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文学哲学読書会コミュの『ホームレス歌人のいた冬』三山喬

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コミュ内全体

プロローグ

 寒空の下で一度は野宿を体験しなければならない−そう思って私はこの場所にいた。

 路上の「最初の晩」とはどんなものだろう。私はそれを知るためにここにいた。
 そもそもそれ以上のことは知りようもなかった。三日でも一週間でも、何れ自宅に引き上げる前提の野宿である限り、それは疑似体験に過ぎない。暑さ寒さや寝心地の悪さ、通行人の冷ややかな視線…。体感できることは、せいぜいそんなところだろう。野宿者のもっとも本質的な部分、つまり帰るべき家を失いという退路を断たれた感覚は、本物のホームレスにならなければ、絶対にわからないことである。

 私はひと晩の礼を言い、スタジアムを離れた。手荷物や貴重品を納めたコインロッカーに向かいながら思った。あれだけのことで、自分はホームレスになった人たちの「最初のひと晩」を、その一部でも感じることができたのだろうか。ひと晩で家に帰れる。つまりは本物のホームレスではない。そうである以上、これが「まねごと」にしかならないことはわかっている。
 それでも、間違いなくこの一夜は私に必要なものだった。
 二年前のあの寒かった冬、この町の路上にいたはずのひとりの男が、その互換で受け止めたものを、少しでも実感的に追体験するために…

コメント(9)

【第一章】まるで写楽のように

 2008年12月8日、朝日新聞の月曜日の朝刊には歌壇が載る。掲載作の投稿者名はその居住地とセットで表記される。そこに地名とは言いがたいカタカナが並んでいた。

・(柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ  (ホームレス) 公田耕一

武富純一は投稿する歌をその場で浮かんだ歌に差し替えることにした。

炊き出しに並ぶ歌あり住所欄(ホームレス)とありて寒き日

翌々週の紙面で武富は4回目の朝日新聞歌壇入賞を果たした。そしてこの歌は、その後、全国から何百通と朝日新聞に送られることになる「ホームレス歌人・公田耕一」にちなむ投稿に第一号入賞作品となった。こうして、約九ヶ月間、いや実際には二年あまりにも及ぶ、新聞か壇上史上希を見ないドラマが幕を開けた。

朝日歌壇には毎週二千五百から三千首の作品が寄せられる。そこから四〇首のみが選び出される。公田耕一はわずか数週間で朝日歌壇の常連になるという難事を果たしてしまった。

そして二月十六日、社会面に《ホームレス歌人さん 連絡求ム》という記事が載った。
「歌壇係には、ホームレス歌人を思う歌や「短歌をよりどころに生き抜いて」などの励ましが寄せられているが(ホームレス)では、これらの厚意を届けることができない。公田さん、何とか連絡できませんか。あなたが手にすべき入選一首につきはがき10枚の投稿者例も宙に浮いているのです」
公田はこう返歌した。

・ホームレス歌人の記事を他人事のやうに読めども涙零しぬ

はがきには添え書きがあった。「皆様のご好意本当に、ありがたく思います。が、連絡を取る勇気は、今の私にはありません。誠にすみません。」

公田の投稿は続いた。

それに続きもう一人に異色投稿歌人の作品が並んだ。郷隼人、アメリカで殺人事件の終身犯として20年以上収監されている日本人受刑者である。郷は1990年代後半から朝日歌壇に頻繁に入選している。

・囚人の己が〈(ホームレス)公田〉想いつつ食むHOTMEALを

偶然にもこの日の公田は次のような歌を歌った

・温かき缶コーヒーを抱きて寝て覚めれば冷えしコーヒー啜る

しかし、この歌壇の新星は、登場の仕方と同様に、去り方もまた「彗星のごとく」、突然だった。

・瓢箪の鉢植えを売る店先に軽風立てば瓢箪揺れる

2009年9月7日にこの歌を最後に公田の作品は朝日歌壇から姿を消す。
非正規雇用のこの方のことを思いだしました。
http://bunshun.jp/articles/-/7812
【第二章】ドヤ街の人群れの中を

寿町周辺にいるホームレスやその予備軍のドヤ住民をサポートするNPO法人「さなぎ達」。事務局長の桜井は「ホームレスの問題は、単純な雇用の問題ではありません。何らかの事情で社会との関わりを断った人、あるいは断たざるを得なかった人。背景は一人ひとり違うんです。精神的な障害を持つ人もいれば、それこそ昔、大学教授だったような人までいます」と強調した。公田については、この組織にも朝日新聞から問い合わせがあったという。「私たちは知りません。いてもおかしくは無い人だとは思いますけどね」

寿はかつては日雇いの港湾労働者の街だった。その後バブル崩壊と派遣業法の改正で港湾労働も激減した。今は寿は生活保護を受給する高齢者の街となった。寿ではドヤを居住とする人に生活保護申請を認めていた。高齢化したかつての日雇い労働者は、次々と生活保護受給者となり、現在では地区住民の六千数百人の85パーセントが生活保護受給者となった。約6割が60才以上でありそのほとんどが単身の男性だという。

その寿でドヤにすら住めないホームレスはどういう人たちなのか。
65才に満たなければ失業を理由とする生活保護は一時的だ。アルコール依存やギャンブル依存に人が多いため、ドヤ代を使い込んで保護を打ち切られレ、早々に路上に舞い戻る人も少なくない。一方で、個人的な信条から生活保護をかたくなに申請しない野宿者もいる。

2008年の暮れ、公田耕一は「鍵を持たない暮らし」のまま目前にした年越しを投稿歌に詠んだ。
そう遠くない過去に「鍵のある暮らし」をしていたのである。炊き出しに並ぶ自分を詠み、缶コーヒーで暖をとる路上の夜を詠んだ。つまり、それらはまだ、公田にとっては当たり前の生活になってはいなかった。
となると、公田が、寄せ場の時代からこの街にいた元日雇い労働者とは考えにくい。路上生活者、あるいはそれに近い状況になってから、ここに流れ着いた新参者に違いない。深い教養を感じさせる作品を見る限り、元々の公田は外の世界で何らかのデスクワークに就いていた、と考えるのが自然だろう。
【第三章】「公田です」と名乗った電話

公田は見つからなかった。NPOを尋ねても、総合労働福祉会館にある図書室を尋ねても。
その日寿日労(寿日雇い労働組合)の近藤を訪ねた。寿日労の掲示板には一時期、公田に連絡を求める出版社のビラが張り出されていた。近藤はその現物を見せてくれた。「ホームレスになった自分の状況を知られたくない。彼にはそんな屈託があったんだと思いますよ」
公田の当時の心境を近藤はそのように推測していた。だが、その後に続く言葉はまったく予期しないものだった。
「彼の名前はクデンと読むんですよ。自分でそう言っていたから間違いありません」
「自分で言っていた、のですか…」
「本人が『クデンです』と名乗ったんですよ。電話口でね」
近藤は、公田が表に出たくないのなら、自分が外部との窓口となって投稿謝礼のはがきを受け取るなど、代理人的なサポートを引き受けよう、思い立ったのだと説明した。
「で、そうしたら公田さんはなんと?」
「いまはちょっと…という感じでしたね」
やりとりはそれだけだったという。
【第四章】もうひとりの「消えた歌人」
十枚の紙に色紙の表紙と裏表紙をつけ、ホチキス止めしただけの手作りの小冊子である。
『良知満夫歌』
2004年まで、生活館の2階には市社会福祉局の出先があり、そこはドヤ住民の自由な溜まり場になっていた。50代半ばのある労働者がノートに書き留めた作品を職員に見せた。生活館スタッフは、作品をワープロで打ち直し、ホチキス止めで歌集にした。
良知は体を壊し、その後偶然に横浜を訪れた親戚と出会い、静岡の老人ホームに入ったのだという。しかし関係者が記憶する静岡の施設に照会しても良知の入所記録は見つからなかった。

表現のできる人は幸せだ。
公田の足取りを追い始めて以来、何人もの地元関係者が、この同じ言葉を口にした。
寿という街を知るにつけ、私も少しずつ、そう思うようになった。野宿者やドヤ街の人々にとって、感情の起伏は、それをただ叫ぶだけでは、泣き言や愚痴としか受け取られない。第一思いをあらわにしたところで、何になるのか…。
空しさはおそらく、本人にも突き刺さる。しかし、それをもし、表現という形に昇華できれば、話は別である。自分の内面を見つめることが、決してネガティブな行為ではなくなる。

中年の男三人が、真剣に机に向かっていた。
不老識字学校
場所は寿に隣接する不老町の地域ケアプラザ。
「大沢先生が亡くなって、寿の識字学校が終わってしまったことを残念に思い、2009年から始めました。でも中身は、大沢先生のときのようなことは全然できてません」
大沢先生とは1980年から2008年まで、寿での識字教育に後半生を捧げたドヤ街の教育者・大沢敏郎のことである。
彼の行った授業はどんなものだったのか。しかし、関係者に聞いても、なかなか明確な答えは得られなかった。いったい、どう言えば伝わるのだろう。自らの説明能力と対象の奥深さのギャップにたじろぎ、大方の人は口ごもってしまうようだった。そして最後には、彼の著者を読んで欲しいという結論になる。
『生きなおす、ことば』この本に大沢の活動はほぼ記されている。
大沢は《寿町の識字では漢字や文章に手を入れることは、いっさいやめることにした(中略)そんなことはどうでもいいことだった》というのである。
大沢は識字を《文字の読み書きを自分のものとすると同時に、自分という人間の読み書きをあきらかにすること》と定義する。複雑な生い立ちや社会矛盾によって、読み書きをするすべを持たなかった人に、識字教育を通じて、それを「取り戻させる」それが本のタイトルにあるように人生を「生きなおす」ことに繋がるという。
生徒たち一人ひとりの背景と重なり合うような詩や短歌、俳句、短文を巣材とし、約2時間、文章を綴らせる。そして発表と討論。それが授業の基本だった。
ときには大沢がひとりで語る授業もあった。誤字脱字があろうとも、文法がいくら間違っていようとも、思いを表現し、読み上げる。より深く、より深く…。いつしかそんな世界にみなが引き込まれていったらしい。
《識字は、文字の読み書きができるかどうかだけの問題ではなく、人間の生きてきたこと、生きていること、生きていくことのすべてにかかわる自分自身の問題であり、さらに自分のまわりの人たちとの関係の問題だ。それをどのようにして、新しい自分を生きるためのバネにしていくかだ》
大沢の活動を長々と書くのは、彼の識字教育と、私が公田耕一をめぐる探索で感じつつあることが、どこか重なり合うように思えたからである。私は「表現のできる人は幸せだ」という、複数の人から聞かされたことばを考え続けていた。人は、極限状況に置かれたとき、自らの内面から目をそらし、心に蓋をしがちになる。自らを守り、コントロールする一番たやすい方法として。
しかし、もし表現という形をとることができれば、絶望や自己嫌悪の淵に落ち込んでしまうことなく、自らの内面を見つめることができる。それこそが、無感情、虚無感の海から生きる力をよみがえらせるだ一歩となるのではなかろうか。
大沢の活動に共鳴して教室に集まった外部の教育関係者ら数人は今も定期的に勉強会を開いている。そこで大沢は晩年、授業の素材として郷隼人の歌をよく使っていたという。朝日歌壇に公田を詠んだ歌を投稿した、あのアメリカの獄中歌人である。
「郷隼人は識字そのものだ。そんなふうにおっしゃってました」
自らの内面と向き合う生き方をしてなかった人間が、終身受刑者となり、短歌という表現に出会った。それによって、以前とは異なる人生を「生きなおす」道が生まれた。その意味で「識字」だというのである。
【第五章】奇跡の邂逅

「思い当たる人がいる」生活保護集団申請で知り合った吉田雅夫はそう漏らした。その人物は吉田が浴中央図書館で見かけるひとりだった。古書拾いをして身銭を稼いでいるのだという。

「いま、中にいるよ」顔見知りになっていた吉田の知人の島本の仲間が、そっと耳打ちをしてくれた。
「すみません。私は公田耕一という歌人のことを取材してるものです。中央図書館によくいるインテリっぽい人が来る、とあなたのことを聞きました。少しだけよろしいでしょうか」

男は私の第一声を一言一句漏らすことなく、完璧に理解した様子だった。
「ああ、朝日歌壇の公田さんのことですか。私も興味持ってました。はい、知ってます」
「それでですね。じつは公田さんはあなたではないか、そう思って声をかけたんです」
「そうですか。でも、残念ながら違います。私もあんな才能があればよかったんですけどね」

彼の名は田上等という。彼は零細建設業者を対象とする国民健康保険組合の事務局長をしていた。加入者の中に法人の業者も少なからずおり、その実態を内部告発され、その時密告の罪を一身に負わされて退職を余儀なくされた。浪費癖もあり消費者金融からの借金もふくれあがっていた。家族はバラバラとなった。家賃も滞納するようになり、ある日、外出から帰宅すると玄関の鍵が取り替えられていた。その日からホームレスとなった。
田上はかつては政治家を志していた。市川房枝の選挙運動に関わった。同志に菅直人がいた。市川の選対本部では菅が選挙事務長、田上が会計責任者を務めていた。
その後田上は神奈川の県議選に出馬し、次に参院選の社民連候補として立候補した。結果は惨敗だった。田上は自己破産する41歳まで5回選挙に出馬し、何れも敗れた。自己破産し国保組合に仕事を斡旋してくれたのは菅だった。
【第六章】獄中歌人・郷隼人からの手紙

アメリカからエアメールが届いた。大判の封筒が三通、立て続けに送られてきた。
公田耕一と同様に、極限状況から投稿を続ける歌人として幅広い支持者をもつ郷隼人に、公田への思いをぜひ聞いてみたいと思い、質問状を出した、その返事である。

《朝日歌壇の読者の誰もがそうであったように、(ホームレス)という居住地にまずショックを受けた。最初に感じたことは路上か地下鉄ホームで、段ボール箱を寝床にしているのであろう公田氏が、そのような極限の状況下で、短歌を詠むという行為が、いかに困難なものであろうと言うことでした。そしてペンは、ノートは、用紙は、はがきは、机代わりに何を?等々の文房具の心配もしました。何故ならそれらの面では服役者の自分の方がずっと彼よりも恵まれているからです。週に一度は清潔な毛布とシーツを支給され、毎日三食を保証され、医療も全般的に無料で受けられる恩恵もあります。何の罪も犯していないホームレスの人々に対しては、それらの保証は何もありません。》

次のような質問をした。
「苦しい状況の中で、短歌を詠む、あるいは表現をする、ということが、どのような意味合いを持つのか。ご自身の場合はどうだったか。公田さんについてはどう想像されるか」

《看守からどのような侮蔑的な扱いをされても、真夜中に一人で短歌を詠む時間には、何者も邪魔をすることはできないのだ。その情けなさ、無力感、怒り、を白紙に向かい吐露とすることによって、自分は心の平安を得ている。ペンと紙によって紡ぎ出される短歌というポエムは協力である。そんな若造の看守らにいちいち腹を立てていても、何の未来もあるまい。自分には歌があるではないか!きっとクデンしもぼくと同じような心胸であったのではないでしょうか》
私は良知満夫のことを調べながら想像したことが、郷の一言によって、まさに裏付けられてゆく気がした。独房に異様と、路上に暮らそうと、「独り歌詠む時間」には、人は人としての尊厳を取り戻すことができるのだ。感情を失い、砂漠になりかけた心に、その瞬間、水を遣ることができるのだ。

じつは私は、最初の手紙の返事を待たずに追加の質問状を郷に送っていた。寿の取材で「識字学校」の大沢敏郎がその晩年、郷隼人を教材に使っていたと知ったためである。
《とても嬉しかった。大変感激でした。二年前になくなったという大沢敏郎氏が、生きておられるうちに連絡を取り合って、お礼のことばを一言伝えたかった。社会の底辺にすむ人々が、一日の重労働を終えて疲れ切って帰ってきた後で、文字、漢字、文章の書き方などを学びたくて『識字学校』の机に向かったとは信じられないことです。素晴らしいことだと思いました》
この二通目の質問状で、私は質問としてではなく、自分の思いとして、こんなことも書き込んでいた。
「私は公田さんや郷さんの創作活動は、根本のところでこの識字の活動とも繋がっている、つまりは表現が『生きる』ということに結びついているのではないか、と思うようになってます」
【第七章】人それぞれの「公田耕一」
公田耕一は生活保護を受けていて寿周辺で暮らしている。私の想像ではあるが、それなりの確率で正しいだろうと思っている。確かに路上生活をしながら短歌を投稿していたのだが、

・胸を病み医療保護受けドヤ街の棺のような一室にいる

胸の病といった場合、注射一本で完治するような病気ではないだろう。公田の場合は医療保護から生活保護に切り替わったと考えるのが自然ではないか。

公田はホームレスではなくなった。しかし歌壇の読者にはそのメッセージは伝わらなかった。公田耕一は変わらずホームレス歌人のままだった。

公田耕一は真面目な人だったのだろう。作品で嘘をつくことはできなかった。だが住居表示だけは今さら変えるに変わらずにいた。そんな“良心の呵責”が最後には「公田耕一を辞める」という決断になったのではないか。

私が公田耕一の探索を思い立ったのはまだ梅雨も明けきらない時期だった。それが冬になり年を越した。それでもなお公田耕一の背中には手が届かなかった。私はもう生身に公田がどんな人物でアレ、それ自体はどうでもいいことのように探索の終盤になると思い始めていた。
郷隼人の手紙から引用する。《読者の人々が恋求めている人物は、架空の人物であり、実在しない公算が大きいからです》
ここでいう「架空」とは身元詐称云々の話ではない。無数の朝日歌壇読者がそれぞれの脳裏に思い浮かべた公田耕一という投稿歌人のイメージのことである。読者は公田の置かれた状況に、さまざまに、“自分の物語”を重ね合わせ、何かを思い描いていたのではなかったか。
(柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ

鍵持たぬ生活に慣れ年を越す今さら何を脱ぎ棄てたのか

パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる

日産をリストラになり流れてきたるブラジル人と隣りて眠る

親不孝通りと言えども親もなく親にもなれずただ立ち尽くす

哀しきは寿町という地名長者町さへ隣にはあり

百均の『赤いきつね』と迷ひつつ月曜だけ買う朝日新聞

美しき星空の下眠りゆくグレコの唄を聞くは幻

ホームレス歌人の記事を他人事のように読めども涙零しぬ

胸を病み医療保護受けドヤ街の棺のような一室に居る

後から呼び掛けられた嬉しさに先週来の風邪も和らぐ

名も知らぬブラジル人のその後を想ひて今朝の寒さに耐へる

体調を崩しこのまま寝込みたき日でも六時に起きねばならぬ

わが上は語らぬ汝の上訊かぬ梅の香に充つ夜の公園

温かき缶コーヒーを抱きて寝て覚めれば冷えしコーヒー啜る

瓢箪の鉢植えを売る店先に軽風立てば瓢箪揺れる

胸を病み医療保護受けドヤ街の棺のような一室に居る

一週に二首の投稿心掛け雨恋うて咲くあぢさゐ三球

一日を歩きて暮らすわが身には雨はしたたか無援にも降る

野毛山を下れば汗の噴き出してドン・キホーテへ涼みに入る

リサイクル文庫にひつそり黄ばみたる「清唱千首」戀の部を読む

雨降れば水槽の底にゐる如く図書館の地下室でミステリー読む

説教と引き替えに配るパンならば生きる為には説教を聞く

水葬に物語などあるならばわれの最後は水葬で良し

辞書持たぬ歌作りゆゑあやふやな語句は有隣堂で調べる

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