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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第30回 まめや作 「アンバランス」

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コミュ内全体

 乾いた酢のような匂いに、男は「うっ」と小さく声をあげた。
 それは実のところ、男の目から鼻から口から耳から、何万個の毛穴から発せられる匂いであったけれど、男はそれに気がついていない。
「ううっ」
少し弱くなった声をあげて胎児のように丸くなり、またすぐに大の字になる。シューシューと歯と唇の間から、男の寝息が規則正しく漏れている。
 もっさんは、男の肩の上で暮らしている。
 男はひどいなで肩なので、もっさんは踊るようにして暮らしている。 これは、不法占拠では、ない。男の酸っぱい匂いを小さな体全部で浴びている。
 男が寝っ転がるざらつく床には、缶ビールと飲みかけの焼酎の大ボトルと湯呑が転がっている。
 男は、三十歳になったときに、ビールは一缶と決めた。おしゃぶりこんぶに、塩とごま油の木綿豆腐一丁が夜ご飯。そんな生活をもう十年近く続けている。チャコールグレーの細身のスーツ、ベルトの穴の位置はもうずっと変わっていない。
 嫌味のない、小奇麗な大人の男である、という自覚が男にはある。
 男が勢いよく缶ビールを開ける。不安定な肩の上で、もっさんは踊るようにしてビールの飛沫を浴びる。
 男は、ひとりで暮らしている。築八年、鉄筋コンクリート造りの四階、南向き、二人入居も可能な間取り。賃貸という選択をしている。ゼラニウムのルームフレグランスを置き、コーヒーは豆からいれて、単館上映のDVDを観たり、このサスペンスがすごいという帯の着いたハードカバーの本を読んだりしている。
 生活を楽しむことのできる男である、という自覚が男にはある。
「俺らしいだろ」
もっさんは、男の頭の中や心臓で生まれた声を回収をしている。これは、不法侵入では、ない。
 その声に「ウィ」と少し濁ったような潰れたような返事をする。「ウィ」はもっさんの言語のすべてで、喜怒哀楽それ以上のすべてを込めることができる。
 もっさんは、ただ、男に寄り添うものとして存在している。右の肩と左の肩を行ったり来たりして、男のバランスを整えている。
 男の左手には、鍵が握られている。
 男は、洋服のタグを作る工場に勤めている。Tシャツに、ゆったりとしたチノパンという作業服で、細長い紙のような布に文字を印刷し、裁断する。デザイン関係の、仕事である。
 遅番であった昨日の正午近く、男はいつものようにチャコールグレーの細身のスーツに磨かれた革靴で、公園通りを歩いていた。
 何気なく目をやった公園のベンチで、くたびれた中年男が座っていた。背中を丸めて、手にしたポケットティッシュを凝視している。
「消費者金融かキャバクラか、そんなところだろ」という男の声を、もっさんは頭の中から回収した。「ウィ」と頷く。
 金も女もなさそうなおっさんだな。ウィ。みすぼらしいにも程があるな。ウィ。ウィ。俺のこの張りのある姿を見てみろ。ウィ。
 男に、借金はない。ゆとりある生活は、金ではない。男に、女はいない。潤いある生活は、女ではない。
 ふっと笑みのこぼれた男が再び歩きはじめると、歩道の端、側溝の上で光るものを見つけた。銀色の鍵だった。
「あぁ」もっさんは、男の声を回収した。
 男には、昔、女がいた。
 男が、相思相愛だと思っていた女だ。俺の女だ、俺の女だ、俺の女だ、という声をもっさんは男の心臓の端から回収した。いくら動き回っても、俺の、俺の、俺のという声は沸いていた。左と右の肩と心臓を行ったり来たりして、その声を回収し、男のバランスを整える。ひどく忙しい日が続いていた。
 女は、そこらじゅうで見かける女であった。男の肩の上から見る街の女たちと同じ形をしていたが、ヒューヒューと息の抜けるような頼りない声の持ち主の女であった。
 男が思うところの相思相愛であったのか、もっさんにはわからない。もっさんの回収できる声は、男のものだけだったからだ。
 女は、あるとき、いなくなった。
 男が女に渡そうと合鍵を作って帰ったその次の日の朝、女はいなくなった。俺の、女。もっさんは肩の上で、忙しく踊り動いていた。
「俺らしいだろ」
相思相愛であった女の選択を尊重し、女の幸せを願っている。男は、鍵を工場の廃棄缶の中に捨てた。
 男は側溝の上に転がる鍵を、背広のポケットに入れた。過去の女を懐かしむことのできる男である、という自覚が男にはあった。
 おしゃぶりこんぶを舌の上でふやかし、ビールを飲みながら、男は鍵を見ていた。
 俺の女、という小さな小さな声をもっさんは回収した。心臓の真ん中あたりから、声は漏れていた。男の肩は、ひどく揺れていた。もっさんは足場を整えようと、いつもよりも激しく踊り動いていた。
 男は右手で、自分の頭を撫でた。少しばかり猫毛気味の膨らんだ髪。豊かな毛を指と指の間に通し、頭を撫でた。「もさー、もさー」という力ない声が男の頭の中にあった。それは、男がかつて聞いていた声だった。
 男の、俺の女であった女は、ちょうど男がしているように、男の頭を撫でていた。もさー、もさー。やっぱり頼りない声を出して、時折くねくねとした笑い声を混ぜて、男の頭を撫でていた。もさー、もさー。
「俺らしいだろ」
男は、焼酎のボトルを開けた。思い出をつまみに、たまには羽目を外すことができる。
 もさー、もさーという声は相変わらず沸いていて、もっさんは男の頭の中と肩を行ったり来たりしていた。
 俺らしいだろ。もっさん。
 回収した声のひとつに、もっさんは肩の上で動きを止めた。ずれ落ちぬよう、バランスを整える。焼酎の粘るような匂いを体で浴びる。
 俺らしいだろ。もっさん。
「もっさん」
はっきりと音となった声が、届いた。
 ひとりである、という自覚が男にはあった。
 誰一人、男に寄り添う者はいなかった。誰一人、男の近くで男の声を聞く者はいなかった。それを、男は充分すぎるほどに、自覚をしていた。
 俺、俺、俺。
 俺らしいだろ。俺。俺らしいだろ。俺らしいだろ。
 男はいつも言っていた。
 俺、俺、俺。
「もっさん」
女が出ていったあのとき、男は、その存在を認めた。ひとりである男が、ひとりである男でいるために、作り上げた存在に名前を与えた。
 もっさんは、「もっさん」という声を初めて聞いた。男の頭の中で生まれ、心臓の端の方で育ち、今、その存在は音となった。
 もっさんは、踊った。男のなで肩の上で、右へ行ったり左へ行ったり、バランスを整えて、激しく踊り狂った。
 もっさんが踊り跳ね上がる度に、男は粘りつく飛沫をあげて焼酎を飲んだ。
 俺らしいだろ。ウィ。俺らしいだろ。ウィ。ウィ。
「俺らしいだろ」
もっさんは、俺らしいだろという自覚がある男に、踊って答えた。ウィ、ウィ。それは、喜びであり、安堵であり、少しばかりの寂しさであった。
 ウィ。ウィ。ウィ。
 もっさんは、激しく激しく、踊り狂った。ウィ。それは、称賛であった。

コメント(9)

ホントにもっさんで書いたんですね(^ー^)
ユーモラスでありグロテスクでもあり、日本人としてはもっさんは八百万の神の一人のようにも思えるし、たっぷり笑わせていただきました
嬉しいような悲しいような、
安心感のような焦燥感のような
複雑な気持ちが表れているなあ、と思いました。
丁度、夕方に外で遊んでいると聞こえてくる
「お帰りの音楽」(私の地元では鐘の音でしたが)を
聞いた気分です。

で、もっさんって、なんぞや?
もっさん来ましたね(笑)。
しかも、なんとも言えない味わいを出してますね。
今日もニヤニヤしながら(爆)、ご自分のワールドについて話してください。
主人公の思いがもの哀しくもあり、滑稽でもあり、一人の人物が自分語りしているところに、もっさんが客観的な注釈を入れてくれるので、そのアンバランスさが面白かったです。…って書いて気づきましたが、題名のアンバランスって、この意味なんでしょうか?

不思議な世界だけど、もっさんという人がいて当たり前のように読めました。面白かったです。

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