ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ホーム > コミュニティ > 本、マンガ > repairman Jack > トピック一覧 > the Night World...

repairman Jackコミュのthe Night World 改 part1 5 日曜日

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コミュ内全体

コメント(37)

WNYWーTV
ニュースの時間です。今朝の日の出は遅れて七時四十分でした、
一夜明けて、ニューヨークだけでなく、全世界が荒れ果てた姿を晒しています。
マンハッタン
何と言う夜。
ジャックはジーアのタウンハウスの前に出て、震え上がるような夜明けの光の中であくびをした。
身震いするとジャケットのジッパーを上まであげた。
 もう六月になる。だんだん暖かくなるはずじゃないのか?
イースト・リバーの向こうに赤い太陽が昇り、あっと言う間にクィーンズの上まで来た。
動いているのがわかるくらいだな、ジャックは思った。
自分の周り、サットン・スクエアがこれ程ひどい有様になった事はない。
FDRドライヴまで続く半ブロックほどのタウンハウスは金曜日はひどい目に遭わずにいたが、
昨晩はお釣りがくるほどだった。歩道にはガラスの破片が散らばり、
網戸はリボンのようにズタズタになって窓から垂れ下がっている。
 チューワスプとベリーフライが戻って来た、しかし他の奴ら・・・
もっと大きくて、凄いやつ・・・も同じくらいやって来た。
ラッキーな事に、ジーアのタウンハウスの窓のわきの木製のブラインドは飾り物ではなかった。
きちんとした蝶番がついていて、しっかり窓の上で閉まった。
夜は長く緊張続きで、餓えた捕食者の立てる音であふれていたが、
ブラインドは奴らを安全にやり過ごした。
 他のうちはそれ程ラッキーではなかった。
ジャックが、誰かが助けを求めているかもしれないと、近所のタウンハウスをチェックして
回っていると、何かが角の街灯にぶら下がっている。何だか大きくてぐにゃぐにゃしたものだ。
 数歩進んでから、それが死体とわかって立ち止まった。
女性のようだが、ボロボロの上に乾燥していてなんとも言えない。
 だがどうやってあんな所に上がったんだ?二十フィートも上だ。
穴から出てきた虫は人を運べるほどデカイのか?
 思っていたより早く物事は悪くなってるな。
 ジャックは後ろの隠しにあるグロックとポケットの余分のマガジンを確かめ、
それから自分の車を調べに行った。
ヴィクの黒い塗装は酸でも飛び散ったように点々と泡立っている、
フロントガラスにムカつく腐臭を放つベトベトしたものが付着していたので、
ジャックはトランクから布切れを出してきて拭き取った。
「えええええうううう!何があったの?」
 ジャックは振り向いてタウンハウスの戸口のヴィッキーを見た、
胸当てのついたオーバーオールにフランネルのシャツ、ジャケットを着て、
緑と白のジェッツのキャップをかぶっている。小さなスーツケースを持っている、
田舎の従姉妹が大都市に遊びに来たと言う格好だ。
車がメチャクチャになっているのを見て青い目を丸くしている。
「穴から出て来たやつらの仕業さ」
ジャックは言ってヴィッキーを呼び寄せ、街灯の上の死体に目が行かないようにした。
「だからお母さんと一緒にシティを出て欲しいんだよ」
「マムはまだ行きたくないって言ってる」
「わかってる、ヴィクス」
 ジーズ、わかってる。
ジーアはシティを離れたくない、ヴィッキーと二人でサットン・スクエアの煉瓦造りの家にいれば、恐ろしい嵐でも大丈夫だと言うのだ。ジャックはそうは思わない。
ジーアが危険にさらされているのでなければ、なんでも思うようにしてくれればいい。
昨日の晩明日の朝一番でエイブと一緒にシティを離れる、と、やっとの事でジーアを説き伏せた。
「だからきのうのばん、ふたりでわあわあ言ってたの?」
「わあわあなんて言ってないよ。ただ・・・別々の意見があったのさ」
「おお、ケンカしてたのかと思っちゃった」
「ママとおれが?ケンカ?ありえないな!頼むよ、ヴィクス。さあ、車に乗った乗った」
 ヴィッキーが歩道をこっちに来ると、その後ろからジーアが出て来た。
ジーンズに、白いシャツの上からネイビーブルーのVネックのセーターを羽織っている。
さっきヴィッキーが通りを見た時と同じ色合いのブルーの目を見開いた。
短かいブロンドの髪を指でいじっている。
「おお、ジャック」
「シティの他の場所に比べたらこんなの何て事ない」
人差し指を唇に当てると街灯の死体を指し示した。
ジーアはそれを見て、びっくりすると後退った。「神様!」
「これでもここで安全だと言うかい?」
「昨日の晩は大丈夫だったわ」
最後まで言い張るな。
「これからもっとひどくなる」
「言ってたわね・・・千倍もひどくなるんでしょ」
「二千倍だ。事情通が仕事だよ」
「本当にエイブのところの方が安全なの?」
エイブの喋り方を真似て言った。「要塞のように安全じゃよ」
 ジーアは渋々と言った様子で肩を竦めた。「オーライ。荷物は作ったわ。約束通りね。
でもこんな旅行はやっぱりやり過ぎだと思うわよ」
 ジャックは彼女の気が変わる前に、ジーアをひょいと避けて家に入り、スーツケースを掴んだ。
荷物は余裕でトランクに入った。エンマが生きてたら、幼児用の荷物をおれが詰めてたかもな、
ジャックは思った。多分幼児用の椅子とか。それからなんだろう?おもちゃ。
そうか、おもちゃだな。おもちゃを隠れ家に持ってかないとな。
 喉の塊を呑み込むとハンドルの前に乗り込んだ。
五十七番通りをジグザグに下り、フィフス・アヴェニューへの長い勾配を進んだ。
 ひどいな・・・でも昨日ほどじゃない。多くの人達が・・・少なくとも正気なら・・・
昨日は家の中にいた。日曜の早朝だけがマンハッタンが静かだと言ってもいい時間だが、
今日は行き交う車もいつもよりさらに少なかった。
その中の多くは警察か救急車か、その類の車だった。どこの通りにもガラスの破片が散乱していた。通りすがりのあちこちに、元は人間の身体だったらしい縮んだ抜け殻が時折見受けられた。
一つか二つは高い場所に引っかかっていた、中身を吸い取られた後に、どこからか落ちて来たか、
放り投げられたかでもしたか。
ジャックは後ろのヴィッキーの様子を探りながら運転したが、
後部座席に座り込んで、ノクチュニアの一冊に夢中になっており、周りは見えてない様だった。
 よかった。ジーアの方も同じ様に注意していたが、ワンブロック通り過ぎるごとに、
その表情はだんだん固くなり、青ざめていった。
マデイスン・アヴェニューを通る頃には灰の様な顔色になった。
赤信号で止まると前よりさらに目をまん丸にしてジャックを見た。
ジーアの声はほとんど聞き取れなかった。
「ジャック・・・私・・・何・・・?」
ジーアは口を閉じると黙って前方を見据えた。
ジャックは何も言わなかったが、これから街を出るのに反対意見が出ないのは確かだな。
 突然右手の角の宝石屋で、最後まで壊れずに残っていたウィンドウが弾け飛び、
歩道に飛び散った。
音に続いて、どんよりした目に油っぽい茶色の長髪で、汚れた黒いスポーツシャツ、
破けたジーンズの男が、笑いながらウインドウから転がり出てきた。
白人だったが、身体中タトゥーだらけで、高価な金のネックレスを何本もしている所を見ると、
リル・ウエイン(ラッパー)になりたいクラブの創立メンバーらしい。
指は曲がらないほど指輪をはめている。
やや太めのもう一人の男が、同じようなTシャツに、やはり山ほど金製品を身につけ、
こちらは伝統的に戸口から出てきた。二人はハイタッチをすると金属が鳴り響いた。
それからヴィクの方を見た。
「ヘイ、メン!」一人目の男がニタニタしながら車に近づいてきた。
ジャックはその右手にキッカーマンのタトゥーがあるのに気づいた。「乗っけろや!」
太めの方もやって来た。
「イエーイ!ゴールドはどうでい?ダウンタウンまで乗せてくれたらゴールドをやるぞ。
いっぱいあるからな!」
ジャックは思わず笑ってしまった。「ああ、いいぞ。運転中は財布を預かってて貰おう」
略奪者たちのニヤニヤ顔が怒りによじれたが、ジャックは信号を無視して急発進した。
 やっかいだな、ヴィッキーも夢中になっていた本を置いて身を起こした。
「どうしてあの人たちのせてあげないの、ジャック?」
「悪い人達だからだよ、ヴィクス。火事場泥棒、ってやつさ」
「のりたがってただけじゃん」
「それはどうかな、ヴィクス。時々バスルームで虫が這ってるのを見つけることがあるだろう?」
ヴィッキーは顔をしかめた。「おええ」
「そうだね、火事場泥棒はそう言う虫以下なのさ。
普通の人達が火事や地震や嵐なんかでいっぱいいっぱいになってる時に、火事場泥棒は忍び込んで、何でも盗んでいくんだ。あの男たちは車に乗りたいんじゃなくて、おれたちの車が欲しいんだよ」
「そんなのだめじゃん!」
「だめ、なんて言葉はあいつらに通用しないのさ、ヴィクス」
「見て!」ヴィッキーは言って、左手のフィフス・アヴェニューの交差点を指差した。
「あっちにもかじばどろぼうがいるよ!」
 言う通りだ。夜明けの薄明かりの中、五番街のあちこちの壊れたウインドウから、
沢山の人間が、入っては駆け出てくる、宝石、革製品、持てるものなら何でも持っている。
パネルトラックをバーグドーフデパートの前に停め、洋服を詰め込んでる奴もいる。
ジャックが走り出そうとすると、髭を生やした専門家らしい男が、
書店の大きなウインドウだった所から二フィート程の本をツイードのジャケットの前で積み上げて、バランスを取りながら出て来た。
「やりたいようにやってるな」ジャックが言った。
ジーアが周りを見回した。「警察はどこかしら?」
「思うに、手が回らないんじゃないかな。
どっちにしても日が高くなれば、ああ言うゴキブリどもは床板の下に潜り込んじまう」
「たったの二日だわ。こんなの思ってもみなかった・・・」ジーアは言いかけて黙り込んだ。
「何だって?あっという間にいろんなことの程度が落ち込んで行く?シティは下水道だよ、ジーア。ここ何年か、この国をうろついてるキッカーのタトゥーをつけたゴミどもが、
落ち着く先がここなんだ。文明と言うベニア板の厚さは、
道端で売ってるバッタもんの宝飾品の金メッキの厚さくらいしかなかったのさ。
ジーンズの生地で二、三回擦れば下地の金属が透けて見えて来るくらいのね」
「ご近所とか一致団結してトラブルに立ち向かう気持ちはなくなったの?」
「君の生まれ育ったアイオワにはあるかもしれない、この辺りにも少しはあるかもしれない、
でも問題にならないほど少ししかない。
善良な人々は隅に追いやられ、ヘドロみたいなやつらは何でも好き放題やってるのさ」
「そんな事信じないわ。そんな事信じたくない。
あなたがそんな事信じてるなんて思いたくないわ」
ジャックは肩を竦めた。「おれの仕事は、そのヘドロの中に腰まで浸からなきゃならないんだ。
君は・・・」
「おお、マイゴット!」ジーアは首を伸ばしフロントガラスの向こうを見ながら叫び声を上げた。
 ジャックはスピードを落としそっちを見た。空の上で何か反射するものがある。
首を窓から突き出し・・・車を止めるとそれを見つめた。
ヴィッキーが後ろから顔を突き出した。「うううう、すごおおおおい!」
「ジャック何が起こってるの?あれは何?」
「アパートメントみたい」ヴィッキーが言った。
 半マイルくらい上空、多分ウエストサイド・ハイウエイかミッドタウンの埠頭あたりに、
建物が空中を漂っている。
目に見えないワイアに吊られてでもいるみたいに、ゆっくり回りながら、屋根がわずかに東に傾き、千切れた基部は西を向いている。
朝日に照らされて、壊れずに残った窓が光っている。
壊れたコンクリート部分がまわりに漂っている。
小さな人影が窓から乗り出しシャツやタオルを振り回し、
死体にたかる蝿の様に建物の周りを飛ぶ警察のへリコプターの注意を引こうとしている。
「ジーズ!」ジャックは言うとゆっくりだんだん小さくなって行く建物を見送った。
「上がり続けてる」
警察のヘリコプターに移動する方法を見つけない限り、
閉じ込められた気の毒な人たちの運命は決まった。
 少なくとも警官が沢山いるのはわかった。
「行かなくちゃ」ジーアが言った。
 ジャックはエンジンをふかし、西に向かった。
言った通りだろう、と言うのは差し控えて、赤信号を無視しながらアムステルダム・アヴェニューを目指し、住宅地をすっ飛ばし、イッシャー・スポーツ・ショップに向かった。
 エイブが表に立っている、店の壊れた窓の前にパネルトラックを停めてある。
空飛ぶ建物に見惚れて、ジャック達が着いたのに殆ど気がつかない。
ジャックはタイヤを軋らせ、エイブの六フィート鼻先に停車した。
エイブはやっと気がついた。
エイブは縮み上がった。「ゲヴァルト!轢き殺すつもりか?」
エイブは黒いスーツを着ている、白いシャツも黒いタイもきれいになってる。
明らかに朝食をまだ食べてないな。
「準備はいいか?」ジャックは言うと後部座席からヴィッキーを連れ出した。
「ああ、もちろんだ」エイブはジーアをハグし、ヴィッキーの頭のてっぺんにキスした。
「こんな美しいヤング・レイディ達をお待たせする訳があるか?どうぞこちらに。
パラベラムを連れて来なきゃならん、コーヒー、ジュース、
あまり新しくはないがベーグルがフロントシートにあるよ」
 エイブはパネルトラックの後ろのドアを開けてから、ジーアとヴィッキーを前の座席に案内した。ジャックのところに戻ると最後のスーツケースをトランクに積み込んだ。
震える指を空飛ぶビルディングに突きつけた。
「あれがあんたの言うやつだな?」エイブのアクセントから訛りが消えた。
「全てのルールが・・・人間のも神のも・・・ピューー!」
ジャックが見ると建物は前よりかなり高いところまで上がっている。いつ上昇が止まるのか。
上昇は止まるのか?
「ダブルでピューーーーだ!」ジャックはシャッターの降りた窓に向かって頷いた。
「盗まれたか?」
エイブは肩を竦めた。「何も盗られとらん。空飛ぶ奴はいたがな。泥棒は見かけんな」
「高級地区の方はいっぱいやられてたぜ。まだこっちまで来てないんだ」
エイブはジャックの手に鍵束を押し付けた。
「ほれ。こいつぁ地下室のだ こいつがなきゃ大砲でもぶっ飛ばさんと開かん。
なんでもある、使ってくれ」
ジャックはトラックの中の小さな武器庫を指差した。
「何か残ってるのかい?」ジャックは鍵を持ち上げると前のポケットにしまった。
イッシャー・スポーツ・ショップの地下室はエイブの武器庫・・・
非合法の武器、プラス合法のやつを非合法に売ってる。
ブラックジャックからクレイモア地雷まで何でも揃っている。
バラエティに富んだ武器庫につてがあれば便利だろう。
「引っ越して来るかな」
「ゲストとして迎えるぞ。周波数を書き留めたか?」
「ああ。短波ラジオの所に置いてある。
携帯がダメだったら、午前七時と午後七時には聞いてるから。忘れず連絡してくれ」
連絡のやりとりが不確かなので短波ラジオを頼ることにしたのだ。
「心配ない」
「どの道で行くんだ?リンカーンか?」
エイブは頷いた。「そこが一番早い。あんたの言に寄れば、早けりゃ早いほどいいんだろう」
「わかってるな。持ってるのか?」
エイブはジャケットの右側のポケットの重そうな塊を叩いた。「もちろんだ」
「グッド。だけどトンネルまでついて行った方がよさそうだ・・・念のためにな」
エイブはムッとして言った。「あんたのご婦人たちを守れないとでも思ってるのか?」
「その確信がなけりゃあんたの所に行かせやしないよ」
しばらく二人は黙って見つめあった。「ここで何か言うべきなんだろうな」エイブが言った。
「つまり、二人の旧友が世界の終わりに際して。どっちかが何か気の利いた事を言った方がいい」
「あんたは教育を受けてる。あんたにお譲りするよ」
エイブは下を見た、それからニッコリすると手を差し出した。
「後でな、ジャック」
ジャックもニッコリして手を握った。これで十分だ。
「やる事はこれで終了だ。運転席についてくれ、おれはレイディ達にさよならを言わないとな」
ヴィッキーに盛大にハグすると、ジーアを抱きしめた。
「気をつけてね、ジャック」耳元で囁いた。「それからありがとう」
「何が?」
「街から連れ出してくれて。あなたが正しいわ。シティは酷いことになってる。
でもあなたも気をつけてね」
ジャックはニヤリとした。
「とんでもない、おれはシティの誰より酷い男さ」
「その話じゃないの。彼女の事よ」
「おお」昨晩ジーアに、コラバティを見つけて、彼女のネックレスをグレーケンに渡す、
と話しておいた。
ジーアはコラバティについてよく知らないが、ジャックはジーアに全く話していない事がある、
短い間だが、恋人同士だった・・・ほんの短い間だが・・・事がある。
「おお!じゃないわ。前に彼女のおかげで死にかけたのよ」
「自分のせいさ」
「彼女はあなたを死ぬまま放って行ったのよ、ジャック。
今度をその仕事を完遂するかもしれないわ」
「今度は違う。あいつの事はわかってる。気をつけるよ。帰ってからやる事が山ほどあるんだ」
 ジーアは最後のキスをした、長くて深いキス、
それからアイドリング中のトラックのフロントシートに乗り込んだ。
ジャックは自分のクラウン・ヴィクに急いだ。
ジャックはエイブの後をついてウエストエンドへ、それからダウンタウンへ。
途中ことごとく信号に捕まった。何らかの理由で信号がシンクロしなくなり、
エイブは毎回赤信号でちゃんと止まった。ジャックはその理由を知っていた。
多分トラックの後ろに南米の小国くらいならひっくり返せる量の武器を積んでいるからだ。
止められて、探られたくないのだろう。
 事が起こったのはウエストエンドを出発して十一番街と言われているあたりでだった。
エイブがまた赤信号で止まると、三人の男がどこかの戸口から飛び出し、襲いかかって来た、
二人は運転席側に駆け寄り、ひとりは車に飛び乗ると助手席側に手を伸ばして来た。
 一人の男はデカいハンティングナイフを、もう一人は鉛管を持っている。
エイブが発車しようとした時二人目の男がエイブ側の窓を叩き始めた。
ジャックはすでに加速していたが、ガラスが割られ、男はエイブにパイプを振るい出した。
 ナイフの男がジャックが来るのに気がついた。
ナイフの男はジャックの車ががトラックの脇腹を擦りながら来たので慌てて飛び退き、
パイプ男の両足の後ろに激しく車が当たった。
男は二台の車両の間で回転し、歩道に倒れこむと折れた足の痛さに悲鳴を上げた。
ジャックはナイフ男の方に向きを変えるとヴィクの鼻面で跳ね飛ばそうとした。
しかし車は男をぶっ飛ばすほど早くは動けなかった。
男はボンネットとフロントガラスを乗り越え、車の上に登った。
傷ついてはいたが、まだやる気だ。
男は闇雲にナイフを突き出し開いた窓から危うくジャックの顔をかすった。
ジャックは身をかがめ、振り回す腕の手首を掴むと、捻り上げ、ナイフを落とし、
どうしてくれるか暫し考えた。すると、ヴィッキーの悲鳴が聞こえた。
 ジャックは窓を閉め、男の肘から下を挟み込んだ、それから刃を・・・研いである方を・・・
前腕部の腹の部分、骨と骨の間から向こうに突き出るまで押し込んでやった。
屋根の上で男は吠え、バタバタ暴れて腕を抜こうとした。
だが突き出た刃先とグリップが窓の開口部に引っかかり、さらに腕を切り裂く事になった。
男は今や金切り声を上げている。
 ジャックが助手席側から飛び出すと、エイブが血だらけの頭を左手で抑え、
右手で四十五口径のオートマチックを持っているのが見えた。
ヴィッキーはその隣で叫んでいる、だがジーアの姿が見えない。
ジャックは急いで反対側に回り、もう一人の男がナイフをジーアの喉に押し当てているのを
見つけた。
「俺たちはトラックが欲しいだけだ」荒い息をしながら男は言った。
半袖の清潔なチェックのシャツ、ベージュのパンツ、白い靴下、ランニングシューズ、
腕にタトゥーさえなければ良家のお坊ちゃんに見える。
「俺たちにトラックをよこせば誰も傷つけない」
「おれたちは?」
ジャックはホルスターからグロックを引き抜くと、既にチャンバーを回してあるにもかかわらず、
ゆっくりと丁寧にスライドを確かめた。殊更バカ丁寧にやって見せた。
「おれたちに?おれたちは、とかおれたちに、って主語はもう使えないぞ。他の二人は降りたんだ。おまえ一人だけだよ」
 ジャックは動きを止めて、仲間がトラックの向こう側で痛みに呻く様子を認識させ、
ジャックの手にした九ミリのセミオートマチックをじっくり拝ませてやった。
男はさらにジーアの後ろに回り込んだ。
「こいつから逃げられると思うのか?」ジャックは静かに言った。
「ああ。何からだって逃げられるさ、あーん!ルールは何にもなくなった!わかんねえのかよ?」
男は一瞬、ジャックの左肩越しに空を見つめた。
「昼の日中にゃビルや人間が空にぶっ飛び、夜中、恐ろしいチューワスプがそこら中飛び回る。
俺はヤクを二回治療したがよ、あーん、風船ガムみたいにのびちまってる時だって、
こんなクソッタレたもんは見たことがねえ。みんな終わったんだよ。学校も終わりだ!」
「うちのクラスはまだなんだよ」ジャックが言った。「彼女を放せ」
男はジーアの喉に刃を押し付けた。鋭い刃先にジーアは縮み上がった。
「トラックをよこすか、女を掻っ切るか、あーん!神かけて女のクソ喉を掻っ切るぞ!」
ジャックは心臓が早鐘のように打つのを感じた。ジーアはすがるような目でこっちを見ている。
ジャックは安心しろと言うように軽く頷くと、息を整えた。冷静に行こう。ゆっくりだ。
だがこのクソがジーアの皮膚でも傷つけたら・・・
ジャックはグロックに二本の指をかけ、ジーアの耳元から覗く男の右目に照準を合わせた。
「映画の見過ぎだな、マヌケ野郎。実生活ではそうはいかない。おれは銃でおまえはナイフだ。
彼女を切れば盾を失うぞ」ジャックは一歩近づいた。
「さて、今日はこれまでの所、おまえとおまえの仲間は、おれの良き友人に怪我をさせ、
おれが自分の血肉よりかわいがっている少女を怯えさせ、おれの愛する女に乱暴している」
もう半歩近づいた。「おれの寛大さもキレかけてる。だが取引してやってもいい。
ナイフを捨てれば命は助かるぞ。行かせてやる」
男は虚ろな笑い声を上げ、ジーアの頭の後ろからジャックを見て、震え声で言った。
「フカすんじゃねえ。テメエのスケはここだ。首にゃナイフよ。撃ってみやがれってんだ!」
通りすがりの車がスピードを落として一目見るなり一目散に逃げ出して行った。
ジャックはすり足でもう一歩近づいた。
「おれの言い方がわかりにくかったかな。もう一度言うぞ。ナイフを捨てろ、それで助かる。
一滴でも血が流れればおまえは死ぬ・・・ゆっくりとな。
最初におまえの右の膝頭を撃ち抜く、次に左だ、そして右肘、次に左。それから腹を撃つ。
それからおまえのナイフをいただいて、おまえの身体の不必要な部分を切り取って、食わせてやる」
「ジャック・・・やめて!」ジーアが言った。
「失礼。ただこの男に自分が何に関わったのか教えてやりたかったのさ」
「そんなんでビビるとでも思ってんのか?」男は言ってまたジーアの後ろから覗き込んだ。
「ビビるってのがどんなだか俺が・・・」
ジャックは男の目を撃ち抜いた。頭がガクンと跳ね返り、後頭部から血の霧が広がった、
腕が前方に投げ出され、よたよたと後ろに下がり、歩道に崩れ落ちた。
ジャックは駆け寄るとジーアを抱き取った。
「見るんじゃない」ジャックは言いながら、ジーアの肩越しに
男の頭の後ろから舗石に赤い水たまりが広がるの見た。
それでもジーアは振り返って一目見るとすぐ顔を背けた。
ジャックはジーアをトラックに連れ戻し、しばらくかかってヴィッキーを落ち着かせた。
母と娘がお互いに固く抱きあって物事が収まった。ジャックは二人越しにエイブを見た。
「運転できるのか?」
エイブは頷いた。「引っ掻き傷だ。だがあんたの車に挟まってる男・・・あいつはいいのか?」
「おお、そうだった」ジャックが言った。「忘れる所だった」
車に戻ってもう一人のナイフ男が屋根に横たわり、真っ青になり冷や汗をかいているのを見つけた。
「勘弁してくれ」情けない声が聞こえた。「降参だ」
立場が逆だったらこいつはなんと言うかな。
こいつと、あの仲間からどのくらいの慈悲が期待できるだろうか?考えて見ても仕方ない。
 身を屈めヴィクの中を覗き込んだ。運転席の窓とドアが血で汚れている。
「おれの車を血だらけにしたな!」ジャックが怒鳴った。
屋根の上からメソメソ言う声が聞こえた。ウンザリだ。
ジャックは男の腕からナイフの刃を引き抜き、窓を下げてやった。
こもった叫び声が上から聞こえて腕が引っ込むと、男は屋根から通りに転がり落ちた。
 二、三台の車が通り過ぎ、ジャックは角まで行って下水の格子にナイフを落とし、
それからトラックに戻った。
ジャックはジーアとヴィッキーをもう一度ハグして、ドアをバタンと閉めた。
「行った方がいい、エイブ。混んできた」
「ジャック」ジャックが車に戻ろうとするとジーアが言った。
窓越しにジャックを見る顔は真っ青で涙の跡がある。
「あいつがナイフを捨てたら放してやったの?
あの時のあなたの目、ジャック、前にも見た事があるけど。あの目つき、私は知ってるのよ。
約束通り放してあげたわよね?」
「今になってそんな事言っても仕方ないだろう」
「聞きたいだけ」
「ああ、もちろんだよ」
本当っぽく聞こえるよう祈った。あんまり自信はなかった。
 その場を立ち去りながら、ジャックはバックミラーを見た。
襲撃者の一人は死んで血の海の中に倒れ、何も映らない目で空を見上げている、
もう一人は歩道にうずくまり、血だらけの腕を抱えている、
三人目は折れた足を引きずってカーブに向かって這っていた。
 あいつはおれの事を知り過ぎてるな。どうして聞いた?そう言う事を考えるのは嫌いだ。
必要ないだろう。男は死んだ。
ジャックの中の一部は、あいつが頭の後ろから脳みそを吹き出すのを見て快哉を叫んでいた。
だがそう言った部分を遮断する事は学んだ、
壁の後ろの暗いコーナーが喜び勇んで騒ぎ立てるのを見ないようにしてきた。
 あいつを放してやったか?エイブが血を流していた。
ヴィッキーが怯えて、ナイフの切っ先はジーアの喉に押し付けられていた・・・
許してやったか?全ての出来事の張本人に背中を向けて、何もしないで行かせたか?
ジャックは確信が持てなかった。自分の友人を酷い目に合わせたやつを、傷も痛みも与えずに、
あんなことは二度とすまいと頭に叩き込むこともせずに、自由に通りを行かせてやる・・・
考える事が多すぎる。
 だが、ナイフを捨てれば行かせてやる、と言ったならそうすべきだ。そうしたか?
ルールは何にもなくなった、あーん!
いや。全部なくなってはいない。いくつかのルールは・・・少なくとも自分が決めたやつは・・・
効力を持ってる。
 あくびした。昨晩はろくに眠れなかった、仕事への自己批判まで始めてしまった。
 エイブのトラックを追いかけて残りの道のりをリンカーントンネルまで、
タイル張りのトンネルの中へランプを曲がって行くエイブのトラックを見送り、手を振り、
それからシティを横断してウォルト・デュランの工房に向かった。
夜を無事で過ごしてくれてるように祈った。
スケジュール通りネックレスを仕上げてくれている事を祈った。
そうでなかったら、ジャックはウォルトのネジを巻き直さなくてはならない。
WNYWーTV
セントラルパークのリポートをお伝えしている途中ですが、
ここで太平洋からの地殻変動のニュースが入っています。
ハワイのビッグアイランドが消え失せました。
日の入りのすぐ後で五十番目の州である八つの列島を地殻変動による地震が襲いました。
まもなくハワイ島、ビッグアイランドと通信が途絶えました。その理由はすぐに判明しました。
<ハワイ島録画映像>
ビッグアイランドの映像をご覧ください。
青々とした火山島で、世界一長い安定した火山を有する、四千平方マイルの楽園でした。
現在の姿です。
<ホノルル実況映像>
・・・ホノルルからの実況中継でおわかりのように、ビッグアイランドはもはや存在しません。
ハワイの活火山キラウエアに引き続き、死火山と思われていたマウナロア、マウナケアが火を吹き、島全体が消失しました。
太平洋中心部はまだ夜明けですが、ハワイ島の姿はなく、
燃え上がり湯気を吹く溶岩の塊だけになっています。
ご覧いただけるのは西側から見たビッグアイランドの墓標だけです。
噴煙、水蒸気、灰、岩の破片が空に尾を引いて東方向に流れています。
気象学者は、灰の雲はウエストコースト上空に流れ込むという見解を発表しています。
地球の気候に影響を及ぼすのは間違いないでしょう。
ビッグアイランドがあった場所、マウイの北部に巨大な海水の渦が出来たと言う報告が来ています、まだ映像はありません。
この海水の渦はセントラルパークに空いたと同じような穴によるものと思われ、
海底に同じく直径一万九千フィートの穴が空いたと言うことになります。
この渦がビッグアイランドの消滅と関係があるのかは、今のところ推測の域を出ません。
画面の左にあるのは別の火山の映像です。
マウイ島からほんの七マイル離れたハレアカラで確認されました、死火山だと思われていましたが、活動を復活しました。
溶岩は山の東の斜面、人口の集中したエリアに流れ込み、愛すべき街、ハナ、はもう存在しません。夜の間に完全に溶岩の下に埋没しました。
<アリスの映像>
さて、マンハッタンの状況は急激に悪化の一途を・・・

 グレーケンはテレビにがっかりしていた、
画面の方は殆ど見ていなかったが。マウイからの新しいニュースがないか聞き耳を立てていたのだ。地質学者が登場し、ハワイ島とマウイ島の間の水路にできた穴が幾世代にも渡ってハワイ諸島を形作って来た「ホット・スポット」を変動させた事について、滔々と弁じていた。
グレーケンはリモコンのミュートボタンを押した。
テレビに夢中になっていた間にドアマンがベルを鳴らしていたらしい・・・
ビルが見慣れた姿の男を連れて部屋に入ってきた。
「ジャック!君が昨日の夜を乗り越えるのはわかっていた。
君が言っていた、仕事、は片付いたのかね?」
ジャックは頷いた、少しばかり沈んでいるようだ、グレーケンは思った。
「ああ、片付けてきたよ」
ビルがニックの朝食の世話を済ませ、キッチンから戻ってくると、
ジャックは椅子にどさりと落ち込んだ。
「何か出来ることはあるかね?」
ジャックは首を振った。「何人か隠れ家に送り出してきた。
トラブルに巻き込まれないで行ってくれる事だけを祈ってるよ。シティはもうメチャクチャだ」
「聞いているよ。ナショナルガードが召集されたが半分以下の人数しか集まらなかったようだ」
「驚くにゃ当たらないな。多分自分のうちで家族を守りたいんだろう。文句は言えないよ」
「君の家族をここに連れて来ればよかったね。歓迎したものを」
「送り出してからそれもあったと思ったが、シティを離れてくれた方がいいと思う。
とは言っても何人かここを使わせてほしい友人はいるんだ。いいやつらだよ。部屋はあるのか?」
「この建物は空き家同然だ」
「どうして?一等地なのに」
「隣近所は厳選しているのだ。多分マウイの事は聞いてるね?」
「いや。何かあったのか?」
グレーケンは簡単にニュースを伝えた。
「あいつはまだ生きてると思うか?」
グレーケンは頷いた。「チャンスはある。彼女の家は北西のスロープだ。家にいたのなら・・・」
グレーケンは一番聞きたかった質問をした。「いつ発てる、ジャック?」
「明日だな」
「だめだ。今日中に発たなければならない。一刻を争うのだ」
「無理なんだ。彫刻家に聞いて来た。偽物のネックレスは一番早くても明日の朝になる。
それなしじゃ行かれない。それが切り札なんだ」
 グレーケンはしばらく考えた。
状況は悪化の一途をたどっているし、明日では間に合わないかもしれない。
しかし他の選択肢は思い付かない。ジャックに今日発て、と強要することも出来ない。
「約束する・・・明日一番の飛行機を見つける・・・ネックレスの用意が出来次第」
「そう簡単にはいかないかもしれない。多くの航空会社が便を欠航にしている」
「何故だ?パイロットが見つからないのか?」
「それもある。たくさんの飛行機が消えてしまったからだ、殆どの飛行機がと言うべきだろう。
出発はするのだが、着陸しないのだ」
「そいつはすごい。今度は何だ・・・空に穴が空いたのか?」
「違う。レヴィアタンが空にいる飛行機を捕まえてバラバラにしてしまうのだ」
「空軍は?」
「レポートによると、地対空ミサイル、空対空ミサイルも効果がない、
要撃機も同じように消えている」
ジャックは何も言わず腰を下ろすと、疑り深そうにグレーケンを見つめた。
「それを見たよ」ビルがニックを連れて台所から出て来た。
ビルはニックを朝日のあたる椅子に座らせた。ニックは漫然と壁を見つめている。
「レヴィアタンをか?」
ビルは頷いた。「大きいよ。街ほどもあった、闇を抜けて飛び去って行った」
「少なくとも昼間を選んで行くさ」ジャックが言った。
「昼間の時間は短くなってるが、ラサロムはおれたちにこういう余裕を与えると言う
ミスを犯したな」
「それは違う。昼間に我々の最悪な部分が露呈する。
常に攻撃されていれば結束を固める、我々のよい所が引き出される。
昼間という息抜きを与えられると、前夜の恐怖とこれから来る夜への恐怖が我々に作用する。
恐怖で気がくじかれてしまう。
恐怖はラサロムの力の源になる。恐怖こそ偉大なる分配器。
戦争、人種差別、貪欲や過食のような日常の悪徳・・・皆恐怖に端を発している。
宗教とは、結局のところ・・・万人の人生を次から次へと悩ます、死への恐怖、
運や偶然によって歪められる物事への恐怖、そんなものの回答ではないのかな?」
グレーケンは窓の外を指差した。「今や外では恐怖が横行している。
我々を分裂させ、傷つけ、あまりにも多くの者の中に潜む悪を露呈させる。
そんな風に終末は訪れるのだ」ジャックの方に振り向いた。
「だから、マウイに行ってあのネックレスを取り返して来てくれ」
「なんとかするよ」ジャックは穏やかに言った。「何かしら方法はあるものさ」
 ジャックがネックレスを取り戻して、それからどうなるのだろう?グレーケンは思った。
 胸から手足に緊張が走った。関節炎の指を曲げ緊張を解こうとした。
実際どうなんだ?
あのネックレスを作り上げた金属の出どこを知っているだけに、
ネックレスと同じ部屋にいるのも恐ろしいほどだ。
自分が触ったら何が起こるのだろう?そばに行っただけで何か起こるのでは?
何も起きなければいいが、グレーケンは思った。だがリスクは犯せない。
ジャックがあれを持ち帰ったら、離れているとしよう。
ジャックが言った。「わかってるだろうが、状況を鑑みて、バックアップが必要だと思うんだ」
ビルが言った。「よければ私が一緒に行こう」
 最初、グレーケンはビルのオファーに驚いた。この元神父の目に必死なものを見て取った。
何にそんなに必死なのだ?そしてわかった。
ビルは、これからまもなくほとんどの人間が辿り着く場所に既に立っている、
気持ち的にはもう何もかも失っているのだ。かわいそうな男。
ニューヨーク市警には殺人犯としてビルが記録されている、教会を追われ、家族は死に、
最後の友達は緊張病で心神喪失のままここに座っている、そしてキャロル・トリースへの気持ちは
本人が思うより深いものなのではないかとグレーケンは疑っている。
ビルが無鉄砲なのも、そうそう不思議ではないだろう。
グレーケンは、ジャックがこの申し出を退けるだけの分別を持っていることを祈った。
「うーん、悪く思わないで欲しいんだが、ビル」ジャックは暫く考えてから言った。
「少しばかりこういう仕事に心得のあるやつを探してるんだ」
「もう少し若ければ・・・」グレーケンが残念そうに言った。
常に三十代の身体で過ごさねばならなかった自分を呪っていた日々のことを思った。
今、永遠という重荷から解放され、強靭な筋肉、柔らかくしなやかな関節を
取り戻せたらよかったのにと思った。
「そうだな」ジャックは言って微笑んだ。「二人でどえらいペアになったかもしれない。
だけど、今考えてるのはホーチミンのやつさ。あいつはどうかと思うだけどな」
「バーか?どうだろうね。
ナッシュ夫人を無防備なままで置いてきてくれるかは疑わしい、だが聞いて見ないでもないよ。
よければ電話しよう」
「おれが個人的に行った方がいいだろう。
多分この、人を惹きつけずには置かない魅力で、あいつを動かせるんじゃないかな」
ビルが大声で笑い出した。ジャックは横目でビルを見た。
「何かおかしかったかな、おっさん?」
ビルはニヤニヤした。
「最初君のことをどう考えればいいのかと思ってたが、案外いけてるヤツなのがわかったよ」
「あんたの人を見る目はどうしようもないな。いけてるところなんか何にもないぞ」
 グレーケンはジャックにトードホールへの道筋を教え、
ジャックが行くことを電話しておくと言った。
 ジャックがいなくなると、グレーケンはテレビのリモコンに手を伸ばした。
スイッチを入れる前に、ニックが話し始めた。「それだけでは足りない」ニックは無表情に言った。
ビルは身をかがめニックの目を覗き込んだ。「何だい、ニック?何が足りないの?」
「ネックレス。それだけでは用をなさない。さらに必要なものがある。あるものの一部だ。
残骸のカケラだ」
「なんのことだい、ニック?何のカケラなの?」
だがニックはまたいなくなってしまった。ビルはグレーケンの方に向き直った。
「彼が言ったことが何だかわかりますか?」
グレーケンは呆然としてニックを見つめた、身体が冷え切って具合が悪くなって来た。
「ああ、残念ながら、わかったよ」







WFPWーFM
ジョー:さて、みんな、ニュースは悪くなるばっかりだけど。
ミッドウエストとプレインズ・ステイツからのレポートだ、
昨日の晩、例の虫に牛の群れがやられちゃったそうです。
牛を守る対策が取られるみたいだけど、成功するかどうかはわからないそうです。
で、アドヴァイスが一つあるけど、ビッグマックとホッパーズを楽しむなら今日のうちだぜ、
まもなくなくなっちゃいそうだからね。
フレディ:それじゃあ、俺たちのF・ロック・オールリクエスト・ウィークエンドを続けるぜ。
マーヴィン・ゲイ、この質問はみんなが言いたいやつ。
<曲、What's going on?>



「そらみろ!」トンプスンが言ってラジオを指差した。
「先見の明だろ?食料!食料が次世代の金さ」
エルンストはトンプスンの自画自賛を聞きにここに来たのではない。手助けが必要だった。
「あの防風シャッターをどこで手に入れたか知りたいのだが」
トンプスンはニヤニヤした。「何でだ?欲しいのか?」
認めたくはないが・・・「左様」
「このご大層な歴史的建造物を改造したとか散々クサしてたのに、
今になってあんたのオフィスに欲しくなったのか?」
「いや・・・私のアパートメントにだ」
ニヤニヤ笑いが広かった。「何でだ?ヤバイ夜だったのか?」
「そう言ってもいい」
とてつもなくヤバイ夜だった。
自分の住まいを買った時、低い階を選択した。
安全上の理由からだ、火事など緊急の際速やかに外に逃げ出せるように。
また停電が発生すればエレベーターが停止する、移動に苦労するのは嫌だった。
だが昨晩は下の階が主にやられた。虫が窓を壊し、アパートメント中を追いかけられた。
一晩中をホールのクローゼットで過ごした、
奴らはすぐ外のドアを引っ掻いたり齧ったりしてエルンストを捕らえようとしていた。
 ゾッとする夜だった。
 夜明けが来て・・・随分遅い夜明けだった・・・
奴らは大慌てで穴に帰り、後にはボロボロになったアパートメントと
クタクタに神経をすり減らしたエルンストが残された。
 まず最初に、オーダーのハイ・カウンシル・セヴンに電話して、一者に連絡出来ないか尋ねた。
出来なかった。そしてどうやらエルンストと同じく震え上がっている様だった。
 結論として失敗したのだ。一者は、変化、から我らを除外した。
つまり自分の身は自分で守らねばならない、一般大衆と同じように。
 残念ながら、一般大衆の特定の人間、ハンク・トンプスンの様な輩が正しかった様だ。
エルンストは朝になってロッジを訪ね、窓はやられ、網戸は破られているのに気がついた。
二つを除いて、全ての窓がやられていた、
防風シャッターを取り付けた二つの窓は夜を持ちこたえたのだ。
「名前が知りたいのか?」トンプスンは自分の窓を親指を立て、グイっと指し示した。
「これをやった奴の?」
「この価値を評価したい」
「いや、ダメだな。あいつは出ずっぱり、もうストックはなし」ニヤリとした。
「つまり、あんたにゃ運はない」
「さて、支払金額は相当に・・・」
「そういうこっちゃない。ここの連中の殆どが昨日の晩は地下室に駆け込んだ。
幸い、あそこにゃ窓がない、それでみんな大丈夫だった。
だが一夜明けて、あいつら全員がそいつに電話したが、繋がりゃしねえ、
話だけでもしたいってのによ。みんな同じ事考えたのよ」
「他を当たろう」エルンストは内情とは裏腹に自信ありげに言った。
誰か見つけなくては。あの様な試練にこれ以上耐える事は出来ない。
腕時計に目をやった。まだ早い。一日使えるという事だ。だが昼の時間はいつも通りではないのだ。


モンロー、ロングアイランド
 シルヴィアはそれがあの老人の声だとすぐにわかった。
彼女の中に鬱積した怒りの波が騒ぎ始めた。
「シティに引っ越してこいという話でないといいんですけれど」
声を荒げない様に気をつけながら言った。
「プレッシャーをかけても無駄ですわ、ミスター・ヴェイユール。
そう簡単に降参はいたしませんわよ」
「承知しております、ナッシュ夫人。それから私の事はグレーケンとお呼びなさい。
それが本当の名前なのでね」
シルヴィアはそんな名前で呼びたくなかった。
この男とファーストネームで呼び合うような仲になりたくない。だから黙っていた。
「あなたにプレッシャーをかけようと電話をしたのではない」
しばらくしてからグレーケンが言った。
「あなたとあなたのご家族の皆さんは、無事に昨晩を乗り越えましたか、と聞こう思ってね」
「極めて快適に過ごしましたわ。御心配ありがとう」余計なお世話よ。
ジェフイーの不可思議な執着のおかげで、危うくこの子が・・・バーもシルヴィア自身も・・・
命を落としそうになったと言ってやりたいのを堪えた。
ジェフィがあんなにグレーケンに執着していなかったら、
昨日の晩フラフラ外に出て行く事はなかったろう。
だが心の片隅で、グレーケンに、良い母親なら子供の居場所ぐらいちゃんと心得ておけ、と
言われかねないと思っていた。一晩中自分にそう言い続けていた、
ジェフィを外に行かせた自分を責め続けていた。
ジェフィにちゃんと目を光らせていたらルディはまだ生きていたし、
バーが何ダースものひどい傷を首の後ろに負うこともなかった。
「頑丈な古い邸宅ですので」シルヴィアは言った。
「それに金属の防風シャッターを昨日取り付けましたの。要塞さながらですわ」
 昨日の晩の騒音はものすごかった。
穴から出てきた奴らは一晩中シャッターに体当たりを繰り返していた。
家の中に封じ込められていたので、外に静けさが訪れて、やっと日が上ったのが分かった。
日の出を迎え、安心するとともに、疲れ果てていた。
「よかった」グレーケンが言った。「それを聞いてとてもうれしい。
これから先の攻撃にも、あなたの家の防御が持ち堪えてくれることを祈ります。
電話したのにはもう一つ理由があります。
もう一つとは、あなたもご存知のジャック、昨日ご紹介しましたね、彼が後で立ち寄ります」
「プレッシャーをかけるのは勘弁してくれと言いましたよ」
「ご心配なく、ナッシュ夫人。彼はあなたに会いに行くのではない。バーと話がしたいのです」
「バー?バーに何の話があるのです?」
グレーケンの言う、引き締まった体躯の、茶色の瞳をした男を何となく覚えている・・・
どちらかと言うと割と普通の男だ。
バーと並んでリビングルームの後ろに立ち、何やら低い声で話し合っていたのを覚えている。
バーが知らない人と話す事は滅多にないので、二人は面識があるのかしら、と思っていた。
「多分ジャック本人に説明させたほうがいいでしょう。ごきげんよう、ナッシュ夫人」

WFANーAM
デイヴ:さて、ファン・スポーツ・ラジオの次のゲストはブルックリンから来た、リックだ。
リック、今何考えてるかい?
リック:そうだね、ハイ、デイヴ。言いたい事はこれだけ。
俺はあんたのショーがマジで好きだよ、
それでお偉いさんがすべてのゲームを無期限で取りやめにしたことについて一言言いたいね。
デイヴ:どんな事、リック?
リック:メッツに対してフェアじゃないよ。最高のチームを揃えてたんだぜ。
ペナントレースをぶっち切りだった。これはきたないよ。知ってるかい、何の為に・・・?

モンロー、ロングアイランド
 ジャックは午後一番に到着した。シルヴィアは車の音を聞きつけ、外を見ると、
塗装が点々と剥げ、屋根と運転席側の扉に不可思議な赤いシミのある大きな黒い車が
こっちにやってくる。
バーはこの家の守備に不備がある場所を点検しに外に出ており、
アランはジェフィと裏庭でフットボールで遊んでいるので、
シルヴィアが下に降りて彼を招き入れた。彼は戸口から中に入ってこなかった。
その代わりバーが働いている家の脇のほうに歩いて行った。
 一体全体、二人の間にどんな共通の話題があるのだろう?
つま先だって窓に忍び寄り、盗み聞きしたい誘惑を抑えた。すぐわかることよ。
 案の定何分かすると、バーがジャックを連れて裏口から入ってきた。
アランが車椅子で後に続き、その後にジェフィがフットボールを投げ上げながら入ってきた。
「ハイ、ナッシュ夫人」ジャックは言うと手を差し出した。「昨日会ったな」
シルヴィアは軽くその手を握った。「覚えてますわ」
「みんなに話があるんだが?」
アランはシルヴィアを見て、何だろう、と言う様に肩を竦めた。
「書斎に来ていただいたらどうかな?」アランは言った。
シルヴィアは、手を洗わせる為にジェフィを二階に行かせて、
階段を見られる席に腰を下ろした。ジェフィが降りてくればわかる。
今度はどこかに行かせないようにしないと。
一日中どこに行くにも一ときも目を離さないと決めていた。
 ジャックはシルヴィアの向かいに腰を下ろした。バーはアランの横に立っている。
バーはピリピリしている様だ。
ジャックが言った。「昨日グレーケンが、あるネックレスの話をしたことを覚えているか?」
シルヴィアは頷いた。「二番目の焦点を作ってるとか言うものね」
「そうだ。それでグレーケンはネックレスがハワイにあることを突き止めた、
明日おれがそこに行って、取り戻せるか試してこようと思う」
「わかりました」シルヴィアは曖昧な調子のまま言った。「それでバーに何が言いたいのかしら?」
「一緒に来てもらえないかなと言ったんだ」
「バーはなんと言った?」答えは予想できたが聞いてみたかった。
「断った。あんたをここに無防備のまま置いちゃおけないってさ」
シルヴィアは振り返った。「ありがとう、バー」
バーは軽くお辞儀をした。
「その答えについちゃ尊重する」ジャックは言った。「だがそれは近視眼的だ。
陽の光が全く射さなくなれば、こんなふうに一息入れることも出来ないぞ。
あいつらはのべつまくなしに襲ってくる。外に出てダメージを受けた場所を修理する機会も
なくなれば、手薄な場所の手入れもできない。あんたがどれだけ防備を固めようが、ナッシュ夫人、遅かれ早かれあいつらは押し行ってくるぞ」
シルヴィアはアランを見た、無言のまま頷いている。同意せざるをえない。議論の余地はない。
「一人で行くわけにはいかないの?」
「できなくは無い。いつもは一人で仕事をしている、だが今回はちょっと違う。
せっぱつまってるんだ。あいつらのいる暗闇を抜けていかなくちゃならない。
バーの首の傷を見たが、バーもやられたんだろう」
「私もよ」シルヴィアが言った。
ジャックは眉毛をあげた。
「マジか?それじゃあ、誰かに背後を固めてもらうって言うことの意味がわかるだろう」
シルヴィアは髪に絡みついた触手の事を思い出した、私を後ろに引き込もうと・・・
震えを抑え言った。「あのグレーケンって男の事、いつから知ってるの?」
「一年ちょっと前に会った。
それからこんなことが起こらないように、二人でずっとがんばって来た」
「でもダメだったのね」
「そのうちわかることだ。
だが仮に、知り合って何日かしか経っていなかったとしても、おれはあいつを信じるね」
シルヴィア自身もまた、グレーケンを信じるようになったのを渋々認めざるを得なかった。
「いつ発つつもり?」
「明日の朝だ。運がよければバーを連れてここの戸口に、火曜日のうちには帰って来られる。
遅くとも水曜日の朝には帰ってくる」
「最高でも二日。確かなの?」
「確かだ。ネックレスが手に入ったとしても入らなかったとしてもな。向こうに着けばすぐわかる」
「二晩」シルヴィアはゆっくり言った。「バー・・・考え直してみたらどうかしら」
「いいえ、奥様。あなた様をお一人で残して行くのは危険すぎます」
シルヴィアは目の角で。アランが身体を硬くしたのに気がついた・・・
ほとんど気がつかない位背筋を伸ばしただけなので、
知らない人間は気がつかなかったかもしれない。
だがシルヴィアは知りすぎるほどアランを知っていた。
アランを傷つけたと知ったら、バーは大変なショックを受けるだろう。
自分を許せないに違いない。
「グレーケンの申し出は生きている」ジャックが言って聞かせた。
「シティに来て、あいつのビルにいるといい。
あそこが後回しになっていると言うのは本当のことだ。
穴の真上にいるにも関わらず、一匹の虫に悩まされたこともない」
シルヴィアは首を振った。「問題外ね。アランと私でこの状況にきちんと対処できます。
あんなものの為に家を追い出されるつもりはないわ」バーの方を向いた。
「ここにいれば私たちは安全よ、バー。昨日の晩でわかったでしょう。
扉に鍵をかけ、シャッターを下ろせば、それで問題はなかった。今晩も同じよ。
その次の夜も同じ。その次の夜も同じ」
「奥様、私にはそこまで確信は・・・」
「私もよ、バー。もう確かな事は何もないの。ただ一つ言えるのは、私たちが発狂するか死ぬまで、状況はどんどん悪くなると言う事ね」
「私はあなたを守ると誓ったのです、奥様。いつでも」
「わかっているわ、バー」
 バーの倦むことのない献身に胸が熱くなった。
だがこの献身はありがたくもあるが、負担でもあった。
守られているとわかっていれば安心していられる、
でもそれはいつもそばに立ちはだかるのを許すことになる。常に気楽と言うわけにはいかない。
保護という居心地のよい繭から離れるというのは、何日かだけとは言え難しい・・・
嵐の中で、すべての窓を開けっ放しにしているような気分だ。
バーのおかげでストレスを感じていると知られたら、シルヴィアの行動はますます難しくなる。
シルヴィアはジャックに尋ねた。「ネックレスを取り戻したらどうするの?」
肩をすくめた。「グレーケンだけが知っている。物事が正しい場所に戻るのだと、いいな」
「それが真実なら、バー・・・
そのネックレスが世界の終焉と、この悪夢をやめさせるなら、
彼と一緒に行くのも、あなたの誓いを守る事になるんじゃないかしら?」
バーはしばらく黙って立っていた、考え込んでいる。目には拷問されるような色があった。
「奥様・・・」
「こうしましょう」シルヴィアは思いついたように言った。「今夜がどんな風か様子を見ましょう。アランと私があなたの助けが必要と思うなら留まってくれと頼むわ。
でも私たち自身で何とか出来るとわかったら、あなたはジャックと行くべきだと思うわ」
「結構です、奥様。それがあなたのお望みなら」
自分でも何を望んでいるかよくわからないのよ、シルヴィアは思った。
でもこれから一生、トードホールに閉じこもったまま過ごすことが出来ないのはわかる。
「それが私の望みよ」
「よし、決まった!」ジャックが言って、手を打ち合わせ立ち上がった。
「明日朝イチでここに来る・・・明るくなったらすぐだ」
アランが言った。「多分明日の朝はそれほど明るくも早くもないだろうがね」
シルヴィアは、ジャックがバーに歩み寄り手を差し出すのを見守った。
「あんたがどこの出身かは知らないが、尊敬するぜ、大男、
だが肝に命じてくれ、これは、この事態に直接手を下す、ただ一度のチャンスだ・・・
事態を反転させ、ストップし、おれたち全員が普通の生活に戻る為に。
二日間危険に身を晒す価値がある、そうだろう?」
バーはゆっくり手を握った。「明日は一緒に行く」
ジャックはニッコリした。「興奮し過ぎないようにしててくれ、オーケー?」
それからジャックは手を振って、玄関に向かった。
ジャックがいなくなると、バーはシルヴィアに向かって言った。
「失礼ながら、奥様。外の仕事が残っています」
「そうだったわね」
シルヴィアはバーが出てゆく姿を見送った、ふと、あのフレーズが心に忍び込み、
はっと息をのんだ。
 生きて帰れるのは三人だけ
「どうかしたの?」アランが言った。
今は二人だけだった、アランの優しい茶色の眼差しはシルヴィアに注がれていた。
「これでよかったのかしら?」
「怯えてるみたいだね」
「グレーケンのアパートメントであなたが言われた言葉のことを考えていたの、
バーを死地に追いやってしまったのかしら。この旅でバーが殺されたら?そうしたら私の責任だわ」
「私は予言なんか信じた事はないよ」アランが言った。
「それから責任の事について語るなら、これは誰も勝たないゲームなんだ。
もしバーが行って、殺されたら、君の責任だろうか?
だがもしバーを行かせないで、この付近で殺されたら、それも君の責任なのか?
どっちにしても誰の責任でもない。それはただの心理的な罠だよ」
「あなたが正しいんだとは思うの。頭が変な人がわめきたてたことを、本気にするなんて。
私もあの人と同じく気が狂ったのね」シルヴィアはアランにおおいかぶさってキスをした。
「ありがとう、アラン。あなたは私の福音よ」
アランもキスを返した。「こっちもありがとう」
「何のためのありがとう?」
「アランと私でこの状況にきちんと対処できます、と言ってくれたから。重要な事さ」
では・・・アランはバーの言った事を気にしていたのだ。
「バーは他意があったのではないのよ」
「それはわかっている」
「バーはあなたに憧れ、あなたを尊敬しているのよ。
ヌン・ティが死ぬ前あなたに治療して貰った事を永遠に忘れないのね。
あなたはバーのいい人リストに載ってるのよ」
「彼の悪い奴リストには載りたくないもんだな」
「バーは、悪い人リストなんて持ってないわ。
バーが悪い奴だとみなした人間はみんな消えてしまうみたいね。
自分があなたを怒らせたと知ったら崩壊するわね」
「怒っちゃいない」
シルヴィアはアランの目を覗き込んだ。「正直に言って、アラン」
「オーケー」そういうと遠くを見た。
「君をここに、一人、残して行きたくない、と言うあの一言は、ちょっと来たね。
つまり私は・・・観葉植物か何かか?
自分が車椅子だってことはわかってる、だけど無力じゃない」
「もちろん違うわ。バーだってちゃんとわかってる。
ただバーは、私のボディーガードを長年にわたって自認してるから、
この仕事は自分一人ですると思ってるのよ。
もし私が第八十二空挺部隊のキャンプにいても、
自分がいなければ私は無防備だと思うことでしょうよ」
「おかしな話だね」アランは言うと壁を見つめた。
「女たちが、弱い性、と言うレッテルを貼られて、男と同じか、
あるいはそれ以上の能力を持っているのに、証明するチャンスを与えられない、
と不平を言っているのを聞いたことがあるよね。
彼女たちはコインの片側しか見ていない。男たちは男らしさの責任を負わされている。
私たちはタフで、どんなことでも舵を取り、どんな時も冷静で、後退はしない、降参しない、
傷ついても気にしない、そして神かけて、泣くことも許されない。
最高のコンディションにあるときでも容易いことではない、
だが打ち倒され挫けた時には、打ち明けるけど、シル、過度な負担なんだ。
時には・・・人生が詰んだような気持ちになる」
シルヴィアは何と答えていいかわからなかった。ただ手を伸ばして彼の手を握った。
これが答えの代わりになる事を祈った。
 キャロルはメールボックスから戻ってきた・・・空っぽ。今日は配達がないのだわ、きっと。
エレベーターのドアが開いて中年のカップルが姿を現した、
それぞれが二つずつスーツケースを持っている。真っ青な顔をしてやつれて震えている。
キャロルは女性の顔に気がついた・・・何回かメールボックスの所で会ったことがある。
「出て行くの?」
キャロルは言うと、バゲージを持った二人が玄関ホールに行かれるように、傍に避けて道を譲った。
女は暗い顔つきで頷いた。「姉がキャッツキルにいるの。
この酷い状態が収まるまでそこに行くことにしたのよ」
「何かあったの?」
「虫達に入り込まれたの。下の階は全部よ」
「恐ろしい!」キャロルが言った。
 自分のアパートメントが上の階にあることがどんなにラッキーだったかわかった。
夜の間キャロルもベッドを出たり入ったりして窓をチェックしていた。
一、二種類の気味の悪い虫が網戸に張り付いているのを見つけたが、
昨日の晩はほとんど不愉快な目にあわないで済んだ。でも、今晩はどうかしら?
「でも二階十二号室ホーニックスさんよりはマシです」旦那さんの方が言った。
「ジェリーは左手をなくし、小さなお嬢ちゃんは連れ去られてしまった」
気丈に堪えていた女性の顔が崩れてすすり泣き始めた。「可哀想なキャリー!」
ホーニックスさんの事は知らないが、キャロルの心は傷んだ。
「その人たちのために私に何か出来ることがあったら・・・つまり・・・」
言葉が途切れた。キャロルに何が出来ると言うのだろう?
自分自身の問題もどうしたらいいかよくわからないのに。
 二人の幸運を祈りながらエレベーターに乗り込み、十階のボタンを押した。
ドアが閉まり恐怖と共に一人残された。不安、と言ったほうがいいかもしれない。
何十回も電話しているのに、相変わらずネルスンからは全く返事がない。
ネルスンのボイスメールいっぱいに伝言を吹き込んだから、
もう新しいメッセージを入れることもできない。
銀行の方もどうにもならない。取引は全て正しいピンコードで行われ、電話で照会されている。
発信元はアトランティックシティだ。
 キャロルが最後にたどり着いた結論は、何か恐ろしいことがネルスンに起こったと
言うものだった・・・或いは起こっているのか・・・デンヴァーで。
ネルスンは賭博をした事はない。
よく冗談で言っていた、カジノで時間と労力を無駄にするなら、
カジノのマネージャーに直接有金を手渡した方が早い。
誘拐されたのかもしれない、それとも・・・。
電話が鳴った。発信元のIDを見ると、知っている番号だった。受話器を取った。「ネルスン!」
しわがれた声。「キャロル」
やっと判別できる程度の声だったが、確かにネルスンの声だ。
「どこにいるの?何があったの?」
「ちょっと釈明が必要なんだが、俺は・・・」
キャロルの声が、それ自体意思を持っているかのように流れた。
「まだデンヴァーにいるの?メッセージを受け取った?一体・・・?」
「ちょっと喋らせてくれないか?」
「ええ、ええ、もちろんよ」
「メッセージを受け取った。アトランティックシティにいる。俺は・・・」
「アトランティック・・・?」
「そうだ、アトランティックシティ・・・もう帰らない」
キャロルは言葉を失った。
「デンヴァーに出張と言ったが、実際はアトランティックシティに来てるんだ・・・
ある人と会って、彼女と一緒にいる。ずっとケチケチ生活してきた。
ちゃんと生きる時が来たんだよ、金がいるから、口座を空っぽにした」
「でも、あなた・・・」
「なんだよ?文句でもあるのか?俺の金だ。俺が稼いだんだ。
お前には自分の金がいっぱいあるだろう。使い切れないほどな。
俺の口座のことで気違いみたいに電話してきて、全く理解できないよ」
キャロルは確かに使い切れないほどお金を持っている・・・四億かも?五億かも?
キャロルにはわからない。ジミーが・・・ラサロムが・・・
十五才でうちを出て行って、溜まっていた遺産の半分を持って行き、その残りがある。
金額は膨れ上がり続けている。
キャロルは何百万かチャリティーに寄付をした、それでもまだ増えに増え続けている。
キャロルは腹が立ってきた。「お金の心配をしてるんじゃないわ、あなたの心配をしているのよ」
長いこと何も聞こえなかった、そして「そうだな、もうよそう。お前じゃないんだ。
もうこれ以上結婚生活を続けたくないんだよ」
「それは電話で言うようなことなの!」
ネルスンは溜息をついた。「悪いとは思ってる、だけど腹が立つのもほんの一時的なことさ。
結局のところ、俺ももう七十になる。
セントラルパークの穴をテレビで観て、俺の中の何かが、全部終わりだと言ったんだ」
「おお、よくそんなことが言えるわね!」
「本当の事さ、キャロル。終わりが来たんだよ。
最後の日々はこっちで過ごす、お前は例の神父の友達と一緒に過ごしたらいいんじゃないか」
その言葉が何よりショックだった。「ビル?彼は違う・・・」
「おためごかしを抜かすなよ、キャロル、おまえら二人が見つめ合う様子でわかってたさ。
多分過去に何かあったんだろう、多分今も何かあるのかな。俺は知らないがね。
違ったとしても、俺のアドバイスを受けたほうがいい。もうあんまり時間は残されてないんだ」
ビルに対する気持ちはそんなにあからさまだったのかしら?
ネルスンが言った。「そうだ、キャロル。シティを出ろ。
安全な場所に行け。もうみんなめちゃくちゃだ。
傷つけたとしたら悪かった、だがこうした方がいいよ」
そうしてネルスンは電話を切った。
 キャロルはリビングに立ち尽くした、手の中には声の消えた受話器、
すると、二つの全く違う考えと感覚が溢れ出し、形を取り始めた。
ネルスン・・・ここ何ヶ月か何となく距離を置いていたが、
キャロルはあまり気に留めていなかった。
キャロルの息子が恐るべき残虐行為を行い、彼女自身の人生がここ一年の前半に
すっかりひっくり返ってしまった。それから・・・ビル・ライアンが帰ってきた。
私が悪かったの?私がネルスンに一線を踏み外すようなことをさせたのかしら?
それともネルスンは単にこの気の狂った現代社会に根をあげただけなの?
中年期の危機は通り抜けたのに、晩年期の危機に陥ったと言うの?
理由はどうあれ、ネルスンは行ってしまった、誰か新しい人と、キャロルを一人残して。
違う・・・一人じゃない。一人きりで向き合ってるんじゃないわ。
WNYWーTV
キャメロン:しかしドクター・サピア、その数字にどのようにして到達したのですか?
サピア:単に日の出と日の入りの時間、水曜日以降の昼間の時間を計算してグラフにしただけです。その数字から引き出したカーヴがこれです。そのカーヴを先に伸ばしたのです。
キャメロン:これを見ると・・・
サピア:そのまま辿っていけばいいだけです。今日の日照時間が約十一時間、
明日、月曜日は少し短くなって十時間、八時間と四十分の日照時間が火曜日、七時間が水曜日、
そして・・・それから急にカーヴがきつくなるのがわかりますか・・・
四時間と二分の間日が差すのが木曜日です。
キャメロン:そして金曜日は?
サピア:金曜日はなしです。
キャメロン:なし?
サピア:その通り。このカーヴが正しければ木曜日は午後三時一分に日が沈みます、
そして二度と上がりません。金曜日は日の出はないでしょう。
キャメロン:でもそんな事があるんですか?
サピア:日の出はない。
キャメロン:そうしたら・・・?
サピア:こうなるのです<すすり泣き>単に・・・こうなるのです。

マンハッタン
 ビル・ライアンはグレーケンの書斎のテレビの前で座ったまま固まった。
サピアのインタビューをつけたのは、古い知り合いを見たら、
そのショックでニックが現実世界に引き戻されるかと思ったのだ。
ショックを受けたのはビルの方だった。
金曜日に日の出がない?ありえないように思うが、
ドクター・ハーヴェイ・サピアは世界的な権威だ。その彼が崩れ落ち泣くのを見た・・・
「ニック」ビルは言って若者の方を振り向いた。
「何が起こってるんだい?この頃はいろんな予言を聞かせてくれるじゃないか。
こいつはどうなるんだい?」ニックは答えなかった。
うつろな眼差しで壁紙の渦巻き模様をじっと見つめていた。
 ビルは目を閉じて、フラストレーションのあまり叫び出しそうになるのを堪えた。
何もかも間違ってる。特にニック。ニックを見るたびに、
自分と親しかった為に、自分が気にかけていた為に、傷ついた人間たちを思い出す。
ビルの両親、小さなダニー・ゴードン、リスル、そして今度はニックだ。
全員が死んだか、気が狂った。何のためだ?ビルを孤立させる為か?
自分を見失なわさせる為か?二度と誰かと親しくなったり、好きになったりさせない為か?
 奈落よこんにちは!
書斎の窓からシープメドウズの穴を見ながら思った、午後の光の中の黒い斑点のように見える。
どうだ?穴は確実に作用している。
ビルに何のいい所がある?グレーケンの為の何の役に立つ?呪われたヨナと同じだ。
老人は何のために自分をここに置いておくのだろう?
 答えの出ない質問。グレーケンはここにいさえもしない。
この建物の中の空いているアパートメントを、逃げ込んできた人々の為に整えているのだ。
ビルも手伝いたかった・・・
体を動かせば、襲いかかってくる無力感がいくらか軽くなるかもしれない・・・
だがニックのそばに誰かいないと。それにビルはニックに責任を感じている。
 呼び鈴が鳴った。
 変だな、扉に向かいながらビルは思った。ここに上がってくるには鍵が必要だ。
ここまで来ていて、わざわざベルを鳴らすのは誰だ?
 アトリウムに立っている女性を見て、ビルはびっくりした。
「キャロル!君が来ていたとは知らなかった」キャロルを見た途端、ビルの無気力感は吹き飛んだ。
「自分から来たんじゃないの。グレーケンに言われて」
何か悪い事があったのだとすぐにわかった。
さらに近寄って、キャロルの顔の皺が目につくのに気づいた。
キャロルはいつも実年齢より若く見える、
それなのに今日はいっぺんに誕生日が来たみたいに見える。
「入って」ビルはキャロルの後ろ、アトリウムをちょっと見回した。
「ネルスンはまだ戻らないの?」
「いいえ。あの人はもう帰ってこないの」目に涙があふれた。
「彼は私を置いていったの」
「何言ってるの?」
 キャロルはソファに腰を下ろし、身も細る思いで心配し続け、
挙句の果てに受け取った電話の話をした。
 人非人め!電話だけでゴミのようにキャロルを捨てたのか?電話で?
「口座の事がわかったときに私のところにに来るべきだった」自分の声が遠くから聞こえた。
「自分ひとりで立ち向かうことはなかったね」
知らず知らず、自分が昔やっていた、ファミリーカウンセラーとしての神父役を演じていた。
 我に帰った。これは教区民じゃない、キャロルだ。よく知ってる相手。
いや、知ってるどころじゃない・・・今度こそ白状しよう・・・
ティーネージャーの頃恋してた相手だ。
キャロルが悩んでいるのに、感情的に距離を取ろうなんて、バカじゃないか。
そんな事してちゃダメだ。
「あなたを関わらせたくなかったの」うつろな目をしているニックをちらりと見ながら言った。
「あなただって問題を抱えているのに」
「彼を愛してたの?」言葉が滑り出た途端、ビルはその言葉を引っ込めたくなった。
この質問に答える必要はないと言おうとして、キャロルはもうわかっているのだと気がついた。
ならば率直に話そう。何ヶ月か前シティに帰って来てから、引っかかっていた質問だ。
答えを知りたかった、どうしても。
「イエス。ある意味ではね。ジムを愛していたのとは違うの。
ネルスンとの関係はもっとずっと落ち着いたものだったわ」
「どうして彼と結婚したの?」
 自分がこんな質問をしているのが信じられなかった。
だがここは薄暗い部屋だ、薄れゆく光にキャロルのシルエットが浮かび上がっている、
ビルは言えるような気がした。言わなくては。ランプをつけようとはしなかった。
薄明かりのムードが壊れてしまう。
「寂しかったんだと思うわ。ニューヨークに帰ってきて、知り合いは誰もいなかった。
ほとんどそれを望んでいたの。新しいスタートが切りたかった。
モンローに帰って古い友人たちの顔を見たくなかった。あまりにも時間が経ちすぎていたわ。
モンローに行ったら、ジムと、一緒に過ごした日々のことを思い出すだけだもの。
それにこんなに長い年月私がどこにいたか知りたがるでしょう、
どうして私が出て行ったか知りたがるでしょう、そして知りたがるわ・・・あのベビーの事。
もうその事については話したくなかったの。全てをもう一度話すなんて耐えられない。
新しいキャロルを作りたかったの」
「よくわかるよ、完全にわかる」
「わかってくれる?」
「もちろんだ、ノースキャロライナの僕がそうだった。
名前をウィル・ライアースンに変える事までしたんだ。理由は違うけど。不思議じゃないかい?
僕たちは千マイルも離れたところにいたのに、二人とも自分を作り直そうとしていた、
それも全く同じ時期に」
「それじゃ、どのくらい孤独だったかわかってくれるわね。
少なくとも、あなたには信仰する宗教が・・・」
ビルはゆっくり首を振った。「以前はね。信仰していた。今は失ってしまったよ」
人生の中で気にかけていた人も、気にかけていた物も全て失ってしまったのとちょうど同じようにね。「いや、どうぞ続けて」
「シティでもう人間関係を築くのは難しいわ。この年で知り合いがいなくては尚更ね。
出会う男ははるかに年下で、あった途端にこれ幸いとベッドに飛び込むような簡単な女と
見くびられたり、離婚歴が二回もあって三回目なんかどうでもいいと思ってる奴だったり、
単に介護の相手を探してたり。ネルスンは違っていたのよ」
「ネルスンは何を求めていたの?」
「何も。ネルスンは自立してた・・・ずっと独身で自分の事は自分で出来た。
ガツガツしてなかったし、私もね。お互い気分よく落ち着いたの。プレッシャーもないし。
単なる仲間・・・本当の意味の仲間だったの」
ビルは何も言わなかった。もっとひどい結婚の動機を聞かされた事もある。
「仲間が・・・うーん・・・さらに近しくなって、一緒に住むようになった。
意見が合ったし、いいカップルになれた、相手の要求を思いやり、調子を合わせる事も出来たの。
しばらくして、法的に一緒になる事にしたのよ」深まる暗闇の中に優しい笑い声が聞こえた。
「お熱いロマンスはなかったけど、うまく行ってた。今まではね」
ビルは心の中で渦巻く感覚を抑え、何かすばらしいアドヴァイスを言おうと頭をこねくり回した。
キャロルは傷ついている、平手打ちでも食らったような顔つきがそれを物語っている、
それなのにビルは・・・喜んでいる。
「キャロル・・・」
「まだここにいたのか?」グレーケンが言った。
 二人は揃って顔を上げた。グレーケンはいつも音も立てずに入ってくる傾向がある。
キャロルは背筋を伸ばすと、窓の外を見た。
「マイ・ゴッド、暗くなって来たわ!帰った方がよさそう」
 キャロルが立ち上がるとビルも同時に立ち上がった。
今日一日が今始まったばかりのような気がした。
ビルが反対しようとした時、グレーケンがピシャリと言った。
「もう日は暮れた。外には出られない。
パークを横切るなど以ての外だ、アパートメントは放っておきたまえ。ここに泊まりたまえ。
部屋はたっぷりあるから」
 ビルはガッツポーズを取りたいのを我慢した。
できるならそうしたかった、キャロルが一晩中ここにいるなんて、
飛び上がるほどの喜びを隠しきれなかった。
シェルター
「ここ、すきじゃないよ、マム」
ジーアはヴィッキーの肩を優しくつかんで思った、私もよ。しかし口には出さなかった。
「ここなら安全なの。それが大切よ」
「安全は向こうから来るもんじゃない」
エイブは三つ目の地下壕の後ろにカーテンを張りながら息を切らせていた。
「要塞のように建てられとる。
上下左右は四フィートの強化コンクリート、地下十フィートの所に収まっちょる。
フリーズドライ食品、水道、電子レンジ、明かり、ベッド、衛星放送とヴィデオプレイヤー、
トイレもある。何が気に入らん?」
 窓はないの?ジーアは思った。
  ルート80で快適にジャージーを抜けて、ペンシルヴァニアの農場地帯へと入ってきた。
ジーアは自分がどこにいるのかさっぱりわからなかった、わかったところで何なの?
ヴィッキーから厄介ごとが遠のけば、ジーアも気分がいい。一日の後半は殆ど引越しに使った。
みんなの荷物を垂直に下る梯子で狭い地下壕に運び込む・・・
あるのはコンクリートに打ち付けられた横木だけ・・・体験学習をしなければならなかった。
あるべきものをあるべき所に据え付けた。ちょうどよかった。夜が迫っていた。
 ジーアは腕をさすった。下は寒い。そして湿気ている。
 そして閉塞している。
 ジーアもヴィッキーも閉所恐怖症でなくてよかった。少なくとも今のところは大丈夫。
このむき出しのコンクリートの壁の中にずっと長い事閉じ込められていたら、
ジーア自身どうなるだろうか。
「どっちにしても」エイブが言った。「下にいなくちゃならないのは暗い時間だけだよ」
「それは日毎に長く長くなるのよね」ジーアが言った。
「明るくなったら飯を食って、農場の中をぶらぶらしよう。農場には面白いものがいっぱいあるぞ」
「牛のおっぱいもしぼれる?」ヴィッキーが言った。
エイブは笑った「納屋に雌牛はおらん。
たぶん元の持ち主のニワトリが野生化して、何羽かいるかもしらん。
粉末のじゃなくて新しい卵が暫くは楽しめるかな」
「あとたのしいのはどんなのがあるの?」
「射撃の練習をしたらどうかな?」エイブはヴィッキーのおさげを優しく引っ張った。
「どう思う?」
ジーアは呆気にとられてエイブを見つめた。ヴィッキーに銃を、咄嗟に言葉が出なかった。
「エイブ、まさか・・・本気で言ってるんじゃないでしょうね」
「こんなことを冗談で言うと思うかね?」
「銃は嫌いです」
エイブは首を振った。「ジャックを愛する女が銃を嫌いとは。訳がわからんの。
虫を前にして銃が嫌いなんて贅沢を言ってられるかな。今は・・・この状態がずっと続くんなら、
銃があんたとあんたの娘と捕食者の間に立つ唯一のもんになるんじゃぞ」
「銃はあなたの専門よ。あなたにお任せするわ」
エイブは穴が空くほどジーアをみつめた。
「もし、神よ許したまえ、わしに何かあったらどうするね?」
ジーアは周りを取り囲むコンクリートに手を振った。
「このベルリンの壁の中で何が起こるっていうの?」
「考えておいてくれ、オーケー?頼んだよ?あんた自身の責任じゃ」
「オーケー。考えておくわ」
でも自分の考えはわかる、ありえない。
ジーアはポケットを探って紙切れを取り出した。ジャックが周波数を書き付けていた。
「そろそろジャックに連絡する時間ね。短波ラジオの扱い方を教えてくれてもいいわよ」
「納屋の上に、携帯受信装置と一緒に短波ラジオのアンテナとディスクをつけなくちゃならん。
まず携帯を試してくれ」
ジーアは首を振った。「物事が悪くなったら、短波の信頼性が高いって言ってたでしょ。
慣れておきたいの」
ジャックの声が聞きたかった。ジーアがここにいても、やっぱり心配しているだろう。
だがジーアの方はその二倍心配している。ジャックは虫たちの真ん中に留まっているのだ。
「ヘイ、マム」ヴィッキーが言った。「パラベラムはどこ?」
ジーアは振り返ると、空っぽのカゴを見つめた。
「パラベラムがいない!」エイブが叫んだ。
「探し出さなきゃならん!ここで生き残ることは出来ん!」
WFPWーFM
 ただ今入りましたニュースです。
ニョークシティ刑務局によると、一時間ほど前に、リッカー・アイランド刑務所で
大規模な集団脱獄が起こりました。第三シフト夜勤の看守の八十五パーセントが病欠し、
第二シフトが超過勤務を拒否し帰宅したためです。
警察長官によるとシティの分署で夜勤による同じような問題が起きているそうです。

ハンクは太い木と鉄で出来たつっかえ棒を扉にはめ込み、
窓のシャッターがしっかりきちんと施錠されているか確かめた。さて・・・
 ノックの音がした。
 誰だクソ?
 扉に近づいたが、つっかえ棒には手を触れなかった。
「ああ?」
「ミスター・トンプスン」向こう側からお馴染みの声がした。
「エルンスト・ドレクスラーです。一言いいかね?」
「むろんさ。言えよ」
「扉越しでは話したくないのだ」
「さてね、そいつはどうかな。新しいルールでね。うちの扉は日の入り後は開けないのさ」
「お願いだ、ミスター・トンプスン・・・」
「話さないなら帰ってくれ」
暫く黙っていたが、溜息をついて、それから言った。
「私は多少まずい立ち位置に置かれているのだ」
「つまり?」
「今晩泊まる場所がない」
ハンクはこう来るのがわかっていたが、白スーツ野郎を凹ませてやらない手はない。
「と言うことは、ひょっとして、防風シャッターをつけてくれる人間が見つからなかったのかな?」
「不幸なことにその通りだ」
「そりゃまずいな」
「もしかしたら・・・」
「ああ?」
また溜息が聞こえた。
「もしかしたら今晩君の本部を分かち合ってもらえるのではないかと思ったのだ」
ハンクは考慮するような振りをした・・・考慮など全くしていなかったが。
長く間をおいて、言った。「だめだな」
「ハンク、頼む、泊まる場所がないのだ」
今度は「ハンク」と来やがったか?ドレクスラーが「頼む」と言うのは初めてじゃなかったか?
「悪いな、ドレクスラー。ルームメイト絶賛募集中じゃないんだ」
「思い出して欲しいのだが、君はここをアンシエント・セプティムス・フラターナル・オーダーから借り受けている、私はそのメンバーで君は違うんじゃなかったかな?」
「そのことについちゃ、今までに数え切れないほど思い出させてもらってるぜ。
だが、あんたはやっぱり今晩ここには入れない。
他の連中と一緒に地下室で過ごせばいいじゃないか。窓もないし、十分に安全だ」
「ちょっと聞いてくれ・・・」
「いや、お前が聞け。お前とお前のオーダーどもはやりたいようにやれ・・・
俺たちを立ち退かせるでも何でもな。
だがこれは確かだ、俺は今晩ひとりっきりでここで過ごす、夜が明けるまで扉は開けない。
この問題について俺が言うのはこれだけだ」
ドレクスラーが扉を叩き始めたが、ハンクは背を向けるとベッドに飛び込んだ。
たちまち扉を叩く音はなくなった。ハンクは目を閉じ、眠りに入ろうとした。
キャロルはグレーケンの部屋の大窓の前で、ビルの隣に立っていた。
ビルはパークを見ていたがキャロルはリビングルームの中を見ていた。
ジャックとグレーケンは部屋の向こうの端で何やらいろいろ言い合っていた。
ジャックはもっと早くに着いていて、ジーアという名前の人からの短波ラジオの音声を
嬉しそうに聞いていた。
今、ジャックとグレーケンは時々キャロルの方をチラチラ見ながら話を続けていたが、
本当に見ているのはビルだと気が付き、キャロルは落ち着かない気持ちになった。
窓のほうに振り向くと、下のほうにライトと、忙しげに動き回る人影が見えた。
「何が始まるの?」
「よくわからない」ビルは言うと、近くのテーブルから双眼鏡を取り上げ、覗き込んだ。
「昼間のうちに爆雷らしき物を中に入れていたけどどうやらまた殺虫剤を散布するみたいだね」
双眼鏡をキャロルに手渡した。「見てごらん」
シープメドウズがレンズの中に浮かび上がった。
キャロルは昨日の晩同じシーンをテレビで見た事を思い出した、
血みどろの恐怖の中に終結したシーンだ。
「またやるなんて信じられないわ」キャロルが言った。
「あそこにいる人たちはものすごく勇敢か、頭が変かどっちかね」
「僕なら敢えてそうは言わないな。あの人たちは自分の仕事をやってるんだよ。
誰もが気が狂うような状況の中、両手を挙げて、もう知ったこっちゃない、世界はもう終わるんだ、全てを放り出して、さぁパーティーだ、好き放題やろう、今まで許されなかったことを
何でもやってやれ、今までは金を払わなくちゃできなかったんだ。
飲み明かせ、ヤクに溺れよう、レイプだ、なんでも奪い取れ、殺せ、やっつけろ、燃やしちまえ、
気分がスカッとするからな。
だがいつだって自分の仕事を辞めないごく少ないパーセンテージの人がいる、
自分の義務、責任、物事を動かし続けようとする人たちがいる、
世界の終末思想なんて関係ない、そうやってただただ働く人たちがいるんだ。
自分が狂う事は、日々やって来たことが偽りだったと、自分が偽善者だったと、
見せかけだったんだと言うことになるから。
へい、今まで言ってた事は、やって見せてた事は全部何だったんだ?
全部嘘っぱちだったのさ、これがリアルな自分だ、そう言うのと同じ事になるからだよ。
ごく少ないパーセンテージのそんな人たちは、ラサロムが投げつけるものなんて問題にしない、
引き下がったりしない。そういう人たちが今、忌々しい穴の周りにいるんだ」
 キャロルは知らず知らずビルをじっと見つめていた、喉が詰まり目に涙があふれた。
キャロルにはわかった、今まさにそういう人たちのうちのひとりの隣に立っていると言うことが。
拍手喝采の音がキャロルを振り向かせた。二人の後でジャックとグレーケンが手を叩いていた。
「あんたはとてつもない説教をしてたんだろうな」ジャックが言った。
ビルは恥ずかしそうな様子をした。「済まない、釈迦に説法だった。
ちょっと夢中になってしまった」
「いや」ジャックは優しく言った。「クールだったぜ」
グレーケンはにっこりした。「ラサロムが君を嫌う理由の一つを立証したね。
君が今描き出したタイプの人々こそが、彼の優位を脅かす唯一のものだ。
生憎、そういった人間が十分にいるとは言えない。もしそのパーセンテージが逆になって・・・
恐怖に従うことを拒み、自分の信じるところ、自分が生業として来たものを貫き通す人達が、
今は恐怖に屈している人達と同じくらいいれば・・・ラサロムにチャンスはない。
逆もまた真なりだ。大きく広がる暴力や無秩序を食らえば、ラサロムの力は増大し、
さらに昼間を短くするだろう、恐怖や不合理が拡大すればラサロムはさらに強大になり、
遂には彼を勝利に導く事になる」
下から光が閃き、キャロルの注意を引いた。キャロルは振り返るとパークを見つめた。
「おお、見て!」
全員が窓べりに立つキャロルに近寄ると、シープメドウズの周りにいる人達が
深みから上がって来た虫たちに炎を浴びせかけているのが見えた。
「こいつは驚きだ」ジャックがキャロルの左の肩越しに言った。
「火炎放射器か!キングコング用の火炎放射器だな!」
「こいつは効きそうだ」ビルが言った。
 その通りだった、炎は効き目があった。穴から飛び出た奴らは交差する炎に捕まった。
まわりから中に向かい炎が弧を描いた。
縁に配備されたポンプ車が燃料を補給し、穴から夜の闇へ飛び立とうとしている奴らを、
前に後ろに、炎の波でなぎ払った。ガソリンだろうか、闇の中を、ホースから浴びせかける炎が、
よじれ、回転し、もつれ、閃き、打ち倒した、
奴らはまるでキャンプファイアの中で飛び散るもえさしのように見えた。
 キャロルはスリルにゾクゾクした。あいつらが死んでるわ!あいつらを食い止めた!
誰もが模索していた希望の光が見えた!
「どうなるかしら?」キャロルは言うと双眼鏡を外し振り向いた。
「火炎放射器を全ての穴の周りに取り付けたら・・・」
「ヘイ、下の様子が変じゃないか?」ジャックが言った。
キャロルはもう一度双眼鏡を覗いた。
炎のアーチが波打ち閃きながらも、いくらか威力が落ち込み、穴の中に下向きに流れ込んで行く、
後退し穴の縁の地面を焼き焦がしているものもある。
すると、キャロルにもその理由がわかった。「おお、ノー」
 今晩穴から出て来たのは空飛ぶ奴らだけではなかった。
レンズを通し、違った形の奴らが見える・・・
ギラギラした固く黒い球体の体を持つ生き物が、たくさんの足でクネクネと這いずりだして来た、
人間の身長くらいの長さで太さは太腿くらいある、
そしてさらに・・・穴の縁を越えうねうねと芝の上に向かい這いずって行く。
火炎放射器を扱う人達に襲いかかり引きちぎり始めた。
キャロルは双眼鏡を外し、取り落とした。
ジャックはそれを拾うとしばらく黙って見ていたが、次にビルに手渡した。
ビルの声は乾いてひび割れていた。「毎晩何かしら新しい恐怖が加わって行く」
「そして前の晩より長くなる」グレーケンが言った。
「だが少し窓から離れてこっちに来てくれないか。話合わねばならない事がある」
 キャロルはリビングの明かり中に戻って来たのが嬉しかった。隣のビルに身を寄せた。
アパートメントの中は暖かいのに寒気を感じた。
ビルが腕を回してきつく抱いてくれたらいいのに、と思ってしまった。
昨晩まで一人で何日か過ごしていたが、今晩は心に孤独を感じた。
ジャックが向かい側に座った、グレーケンは立ったままだ。
「ジャックは明日太平洋の真ん中に向けて旅立つ。
このアイテム探しの旅は我々の生死を左右する。
しかしネックレス奪還に成功したとしても、それだけでは足りないようだ。
さらにあるものが必要だ。もう一つ材料が必要なのだ。
それを入手する為に、誰かに反対方向に旅してもらわなければならない。
ジャックが両方は無理だ・・・時間がない。反対方向に行く人間を募りたい」
キャロルの胃の腑で嫌な予感が膨らんだ、二人の男はビルを見つめている。
ビルが言った。「どのくらい・・・反対方向にどこまで行くのですか?」
「ルーマニアだ」
キャロルはビルの手を掴んで握りしめた、ダメよ!
「どうやって行けばいいでしょうね?飛行機は・・・」
もうわかってるんだ!キャロルは思った。聞かれるまでもなく旅行計画を相談している。
「パイロットに知り合いがいる」ジャックが言った。
「兄弟二人なんだ。ロングアイランド郊外でプライヴェートジェットを運営している」
「まだ飛んでるのかい?」
ジャックはにっこりした。「さっきある種の人間の話をしてたろう・・・
何があっても自分の仕事を続けるやつがいるって言ったな?
フランクとジョーのアッシュ兄弟はまさにそう言う二人さ。あいつらは諦めない・・・
諦めるなんて、考えもしないだろうな」
「フランクとジョー」ビルが言った。
「ハーディ・ボーイズみたいだな。私のためにも飛んでくれるかな?」
ジャックは頷いた。
「報酬次第だな。話はするよ。
東ヨーロッパに飛ぼうとするほど気が狂っちゃういないだろうが、正当な報酬・・・
ゴールドで払ってくれれば・・・あいつらはやるよ」
「ゴールドで?」ビルが言った。「持っていない・・・」
「私が十分に持っている」グレーケンが言った。「引き受けてくれるかね?」
「もちろんです」
「ビル!」キャロルがビルの手をキツく握りしめた。「よく考えた方がいいわ」
「何を考えるの?」ビルが澄んだ迷いのない目でキャロルの目を覗き込んだ。
「誰かが行かなくちゃならない。役に立ちたいんだ、キャロル。
自分が予備のタイヤみたいな気分になってた。何かしたい。くそ、ここにいても役立たずだ」
私があなたを必要としてるわ!
自分の気持ちの激しさにキャロルは驚いた。
「殺されるかもしれない」
「今出来る事をしなかったら全員死ぬんだ」グレーケンの顔を見た。
「いつ発って、何を取ってくればいいですか?」
「明日の朝発って、・・・」
「おお、ノー」キャロルは黙っていられなかった。
「・・・岩山の渓谷で金属のカケラを探して欲しい、
1941年にそこで砕け散った剣の破片なのだ」
ビルはショックを受けた。「それだけですか?」
 アパートメントの窓を爆発音がガタガタ言わせた。
キャロルはグレーケン、ビル、ジャックの後に続いて大窓を見に行った。
下のシープメドウで炎の大きなうねりが夜の空気の中に高く舞い上がった。
火炎放射器にガソリンを供給していたトラックのタンクが爆発したのだ。
双眼鏡なしでも光の閃きがよく見えた、
キャロルはシープメドウズいっぱいに穴から出てきた新しい怪物どもがうようよしているのを見た。そいつらはシティ・ストリートをギラギラ光を反射しながら、
のたくり、波打つカーペットのように広がりながら進んでいた。
 アトランティックシティでも同じ事が起こっていたとしたら・・・
ネルスンと新しい女の所でも。自分を捨てた男を心配する筋合いはないが、心配だった。
今まで一緒に暮らした男・・・
 見上げると大きな月が上っている、シティの上にオレンジ色に輝いて。
でもどこか・・・今晩の月は違っている。
「月のどこが変なのかしら?」
他の三人も並んで眺めた。ジャックが最初に気づいた。
「月の表面・・・月のウサギがいなくなってる。ジーズ・・・月まで変わったのか!」
「変わってはいない」キャロルの肩の後ろから平たい声が聞こえた。
かすかな驚きの声を漏らしキャロルが振り返ると、ニックが真うしろにいた。
しかしニックの目はキャロルを見ていなかった。ニックは月だけ見つめている。
「同じ月だ。ひっくり返っただけだ。いわゆる月の暗い側をみているんだ」
キャロルは振り返り、長い間ロマンスのシンボルだった球体を恐れるような気持ちで眺めた。
月のウサギまで私たちに背を向けたのね。
「明日僕を連れて行って」ニックはビルに言った。「僕がいなければ何も見つからない」
キャロルはニックを見つめるビルを見て、それからグレーケンを尋ねるように見た。
しばらくしてグレーケンは頷いた。「彼の言う通りだと思う。
彼の助けが君の旅を短くするだろう。今は時間を短縮する事はなんでもした方がいい」
さらに寒気を感じながら、キャロルは窓に振り返り、ビルに背中を預けた。
青白い月の、見慣れない稜線を持つ新しい顔を見つめ、うめき声を上げた。
何か暗いゾッとするような、気を挫くように巨大な物が、空を横切り、光をさえぎった。
それはゆっくりと空に浮かぶ幕の様に、全てのものを凍らせ、その大きな影の中に流し込みながら、通り過ぎて行った、月が再び姿を現した。
震えるキャロルの肩に、ビルの腕が回されるのを感じた。
しかしキャロルの骨の髄まで染み込む氷の予感を振り払う事は出来なかった。
 エルンストはブランケットの下に潜り込み、夜明けまでの時間を数えていた。
キッカーの田舎者どもの鼾に取り囲まれ、徴収して来たベイクド・ビーンズの缶詰のケースが
ベッド代わりでは、心地よさとは程遠く、眠るなど望むべくもない。
 我が人生に何が起こったのだ?
 この前の夏、世界のトップにいた。
フィントマンクカが今まさにエルンストが横になっている真下の地下二階で懐胎しており、
エルンストこそ一者の右腕で、未来は約束されていた。
今、一年も経っていないのに、この一般大衆の中で死と苦しみ以外なんの未来もない。
 少なくとも今晩の所は安全だ。
真上にあるアパートメントもオフィスも昨晩侵入を受けた、だが地下室は大丈夫だ、
窓もなく、壁の基部は分厚い石、閂をかけた扉だけが唯一の外へのアクセスだ。
水道、ホットプレートが二つ、電子レンジ、灯油ストーブがある。
扉がしっかりとしている限り、食料が持ちこたえる限りは生きながらえる事が出来る。
そしてその後は・・・どうなる?もし・・・
 床の震えを感じ、起き上がった。
これは何だ?シティの端にまた穴が空いたのか?
また振動が来た。地下二階から来ている様な気がする。
しかしそこにあるのはオルサの抜け殻だけだ。
石の様になり始めているが、元は生物で、フィントマンクカを創造すると言う使命を全うしたのだ、腐り始めたに違いない。
遡ること2001年の秋、地下二階はオルサを運び込むために穴を開けてから、再び修復した。
オルサの始末に再び穴を開けたが、ハイ・カウンシルは修復の基金を出し惜しんだ。
 変化、がオルサに影響を及ぼしている徴候か?生き返るのか?
多分エルンストなら自分の利益の為に利用する手段を見いだせる。
 また振動が来た、しかし誰も気がつかない様だ。
立ち上がると、散らかった部屋をそおっと抜け出してメイン・エリアに出て行った。
クローゼットを開け、中の床にある隠し扉を引っ張り上げた。
オーダーのロッジは地下二階と抜け道が備え付けてあるが、
この建物はオルサを向かい入れたので密閉されている。
 エルンストはグラグラする鋳鉄の螺旋階段の上に立ち、下の暗闇のジメジメした場所から響く、
曖昧な正体不明の音に耳を傾けた。階段を降り始めた。
階段はフィントマンクカによってダメージを受けており、エルンストの重みに揺れ動いた。
下まで降り切るとあかりのスイッチを探ってつけた。
 エルンストは叫び声を押し殺した、明かりに照らし出されて、黒くギラギラ光る
数フィートの長さの甲虫の群れが、地下二階の壁の割れ目からゾロゾロ這い出して来る・・・
オルサを運び込む為に開けた裂け目だ。地下二階のオルサに惹かれて来たに違いない、
オルサを夢中で貪り喰っているので、エルンストに気がついていない。
 エルンストは一目見ただけで、振り向いて、階段を戻り始めた。
手は震え、手の平の冷や汗で手すりが滑ったが、出来る限り早く進んだ。後ろは見なかった・・・
敢えて見なかった、一番上に着くまでは。
 隠し扉を閉めるときチラリと下を見ると、二匹の甲虫が階段を上ってくる所だった。
慌てふためき、扉を閉め、何か上に乗せるものはないか辺りを見回した。
食料!缶詰のケースがメイン・ルームにあるではないか、しかしとってくる時間はない。
逃げなくては、しかしどこに?トンプスンの部屋だ。必要なら扉をぶち破ろう。
 エルンストは駆け出した。メイン・ルームを通り抜けながら、
警告の叫び声を上げようと口を開いたが、やめておいた。
熊から逃げるなら、とにかく熊より早く走る事、他の奴らより早く走る事だ。
他の奴らが走らないならむしろその方が・・・
 口を閉じたまま出口に急いだ、鍵を開け、メインフロアに続く階段口に出た。
細心の注意を払いながら玄関ホールまで駆け上がった。
袋の虫が何匹か大理石の壁にぶら下がっていたが、それ以外は静かだ。
そう簡単に捕まってたまるか、エルンストは思った。
 休む事なく、エルンストは二階まで階段を駆け上がった。
後ろから羽音が聞こえ、スピードを上げた。
使い古した心臓のリズムが乱れ、空気が希薄になった様な気がした、酸素が足りん。
肉体を酷使することは普段ない、筋肉が悲鳴を上げ抵抗した。
 トンプスンの部屋の扉に駆け着くと、叩き始めた。
「ハンク!中に入れてくれ!虫が地下室に侵入した、もう行くところがない!」答えはない。
さらに激しく扉を叩いた。
「お願いしているのだ、君にも慈悲の心はあると信じている、入れてくれ!」
右から羽音が・・・袋の虫が階段から浮き上がって来て、エルンストの方に向きを変えた。
「たのむ!」
中は沈黙している。ならばあれしかない。
ポケットからシアン化合物のアンプルを取り出し、唇に当てた・・・ひと噛みで・・・
怒った様な羽音が腕を切り裂いた、肘に燃える様な痛みが爆発して、アンプルが空に飛んだ。
「ノー!」ダメだ・・・こんな風に死にたくない!
シアン化合物に向かって床にダイブした、その時上から虫たちが襲いかかった。
エルンスト・ドレクスラーは苦痛の悲鳴を上げた。

 ハンクは起き上がった。
さっきから防風シャッターの音で目が覚めていた。虫ども・・・槍頭の奴だな・・・
シャッターに頭突きを食らわしているんだ。
キッカーマンからの警告がなかったら、あいつらは群れをなして押し寄せて
ハンクを生きたまま貪り喰っていただろう。
暫く耳を澄ませていると、無駄にスチールを突っついてから、
他の人間牧草地へと羽ばたいて行った。
 普段ならハンクにとって夜は長くない。枕に頭をつけた途端起き上がるまで意識はない。
時折外の通りから悲鳴が聞こえたが、覗いてみようとは思わなかった。
だが、今度は違うぞ。誰かが扉を叩いている。
ドレクスラーか。ヒステリックに、地下室に虫が入ったから、と廊下で叫んでいる、
入れてくれ、だと。
そんな訳あるか。
 ハンクはライトをつけて、扉を見た、ベッドの上から動こうとはしなかった。
耳に手を押し当てて、騒音をシャットアウトした。
 ドレクスラーが好きだったことはない、バカバカしい白いスーツも好きだった事はないし、
いつも鼻を上に向けて、 ハンクやキッカー達を見下す様に見る、気取りかえったヨーロッパ貴族然とした態度も好きだった事はない。
もしここに兄弟のジェリーがいたら、ハンクに扉なんか開けるこたぁねえ、と言うだろう。
部屋に何か入ったからって何だってんだ。
突然苦痛の絶叫がスチールの扉も耳に押し付けたハンクの手も貫いた、
ハンクは手を離し聞き耳を立てた。
絶叫は途絶えたが、扉のすぐ向こう側で乱暴にのたうちまわる様な音がして、
それと一緒に聞くも恐ろしいくぐもったゴボゴボと何かを啜るような物音が聞こえた、
まさかドレクスラーなのか。
 やがて静かになった。
 ああ、ドレクスラーを気の毒だと思うのは難しいな。
あいつとオーダーが異界の為にした下準備はクソになった。
 ハンクがあかりに手を伸ばした時床の上に、何だか黒っぽくてツヤのあるものがあるのに
気がついた。近づいて、それが血で、扉の下から流れ出て溜まっているのがわかった。
エルンスト・ドレクスラー、お気の毒にな。

ドライヴ・イン・シアター、ホラー・チャンネル・・・スペシャル・オールナイト・エディション
深淵からの浮上(1969)ニューワールド
蠅男の恐怖(1958)二十世紀フォックス
蠅男の逆襲(1959)二十世紀フォックス
蠅男の呪い(1965)二十世紀フォックス
幽霊島(1962)ハマー/ユニヴァーサル
この地球ではなく(1956)アライド・アーティスツ
儀式など
マウイ
「これは贈り物だよ、バティ!ペレ御(おん)自らのお印だ!」
モキの声は、火山の溶鉱炉の唸り中で辛うじて聞き取れた。
マロ(下帯)だけを身につけた姿で、新たに目覚めたハレアカラの縁、
ビジターセンターの残骸の側に立っている。
汗にまみれた裸の皮膚の表面に、張り詰めた筋肉のカーヴに、
下方に瞬く炎の赤やオレンジの光が照り返し、インクを流したような夜の空の中に、
モキの身体がぼうっと浮き上がって見える。
ネックレスについた二つの黄色い石は、それ自体の力で炎を発しているように見える。
発しているのだろう。ネックレスは時間とともにモキに影響を及ぼしている。
ちょっと前に噴火口で身体中二度の火傷を負った。
しかし、火ぶくれは治り、皮膚の皮が剥がれ落ち新しくシミひとつない皮膚が姿を現している。
コラバティは熱を避けて一歩退きながら、モキの心配をしていた。モキは劇的変化を遂げた。
もはやコラバティが愛し、一緒に暮らした男ではない。
おかしな妄想に囚われた、気の狂った見知らぬ男だった。
 昨日は、モキの心配をした。今はモキ自身が恐ろしい。
地殻の変動でビッグアイランドが消滅し、ハレアカラが目を覚ました事が、
モキを瀬戸際まで追い詰めたようだ。
コラバティは恐れとともに、深く赤くくすぶる怒りを感じた。なぜ?なぜ今なの?
なぜわざわざ今、自然界に異変が起こるの?偶然、それとも運命?私のカルマの重圧が・・・
自分が長い長い年月をかけてカルマを汚してきた事は重々承知しているが・・・
遂にコラバティを捉えたのか?
「何のこと、モキ?」コラバティは軽い調子で後ろからよびかけた。
「炎の女神が何をくれた印なの?」
「ペレは、キレアウアの溶岩を集めるのに俺にマウイを離れて欲しくなかった、
だからキラウエアを爆破して、俺の裏庭まで彼女の炎を運んでくれたんだ」
 コラバティは落胆のあまり黙ったまま首を振った。
モキの異様な熱狂には際限がないのだろうか?
ビッグアイランドの爆発で数百も数千も人が死んだのがわかってるの?
ここマウイだってハレアカラの爆発で、影になっていない場所にいた人たちが
もっと沢山死んだのをわかってるの?ハレアカラ自体だって運命を共にした。
ハナは消え失せた、
セブン・サクレド・プールは何トンもの灰と、ハレアカラの爆発による泥に埋もれ、
最初に噴き出した溶岩でキパフル・ヴァレーは一杯になり、封印され、
さらにワイホイを通り抜け海へと流れ込んでいる。
ラジオから流れたニュースによれば、島の南東の端、カウパ・ギャップから
ナヌアレレ・ポイントまで、溶岩が流れ込み、煮えたぎるベッドになっているそうだ。
その全てがモキに日帰り旅行でマウイを離れないようにですって?
 幸い溶岩は古い道筋に沿って流れて行った。
もしハレアカラの北側の壁が爆発していたら、人口の密集した中央の谷は、墓場になっていた。
モキはその事までこう説明した、ペレはモキとそのワヒネを助けたかったのだ、と。
 モキが変化したのと同じ様に、コラバティ自身の中にも歓迎しかねる変化が起きているのに
気がついた。穏やかな気持ちは崩れ落ち、平安は破壊され、また以前辿ったと同じ、
冷たく打算的な道を歩み始めている。
 冷たい風に震え上がった。
噴火口の熱気からは守られているが、海抜ほぼ二マイルのここは寒かった。
逃げ出したかった、でもどこへ?本土から聞こえるニュースは恐ろしいものだった。
この島にいる方が安全だとは思う、ただしモキ抜きで。
モキは今にも爆発して近くの物も人間も破壊しようと、パワーを溜めている。
でも出て行く事は出来ない。もう一つのネックレスをかけている間はだめだ。
ネックレスはコラバティの物、それなしで出てはいけない。
 でもどうやって取り戻す?猫の首からどうやって鈴を外すの?
眠っている間に取り戻そうかと考えたが、それも出来ない。
狂気に支配され始めてから、モキは殆ど眠らない。
もしうたた寝から目を覚まし、ネックレスがないのに気づいたら、
コラバティを追いかけて、どんな行動に出るかわかったものではない。
コラバティの首からネックレスを毟り取るかもしれない、
一世紀半の重みがいっぺんにコラバティに襲いかかるのを見られるかもしれない。
モキはネックレスをつけてから何年かしか経たないので、むろん目立った変化は訪れまい。
しかしコラバティは彼の目の前で急激に年を取り、死の灰となって崩れ落ちるだろう。
コラバティは息を潜め、賛同するフリをしながらチャンスを伺っている。
 コラバティは火口にいるのがモキと二人きりでないのに気がついた。
伝統的なハワイの衣装に身を包んだ様々な年齢の人達のグループ、六十人ほどが合流した。
グループのアリイ、長である印の羽のローブと髪飾りをつけた年かさの男に導かれ、
グループが炎を見つめるモキに近づいてきた。アリイが呼びかけると、モキが振り向いた。
コラバティは行き交うハワイ語の断片を聞き取ったが、
要点を理解するのは難しくてわからなかった。
話が終わるとモキは振り返ってコラバティの方に降りてきた。
残りの者たちは縁に留まり待っている。
「バティ」モキは低い声で言った、ニヤニヤ笑いがさらに拡大し、目は興奮に踊っている。
「わかるかい?彼らは最後の伝統的ハワイ人だ。
ニイハウからまっすぐマウイを目指して船を漕いできた」
「それでここまで来たんでしょ」コラバティは言った。「他に何かあるの?」
「島の名前じゃない・・・神、マウイだよ。歴史を知ってるか?」
「知ってるわよ」
 むかしむかし、ある日の夜明けのこと、いたずら者のポリネシアの半神マウイが親孝行しようと、ハレアカラの頂上、太陽の家までよじ登った。
母親が、料理したり、洗濯したり、タパの布を乾かすのに
昼間の時間が短すぎるとこぼしていたので、マウイはある事を思いついたのだ。
頂上に朝日の最初の光が射した時、マウイは太陽を投げ縄で捕まえた。
太陽は放してくれと頼んだが、マウイは太陽が天の走行をゆっくりして、
昼間の時間を長くすると約束するまで放さなかった。
「ニイハウの人間は、昼間が短くなったのは太陽が約束を破ったからだと、
マウイがもう一度太陽を捕まえる手伝いに来たんだ。俺にマウイを見たかと尋ねて来た。
信じられるか?」
コラバティはモキの向こうの羽を着て槍を持った大人たちを見て、気の毒に思った。
「なんと答えたの?」
「ちょっと待てと言った。何と答えていいかわからなかったんだ。でもわかった」
コラバティはモキの目を見る事が出来なかった。
「聞くのが怖い気がするわ」
モキはさらに歯をむき出して笑った。「こう言う、俺がマウイだ」
「おお、モキ、あの人たちをからかっちゃいけないわ。ただでさえ大変な時でしょ?」
「誰がからかってるって?俺の中に前と違った力を感じるんだ。
マウイか、少なくともその化身くらいにはなれる気がする。
教えてあげようか、バティ、俺がこの場所にこの時いるのは、理由がある。
多分その理由がこの印だ」
コラバティはモキの手を取り、坂を下ろうとした。
「モキ、ダメよ。うちに帰りましょう。新しい彫刻に取り掛からなくちゃ」
モキは手を振り払った。「後でだ。俺が誰だか言ってこないと」
 コラバティは火口に戻るモキを見送った、
ニイハウの人たちの方を向くと胸を叩き、下の炎の方を指してから、夜の空の方へ手を振っている。伝統的ハワイ人達はモキから一歩下がり、お互いにひそひそ話し合っている。
するとアリイが若い男に合図した、彼は前に出ると、持った槍をモキの胸に突き刺した。
コラバティは悲鳴をあげた。

意識は曖昧だったが、まだコントロール出来た、彼の存在が溶液の中にいたとしても。
身体中の組織に不可思議な感覚が広がる・・・骨に、脳に、臓器に、神経に、腸に・・・液状に溶けていく。かつては彼の身体だった四つのスポークで岩盤に張り付いた袋の中に彼はいる。スポークは太く長く成長し、岩の子宮は膨れ上がる彼に合わせて空間を広げる。今、岩屋は冷たい炎が燃え盛る永遠に続く深淵に向かって行く。彼の育つ袋の下には、凍える寒さが広がる、彼の成分も意識も新たな形に変化する。岩屋の上に弧を描く石の柱を通じて、地球の表面から恐怖、暴力、痛み、陰惨がもたらされ、薄い膜を通って彼を養い、形作る。
新しい身体は金曜日の夜明け前に準備出来るだろう。
しかし今は次のステップへ進む時だ・・・奴らから太陽を取り上げる。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

repairman Jack 更新情報

repairman Jackのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。