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哲学 Φιλοσοφιαコミュの善(と悪)について

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コミュ内全体

wikiは善と悪について以下のようにいう。
善と悪の事。
宗教的な善悪は、神という存在を仮定して人が授かった“ 教え ”に従うか反するかであるが、科学的には人類が発明した概念であり、精神文明の肯定と否定で“ 理想 ”と“ 理想否定 ”である。

善は、道義的に正しい事。または倫理に沿った行いや理想的目標。正義とは違い何かや誰かを裁くための概念ではなく、護り目指すべき理想としての概念。

悪は、古語では荒々しく猛々しい様を表し、道義を持たない事で、“ 動物的本能 ”からくる欲求を行動基準にする事。・・
善と悪一般
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/140725Research_Ethics05.html

私は聖書とアウグスチヌティスを哲学的に書きたいと思います。

アウグスティヌス
入門
https://www.rei-yumesaki.net/%E5%93%B2%E5%AD%A6/%E5%93%B2%E5%AD%A6-%E5%80%AB%E7%90%86%E5%AD%A6/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8C%E3%82%B9%E3%81%AE-%E6%82%AA/?mobile=1
基礎はやはり、wikiだと思います。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8C%E3%82%B9%E7%A5%9E%E7%BE%A9%E8%AB%96
応用
本多論文
http://www8.plala.or.jp/mihonda/ProblemOfEvil.htm

コメント(607)

ま、天津罪や国津罪を出されても困るわけですが。
>>[569]

まあ、権威に逆らってるようなスタイルは、
読んでて痛快ですからねえ。
朱子学とゆーか、日本のバリバリの右派なんかは、
南朝が正統、
楠木正成は善、
足利尊氏は悪、
とか考えてるんでしょうかねえ。
>>[572]

三島はコンプレックスからマッチョイズムに走っただけだから。
>>[572] ・・すみません。話題の角度が異なりますが、少し介在させて頂きたいですが・・・。
・三島由紀夫さんは、確か:(以下引用):
=>三島事件(みしまじけん)とは、1970年(昭和45年)11月25日に、日本の作家・三島由紀夫が、憲法改正のため自衛隊の決起(クーデター)を呼びかけた後に割腹自殺をした事件である。
・この事件は、憲法改正に関して、当時の「三島由紀夫」さんが行われた出来事だと思いますが、お教え願いたいのですが、この時の出来事は「左⇒右」方向への要求でしたのか、あるいは「右⇒左」への方向転換の為の行為だったのかと伺わせて頂くならば、(複雑な事情はあったでしょうが)端的に判別しますと、どちらの向きへと(政治的に?)三島由紀夫さんは、要求をされたのでしょうか?・・・もし、よろしければ、お教え下さい。
・よろしく、お願い致します。
>>[575] ・貴重なビデオをご案内下さりまして、本当に、ありがとうございました!!ここに感謝いたします!!
・そして、この10分程のビデオを拝見させて頂きまして、私が、直観・認識?しました事は、三島さんは(途中にて「ブルジョア」という言葉も出されましたが)基本的には、「東大生」達が「天皇」を何らかの「要素・意味」において、認めようとしない。で、その「天皇」のいらっしゃる所在を認められないが故に「三島由紀夫さん」は「東大生」達と言論の「バーサス行為」を行うことになる。しかし、そのような三島さんでも「東大生」達との「言論・議論」を行っている最中においては、その「連続性」の最中の故にこそ、そこに「東大生」達と「三島由紀夫」さんとの間には、(言葉による)連続性が生じている。と、三島由紀夫さんは、そう言われました。
・従って、言葉による「連続性」の行為の最中において、左派と三島さんとの間には、「言論の連続性」の行為を持つ事によって、そこに「左右両サイド」の間から、見出す事が出来るとでも言えるような、一種の「共通理解」=>そして、これは「民主主義」の方向性へと向かうんではないか?と、私はそのように考えるのです。つまり、この「共通理解」を求めての「言論による連続性」は、そのに「ミニマム」でも、「小議会」を生み出しているように、私には、そのように見られました。=従って、ここには「言論の自由の種子」がまだ、内在されている。そのような非常に貴重なビデオのように見られました。
・後は、各人の「認識」の差異による違いが残るだけではないでしょうか?
・例えば、いま「赤い色」を見て、Aさんは「情熱」を感じる・認識するとしても、また、異なるCさんは、同じ「赤い色」を見ても、そこに「暖かさ」を感じると言う。が、あと1人の人は、その同じ「赤い色」を見て、極論を言えば、そこに「差別」=「マキャベリズム」を感じる・知覚するという、極論的な実在人Yもまた、存在しているかもしれません。私は、そのYさんが、どのような「理由」によって、その「赤い色」に対して「差別」を感じるのか?という事柄は、今、「仮説」としてここに記述する事は出来ますが、しかし、実際、私はそういうYさんのような実在人がいたとしても、そのYさんの「認知能力」を「共通理解」は出来ません。つまり、1例を挙げますと、私の場合では、最も近い感触としては、「赤い色」=>「暖かい感触」という連想になってしまうのです。・従って、後はもう「心理学」上の問題になってくるのではないかな?というようにまでをしか考える事は出来ません。これが私の「認識力」とでも言えましょうか?
・ここまでが、今の私にとって、言及出来る事象だと言えるのでしょう。








>>[577]

ナショナリズム、
またはコミュニズムなどが、
悪だと思いますか?
>>[579]

つーことは、悪になるイデオロギーと、
善になるイデオロギーの差はどこにあると考えますか?
>>[581]

たとえば、良いナショナリズムと、
悪いナショナリズムの違いについて。
>>[583] ・また、恐縮ですが、介在させて頂きたいと思います。
・ナショナリズムは、諸国の独立をもたらす解放的なイデオロギーではありますが、他方では、民族紛争と戦争の拡大をもたらす危険性も大きいでしょう。
・しかし、人為的な契機があるにせよ、ナショナリズムの感情を消去する事は出来ないものでしょう。
・他方、偏狭なナショナリズムが高まると、無益な国際紛争が激化したり、あるいは、国内の自由な政治論議が抑圧されてしまう事も事実でしょう。
・ですので、いわゆる「開かれた」寛容なナショナリズムを作り上げる事が、求められる課題なのではないでしょうか?
>>[583]

どの辺りで度を越すと判断されますか?
たとえば、ロヒンギャ虐殺などへの責任を指摘される、
アウンサンスーチーのビルマ・ナショナリズムは度を超してるか、否か。

あるいは、黒人を奴隷から解放したリンカーンが、
一方でネイティヴアメリカンの殲滅を主張し実行していたが故に、
リンカーンの思想は悪か。
>>[584] ・幅広いご知識のご紹介をありがとうございます。
・それで、私も考えてはみました。
・社会的厚生関数|=>社会全体における集合的選択の数学的な表現として。
 А屮戰鵐汽犒拭廖焚短桟拭
 W=U1+U2+・・・Us  (全ての個人をsとする)
◆А屮淵奪轡綏拭廖弊兒桟拭
 W=U1・U2・・・・・・Us  (全ての個人をsとする)
☆:そして、具体例に挙げられていた様に、AさんとBさんが2と3という数値をとるとき、
  「2+3=5」(ベンサム型)
  「2×3=6」(ナッシュ型)
また、AさんとBさんが1と5の数値をとるときは、
  「1+5=6」(ベンサム型)
  「1×5=5」(ナッシュ型)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

☆一般に、社会間格差は、ある程度はあった方が、より多くの「ゲイン」が生じる、という言説を、私は、今までに、何処かで聞いた(もしくは読んだ?)ような記憶はございます。
・この事を自分に分かるように「電気」の問題に引き寄せて考えてみますと。
例えば、電圧の差が、より大きい程、活用出来る電流の量は、より多くなります。(物理的に)。
すなわち、通常、電流Iと電位差Vとの関係は(Rを抵抗として)

  I=V/R  −−−(オームの法則)

として表わされます。
・従ってIの増加を求めるならば、Vの数値が、ある程度は大きい方が、結果的には、「ゲイン」が増えることに繋がるはずです。
・そして、この「物理現象」を信じる、あるいは、この「物理現象」の視点を肯定する立場に立つならば、「ベンサム型」の論理構成の方が、より有用性は高い事に言及出来るはずでしょう。
☆:しかし、この他方においては、〜これは、遠い昔に京都大学教授で、森毅?さんという数学者の方がいらっしゃいましたが〜その数学者の言明によりますと、自然科学(もしくは数学)という分野の本質的な考え・意味は「加算」ではなくて「積算型」の思考法の方に軍配が上がる、というように記されていました。
・その視点に立って考えますと、この経済モデルにおいては、「ナッシュ型」の論理の方が数学の意味においては、より本質的であることになるようですが。
☆:但し、ここで、私の「未熟」な考えからしますと、やはり、「経済」は空想ではない訳であるという事を前提において考えるならば、「数学は物理にとっての道具」な訳ですし、また、更には「近似数学の実在性」という表現は的外れな言明ではないと予想されますので、従って「経済の現象」を「現実的」な行為・運動と見なす事が妥当であるならば、「経済現象」と「物理現象」とは、互いにその「現実性」という意味において「同値」な内容を表現し得る事が、十分に予想は出来るでしょう。
・以上の理由(根拠)に基づいきまして、私は「ベンサム型」の規則性・法則性を選ぶ方が、より間違ってはいない?と言及出来ることと考えます。







>>[589]

〉郷土愛と人命

郷土愛に基づく防衛戦争は悪?
>>[591]

郷土愛に基づく、人命を損なわない程度での、
少数民族の強制収容所への収容は?
>>[592]

モニュメントやランドマークへの執着が郷土愛であると?

では、近代化の為に古い社なんかを壊す行為は、郷土愛ではないわけですか?
更に言えば。

ドイツ語圏で、地方語のアルザス語を話すアルザス地方を、
フランスがドイツに勝利して領土にした時、
フランスはアルザス語の使用を禁じて、フランス語を強制した。

フランス人は郷土愛に基づいて行った。
アルザス・ロレーヌの回復はフランスにとって大目標だった。

で。

第二次大戦中、ヒトラーのナチス・ドイツは、
ドイツ・ナショナリズムに基づいて、
降伏したフランスから、アルザス・ロレーヌ地方を奪い、再びドイツ領とした。

さて、フランスとドイツのナショナリズムは、どっちが善でどっちが悪か。
>>[595]

特に日本的な建物に思い入れはありません。

明治期以後の、西洋人や日本人設計の洋風建築は思い入れがありますが、
第二次大戦後の現代建築なんかどうでも良いです。

これは郷土愛になりますか?

たとえば、僕は、スパニッシュミッションスタイルの、京都にある新島襄の家に何かあれば復興を願いますが、
京都駅が壊されてもどうとも思いませんし、
上賀茂神社が震災などで崩れても何も思いません。

これはナショナリズムになるか、それとも否か。
ちなみに、ナチス支配下のアルザス地方では、フランス語が禁止され、
ドイツ語(アルザス語ではない)が強制されました。
>>[601]

日本は元々照葉樹の国で、
杉などの針葉樹に覆われた山々は、戦後の環境庁などによる植林・山林政策によって出現した。

僕らが今知っている日本の山々は、戦前より前の日本人は知らなかった景色。

歴史的に無関係な景色への郷愁は、郷土愛と言えるのか、
それはエゴを押し付けるだけの悪ではないか、それとも否か。

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