ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ホーム > コミュニティ > 学問、研究 > 護憲リベラリスト、かく語りき > トピック一覧 > 冷戦中と冷戦後の米国戦略の本質...

護憲リベラリスト、かく語りきコミュの冷戦中と冷戦後の米国戦略の本質的な違い

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コミュ内全体

【孫崎享のつぶやき】

【米国の北朝鮮政策を考察する。出発点はソ連崩壊。この時、米国の選択。〃拡を縮小、維持。△両豺臈┐話か。イラン・イラク・北朝鮮。これら三国の脅威の存在が不可欠。従ってこれらの脅威を除去でなく、緊張が米軍維持強化に必要】

2017-07-14 07:085




 米軍の戦略は冷戦以降大きく変わった。そしてそれが、基本的に今日まで継続している。

私の『日米同盟の正体』からの引用

*******************************

第三章 冷戦終結後ー米国の新戦略と変わる日米関係

・「一九八八年春、ゴルバチョフは自分に『将来私は冷戦を終わらせるつもりだ。あなたは新しい敵を探さなければならない』と述べた。」(パウエル、「米国の軍事力―今後の課題」)。

「われわれは米国に対して『秘密兵器』を持っている。われわれはもう米国を敵と位置づけるのを一方的に止める。もしソ連という敵が存在しなくなったら、米国の軍事支出や対外政策は一体どうなるのであろう」(アルバートフ米加研究所所長、一九八七年一二月八日ニューヨークタイムズ紙、筆者訳)

ソ連の脅威が消滅するショック

・イラク戦争は九・一一同時多発テロ事件の影響をうけてブッシュ大統領が実施しただけに、ブッシュ政権特有の政策との印象が強い。しかし、もっと根が深い。米国戦略上イラクを主敵として位置づけたのは、ソ連の脅威消滅後の一九九一年である。冷戦終結後の米国戦略が今日まで継続されてきた。今日、および将来の安全保障がどう展開されるかを見る鍵が実は一九九一年から九三年にある。繰り返すが今日はその延長線上にある。

・ソ連崩壊後、米国には二つの選択があった。一つは米国への脅威が軽減したとして重点を経済に移すこと、もう一つは世界で最強になった軍を維持することである。そのいずれの道の選択も可能であった。当時米国は日独の経済的追い上げをうけていた。国民レベルでは米国への脅威が軽減したとして重点を経済に移すことの方が自然であった。

しかし米国は国防省などが中心となり、最強になった軍を維持することを選択した。その際には国民に対してなぜ最強の軍を維持する必要があるかを説明しなければならない。これまでの脅威、ロシアの脅威が消滅した。これに変わる脅威が必要である。この中でイラン・イラク・北朝鮮を脅威と認識し、これへの積極的軍事関与を決定した。逆に言えば、イラン・イラク・北朝鮮の脅威を充分に説明できなければ国防政策を根本的に変え、最強になった軍の維持が出来ない状況にあった。もし将来米国が中東への軍事介入を止めるとすれば、それは冷戦以降の米国戦略の大きな流れの全面的改革を意味する。中東に代わる新たな脅威の説明がつかなければ、軍備費は削減される。軍関係は当然抵抗する。

・ソ連はゴルバチョフ政権の後期、米国側に軍事上米国の敵となることを止めることを伝え、かつ、戦略核兵器の一部を一方的に廃棄するなど、発言を実行に移した。本章冒頭のパウエル、アルバートフの言葉がこの時期の雰囲気を伝えている。

 第二次大戦以降から冷戦終了まで、米国の戦略、兵器体系などはすべてソ連を敵として構築されている。そのソ連が敵でなくなるとどうなるか。当然いままでの米国軍事戦略が崩壊する。武器も不要となる。これが、アルバートフが「われわれは米国に秘密兵器を持っている」と発言した意味合いである。

  しかし、ソ連をどう見るかをめぐる戦いは政権内の戦いで終わらない。議会・世論との戦いが待っている。

・ 国防予算の獲得には議会の承認が必要である。議会は、予算の根拠となる国防上の環境の説明を求める。当然、ソ連の脅威をどう認識するかが争点になる。一九八九年一二月一三日付のニューヨーク・タイムズ紙は、「マクナマラ元国防長官は上院予算委員会でソ連の脅威が減じたいま、三〇〇〇億ドルの国防予算は半分に減らせる、この資金は経済の再構築に回せると証言した」

・では一九八〇年代末、米国国民はどの国を脅威と見たか

 一九九一年シカゴ外交評議会が実施した米国世論の対外脅威認識は表の通りである。


「米国への死活的脅威」
             大衆       指導者層
日本の経済力       60%       63%
中国の大国化       40        16
ソ連の軍事力       33        20
欧州の経済力       30        42


 一九九〇年代はじめには米国の安全保障をソ連の脅威で構築することは不可能となる。かつ、日本やドイツの脅威を安全保障上の脅威にできない。これは国防省の望む選択ではない。

 ここで米国は安全保障政策上大きく分けて二つの選択肢を持つ。

 一つは、マクナマラが指摘したように、ソ連の脅威は減少した、よって、米国の安全保障に対する脅威も減少したとして、国防費を削減する。そこで浮いた資金を国内の経済部門に回す。いわゆる平和の配当論を採用するという選択である。もう一つは新たな脅威認識をするという選択である。

 その後も米国防省は新たな戦略を模索する。一九九二年三月八日付ニューヨーク・タイムズ紙が「米国戦略計画はいかなるライバルも出現しないことを求める」の見出しの下で報じた記事がこの当時の事情に最も詳しい。(北朝鮮関連)

・ イラク、北朝鮮等での核兵器、他の大量破壊兵器の拡散を防ぐため、軍事使用の計画を考える。これを許すと日独の核保有国化を誘導し、結果として米国との世界規模での競争を招く

 一九九二年の大統領選挙でクリントンが勝利し、レス・アスピン国防長官の下で軍事戦略「ボトムアップレヴュー」が作成される。これが冷戦後発表された最初の体系的な米国戦略となった。

 ボトムアップレヴユーは、その後米国戦略の中で中心的役割を果たしていく。筆者が取りまとめた主要点は次の通りである。

・ 重点を東西関係から南北関係に移行する

・ イラン・イラク・北朝鮮等の不安定な国が大量破壊兵器を所有することは国際政 治上の脅威になる。したがってこれらの諸国が大量破壊兵器を所有するのを防ぎ、 さらにこれらの国々が民主化するため、必要に応じて軍事的に介入する

・ 軍事の優先的使用を志向する

・ 同盟体制を変容させる(筆者注:この同盟体制をいかに変容させるかについては ボトムアップレヴユーで詳しく述べられていない。その後の動きを見ると、米国だけの軍事使用で米国が経済競争力を後退させるのは避ける、同盟諸国の積極参加を求めることを内容としていると見られる)

・ 軍事行動の目的は米国が設定する

 イラン・イラク・北朝鮮がいかに悪の枢軸であれ、米国を破壊する力はない。緊張を高めても米国本土への危険はさほど高くない。むしろ、ある程度の緊張を高めておくことが、米国の国防体制の維持に必要である。かつ、イランの宗教政治、イラク・北朝鮮の独裁体制は好ましい体制ではない。ここから、力ずくで体制転換を迫ろうという考えが出てくる。ここが冷戦中と冷戦後の米国戦略の本質的な違いである。

コメント(2)

孫崎さんの解説、よくわかります。その通りだと、理解してます。
>>[1]

「イイネ」に厚く感謝申し上げます。

私ははじめ知りませんでした。色平哲郎氏と知り合うなかで孫崎さんを読むようになりました。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

護憲リベラリスト、かく語りき 更新情報

護憲リベラリスト、かく語りきのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング

mixiチケット決済