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古寺巡礼コミュの豊饒の道 神戸3番 廣田神社

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神功皇后の摂政時代(201年頃)に創建されたと伝わる古大社ですが、古事記ではなく日本書紀には随所に廣田の名前が登場しています神社です。私事ですが子供の時からの阪神タイガースのファンですから縁のある神社でもありますわーい(嬉しい顔)
兵庫県、豊饒の道
(68)攝津國武庫郡
廣田神社(ひろたじんじゃ)
住 所 〠 662―0867 西宮市大社町7番7号
電話番号 電話 0798―74―3489
御 祭 神 天照大御神荒魂 (撞賢木厳之御魂天疎向津媛命)
開 祀 神功皇后摂政元年(201)
アクセス 阪急電車:西宮北口駅南口より、阪急バス甲東園行き乗車、
広田神社前停下車
<神歴・縁起> H/P  http://www.geocities.jp/hirotahonsya/index.html
式内社 攝津國武庫郡 廣田神社 名神大 月次相嘗新嘗
旧官幣大社
第一脇殿 住吉大神
第二脇殿 八幡大神
第三脇殿 諏訪建御名方神
第四脇殿 高皇産霊尊
境内外の式内社
境内 攝津國武庫郡 伊和志豆神社 大 月次新嘗 伊和志豆神社 彦坐命
境外 攝津國武庫郡 名次神社 鍬靫 名次神社 水分大神
境外 攝津國武庫郡 岡太神社 岡田神社 天御中主命

 『日本書紀』によると、新羅を討たれて凱旋の途次にあった神功皇后は、
仲哀天皇の御子・忍熊王が軍を起こしたことを知り、船を迂回させて紀伊へ向かった。ところが船は海中をぐるぐると回って進まず。
武庫の港で占ったところ、天照大神が神託に「わが荒魂を皇后の近くに置くのはよくない」「広田国の地に置くのがよい」と。そこで、山背根子の娘・葉山媛に祀らせたという。その荒魂の名を、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつみめのみこと)という。
 当初は、「六軒新田の上高隈原」という地に鎮座していたがいつの頃か、現在の参道の正面の平地に鎮座し、
享保9年(1724)、御手洗川の水害の恐れがあるとして現在地に遷座した。
境内社の摂社、伊和志豆神社は、式内社、伊和志豆神社の論社。
祭神は伊和志豆大神。一説には開化天皇の皇子、彦坐命で当社を創建した
神功皇后の4世孫にあたる。もとは当社の東南1.5Kmに地に祀られていたが
大正6年(1917)7月16日、当社境内に移転。戦後は本社に合祀されていた。
平成2年(1990)の御大典にあたり、社殿を再建したもの。
廣田神社は、神功皇后摂政元年(201)、国難打破の道を教え、皇子(第15代應神天皇)のご懐妊を告げ、安産を守り、軍船の先鋒となり導き、建国初の海外遠征に大勝利を授けられた天照皇大神荒御魂の御神誨により、御凱旋の帰途、神功皇后により武庫の地・廣田の国(芦屋・西宮から尼崎西部)に御創建されたことが、我が国最古の国史書「日本書紀」に記されている兵庫県第一の古社です。
上代から中古にかけて、国家鎮護・天地自然・立身出世・武運長久に御霊験高き神として、全国的に延喜式内の官幣名神大社として厚遇され、白河天皇の時代(11世紀末)には、全国神社に冠たる勅祭22社の一社にも県内で唯一社選ばれ、朝廷・公家の篤い崇敬を受けました。
源頼朝は元暦元年(1184)平氏の討伐を祈願して淡路、広田荘を寄進し、豊臣秀頼は慶長9年(1604)大規模な改築を末社、戎社(現在の西宮戎神社)を含み行い、徳川吉宗は現今の地に遷し改修したように、武家も深く信仰しました。 
明治4年(1871)には兵庫県内で唯一、最高位である官幣大社に列せられました。平成13年(2001)には御鎮座1800年の喜節を迎え、天皇陛下よりの御幣帛を奉って式年祭、奉幣奉祝祭を齋行致した廣田神社は、悠久の歴史と高貴な社格、深遠な由緒を有する、日本全国の十万神社を代表する神社の一社です。
 天照大御神は、八百万の神々の中で最高至貴とされる大御神です。生活の基である衣食住を整えられた国民生活の祖神です。皇室の御遠祖であり、日本国民すべての大祖神(おおおやがみ)である。その御神徳は多岐にわたりすべての人々を照らし、特に荒御魂である廣田大御神は、勝運合格、開運隆盛、子授安産、文学歌謡、厄災消除、交通安全、立身出世、罪障祓滅、先導開拓に大いに霊験あらたかなことなど、列挙すればまだまだ多くの御神徳がが古文書・古記録に多々記されています。
 廣田神社は、京の都から西方にある特別に重要な神社ですので、中世の貴族達は「西宮」と別称し、当社への参拝を「西宮」参拝、「西宮」下向と称しました。平安時代の百科事典である『伊呂波字類抄』をはじめ、本居宣長『古事記伝』、伴信友『神名帳考証』にも廣田神社を【西宮】と称したことが記されています。後に、「西宮」の語は廣田神社の荘園である廣田神郷(神戸市東部〜尼崎西部、有馬、猪名川に及ぶ)全体の地名として使われるようになり、近世には末社の南宮や、戎社(現在の西宮戎神社)のある浜南宮を中心とした地域(旧西宮町)の地名となり、現在は西宮市の名称へと受け継がれています。


拝殿
阪神タイガース優勝祈願社でもある神社で阪神ファンも多く参拝する。

神仏霊場 ご朱印
和漢三才図会に
広田社 西宮郷(西宮市大社町)にある〔大坂より五里余〕。
  祭神 一座 広田明神〔天照大神の荒魂である〕。
『日本紀』にいう。神功皇后が新羅を征された翌年、忍熊王が兵を起し、住吉に駐屯した。
皇后はこれを聞いて、務古水門に還りトしたところ、天照大神が誨えて言った。我が荒魂は皇后に近くいてはならぬ。御心を広田の国に居らせるのがよい、と。そこで山背根子の女、葉山媛に祭らせた。
 貞観元年(859)、広田神を正三位に任じた〔初めは従三位勲八等であった〕。 
同12年(870)、従一位とする。ある説に、広田社を五座としていう。
 一 住吉
 二 広田〔天照大神の荒魂である〕
 三 八幡
 四 南宮〔大山咋神である〕
 五 八祖神〔高皇産霊尊〕
 四社は後人の勧請である。
(新続古今) けふ迄はかくて暮しつ行末は(を)めぐみ広田の神に任せん
六条入道前太政大臣
注 一住吉…八祖神 住吉・神功皇后・八幡宮・諏訪・八祖神ともいう。とあります。

阪神タイガース優勝祈願大絵馬
 私ごとですが岡田監督の方が良かったと今更ながら思っています。
岡田監督が現役の頃、偶然にも会い、福本氏(野球解説者で世界の盗塁王)にもお会い出来ましたので、それをきっかけに阪神が今まで以上ファンになりました。と云ってもグッズやユニフォーム等を着るまではいってませんが・・・

境内摂社、稲荷社、地神社、春日社、子安社、八坂社

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