合せ{うたあわせ}や屏風歌{びょうぶうた}などの晴{はれ}の歌を多く収める。
            {10}

              いずみしきぶ さがみ あかぞめえもん
  「後拾遺和歌集」−和泉式部・   相模・赤染衛門ら女流歌人の歌を多く収める。
            {14}

  「金葉和歌集」− 当代の歌人の歌が中心で、連歌を独立させるなど革新的。
            {5}

  「詞花和歌集」− 多様な家風の歌を収める。
            {5}

                        ゆうげんたい 
  「千載和歌集」−俊成の家風である幽玄体を基調としており、新古今調の先駆けとなった。
            {15}

「新古今和歌集」技巧的・絵画的な家風は「新古今調」といわれ、「万葉調」「古今調」と並び称される。
            {14}

「新勅撰和歌集」− 「新古今調」に対し平明な家風が多い。
            {4}

 「続後撰和歌集」− 「新勅撰集」の家風を継承し、新古今時代の歌人の歌を多く収める。
            {2}





  

  

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061

         なら  みやこ やえざくら
いにしへの  奈良の都の  八重桜
    {エ}

    ここのへ
  けふ九重に  にほひぬるかな
{キョウ} {エ}   {オ}{イ}




         
いせのたいふ       しかしゅう
「伊勢大輔」−所載歌集「詞花集」春{29}




「歌意」−昔の奈良の都の八重桜が、今日は九重の宮中で、ひときわ美しく咲きほこっていることです        よ。


                           おおなかとみのすけちか よしのぶ
「作者」−十一世紀前半の人。 伊勢の祭主大中臣輔親の娘で、   能宣{49}の孫。
       一条天皇の中宮彰子{しょうし}に仕え、和泉式部{56}・紫式部{57}などと交流があった。




「語句・語法」− 「いにしへの奈良の都」 奈良は、元明天皇以来、七代七十年余り都がおかれた。
           かって栄え、今は忘れ去られた古都というイメージがある。


           「八重桜」 桜の品種の一つで、花fが大きく花弁が重なっている。
           八重桜は京都では珍しかったようで、「徒然草」{つれづれぐさ}{百三十九段}に「八             重桜は奈良の都にのみありけるを、このごろぞ世に多くなりはべるなる」とある。


           「けふ」 「いにしへ」に照応した表現。
                 詞書によると、八重桜が献上された日。


           「九重ににほひぬるかな」 「九重」は、宮中のこと。昔、中国で王城を九重の門でか             こったという故事による。

           上の「八重」との数字のつながりによるおもしろさも意識されている。
            「にほふ」は、本来視覚的な美しさについていう。ここでも、色美しく咲く、の意。
           「ぬる」は、完了の助動詞「ぬ」の連体形。「かな」は、詠嘆の終助詞。





      「詞花集」の詞書に「一条院の御時、奈良の八重桜を人の奉りてはべりけるを、その折、御前      にはべりければ、その花をたまひて、歌詠めと仰せられければ、詠める」とある。

      また、「伊勢大輔集」{いせのたいふしゅう}の詞書には、この歌の詠作事情がいっそう詳細に       記されている。
       それによると、奈良の宮中に献上された八重桜を受け取るという大役を仰せつかった作者         が、即座に詠んだ歌である。
       この役は、先輩格の女房であった紫式部{57}からゆずられたものであるという。


      「いにしへ」と「けふ」が照応しており、「八重」と「九重」とが数の連鎖をなしている。
       そうした手法を用いながら、宮中に献上された奈良の八重桜がひときわ美しく咲きほこると        いう主題を即詠した歌である。
      八重桜の美しさを通して、一条天皇の御代の繁栄をたたえたことにもなる。




  名   格助  固名 格助 名 格助   名
いにしへ  の  奈良  の  都  の  八重桜



 名   名  格助 八四{用}  完了{体} 終助
けふ  九重  に   にほひ   ぬる   かな








062


 よ       とり
夜をこめて  鳥のそらねは  はかるとも






  あふさか  せき
よに逢坂の  関はゆるさじ
 {オウ}





せいしょうなごん
「清少納言」−所載歌集「後拾遺集」雑2{939}



「歌意」−夜の明けないうちに、鶏{にわとり}の鳴きまねで人をだまそうとしても、あの函谷関{
かんこくかん}ならばともかく、この逢坂{おうさか}の関は決して許さないでしょう。
 ___だまそうとしても、私は決して逢うことを許さないでしょう。



                    きよはらのもとすけ   ふかやぶ
「作者」−966?〜1027?   清原元輔{42}の娘で、深養父{36}の曾孫 
                     一条天皇の中宮定子{ていし}に仕える。
               宮中でのできごとや随想をつづった「枕草子{まくらのそうし}の作者。




「語句・語法」− 「夜をこめて」 夜がまだ明けていないうちに。「こむ」は、本来、中にしまう・つつみこ                      む、の意。

                    にわとり             しき 
           「鳥のそらね」 鶏の鳴きまね。中国の故事「史記」をふまえた表現。
                     戦国時代、斉{せい}の国の孟賞君{もうしょうくん}が、秦{しん}に使                      いして捕らえられたが、部下に鶏の鳴きまねをさせて、一番鳥が鳴                      かなければ開かない函谷関{かんこくかん}を夜中に開かせて通り                       抜け、無事に逃げ帰ることができたという。


           「はかるとも」 「はかる」は、だます意。「とも」は、逆接の接続助詞。

           「よに」 決して・断じて、の意の副詞で、下に打消の語を伴う。


           「逢坂の関はゆるさじ」 「逢坂の関」{おうさかのせき}{10}は、地名に「逢ふ」を掛け             る掛詞。 「じ」は、打消意志の助動詞。



      宮廷の社交の場で即興で詠まれた歌である。「後拾遺集」の詞書によると、夜ふけまで話しこ       んでいた大納言藤原行成{ふじわらのゆきなり}が、宮中の物忌{ものい}みがあるからと理      由をつけて帰っていった。翌朝、「鳥の声にもよほされて」と意ってよこしたので、作者は函谷       関{かんこくかん}の故事{→語句・語法}をふまえて、夜ふけの鳥の声は、あの函谷関のそら    すると行成が「関は関でも、あなたに逢う逢坂の関」とたわむれを意ってきたので、この歌を詠ん     だというのである。

     上の句で、中国の函谷関の故事をもち出し、下の句では、「逢坂の関」に「逢ふ」を掛けて、機知       をはたらかせ、相手の誘いをそらしてみごとに切り返している。

     「枕草子」の作者にふさわしい、当意即妙の機知と、漢詩文の素養の深さとがうかがえる一首で      ある。





名  格助  マ下二{用} 接助  名   格助   名   係助  ラ四{終}   接助
夜   を    こめ      て   鳥   の  そらね   は    はかる    とも



 副    固名   係助 サ四{末}  打消意志{終}
よに  逢坂の関   は   ゆるさ      じ
     。。  逢坂
     掛詞 逢う










             

063


いま     おも た 
今はただ  思ひ絶えなむ  とばかりを
         {イ}   {ン}



ひと        い
人づてならで  言ふよしもがな
           {ウ}





さきょうのだいぶみちまさ 
「左京大夫道雅」− 所載歌集「後拾遺集」恋3{750}




「歌意」−今となっては、ただもうあきらめてしまおう、ということだけを、せめて人づてではなく、じかにお       目にかかってお話しする手だてがあってほしいものだ。


          ふじわらのみちまさ   これちか  かんぱくみちたか
「作者」−993〜1054  藤原道雅。  伊周の子で、関白道隆の孫。
         幼いころ父伊周が失脚、さらに斎宮当子内親王{さいぐうとうしないしんのう}との密通をとがめられ、生涯は不遇であった、乱交の噂{うわさ}が絶えず、「荒三位」{あらさんみ}とも呼ばれた。



「語句・語法」− 「今はただ」 今となってはもう。「今」は、詞書によれば、前斎宮{さいぐう}との恋を禁                     じられた現在をさしていることになる。


          「思ひ絶えなむ」 思いあきらめてしまおう。「思ひ絶ゆ」は、思い切る・あきらめる意。
                  「な」は、強意の助動詞「ぬ」の未然形。「む」は、意志の助動詞の終止形。


          「とばかりを」 〜ということだけを、の意。「と」は、引用の格助詞。「ばかりに」は、限定                   の意の副助詞。


          「人づてならで」 人を介さず、直接に。「で」は打ち消の接続助詞。


          「言ふよしもがな」 「よし」は、方法・手段。「もがな」は、願望を表す終助詞。




     「後拾遺集」の詞書によれば、伊勢から帰った三条院の皇女、当子内親王のもとに、作者がひ     そかに通っていたことを天皇が聞き知り、監視の女房をつけたため、逢うことのできなくなった      折の歌である。   さいぐう
     二人の恋は内親王が斎宮{伊勢神宮に仕える未婚の皇女で、男性関係がきびしく禁じられてい     る}の任を終えて帰京してからのことではあったが、父三条院は激怒したという。
    そのいきさつについては「栄花物語」{えいかものがたり}に詳しい。
     その後、内親王は尼となり、若くして死去する。


     「今はただ」「ばかり」という表現からは、事態がぎりぎりのところまで追いこまれていること、そし      て作者の切迫した思いが読みとれる。禁じられた恋であるがゆえに「思ひ絶えなむ」と決意す       るしかない気持ち、その一言を「人づて」ではなく、せめて直接逢って伝えたいと訴える。

     恋に執着する心である。しかし、それはかなえられない思いである。







名 係助  副  ヤ下二{用} 強意{末} 意志{終}  格助  副助   格助
今  は  ただ   思ひ絶え   な      む     と   ばかり   を






  名  断定{末} 接助  八四{体}  名    終助 
人づて   なら   で     言ふ   よし   もがな
















              
064


あさ     うじ  かはぎり
朝ぼらけ  宇治の川霧  たえだえに
           {カワ}



            せぜ  あじろぎ
あらはれわたる  瀬々の網代木
  {ワ}   



ごんちゅうなごんさだより   せんさいしゅう
「権中納言定頼」−所載歌集「千載集」冬{420}



「歌意」−明け方、あたりがほのぼのと明るくなるころ、宇治川の川面に立ちこめていた霧がとぎれとぎ       れになって、その絶え間のあちらこちらから点々と現れてきた川瀬川瀬の網代木よ。




           ふじわらのさだより きんとう
「作者」−995〜1045 藤原定頼。  公任{55}の子。和歌だけでなく書にもすぐれる。
         子式部内侍{こしきぶのないし}の歌{60}は、からかった定頼に対して言い返したもの。



「語句・語法」− 「朝ぼらけ」 夜明け方、あたりがほのぼのと明るくなるころ{31}。


          「宇治の川霧」 宇治川にかかった川霧。宇治川は、京都府南部を流れる川。
                    琵琶湖{びわこ}南部に発し、しばらくを瀬田川といい、京都府に入る手              前から木津川{きづがわ}・桂川{かつらがわ}との合流点までを宇治川と呼ぶ。
             宇治の地は、初瀬{はつせ}{長谷寺}{はせでら}詣でをはじめ大和{やまと}地方             へ向かう人が多く通るので、都の人にはなじみが深かった。


          「たえだえに」 とぎれとぎれに。 一面に立ちこめていた川霧が夜明けとともにしだいに                    晴れていく様子。


          「あらはれわたる」 霧の絶え間の所々に現れてくる。「わたる」は、ここでは空間的な広                       がりを示す。


          「瀬々の」 「瀬」は、川の浅い所。


          「網代木」 「網代」は、冬、氷魚{ひお}{鮎の稚魚}をとるために川の瀬に杭を打ち並            べ、簀{す}{竹や木を編んだもの}を設けたもの。 「網代木」は、その杭。

          宇治川の冬を印象づける風物。{休言止め}。




    せんさいしゅう    うじ              
    「千載集」の詞書に「宇治にまかりてはべりける時詠める」とあり、宇治に赴いた折に詠んだ歌で      ある。

    平安時代、この地は貴族の別荘なども建てられ、都の人にとってはなじみ深い所であった{8}。
     そして「網代」は、宇治川の冬の風物として知られ、「蜻蛉日記」{かげろうにっき}や「更級日記」     {さらしなにっき}などにも、描かれている。

     冬の早朝、宇治川の一面に立ちこめていた霧が、しだいに所々薄らいで、都の人々には珍しい      網代木が点々と現れてくる。
     刻々と変化する川面の霧を描きつつ、休言止めである。

     「瀬々の網代木」に焦点がしぼられている。一幅の絵を思わせる、典型的な叙景歌である。
     平安時代後期、宇治川の霧を詠んだ歌が増えるが、それは「源氏物語」宇治十帖{うじじゅう       じょう}で印象的に描かれたことの影響といわれる。





  名     固名 格助 名    形動ナリ{用}
朝ぼらけ  宇治  の  川霧    たえだえに



  ラ四{体}      名  格助  名
あらはれわたる   瀬々  の  網代木
             。。。。。。。。。。。。。。   
              休言止め







065

うら          そで  
恨みわび  ほさぬ袖だに  あるものを




こひ く      な   を
恋に朽ちなむ  名こそ惜しけれ
{コイ}   {ン}     {オ}






さがみ
「相模」−所載歌集「後拾遺集」恋4{815}




「歌意」−恨んだ末に、もう恨む気力も失って、涙を乾かす間もない袖さえ惜しいのに、まして、この恋ゆ       えに世間に浮き名を流して朽ちてしまうのであろうわが名が、いかにも惜しいことです。


               さがみのかみおおえのきんすけ  しゅうし 
「作者」−十一世紀半ばの人。 相模守大江公資の妻。   脩子内親王家に出仕し宮廷歌人として活                       この時代の女流歌人として、赤染衛門{あかぞめのえもん}{59}・                        紫式部{57}・和泉式部{いずみしきぶ}{56}と並び称された。



「語句・語法」−「恨みわび」 恨む気力を失って、「〜わぶ」は、動詞の連用形について、その行為をし           通す気力を失う意を表す。


          「ほさぬ袖だにあるものを」 涙を乾かす間もない袖さえ惜しいのに。副助詞「だに」は、           程度の軽いものをあけて、より重いものを類推させる語法。ただし、「だに」から直接           「あり」に続く場合は、〜である{陳述}の意となる場合が多い。ここでも、下の「惜し」ぐら           いを補う。 「ものを」は、逆接接の接続助詞。


          「恋に朽ちなむ」 この恋ゆえに世間に浮名を流して、朽ちてしまうだろう。
                     「な」は、強意の助動詞「ぬ」の未然形。「む」は、推量の助動詞「「む」                      の連体形で、直接「名」にかかる。


          「名こそ惜しけれ」  「名」は、評判。「こそ」は、強意の係助詞。「惜しけれ」は、「こそ」                         の結び。





   ごしゅう  こtばがき えいしょう だいりうたあわせ
    「後拾遺集」の詞書に「永承六年内理裏歌合に」とある。あらかじめ設定された題によって歌を詠     む、いわゆる題詠の歌である。
    この歌の「ほさぬ袖だにあるものを」については、「だにあり」の語法{→語句・語法}に注意して、   「袖だに朽ちてあるものを」の意として、袖さえこうして朽ちてしまいそうなのに、と解した。もう一つ    の解として、「袖だに朽ちずあるものを」の意として、袖さえこうして存在するのに、と解する説もあ     るが、ここではとらない。
   
     上の句では、つれない相手を恨んで恨みぬいた末に、その気力も失ってしまった恋心を、
     下の句では、思うにまかせないこの恋が周囲の知るところとなり、よからぬ噂のたつことの堪え       がたさを言っている。

    題詠の歌であるとはいえ、恋に苦しむ女の心の嘆きの読みとれる、実感のこもった一首である。







 バ上二{用} サ四{末} 打消{体}   名 副助  ラ変{体}  接助
  恨みわび   ほさ     ぬ     袖  だに   ある   ものを




名 格助 タ上二{用} 強意{末} 推量{体}  名 係助  形シク{己}
恋  に    朽ち     な     む     名  こそ  惜しけれ
                                  。。。。。。。。。                                                        {係り結び}






066



             おも   やまざくら
もろともに  あはれと思へ  山桜
         {ワ}   {エ}



はな        し ひと
花よりほかに  知る人もなし




さきのだいそうじょうぎょうそん
「前大僧正行尊」−所載歌集「金葉集」雑上{521}





「歌意」−私がお前をしみじみといとしく思うように、お前もまた私のことをしみじみいとしいと思ってくれ、       山桜よ。花であるお前以外に心を知る人もいないのだから。


                さんぎみなもとのもとひら          そうそん
「作者」−1055〜1135  参議源基平の子で、三条天皇{68}の曾孫。
        十二歳で三井寺{みいでら}に入り、熊野{くまの}などで修験者{しゅげんしゃ}として修行。          後に、鳥羽{とば}天皇や崇徳{すとく}天皇{77}の護持僧{ごじそう}を務めた。




「語句・語法」− 「もろともに」 一緒に、の意の副詞。


          「あはれと思へ」 「あはれ」は、もともと感動詞「あ」「はれ」が複合して生まれた語と考                えられ、しみじみと身にしみ入る感動を表す。ここでは、しみじみといとしい意。


         「山桜」 山桜よ、と呼びかけた言い方。山桜を擬人化している。


        「花よりほかに知る人もなし」 「花」は、「山桜」のこと。「より」は、範囲を限定する格助詞。
                「花」以外には、自分を「知る人」がいない、の意。「知る人」は、単なる知人と                 いうよりも、ここでは、心の通い合う人・共感しあえる人の意。





                  おおみね
      「金葉集」の詞書に「大峰にて思ひがけず桜の花を見て詠める」とある。
                  「大峰」は、大和国{奈良県}吉野郡十津川の東にある大峰山。
                  修験道{しゅげんどう}の霊場として知られる。
             修験道は、役小角{えんのおづの}{奈良時代の人}を開祖とする仏教の一派で、              山中で修行を積み、霊験を得ることを業{わざ}とする。

 この歌は、大峰で修行していた作者が、思いがけずに山桜を見た折に詠んだ 「行尊大僧 正集」   {ぎょうそんだいそうじょうしゅう}のある本には、「思ひかけぬ山なかに、まだつぼみたるもまじりて咲き  てはべりしを、風に散りしかば」「風に吹き折れても、なほめでたく咲きてはべりしかば」とある。

 修行者として入山していた作者は、風に吹き折られながらも美しく咲いている山桜を見出した時、「も   ろともに・・・」と呼びかけずにはいられなかった。
 ひっそりと咲く山桜に、孤独にたえて修行する自分の姿を重ね合わせ、互いに共感しあえるという感   動を詠んだ歌である。





  副    形動{語幹} 格助 八四{命}  名
もろともに   あはれ   と   思へ    山桜



名 格助   名  格助 ラ四{体}  名 係助 形ク{終}
花  より  ほか  に   知る   人  も   なし













067


はる よ   ゆめ        たまくら
春の夜の  夢ばかりなる  手枕に
                  {テ}



      た     名  を
かひなく立たむ  名こそ惜しけれ
 {イ}    {ン}       {オ}





すおうのないし      せんさいしゅう
「周防内侍」ー所載歌集「千載集」 雑上{964}




「歌意」−春の夜の夢ほどの、はかないたわむれの手枕のために、何のかいもない浮名が立ったとした       ら、なんとも口惜しいことです。

                   すおうのかみたいらのむねなか   ちゅうし ごれいぜい
「作者」−十一世紀後半の人。 周防守平棟仲の娘か。 本名は平仲子。  後冷泉天皇以下四代の宮                     廷に仕え、当時の多数の歌合{うたあわせ}に参加した。




「語句・語法」− 「春の夜の夢ばかりなる」 春の夜は短く、明けやすいものとされていた。
           「春の夜」も「夢」もしばしば、はかないものの比喩{ひゆ}として用いられる。
            副助詞「ばかり」は、程度を表す。

                 たまくら
          「手枕に」 「手枕」は、腕を枕にすること。多く男女共寝の相手の場合をいう。
                 ここでは、忠家が「これを枕に」と意って御簾{みす}の下から腕を差し入れ                   てきたのを受けた表現。


          「かひなく」 何のかいもなく。「かひな{腕}」が掛詞として詠みこまれている。


          「立たむ名こそ惜しけれ」 「む」は、仮定・婉曲{えんきょく}の意。「名」は、評判・浮名                            {うきな}




                                                ごれいぜいいんちゅうぐう
     「千載集」の詞書の大意はこうである。陰暦二月ごろの月の明るい夜、二条院{後冷泉院中宮の章子内親王の御所}で人々が夜通し物語などをしていた時に、周防内侍{すおうのないし}が物に寄り臥{ふ}して、「枕が欲しいものです」とそっとつぶやいたところ、それを聞いた大納言藤原忠家が、「これを枕に」と意って自分の腕{かいな}を御簾{みす}の下から差し入れてきたので、この歌を詠んだ。

忠家がたわむれに差し入れてきた「かひな{腕}」を、とっさに「かひなく」に詠みこみ、軽妙に相手の意図をそらしたことになる。忠家の行為は、一種の座興であったのだろうが、それを即座に、しかも軽妙にいなしたのである。その当意即妙の機知もみごとではあるが、「春」「夜」「夢」「手枕」など甘美な言葉を連ねて、優艶{ゆうえん}な恋の情調をもただよわせている。
当時の宮廷生活がしのばれる一首である。









名 格助 名  格助 名   副助   断定{体} 名  格助
春  の  夜  の  夢   ばかり   なる  手枕   に


                 えんきょく 名 係助   形シク{己}
形ク{用} タ四{末} 仮定・婉曲{体}
かひなく   立た     む      名  こそ   惜しけれ
。。。。                       。。係り結び。。。。
掛詞 甲斐なく
    かひな{腕}




068


こころ         よ  
心にも  あらでうき世に  ながらへば



こひ        よは  つき
恋しかるべき  夜半の月かな
{コイ}       {ワ}




さんじょういん
「三条院」ー所載歌集「後拾遺集」雑1{860}



「歌意」−心ならずも、このつらくはかない世に生きながらえていたならば、きっと恋しく思い出されるに        ちがいない、この夜ふけの月であるよ。


                            れいぜい
「作者」−976〜1017 第六十七代天皇。 冷泉天皇の第二皇子。 長い東宮時代を経て即位した         が、在位五年で藤原道長{ふじわらのみちなが}の孫にあたる後一条{ごいちじょう}天皇に        譲位し、翌年に崩御{ほうぎょ}した。





「語句・語法」− 「心にもあらで」 自分の本意ではなく。「に」は、断定の助動詞「なり」の連用形。
           「で」は、打消の接続助詞。下に「うき世にながらへば」とあり、早くこの世を去りたいと            いうのが自分の本意であるとする。


           「うき世に」 つらくはかない世の中に。「この世に」とする本文もある。


           「ながらへば」 「ながらふ」の未然形に、接続助詞「ば」がついて、仮定条件を表す。
                     不本意ながらも生きながらえる将来を予想し、その時の自分を想像し                      てみている。


           「恋しかるべき」 「べき」は、推量の助動詞「べし」の連体形で、「夜半の月」に直接か                        かる。


           「夜半の月かな」 「夜半」は、夜中・夜ふけ。「月」は、現に見ている月。





       「後拾遺集」の詞書に、「例ならずおはしまして、位など去らむと思{おぼ}しめしけるころ、月                        の明かりけるを御覧じて」とある。
                           「例ならず」は、病気であることをさす。
                         三条院は眼病を患{わずら}っていた。
                        帝位を去ろうとしたころに、明るい月を見て詠んだ歌である。
                      三条院は、二十五年にわたる長い東宮{とうぐう}時代を経て即位し                       たが、わずか五年の在位中に二度も内裏{だいり}が炎上した。
       また、藤原道長が先帝一条院とわが娘との間に生まれた皇子を早く即位させようと画策{か        くさく}して、この三条院の退位を迫ってくるという状況下にあった。
      「栄花{えいか}物語」によると、十二月十余日の月の明るい夜、上の御局{みつぼね}で中宮       姸子{けんし}と語りながら、この歌を詠んだという。

   美しい月への感慨を詠みながら、現世への絶望的な思いがにじみ出ている歌である。
   なお院は、この歌を詠まれた翌年十一月に譲位、さらにその翌年五月、崩御{ほうぎょ}している。





名 断定{用} 係助 ラ変{末} 接助   名   格助  八下二{末} 接助
心   に    も    あら   で   うき世   に   ながらへ  ば



形シク{体} 推量{体} 名 格助  名  終助
恋しかる   べき   夜半  の  月  かな













069

あらしふ みむろ やま      ば
 嵐吹く  三室の山の  もみじ葉は




たつた かは  にしき
 竜田の川の  錦なりけり
     {カワ}


のういんほうし
「能因法師」ー所載歌集「後拾遺集」 秋下{366}



「歌意」−嵐の吹きおろす三室の山のもみじ葉は、竜田の川の錦なのだった。


               たちばなのながやす もんじょうせい
「作者」−988〜?  俗名橘 永。      文章生だったが、二十六歳ごろに出家。
              歌枕に異様なまでの関心を抱き、各地を旅して歌を多く詠んだ。
              著書に「能因歌枕」{のういんうたまくら}などがある。




「語句・語法」− 「嵐吹く」 「嵐」は、山から吹きおろす風。

          みむろ    みもろ         やまと   いこまぐんいかるがちょう  かんなび
          「三室の山」 「三諸の山」ともいう。大和国{奈良県}生駒郡斑鳩町にある神南備山。
        「みむろ{みもろ}」は、本来、神が降臨して宿る所{神社}の意で、他にも同名の山がある。
        ここでは竜田川に近いことから神南備山であると考えられる。紅葉の名所。


          「もみじ葉」 代表的な秋の景物。散る紅葉が多く詠まれる。


         「竜田の川」 大和国生駒郡を流れる川。三室山の東のふもとを流れる。
                 古来、紅葉の名所として知られる。


        「錦なりけり」 「錦」は、数種の色糸で模様を織り出した厚地の織物。
                 嵐に吹き散らされた三室山の色とりどりの紅葉が、竜田川に浮かんで流れ                  ている景を「錦」に{見立てた}表現。
                 「なり」は、断定の助動詞「なり」の連用形。「けり」は、今初めて気がついたと                  いう感動を表す。



       ごしゅういことばがき えいしょう だいりうたあわせ 
       「後拾遺集」の詞書に「永承四年 内裏歌合に詠める」とある。
                     題詠の歌である。題は「紅葉」。     ごれいぜい
        この歌合は宮中では六十余年ぶりのもので、十一月九日に、後冷泉天皇の主催で盛大に         行われた。

    「古今集」の「竜田川もみじ葉流る神なびの三室の山にしぐれ降るらし」{秋下・284・読人しらず}
   を念頭においた歌である。その歌は、竜田川にもみじ葉が流れている、神南備の三室の山に時雨    {しぐれ}が降ってもみじ葉を散らしているらしい、の意。


   紅葉を錦に見立てるという発想は特に目新しいものではないが、上の句に「三室の山」、下の句に「竜田川」という、紅葉で名高い二つの地名を配し、山と川とを対照させているという点は注目すべき あろう。また、嵐に吹き散らされた三室の山の「もみじ葉」が、竜田川の「錦」としてよみがえるとしたところにも、この歌独特のおもしろさがうかがえる。内裏で行われた歌合にふさわしい華やかな歌である。






名 カ四{体}   固名   格助  名     係助
嵐   吹く   三室の山  の  もみじ葉  は


  固名  格助  名  断定{用} 詠嘆{終}
竜田の川   の  錦   なり    けり












070


        やど た い
さびしさに  宿を立ち出でて  ながむれば




     おな  あき ゆふぐれ
いづこも同じ  秋の夕暮れ
 {ズ}       {ユウ}




りょうぜんほうし
「良選法師」ー所載歌集「後拾遺集」秋上{333}



                     いおり
「歌意」−あまりの寂しさのために、庵を出てあたりを見渡すと、どこも同じように寂しい秋の夕暮れであ       るよ。


                                       えんりゃくじ       うりんいん
「作者」−十一世紀前半に活躍。詳しい家系・経歴は不明だが、延暦寺の僧で、大原や雲林院にも住ん      だという。




「語句・語法」− 「さびしさに」 寂しさのために。形容詞「さびし」は、王朝の和歌では、ひとり住みの家     や荒れた家、山、野など人気のない場所の秋や冬の寂寥感{せきりょうかん}をいう例が多い。


          「宿を立ち出でて」 宿」は作者が住んでいる草庵{そうあん}。


        「ながむれば」 「ながむ」の己然形に、接続助詞「ば」がついて、順接の確定条件を表す。
                  「ながむ」は本来、もの思いにふけってじっと長い間見ている意。


         「いづこも同じ」 「いづこ」を「いづく」とする本文もある。「同じ」は、形容詞{シク活用}の                      特殊な形の連体形。


          「秋の夕暮れ」 {休言止め}「秋の夕暮れ」の語句は、「後拾遺集」から見え始め、
                     「新古今集」に特に多く見られる。もっぱら結句に用いられ、余情をも                      たせる手法。





    ごしゅうい  ことばがき             しか
     後拾遺集」の詞書には「題知らず」とある。「詞花集」に収められている作者の歌には「大原にす                    みはじめけるころ」という詞書が見えるものがあり、洛北{らくほく}大原                    に隠棲{いんせい}していたことが知られる。この歌も、あるいはこの地                    で詠まれたものかもしれない。


     一人、草庵{そうあん}に身をおいていた作者が、しみいるような寂しさにたえかねて、
      外へ出てあたりを見渡すと、その目に映ったものはやはり寂しさに静まりかえった秋の山里の      夕暮れの景であったというのである。

    「秋の夕暮れ」が、遁世{とんせい}の生活者の実感によってとらえられている歌であり、ここには     人気{ひとけ}のない山里をつつむ深い寂寥{せきりょう}の世界が、たくまずして描き出されてい      る。求める相手とてなく、いかにも静寂をたたえている。




  名  格助  名 格助 ダ下二{用} 接助 マ下二{己}  接助
さびしさ  に  宿  を  立ち出で  て    ながむれ   ば




 代   係助 形シク{体} 名 格助   名
いづこ  も    同じ   秋  の   夕暮れ










071


ゆふ    かどた いなば
夕されば  門田の稲葉  おとづれて
{ユウ}




あし     あきかぜ ふく
芦のまろやに  秋風ぞ吹く





だいなごんtねのぶ    きんよう
「大納言経信」ー所載歌集」「金葉集」秋{173}



                                          あし
「歌意」−夕方になると、門前の田の稲葉を、そよそよと音をさせて、芦ぶきの山荘に秋風が吹きわたっ      てくることだ、




          みなもとのつねのぶ としより                       ゆうそくこじつ
「作者」−1016〜1997  源 経信。俊頼{74}の父。和歌・詩文・管弦にすぐれ、有職故実にも詳し                  く、その多芸多才ぶりは藤原公任{ふじわらのきんとう}{55}と比較された。



¥語句・語法」− 「夕されば」 夕方になると。 「さる」は、移動する・移り変わる、の意。
                    今日の「去る」とは、意味が異なる。「されば」は、己然形に、接続助詞                     「ば」のついた形で、確定条件を表す。


            「門田」 屋敷のまわり、特に門の前にある田地。耕作に最適なところから、古くから                   重要視され、すでに「万葉集」に用例が見える。


           「おとづれて」 「おとづる」は、人のもとを訪ねる意であるが、本来、音を立てる意。
                     ここもその本来の意。

                                                  もろかた
           「芦のまろや」芦で葺いた粗末な仮小屋の意だが、ここでは源師賢の山荘をさすか。


           「秋風ぞ吹く」 「ぞ」は、強意の係助詞。「吹く」は、連体形で「ぞ」の結び。






     「金葉集」の詞書に「師賢朝臣の梅津に人々まかりて、田家秋風といへることを詠める」とある。
         「梅津」は、都の西郊{京都市右京区}、桂川左岸一帯の地。作者経信{つねのぶ}の時           代、貴族たちは洛外{らくがい}の自然を求め、いわゆる田園趣味が流行した。この歌           は、血縁である源師賢の梅津の山荘で詠まれたもので、題詠ではあるが、田園の秋の          風景が実感をもってうたいあげられている。

      まだ日中の暑さが残る夕方、さわやかな風が吹いてくる。その秋風は、向こうの稲葉を波うた       せて吹きわたり、因幡のそよぐ音は耳にも心地よいというのである。
      そして、今自分のいる山荘にも涼しさを運んでくる。
     

      この歌は、風景を視覚によってだけでなく、聴覚、さらに皮膚の感触によってもとらえている。
  





名   ラ四{己} 接助  名  格助   名  ラ下二{用}  接助
夕    され    ば  門田  の  稲葉   おとづれ   て




名 格助    名  格助   名 係助  カ四{体}
芦  の   まろや  に  秋風  ぞ   吹く                       。   。。
                       。    。。
                      {係り結び}











072


おと き  たかし はま     なみ
音に聞く  高師の浜の  あだ波は




     そで
かけじゃ袖の  ぬれもこそすれ





ゆうしないしんのうけのきい
「祐子内親王家紀伊」−所載歌集「金葉集」恋下{469}







「歌意」−噂に名高い高師の浜のいたずらに立つ波はかけますまい。袖がぬれると大変ですから。
    噂に高い浮気なあなたの言葉は、心にかけますまい。あとで袖が涙でぬれるといけませんから。




「作者」−十一世紀後半の人。詳しい経歴は不明。
      母とともに、後朱雀天皇の第一皇女祐子内親王に仕える。





「語句・語法」− 「音に聞く」 噂に聞く。「音」は評判の意。


           「高師浜」 和泉国、現在の大阪府堺市浜寺から高石市にいたる一帯。
                   「高師」に、評判が高い意の「高し」を{掛け}、「音に聞く、高し」と続く。
                   「浜」は「並」「むれ」と{縁語}。
                  「金葉集」には「高師の浦」とある。


           「あだ波」 いたづらに立つ波。ここでは、浮気な人の言葉の意を暗示。


           「かけじゃ」 「波をかけまい」と「思いをかけまい」の二重の意で用いられている。
                   「や」は、詠嘆の間接助詞。ここで文が切れる。


           「ぬれもこそすれ」 ぬれると大変だから。「も」「こそ」は、ともに係助詞、。
                       複合して「もこそ」と用いられる場合は、予想される悪い事態に対                        する懸念、不安の気持ちを表す。



 きんよう   ことばがき ほりかわゐんけさうぶみあはせ 
  「金葉集」の詞書によると、「堀河院艶書合」で詠まれた歌である。
  「艶書合」は、公卿{くぎょう}・殿上人{てんじょうびと}が恋歌を詠んで女房のもとに贈り、それへの女房たちの返歌をそれぞれ番{つが}えさせる趣向の歌合である。
 「堀河院艶書合」は、康和{こうわ}四{1102}年閏{うるう}五月に内裏で催された。

この紀伊の歌は、不受話ら俊忠{ふじわらのとしただ}{定家の祖父}の贈歌「人知れぬ思ひありその浦風に波のよるこそ言浜星けれ』≪私は人知れず思いを寄せています。荒磯{ありそ}の浦風とともに波が寄るように夜になったらお話ししたい}への返歌である。
贈歌の「荒磯の浦」に対して「高師の浜」、「あり・よる」の掛詞に対して「高し・かけ」、「浦・波・寄る」の縁語に対して、「浜・波・ぬれ」と応じている。
当時、二十九歳の俊忠に対して、この紀伊は七十歳前後。「艶書合」という遊戯的な歌合から生み出された一首ではあるが、みごとに切り返す歌才が光っている。




名 格助 カ四{体}  固名  格助    名   係助
音  に   聞く  高師の浜  の   あだ波  は
             。。  高師
            掛詞  高し

カ下二{末} 打消意志{終}    間助         名  格助 ラ下二{用} 係助  係所 サ変{己}
 かけ       じ          や           袖  の    濡れ     も  こそ   すれ
                                                        。。  。。
                                                       {係り結び}
073


たかさご を  へ さくら さ
高砂の  尾の上の桜  咲きにけり
      {オ}{エ}







とや  かすみ た
  外山の霞  立たずもあらなむ




ごんちゅうなごんまさふさ
「権中納言匡房」ー所載歌集「後拾遺集」春上{120}





「歌意」−遠くの高い山の峰の桜が咲いたのだった、人里近い山の霞よ。どうか立たないでほしい。




「語句・語法」− 「高砂の」「高砂」は、砂が高く積もったところから、山の意。
           播磨{はりま}国{兵庫県}の歌枕である「高砂」{34}とする説もある。


           「尾の上の桜」 山の頂{いただき}の桜。「尾」は峰の意。


           「咲きにけり」 「に」は、完了の助動詞「ぬ」の連用形。助動詞「けり」は、初めて気が                     ついた感動がこもる。

           とやま かすみ      みやま  
           「外山の霞」 「外山」は、「深山」や「奥山」に対して、人里に近い山。
                   ここでは、桜の咲く「高砂の尾も上」よりも手前の里近くの山。
                   「霞」{かすみ}は、春の代表的景物で、立春になると立つものとされる。


           「立たずもあらなむ」 立たないでほしい。
                        里近くの山{外山}に霞が立つと、「高砂の尾の上の桜」が見えな                            くなるので、このように訴えた。「なむ」は、他者への願望                             {誂{あつら}え}の終助詞。



                    ないだいじんふじわらのもろみち カニ ム ヲ
     「後拾遺集」の詞書によれば、内大臣藤原師道の邸で   「遥望山桜」を題に詠んだ歌である。   したがって、「山桜」じたいの美しさもさることながら、それを「遥かに望む」ことの方に主眼がある。
   上の句に遠景の「尾の上の桜」を、下の句に近景の「外山の霞」を配して対照させ、「立たずもあら      なむ」と願望を訴えて一首を結んでいる。

  霞はせっかくの桜花をも隠してしまいがちなもの、という前提から、遠くの桜を眺め続けていたいと強   く願った歌である。

  はるかに望む山桜を賞美する心が、細かな技巧などを弄{ろう}することなく表現された、格調の高い
   詠作である。








 名  格助  名   格助  名  カ四{用} 完了{用} 詠嘆{終}
高砂  の  尾の上  の  桜   咲き     に    けり



 名  格助 名  タ四≪末打消{用} 係助   ラ変{末}  終助
外山  の  霞   立た    ず     も     あら    なむ






























074


う        ひと はつせ やま
憂かりける  人を初瀬の  山おろしよ



            いの
はげしかれとは  祈らぬものを



みなもとのとしよりあそん
「源俊頼朝臣」−所載歌集「千載集」恋2{708}





「歌意」−私がつらく思ったあの人を、なびくようにと初瀬の山おろしよ、はげしくあれとは祈りはしなかっ      たのに。

                   だいなごんつねのぶ      しゅんえ
「作者」− 1055?〜1129? 大納言経信{71}の三男で、俊恵{85}の父。
                     院政期歌壇の中心人物。清新な歌風で後世にも影響を与えた。
                     勅撰集{ちょくせんしゅう}「金葉集」の選者で、歌学者「俊頼髄脳」{と                     しよりずいのう}を著した。





「語句・後方」−「憂かりける人を」 私がつらく思った人を、の意。
          形容詞「「憂し」の連用形に、過去の助動詞「けり」の連体形がついた形。
          「憂し」は、思うにまかせない、つらい気持ちをいう。類義語「つらし」が、相手の仕打ち         に対する恨めしさを表すのに対して、「憂し」は、自分自身のつらく情けない気持ちを表す。
          恋する相手が自分になびいてくれなかったことをこのように表現した。


          「初瀬の山おろしよ」 「初瀬」は、大和{やまと}国{奈良県}の地名。ここには長谷寺{は            せでら}があり、現世利益の観音{かんのん}信仰の霊場として知られた。「山おろ           し」は、山から吹きおろす冷たく激しい風。山おろしを{擬人化}して呼びかけた言い方。


          「はげしかれとは」 「はげしかれ」は、形容詞「はげし」の命令形。いよいよ冷淡な相手                        の態度をも象徴した表現。


          「祈らぬものを」 祈らないのに。 「ものを」は、逆接の接続助詞{一説に助動詞}。











      ままならぬ恋の、いらだたしいまでの嘆きを詠んだ歌である。
      つれない相手の心がなびくように、霊験{れいけん}あらたかといわれる初瀬の観音に祈っ          た。しかし、そのいちずな思いは通じるどころか、相手はいよいよ冷たくつらくあたるという       のである。
      そうした相手の冷淡な態度が、山から激しく吹きおろす「山おろし」に象徴されている。

      この歌は、「千載集」{せんさいしゅう}の詞書によれば、藤原俊忠{定家の祖父}の邸で「折れ         ども逢はざる恋」を詠んだ題詠であるが、観音に祈っても効{かい}のない悲しみを、山お         ろしに向かって泣きくどく姿は、恋の恨み言の真実をとらえていよう。

      なお、「初瀬」を「果つ」との掛詞とみて、「憂かりける人」への思いが「果つ」ことを祈ったのに、          ますます思いがつのってしまった、とする解釈もある。









形ク≪用}  過去{体}  名 格助  個名 格助     名   間助
憂かり      ける    人  を  初背  の   山おろし  よ



形シク{命}  格助 係助 ラ四{末} 打消{体}   接助
はげしかれ   と  は    祈ら     ぬ    ものを





















075

ちぎ          つゆ   いのち
契りおきし  させもが露を  命にて




    ことし   あき    
あはれ今年の  秋もいぬめり
 {ワ}








ふじわらのもととし
「藤原基俊」ー所作歌集「千載集」雑上{1026}




「歌意」−お約束してくださいました「私を頼みにせよ」という恵みの露のようなお言葉を頼んできました        が、ああ、今年の秋もむなしく過ぎ去っていくようです。


           うだいじんfyじわらのとしいえ みなもとのとしより
「作者」−1060〜1142右大臣藤原俊家の子。源俊頼{74}と並ぶ院政期歌壇の中心人物であった。
                革新的な歌風の俊頼に対し、伝統を重んじ保守的な家風であった。
詩歌集 「新撰郎詠集」{しんせんろうえいしゅう}{の撰者





「語句・語方」− 「契りおきし」約束しておいた。「おき」は、したの「露」の{縁語}。「し」は、過去の助動               詞「き」の連体形。


          「させもが露」 「させも」は、さしも草{よもぎ}のこと{51}。
                藤原忠通{ふじわらのただみち}が「なほ頼め・・・」「新古今集」釈教・1916}                  の歌{→鑑賞}をふまえて承諾したことをさす。
               「露」は、恵みの露。忠通の言葉を尊いものとして、このように表現した。


         「あはれ」 ここは、感動詞。


         「今年の秋もいぬめり」 「いぬ」は「往{い}ぬ」で、ナ変動詞の終止符。「めり」は、推量の                      助動詞。「維摩会」{ゆいまえ}の効し{こうし}は、秋に決められる。                       今年の秋もまた、子息光覚{こうかく}の講師実現を見ないまま、秋                      がむなしく過ぎていくようだ、というのである。




     せんさい   ことばがき
      「千載集」の詞書に詳しい詠作事情が述べられている。それによると、
       作者は、興福寺{こうふくじ}のいた子息の光覚{こうかく}が名誉ある維摩会の講師{仏典の       講義をする僧}になることを、そおの任命者である藤原忠通{76}に頼んでいた。
       それに対して忠通は、清水観音{きよみずかんのん}の歌とされる「なほ頼めしまじが原のさ       せも草我が世の中にあらむ限りは」{私を頼みにし続けよ。たとえあなたがしめじが原のさせ       も草のように胸をこがして思い悩むことがあっても}の一句を引いて「しめじが原の」と答え        た。これは言外に「なほ頼め」がこめられた言葉である。基年は、その言葉をあてにして待っ       ていたところ、今年の秋もまた光覚は選にもれてしまった。それを恨んで詠んだのがこの歌        である。

       子を思う親の、哀切なまでの心情と嘆息が、晩秋の物悲しい草葉の露の景を通して描かれ        た一種である。





カ四{用} 過去{体}  名  格助  名 格助  名  断定{用} 接助
契りおき     し   させも  が  露  を  命    に    て





 感     名 格助  名 係助 ナ変{終}  推量{終}
あはれ  今年  の   秋  も  いぬ     めり

























076

    はら  こ い   み  
わたの原  漕ぎ出でて見れば  ひさかたの



くもゐ       おき しらなみ
雲居にまがふ  沖つ白波
 {イ} {ゴウ}



ほっ生じにゅうどうさきのかんぱくだいじょうだいじん
「法性寺入道前関白太政大臣」−所載歌集「詞花集」雑下{382}




「歌意」−大海原に舟を漕ぎ出して眺めわたすと、雲と見まちがうばかりに沖の白波が立篁っていること        だ。


             ふじわらのただみち せっしょうかんぱくたださね
「作者」−1097〜1164   藤原忠通。  摂政関白忠実の子。
                鳥羽{とば}天皇から四代にわたって摂政関白を歴任。
                保元{ほうげん}の乱では、後白川{ごしらかわ}天皇側に付き、崇徳{すとく}                   上皇{77}側に勝利した。




「語句・語法」− 「わたの原」 広々とした大海原。「綿」は、海の意。


           「漕ぎ出でてみれば」 舟を漕ぎ出して見渡すと。「見れば」は、上一段動詞「見る」の                           己然形に、接続助詞「ば」がついて、確定条件を表す。


           「ひさかたの」「雲居」にかかる{枕詞}。ほかに、天・空・日・月・光などにかかる。


           「雲居」 雲の居るところ、すなわち空。ここでは、雲そのものをさす。


           「まがふ」 まじりあって見分けがつかなくなる意。
                 「雲居」と「沖つ白波」が、その白さにおいて区別ができないとする。

        
          「沖つ白波」 沖の白波。「つ」は上代に使われた、「の」にあたる格助詞。{休言止め}。







  しか     ことばがき  すとく      
  「詞花集」の詞書によれば崇徳天皇{77}の御前で「海上遠望」という題で詠んだ、題詠の歌である。
   雲の白さと波の白さの見分けのつかない、はるかに大空と大海の接するところが遠望されている。

   この歌はおそらく、小野篁{おののたかむら}の「わたの原八十島{やそしま}かけて漕{こ}ぎ出で    ぬと人には告げよ海女{あま}の釣舟{11}を念頭に置いて詠んだ歌であろう。
 しかし、隠岐{おき}国に流されていく折に詠んだ小野篁の歌にくらべてみると、そうした孤独感や絶望  感は、叙の歌には見られない。晴れがましい場にふさわしい、雄大な風景を詠んだ歌となっている。

   「沖つ白波」と結んだ休言止めの技法も、そうした雄大な構図を描くのにきわめて効果的である。






  名      ダ下二{用}  接助 マ上一{己}  接助
わたの原     漕ぎ出で   て     見れ    ば



           名  格助 八四{体}  名  格助   名
ひさかたの   雲居  に    まがふ  沖   つ  白波
...。。。    。。。              。。。。。。。。。。。
           。               休言止め
    枕詞。。。。。








077


せ       いは       たきがは
瀬をはやみ  岩にせかるる  滝川の
        {イワ}        {ガワ}



     すゑ         おも
われても末に  あはむとぞ思ふ
     {スエ}  {ワ}{ン}  {ウ}






すとくいん 
「崇徳院」−所載歌集」「詞花集」恋上{229}




{歌意」−川瀬の流れがはやいので、岩にせきとめられる急流が、二つに分かれてもまた一つになるよ       うに、恋しいあの人と今は別れていても、いつかはきっと逢おうと思う。


                              とば                                 
「作者」− 1119〜1164 第七十五代天皇。 鳥羽天皇の第一子。父と不仲で、在位十八年で退位                 させられる。 その後は和歌に没頭、「詞花集」{しかしゅう}撰進{せんしん}を
                藤原顕輔{ふじわらのあきすけ}{79}に命じた。
                保元{ほうげん}の乱に破れ、讃岐{さぬき}{香川県}に流された。





「語句・語法」− 「瀬をはやみ」 「瀬」は、川の流れの浅い所。「〜{を}+形容詞の語幹+み」は、
            「〜が・・・なので」と、原因・理由を表す語法{1・48}。


           「岩にせかるる」 岩にせきちめられる。四段動詞「せく」の未然形に、受身の助動詞             「る」の連体形がついた形。


           「岩にせかるる」 岩にせきとめられる。四段動詞「せく」の未然形に、受身の助動詞             「る」の連体形がついた形。


           「滝川の」 「滝川」は、急流・激流の意。ここまでが、「われても末にあはむ」を起こす                    {序詞}。


           「われても」 「われ」は、下二段動詞「わる」の連用形で、水の流れが岩に当たって分                     かれる意と、別れた男女が逢うことの、二つの意を表す。




    川の流れのゆくすえに自分の恋の将来を重ねて詠んだ、情熱的な恋の歌である。
    上の句では、ほとばしり流れる山中の急流の情景が描かれる。それが下の句にいたって、激しい     恋情の表出へと転じている。岩によってせきとめられた川の流れが、いったんは分かれてもや      がて合流するように、障害を乗り越えて必ず逢おう、というのである。序詞の情景が、そのまま      恋する心の姿をうつしだしている。

   
        すとくいん   きゅうあん
    原典は崇徳院主催の「久安百首」。 いくつかの題ごとに歌を詠み、
    合計で百首とするのが「百首歌」である。
    これはそうした題詠であるが、激しい情熱と強い決意とが感じられる恋歌である。
    なお、「久安百首」では、初句は「ゆきなやみ」、三句は「谷川の」。






  名  間助  形{語幹}  {接尾} 名 格助 カ四{末} 受身{体}  名  格助 
  瀬  を     はや     み   岩  に   せか   るる    滝川  の
             序詞     。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
。   ラ下二{用} 接助 係助  名 格助 八四{末} 意志{終} 格助 係助  八四{体}
。   われ      て   も   末  に   あは    む     と   ぞ   思ふ
。  。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。         。   。。
。                     。                         係り結び
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。











078


あはじしま    ちどり   な こゑ
淡路島  かよふ千鳥の  鳴く声に
{アワジ}   {ウ}       {コエ}


  よ ねざ     すま せきもり
いく夜寝覚めぬ  須磨の関守




みなもとのかねまさ
「源 兼昌」−所載歌集「金葉集」冬{270}




「歌意」−淡路島から通ってくる千鳥の鳴く声のために、幾夜目をさましたことか、須磨の関守は。



                   うだ    みなもとのとしすけ  ほりかわいん
「作者」−十二世紀初めの人。宇多源氏の系統で、源 俊輔の子。堀河院歌壇の一員として活躍した                     が、詳しい経歴は不明。








「語句・語法」− 「淡路島かよふ千鳥」 「淡路島」は、兵庫県須磨の西南に位置する島。
           「万葉集」の時代から詠まれている歌枕。
           「かよふ」は、淡路島から通ってくる、と解したが、ほかに、淡路島へ通う、
           淡路島と須磨の間を往来する、などの解釈もある。
           「千鳥」は、水辺に住み、群れをなして飛ぶ小型の鳥。平安時代以降、冬の景物とし              て詠まれる。妻や友を恋い慕って鳴く鳥とされる。


           「いく夜寝覚めぬ」 幾夜寝覚めたことか。「ぬ」は、完了の助動詞の終止形。
                        疑問詞「いく夜」を含んだ文脈なので、本来「ぬる」とあるべきとこ                        ろだが、語調上「ぬ」としたと考えられる。ほおかに、「ぬらむ」の                        「らむ」が省略されたとする説もある。


                           せっつ
          「須磨の関守」 「須磨」は、摂津国{兵庫県}の歌枕。四句・五句は{当地。体言止め}。






  きんよう  ことばがき せきじの
     「金葉集」の詞書に 「関路千鳥といへることを詠める」とある。題詠の歌である。
                  「関路」は、関所への道の意。
                  作者兼昌の時代、須磨の関はすでに廃されていた。
                  冬の夜、荒涼とした須磨の地を通り過ぎる旅人は、向かいの淡路島から                   飛び通ってくる千鳥の鳴き声を聞き、昔の関守{関所の番人}のわびしい                 心を思いやる。その想像は、そのまま旅人の旅愁でもある、というのである。
                 この時代、千鳥の鳴き声は、もの寂しさを誘うものとされていた。

                須磨の地はまた、「源氏物語」須磨の巻、「例のまどろまれぬ暁{あかつき}の                 空に、千鳥いとあはれに鳴く。「「友千鳥もろ声に鳴く暁はひとり寝目覚めの                 床{とこ}もたのもし」」 {友千鳥が声を合わせて一緒に鳴いている暁は
                 、ひとりで目を覚まして寝床にいても心じょうぶである}といった場面を思い                   起こさせる。

                 この歌は、こうした流難の地での愁{うれ}いをも背景にして詠まれている。






 固名  八四{体}    名 格助 カ四{体} 名  格助
淡路島   かよふ   千鳥  の   鳴く   声  に



  名  マ下二{用} 完了{終}         固名 格助    名
いく夜   寝覚め    ぬ            須磨   の   関守









079



あきかぜ     くも    た  ま
秋風に  たなびく雲の  絶え間より




   い  つき  かげ
もれ出づる月の  影のさやけさ
   {ズ}



さきょうだいぶあきすけ
  「左京大夫顕輔」ー所載歌集「新古今集」秋上{413}


                                                             す
「歌意」−秋風によってたなびいている雲の切れ間から、もれさしてくる月の光の、なんとくっきりと澄み       きっていることよ。


               ふじわらの   あきすけ あきすえ   きよすけ
「作者」−1090〜1155  藤原{六条}顕輔。   顕季の子で、清輔{84}の父。
                 父から歌道の家{六条藤家}{ろくじょうとうけ}を継ぎ、崇徳院{すとくいん}                   {77}の命令で「詞花集」{しかしゅう}を撰進{せんしん}した。




「五句・語法」− 「秋風に」 「に」は動作・作用の原因・理由を示す格助詞。秋風によって。


           「たなびく雲」 横に長くひく雲。


           「絶え間より」 「絶え間」は、切れ間。とぎれたすき間。「より」は、起点を示す格助詞。


           「もれ出づる」 下二段動詞「もれ出づ」の連体形。


           「月の影」 月光。「影」は光のこと。


           「さやけさ」 形容詞「さやけし」の名詞化した形。くっきりと澄みきっていること。視覚に                   も聴覚にも用いられる。{体言止め}。







          ことばがき すとくいん
    「新古今集」の詞書に「崇徳院に百首歌たてまつりけるに」とある。
       崇徳院に奉られた百首歌というのは「久安百首」{きゅうあんひゃくしゅ}{77}のことである。


     秋ならではの季節の感覚を、夜空の景によってとらえた歌である。
     さわやかな秋風が吹きわたって、天空の雲が流れるように走る。そして、たなびく雲がにわかに     切れ目をつくって、澄明な月の光がもれ出てくる、その一瞬をとらえた秋の夜空の光景である。

     このように刻々と変化する夜空の景は、まさしく秋という季節だからである。

     平明な調べの中に、秋の夜の清澄な美しさが描き出されている一種といえよう。







名  格助  カ四{体}  名  格助  名   格助
秋風  に   たなびく  雲  の  絶え間  より



ダ下二{体}  名 格助 名 格助    名
もれ出づる  月  の  影  の  さやけさ
                。。。。。。。。。。。。
                   {休言止め}



























080


なが   こころ し    くろかみ
長からむ  心も知らず  黒髪の
    {ン}



みだ  けさ         おも
乱れて今朝は  ものをこそ思へ
                  {エ}



たいけんもんいんほりかわ せんさいしゅう
「待賢門院堀河」ー所載歌集「千載集」恋3{802}



「歌意」−末長く変わらないという、あなたのお心もはかりがたく、お逢いして別れた今朝は、黒髪が乱        れるように心が乱れて、あれこれともの思いをすることです。


                                         すとく       ごしらかわ
「作者」−十二世紀前半の人。院政期歌壇の代表的な女流歌人。
         崇徳天皇{77}・後白河天皇の母である待賢門院{たいけんもんいん}に仕えた。
          待賢門院が出家した際には、自らも一緒に出家した。




                                                          えんきょく
「五句・語法」− 「長からむ心」 末長く変わらない心。「長し」は、「黒髪」の縁語。助動詞「む」は、婉曲             の意。「心」は、相手の男の心。


           「「知らず」期待できなくて、ぐらいの気持ち。
            「ず」は、打消しの助動詞の連用形。終止形とする説もある。


           「黒髪の乱れて」 上からは「黒髪の乱れて」、下へは「乱れて今朝はものをこそ思へ」                       という二重の文脈になっている。
                      「乱れて」は、黒髪が乱れたさまであるが、同時に心の状態もさす。
                     また、この「乱れて」も、「黒髪」の縁語。


           「今朝は」 この表現から、後朝{きぬぎぬ}{男女が共寝をした翌朝}の歌であること                    がわかる。


           「ものをこそ思へ」 「思へ」は、「こそ」の結び。








           すとくいん      きゅうあん    
       この歌も崇徳院の主催した「久安百首」{77・79}で詠まれた歌。
       作者は、この一首を、男が届けてきた後朝{きぬぎぬ}{男女が共寝をした翌朝}の歌に対す          る返歌という趣向で詠んでいる。

       「長からむ心」は、相手の男の言う、これからも変わることがないとする誠実な心。しかし、こ                 こでの女には、相手の男の心を信じきることができない。また「黒髪の乱れ」              は、逢瀬{おうせ}の後の余韻を、女の側から、官能的に言い表した言葉である。
              背丈よりも長い黒髪がしどれなく乱れ、つややかにうねっている。
               その黒髪のあやしいまでの美しさは、同時に女の千々{ちじ}に思い乱れる心を                も言い表していよう。
              男が立ち去って、ひとりですごす時間が経つにつれて、恋するがゆえの疑いと不               安と不信がしだいにつのってくるのである。

              「黒髪の乱れ」に象徴される恋のもの思いを、情感ゆたかに詠んだ一首である。










 形ク{末} 婉曲{体} 名 係助 ラ四{末}打消{用}   名  格助
 長から    む    心  も   知ら    ず    黒髪  の




 ラ下二{用} 接助  名  係助  名 格助 係助  八四{己}
  乱れ     て  今朝  は  もの  を  こそ   思へ
                              .。    。。。

                              { 係り結び}



        
           






081


         な    かた
ほととぎす  鳴きつる方を  ながむれば



  ありあけ つき のこ
ただ有明の  月ぞ残れる




ごとくだいじのさだいじん  せんさいしゅう
「後徳大寺左大臣」−所載歌集「千載集」夏{161}



「歌意」−ほととぎすが鳴いた方をながめると、そこにはただ有明の月が残っているだけである。



                 ふじわらの   さねさだ   きんよし  としなり   おい さだいえ いとこ
「作者」−1139〜1191藤原{徳大寺}実定。右大臣公能の子。俊成{83}の甥、定家{97}の従兄弟
                詩歌管弦や今様{いまよう}にもすぐれる。
                俊恵{しゅんえ}{85}の歌林苑{かりんえん}歌人たちと交流があった。




「語句・語法」ー 「ほととぎす」初夏の代表的な景物。
           平安時代には、夏の到来を知らせる鳥として、その初音{はつね}{その季節に初めて             鳴く声}が賞美された。


          「鳴きつる方」 今鳴いた方角。「つる」は、完了の助動詞「つ」の連体形。
                    一般に「つ」は、人為的・意識的動作を表す動詞につき、「ぬ」は、無作                    為的・自然的動作を表す動詞につくことが多い。
                    ここでは、あえて「つ」を用いて、擬人的な要素を強調。


          「ながむれば」 「ながむ」の己然形に、接続助詞「ば」がついて、順接の確定条件を示                      す。 


          「有明の月ぞ残れる」 「有明の月」は、夜明け方、まだ空に残っている月。
                        「る」は、強い意の係助詞「ぞ」の結び。






      季節の推移に敏感な王朝の人々は、夏の到来を告げるほととぎすをことのほか愛し、特にそ       の初音{はつね}を聞くことを希求{ききゅう}し、夜を明かして待つことも多かったという。
      この鳥は、夜明け前のまだ暗い時分に鳴くことが多かったのである。

      上二句は、ほととぎすの鳴く瞬間をとらえた表現。ここでは、ようやくそれを聞くことのできた喜       びが詠まれている。そして即座に反応するように、声のした方角をながめてみると、そのほと       とぎすの姿はすでに見えず、ただ初夏の「有明の月」が目に入ってくる、というのである。

                 ほととぎす
      これは、「暁ニ聞ク郭公ヲ」という題で詠まれた歌。
       「ほととぎす」と「有明の月」を取り合わせて詠むという着想は、けっして珍しくはないが、「な          がむれば」を境にして上二句の聴覚から下二句の視覚へとなめらかに転じている点に、         この歌のすぐれた特徴がある。
       また、「ただ・・・残れる」という表現には、ほととぎすの飛び去った後の軽い喪失感もあり、
        それが一つの余情を生んでいる。








  名     カ四{用} 完了{体}  名 格助 マ下二{己}  接助
ほととぎす    鳴き    つる   方  を   ながむれ   ば





 副   名  格助 名  係助 ラ四{命} 存在{体}
ただ  有明  の  月  ぞ    残れ   る
                  。係 り 結 び 。














                                    
082

おも        いのち 
思ひわび  さても命は  あるものを
 {イ}



う           なみだ
憂きにたへぬは  涙なりけり
     {エ}




どういんほうし
「道因法師」ー所載歌集「千載集」恋3{818}



                                                          た
「歌意」−つれない人ゆえに思い悩んで、それでも命はこうしてあるものなのに、そのつらさに堪えない       でこぼれ落ちる涙だったよ。



                      ふじわらのあつより
「作者」−1090〜1182?  俗名藤原敦頼。     せんさいしゅう
                 歌道への思いが強く、死後、「千載集」に多くの歌が掲載されたのを喜び、                    撰者俊成{せんじゃとしなり}{83}の夢に現れたという逸話が残る。




「語句・語法」− 「思ひわび」 「思ひわぶ」は、恋歌に多く用いられる心情語で、自分につれない相手             ゆえに思い悩む気持ちを表す。


           「さても」 そうであっても。 「思ひわび」を受ける。


           「命はあるものを」 係助詞「は」は、他と区別する働きをもつ。
                       ここでは、下の「涙」と対照的な表現として、「涙」がつらさに堪えら                   れないのに対して、「命」は堪えて生きながらえている、と区別している。
                   「ものを」は、逆接の接続助詞。


           「憂きに」 つらいこと。形容詞「憂し」の連体形に、格助詞「に」がついた形。
                  「憂し」は、思うことのかなわぬ憂鬱{ゆううつ}。
                  自分の運命を顧みる気持ちから用いられることが多い。


           「涙なりけり」 「なり」は、断定の助動詞の連用形。
                     助動詞「けり」は、初めて気づいた感動を表す。






     自らの意志や理性では制御できない恋心を、「命」と「涙」とを対比させて詠んだ歌である。
      初句の「思ひわぶ」という上二段活用の複合動詞は、和歌ではそのほとんどが恋歌に用いら       れている。
     この言葉は、つれない人のことをひたすら思い続けて、すでに思う気力さえ失ってしまったとい      う気持ちを表している。こうした状態に、「命」{肉体的な生命}は堪{た}えて生きながらえてい      るのに、堪えられないのは「涙」{心の象徴}であったのだ、というのである。

     「思ひわび」の語の用い方からみて恋歌らしい表現の歌であるが、あるいはこれは、作者の人       生そのものに対する述懐の歌とみることもできるかもしれない。
     老境にいたった人間の、心の嘆きが聞こえてくるような悲しい調べの歌であるともいえよう。







バ上二{用}  副   名  係助 ラ変{体}  接助
思ひわび  さても  命   は   ある   ものを




形ク{体} 格助 ハ下二{末} 打消{体} 係助  名  断定{用} 詠嘆{終}
憂き     に   たへ      ぬ     は  涙   なり     けり





















083




よ なか  みち        おも い
世の中よ  道こそなけれ  思ひ入る
                   {イ}



やま おく  しか  な
山の奥にも  鹿ぞ鳴くなる





こうたいごうぐうのだいぶとしなり
「皇太后宮大夫俊成」−所載歌集「千載集」雑中{1151}




「歌意」−この世の中には、逃れる道はないものだ。いちずに思いつめて入った山の奥にも、悲しげに         鳴く鹿の声が聞こえる。



            ふじわらのとしなり さだいえ
「作者」−1114〜1204 藤原俊成。 定家{97}の父。
                 余情を重んずる幽玄{ゆうげん}の世界を歌の理想とした。
                 後白河{ごしらかわ}上皇の命令により「千載集」{せんさいしゅう}を撰進
                  {せんしん}した。 歌学書「古来風体抄」{こらいふうていしょう}を著す。




「語句・語法」− 「世の中よ」 「よ」は、詠嘆の間投助詞。


          「道こそなけれ」 逃れる道はないのだ、の意。
                     道には、手だて、ぐらいの気持ちがこめられる。
                     「こそ」は、強意の係助詞。「なけれ」は、その結びで、形容詞「なし」の                       己然形。

                  いんとん
          「思ひ入る」 隠遁しようと深く考えて、山に入る。
                  四段活用の複合動詞「思ひ入る」は、深く考えこむこと。
                  この「入る」に、山に「入る」が重ねあわされる。


          「山の奥にも」 「山の奥」には、俗世間から離れた場所、ぐらいの気持ちがこもる。
                    「も」は、山の奥もまた、の意。


          「鹿ぞ鳴くなる」 鹿が鳴いているようだ。 「ぞ」は、強意の係助詞。
                    「なる」は、聴覚による推定の助動詞「なり」の連体形で、「ぞ」の結び。
                    「鹿」は、秋を代表する動物。






     上二句では、自分の行くべき道のない憂愁が詠嘆されている。
     「道」とは、世の中のつらさを逃れる出家遁世{とんせい}の道のことであろう。
      しかし、隠遁{いんとん}しようと決意して深山{みやま}に入ってみても、世俗の憂愁から逃れ       られない嘆きが、下三句には吐露{とろ}されている。

      鹿は悲しげな声で鳴くものという伝統的な発想をふまえながら、ここでは、その山奥で鳴く鹿        の声から、世俗的なものを容易に捨てきれないと実感する。いわば、憂愁が、人間であるが       ゆえの証{あかし}として詠みこまれている。

      「千載集」{せんさいしゅう}の詞書{ことばがき}には「述懐の百首歌詠みはべりける時、鹿の        歌とて詠める」とある。
      「述懐百首」は、家集の「長秋詠藻」{ちょうしゅうえいそう}によれば、俊成二十七、八歳のころ       に詠まれた百首歌である。
      このころ、西行{さいぎょう}をはじめとして作者周辺の友人が次々に出家している。
       俊成自身、これからの自分の生きていく道を、真剣に探りあてようとしていた時期にあたって        いたのかもしれない。








  名  間助 名 係助  形ク{己}            ラ四{体}
世の中  よ  道  こそ  なけれ            思ひ入る
             。。   。。。
             係り結び



名 格助 名 格助 係助 名 係助 カ四{終} 推定{体}
山  の  奥  に  も  鹿  ぞ   鳴く   なる
                     。係り結び   。。







084



ながれへば  またこのごろや  しのばれむ
    {エ}




 う     よ      こひ
憂しとみし世ぞ  今は恋しき
              {コイ}






ふじわらのきよすけあそん
「藤原清輔朝臣」ー所載歌集「新古今集」雑下{1843}






「歌意」−この先生きながらえるならば、つらいと感じているこのごろもまた、懐かしく思い出されることだ       ろうか。つらいと思って過ごした昔の日々も、今では恋しく思われることだから。



                 ふじわらのあきすけ            ろくじょうとうけ
「作者」−1104〜1177  藤原顕輔{79}の子。父から歌道の家{六条藤家}を継ぎ、当時の歌壇の 
                   第一人者となる。
                                            おうぎしょう  ふくろぞうし
                       平安時代の歌学の大成者で、歌学書「奥義捗」「袋草紙」を著す。





「語句・語法」− 「ながらへば」 もしもこの世に生きながらえるならば。
           「ながらふ」の未然形に接続助詞「ば」がついて、仮定条件を示す。


           「このごろやしのばれむ」 「このごろ」は、下に「憂しとみし世」とあることから推して、
                            つらいことの多いこのごろ。「や」は、疑問の係助詞。
                            「しのぶ」は、「偲ぶ」で、懐かしく思う意。
                            「れ」は、自発の助動詞「る」の未然形。
                         「む」は、推量の助動詞「む」の連体形で、係助詞「や」の結び。


           「憂しとみし世」 作者自身が経験してきたつらかった過去をさす。
                      形容詞「憂し」は、つらい・憂鬱{ゆううつ}だ、の意。


           「今は恋しき」 過去と区別する意味で「今は」とした。
                    「恋しき」は、形容詞の連体形。上の係助詞「ぞ」の結び。











 作者は、現在から過去を思い{下の句}、
 将来の自分から過ぎ去った現在を仮想し{上の句}、時の流れの不可思議な力に思いをはせている。
 つらいと思った昔のころのことが今ではかえって懐かしいと感じられるように、
 これから先生きながらえるならば、今のつらさもまた懐かしい思い出になるのだろうかと推しはかり、   自らを慰めているのである。もとより、過去のつらさが後に懐かしまれるというのは、現在が憂愁に    満ちているからである。
                          ていかん
わが人生の不幸をかみしめながら、そこに諦観の心の静けさをさえ見出しているのであろう。

このように述懐する作者を、どのような事情がとりまいていたのかは明らかではない。
 しかし、父顕輔{あきすけ}{79}とは長い間不和であったと伝えられ、不遇な青春時代を過ごしたとい   われる。









八下二{末} 接助 副     名  係助   バ四{末}  自発{末} 推量{体}
ながらへ   ば  また  このごろ  や    しのば    れ      む
                         。 係 り 結 び          。


形ク{終} 格助 マ上一{用} 過去{体} 名 係助 名 係助  形シク{体}
 憂し    と    み       し   世  ぞ  今  は   恋しき
                              。 係 り 結 び。。。。








                      











085


よ          おも       あ
夜もすがら  もの思ふころは  明けやらで
            {ウ}



ねや       
閨のひまさへ  つれなかりけり
      {エ}





しゅんえほうし      せんさいしゅう
「俊恵法師」−所載歌集「千載集」恋2{766}




「歌意」− 一晩中もの思いに沈んでいるこのごろは、夜がなかなか明けきれないで、つれない人ばか        りか、寝室のすき間までがつれなく思われるのだった。



                 みなもとのとしより    つねのぶ
「作者」−1113〜1191? 源 俊頼{74}の子で、経信{71}の孫。

        かりんえん ふじわらのきよすけ いんぶもんいんのたいふ にじょういんのさぬき
    自宅を「歌林苑」と名づけ、藤原清輔{84}や殷富門院大輔{90}、二条院讃岐{92}などを集め
      歌合{うたあわせ}や歌会を開催した。   鴨長明{かものちょうめい}の和歌の師。





「語句・語法」− 「夜もすがら」 一語の副詞で、夜通し・一晩中、の意。


          「もの思ふころは」 「もの思ふ」は、つれない恋人のことでもの思いをする意。
                「ころ」には、この晩だけでなく、幾夜ももの思いをしている意がこめられる。


          「明けやらで」 夜が明けきらないで、「明けやる」は、下二段動詞「明く」の連用形に、            「すっかり〜し終える」の意の補助動詞「やる」がついた語。
            その未然形に、打消の意の接続助詞「で」がついた形。

                      ねや
          「閨のひまさへ」  「閨」は寝室。 「ひま」はすき間。
                      「さへ」は、つれない人はもとより、寝室の戸のすき間までも、の意。


          「つれなかりけり」 形容詞「つれなし」の連用形に、詠嘆の助動詞「けり」のついた形。
                      「つれなし」は、冷淡だ・無情だ、の意。






    せんさいしゅう ことばがき
      「千載集」の詞書に「恋の歌とて詠める」とある、題詠の歌。
      ひとり寝室で恋に悩んでいる女の立場に立って詠んでいる。
      この時代、男性歌人が女の立場で詠んだ歌が、少なくない。

     一晩中恋のもの思いをし続ける女にとっては、夜が早く明けてほしいと願わずにはいられない        であろう。しかし、夜はなかなか明けることなく、ひとすじの光もさしこんではこない。
       その時、つれない恋人はもとより、「閨{ねや}のひま」までもつれないと感じられるのである。
       暗い閨の中に身を置いていると、思うにまかせない恋をしている自分が、いいようもなく不安        になってくるのである。

      なお、俊恵の家集「林葉集」{りんようしゅう}や「千載集」、百人一首の古い写本には三区が        「明けやらぬ」とあり、本文としてはその方が原形であると考えられる。








   副    八四{体}    名 係助 ラ四{末}  接助
夜もすがら   もの思ふ  ころ  は  明けやら   で



名 格助  名  副助   形ク{用}    詠嘆{終}
閨  の  ひま  さへ   つれなかり   けり








086


 
なげ     つき        おも
嘆けとて  月ややはものを  思はする
                    {ワ}



   がほ      なみだ
かこち顔なる  わが涙かな
   {ガオ}




さいぎょうほうし
「西行法師」−所載歌集「千載集」恋5{929}





「歌意」−嘆けといって月が私にもの思いをさせるのか、いやそうではない。それなのに、月のせいだと       ばかりに言いがかりをつけるように、流れる私の涙であるよ。



                   さとうのりきよ
「作者」−1118〜1190  俗名佐藤義清。 鳥羽院の北面の武士であったが、二十三歳で出家。
                   諸国を行脚{あんぎゃ}し、旅先で歌を詠んだ。天性の歌人と評される。
                    家集に「山家集」{さんかしゅう}がある。






「語句・語法」− 「嘆けとて」 月が人に嘆けと言って。 月が{擬人化}された表現。
                「嘆け」は、四段動詞「嘆く」の命令形。「とて」は、〜と言って、の意の格助詞。

 
          「月やはものを思はする」 「やは」は、反語を表す複合の係助詞。
                   反語の意を表す。「思はする」は、四段動詞の未然形「思は」に、使役の                    助動詞「す」の連体形「する」がついた形。
                   「する」は、上の係助詞「やは」の結び。


          「かこち顔なる」 複合の形容動詞「かこち顔なり」の連体形。
                    「かこち顔」は、うらめしそうな顔つき。
                   動詞「かこつ」は、他のもののせいにする・言いがかりいをつける、の意。
                   ここでは、月に罪を負わせるような様子である、の気持ち。
                    この語は、和歌では西行以前に確かな例が見出せない。
                   「〜顔」という言い方は、一種口語的な語感をもった表現。


          「わが涙かな」 「かな」は、詠嘆の終助詞。「涙」が{擬人化}されている。










     作者の西行は出家者でありながら、意外なことにその作品には恋の歌が多い。
     また、この歌と同様に「恋しさをもよほす月の影なればこぼれかかりてかこつ涙か」{山家集}な      どと、月と恋を結びつけた作品も少なくない。
    この歌は、「月前ノ恋」を詠んだ、題詠の歌である。

   月に相対していると、おのずとあふれ出てくる涙。その涙を「かこち顔なる」と巧みに擬入化しなが      ら、落涙{らくるい}の原因を月のせいであるかのように、その罪を押しつけてみる。
   わが涙という言い方も、自分と涙との間に距離を置いた表現である。
    しかし、実は、かなわぬ恋の嘆きゆえの悲しみの涙がこみあげているというのである。
    月が人にもの思いをさせたり、恋人の面影{おもかげ}を宿しているというのは、そもそも和歌の       伝統的な発想であった。

 明るい月の光に照らし出され、悲嘆に暮れている人間の、
   静かで孤独な姿が目に浮かぶ一首である。











カ四{命} 格助  名  係助  名  格助  ハ四{末}  使役{体}
嘆け    とて  月  やは  もの  を    思は     する
                。。   係 り 結 び         。。





形動ナリ{体} 代  格助 名  終助
かこち顔なる  わ  が  涙  かな
087



むらさめ つゆ        まき  は
村雨の  露もまだひぬ  真木の葉に







きりた      あき ゆふぐれ
霧立ちのぼる  秋の夕暮れ
            {ユウ}




じゃくれんほうし
「寂蓮法師」ー所載歌集「新古今集」秋下{491}





「歌意」−降り過ぎていった村雨の露もまだ乾いていない真木の葉のあたりに、霧がほの白くわきあ        がってくる秋の夕暮れであるよ。




                 ふじわらのさだなが としなり   おい              さだいえ
「作者」−1139?〜1202  俗名藤原定長。 俊成{83}の甥だったが後に養子となり、定家が生まれたころに出家した。「新古今集」の撰者{せんじゃ}の一人であるが、完成前に没した。





「語句・語法」− 「村雨」 にわか雨。特に、秋から冬にかけて断続的に激しく降る雨。


           「露」 村雨の残したしずく。

                                            ひ
           「まだひぬ」 まだ乾かない。「ひぬ」は、上一段動詞「干る」の未然形「ひ」に、打消の                    助動詞「ず」の連体形「ぬ」のついた形。

                       すぎ・ひのき・まき
           「真木の葉に 「真木」は、杉・檜・槙などの常緑樹の総称。
                    今日の「槙」だけに限らない。「に」は、場所を示す格助詞。

                                                        かすみ
           「霧」 秋の景物。同様の自然現象であるが、平安時代以降、春のものを「霞」、秋の                 ものを「霧」と呼んだ。


           「立ちのぼる」 「立つ」「のぼる」の動詞を複合させて、ほの白い霧が静かに這いの                      ぼってくる感じを強調する。


           「秋の夕暮れ」 平安朝の和歌では、秋の寂しさのつのる季節、夕暮れももの思いをさ                      せる時間帯とされる。{休言止め}。









      上の句では近景に焦点を合わせ、紅葉する木々ではなく、常緑の木木をとらえている。
       人々の往来もほとんどない深山{みやま}の中であろう。
      
      また下の句では、視点を変えて遠景をとらえるという構成によっている。
       視野は天空にまで広がっている。句切れがなく、すべて結句の「秋の夕暮れ」に集約していく        趣{おもむき}でもある。

      にわかに降り過ぎていった雨、真木の緑の葉に宿っている露、雨上がりの冷気の中でわきあ       がってくるほの白い夕霧。自然の動的な変化がみごとにとらえられている。
      そうした変化の中にあって、晩秋の深山の静寂さが深まっているのである。
      寂蓮{じゃくれん}には、三夕{さんせき}の歌の一首として名高い「さびしさはその色としもなか       りけり真木立つ山の秋の夕暮れ」の歌もある。





名   格助 名 係助  副 ハ上一{末} 打消{体}
村雨  の  露  も  まだ   ひ       ぬ





名  格助  名 格助  名   ラ四{体}     名 格助   名
真木  の  葉  に  霧    立ちのぼる   秋  の  夕暮れ
                                。。。。。。。。。。。
                                 休言止め






088



なにはえ  あし
難波江の  芦のかりねの  ひとよゆゑ
{ナニワ}                  {エ}



           こ
みをつくしてや  恋ひわたるべき
            {イ}





こうかもんいんのべっとう
「皇嘉門院別当」所載歌集「千載集」恋3{807}




                           ひとよ          ひとよ             みおつくし
「歌意」−難波の入り江の芦の刈り根の一節ではないが、ただ一夜の仮寝のために、あの澪標のように身を尽くして恋い続けなければならないのでしょうか。




     たいこうたいごうぐうのすけみなもとのおとしたか  すとくてんのう    こうかもんいんせいし
「作者」− 十二世紀の人。太皇太后宮亮 源 俊隆の娘。崇徳天皇{77}の皇后である皇嘉門院聖子        に仕えた。




「語句・語法」− 「難波江」 摂津国難波{大阪市}の入り江。低湿地で、芦が群生していた。{19}。

                   あし か ね ひとよ みおつくし           
                下の「芦」「刈り根」「一節」「澪標」は、「難波江と{縁語}。


          「芦のかりね」 「難波江の芦の」が序詞で、「かりね」を導く。
                「かりね」は、「刈り根{刈り取った根}と仮寝」{旅先での仮の宿り}との掛詞。


          「ひとよ」 「一節{節と節の間。短いことのたとえ}」と「一夜」の掛詞。

                              みおつくし                   くい
          「みをつくしてや」 「みをつくし」は、「澪標{船の航行の目印に立てられた杭}」 と
                      「身を尽くし{身を滅ばすほどの恋いこがれる}」の掛詞{20}。
                      「や」は、疑問の係助詞。


          「恋ひわたるべき」 「〜わたる」は、ここでは時間的に長く続く意。
                    「べき」は、推量の助動詞「べし」の連体形で、上の係助詞「や」の結び。








  せんさいしゅう ことばがき         あ                         
     「千載集」の詞書によれば、「旅宿に逢ふ恋」という題で詠んだ女の歌である。

     ただ一夜だけの旅の宿でのはかない恋。女はそれゆえに、この先ずっと恋こがれ続けなけれ       ばならないと、その哀{かな}しい運命を実感していることになろう。
      そうした女の姿を、言葉の技巧を駆使しながら描き出した歌である。

        なにわ えぐち
     当時、難波の江口あたりは、多くの遊女がいたことで知られる。
      この歌の作者は、そうした遊女の立場に身を置いて、恋のはかなさを、旅人とのただ一夜だけ       の官能的な恋として、このように詠んでみせたのだろうか。

      一首は、人と人との運命的な出逢いを念頭において、はかない恋の心を詠んだ歌である。









 固名  格助 名 格助   名  格助   名    名
難波江  の  芦  の  かりね  の  ひとよ  ゆゑ
         序詞     。。。 刈り根  。。。 一節
                 掛詞 仮寝   掛詞 一夜



名 格助 サ四{用} 接助 係助 ラ四{終}    推量{体}
み  を   つくし   て   や  恋ひわたる   べき
。。。。。。。。。。。。       。 係り 結 び    。。
掛詞  身を尽くし
     澪標












089



たま を   た    た
玉の緒よ  絶えなば絶えね  ながらへば
  {オ}                   {エ}




しの
忍ぶることの  よわりもぞする





しょくしないしんのう
「式子内親王」−所載歌集「新古今集」恋1{1034}


                                                           た
「歌意」− わが命よ、絶えてしまうのならば絶えてしまえ。このまま生きながらえているならば、堪えし                 のぶ心が弱まると困るから。




               ごしらかわ        かも     さいいん 
「作者」−1149〜1201 後白河天皇の皇女。賀茂神社の斎院を勤めた。新古今集時代の代表的女                  流歌人。藤原俊成{ふじわらのとしなり}{83}に和歌を教わる。
                  定家{さだいえ}と恋仲にあったとされ、後世、謡曲{ようきょく}の題材にも                   なっている。



                             お                    {たま}
「語句・語法」− 「玉の緒」 本来、玉を貫いた緒{ひも}、の意であるが、ここでは、魂を身体につないで            おく緒の意で、命そのもの。下の「絶え」「ながらへ」「よわり」は、「緒」の縁語。


          「絶えなば絶えね」 下二段動詞」「絶ゆ」の連用形に、完了の助動詞「ぬ」の未然形                          「な」、接続助詞「ば」がついて、順接の仮定条件を表す。
                        「ね」は、完了の助動詞「ぬ」の命令形。強い語気を含む。


          「ながらへば」 「ながらふ」の未然形に、接続助詞「ば」のついた形で、順接の仮定条件                     を表す。


          「忍ぶる」 上二段動詞「忍ぶ」の連体形。こらえる意。


         「よわりもする」 係助詞「も」「ぞ」が重なると、〜すると困る、という気持ちを表す。
                     ここでは、秘めた恋心があらわれることへの危惧{きぐ}。






               
           ことばがき
     「新古今集」の詞書に「百首歌の中に忍ブル恋を」とある。
                  ひそかに自分の心の中に秘める恋が、「忍ブル恋」である。

     忍ぶ恋ゆえの張りつめた思いが、一首を貫いている。
     初句で自らの命に呼びかけ、続く第二句では忍ぶ恋のせつなさから「絶えなば絶えね」と命令       形ではげしく訴えかける。

     このように上二句には、抑えようとして抑えきることのできない、堰{せき}を切ったような恋の激      情が表出されている。
     しかし、自らに死を命ずる激情の表現が、「ながらへば」という条件句を境に一転し、
     下二句では、心の中に秘めきれず他人に気づかれてしまうかもしれないという、不安におのの      く心細い心情が表されている。

      そうしいた言葉の工夫に、恋の感情の起状が鮮明に表現されている。











  名  間助 ヤ下二{用} 完了{末} 接助 ヤ下二{用} 完了{命}       八下二{末} 接助
玉の緒  よ    絶え     な     ば    絶え    ね            ながらへ   ば




バ上二{体}  名  格助  ラ四{用} 係助 係助 サ変{体}
忍ぶる    こと   の   よわり   も   ぞ   する
                              。   。。
                              係り結び











        
090



み        をじま       そで
見せばやな  雄島のあまの  袖だにも
         {オ}



            いろ
ぬれにぞぬれし  色はかはらず
             {ワ}




いんぶもんいんのたいふ
「殷富門院大輔」−所載歌集「千載集」恋4{886}




                          そで                    おじま       
「歌意」− 血の涙で変わってしまった私の袖をお見せしたいものです。松島の雄島の漁師の袖でさえ、        波に洗われて濡れに濡れてしまいました、色は変わりませんのに。





                ふじわらののぶなり ごしらかわ     りょうし    いんぶもんいん
「作者」−1131?〜1200? 藤原信成の娘。後白河天皇の皇女亮子内親王{殷富門院}に仕える。
                    俊恵{しゅんえ}{85}の催した歌林苑{かりんえん}で活躍。
                     多作家としいて知られ、「千首大輔」の異名があった。








「語句・語法」− 「見せばやな」 「見せ」は下二段動詞「見す」の未然形。
                     「ばや」は願望の終助詞。「な」は詠嘆の終助詞。

              みちのく
           「雄」 陸奥{宮城県}の松島湾内の島のひとつ。


           「あまの袖だにも」 「あま」は漁師。男女ともに用いる。
                       いつも海水で濡れる漁師の袖でさえ。
                        言外に、まして私の袖は、の意をこめる。


           「ぬれにぞぬれし」 「ぬれ」は、下二段動詞「濡る」の連用形。
                      この格助詞「に」は、同じ動詞を「連用形+に+連用形」と繰り返し                         て強調の意を表す。
                  「し」は、過去の助動詞「き」の連用形で、上の強意の係助詞「ぞ」の結び。


      「色はかはらず」 言外に、私の袖の色は、血の涙で色が変わってしまったが、の意をこめる。













    「千載集」の詞書に「歌合しはべりける時、恋の歌とて詠める」とある。題詠の歌である。
    この歌は、源重之{みなもとのしげゆき}{48}の「松島や雄島{おじま}の磯{いそ}にあさりせしあ  まの袖{そで}こそかくはぬれしか」を本歌として詠んだ、いわゆる本歌取{ほんかどり}の歌である。

  本歌取とは、古い歌の表現の一部を意識的に取り入れて作歌する方法である。
   ここでは、「松島の雄島の漁師の袖は、涙にひどく濡れた私の袖と同じようだ」という歌意をうけて、
   「重之の袖は濡れただけだが、私の袖は濡れたうえに色まで変わってしまった」と詠んでいることに     なる。
   重之の歌に答える返歌のような形で詠まれているが、こうした表現も、当時の本歌取の一つの詠      み方であった。
   
  なお、深い悲しみの涙を「血涙」{紅涙}というのは、漢詩文の影響による誇張された表現である。














サ下二{末}   終助  終助               固名  格助  名 格助  名  副助  係助
 見せ       ばや   な               雄島   の  あま  の  袖  だに   も




ラ下二{用} 格助 係助 ラ下二{用} 過去{体}          名 係助 ラ四{末}  打消{終}
 ぬれ     に   ぞ    ぬれ     し            色  は   かはら   ず


        

         
091



        な   しもよ
きりぎりす  鳴くや霜夜の  さむしろに





ころも            ね
衣かたしき  ひとりかも寝む
                {ン}




ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん
「後京極摂政前太政大臣」− 所載歌集「新古今集」秋下{518}






                                             そで
「歌意」− こおろぎの鳴く、霜のおりる寒い夜、むしろの上に衣の片方の袖を敷いて私はひとり寂しく寝         るのであろうか。




                ふじわらの よしつね かんぱくただみち    じえん    おい
「作者」− 1169〜1206  藤原{九条}良経。関白忠通{76}の孫で、慈円{95}の甥。
                   摂政{せっしょう}・太政大臣になったが、三十八歳で急死した。
                   「新古今集」の仮名序{かなじょ}を執筆。
                   家集に「秋篠月清集」{あきしのげっせいしゅう}がある。






「語句・語法」− 「きりぎりす」今のこおろぎ。秋の代表的景物。


          「鳴くや霜夜の」 「鳴く」は四段動詞の連体形で、「霜夜」にかかる。
                     「や」は、詠嘆の間接助詞。
                     「むしろ」は、藁{わら}や菅{すげ}などで編んだ粗末な敷物。
                       「寒し」との掛詞。


          「衣かたしき」 昔、共寝の場合は、互いの衣の袖を敷き交わして寝た。
                   「衣かたしき」は、自分の衣の片袖を下に敷くことで、ひとり寝のこと。


         「ひとりかも寝む」 一人で寝ることであろうか。
                「か」は疑問の係助詞。「も」は強意の係助詞。「む」は「か」の結びで連体形。










               
                          こよい            うじ            
     この歌は、「さむしろに衣かたしき今宵もやわれを待つらむ宇治の橋姫」{古今集}恋4・689}と
        「あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」{3}の、二首の恋歌を          ふまえた、本歌取の歌である。
      また、「我が恋ふる妹{いも}は逢{あ}はさず玉の浦に衣片敷きひとりかも寝む」{「万葉集}
          巻9・696}にもよっていると考えられている。

     「きりぎりす」や「さむしろ」の語からは、山里でのひとり住みや旅中の仮寝などが想像されよう。


     本歌の恋の情調を漂わせながら、暮れていく秋の寂しさを詠んだ歌であるが、孤独なひとり寝       のわびしさと晩秋の寂寥感{せきりょうかん}とが一つにとけ合っている。

    この歌は、後鳥羽院{ごとばいん}{99}が正治2{しょうじ2}{1200}年に召した
       「正治2年院初度百首」での作だが、
     作者は、この百首歌を詠進する直前、妻に先立たれたといわれる。













   名  カ四{体} 間助  名  格助  名    格助
きりぎりす  鳴く   や   霜夜  の さむしろ  に                          。
                          。。。。
                          。
                         接頭
                         掛詞 さむしろ
                             寒し


名 カ四{用}     名  係助 係助 ナ下二{末} 推量{体}
衣  かたしき   ひとり  か   も    寝       む
                  。 係 り 結 び       。

092


   そで  しほひ み    おき いし
わが袖は  潮干に見えぬ  沖の石の
       {シオ}



ひと  し        ま
人こそ知らぬ  かわく間もなし





にじょういんのさぬき
「二条院讃岐」−所載歌集「千載集」恋2{760}





「歌意」−私の袖は、引き潮の時にも海中に隠れて見えない沖の石のように、人は知らないだろうが、         涙に濡れて乾く間もない。







                みなもとのよりまさ                  ごとば
「作者」− 1141?〜1217? 源 頼政の娘。初めは二条天皇に、後に後鳥羽天皇{99}の中宮宣                       秋門院任子{ぎしゅうもんいんにんし}に仕える。
                       俊恵{しゅんえ}{85}の催した歌林苑{かりんえん}にも参加した。




「語句・語法」− 「潮干に見えぬ」 「潮干」は、引き潮の状態をさす。
                      「見え」は、下二段動詞「見ゆ」の未然形。
                      「ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。


           「沖の石」 「潮干に見えぬ沖の石」は、「人こ知らねかわく間もなし」を起こす序詞。
                  潮が引くと海岸近くの石は、その姿を見せるが、沖の海中深く沈んでいる                    石は、潮が引いてもその姿を現さない。


         「人こそ知らぬ」 人は知らないが。 「人」は、世間一般の人とも、恋する相手ともとれる。
                    「こそ」は、強意の係助詞。
                    「ね」は、打消の助動詞「ず」の己然形で、上の「こそ」の結び。
                    「こそ〜己然形」の形で下に続いていく場合、逆接の意となる。


         「かわく間もなし」 初句「わが袖は」を受ける。 「も」は、強意の係助詞。














     「石に寄する恋」の題で詠んだ、題詠の歌である。
     恋ゆえの悲しみの涙で、袖が乾く』間もないことを詠んでいるが、
     この歌は、和泉式部{56}の「わが袖は水の下なる石なれや人に知られでかわく間もなし」{和        泉式部集}を念頭に置いた本歌取の歌である。 

     式部の「水の下なる石」を「潮干に見えぬ沖の石」としたところに、新しい趣向がうかがえる。
     この歌から、作者は後に「沖の石の讃岐」と呼ばれたという。

     涙で濡れている袖を「潮干に見えぬ石」の、常に濡れている様子にたとえているのだが、この      「沖の石」はまた、「人こそ知らぬ」とあるように、作者の秘めた思いを具体化した表現でもある。

     なお「千載集」では、結句を「かわく間ぞなき」と、係り結びによる強調表現にしている。






代  格助 名 係助  名  格助  ヤ下二{末} 打消{体} 名 格助 名 格助
わ   が  袖  は  潮干  に    見え     ぬ    沖  の  石  の
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。                             
。序詞

。  名  係助 ラ四{末} 打消{己}  カ四{体}  名  係助  形ク{終}
。  人  こそ  知ら     ね      かわく   間   も   なし
。。。。。。

      。。係 り 結 び  。






                      


 
083



よ  なか  つね      なぎさ
世の中は  常にもがもな  渚こぐ




    をぶね  つなで 
あまの小舟の  綱手かなしも
    {オ}





かまくらのうだいじん           きりょ
「鎌倉右大臣」−所載歌集「新勅撰集」羇旅{525}





「歌意」− この世の中は、永遠に変わらないでほしいものだなあ。この渚を漕いでゆく漁師の、小舟に        引き網をつけて引くさまに、身にしみて心動かされることだ。




            みなもとのさねとも  よりとも  ほうじょうまさこ
「作者」− 1192〜1219 源 実朝。父は頼朝で、母は北条政子。鎌倉幕府の三代将軍。
                  甥{おい}の公卿{くぎょう}に鶴丘八幡宮{つるがおかはちまんぐう}で暗殺                    される。
                  家集に「金塊和歌集」{きんかいわかしゅう}がある。





「語句・語法」− 「世の中」 現在生きているこの世の中。


           「常にもがもな」 「常に変わらないものであってほしいなあ。
                      「常に」は、形容動詞「なり」の連用形。永久不変である意。
                      終助詞「もがな」は、実現することの難しそうな事柄についての願望                        を表す。
                      「な」は、詠嘆の終助詞。


                      「渚こぐ」 「渚」は波うちぎわ。


                      「あま」 漁夫。漁師。


                      「網手」 船具の一種。舟の先につけて、陰から舟を引いて」ゆくた                              めの引き綱。


                     「かなしも」 形容詞「かなし」の終止形に、詠嘆の終助詞「も」がつい                                た形。
                        この「かなし」は、心をゆり動かされるような痛切な感情を表す。
                        必ずしも慈哀だけの意には限定されない。










      上二句では、世の中は永遠であってほしい、不変であってほしいと、率直に詠嘆される。
       これは「万葉集」の
      上のゆつ岩群{いはむら}に草生{む}さず常にもがもな常処女{とこをとめ}にて」{巻1・22}を      念願に置いた表現であるが、永遠を願う思いの根底には、この世を無常と思う気持ちがある。

    
                         みちのく
  下三句の海浜の光景は、「古今集」の「陸奥はいづくはあれど塩釜の浦こぐ舟の網手かなしも」
       {東歌・1088}によっている。「塩釜の浦」は、今の松島湾{90}全体をも含む一帯で、有名       な歌枕であるが、作者の実朝はおそらく、こうした光景を鎌倉あたりで目にしたのであろう。
      漁師の日常の営みを見つめ、それに心をゆり動かされた実感が歌いあげられている。

      二首の歌を本歌としながら詠まれたこの歌は、人の世の無常に対する感傷の漂う、奥行きの       深い風景を詠んだ一首である。






 名   係助  形動ナリ{用}  終助  終助                 名   ガ四{体}
世の中  は     常に     もがも  な                  渚   こぐ






 名  格助   名  格助  名  形シク{終} 終助
あま   の   小舟  の  網手  かなし   も







094



 よしの  山ま あきかぜ よ
み吉野の  山の秋風  さ夜ふけて




     さむ ころも
ふるさと寒く  衣うつなり




さんぎまさつね
「参議雅経」−所載歌集「新古今集」秋下{483}





「歌意」−吉野の山の秋風が夜ふけて吹きわたり、古京である吉野の里は寒く、寒々と衣を打つ音が聞        こえてくる。



             ふじわらの あすかいまさつね みなもとのよりとも さねとも
作者」− 1170〜1221 藤原{飛鳥井}雅経。        源 頼朝や実朝{93}と親交があった。
            後鳥羽{ごとば}上皇の近臣となり、「親古今集」の撰者{せんじゃ}の一人となった。
             和歌・蹴鞠{けまり}の家である飛鳥井家の祖。





                                      やまと
「語句・語法」−「み吉野の」 「み」は、美称の接頭語。「吉野」は、大和国、現在の奈良県吉野郡吉野                   町。        雪、または桜の名所として多くの歌に詠まれている。


          「さ夜」 「さ」も接頭語。 夜の意。


          「ふるさと」 吉野は古代の離宮の地であることから、古く都があった土地{古京}の意                    で、「古里」{ふるさと}と呼ぶ。
                この意の場合、人に忘れ去られ、荒れ果てた地というイメージがこめられる。


          「寒く」 上から「ふるさと寒く」と続き、下へは「寒く衣うつなり」と続く。


          「衣うつなり」 衣を打つ音が聞こえてくる。
                   衣を打つ作業は、衣をやわらかくして光沢を出すための女性の夜なべの                    作業。
                   助動詞「なり」は、伝聞・推定の意。








                ことばがき    たうい
        「親古今集」の詞書によれば、「擣衣」の題を詠んだ、題詠の歌である。       きぬた 
                           擣衣{とうい}、すなわち衣のつやを出すために衣を打つ砧
                             の響きは、もともと漢詩の世界からとりこまれた情趣で                               あった。
          李白{りはく}の詩に「長安一片ノ月  万戸打衣ノ声   秋風吹イテ不レ尽キセ・・・・」            とあり、この歌もそうした詩の趣向を念頭に置いているとみられる。
  
     この歌はまた、「み吉野の山の白雪つもるらしふるさと寒くなりまさるなり」{古今集}冬・{325}
      を本歌とする本歌取{ほんかどり}の歌である。
          本歌から多くの詞句をとっているが、本歌の冬の世界を秋へと季節を移し、白雪という        視覚的イメージ から、秋風と砧{きぬた}の音という聴覚的イメージへと変化させている。
    静まりかえった古京吉野の地に山の秋風が吹きわたってくる。
      その中に砧を打つかすかな断続音が聞こえて、秋夜の寒々とした寂寥感{せきりょうかん}を        つのらせることになる。
    言葉のつづけがらの流麗さもさることながら、巧みな本歌取の歌である。









固名  格助  名 格助  名   名  カ下二{用}  接助
み吉野  の  山  の  秋風  さ夜  ふけ      て
                      。
                     {接頭}


  名   形ク{用} 名  タ四{終}  伝聞・推定{終}
ふるさと   寒く   衣   うつ       なり






095



           よ たみ
おほけなく  うき世の民に  おほふかな
 {オ}               {オ}{ウ}



     そま すみぞめ そで
わがたつ杣に  墨染の袖






さきのだいそうじょうじえん
「前大僧正慈円」−所載歌集「千載集」雑中{1137}




「歌意」−身のほどもわきまえず、私はつらいこの世を生きる人々におおいかけることだ。
       この比叡{ひえい}の山に住みはじめたばかりの私のこの墨染の袖を。




            かんぱくふじわらのただみち                てんだいざす
「作者」−1155〜1225 関白藤原忠通{76}の子。十一歳で出家。四度天台座主となる。
                  史論「愚管抄」{ぐかんしょう}を著した。






「語句・語法」− 「おほけなく」 「おほけなし」は、見分不相応だ、の意。
            ここでは、身のほどをわきまえずに、と謙遜{けんそん}した表現。


           「うき世の民」 「うき世」は、つらいこの俗世。「民」は人民。


           「おほふかな」 墨染の袖で覆{おお}うことだ。すなわち、仏の功徳によって人民を守                      り、その無事、救済を祈ること。 「おほふ」は「袖」と縁語。


         「わがたつ杣に」 「杣に 「杣「は、杣山{植林した材木を切り出す山で、ここでは比叡山。
                     伝教大師{でんきょうだいし}の「阿耨多羅三藐三菩提{あのくたらさん             みゃくさんぼだい}の仏達わが立つこの杣に冥加{みゃうが}あらせたまえ」{一切               の真理を悟った御仏たちよ。私が入り立つこの杣山に加護をお与えください}を                ふまえた表現。


           「墨染の袖」 僧衣の袖。「住み初め」と「墨染」との掛詞。「おほふかな」へと続く{倒                            置}。{休言止め}。








   せんざいしゅう ことばがき                     ぶんじ
      「千載集」の詞書には「題知らず」とある。同集の成立が文治4{1188}年であることから、
                    作者がまだ若いころに詠んだものと考えられる。

       仏法の力によって天下万民を救おうとする大きな抱負や決意が詠まれているが、「おほけな          く」という初句の表現からは、まだ青年僧であった作者の謙虚な姿勢もうかがえる。
       救済されるべき「うき世の民」とは、悪疫{あくえき}の流行、飢饉{ききん}、戦乱といった過           酷な現実を生きぬいている人々をさしていよう。


    
              でんきょうだいし さいちょう ひえいざんえんりゃくじ こんぽんちゅうどう
       この歌は、天台宗の開祖伝教大師{最澄}が比叡山延暦寺の根本中堂建立の折に詠んだと         伝えられる「阿耨多羅・・・・」の歌{→語句・語法}を、本歌としてふまえている。
       
       開祖をしのびつつ、仏に仕える自らの使命感に燃える作者の思いを読みとることもできるで        あろう。









形ク{用}    名  格助  名 格助 八四{体}  終助
おほけなく  うき世  の  民  に   おほふ   かな




代 格助 タ四{体}  名 格助  名  格助  名
わ  が   たつ   杣  に  墨染  の  袖
                     ・・・・・・・・・・・・・・
                     。。      休言止め
                    掛詞 墨染
                        住み初め


096


はな    あらし には ゆき
花さそふ  嵐の庭の  雪ならで
   {ウ}    {ニワ}



              み
ふりゆくものは  わが身なりけり




にゅうどうさきのだいじょうだいじん   しんちょくせんしゅう
「入道前太政大臣」−       所載歌集「新勅撰集」雑1{1052}





                                                         ふ
「歌意」−花を誘って散らす嵐の吹く庭は、雪のように花が降りくるが、実は雪ではなく、真に古りゆくも         のは、このわが身なのだった。




           ふじわらのさいおんじきんつね  さだいえ       じょうきゅう
「作者」−1171〜1244 藤原{西園寺}公義。  定家{97}の義弟。 承久の乱の時、鎌倉幕府側に                  内通し、乱後は栄進した。
                 娘婿{むすめむこ}の道家{みちいえ}を関白{かんぱく}に、孫娘を後嵯峨                  {ごさが}天皇の中宮にし、権力をふるった。








「語句・語法」− 「花さそふ」 花を誘って散らす。「花」は桜の花。
                    「さそふ」の主語は、「嵐」。 「花」「嵐」ともに擬人化されている。


           「嵐の庭」 嵐の吹く庭。 「嵐」は、山風の意{22}。


           「雪ならで」 雪でなくて。  落花を雪に見立てた表現。
                 落花を雪に、また雪を落花に見立てる表現は、「古今集」以来多く見られる。
                 「なら」は、断定の助動詞「なり」の未然形。「で」は、打消の接続助詞。

         「ふりゆくものは」 「ふりゆく」は、花が雪のように「降りゆく」と、わが身が「古{ふ}りゆく}                      {年老いてゆく}との掛詞。  「は」は、強意の係助詞。


         「わが身なりけり」 「なり」は、断定の助動詞「なり」の連用形。
                     助動詞「けり」は、今初めて気がついたという感動を表す。ここでは、                       自分の老いに初めて気づかせられた気持ち。





 しんちょくせんしゅう ことばがき
     「新勅撰集」の詞書には「落花を詠みはべりける」とある。
         風に散りゆく桜の花を目の前にして、自らの老いを実感し、それを嘆く心を詠んでいる。


 上の句では、雪と見まがうまでに散る、眼前の落花の風景が描かれる。「嵐の庭」という凝縮された表   現、「雪」の見立ての技法も、花吹雪{はなふぶき}の舞う庭の美しさを強く印象づけている。
  それが、「ふりゆく」{降りゆくー古りゆく}を境に、桜の花のきらびやかな叙景から、自分自身のわび    しい老いの感慨へと転じていくのである。

作者は、承久の乱の後、太政大臣にまでのぼりつめ、比類のない権勢をふるった人物である。
 そうした栄華をきわめた人物であるからこそ、容赦{ようしゃ}なく忍びよってくる老いへの嘆きが、かえって人一倍大きいのであろう。











名  八四{体}  名  格助  名  格助 名  断定{末} 接助
花   さそふ   嵐   の  庭   の  雪    なら   で




カ四{体}    名  係助  代   格助 名  断定{用} 詠嘆{終}
ふりゆく    もの   は   わ   が  身   なり    けり
。。。。
掛詞  降りゆく
     古りゆく




         









097



こ  ひと       うら   ゆふ
来ぬ人を  まつほの浦の  夕なぎに
                  {ユウ}




や  もしほ   み
焼くや藻塩の  身もこがれつつ
     {シオ}  




ごんちゅうなごんさだいえ
「権中納言定家」所載歌集「新勅撰集」恋3{849}





                             まつほ うら             もしお
「歌意」− いくら待っても来ない人を待ち続け、松帆の浦の夕なぎのころに焼く藻塩のように、私の身も          ずっと恋こがれていることだ。






「作者」− 1162〜1241  藤原定家。   俊成{83}の子。「新古今集」「新勅撰集」の撰者。「小倉百人一首」を撰んだ。  俊成の「幽玄」{ゆうげん}を深化させ、「有心体{うしんたい}{妖艶な余情美}」を理想とした。 歌論書「近代秀歌{きんだいしゅうか}」、日記「明月記」なども著した。













「語句・語法」−「まつほの浦」 「まつ」は、「{来ぬ人を}待つ」と松帆の浦{淡路島の最北端}」の掛詞。


          「夕なぎ」 夕方、風がやみ、波が穏やかに静まった状態。


          「焼くや藻塩の」 「まつほの」から「藻塩の」までが、下の「こがれ」を導き出す序詞。
                     「や」は間投助詞。 「藻塩」は、海草{かいそう}から採れる塩。
                       海水を注いだ海藻を日に干し、それを焼いて水に溶かし、煮つめ                      て塩を精製した。  「焼く」「藻塩」と下の「こがれ」は、縁語。


          「身もこがれつつ」 わが身が恋いこがれる意に、藻塩が焼けこげる意を掛ける。












      「新勅撰集」の詞書などから、歌合の題詠であることが知られる。
       男である作者定家が、訪ねて来ない恋人を、身もこがれる思いで待ち続ける女の立場に          なって詠んだ歌である。

     
    かけことば  じょことば  えんご
      掛詞、  序詞、     縁語などさまざまな技巧を凝らしているが、
      さらにこの歌は「万葉集」の「名寸隅{なきすみ}の舟瀬ゆ{船着場から}見ゆる 淡路島  松      帆の浦に  朝なぎに  玉藻{たまも}{美しい藻を}刈りつつ  夕なぎに  藻塩焼きつつ        海人娘人{あまおとめ}   ありとは聞けど   見に行かむ   よしのなければ・・・・・」{巻        6・940}を本歌とする、本歌取{ほんかどり}の歌である。



     松帆の浦の夕なぎ時、藻塩を焼く煙の立ちのぼる静かな光景である。その光景が、いつまで       たっても姿を見せない恋人を待つ心のやるせなさ、いらだたしさを象徴している。

     消えては立ちのぼる煙のように、止むことのない恋心をいだきながら、来ない相手をひたすら待       ち続けている。











カ変{末}  打消{体}  名  格助     固名    格助   名   格助
  来       ぬ    人   を   まつほの浦   の  夕なぎ   に
                         。。
                        掛詞  松{帆の浦}
                             待つ



カ四{体}  間助  名  格助  名  係助  ラ下ニ{用}  接助
  焼く    や  藻塩   の  身   も   こがれ    つつ
                               。。。
                                ・
    序詞   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



098


かぜ         をがは  ゆふぐ
風そよぐ  ならの小川の  夕暮れは
          {オ}{ガワ}{ユウ}




     なつ 
みそぎぞ夏の  しるしなるける







じゅうにいいえたか
「従二位家隆」− 所載歌集「新勅撰集」夏{192}






               なら
「歌意」−風がそよそよと楢の葉に吹いている、このならの小川の夕暮れは、秋の訪れを感じさせるが、六月祓{みなづきばらえ}のみそぎだけが、夏であることのしるしなのだ。







             ふじわらのいえたか      みつたか     じゃくれん
「作者」− 1158〜1237  藤原家隆。権中納言光隆の子で、妻は寂蓮{87}の娘。
                 俊成{としなり}{83}に和歌を学び、定家{さだいえ}{97}と並び称された。
                 「新古今集」の撰者{せんじゃ}の一人。









「語句・語法」− 「風そよぐ」 「そよぐ」は、そよそよと音を立てる意。

                             かみがも          みたらし
          「奈良の小川」 京都市北区の上賀茂神社の中を流れる御手洗川。
                    毎年、この川で六月祓{みなづきばらえ}が行われたという。
                    「なら」は、この地名と、「楢」{なら}{ぶな科の落葉高木の掛詞。


          「みそぎ」 河原などで、水によって身をきよめ、罪や穢{けが}れをはらい除くこと。
                 ここでは六月祓{夏越{なごし}の祓{はらえ}をさす。
                 六月祓は、陰暦六月三十日に行われる神事で、その年の上半期の罪や穢                  れをはらいきよめる。


          「夏のしるしなりける」 「夏のしるし」は、夏である証拠。
                         「なり」は、断定の助動詞「なり」の連用形。
                         「ける」は、係助詞「ぞ」の結び。







 しんちょくせんしゅう ことばがき かんぎ にょうごじゅだいのびゃうぶ
        新勅撰集」の詞書に「寛喜元年女御入内屏風に」とある。
     
         ふじわらのみちいえ しゅんし ごほりかわ                     びょうぶうた
        前関白藤原道家の娘 竴子が、後堀河天皇のもとに入内した時の、年中行事の屏風歌と        して詠まれた一首。入内の際、こうした屏風を調えるのが慣例であった。
        ここでは、六月の景の六月祓{みなづきばらえ}の絵に、色紙に書かれたこの歌が貼りつ           けられていたのである。

        この歌は「みそぎするならの小川の川風に折りぞわたる下に絶えじと」{古今六帖}・118}         と「夏山のならの葉そよぐ夕暮れはことしも秋の心地こそすれ」{後拾遺集」{ごじゅうい           しゅう}夏・231}をふまえた、本歌取{ほんかどり}の歌である。


        夏のそよぎを耳でとらえ{聴覚}、そこに秋の気配を感じとり、御手洗川の六月禊を目にし         て{視覚}、今日一日だけとなった夏を実感している。

       季節の移り変わりの微妙さをとらえた清涼感あふれる一首である。









名  ガ四{体}    固名  格助   名   係助
風   そよぐ  ならの小川  の  夕暮れ  は
           。。
           掛詞 ならの小川
               楢



  名  係助 名  格助   名  断定{用}  詠嘆{体}
みそぎ  ぞ  夏   の  しるし    なり    ける
       。 係 り 結 び              。。












099



ひと を  ひと うら  
人も惜し  人も恨めし  あじきなく
  {お}






よ おも          おも み
世を思ふゆゑに  もの思ふ身を

    {ウ}{エ}      {ウ}







「後鳥羽院」−所載歌集「続後撰集」雑中{1202}







「歌意」−人がいとおしくも、また人が恨めしくも思われる。
      おもしろくないものとこの世を思うところから、あれこれともの思いをするこの私には。







                            たかくら                  せんしゅう
「作者」−1180〜1239 第八十二代天皇。高倉天皇の第四皇子。「新古今集」の撰集を命じる。
                 鎌倉幕府と対立しながら院政を行う。承久の乱{じょうきゅうのらん}に敗れ                  て隠岐{おき}にながされ、在島十九年で崩御{ほうぎょ}した。








「語句・語法」− 「人も惜し人も恨めし」 「人も・・・・人も・・・・」という並列の文脈。
                          「惜し」は、手離しがたく、いとおしい意。「恨めし」は、心底か                   ら不満で、うらめしい意。「惜し」と「恨めし」が、対比的に用いられている。
                  「人も・・・人も・・・」の「人」をめぐって、同一人物であるとする解釈と、別人                    であるとする解釈とがある。


          「あじきなく」 形容詞「あじきなし」の連用形。「あじきなし」は、本来、思うようにならず、             どうしようもない気持ち。そこから、おもしろくない・にがにがしい、などの意を表す。
              ここでは、下の「世を思ふ」にかかっていく。


          「もの思ふ身は」 「身」は、私自身の意。「は」は、強意の係助詞。意味上、初句、二句           に続く。倒置法。















      けんりゃく                 ごかい  
       建暦2{1212}年十二月の二十首御会で詠まれた歌で、「述懐」の題で詠まれた五首の仲         の一首。 後鳥羽院{ごとばいん}三十三歳の折の詠作である。
       初句、二句では、「惜し」「恨めし」という相反する二つの感情が対比的に用いられているが、        いずれにしても「人」への強い執着が読みとれる表現である。

        「あじきなく世を思ふ・・・」の「世」とは、おそらく為政者{いせいしゃ}にとっての治世という意         であろう。この歌は承久の乱{じょうきゅうのらん}のほぼ九年前の作であるが、あるいは          鎌倉幕府との関係を、院はすでに憂慮していたのかもしれない。
        特に、「あじきなく」という表現から、その苦悩の深さを読みとることもできるだろう。
        政{まつりごと}を掌握{しょうあく}しなければならぬ位置にありながらも、思うにまかせない         帝王の、心のゆらぎをも感得することのできる一首である。










名 係助 形シク{終} 名  係助 形シク{終}             形ク{用}
人  も   惜し    人   も   恨めし              あじきなく




名  格助  八四{体} 名  格助   八四{体}   名  係助
世   を    思ふ  ゆゑ   に   もの思ふ   身   は  


 






100




        ふる のきば  
ももしきや  古き軒端の  しのぶにも






          むかし
なほあまりある  昔なりけり
 {オ} 




じゅんとくいん
「順徳院」ー所載歌集「続後撰集」雑下{1205}






「歌意」−宮中の古びた軒端の忍ぶ草を見るにつけても、しのんでもしのびつくせないほど慕わしいも         のは、昔のよき御代なのだった。




                              ごとば         
「作者」− 1197〜1242  第八十四代天皇。後鳥羽天皇{99}の第三皇子。
                   朝廷の権威回復を願い、父とともに承久の乱を起こすが、敗れて佐渡                    {さど}に流される。在島二十一年で崩御{ほうぎょ}した。





                            だいり
「語句・語法」− 「ももしきや」 「ももしき」は、内裏・宮中、の意。


           「古き軒端」古びた皇居の軒の端。


           「しのぶにも」 「しのぶ」は、「しのぶ」と「忍ぶ草」との掛詞。
                    「しのぶ」は四段動詞で、昔を懐かしく思う意。
  
                         しだ
                 「忍ぶ草」は羊歯類の一種。邸宅の荒廃を象徴する表現としてよく用いら                      れるが、ここでは皇室の権威が衰退したことも象徴している。


           「なほあまりある」 「なほ」は副詞で、やはり、の意。
                       「あまりある」は、しのんでもしのびきれない意。


           「昔なりけり」 「昔」は、皇室の栄えていた過去の時代、聖代とうたわれた延喜{えん                      ぎ}・天暦{てんりゃく}・の御代{醍醐{だいご}・村上朝}あたりが想定                      されていると考えられる。







 宮中の古い建物に生えている忍ぶ草によって象徴されているのは、何よりも皇室の権威の衰えであ   る。
政治上の実権は、すでに鎌倉幕府に移っていた。そうした時に、天皇親政の行われていた古{いにしえ}の聖代が追慕されてくる。その過去の時代の繁栄ぶりと、今現在の哀退ぶりとでは、あまりに隔たり すぎて、想像さえもおぼつかないというのである。

聖代の再現などという情熱は感じられず、ただ、今の衰退のみが嘆かれている。


この歌からは、皇室が栄えていた古き良き時代への懐旧の情とともに、前の歌{99}と同様に、
  天皇としての沈痛な思いも読みとることができる。

順徳{じゅんとく}天皇二十歳の折の詠作であるが、この五年後、承久の乱で鎌倉に破れ、佐渡に配流されることとなった。













  名   間助 形ク{体} 名 格助   名   格助  係助
ももしき  や   古き  軒端  の  しのぶ   に   も
                         。。。
                         掛詞 忍ぶ{草}
                             しのぶ






副      名   ラ変{体} 名 断定{用} 詠嘆{終} 
なほ   あまり   ある   昔   なり   けり








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