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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第三十二回 作品 匿名B『静謐』

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コミュ内全体

空港からタクシーに乗った。あいさつと行先をこの国の言葉で前もって
暗記していた通りにいってみた。運転手は愛想よく返事をして車は動き出した。
どうやら通じたらしい。すると運転手が話しかけてきた。流暢な日本語だった。
「あなたにほんじんでしょ」
僕は発音がおかしかったかなと思いつつ「わかりますか、発音おかしかったかな」
といった。
「いえ発音きれいです。こっちの人そんなに丁寧に話す人いません」
そんなものかと思った。しばらく日本語で運転手と話したが、なんとなく話の種が尽きて
二人とも話すのをやめた。とても天気のいい日で少し窓を開けて外の空気を入れてみた。
冷たい風が顔に当たりとても気持ちがよかった。
目的地の水族館に着いたので僕はタクシーを降りた。運転手にこの国の言葉でお礼とさよならを
いうと、運転手は元気でね、と日本語でいって笑顔で手を振った。僕も笑顔で手を振りかえした。

この水族館を設計したのは僕の友人で、何年か前に開業した時にその友人に招待されたのだが
時間がなくてその招待に応じることはできなかった。今日初めてここを訪れる。もう友人はここには
いない。誰に招待されたわけでもなく、僕の都合で時間が出来たので来てみただけのことである。
日本でもこの水族館は有名で世界最大といわれる大水槽の前に立っているとその大きさに圧倒された。
中の大小さまざまな魚たちはガラスの向こうから見ている我々人間など
いないかのように自由に泳ぎ回っている。
ぼうっとしばらく水槽の前に突っ立っていると、すぐ隣に誰かが立った気配がした。目を動かさなくとも
水槽のガラスに若い女性が映っているのが見えた。あまり近くに立つので知り合いかなと思ったが
見覚えがない。首をめぐらして直接彼女を見てみると、彼女もこちらを見た。親しげな光をその瞳にみて
ますます誰であったか思い出せず怪訝な表情を浮かべているであろう僕に、彼女は日本語で話しかけてきた。
「あなたMさんでしょ、小説家の」その容貌と言葉に日本人かなと思ったが、違うな。と根拠はないが
それだけに強い直感でそう感じた。
「そうですが、どこかでお会いしましたか」
「いいえ、初めてです。ですがわたしの父をあなたは知っているはずです」
「お父さん、どなたですか」
名を聞くとそれはこの国の有名な芸術家で僕の小説のファンであることも公言している人で
間接的にならやり取りのあった人だった。直接の面識はまだない。
すると直感通りこの女性もこの国の人ということになる。
「もしよろしければ、家にお寄りになりませんか。ここからそう遠くないのです
父もお会いできれば喜ぶと思います」

僕は少し迷った。確かに彼女のお父さんに会えるとしたら嬉しいが、ほんとうに彼女がかの芸術家の
娘かどうかはわからない。僕の内心の躊躇を読みとって彼女は笑った。
「お疑いは当然ですね、どこの誰かもわからない女の話をすぐに信用するほうが無理ですものね」
とスマートフォンの画面を見せた。そこにはその芸術家と目の前にいる女性の二人がにこやかに
微笑んで写っていた。
それでも疑おうとおもえば疑えるが、多少売れている日本の小説家を誘拐して何になると思い
彼女の誘いに応じることにした。

彼女の運転する車に乗って30分ほど、大きな門構えの邸宅に着いた。
車のまま門を入り砂利石の上を進み豪華な玄関に車は付けた。
僕はその広さに気押されながら導かれるままに玄関に通り靴を脱いで家に上がった。
まるで温泉地の高級旅館のような美しく品のある佇まいに驚くばかりだった。
僕は広い板の間の部屋に案内され。そこには広々とした庭を背に敷物が敷かれ
その上に大きな卓があり、その向こうにこちらを向いて白髪白髭の老人が胡坐をかいて座っていた。
卓の上には中央に白い紙が敷かれ、片方に様々な太さや長さの筆が整然と並べられ、
もう片方には大きな硯があった。かれは水墨画、古典的なものも現代的なものも描いている
その分野ではこの国の長老的存在だった。
かれはにこやかにあいさつしてくれた。
「申し訳ございませんが、父は足を悪くしておりまして、座ったままでのご挨拶をご容赦願います」
僕は挨拶の言葉くらいは知っていたのでこの国の言葉で年長者に対する丁重な挨拶をした。
かれは片手を手前に差し出した。こちらへ、ということはそれだけで理解できた。
彼女が先にたって僕が座るべきところを指し示してくれる。そこには丸い座布団のような敷物があった。
僕は彼と卓を間に向かい合った。老人といったが髪が白いだけで、顔の色つやを見るとそれ程の
歳ではないように思えた。彼女が通訳してくれて僕はかれと話をした。
「この国にいらしたのは初めてですかな」
「いえ、何度かわたしの小説がこちらで翻訳されたときに来たことがあります、この街には初めて来ました」
「あなたの小説はみな好きだが特に短編がわたしは好きだ」
「それはありがとうございます」
「日本語で読みたいとも思うのだが、この歳になるとなかなか物覚えが悪くてな」
かれは娘と顔を見合わして笑った。
「そうそう、あなたに会ったら訊こうと思っていたことがあるのだ」 
「なんでしょう」
「あなたの書く小説の登場人物たちはいつも自ら不幸を求めているように思うのだが」
僕は微笑んだ。
「確かに、僕はお釈迦さまの見る世界観が好きでして、こちらは孔子さまでしょうか」
僕の頭の中にはこのときなぜか大水槽を泳ぐ魚たちの目が思い浮かんでいた。
「そうとも云えんのだがね」
かれは苦笑した。

庭の向こうから優しい風が吹いてきて、とても甘いいい香りが部屋のなかにあふれた。
「クンモクソ」かれが呟いた。
彼女が通訳する。「日本でいう金木犀ですね」その部屋の三人は暫しその甘い香りに
酔いしれた。

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