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西岡の図書館(朝鮮半島関係)コミュの崔 基鎬『日韓併合/韓民族を救った「日帝36年」の真実』

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 日韓併合とともに朝鮮の人口は、驚異的に増加した。たとえば、韓国の教師用国定歴史(国史)教科書によると、1777年、総人口は1804万人であったが、100年後の1877年には、1689万人6.7%減少した。
 さらに日韓併合の1910年には、1313万人となった。それが、32年後の1942年の人口は2553万人で、併合時の倍近くになった。
 このことは、李朝518年の統治がいかにひどいものであったかを如実に証明している。
 日韓併合によって韓民族が享受した社会の改善点を挙げると、おもなところでもなところで以下のようになる。


1、両班・常民・賎民などの階級制で、少数の支配者が住民の大部分を服従させる悪弊が払拭された。
2、法治制度のもとに公平な裁判が行なわれるようになり、賄賂(わいろ)の慣習が一掃された。
3、私有財産制度の確立・処分・移動・職業選択と居住の自由と経済秩序の確立。
4、鉄道・道路・橋梁などの交通機関の整備により、経済が活性化し、李朝での飢餓問題も解決された。
5、教育が普及し、医療制度も近代化して予防制度が確立した。


 文教部発行の国定歴史(国史)教科書の日本に対する記述には、
「彼らの国家利益を増やすために、朝鮮を開発し、日帝の侵略政策で、民族の経済活動は大幅に委縮し、民族産業も、その発展が抑えられ、沈滞せざるを得なくなった」と、まったくでたらめな記述をしている。
 このような教え方では、卑屈な考え方を青少年に植え付けるにすぎない。われわれは併合以前の歴史を顧み、日本によって他力本願でありながら、近代的産業開発を学び、教育によって経済活動にも専心することができたのである。
 一方的に享受する側であるから、初めのうちは屈辱感があっても当然だが、日本の援助を受け入れ、誠意を尽くして実力を養えば、日本と同等、または日本以上にも発展することも可能であった。
 今日の韓国と台湾は、日本によって育成された史実を認めるべきである。
 台湾の李登輝総統は、明治から太平洋戦争の敗戦まで、日本が周辺の諸国を侵略して収奪したという歴史観がある中で、日本時代にこそ、今日の台湾の経済発展の基礎が培(つちか)われたと言い切っている。その姿勢から、韓国・朝鮮の指導者たちは率直に学ぶべきであると思う。

(崔 基鎬『日韓併合/韓民族を救った「日帝36年」の真実』
 (祥伝社 2004年)30〜33ページより)
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E9%9F%93%E4%BD%B5%E5%90%88%E2%80%95%E9%9F%93%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%82%92%E6%95%91%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%8C%E6%97%A5%E5%B8%9D36%E5%B9%B4%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%B4%94-%E5%9F%BA%E9%8E%AC/dp/4396612273/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1344645898&sr=8-1

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 北朝鮮の現暴力集団は、はなから嘘(うそ)と騙(だま)しで成立した集団である。この暴力集団は、昨今、日本に対して戦時中に朝鮮人青年750万人を強制連行したとして、慰安婦問題とともに、130億ドルの賠償を要求した。

 こんな嘘とでたらめの数字を出すのは、勝手にもほどがある。

 そもそも北朝鮮系の人士、または朝鮮総連では、「徴用」を「強制連行」と言い換えているが、まったくおかしな話である。

 1939年度から施行された「国民徴用令」によって、朝鮮からの徴用も開始され、多くの朝鮮人が日本本土に渡ったが、その内容は次のようなものだった。

 たとえば、忠清南道で実施された徴用の例でいうと、公州・扶余・論山・青陽・ソチョンなどに、北海道札幌の三菱手稲鉱業所から、約1000名の鉱夫募集があった。ところが応募者数は約7000名にのぼったために、次のような採用考査が施

行された。


第一次  1939年9月5日

第二次  1940年3月5日

場所   扶余巴事務所、及び各郡所在地の面(村)事務所

試験官  第一回 佐藤典正(三菱手稲鉱業所責任者)第2回 金丸一郎、金相培ほか補助役3名


 こうして厳選された約1000名は、2組に分けられ、その中の一組は同年9月11日、論山出発、翌12日元山港着、輸送船(5000トン級)で翌日の夕刻函館港に着いた。採用者(徴用者)たちは歓喜に溢(あふ)れ、船内では全員歌舞に耽(ふけ)って、元気旺盛そのものであり、手稲鉱業所への就業後も、休祭日は自由に札幌市内に繰り出し、ショッピングはもとより銭函湾(ぜにばこわん)での船遊びまで楽しんだ。

 多くの青年たちは、札幌の市内観光や大門通りの遊郭回りに憩(いこい)を求め、一部は淋病や梅毒に感染し、中には局部の切開手術を受ける者もあって、監督機関では性病対策に苦慮して衛生サックを配るなどした(休暇中の公傷は全額支給)。

 このような徴用の光景は、1945年まで毎年見られた。


(崔 基鎬『日韓併合/韓民族を救った「日帝36年」の真実』(祥伝社 2004年)38〜40ページより)

http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E9%9F%93%E4%BD%B5%E5%90%88%E2%80%95%E9%9F%93%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%82%92%E6%95%91%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%8C%E6%97%A5%E5%B8%9D36%E5%B9%B4%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%B4%94-%E5%9F%BA%E9%8E%AC/dp/4396612273/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1344645898&sr=8-1

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 北朝鮮の現暴力集団は、はなから嘘(うそ)と騙(だま)しで成立した集団である。この暴力集団は、昨今、日本に対して戦時中に朝鮮人青年七五〇万人を強制連行したとして、慰安婦問題とともに、一三〇億ドルの賠償を要求した。
 こんな嘘とでたらめの数字を出すのは、勝手にもほどがある。
 そもそも北朝鮮系の人士、または朝鮮総連では、「徴用」を「強制連行」と言い換えているが、まったくおかしな話である。
 一九三九年度から施行された「国民徴用令」によって、朝鮮からの徴用も開始され、多くの朝鮮人が日本本土に渡ったが、その内容は次のようなものだった。
 たとえば、忠清南道で実施された徴用の例でいうと、公州・扶余・論山・青陽・ソチョンなどに、北海道札幌の三菱手稲鉱業所から、約一〇〇〇名の鉱夫募集があった。ところが応募者数は約七〇〇〇名にのぼったために、次のような採用考査が施
行された。


第一次  一九三九年九月五日
第二次  一九四〇年三月五日
場所   扶余巴事務所、及び各郡所在地の面(村)事務所
試験官  第一回 佐藤典正(三菱手稲鉱業所責任者)第二回 金丸一郎、金相培ほか補助役三名


 こうして厳選された約一〇〇〇名は、二組に分けられ、その中の一組は同年九月十一日、論山出発、翌十二日元山港着、輸送船(五〇〇〇トン級)で翌日の夕刻函館港に着いた。採用者(徴用者)たちは歓喜に溢(あふ)れ、船内では全員歌舞に耽(ふけ)って、元気旺盛そのものであり、手稲鉱業所への就業後も、休祭日は自由に札幌市内に繰り出し、ショッピングはもとより銭函湾(ぜにばこわん)での船遊びまで楽しんだ。
 多くの青年たちは、札幌の市内観光や大門通りの遊郭回りに憩(いこい)を求め、一部は淋病や梅毒に感染し、中には局部の切開手術を受ける者もあって、監督機関では性病対策に苦慮して衛生サックを配るなどした(休暇中の公傷は全額支給)。
 このような徴用の光景は、一九四五年まで毎年見られた。


(崔 基鎬『日韓併合/韓民族を救った「日帝36年」の真実』(祥伝社 2004年)38〜40ページより)
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E9%9F%93%E4%BD%B5%E5%90%88%E2%80%95%E9%9F%93%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%82%92%E6%95%91%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%8C%E6%97%A5%E5%B8%9D36%E5%B9%B4%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%B4%94-%E5%9F%BA%E9%8E%AC/dp/4396612273/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1344645898&sr=8-1

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 では、徴用された者たちの労働条件は、いかなるものであったか、先ほども紹介した三菱手稲鉱業所の場合を見てみよう。

 徴用期間は一年が基準とされ、当初は一日八時間労働の交替制だったが、戦争拡大化にしたがって労働時間は延長された。
 待遇は、一般の事務職より約三倍程度高額の給与が与えられ、月平均給与額は一二〇円程度。作業はほとんど採鉱器を活用、削岩機、ドリル・トロッコが使われた。
 重複勤務の希望が多く、八時間制の三交替で一般的傾向として月間約一〇日、または一五日が重複勤務の場合、割増金を合計すると、月間一八〇円から二二〇円の支給額となったから、事務職、または本籍地の労働者の、約四倍ないし五倍以上の厚遇であった。また、夜間勤務には、勤務時間割増制もあって平均六時間程度であった。
 一般の独身者には、寮などが提供され、世帯持ちにはとくに独立の平屋建てが一戸ずつ提供されたから、本籍地または現地の未婚女性たちの結婚相手としても人気があったのは当然であった。
 応徴中でも冠婚葬祭には、故郷の南朝鮮、忠清道などと往復するための休暇を与えられた。一カ月間の休暇を与えられ、帰郷した例も見られる。
 この鉱山は、現在は廃鉱になっているが、札幌市手稲区にあった
(当時は軽川駅を利用、今日の手稲駅)。
 当時は山林であったこの村は、現在は手稲スキー場として栄えているが、清涼の雰囲気で銭函湾を遠望でき、素晴らしい景勝地としても知られている。
 終戦後五〇数年が経過した時点から、徴用・挺身隊・徴兵など、否定的な面ばかりが強調されているが、真相はこのようなもので、このような論説は、すべて強制連行と表現することで、日本から賠償金を取ろうとする策略にすぎない。
 たしかに強制連行か応徴かの解釈は、主観的な問題であることは以前にも言及した。人類社会のある以上、言葉の障害、感情の行き違いなどで不祥事があったり、戦時中の虐待もありえたものと想像される。ただし、李朝時代の暗闇を隠蔽(いんぺい)して併合期間中と戦時を語ることは意味がない。


(崔 基鎬『日韓併合/韓民族を救った「日帝36年」の真実』(祥伝社 2004年)42〜45ページより)
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E9%9F%93%E4%BD%B5%E5%90%88%E2%80%95%E9%9F%93%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%82%92%E6%95%91%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%8C%E6%97%A5%E5%B8%9D36%E5%B9%B4%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%B4%94-%E5%9F%BA%E9%8E%AC/dp/4396612273/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1344645898&sr=8-1
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 他人の言動の揚げ足をとるばかりで、実行を伴わないのが、韓国・朝鮮の一般的学者像である。ある土曜日の午後、我ら定年退職者たちは、孝昌(ヒョチャン)公園の楼台に腰かけて、戦時中の徴用は、強制連行だったか否かを語り合った。
 そこで私は、一九四〇(昭和十五)年、徴用に志願し、北海道の三菱手稲鉱業所で一年間経験したことを詳細に語り、実態は強制連行ではなく、自発的行為であったことを証言した。
 ところが聞いていたK教授は疑問を発し、新聞で読んだ話は、私の経験談とは、まったく正反対であるとし、徴用とは強制連行に他ならないと主張するのであった。知人の実体験による証言は無視し、実情を知らぬ人の新聞コメントは信用するというわけである。
 北朝鮮の事情については、北朝鮮から亡命または、脱北した人がもっとも詳しいはずだが、いまの韓国は、脱北者や黄長樺(ファンジャンヨブ)氏のような北朝鮮から亡命した高官の話には耳を傾けずに、左翼系の新聞・テレビや、北朝鮮の直接の宣伝を信用し、呼応する。命からがら生きて帰った漁夫・船長などの証言よりも、北朝鮮の広告・宣伝に耳を傾けるのが韓国の学者群である。


(崔 基鎬『日韓併合/韓民族を救った「日帝36年」の真実』
 (祥伝社 2004年)46〜47ページより)
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E9%9F%93%E4%BD%B5%E5%90%88%E2%80%95%E9%9F%93%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%82%92%E6%95%91%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%8C%E6%97%A5%E5%B8%9D36%E5%B9%B4%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%B4%94-%E5%9F%BA%E9%8E%AC/dp/4396612273/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1344645898&sr=8-1

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 歴史的に詳細に観察すれば、韓国・朝鮮には、愛国心という概念は存在しない。

(崔 基鎬『日韓併合/韓民族を救った「日帝36年」の真実』
 (祥伝社 2004年)181ページより)
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E9%9F%93%E4%BD%B5%E5%90%88%E2%80%95%E9%9F%93%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%82%92%E6%95%91%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%8C%E6%97%A5%E5%B8%9D36%E5%B9%B4%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%B4%94-%E5%9F%BA%E9%8E%AC/dp/4396612273/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1344645898&sr=8-1

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 歴史的に詳細に観察すれば、韓国・朝鮮には、愛国心という概念は存在しない。
 あるのは、破壊と抵抗心に燃えた、後先(あとさき)を見ない暴力行為であり、2000年の歴史は、反逆者たちの支配によって衰亡に導かれた歴史にすぎない。これを美辞麗句でごまかした儒教・朱子学系の歪曲史観が幅を利かせているのが現実である。

(崔 基鎬『日韓併合/韓民族を救った「日帝36年」の真実』
 (祥伝社 2004年)181ページより)
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E9%9F%93%E4%BD%B5%E5%90%88%E2%80%95%E9%9F%93%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%82%92%E6%95%91%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%8C%E6%97%A5%E5%B8%9D36%E5%B9%B4%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%B4%94-%E5%9F%BA%E9%8E%AC/dp/4396612273/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1344645898&sr=8-1

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コメント(6)

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 李朝は1897年、国号を「大韓帝国」にあらため、年号を「光武」とした。王を皇帝と称し、表面的には五百十余年ぶりに明・清の束縛を脱し、独立国家を形成したが、実態は、変わるところがなかった。
 1904年、日清戦争に次いで日露戦争を控えた日本は、こうした朝鮮の惨状をみかねて、目賀田種太郎(めがたたねたろう:1853〜1926)を財政顧問として派遣し、日本からの財政支援をもとに、李朝をまともな国として建て直すという態勢がようやく緒につくことになった。
 目賀田財政顧問と統監府は、朝鮮の歳入不足を補填するために、日本国民の税金から、大韓帝国政府に無利子、無期限の資金「立替え」を実施したほか、直接支出で援助した。
 たとえば1907年度で、朝鮮の国家歳入は748万円しかなく、必要な歳出は3000万円以上であったから、その差額は全額日本が負担した。
 1908年度にはこれがさらに増えて、合計3100万円という巨額の資金を日本は支出した。
 統監府時代の4年間に、日本政府が立て替えた朝鮮の歳入不足分は、1428万円にのぼった。
 そればかりでなく、司法と警察分野などに日本政府が直接支出した金額は、立替金の数倍、9000万円に達している。現在の朝鮮・韓国の歴史では、日本の特恵的支援には一言も言及がなく、侵略だけを強調しているが、これがいかに偏狭な史観であるかを自覚しなければ、将来は開けない。
 1910年8月29日には、明治天皇から臨時恩賜金として3000万円が与えられ、旧韓国が日本政府から借用していた2651万円は、そっくり棒引きにされた。
 前述したとおり、李朝には元々、予算の編成能力などはなく、目賀田顧問の指導、監督の下で初めて予算が編成された。いかに李朝が非社会的な存在であったか、わかろうというものである。飢餓には食料と金が必要であって、名義と暴力では解決しない。

 日韓併合後の補充金と称する日本政府の持ち出し(日本人の税金)は、1911年が1235万円で、それ以前の平均2500万円の半額に減った。これは残りの半分を日本政府発行の公債と、日本からの借入金で補っており、毎年日本から約2000万円前後を調達するという状況は変わっていなかった。
 これは朝鮮自体の税収入の倍額に及んでいる。つまり朝鮮は、財政の過半から三分の二を日本人の税金によって賄った結果、ようやく近代化に向かって出発することができたのである。
 これ以外に、駐留日本軍二個師団の経費は、ずべて日本持ちであった。
 終戦後、独立した韓国・朝鮮の教育は、日韓併合を日本帝国主義の侵略政策の産物であったと糾弾するが、これがいかに歴史の実態を無視した身勝手、自己中心的解釈であるかはいうまでもない。
 日韓併合によって、搾取され、呻吟(しんぎん)したのは、韓国・朝鮮国民ではなく、日本国民であった事実を認めるべきである。

(崔基鎬(チェ・ケイホ)著『日韓併合/韓民族を救った「日帝36年」の真実』 (祥伝社・2004年)19〜23ページより)
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E9%9F%93%E4%BD%B5%E5%90%88%E2%80%95%E9%9F%93%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%82%92%E6%95%91%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%8C%E6%97%A5%E5%B8%9D36%E5%B9%B4%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%B4%94-%E5%9F%BA%E9%8E%AC/dp/4396612273/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1344645898&sr=8-1

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 日韓併合とともに朝鮮の人口は、驚異的に増加した。たとえば、韓国の教師用国定歴史(国史)教科書によると、1777年、総人口は1804万人であったが、100年後の1877年には、1689万人6.7%減少した。
 さらに日韓併合の1910年には、1313万人となった。それが、32年後の1942年の人口は2553万人で、併合時の倍近くになった。
 このことは、李朝518年の統治がいかにひどいものであったかを如実に証明している。
 日韓併合によって韓民族が享受した社会の改善点を挙げると、おもなところで以下のようになる。


1、両班・常民・賎民などの階級制で、少数の支配者が住民の大部分を服従させる悪弊が払拭された。
2、法治制度のもとに公平な裁判が行なわれるようになり、賄賂(わいろ)の慣習が一掃された。
3、私有財産制度の確立・処分・移動・職業選択と居住の自由と経済秩序の確立。
4、鉄道・道路・橋梁などの交通機関の整備により、経済が活性化し、李朝での飢餓問題も解決された。
5、教育が普及し、医療制度も近代化して予防制度が確立した。


 文教部発行の国定歴史(国史)教科書の日本に対する記述には、
「彼らの国家利益を増やすために、朝鮮を開発し、日帝の侵略政策で、民族の経済活動は大幅に委縮し、民族産業も、その発展が抑えられ、沈滞せざるを得なくなった」と、まったくでたらめな記述をしている。
 このような教え方では、卑屈な考え方を青少年に植え付けるにすぎない。われわれは併合以前の歴史を顧み、日本によって他力本願でありながら、近代的産業開発を学び、教育によって経済活動にも専心することができたのである。
 一方的に享受する側であるから、初めのうちは屈辱感があっても当然だが、日本の援助を受け入れ、誠意を尽くして実力を養えば、日本と同等、または日本以上にも発展することも可能であった。
 今日の韓国と台湾は、日本によって育成された史実を認めるべきである。
 台湾の李登輝総統は、明治から太平洋戦争の敗戦まで、日本が周辺の諸国を侵略して収奪したという歴史観がある中で、日本時代にこそ、今日の台湾の経済発展の基礎が培(つちか)われたと言い切っている。その姿勢から、韓国・朝鮮の指導者たちは率直に学ぶべきであると思う。

(崔 基鎬『日韓併合/韓民族を救った「日帝36年」の真実』
 (祥伝社 2004年)30〜33ページより)
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E9%9F%93%E4%BD%B5%E5%90%88%E2%80%95%E9%9F%93%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%82%92%E6%95%91%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%8C%E6%97%A5%E5%B8%9D36%E5%B9%B4%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%B4%94-%E5%9F%BA%E9%8E%AC/dp/4396612273/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1344645898&sr=8-1

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だから韓国も台湾も日本に感謝しなければならないということですね。

戦時中私の父も徴用されました。第三国民といわれた台湾人です。父は好んで行ったのでしょうか。決してそうではありません。徴用だから仕方がなかったのです。後で医者の証明を差し出し、病気ということで戻ってきました。韓国は第二国民、第一国民の日本人と同等だったでしょうか?

韓国も台湾も日本の統治下どうだったのでしょうか?私の記憶では台湾人はご飯を食べることができなかった。サツマイモの入ったお粥をすすっていたのです。夏休みが終わって女学校に戻った私はそれを作文に書いたのを覚えています。それでも日本は台湾人民を幸せにしたといえるでしょうか?
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 歴史的に詳細に観察すれば、韓国・朝鮮には、愛国心という概念は存在しない。

(崔 基鎬『日韓併合/韓民族を救った「日帝36年」の真実』
 (祥伝社 2004年)181ページより)
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E9%9F%93%E4%BD%B5%E5%90%88%E2%80%95%E9%9F%93%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%82%92%E6%95%91%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%8C%E6%97%A5%E5%B8%9D36%E5%B9%B4%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%B4%94-%E5%9F%BA%E9%8E%AC/dp/4396612273/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1344645898&sr=8-1

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 歴史的に詳細に観察すれば、韓国・朝鮮には、愛国心という概念は存在しない。
 あるのは、破壊と抵抗心に燃えた、後先(あとさき)を見ない暴力行為であり、2000年の歴史は、反逆者たちの支配によって衰亡に導かれた歴史にすぎない。これを美辞麗句でごまかした儒教・朱子学系の歪曲史観が幅を利かせているのが現実である。

(崔 基鎬『日韓併合/韓民族を救った「日帝36年」の真実』
 (祥伝社 2004年)181ページより)
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E9%9F%93%E4%BD%B5%E5%90%88%E2%80%95%E9%9F%93%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%82%92%E6%95%91%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%8C%E6%97%A5%E5%B8%9D36%E5%B9%B4%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%B4%94-%E5%9F%BA%E9%8E%AC/dp/4396612273/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1344645898&sr=8-1

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