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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【広原盛明のつれづれ日記 2018-11-24】 731部隊検証の新たな展開(4)、偽満皇宮博物院での議論経過、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その134)

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長春訪問の前に、丸田氏(清水建設ОB)の助言を受けたことは極めて有益だった。氏は元同僚2人とともにわざわざ博多駅まで私を出迎えていただき、その後長時間にわたって現地での活動の話をしていただいた。聞けば、氏は戦中の新京生まれとのこと、ハルビン生まれの私と似た経歴の持ち主の方だけに、特別の時間を割いていただいたのかもしれない。

氏の長春での活動は、大別して満州清水組(清水建設満州支店)の建築活動の足跡をたどり建築作品の詳細な解説図録をつくること、及び宮廷建築の絹煕楼や同徳殿の修復工事を指導したことに分かれる。前者の成果は、大著の上梓によってすでに世に知られているが、後者の功績は中国側の報告書や現地の展示物を見なければわからない。氏から提供された資料に基づいてその一部を紹介しよう。


氏が満州清水組の建築調査を始めたのは2011年のことで、その後2014年、2015年の3回にわたって現地調査を実施している。皇宮博物院との出会いは、氏が3回目の訪問時に学芸員(研究員)との面会を求めたことを切っ掛けにして生まれ、王院長、趙副院長との会見が実現したことで宮廷建築に関する資料交換など様々な交流が始まったという。当時、すでに宮廷建築の本格的な修復計画が進んでいたこともあり、話は自ずと修復工事に関する技術的助言に及ぶことになって、そこから氏の現場指導が始まったのである。

2018年3月刊行の『溥儀及其時代、満州建築特集』(PUYI THE LAST EMPEROR & TIMES,偽満皇宮博物院・長春溥儀研究会編集)によると、戦前の日本建築学会新京支部編集の「満州建築概説(歴史編)」(翻訳)、丸田氏の寄稿文「清水組が関与した満州建築」(翻訳)などが掲載されているほか、周波工事主任による宮廷建築の詳細な修復工事報告「偽満皇宮博物院絹煕楼、同徳殿保護修繕工事綜述」が掲載されている。丸田氏は、皇宮博物院の建築顧問として2016年3月からから2017年8月の間7度にわたって現場指導を行い、その豊富な経験に裏打ちされた高度な技術指導は、報告書の中でも高く評価されている。また、修復工事が完了した同徳殿の2階には大型パネル展示で修復工事の過程が詳しく解説されており、その中には氏の現場指導の写真が大きく掲げられている。

私たちの招聘は、そのような氏の貢献に基づく日本人技術者や研究者への信頼の上に実現したものと思われるが、こと100部隊遺跡調査に関しては氏から事前に有力な手掛かりを得ることができなかった。これは当然のことであり、関東軍関係の建設工事は当時一切秘匿され、設計図面や工事図面は全て関東軍の手によって厳重に管理されていたからである。私の731部隊論文においてもこの点については、『清水組社報』(昭和18年10月号)を引用して少しばかり言及しているが、当該社報には「社員諸君に告ぐ!経済攪乱及び防諜問題に関して」との見出しが付され、末尾には「附記 軍並ニ軍需工場ニ関スル引請工事は掲載セズ」とあるから、関東軍発注の工事に関しては担当者以外知らず、記録も無い状況が普通だったと思われる。

 こうして10月22日の長春到着以来、4日間にわたって視察と議論が繰り返されるハードな日程が始まった。ハイライトは2日目の100部隊遺跡調査、そして3日目の関連資料の解釈の仕方や陳列方法に関する研究員との議論だった。「中国網日本語版」(チャイナネット)の記事にもあるように、皇宮博物院ではこの冬に「中国侵略旧日本軍の細菌戦第100部隊の秘密に迫る」と題する展示をオープンする予定であり、そのための準備作業が急ピッチで進められていたからである。

 すでに展示シナリオも作成され、会場には皇宮博物院が日本で収集してきた関係資料が所狭しと並べられており、準備作業が終盤に差し掛かっていることが伺われた。察するところ西山氏と私が呼ばれたのは、展示の中核となる100部隊組織図と施設配置図の作成が難航していたからではないかと思われる。なぜなら、来場者の理解を得るには、細部の資料よりもまず100部隊全体の概要を示す必要があり、そのためには何よりも部隊組織図と施設配置図(できれば配置模型図)の展示が求められていたからである。

 したがって西山氏に対しては、8月末に公開されたばかりの100部隊留守名簿の分析方法や応用の仕方についての質問が殺到し、私に対しては資料が皆無に近い100部隊の施設配置図をどのように展示するかが議論の焦点になった。西山氏に向けられた留守名簿に関する議論は次の機会に譲るとして、私に関する質問は突然1枚の配置図を示されることから始まった。出典もわからず示された資料についてコメントすることに戸惑ったが、後でこの配置図は100部隊隊員・三友一男著の『細菌戦の罪―イワノボ将官収容所虜囚記』(泰流社、1987年)の中の挿絵であることが分かった。三友一男は1941年から1944年まで第100部隊に所属し、人体実験に関わっていたことからハバロフスク軍事裁判の被告の1人となり、15年の有罪判決を受けた人物である。

 残念ながら私は当該資料を読んでおらず、その場では常識的な回答しかできなかった。帰国してから京都では大学図書館にも公立図書館にもなく、国会図書館関西分館に収蔵されていることがわかったので、その時点で資料の性格や内容も漸く分かったというわけである。(つづく)



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