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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【孫崎享のつぶやき】『アーネスト・サトウと倒幕の時代』(11月末発売予定)内容紹介

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【孫崎享のつぶやき】
『アーネスト・サトウと倒幕の時代』(11月末発売予定)内容紹介。明治天皇の前、サトウは「孝明天皇消息に通じている日本人の確言によると、毒殺された」。孝明天皇の主治医の子孫である医師伊良子光孝氏は、孝明天皇の死は「急性毒物中毒の症状」と発表。
2018-11-03 07:52


『アーネスト・サトウと倒幕の時代』内容紹介

孝明天皇崩御、アーネスト・サトウは『一外交官の見た明治維新』で「一日本人が私 (アーネスト・サトウ)に確言したところによると、(孝明天皇は)毒殺されたのだという」と記述。
孝明天皇が崩御したのが慶応二年一二月二五日(一八六七年一月三十日)。満満三五歳。
幕末史の中では極めて重要な時期に亡くなっています。
慶応二年一月には、坂本龍馬の斡旋で薩長連合の基礎が出来ました。慶応三年十月十四日には将軍慶喜が大政奉還をして、十二月九日には天皇が王政復古を宣し、本来なら孝明天皇の時代が始まるのです。
アーネスト・サトウは 『『一外交官の見た明治維新』の中で疑問を提示しています。

**********************************

「・私は、プリンセス・ロイヤル号の甲板で日本の貿易商数名に会った。
・彼等は、天皇(幸明天皇)の崩御を知らせてくれ、それは,たった今公表されたばかりだと言った。噂によれば、天皇は天然痘にかかって死んだということだが、数年後、その間の消息によく通じている一日本人が私 (アーネスト・サトウ)に確言したところによると、毒殺されたのだという。
この天皇は、外国人に対していかなる譲歩をなすことにも、断固として反対してきた。
そのためにきたるべき幕府の崩壊によって、否が応でも朝廷が西洋諸国との関係に当面しなければならなくなるのを予見した一部の人々に殺されたというのだ。

***********************************

佐々木克氏(京都大学教授等)は『戊辰戦争』で、次のように記述しています。
「前の天皇である孝明天皇は慶応二年一二月死亡した。
 天皇の死亡については、表面上疱瘡で病死ということになっているが、長いあいだ維新史上の謎とされてきた。
しかし近年、当時孝明天皇の主治医であった伊良子光順の残した日記が一部公にされ、光順の子孫である医師伊良子光孝氏によって、孝明天皇の死は、光順日記で見る限り明らかに「急性毒物中毒の症状である」と断定された。やはり毒殺であった。
犯人について伊良子氏はなにも言及していない。
しかし、当時の政治情況を考えれば、自然と犯人の姿は浮かびあがってくる。
洛北に幽居中ながら、王政復古の実現を熱望して策謀をめぐらしている岩倉にとって、もっとも邪魔に思える眼の前にふさがっている厚い壁は、京都守護職会津藩主松平容保を深く信頼し、佐幕的朝廷体制をあくまで維持しようとする、親幕派の頂点孝明天皇その人であったはずである。
 岩倉自身は洛北の岩倉村に住んでおり、行動が不自由で朝廷に近づけなかった。
 しかし、岩倉と固くラインを組み、民間にあって自由に行動し策動しえた大久保利通がいる。大久保は大原重徳や中御門政之ら公家のあいだにもくい込み、朝廷につながるルートを持っていた。孝明天皇の周辺には、第二、第三の岩倉や大久保の影がうごめいていたのである。直接手をくださずとも、孝明天皇暗殺の黒幕が誰であったか、もはや明らかであろう。」
 石井孝氏(大阪大学教授)も、「毒殺説」をとり、『幕末 悲運の人びと』の中で記述しています。「伊良子氏が、医師としての立場から曽祖父(典医の一人伊良子光順)の記録によって検討した結果、天皇の痘瘡ではなく、砒素系毒物による急性中毒であるという結論がだされた。伊良子氏はこの毒物を「岩見銀山」と推定している。「岩見銀山」とは亜硫酸のことで、当時は殺鼠剤として広く市販されており、毒殺や自殺によく用いられた」
佐々木克氏も石井孝氏も各々、著名大学の教授をされ、幕末史を専門にされているので、暗殺で決着したと思いました。
それでふと佐々木克氏の『戊辰戦争』の三五版(二〇一七年)の「あとがき」を見ていましたら、「あとがき」の最後に次の記載がありました。
「本書の8−9頁で、私は孝明天皇が薬物で暗殺された、と述べている。しかし最近原口清氏は、暗殺説を否定し、天皇の死因は「紫班性痘瘡と出血性膿疱性痘瘡の両者を含めた出血性痘瘡で死亡した」と明確に主張された。原口氏の説は説得力があり、私も同意したい。本文の私のかっての記述は、誤りであることをここでお断りし、あわせて読者の方がたに、おわび申しあげたい。」
 全く「あれれ」です。

コメント(4)

>>[1]

これは・・正直私にはわかりません。
歴史には庶民にはたどりつけぬ暗部がかなりあるものと考えます。
>>[2]

たしかに・・・本能寺の変すら、明智光秀の末裔の人が、「本能寺の変は変だ」という本をだして、史実を覆す証明をしているくらいですから・・・
歴史書も、後世の歴史家がまちがったり、故意に改竄したり、がありますからね。
>>[3]

そうですね。
安藤昌益は、明治に狩野亨吉が発掘するまで、「埋もれた大思想家」でした。
文字に残るのは、支配者側の勝利のあかしのような側面もあるのでは。

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