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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第四十六回 みけねこ作 『スコーピオンリング』

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コミュ内全体

 医師が良樹(よしき)の枕元の心電図モニターを確認し、片方ずつ瞼を開けてペンライトで光をあてた。患者の腕にすがっていた良樹の妻に向かい、厳粛な口調で言った。
「23時15分。ご臨終です」
 その医師は静かに頭を下げた。

 良樹の魂は病院のベッドから抜け出し、大阪にあるデパートの大食堂の天井付近に浮かんでいた。
 五十年の人生で、夜景の見える高級レストランや、海外旅行でのディナーなど、思い出に残る場所はたくさんあったはずだ。けれども、彼の魂が最初に見に行ったのは、デパートの大食堂だった。

 
 小学校に上がる前、母はときどきデパートの大食堂に連れて行ってくれた。入口のショーウインドウのガラスに顔をつけてメニューを選ぶのが好きだった。
「良樹、好きなもの頼んでいいねんよ」
 母は、何でもいいと言ってくれたけれど、いつもハンバーグステーキかエビフライを注文していた。大食堂は、四人がけの丸テーブルで、母と二人だと、知らない人と相席となることが多く、緊張した。父とも一緒に行きたかった。しかし、家族三人で来ることはなかった。
 父は、よく酔っぱらっていた。日本酒が好きで、機嫌よく晩酌を始めるのだが、そのうちに何をしゃべっているのかわからなくなり、最後には、大声で怒鳴る。暗闇の中、父の大きな声で目覚めることは多かった。父は酔うと必ずぼくの布団の上に乗っかり、酒臭い息を吐きながら顔をすり寄せてくる。
「良樹、おまえは、俺みたいになったらあかんで」
 頬にあたる、ちくちくとしたひげの感触を我慢して、ずっと寝たふりをしていた。母がたしなめるように言う声が聞こえる。
「お願い、良樹を起こさんといて」
「うるさいわ、自分の子供にしゃべりかけて何が悪いんや」
 父の声は大きくなり、母と口論になっていた。でも、ぼくはじっと我慢していた。こういう日の翌日は、母が気分転換にデパートに買い物に行くことが多く、そのあとぼくは大食堂に連れて行ってもらえるからだ。

 母は、病気がちだった。ぼくが小学校に上がると入退院を繰り返すようになり、五年生のときに亡くなった。母を困らせていた父は、憔悴していた。
「良樹、お父さんは、お母さんを困らせてばっかりやった。これからどうやって生きていけばいいんや」
 顔をぐちゃぐちゃにして泣き崩れる父の姿を見て、母が本当にいなくなったことを実感した。
 
 二人の生活が始まってから、父は大好きなお酒を飲む量を減らし、慣れない手つきで焼きそばやカレーなどを作ってくれた。掃除、洗濯はぼくの担当だった。母のいない男二人の生活は味気ないものではあったが、それなりに楽しかった。
 けれども、そんな楽しい毎日も長くは続かなかった。ぼくが中学にあがる頃、ごはんを作ってくれる人が家に来るようになったからだ。派手なブラウスを着た若い女の人だった。父は、ぼくに向かって同意を求めるように言った。
「なあ、良樹、おいしいやろ、やっぱり、ごはんは大切やなあ」
「うん、おいしい」
 食べ盛りのぼくにとって、食事がおいしいということは、とても重要だった。父は、酔っぱらい、上機嫌だった。
「な、この人にここにいてもらえへんか。おいしいもん食べられるで」
 女の人は、父の肩をたたきながら甘えるような声で言った。
「いやあ、急にそんなこと言ったら良樹くん、困りはるやん」
「ええんちゃう? 父さん、その人にいてもらえば?」
 ぼくは、静かに言うと、その場から立ち去った。

 その女の人のことを、父はみっちゃんとよんでいた。居酒屋で知り合ったらしい。栗色の髪の毛をしていて、ミニスカートばかりはいていた。みっちゃんは、最初のうちは豪華な食事を作ってくれたのだが、だんだん手抜きになり、インスタントラーメンだけの日も増えた。
 父は、祖父の代から引き継いだアパートを数件持っていた。ぼくの一家が不自由なく暮らすことができたのもそのおかげだった。しかし、父は、みっちゃんが来てからは、アパートを少しずつ売りに出しているようだった。ぼくは、みっちゃんのことは、好きでも嫌いでもなかった。ただ、夜になると、みっちゃんの甘えるような声が聞こえてきて、どうしようもない衝動を抑えるのが辛かった。

 高校生となり、弓道部に入ったぼくは、そこで彼女ができた。部活のない日には、図書館やファーストフード店で過ごして家には遅く帰るようになっていた。いびつな家族との距離を取りたかったからだ。ある日、彼女と図書館で一緒に勉強したあと、ぼくは言った。
「今度の土曜日、部活休みやし、梅田に行かへん?」
 梅田は、大阪では難波、心斎橋と並ぶ繁華街で、高層のオフィスビルやデパート、小さな飲食店、居酒屋がごちゃまぜになっている雑多な街だった。
「梅田のどこに行く?」
「どうしようかな。映画でも観に行こうか」
 ぼくの提案に彼女の声が弾んだ。
「やった、観たい映画があってん。時間調べとくわ」
 本当の目的は映画ではなかった。けれども、彼女の嬉しそうな声を聞いて、まずは映画を観にいくことに決めた。

 ぼくは、彼女と梅田で映画を観終わったあとに言った。
「ちょっとついてきてほしいところがあるねん」
 ぼくは彼女の手をとって、ひとごみの中を歩き、スクランブルの大きな歩道橋の先にあるデパートに向かった。エレベーターの最上階に上がるとすぐそこに大食堂がある。彼女は、嬉しそうにショーウインドウのメニューを見ていた。
「懐かしいなあ、小さい頃、お子様ランチが好きやったわ」
「懐かしいやろ。ちょっと早い夕食やけど、食べていかへん?」
「久しぶりにこういうお店もいいね」
 ぼくは、エビフライ定食、彼女はお子様ランチを注文した。
 童心に帰ってはしゃいだぼくたちは、その日、初めて梅田のはずれにある、うらびれたホテルに入った。

 みっちゃんは、デパートが大好きだった。父と一緒に行っては洋服やバッグをねだっていた。一度だけ、父とみっちゃんの三人でデパートに行ったことがある。父が、みっちゃんの買い物を止めるのをぼくにも手伝ってほしいと言ったからだ。本当は、行きたくなかったが、家計にかかわることなので、同行した。
 みっちゃんは、ぼくがついてきたのを見て、おねだりの方針を変えたようだ。話があるのと言って、最上階のレストラン街に向かい、目の前にあった大食堂に入った。
 彼女は、丸いテーブル席につくとすぐに言った。
「わたし、今までのお礼が欲しいねん。家事もやったし、色々尽くしたと思う。だから、アパート少し分けてくれへん?」
 父は、わがままでお金のかかるみっちゃんに困っていた。
「みっちゃん、もう、うちもあんまりお金ないねん。それはあきらめてくれへんか?」
 彼女は、逆上した。
「あんたみたいなケチな人、知らんわ。もっと羽振りの良い男のとこ行ってやる」
「勝手に行けや。お前は結局お金目当てやったんか」
「何言ってるの、一生懸命家事だってしててんよ。もう、いいわ、出て行くわ」
 そう叫ぶと、みっちゃんは、テーブルをたたいて立ち上がった。隣のテーブルに座る家族が振り向いた。ぼくは、黙ってエビフライをナイフで切って口に運んでいた。
 その言葉を最後に、みっちゃんは帰ってこなかった。父の落ち込みは目も当てられないほどだった。酒を浴びるように飲み、辛さから逃げようとしていた。

 ぼくが高校を卒業する頃には、父はますます酒に溺れていった。それでも不動産の収入があるので、生活に困ることはなかった。ぼくは父から離れ、東京の大学に進学しようと考えていた。関西の大学に進学する予定の彼女は、悲しそうな目をしてぼくに言った。
「ねえ、なんで、わざわざ東京に行くの? 関西にも、いっぱい大学あるやん」
「うん、でも、東京に行ってみたいねん」
 彼女はぼくの胸で泣いた。でも、ぼくの決心は変わらなかった。
 
 ぼくは、希望していた東京の大学に合格した。彼女も、京都の大学に進学が決まり、二人の間には、なんとも言えない気まずい空気が流れていた。東京に行く一週間前、ぼくは彼女に電話をして誘った。
「明日の六時、梅田で会えへん?」
 彼女の声は寂しげに震えていた。
「うん」
 ぼくたちは、夜景が見えるレストランで食事をした。
 彼女がぎこちない笑顔で言った。
「前、デパートの大食堂に行ったの楽しかったね」
「そうやな。小さい頃、大食堂には、母さんがよく連れてってくれてて」
「良樹のお母さん、早くに亡くなられたんよね」
「うん、体が弱くて、しょっちゅう入院してた。それなのに父さんは酔っぱらって」
 ぼくは、コップの水を一口飲んだ。
「けど、喧嘩すると、次の日には、たいてい食堂に連れてってもらえてん。だから、父さんが飲んで暴れても、エビフライにしようか、ハンバーグにしようか考えてて……」
 彼女は、ぼくの言葉をさえぎって、心配そうな表情で言った。
「ほんまにお父さん、大阪に残して大丈夫なん?」
「うん、心配やけど、叔母さんが近所に住んでるし、いざとなったらすぐに大阪に戻れるし」
 彼女はしばらく黙ってから言った。
「もう、なんで東京に行くの。寂しいやん」
 声が震えていた。実はぼくも寂しさで胸がおしつぶされそうだった。
「でも、東京と大阪なんて近いやん、すぐに帰ってくるし。東京に遊びにおいでよ」
「行くわ。忘れんといてね」
「もちろん」
 ぼくは、かばんの中から小さな箱を取り出し、彼女に渡した。
「これ。誕生日には早すぎるけど」
 彼女の顔がほころんだ。
「嬉しいわ。開けていい?」
「もちろん」
 彼女が箱を開けると、そこにはシルバーの指輪が入っていた。
「わあ、これって、蠍(さそり)?」
「うん。蠍座やろ。誕生日は半年以上先やけど、スコーピオンリング渡そうって、前から決めててん」
 彼女は、こぼれるような笑顔になった。
「ありがとう。蠍の指輪って、魔よけになりそうやね」
「ずっと一緒やから」
「うん、ずっとね」
 ぼくたちは、二人で初めて行った梅田のはずれにある、うらびれたホテルに入った。

 大学生活は刺激的だった。ぼくも彼女もそれぞれの生活を楽しむようになり、だんだん連絡を取らなくなっていた。ぼくは、東京での生活を満喫し、大阪にもほとんど帰らなかった。
 父の危篤の連絡が入ったのは、大学四年生の夏休みのときだった。就職活動で忙しく、携帯に残された叔母の着信履歴にもすぐに気づかなかった。父が、肝臓を侵されていて、入院しているのは知っていたが、忙しさにかまけて見舞いにも行っていなかった。叔母は、父の命が短いことをぼくに伝えた。
「良樹くん、お父さん、もう意識が朦朧としてるねん。すぐに帰ってきて」
 ぼくが東京に行ってから父の面倒を見てくれていた叔母には頭が上がらなかった。
「ありがとうございます。すぐ、帰ります」

 新幹線の中では、ずっと父のことを考えた。母が亡くなってから、ふたりで作ったおいしくないカレーを、まずいね、と笑いながら食べたこと、酔っぱらった父の大声、頬に触れるひげの感触……。
 病院に着くと、父は酸素マスクをつけていて、話もできない状態だった。医者には、数日の命でしょうと言われ、気持ちを落ち着けるために、病院の外に出て歩いた。まとわりつくような暑さの中、大学を卒業したら、故郷に戻ろうという気持ちが固まった。

 次の日、父は亡くなった。世話になった叔母の話によると、生活が荒れていた父は、持っていた不動産をほとんど手放していて、最後は、病院の治療費で財産をすべて失ってしまったということだった。ぼくは、そのことをそれほど悲しいとは思わなかった。
 大阪に本社のある会社に就職し、二十六歳で結婚した。子供はいなかったが、幸せな人生だったと思っている。

 そろそろ、思い出に浸る時間も終わりに近づいている。魂はどんどん軽くなり、昇り始めた。残した妻にお礼を言うこともできず、ぼくはこの世から消えていく。


 良樹が横たわるベッドのそばには、泣き崩れる妻の姿があった。死を宣告した医師が頭を下げている。彼女は、良樹の頬を何度も撫でていた。
 頬を撫でる右手の薬指には、シルバーのスコーピオンリングが光っていた。

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