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new†イエス・キリスト†コミュの「イエス・キリストは実在したのか?」 レザー アスラン 著

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コミュ内全体

先ず邦題が誤解させる。
この邦題では、キリストが実在したか、しなかったかを
内容してるように思えるが、
実際の所、著者は実在した事を前提にこの本を書いているし、
原題もその方向になっている。
この邦題では、まず殆どのクリスチャンは手を出すまい。
むしろ、キリスト教を否定したい人々に
需要がありそうなタイトルになっている。

これでは、日本ではあまり売れてないのじゃないか?
と思わざる終えない。
もっとも、クリスチャン向けのタイトルにしたところで、
日本の人口のわずか1%しかいないクリスチャンに売れても
高が知れてるわけだし、この本の内容が
クリスチャンの期待するイエス像ではない事もあって、売れないだろうなとw

つまり、誰得の本なの? という感じ。

まあ、強いていうなら、中東やローマあたりの
歴史好きには向いているかもしれない。
お勧めするのは、塩野七生著の「ローマ人の物語」を読んでから、
この本を読むと、色々気付きがあっていいかもしれない。

歴史を書く時、一番難しいのは、資料の質だろうなとは思う。
どうやったって、資料は「点」であって「線」ではないので、
「点」と「点」を結ぶためには、著者の想像力が試される。
その為の「点」がいい加減だったり、
僅かばかりしか情報を与えないものだったら、
著者の想像力はSFにならざる終えない。

そして、イエス・キリスト当人の歴史的資料といえる「点」は
ほぼ聖書にしかない。
真相の解明などと銘打つことはほぼ不可能で、
だから、あの時代の他の資料に頼って、
あの時代はああだったから、きっとこれに違いない。
という断定をせざる終えない。
つまり、殆ど想像でしかないという流れになる。

だから著者も本のほぼ最初の方で、
これは相前後する時代の流れを基にした
自分の想像であるという旨のことを書いている。
こう書かれてしまっては、もはや突っ込む余地は無い(^^;
だって、フィクションなんだもんw

それでもあえて突っ込める箇所は幾つかある。
聖書の読み方というか、抜き取り方の偏りが散見されるからだ。
この抜き取り方の偏りは、結局、聖書のみに限らず、
おそらく多くの参考にした文献や人の意見に対しても、
同じ対応が有ったと思わざる終えない。

ただ、僕自身は日本の聖書以外で、
他の参考文献について預かり知らないので、
聖書の部分での彼の偏りを指摘してみたいと思う。
これは信仰によるとかそういう次元の話ではなく、
単純に偏りについて、書かせてもらう。

著者は、キリストをユダヤの限られた人民にのみ使わされた
ということを強調したいが為に、サマリア人が当時差別される対象で、
キリストもそれに倣った言動をしているとしている。
確かにそう読みとることは出来なくもないが、
ひっかかる部分がないわけじゃない。

例えば、強盗に襲われた人の例え話の箇所である。
著者はこの個所を祭司職にあるものを揶揄するために語られたと
捉えている。
でも、この話は続きがある。被害者を助けた人は、
忌み嫌われたサマリア人だったことは、著者も書いてあるが、
問題はその後だ。
著者はあえてその例えの最後の言葉を割愛したのか、
忘れていたのか?
聖書には、「この場合、誰が被害者の隣人になったのか?」
と聴衆に問うている。聴取は「サマリア人」が隣人になったと答えている。
たぶん、ここがこの話のポイントなのに、
著者はサマリア人が差別されている存在であることと、
キリストがユダヤ人のみを救うために来たということを強調したいがために、
すっ飛ばしている。
キリストの言う「隣人」とはユダヤ人限定だよ。と思わせたいからだろう。

さらにもうひとつ別のところでは、
サマリア人女性が自分の子供の病気を癒してほしいと懇願してきた時に、
キリストは冷たく「子供のパンを犬に投げ与えるのはよくない」
と突き放す箇所を引用しているが、これも話の途中でぶった切り、
ほら差別してるでしょ。という内容にしてしまっている。
が、本当はこの話も後半が重要で、
サマリア人女性が「犬でも、子供の落とすパン屑は拾って食べます」
と答えたのに対し、
キリストは、「あなたの信仰があなたの子を救った」と言っており、
病気だった子供は癒されたとされている。
つまり、本来はユダヤ人以外にも救いの道が有る事を示しているのに、
著者にはそれが邪魔だったのか、忘れたのか、
一方的な書き方でこの問題をミスリードしている。

読みの偏りというところでは、ルカが書いたとされる、
「使徒の働き」の部分でも炸裂している。

ステファノという人物への言及でだが、彼はステファノを一方的に、
イエスと共にはいなかった人物だと決めつけている。
聖書にステファノが登場するのは確かに、
使徒の働きの中だけなので、そう思いたいのだろうが、
言及がないからいなかったというのは乱暴な解釈だと思われる。
そもそもキリストは12弟子の他にも大勢の弟子がいたが、
そのほとんどは名前が紹介されることはなかった。
その中にステファノがいた可能性はゼロではないはずだ。

ステファノがよそから来たという設定で行くと、
キリストを信仰するに至る過程はかなり乱暴にならざる終えず、
事実、本の中でステファノは、キリストの弟子たちだった者のたちの
噂話だけで、キリストを大胆に証する人物に改宗してしまっている。
本ではステファノは学が有った者という設定にもなっているので、
なおさら、噂ごときで信仰に至るとは考えにくい。

もうひとつは、後にパウロと名乗る事になるサウロの話である。
彼は最初、キリストを言い広める者たちを駆逐する運動に専念する男として
登場する。
ところがそのサウロが、突如イエスに出会い、キリストを信仰するに至る。
という奇跡譚が聖書には有るのだが、
ルカが書いたその話を、著者はなんの説明も付けずに
いきなり「嘘である」と言いのけ、その後も彼が
何故改宗に至ったのかの説明はまるでないまま、筆を置いている。

著者はこんな感じで、聖書のある個所は受け入れ、
別の個所は否定するという型で本を書きあげている。
事実とは思えない箇所があるのだから、現実と照らし合わせて、
取捨選択することは間違っているとは思わないが、
自分の欲しい結論のために、解釈を左右するのはいかがなものか?

元々のキリストの弟子とパウロが不仲であったという箇所は、
律法の尊重か柔軟性を持つべきかで、
受け入れるに足る部分もあるが、
イエスが律法を完成させるために来たと言ったことから、
律法絶対主義だったと見るのは、早計で、
聖書には、弟子たちが聖別された日に麦の穂を
摘んで食べた事をたしなめた律法学者たちに、
キリストがダビデの例をだして反論している下りをみれば、
キリストが律法に柔軟性を持たせている事は一目なのに、
それを無視している。
他にも、「目には目、歯には歯」という刑罰を意味した律法を、
「右の頬を打たれたら、左の頬も打たせなさい」
と、新しい解釈を盛り込んでいるのに、
それも無視している。

パウロがローマに行くきっかけとなった事情も、
誤解が有るように思われる。
パウロの口を封じようとしていたのは、
聖書を見れば、12弟子の生き残りではなく、
イエスを死に至らしめた祭司たちの側の人間である事が
書いてある。
パウロが12弟子を否定し、12弟子がパウロを
否定しているような書きっぷりなのだが、
微妙な読みとり方の違いで誤解しているように見える。
まるで、あの当時、すでにユダヤ教信者は
殆どキリスト教に改宗していたかのような書きっぷりだが、
実際にはまだまだ小さな団体で、ユダヤ教側からの迫害や、
誘導があった事は無かったとはいえないだろう。

パウロが、無割礼の異邦人に布教している事を窘められた時、
パウロの証によって、パウロを責めていた人たちが、
それも神の思し召しなのだろうと受け入れている箇所が聖書には有る。

いちいちこんな感じなので、
一事が万事、著者の言いたい事を成程と受け入れるのは、
かなり難しい。

もう一点、彼が見落としているのは、
ローマのユダヤに対する扱いについて。

ローマはギリシャ神話から切り離れるために
独自にローマ神話を形成したわけだけど、
いずれにしても、多神教であり、それが当たり前で過ごしてきた。
ローマ人にとって、ユダヤの神はたくさんいる神に、
新しい神が加わったくらいの認識しかなく、
だから、信教を許した。特別扱いなわけではない。
ただ、ユダヤ人が言う一神教感を理解はできないでいた。
その齟齬が悲劇を生むわけだが、
著者は一方的にローマを残虐者扱いにしている。
現代からの目線であの当時の戦争の仕方を見たのでは、
不公平というものだろう。

さらにもう一点。ここからは信仰の話にも通じるのだが、
著者は自分で、当時、「自分がメシアだ」と名乗る人物は
いくらでもいたと書いている。
事実なのだろう。
だけど、ではそのたくさんいた自称メシアの中で、
なぜイエス・キリストだけが、世界宗教になりえたのかを、
検証してみるべきではなかったか?

他の自称メシア達は当人の死を持って霧散している。
イエス・キリストにだって同じ事が起こっていても不思議は無いはずである。
12弟子が次々に処刑され、
パウロでさへも、ローマでの宣教に成功したとは言い難い状況で、
なぜキリスト教が生き残ったか?

それこそ、神の導きだったからではないのか?

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