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思想と哲学コミュの思想と哲学

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思想とはなにか。

哲学とはなにか。

思想の一部が哲学なのだろうか。

似ているから並べているのだが、
よくよく考えてみると、似て異なるものではないだろうか。

コメント(19)

間違いを恐れずに言えば、哲学には感情がないのではないか。

【参考】

> 哲学には感情がない。世界を動かしているのは理性ではなく、感情だ。これは正しいですか?
> http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1315199418

感情をもカッコにいれて「考える」のが哲学ではないか。
理性が皆無とか感情が皆無であるということはないと思う。

感情が無ければロボットだし理性が無ければ人間ではない。
19世紀そして20世紀この辺りから真理というものは西洋哲学史の中でぐらついてしまった。

真理に根拠がない。

科学は仮説だし数学は道具みたいなもの。

便利で役立つが、それ以上でもそれ以下でもない。

哲学においても真理を求めると言うのは、もう違うのではないかと、思います。

じゃあ根拠ある結論を導くために「哲学しているのか」と言われたら、していないとは言えないので「真理を求めているのだ」と定義できない真なる理を求めていると言う。
真理とはなんぞや?と問うことが好きな人がいるようなので、あまり大きな声で言うのははばかられながらも控えめに言いたい。

真理を求める。そんなことが可能だと思える前向きな信念を、一体どうして持てるのですか?
>>[7]

このコメントは嘘の一つとして書いてらっしゃるのでしょうか。
それとも、真理を求めて書いてらっしゃるのでしょうか。
「理」とは石の筋目のことだと、自分が取った朱子学のテキストの最初に書いてありました。(だから大理石?)
石は人間より硬い。石段は梯子より長持ちする。理は真実により近い。
>>[8]

本当のことです。

哲学は、わかるためにすることだとします。

哲学をしていたところ、哲学していないことがわかりました。結果として、哲学したらわかりました。さて、私は哲学していたと言えるでしょうか。

「哲学のパラドックス」と言えるでしょうか。

言えないと思います。

わかることの主語が、変化しています。

つまり、

哲学Aをしていたと思っていたところ、哲学Bであることがわかり、哲学Aをしていなかったことがわかった。さて、哲学Bをしていたと言えるでしょうか?

この場合、言えると思いますが、哲学Aの話が哲学Bの話に、すり替わってるに過ぎません。

哲学者・池田晶子も、言葉の筋目とか理性の筋目とか、よく言っています。
ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』3〜3・03

事実の論理像が思考である。

「ある事態が思考可能である」とは、われわれがその事態の像を作りうるということにほかならない。

真なる思考の総体が世界の像である。

思考は、施行される状況が可能であることを含んでいる。

思考しうることはまた可能なことでもある。

非論理的なものなど、考えることはできない。

なぜなら、それができると言うのであれば、そのときわれわれは非論理的に思考しなければならなくなるからである。
>>[11]

僕は池田晶子さんを一冊も読んだことがないのですが、哲コミュでその言葉が紹介されていたのを読んで、ちょっと読んでみたくなりました。
 「思想」と「哲学」についての定義は辞典(事典)から引用すれば、済む問題ですが、「思想」は載っていなかったり、「哲学」についての文言にバラツキがあります。できれば『哲学中辞典』知泉書館を手にとって一読されることを勧めます。
哲学がインドでも中国でもギリシャでも紀元前5、6世紀に登場する前は、宗教が「なぜ世界は存在するか」とか「なぜ人間は生きて苦しむのか」という根本的な問いに対して物語=神話を使って答えを呈示していた。
1 哲学は物語を使わずに概念を使う。物語は共同体の枠を超えられないが、概念は共同体の枠を超える。
2 哲学は真理を提唱するのではなく、思考の出発点とすべき原理を提唱する。
3 哲学は宗教のように始祖の言葉を聖化してしまうのではなく、先行者の提唱した原理の矛盾や不十分さを指摘して、常に再出発する。
 
(参考 竹田青嗣『人間の未来』。とてもわかりやすい説明です。)
>>[15]ヘ
 確かにそうなんですが、科学でも同じことが言えるのでそこの違いを明確化するには定義に一工夫必要ではないでしょうか。竹田青嗣著『人間の未来』(ちくま新書)では詳しい話は『近代哲学再考』を参照するように但し書きが(19ページ)ありますよ。持っていますが調べてはいないので内容はわかりません。
『近代哲学再考』 竹田青嗣著 第1章 「存在の謎」と「言語の謎」―――哲学とは何か 20〜21ページからの引用です。

「哲学とは、科学(あるいは実証主義)と違って答えの出ない問いを問い続けるものであるどころか、哲学の方法は、科学の方法の基礎でありまたその起源でもある。またそれはたしかに、自然科学のようにつねに明確で客観的な答えが出てくるわけではないが、しかし、そこで見出される「原理」は不可逆的なものとして進展してゆき、決して後戻りしないという領域、人間および人間の諸関係の原理を捉える方法が存在する、と言わなくてはなりません。
 この論の狙いは、これらのことを検証して「哲学」の方法の原理を立て直し、それによって混乱している現代社会に、新しいヴィジョンの可能性を開こうとする点にあります。」
『哲学中辞典』 知泉書館 487〜489ページより引用

「思想 〔英〕 thought 〔独〕 Denken 〔仏〕 pensée
思想とは、一般に厳密に体系的ではなくとも一定の世界観・人生観として,対象世界の現実的認識や実践的態度を示すものをいう。思想とはなにかを問うとき,それは哲学との関係において明瞭にできる。つまり,哲学が自然・社会・人間とは何かという普遍的問題を論理的かつ〈原理的〉に追求するのに対して,思想はそれらの問題を一定の歴史的・社会的諸条件においてより〈現実的〉に考察する形態といえる。それゆえ,哲学が一般に優れたエリートたちの孤独な思索としてイメージされるのに比して,思想はその現実的な思考形態に対応して社会的・集団的主体性を本質的特徴とする。たとえば,一般にフランス啓蒙思想は啓蒙哲学と表されず,明治期の自由民権思想は自由民権哲学とはよばれない。それは,思想が一定の時代と社会からの実際的・大衆的要求から生まれ,それに対応する批判的・集団的性格を示すことによる。

 だが哲学と思想は対立的な側面だけでなく,むろん相補的な側面がある。むしろ思想は,哲学自体が歴史の進展とともに内在的に達成した形態でもある。哲学と思想のこの関係を明確に規定し次のように宣言したのは,若きマルクスであった。「およそ真の哲学はその時代の精神的精髄であるから,哲学とその時代の現実世界とが,内的に,その内容上で,触れ合い作用し合うときが,必ず来なければならない」(「『ケルン新聞』 第179号社説」)。そしてそのことを例証するべく,マルクスはマキァヴェッリからホッブス,スピノザ,またはルソー,フィヒテ,ヘーゲルの名前などを挙げつつ,敷衍する。」

以下続きますが、興味があれば本書を立ち読みするか購入するなりして下さい。

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