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哲学 Φιλοσοφιαコミュの善(と悪)について

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コミュ内全体

wikiは善と悪について以下のようにいう。
善と悪の事。
宗教的な善悪は、神という存在を仮定して人が授かった“ 教え ”に従うか反するかであるが、科学的には人類が発明した概念であり、精神文明の肯定と否定で“ 理想 ”と“ 理想否定 ”である。

善は、道義的に正しい事。または倫理に沿った行いや理想的目標。正義とは違い何かや誰かを裁くための概念ではなく、護り目指すべき理想としての概念。

悪は、古語では荒々しく猛々しい様を表し、道義を持たない事で、“ 動物的本能 ”からくる欲求を行動基準にする事。・・
善と悪一般
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/140725Research_Ethics05.html

私は聖書とアウグスチヌティスを哲学的に書きたいと思います。

アウグスティヌス
入門
https://www.rei-yumesaki.net/%E5%93%B2%E5%AD%A6/%E5%93%B2%E5%AD%A6-%E5%80%AB%E7%90%86%E5%AD%A6/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8C%E3%82%B9%E3%81%AE-%E6%82%AA/?mobile=1
基礎はやはり、wikiだと思います。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8C%E3%82%B9%E7%A5%9E%E7%BE%A9%E8%AB%96
応用
本多論文
http://www8.plala.or.jp/mihonda/ProblemOfEvil.htm

コメント(647)

プラトン著『メノン』においてソクラテスは、メノンから「徳というものは人に教えることができるのか。教えることができないとしたら、訓練で身に付けさせることはできるのか。それとも徳とは教えても訓練しても身に付くものじゃなく、生まれつきの素質なのか」と問われて、
「徳が教えることのできるものかできないものかと問われても、そもそも私は徳そのものがいったい何なのか知らないのだ」と答えていますね。
それを聞いたメノンは、「えっ、何ですって。あなたが徳とは何かも知らないなんて、くに(ギリシャ北部のテッタリア)に帰ってみんなにそう伝えてもいいんですか」とソクラテスに言う。
「いや、メノン。私はそればかりでなく、今までそれを知っている人に出会ったことさえないんだ」とソクラテス。
「えええー!? あなたはあのゴルギアスがアテネに来た時、会わなかったのですか。」
「いや、会ったけれども、どんなことを言っていたか覚えていないなあ。メノン、ゴルギアスから学んだ君の考えでもいいから教えてくれないか。さっき、徳とは何か知っている人に会ったこともないと言ったけれど、君とゴルギアスが知っているんならこんなに嬉しいことはない。」
>>[607]

>「私たちの間に愛や誇りをひき起こす精神の性質は何であれ徳であり、私たちの間に憎しみや卑下をひき起こすものは何であれ悪徳であると判定してよい。」
(ヒューム著「人間本性論」道徳について)


とても味わい深い言葉ですね。

善いことだという判断は実は単純に導き出されたものではなく、いろいろなことが考慮された上でようやく初めて「善い」という判断が下される側面もあると思います。
すなわち公式のようにすぐ、「あっ、これは善い。あれは悪い」と即断してしまっては必ずしも善いわけではないこと、悪いわけではないことを私たちが経験上、身にしみて知っているからだと思います。

そうしてみると私たちは何を考慮し、結局のところ、何を善いとし、何を悪いとしているのでしょうか。
>>[613]

「人を殺したりするのは相手にとって、すごく痛くて、苦しくって、嫌なことなんだよ。そして、まだまだ生きたいって思ってた気持ちを踏みにじられるから、すっごくその人は悲しいんだ。
それにその人の親や家族は、その人が殺されちゃうと、もう悲しくって悲しくって仕方ないくらいで、胸がズドーンて、痛くなっちゃうんだよ。
そんなことは絶対しないでね。人に優しい人になろうね。」
>>[613]

>もし倫理を経験上身に付けるものなら、人間には先天的な絶対倫理はなく、後天的に社会性として身に付けるものなのかもしれません。


人間がいだく倫理は、もちろん無人島にひとり放り出された赤ちゃんは身につけることがないだろうと思います。
もしかしたら狼か猿のグループに育てられて、狼グループの倫理か猿グループの倫理と呼べるものなら、身につけるかもしれない。

その意味では後天的に人の輪の中でこそ人間の倫理は育まれるのだと思います。
しかしそれは必ずしも明確な言葉で教えられるというよりも、自分のことを感じたり、他人のことを感じたりしながら、何が嬉しいか、何が悲しいかなどに思いを馳せるうちに、段々と積み重ねられ、幾層にも幾層にも多層化していく構造を実は倫理は持っているだろうと思います。
>>[613]

「人を殺してはいけません」に正当性があるのですか?
正当性があるのは絶対善だけです。
>>[615]

人は神のごとき心をもって生まれてきますが、理性がそれを潰すのです。
>>[614]
それは、感情移入(自己を相手に移入する)に基づく、
汝殺すなかれ
で、
・感情移入が出来ない人間
・そもそも死ぬ(殺される)のを悲しいと思わない人間
には適用出来ません。
>>[617]

「理性が次第に姿をあらわす以前の赤ちゃん状態こそ理想的であり、それは神のごとき状態だから、理性を育てずに赤ん坊状態で年をとってゆくのが一番いい」という意見でしょうか。
>>[619]


「僕が言ったようなことを言われても、ちっとも心に響かない子供ってゆうのが一定数いるんだよ」「自分が殺されることを何とも思わない子供も一定数いるんだよ」「そういう子供たちに対してはそのような話は何ら心に届かないままで終わるよ」ということですね。
親から幼少期に恒常的にひどい虐待を受けて育った子の一部は、虐待されている自分を自分から切り離し、意識の外(無意識の彼方)へと抑圧することが唯一の自己防衛として機能するケースがあるという。

悲しい、痛い、嫌だ、なぜこんなことするの・・・
そういうことを毎日毎日感じてる自分をもはや他人として分離することで、かろうじて残された自分の破片における平静をたもつ、という無意識の生き残り戦術が発動される。
そうやって、自分の悲しみとか、痛みとか、不条理への怒りなどから自分を完全に分離することで、残された自分の平静を保って生き残ってきた子供には、
sole surviverさんがおっしゃるように僕のあの言葉は心を揺らすことなく、別の対応が必要となるでしょうね。
>>[621]
すみません、私は精神分析的な概念は大嫌いでして。
想定しているのはサイコパスと、潜在的な自殺志願者です。

後者で言えば、
・死刑になりたいから人を殺した
なんてのがまかり通る訳ですな。
>>[622]

>「死刑になりたいから人を殺した」

もうこの世のいかなる人とも温かなつながりを感じないし、自然とも温かなつながりを感じないし、誰を道連れにしようと相手の心や人生なんか知ったこっちゃない精神状態ーー非常に冷えきった孤独な氷山のような状態になってしまっているのでしょうね。
こうなる前に修正がなされ、温かなつながりを結べる心と相手または対象を持つべきだったのでしょう。
こういう状態になってからは、本当にこの氷の心をやわらかく温めてゆくのは、大変なことですね。
サイコパスについても、心の本当の温かいつながりを人との間に欠いているという点では共通のものがあるかもしれませんね。
>>[622]


どんな場合にも人殺しをしない、無用な動物殺傷もしないという教育が必要かも知れませんね。
もちろん、死刑、戦争も含めてですが。
潜在的自殺志願者についてですが、自殺については、自由意志の問題があり難しいですね。
しかし、自由を認める場合も他殺は認められないわけです。
他殺は行けないか、人殺しは行けないか?
>>[620]

>「理性が次第に姿をあらわす以前の赤ちゃん状態こそ理想的であり、それは神のごとき状態だから、理性を育てずに赤ん坊状態で年をとってゆくのが一番いい」という意見でしょうか。<

いえいえ、本能という素晴らしいものを持っているということです。その本能を基礎とした理性はいい理性です。しかし本能が基礎となっていない理性は悪い理性です。例えば動物界ではレイプは基本的にありません、しかし理性を持った人間はレイプをするのです。本能を抑えられずに女性を犯してしまったと言うのは嘘で、理性でレイプはやるのです。小さい時にしっかりと遊び喧嘩もして本能を鍛えればよい理性が出来上がり悪さはしなくなります。
>>[626]
自分で自分を殺していいと思う人間は、他者を殺すことに躊躇しない場合があるのだと思います。それが異常心理下で自由意志が制限されている状態でも。
(潜在的・顕在的自殺志願者でなくても、テロでもそうですね。)

なので、命一般の尊さを教育することに意味があるのかと言えば、そうでないと思います。

もっとも、極端な例なので、普通の人にはそういう教育は効果があるのかもですが。

まあ、昔ネット界隈で書き込まれていたことは、
・(主に精神病患者の)安楽死を認めろ
なんてのがありましたね。

さて、終末医療を受けてもいない状態で、安楽死を認めることは悪なのでしょうか??
>>[630]

人の心を不快にさせたり、妙にハレンチな欲情へと駆り立てることは悪いことだとされますね。
多くの人が「嫌だなあ」と感じることが「悪いこと」と言われるのでしょう。
>>[632]

すなわち、その社会その社会の文化が人々の中にいかなる善し悪しを形成してきたかによって、その社会に生まれ落ちる個人の善い悪いの感覚も決まってくる。
>>[629]
それは循環論法でしょうに。
グレーゾーンで未だに意見の一致を見ない問題を訊いいるのです。
(日本で積極的安楽死はあまり議論されていませんが)
>>[628]
凡そ、終末医療(ターミナルケア)は人生の最終段階における医療の決定プロセスで、苦痛緩和医療と死の受容を行うものですね。
それを受けるか否かは個人の問題だと思います。

しかし、余命?ヵの癌患者が自然退縮するという例もあります。
自殺にあたるのは明らかです。
最近では以下のような安らかな死を迎える機械もあるようです。
安楽死マシーン
http://www.itmedia.co.jp/news/spv/1806/04/news050.html

このマシーンはITないしテクノロジーは人類に何をもたらすのか、という問いを生みます。
>>[637]
社会によって善悪が異なるテーマは不適当
という言説や、アリアさんの
「個人の問題」
というのは些か疑問に思います。

記事にも、「国際的」に自殺を促進しないようなガイドラインがありますし、このマシーンへの懸念があります。
ひょっとしたら、テクノロジー自体の善悪は定められないかもしれないですが、じゃあ、このようなテクノロジーを(諸々の事情で)規制しなくてはいけなくなった時にそれは何に基づくのでしょうか。
どこかで特定個人や特定社会を超えた価値判断はしなくてはいけないのではないでしょうか。
>>[637]
安楽死はオランダにおいては善、ローマ教会の優勢な国や日本においては概ね、悪のようです。
>>[638]
この辺りは、下記のスレになるかと思います。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=6249752&id=86513800
>「国際的」に自殺を促進しないようなガイドラインがありますし、

引用したマシーンは自殺を促進せず、減少させるのではと思います。
多くの自殺願望者は実は死にたい、でなく生きたい!と考えているとされます。
死と向かい合い、mement mori死を覚えて、積極的生を勝ち取るともいえる訳です。
>>[633]

これはどこの部族ですか。初めて見ました。とても美しいですね。
社会や個人によって異なる。或いは任せる。
という相対主義も、それ自体が一つの価値判断なのですなあ。
>>[633]
カメルーンの山岳種族ですか?
https://www.google.co.jp/search?source=hp&ei=yt5vW-j7HIeG8wX_053QAQ&q=%E5%85%A8%E8%A3%B8+%E7%A8%AE%E6%97%8F&oq=%E5%85%A8%E8%A3%B8+%E7%A8%AE%E6%97%8F&gs_l=mobile-gws-wiz-hp.12...288.15073..15684...4.0..2.652.5061.0j25j3j5-2......0....1.......5..0j0i4j0i131j35i39.DihAg-N7ng8

フランスではヌーディストビーチとか近いところは多い。トップレスは普通。ただ、セーヌ川の水着、ト ップレスはレンタル彼女(らしい)。
https://nikkan-spa.jp/1363797?display=b
>>[632]
また、ヘブライ思想ですが、下記のブログはポストモダン的には的確です。
創世記―ヌードと衣装の起源
https://blogs.yahoo.co.jp/dcbys070/13725209.html

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