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chopstick undergroundコミュの風立ちぬ

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こうなることは予感していた。
あとだしジャンケンみたいなことだが、あえて言おう。
そのニュースを知った時、やっぱりそうか、というのがわたしの最初の感想だった。
あとだしジャンケンみたいなことを今から言おう。タイムリーではないから、色褪せてしまう前にせめて誰かに。
そのニュース?
宮崎駿、引退。フラッシュにご注意ください。テレビの画面には伏目がちな白髪のアニメ作家とそんな文字が写っていた。

それは一月ほど前、宮崎駿監督脚本「風立ちぬ」が公開になって間もなくの頃だった。わたしは例の「良いBAR」でひとり、初夏の蒸し暑い夕暮れをつまみにビールを飲んでいた。夕方から飲む、これが数少ないわたしのモットーだ。わたしは子供の頃、夕方になるといつも泣き、突然に発熱した。黄昏れ泣き、という幼少時期によくある事例らしい。共働きだった両親に代わって祖母がまだ幼いわたしを背負い、夕方になるとよく散歩に出掛けた。わたしは祖母の背中から見た夕焼けの燃えるような赤をよく憶えている。すべてを朱に染めぬいて、夜に移行する瞬間の秘めやかなあの季節の匂いも。それがわたしの最初の記憶であり、生まれて初めて出会った圧倒的な世界の巨大さ、関与することが出来ない摂理の存在だった。わたしは呼吸を忘れるように黙り、泣きやんだ。「あなたは綺麗な夕焼けが好きね」祖母はよくわたしや周囲の人々に言ったものだが、わたしは、違うと思った。自分が関与出来ない巨大な摂理の存在は、幼いわたしにとって単純に恐ろしかった。だが逃れようないまでに甘美に、わたしの目と体を釘付けにした。
時がたちわたしは大人になって、いくつかの映画や絵画、音楽、文学などに出会い再び圧倒されることになるのだが…。

カランコロン、とドアが鳴ってアキコちゃんが入ってくる。アキコちゃんはパンツスーツを着て髪を後ろでひとつに縛り、肩掛けの大きめなバックを抱えるようにカウンターに腰をかける。わたしのひとつ左隣。いらっしゃい、仕事帰り?マスターがにこやかに声をかける。うんそう、暑くて疲れたー喉渇いたー、生ビールちょうだい。あ、マスター、おれにも。はい、よろこんで。
冷凍庫でキンキンに冷やしたジョッキにサーバーから金色の液体が注がれる。表面を泡でコートされたそれはジョッキの表面から陽炎が見えるほどに冷えていて実にうまそうだ。わたしとアキコちゃんは今晩は、と挨拶するように乾杯して冷えたそれをゴクゴクとやる。はあー、やっぱこれよね、夏は。ところでリルケさん、何か面白いネタありませんか?彼女は煙草に火をつける
。目が、ハンターの目だ。獲物を探す狩人の。目が静かだが素早い。何かに標準があえばすぐにでも飛びつく。仕事で煮詰まっているのかもしれない。
アキコちゃんは某出版社勤務の女性向けファッション雑誌の編集者だ。対象の取材や写真撮影、ちょっとしたコラムの執筆なども彼女の仕事になるのだそうだ。彼女は仕事柄、メディアの動向について非常に詳しい。というか、勉強している。すばしこい目で流行の兆候と行く末をくるくると見渡す、生ビール好きな真夏のハンターだ。
わたしは彼女の原稿の締め切りが間近に迫ってきているのかもしれないな、と思いながら言葉を選ぶ。
「アキコちゃんのネタになるかどうかはわからないけど、ジブリの宮崎駿監督の新作が、気になるんだ。もう見た?」
いや、まだ見てないけど、評判は、色々みたいね。アキコちゃんはビールをおかわりする。リルケさんは?いや、おれはまだいいよ。わたしは続ける。
「うん、そうだね。ネットとかのレビューは大人向けの内容だとか、子供が飽きちゃったとか反戦主義の兵器好きだのとか、色々だね。まあおれも見てないから知らないんだけど。まだ公開する前にさ、テレビがこぞって特番で宣伝打つじゃない?宮崎駿監督の新作なわけだから」
そらーにー あこがれぇてー いつから話を聞いていたのかエマちゃんがニヤニヤしながらおどけて歌う。
「それでさ、映画の完成試写でユーミンとか声優陣とかスタッフ関係者で集まって編集した映画を見る。その時にね、あの宮崎駿が号泣したらしいんだよ」
アキコちゃんの目はまっすぐわたしを見る。ハンターの目が、それは何かある、と語りかける。
「あの宮崎駿が、息子が撮った映画をボロクソにけなす、冷徹な鬼のワンマンMr.ジブリが号泣する。おれは新作の風立ちぬを見れば、その理由がわかるような気がするんだけど、この話、どうかな?」
うーん、とアキコちゃんはしばらく考えこみ、バックの中から携帯と手帳を取り出し、交互に眺める。リルケさん、明日の夕方四時、駅前のテラスがあるカフェでいい?少し酔いがまわってきたのかアキコちゃんの目は濡れた光を纏い始める。時間なら作れるよ、何かお役に立てたかい?
「その面白いなぞなぞの答えを確かめに行きましょう」



翌日、わたしたちは「風立ちぬ」を駅前のシネコンで鑑賞した。昨日にも増して、日中は蒸し暑く、平日の夕方ということもあってわたしが思ったよりも混んではいなかった。家族連れの姿はあまり見えず、学生や若者を中心とした客層だった。アキコちゃんはビールとポップコーン、わたしはシュガーレスのアイスティーにした。長い予告編が終わり、本編の上映開始わずか20分ほどで驚くべきことにアキコちゃんは居眠りをはじめた。… 寝ている、だと…!? そして物語りが山場を迎える時には嘘のようにすっかり目覚めて、ハンカチを握りしめ涙をおさえていた。

シネコンを出るとあたり一面の夕焼けだった。ああ、胸を打つな、わたしは声に出して言った。なに、映画の話?それもそうだけどさ、夕焼けってなんだろうな、これ?地球が自転することの証明でしょ。そうか、腹へったな。ビール飲みたーい。


わたしたちはカウンターに並んで座っている。よく冷えたビールがふたつと塩をふった枝豆がある。で、風立ちぬはどうでしたか?マスターがチーズとサラミをきりわけながら穏やかに尋ねる。
「わたし久々に泣いたわ。なんか感動して、すっきりしちゃって。特にあのシーンのあの…」
ああ、愛してるひとに一番綺麗な姿を…のくだりですね。あれはわたしも涙腺にきましたよ。
「きゃー、そうそれ!ていうか、マスター風立ちぬ見たの?昨日それ聞いてないし」
ええ、公開初日に。店閉めたあと、朝一番の上映で見ました。黙ってたほうが、面白いかなと思いまして。
あっぱれだ、マスター、あっぱれだよ。このチーズサラミも最高だ。
わたしたちは一通り笑った。それで、謎は解けましたか、リルケさん?
「うーむ、事件は迷宮入りだね。映画は面白かったし、ウルっとも来たんだけど、なんて言うのかな、悲しい、いや違うな、寂しいだな、寂しい映画だなって思ったよ」
それ悲しいとどう違うのよ!?アキコちゃんの目が赤く濡れて光って見える。マスターはビールグラスを拭きながら、寂しい、というのはもっと個人的な感情なんですよ、と穏やかな笑顔で答えた。
今までの作品に比べて大衆性も低く、テーマや時代設定からターゲットにする層も不明確に感じる。ただ、面白い、つまらないはそこが判断材料には絶対にならない。もしかしたらこの映画は…。
「ねえ、リルケさんボーッとしちゃってどうしたの?まだビール?」
「うん。さっきマスターが個人的って言ったけどさ、大人向けの内容とかじゃなくて、もっと狭い場所に向かって発信した映画のような気がしたんだ。おれはやっぱり、魔女がほうきで空飛んだり、女の子が空から降ってくるみたいなのを期待してたのかもしれないな」
あるいは新しい世界観を提示することへの拒絶の意思…。わたしは思ったが、黙っていた。これ以上の発言はお茶を濁す結果になるだろう。以前何かのインタビューで宮崎駿はこんな風に語ったことがあった。

わたしは自分がいかにつまらない、くだらない人間である事を知っている。わたしの作品が評価されるということは、わたし個人とわたしの仕事が、全く別のものであることのひとつの証明だ。

わたしは「風立ちぬ」の中に今まで人前にさらすことをひたすらに避けてきた素顔の宮崎駿を見た気がしてならなかった。それはもしかしたら宮崎駿自身が撮りたいと思うものを撮った、初めての作品であるのかもしれない。



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