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文学哲学読書会コミュの「贈与と交換の教育学」矢野智司

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「序章−限界の教育学に向けて」

『オウム教団の事件は…生成変容の恐ろしい「暗い力」が存在していることを示した。この事件の教育学的な重大性はそれだけではない。このような戦後秩序を根本から揺るがす事件に直面しても、教育学者は、その事件の奥にひそむ暗い力の本質をとらえることができず、教団に惹かれた若者たちを、教育(啓蒙)の不徹底の結果としてしか捉えることができなかった。むしろこの事件は、教育の不徹底さをではなく、戦後教育自体の限界を露呈し、さらに戦後教育学のルート・メタファーともいうべき「成長」や「発達」という用語の思想的限界性を示した』

従来の教育論で語られている発達とは『観察が可能であり、測定が可能であり、また評価が可能な事象群のある特定の方向に向けての変化である』と規定されている。

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『しかし、生の変容は、そのように経験として自分の中に取り込んでいけるようなものばかりではない。夢中になって遊んでいるとき、優れた芸術作品に接したとき、あるいは自然の持つ美しさや崇高さに打たれたときなどに、いつのまにか自己と自己を取りかこむ世界との間の境界が消えてしまうことがある。そのため、このような体験においては、脱自の瞬間あるいは恍惚の瞬間を生み出す。そして、この自己と世界との境界の溶解がおきるとき、世界はこれまでにない奥行きを表すことになる。』
この現象を著者は「生成変容」と呼ぶ。

『私たちは、深く体験することによって、自分を超えた生命と出会い、有用性の秩序を作る人間関係とは別なところで、自己自身を価値あるものと感じることができるようになる。未来のためではなく、この現在に生きていることがどのようなことであるかを深く感じるようになる。』
『このことの一番理解しやすい例は遊びであろう。遊びこそ、有用な活動に当てるべきエネルギーと時間を、非生産的な事柄に惜しげもなく蕩尽することによって溶解の体験を生み出し、世界の連続性を取り戻す体験である。』
『最も強度な脱自と恍惚の瞬間をもたらす体験とは死であろう。いうまでもなく、死は誰も経験することはできない。できるのは他社の死にすぎない。しかし、たとえそれが他者の死であっても、死んでいく存在と同一化するとき、私たちはその不可能性=外部に触れることになる。模擬的なものにかかわらず、その他者の死を通じて、私たちは非−知の体験をする。』

『共同体の道徳は、他者に善行をなせ、そうすればあなたも他者から善行をなしてもらえることができる、という仲間との交換の教えからなっている。しかし、この教えは復讐の教えと裏腹である。他者からなされた苦しみは、同じだけ他者に返されなければならない。前項にしても悪行にしても、この道徳は共約可能な原理を背後にもつ交換の思想によって作られているのだ。この交換に基づく共同体の道徳を乗り越える教えは、いかなる見返りも求めることのない純粋贈与である。』
『教育の起源を、共同体の内部に見ている限り、教育はどこまでも社会化という共同体の機能の一部でしかない。』『しかし、ひとたび共同体外部という限界・極限に着面するなら、教育の起源は再び謎として立ち現れることになる。lもちろんこの教育の起源とは、一回的な歴史的起源のことをいっているのではない。システムの成立を外部から「贈与の一撃」として捉える反服される原理的起源のことをいっているのである。このような共約不可能な異質性を持った体験をもたらす「最初の先生」を、考えることができるのではないだろうか。』
第1章

『戦後教育は人間を水平化し、戦後教育学は生の変容についての理論を平板なものにしてしまった。また、戦後教育は結果として「個人」の形成に失敗し、集団主義にどうかする大衆を産出してきた。共同体内部での人間関係こそが、すべての意味と価値の発生の場であると教えることによって、子供たちに帰属集団から離れることに恐れをもたらし、いじめをはじめさまざまな教育の「病理」を生み出すことになった』
『現在の日本の学校空間は、歴史上もっとも世俗的な空間であると言っても過言でもない。』
第2章

『通常、贈与は人間関係のバランスを揺るがし、贈与者への返礼の義務を生じさせる。しかし、贈与されたものが愛であるとき、贈与を受けたものを負債で苦しめはしない。』 p66
終章

『「最初の先生」から贈与の受け取り方を基に二つの弟子のモデルを考えることができる。』
『ひとつは、先生の死の贈与という過剰なそして最高の強度を持った贈与に圧倒されてしまい、返済不可能な先生への負い目から先生の教えの継承者となり、先生の言行の語り部となる弟子たちというモデルである。』
『それにたいして、別の弟子のモデルが存在する。その弟子は、漱石の弟子のように、先生からの贈与の出来事を性急に「贈与の物語」に回収し神話化してしまうのではなく、語り尽くすことのできない謎、あるいは答えることのできない問い、として受け取り、その贈与の出来事を自己の命の糧とし、その贈与によって開かれた回路を生きる。このような弟子たちは、「贈与=犠牲」のリレー者になるのではなく、彼ら自身が純粋贈与者へと転回し、純粋な贈与のリレーの参加者となる。』

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