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repairman Jackコミュのthe Dark at the End 4 土曜日

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ジャックはジットニーのバスでシティに
留守宅にウィージーとドーンが・・・・

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 振り返ってドアに向かった時、すすり泣きが聞こえた。
振り返ってみると、立ったまま小さな腕をドーンに向かって伸ばしている。
私が母親だってわかったの?そんな事ってあるかしら?
突然駆け寄りたい衝動に駆られたが、抗った。
「ごめんね」小さな声で言った。「ダメなの。後でね、多分」
 ドアを出てホールに入ると、またすすり泣きが聞こえたが、歩き続けた。
三度目のすすり泣き、さっきより大きく、長い、振り返り、もう一度覗かずにはいられない。
 覗き込むと、ベビーは後ろを向いてうなだれて、マットレスを壁に押しやっていた。
その孤独な落胆ぶりがドーンの喉を締め付け、心臓が破裂しそうになった。
この子はわかったに違いない、ドーンがママだと、自分に背を向けて、見捨ててしまったと。
その見かけからすれば、生涯人から目を背けられ続けるのかも。
 何かがドーンの中で砕けた。
 神さま助けて、こんな風にこの子をおいては行かれない。ベビーベッドに駆け寄った。
ベビーはドーンに振り返り、柵にしがみつくと足を突っ張った。腕が伸ばされる。
「おいで坊や」囁いた。「おうちに連れてってあげるね」
 ベビーを抱きかかえた・・・見かけより重かった・・・
それからベビーベッドから毛布を掴み上げ、もう一度ドアに向かった。
テレビ以外の音はしない。大広間の端まで出て、湾に面した庭を窺う。
 ジルダが見当たらない。
 胸の中で心臓がねじれた。おお、ゴッド、ジルダはどこ?
 それから反対側の端に目が行った。ジルダは反対側に移って草を抜いていた。
 ベビーは老女を見て叫んだ、このくらい近くだと正に耳がつんざける。
 安心して力が抜けた、心臓はまだドキドキしている。ドーンは振り返ると玄関のドアに走った。
ブランケットにベビーを包むのにかなり時間がかかった、
それから防護ドアを押し開け後ろ手に中のドアを閉めた。
 オドネル家に向かって走った。寒い風に吹かれ、周りで雪が舞い散り、
ベビーはもう一度叫び声を放った。


 ジルダは身体を起こすと首を傾げた。何?
あの泣き声・・・チビ助のみたいに聞こえたけど。
だけどあのベビー、恐ろしい、醜い、ちっぽけなベビーの声が庭まで聞こえるはずはない。
だからここに出て来たのだ。あの泣き声には我慢ならない。歯が浮いてくる。神経を逆なでする。
あのチビ助モンスターは泣き続けるのだ、いつまでもいつまでも。
 お腹が減ってるのではない。苦痛の泣き声ではない、それなら泣き方が変わる筈だ。
あれに粉ミルクを与えている・・・ものすごくよく飲む・・・
いくら飲ませても、オムツを替えても、それでも叫ぶのだ。起きている間ずっと。
ジルダの出した結論としては、騒がしくするのが好きなんだろう。
まるで、ジルダをわざとイライラさせ、泣く事で拷問してるみたいだ。
 時には、この悪党の小さな頭の上に枕を押し付けて、永久にこの泣き声を止めようとしない為に、ありったけの自制心とご主人様への忠誠心をかき集めなければならない。
 だがご主人様はベビーの事でプランがおありなのだ。
ジルダやジョージにはお教え下さらない、だがはっきりと仰った、
こいつを使う時が来るまでベビーを押さえておきたいと。
 ジルダにはたった一人の子供しかいない、クリストフはこんな子供じゃなかった。
クリストフは頑固な子だったが、いい子だった。最近何も言ってこないが、珍しくはない。
オーダーの為にする仕事の時はそうそうコンタクトが取れない。
だけど、電話できる時はしてくれる。クリストフはよい息子だ。
 だが、中にいるあの子供・・・悪魔の娘の産んだ悪魔の子供だ。
あのドーン・ピカリングはよろしくない、子供を産んだのがまずよくない。
ジルダは母親が子供を連れて行けばいいのに、と半ば思っている。
あの恐ろしい叫び声を引き受けさせたい。
 あら。また聞こえた。家の向こう側から聞こえるみたい。だかあの子供の筈はない。
多分カモメの類だ。
 どのみち、中に入る頃合いだ。手が寒さでかじかんでしまった。
だが、あの泣き声に比べれば、寒さなんざ何でもない。
 ご主人様ならあれを大人しくさせられる。
ご主人様が子供部屋にお出ましになり、見てやればいい。
そうすれば、子供はその後は静かになる・・・少なくともご主人様が家にいる間は。
ご主人様が発たれた途端から、先週の事だったけど、また叫び続けている。
六日間ぶっ通し。そんな訳でジルダはご主人様のお帰りがとても嬉しい。
 ご主人様・・・恐れてもいるが、魅了されてもいる、
うちのクリストフは彼を恐れ言う、どんな時にも従うように、
さもなければ恐ろしい痛みを伴う結果になると。
ジルダはジョージの前任者ヘンリーが、あの若いアバズレ、ドーンのせいで、
ご主人様の指示に背くまでは、話を割り引いて聞いていた。ヘンリーは消え失せた。
ジルダはその後ヘンリーに、二度と会うことも、噂を聞く事もなかった。
 大広間の横のドアを開け、中に入った。
後ろ手にドアを閉めると、立ち止まり、聞き耳を立て、待った。しかし声が聞こえない。
 さらに待った。やはり静かだ。
 あり得るか・・・あのちびっ子モンスターが寝ているなんて?
そんな希望を持つなんて望み過ぎだと思っている。
一日中叫び続けた後、夜には寝つくが、やっと二時間かそこらだ。
それから目を覚まして、起きてる間叫び続ける。生まれてこのかた昼寝をした事がない。
 爪先立ちで大広間を横切り、センター・ホールに近づく。入口で立ち止まった。
やはり静かだ、静寂に栄光あれ。どうしてこんなに静かに眠っているのだろう・・・
ぐっすりと、クリストフがベビーの頃みたいに、何があっても起きないのか、
それともほんの些細な音がしただけで目を覚ますのだろうか?
後の方だったら、台所のかすかなフライパンの音がしただけで目を覚ますのに、
閉まっているベッドルームのドアを開けて入り込まなければならない、そんなリスクを冒すのか。
 ホールの突き当たりにある、通りに続く玄関のドアを見て、閉まっていないのに気がついた。
開いてたかしら?覚えがない。
子供相手の仕事はあまりに気をつかう、自分の名前を覚えていられるのが不思議なくらいだ。
 ジルダは靴を脱ぎ爪先立ちで子供部屋に向かった。
こんな風に無邪気な子供に忍び寄るなんて、誰が見ても、大げさな警戒ぶりだと思うだろうが、
安らかな平和はあまりに儚いので、ケアレスミスで台無しにしたくなかったのだ。
 廊下まで来て、ドアと木枠をつなぐ蝶番の狭い隙間から覗き込んだ。
ベビーベッドの脚は見えたが、子供の気配はない。反対側の端で眠り込んでるに違いない。
 ジルダは一息いれると、ドア側から覗き込んだ。
 一番見たくないのは、柵の間からあの醜い小さな顔が見返して来ることだ。
太陽が東から昇るのと同じくらい確実に、その後から叫び声が続く。
 ドアの隙間から頭をゆっくり突っ込んでベビーベッドの全体像を・・・
 空っぽ!
 ノー!あり得ない!
 待った。あの子供はずっと立ってる、あり得ないくらい立っていられる。
柵を乗り越える事が出来たのか?
 床に四つん這いになった時、ある事を思い出した。ベッドのマットレスの位置に手を上げた。
ブランケット。ベビーベッドに置いておく青いブランケットはどこ?
たとえ何らかの奇跡が起こって、ベビーが柵を乗り越えたとしても、
ブランケットまで持って行く筈がない。それに玄関のドア・・・
ジョージは釣りに行く時いつも開けておく。今は閉まってた。
 誰かがベビーを連れて行った!
 誰?あの母親か?ドーン?いいや。
あの女は自己中心的でベビーの心配などしない、
大バカだからここまでやって来てベビーを連れ出すなんて出来ない。
 ドクター・ハインツェ?昨日来たばかりだけど。
ベビーに興味を持ってた、そうよ、でも子供と言うかサンプルとしてだ。
ドクターが誘拐に手を出すなんて考えられない。
 玄関のドアに急ぐと引き開けた。
その場に立ち尽くし、空っぽの庭を透かし見て、恐怖に襲われた。
ご主人様・・・今晩お帰りになり、ジルダがベビーをとられたと知ったら、
どんな行動に出るか言うまでもない。クリストフですら助けることは出来まい。
 通りすがりの人間か?ドアが開いているのを見て、入り込んだのか?
身代金目当てとか変態が子供を取って行ったのか?
 でもどこかしら?車の気配も、人の気配もなかった。それなら車のタイヤの音を聞いていたろう。
 大広間に取って返し、脱いだ靴のところに戻り、それから湾に面した庭に出て行った。
激しく波打つ水の上を探したが、ジョージの姿はない。霧と雪が邪魔でよく見えない。
 家に戻り、今度はキッチンに向かうと引き出しを勢いよく開き、カービングナイフを取り出した。探しに行こう、そうしなければならないなら一軒ずつ家々を回って、子供が見つかるまで・・・
邪魔するものがあれば・・・
 再び寒い屋外へ出た、今度は通りの側。ガレージに行き、脇のドアを蹴り飛ばして開けた。
ご主人様の車が入っている。中をチェックした、ぐるりと一回り、車の下も。
哀れなチビ助のいる気配はない。
 庭に戻りながら、後ろ手で乱暴に戸を閉めた。次はどこにする?多分・・・
 何か聞こえた・・・ピッチの高い叫び声。さっき聞こえたのと同じだ、カモメと決めつけた声。
でもあれはカモメじゃない。あのひどい泣き声、自分の名前の読み方と同じくらいよく知っている。人の姿は見えないが、左側のどこからか聞こえてくるようだ。
 その方向を向き、道路の真ん中までき来たらまた聞こえた。
 通りの向こうのガレージだ、誓ってもいい・・・

 おお、この声。ナイフで切り裂かれるみたい。
「おいで、坊や」ドーンは言うと、ベビーをヴォルヴォのチャイルドシートに座らせた。
「オトナにね、オーケー?誰かに全然聞かれちゃうよ」
 この天候の中、ブランケットにくるんだベビーを運んで、まっすぐオドネル家に戻り、
キーと携帯を掴みとる間だけそこにいた。携帯画面に知らない不在着信が出ていた。
ウィージー?一体どこにいるのかな?携帯を持ってないのにどうやってかけて来たのかな?
今はそれどころじゃない。車を出したらもう一度かけ直してみよう。
 ガレージに急いだ、横のドアから入り、大きな二つのドアは閉めたままにしておいた。
この二つは出発する時までこのままにしておこう。
ジャックはラッチに南京錠をそのままにしていたが、鍵を閉めてはいなかった。
ベビーをシートにくくりつけたらすぐ、このドアを開けて出るわ。
 多分、ジャックのプランをめちゃくちゃにしてしまった、わかっていた、それに多分自分自身も。もしもう一度やり直すとしても、ベビーを抱きあげずにはいられないだろう。
でもあんな風に壁の方に顔を向けられたら、もうどうしようもない。
もはや小さな精霊は瓶の外に出てしまった、元に戻すわけにはいかない。
 それに、証拠を残さずにこの辺りから連れ出してしまえば、
ジャックはプランを遂行することがきっと出来る。
 小さな腕をシートのストラップの下に収めた時、
近くから素早く脇の下を見る誘惑に勝てなかった。
 ない・・・触手はない。でも誓って言うけど・・・
 待って。脇の下に小さな傷跡が?あいつら触手を除去したのかな?
ドクター・ハインツェ・・・小児科外科医。
いつも不思議だった、どうしてただの小児科医じゃなくて、手術が提供されたのか?
今わかった。除去したのだ。両側の傷跡の下にコブがあるのに気がついた。
また触手が育ちかけてるんじゃないの?
 それからあの時見た体毛は?腕が・・・毛深かったけど。
あいつら・・・そうだ!腕と脚を剃ったんだ。何が・・・?
 その時、後ろでドアの蝶番の軋む音がして、ガレージが昼間の光に照らされた。
振り向くと、前屈みになったシルエットが、叫び声をあげて、こっちに凄い勢いで向かってくる。
「お前!お前、お前、お前、お前、お前!」
 その声を知っている・・・ジルダ!
 老女の掲げた手に何かが閃き、ドーンに向かって斬りつけてきた。
ドーンは屈んで避けようとしたが、車のドアに阻まれた。
刃はセーターを切り裂き、左肩に近い胸を突き刺し、生まれてこの方一度も感じたことのない、
燃えるような痛みを感じた。ナイフを刺したままドーンは回転しつまずいて、手と膝をついた、
痛みはさらに強くなった。目の前に星が出ると聞いたことがあったが、実感した。
 その間にジルダはドーンのそばに来ると、蹴りつけながら怒りの叫びをあげた。
「お前!逃すとでも思ったか?」
 肋骨が折れてドーンは呻いた。クソババアは私を殺そうとしている・・・蹴り殺そうとしている。
 ドーンはナイフの柄を掴み、引き抜いた。
刃が胸から抜けるとツルツルして濡れた音がして、また痛みが爆発した。圧倒されるほどの痛み。ドーンは盲滅法振り回して突き刺した。
ナイフが何かの中に沈み込むのを感じた・・・身体だったに違いない、
ジルダの叫び声が怒りからショックと痛みに変わったから。
ドーンはナイフをグイッと引き抜き、膝で振り返ると、
ジルダは後ろ向きに倒れながら、出血した脚を掴んだ。ドーンは足を上げ、ジルダにつまずいた。
ジルダはドーンを蹴ろうとしてやり損なった。
ドーンは動きながら、自分の足がタフィーになったような気がした。
足は行き場を失って、ジルダの腹の上に膝から着地し、ジルダの口から音を立てて空気が漏れた。
痛みとパニックで訳が分からなくなり、ドーンはナイフをジルダに突き立てた。
 どこを刺したのかわからなかったが、ジルダは大きく叫び声を上げた、
ドーンはもう一度突き刺した、そしてもう一度、そしてもう一度・・・
「私のベビーを盗ったの?」微かな声、それが自分の声だとドーンはわかった。
「私のベビーを?お前が?ダメよ!あり得ない!お前にだけは。お前にだけは!」
 叫び声はすぐ止んだが、ドーンは刺し続けた。
腕そのものに生命があるかのように、ジルダが何らかの形でジェリーとつながった、
あのムカつく人間のクズ、ドーンを誘惑した、ベビーの父親、後になって私の母を殺した。
自分の人生を滅茶苦茶にした奴ら、みんながつながった。
ジルダが破滅の片棒を担いだ訳ではない、だけど、これが死の苦しみを与える相手なのだ。
他の奴らには手が届かない、でもジルダには、ジルダが他の奴らの分、全部を支払うのだ。
 それから身体から力が抜け、ドーンはナイフを落とした、
目の前に広がる血塗れの肉の残骸に見入る。血だらけの顔の中でジルダの目は天井を向いている。
赤いものが喉の傷口からガレージの砂の床に滴り続けている。
 おお、神よ!私がやったの?
 ドーンは胃が持ち上がってくる気がしたが、モーニングコーヒーは持ち堪えた。
車のリア・フェンダー部分にしがみつき足と右手を使って起き上がった・・・
左手は使い物にならないようだから・・・ベビーをチェックした。声も出していない。
ドーンを黒い目を見開いて見つめている。
ドーンに向かって手を押し出し、開いたり閉じたりしている様子は、
見えないおもちゃを握りしめている様に見える。
「あとであそぼ」囁いた、ガレージが周りから迫ってくる様だ。ドアの端を掴んで態勢を整えた。「まずはジョージが帰って来る前にここから出ないとね」
ガレージの閉まった扉を見た。
何とか外に出る力をかき集めないと、そばまで行って、ロックを外し、ドアを開く。
一息一息が新たな傷口の様に痛んだ。何とかする方法もわからない。
 考えなければ。たぶん何の考えも浮かばない。
 ドアは木製だ・・・古い木・・・簡単な門のラッチを小さな鍵でとめてある。私には車がある。
 ありったけの力を振り絞り、後ろのドアを閉めて、運転席のドアを開けた。
ハンドルの前に崩れ落ち、鍵を探す何とかドアを閉める・・・
左手を使えないので簡単ではないし、キチンとも閉められないが、少なくとも閉めた。
車を動かした、バックに入れふかす。車は動き出しドアに当たった。ドアは壊れて開いた。
助手席のミラーが片方のドアの端に当たって砕け散った。
 心配はあと。いいえ、心配なんかしてる場合じゃない。どうでもいい。出ていくことが問題だ。
 通りの中程までバックして、ギヤを入れ替えた、
それから片手でハンドルを回す、という骨の折れる作業。永久に終わらないかと思った。
車が前に進み始めると、目の前の道が揺らめいた。
ドーンは歯を食いしばると、いい方の手でハンドルを握りしめた。
 咳き込むと痛みに新たに拍車がかかり、ダッシュボードの上に血が飛び散った。
その血が足を伝って床に滴り落ちるのをドーンは怯えながら眺めた。
 おお、神よ、これはどういう事なの?ジルダに肺に穴を開けられたの?
 全てがぼやけて来た。目を瞬いて、焦点を合わせようとした。タイヤの下で砂利の音がする。
後ろで自分の携帯がなっている、視界がはっきりした・・・
車が邸宅の前庭を回って、船のドックや湾の方に向かっているのがわかった。
アクセルを離し、急ハンドルを右に切った。
車は止まったが、ギヤは入ったまま、エンジンも動いたまま、邸宅のガレージの鼻先を向いている。戻らないと。
 世界がまたぼやけて来たが、今度ははっきりすることはなく、
携帯の音と共に、黒く霞んで行った。


「一体全体?」
不安に苛まれながらジャックは終了ボタンを押し、携帯を助手席に投げた。
みんなどこにいる?ウィージーからもドーンからも応答がない。よろしくない。
とにかくよろしくない。二人のすべき事はあの家にじっと座って、窓から観察する事だ。
何の難しいことがある?くそオドネルがフロリダから帰ってきて、侵入者を見つけたのか?
何だ?何だ?
ジャックの携帯が鳴った。取り上げる。知らない番号が表示されている。応答ボタンを押した。
今は誰からの電話にでも出るぞ。
「ああ」
「ジャック、私」ウィージーの声だ。「どこにいる?」
「ちょうどナッカテイグ方面に曲がった所だ。どこにいるんだ?」
「アマガンゼットのガレージ」
「何?一体全体どうして・・・?」
「長くなるわ。ジープがレッカーされたの。
返してもらえなかった、だってあなたの名前で借りてたから。もう目茶苦茶よ」
そうか、おれのタイレスキ名義で借りている。とにかく海に投棄する準備をしていたのだ。
目茶苦茶になったのを揉めてる場合じゃない。Uターンできる場所を探そう。
「そこで君を拾って・・・」
「ダメよ。あの家をチェックするのが先。ドーンを抑えてないの」
「おれも抑えてない」
「心配だわ」
「おれもだ。あの子が何かバカなことをしてないよう祈ろう。君が目を光らせてると思ってた」
「その通り、その通りなの。でもレッカー車のライトが見えて、すぐ戻れると思ったのよ」
「ナッカテイグで曲がる。携帯を待機しててくれ」
「ドーンにかけてるわ」
終了ボタンを押し、道を曲がった。
 オーケー、どうしてくれる?
最初のプランではクラウンヴィクと装備品を、道を下った先、
どこかの別の空いたガレージにに隠すつもりだった。その家に着いたら、
どこだろうと、オドネル家まで運転して行かなくちゃならない。
 と言うことは、おれはどうすれば・・・全て出てきた時のままであってくれ。
虫の知らせが濃い霧のように迫ってくるのを振り払った。
見込み薄だ。
だから仕事は一人でするのが好きなんだ。


 いつも通り、ジョージは船を後ろ向きにドックに入れた。
湾には船を逆さまに向きを変える余裕はない、
だからいつもドックにバックで入れ、鼻先を水に向けておく。
今日は嵐に備えて船を特別なラインでドックに繋ぎ止めた。
 これ以上外にいても無駄だ。海の荒れが酷すぎる。魚より風と波に費やす時間の方が長かった。
その上雪が降ってきた。
しかし、しばらくの間は釣りをするのもお預けになるとわかっていたので、
出るだけやってみたのだ。
 そう・・・全然出来ないよりはマシだった。
 最初のもやい綱をつなぎ二番目のに取り掛かろうとした時車に気がついた。
直ちに警戒態勢に入った、エンジンの音を聞き、筋肉が緊張した。
ピストルに手を伸ばしたが、そのまま引っ込めた。当たり前だ。
釣りにピストルを持ってきたことなどない。
塩気のある空気は手持ちのSIGソーサーなどの優秀な武器に害を及ぼす。
ツールボックスから錆びたナイフを取り出し、手首から掌にに向けて隠した、
雪が降りしきる中近づくならこれも有効だ。
 ヴォルヴォ・・・エンジンがかかっている・・・運転席に突っ伏している人間がいる・・・
若い女・・・ブロンド・・・見たことがあるような・・・
 ピカリングの娘と気がついて凍りついた。何をここで・・・
 聞くまでもない。ベビーに決まってる。だがどうやって見つけた?それはどうでもいいが。
何をしているんだ?
 さらに近寄った、しかし気をつけて。動かない。気絶しているのか?
運転席まで辿り着き、ガラス越しに女もダッシュボードも血塗れだとわかった。
ナイフを構え、ドアを開けた。
 女の左手がこっちに向かって来て、ジョージは防御態勢を取った。
だが女の血だらけの左手はドアに支えられていて、開けた拍子に落ちただけだった。
それ以上動こうとはしない。喉元を触ってみた。まだ脈がある。
 ここで何があった?女は傷ついている・・・撃たれたのか、刺されたのか、何とも言えない。
 車の後ろをぐるりと回り、助手席を開けた。ギヤが入ったままだ。
パーキングに入れて、エンジンを切り、キーを抜いた。携帯が鳴り始めた・・・
 突然、神経を逆撫でする叫び声がジョージを驚かした、
ピストルを所持していたら、間違いなく発砲していた。
 後ろだ、バックシート、モンスター・ベビー、ジョージを見つめている。
 血だらけのドーン・・・ベビーがここに・・・ジルダは抵抗もせず渡したのか。
 家の方に目を向けた時、左手に動きがあった。
通りの向こうのガレージに扉が風に揺れている、そして・・・中に誰かがたおれている?
何が起こったのかさっぱりわからない、物語に説明がつかない。
通りも近隣も誰もいない日々が続いている・・・だからオーダーは一者にこの場所を申し出たのだ。ジョージはガレージの床の人影について、最悪の予感がした。
 駆けつけて、ジルダの死体に息を飲んだ。以前にも傷ついた人間を見たことがあるが・・・
それほどの嫌悪感を感じた事はない。絵的なダメージ、精神的なダメージを見てきた。
そしてこれ・・・ありったけの怒りの負荷をジルダに振るった者がいる。
 ジョージはこの女に何の感慨もなかったが、自分のために恐怖した。
一者の不在時、館のガードを請け負い、しくじった・・・惨めったらしく。一者が帰ったら・・・
 ベビーの叫び声が聞こえた。ジョージは振り返った。
                       ◆
 ベビーの叫び声がドーンに届いた。ドーンは目を開けた。携帯が鳴っている。
どこで・・・?
一度にいろんな事が押し寄せてきた。ベビー・・・ジルダ・・・
 運転席のドアが開いている。助手席側も。車を出そうと手を伸ばしたが、鍵が消え失せている。
誰かいたのね。ジョージ?ベビーをあいつから守らないと。ベビーを取られてはならない。
 ズルズルとドアから出た。やっとの事で足が動いた、どうにかして後ろのドアを開けた。
ベビーはドーンを見てキーキー声をあげた。
ドーンの耳に轟き渡るその音は、殆ど甘い声に聞こえた。
手を伸ばしストラップを外す、片手だけでは抱き上げる事は出来ないとわかった。どうする・・・?
 誰かが後ろから乱暴にドーンを掴んだ。
振り返ると左肩と胸が悲鳴を上げた、
ジョージの青ざめた顔を見て、一声上げる為の息も吸えなかった。
歯をむき出し食いしばりジョージは言った。「殺したな!」
大きな手がドーンの喉に回され、親指が喉を押しつぶした。
「この売春婦!殺しの代償を払ってもらうぞ!お前にな!」
ドーンの喉に耐え難く容赦ない圧力がかかった。
息も吸えず、戦う力も残っていない、いい方の腕すら動かない。
ジョージの手の中ででく人形さながらだった。自分の喉からポキ、と言う音がした。
光が薄れ、唸る音が大きくなり、暗闇だけが残った。
そしてついに唸る音もなくなった。
             ◆
 ジョージはわかっていた、喉の骨が折れたのだから二度と呼吸する事はない、
だが締め上げるのをやめなかった、気分がよかった。とんでもなくいい。
チビ売女には最も相応しい死に様だ。
そうだな、こうして終わらせてやったが、まだ十分ではない。まだまだだ。
 通りでタイヤが軋んだ。顔を上げると大きな黒いセダンが横滑りして停止した。
ドーンを後部座席にいる醜いベビーの上に投げ込んだ時、男がひとりセダンから飛び出してきた。
 今度は何だ?一週間以上この通りに一台の車も見ない、今、よりにもよって通りかかるか?
 待て・・・手にピストルを持っているぞ。グロックだ。
凶暴な顔つきでピストルを掲げ二発撃ってきた。
 ジョージの太腿に・・・まず左、次に右・・・苦痛が炸裂した。
二発目はジョージを半回転させた、太腿が粉々になったようだ。
痛みで涙ぐんだが、唇から悲鳴をあげる事はなかった。ジョージは叫ばない。
 何が起こった?こいつは誰だ?ジョージはこんな男を見たことがない。
普通に、何が起こっているのか聞く訳にいかない。ジョージを見ただけで撃ってきた。
 男は車の中を見つめて、それから中に入った。
ジョージには男の手元は見えなかったが、脈をチェックしているのだろう。
痛みに顎を食いしばりながら、ジョージはポケットに手を伸ばし、錆びたナイフを取り出した。
投げる為のナイフではないが、持っている唯一つの武器だ。何かしてやる。
 見知らぬ男にナイフを投げつけた・・・
 男は振り向きざまにピストルでナイフをすっ飛ばした。だが手を切ったようだ。
グロックを左手に持ち替え、人差し指の脇を舐めながらジョージの方にやって来た。
その顔は怒りに満ち・・・恐ろしいものだった。
「何故あの子を殺した?世界中探しても何の理由もないぞ。
あの子はただのティーネージャーで自分の子を取り戻そうとしただけだ」
ジョージは顎で、通りの向こうのガレージを差した。「こいつはジルダを殺した」
男は肩越しにそっちを見てからジョージに目を戻した。
「ああ、そうか、おまえらはこの子のベビーを盗んだ」自分の怪我をした指を見た。
「破傷風にする気か?ろくでもないトスだったな」
ジョージは唾を吐きかけた。「のたうちながら死んでくれるか」
男はジョージの足に向かってピストルをゆらゆらさせた。
「今晩ボスをピックアップするのは無理みたいだな」
ジョージは殴られたような気がした。どうやって知ったのだ?
ただ一つ考えられる事は、男が偶然ここに来たのではない、という事だ。こいつは誰だ?
「心配ない」男が言った。「手助けしてやる。どこのエアラインだ?」
「クソ喰らえ」
男は指を見た。「わかるか?」ジョージの方に突き出した。「治ったよ」
本当だった・・・切り傷の血は殆ど止まっている。
「あんたのご主人様とおんなじだ。おれたちゃあ古いダチなのさ。だから言ってみろ。
どこのエアラインだ?」
「クソ喰らえ!」
男は空を見上げ、それからジョージを見た。「時間がないんだが」
男はグロックをジョージの胸元に当てた。
「ノー!」


 ジャックはジョージの心臓を二発撃ち、保険として額を一発撃っておいた。
その時自分の携帯が車の後部で鳴るのが聞こえた。
グロックをホルスターに収め、携帯を取りに行った。前と同じ番号だった。応答を押す。
「ウィージー?」
「ドーンに電話してるんだけど出ないの」
ジャックはヴォルヴォの後部に目をやった。「ああ・・・そうかもな・・・」
「何?何なの、ジャック?」
携帯を使ってる、位置情報の信号が出ている。
「ブルース・ウィリスの映画、覚えてるか?」
「ダイ・ハード?ジャック、映画のトリビアしてる場合じゃないわ」
「ハーレー・ジュエル・オスマンのキャラクターを覚えてるか?」
「オマイゴット!あなたつまり・・・」
「おれは三つ見た・・・マジで醜いベビーだ」
「ドーン?あの子が・・・おお、神よ、ノー!」
「一緒に来てくれ、オーケー?おれ・・・おれたちは君に一緒にいて欲しいんだ。
おれたちはひどいトラブルに見舞われてる。今どこの通りにいる?」
「ちょ、ちょうど27を抜けたところ」
「そこらに何か目印があるか?」
「ファーマーズ・マーケットが通りの向こうにあるけど、閉まってる」
「来る途中で見たな。車はいいからそこに来て、待っててくれ。拾いに行く、可及的速やかに」
 ウィージーがそれ以上言う前に電話を切って、辺りを見回した。この死体を隠さないと。
この風、この天気の中、誰かに銃声を聞かれる心配はなかった。
耳をそばだてている人間がいるわけがない。
 ジョージのポケットを空にした、携帯とヴォルヴォのキーしか入っていない。
ジョージの手首を掴み車の周りを回って、助手席に押し込んだ。身体の重い畜生だ。
それから後部座席に周り、ドーンを見た。
 かわいそうな子だ。おれの言うことを聞いていたら、まだ生きていたろう。
置いて行ってから何があったのか想像してみた。
ドーンはウィージーといた、ウィージーは車のところへ行ってしまった・・・それから何が?
 中に身体を入れ、ドーンの肩を掴んで引き寄せようとした時、
ベビーの耳を引き裂くような声がして手を止めた。
子供を見た・・・マーティ・アレンじみた髪の毛と押しつぶされたような顔が、
全く可愛げのないトロル人形の様に見せている。
小さくて丸い黒い目が怒りに光るのを見て、ジャックは、
母親を連れて行かれるのを怒っているのだと思った。
「心配するな、チビ助。おれは・・・」
 しかしその時、ベビーの顔に赤い飛沫が飛んでいるのに気がついた。
 よく見ると、子供は指をドーンの肩の傷口から流れ出る血に浸しては、口で吸っていた、
貪欲に啜っていた。
10

連祷を捧げた。
「ここに置いて行く事は出来ないわ」ウィージーがこう言うのはこれで千回目くらいだ。
その度にジャックは同じ返事した。「選択の余地がないんだよ」
 二人はオドネル家のドアの中からで、ドーンのヴォルヴォの上に、
庭と同じように雪が降り積もってゆくのを見ていた。
 ウィージーにガレージから電話をした、
ジャックはドーンとジョージをオドネル家のガレージに入れ、床のジルダと一緒にした。
三人を西側の壁にならべ、ドーンは仰向けにして家から運んだシートを掛け、
後の二つはうつ伏せにしておいた。それから横にクラウン・ヴィクをそっと入れた・・・
ガレージが空っぽだったから、すっぽり入った・・・それから壊れたドアを閉めた。
蝶番はゆるんで、いくらか歪んでいたし、ラッチは壊れていたが、
そこらへんにあるものは何でも使って、閉まってる様工夫した。
 それからヴォルヴォと小さな同乗者と共に、
アマガンゼットのウィージーの車を引き取りに行った。
アスファルトの上に雪が積もり始めていたが、ヴォルヴォは操作性がよかった。
 運転中、例の叫び声が上がるかと緊張していたが、それはなかった。
バックミラーを覗くと、子供は眠っている様だ。ありがた過ぎる。
ジャックが母親を連れ出そうとするとカンカンに怒り、伝説のバンシーの様な声で泣き喚いた。ジャックには、母親への愛情からなのか、スナックを取られたせいなのかわからなかった。
ドーンの血液を、舌鼓うつ様な珍味とばかりに吸い続けていた。
ジャックはダッシュボードの血液をウィージーの所に向かう前に拭き取っておいたが、
ベビーの顔もきれいにしておくべきだった。もっと大切な事が心にあった。
 この壊滅状態をどう解決するか、とか。
ジャックは雪にまみれ、赤くなった手を擦り足踏みしているウィージーを、
無人のファーマーズマーケットの前で見つけた。
「すまない、長くなった」ジャックは言って、ヒーターの温度をあげた。
「思ったより掃除に時間がかかった」
ウィージーは震えながら助手席に乗り込み、手を送風口にかざした。
「しし心配ないわ」後部座席のベビーを見て、しかめっ面をした。
「これでよかったか?」ジャックが言った。
「そう悪くはないわ」
 冗談でも言わなきゃやってられない。
考えてみればベビーはドーンの子で、ドーンはウィージーの娘みたいなものだ、
だから多分ウィージーはこの子をちょっと違った目で見てるのかもしれない。
ウィージーはまたジャックの方を見た。「この子本当に生えてるの・・・?」
「触手か?チェックしてないな」
時間に追われていたし、大急ぎで確かめようともしていなかった。
後になれば解剖学的チェックはたっぷりできる。
ウィージーはレッカー車のライトに気がついて、
止めるために走り出た事などざっとジャックに語った。
「どうして見つかったんだろう?」
「ガレージの男が言ったけど、警察に連絡が行って、それから放置車両を引っ張って来いって
電話が来たんだって。知ってる事はそれだけだそうよ」
ジャックは首を振った。「マーフィーの法則からは逃れられないな」
「多元宇宙論ね」ウィージーが言った。
ドーンの話を避け続け、車の空気が淀んで来た。
遂にウィージーが深い溜息を一つついてジャックを見た。「ドーン・・・本当なのね・・・?」
ジャックは頷いた。
ウィージーの顔が歪み、涙が頬をつたわり落ちた。「どんな風に?」
ジャックは発見した時のことを物語った、そして。
「何が起こったか、一番ありそうなのは、あの子が何らかの方法でベビーを手に入れた、
ジルダがナイフを手に追いかけて来て、あの子を傷つけた、
だがドーンは反撃してジルダを殺した。その後ジョージがドーンを殺した」
ウィージーは両手に顔を埋めた。「おお、神よ。みんな私のせいだ」
ジャックは溜息をついた。「そう言うだろうと思ってたよ」
「そうよ、そうなの。あの子を置いて行くべきじゃなかった」
「君はライトを見た。おれだって追いかけちまう」
「でもそこにいたら・・・」
「こんな事にはならなかった?オーケー、多分そうだな。
だがその時あの子を止めたとしても、あの子の間違った行動を止めきれないさ。
あの子は次から次へと繰り出してくるだろう、
一つを止めたら、また次だ、家を出て、邸宅にむかい、入り込み、ベビーを連れてくる。
どの方法にも、違う選択肢があるのに、あの子はそっちを選ばないよ」
ウィージーは顔を上げジャックを見た。「酷く冷たいのね」
ああ、そうだ、そうだろう。
腹立たしい気持ちはジャックから抜けて行って、今は冷え冷えとしている。
「悪いがおれの見るところそんなだ」
「あの子は若い母親でベビーを盗まれた、考えてやったんじゃないわ」
「確かに。あの子に全責任がある訳じゃない。大きな絵に巻き込まれたんだ。
我々はそう解釈する。だけど最終的には、そんなのはドーンにとって大事なことじゃなかった。
ドーン、ドーン、ドーン・・・そう言うことさ」
ウィージーはジャックを見つめ心配そうな顔をした。「あなたに何が起こってるの?」
「おれに何が起こってるって?おれたちに何が起こってるかってことさ・・・
世界中で起こってることと同じさ。この最高のチャンスをあの子が吹っ飛ばしてくれたって事さ・・・完璧に近い段取りだった・・・あの男を止めるのにさ」
「どうして、吹っ飛ばされた、って言えるの?」
「そうさ、ジョージは今晩、ピックアップにJFKに行かない。
ジョージもジルダも電話に出ない・・・死と言う物には逆らえない。あいつはバカじゃない。
ジョージが来ない、二人とも連絡がつかない、不審に思う、なんか不都合があったと思う、
そうじゃないかい?そうなれば、あいつはどこかへ言ってしまう。
多分踵を返して、次のフライトでティンブクスとかシカゴに飛ぶ。
それでチェンジが始まったら、どれだけ大量の死が蔓延するだろう、
ドーンが扉を踏み越えたせいなんだぞ?」
「別のチャンスもあるよ」
「こんな好機はないな」
ウィージーは後部座席を示した。「彼がいるわ」
「ああ、いる・・・あいつのプランにとってこの子供は重要なんだろう。そうじゃないなら・・・
そしたら、エイブが言うように、ヤギのクソをつかまされた、って事だな」
ウィージーは手を伸ばして、ジャックの腕を叩いた。「あなたなら何とか出来るわ」
「おお、本当にそう思うのか?」
「本当よ。信じてるもの」
「そりゃいいや」
 どうすりゃいいのか手掛かりもない、とは言わなかった。
 ナッカテイグに曲がった、家に近づくに従って、
ウィージーは自分の中に引きこもって行くようだった。
デューンドライブは墓場のように静かで・・・しばらくの間その役割をになっている。
邸宅とオドネル家に近づく、つい一時間前にここで全てをダメにする大騒動が起こったとは
とても思えなかった。
 ウィージーはドーンの遺体を見ると言い張った。
血だらけだし、醜く死に様を晒しているのを見れば苦しむ、と警告したが、言い張った。
ジャックがシートを取り除くと、ウイージーは茫然自失した。
 そのうち何とか立ち直ったが、どうして、こんな風に、この子を、置いて、行ったの?と、
連祷、を続けた。ジャックが知る限り最も理性的な女性は、批判的思考に傾倒した。
「そんな事を考えないでくれ、ウィーズ、この子をどこに連れて行と言うんだ?」
「わからないわ、でも私達、こんな風に、・・・」
ジャックは手を上げた。「お願いだ、やめてくれ。君の車に死体を乗せて走り回ると言うのか。
ただの死体じゃない・・・殺されたんだ。
だから葬儀場どころかERにも連れて行けない、
君が聞かれたくないような沢山のことを聞かれる羽目になる」
「でも・・・」
「ここは冷凍庫みたいなもんだ」
「でもネズミが・・・マウスが・・・」
ジャックはしてやれる事がわかった。
「オーケー、おれに出来る事がある。ここから立ち去る前に、全ての場所を拭き取る・・・
触ったと思しき所全部だ。
ここを出たら、イースト・ハンプトンの警察に電話する、
デューンドライブのオドネル家のガレージに死体があると報告する。
そしてドーンの名前も伝えよう、そうすればこの子は母親と一緒の所に葬ってもらえる」
 ウィージーはしばらく考えて、頷いた。「オーケー。それが私達に出来る最善の策だと思うわ。
それならそう長い事置きっ放しにならないわね。拭き取るの手伝うわ、そして・・・」
「いや。君はベビーを連れてシティに戻るんだ」
「このベビーと?」
「うん、そうだ。非公式の保護者になってくれ」
「でもベビーの事なんて取っ掛かりも知らないわ」手でジャックの開きかけた口を塞いだ。
「バタフライ・マックィーン(風とともに去りぬ、プリシー)を参照しろなんて言いっこなし」
どうしてわかった?予知能力か?「君にも知らない事があるってのかい?」
「ベビーに興味を持った事なんてないもの」
「勉強し始めるにいい時期なんじゃないか、ウィージーおばちゃまになったばかりだからな」
ウィージーの顔に軽い動揺が走った。「本当なのよ、ジャック。
子供と、ましてやベビーと接した事なんて一度もないんだから、しかも普通のベビーじゃないのよ」
「そりゃ確かだな」
「つまり、食べ物は何?粉ミルク?シリアル?
あいつらジェルオーとかジェリーとかを与えてたのかしら?」
「何だと?」
「あの子の顔に赤い物が飛んでたから」
「お、うーむ」例の話をしてウィージーをぶっ飛ばすのは止めることにした。
「ジルダが何を食べさせてたかは知らない」
「ジャック、どうすればいいのよ?」
「君は知る限り最高の頭脳の持ち主だ。なんか思いつくさ」
ウィージーは泣きそうな顔をした。ジャックにはどうしようもない。
ウィージーに任せる、ベビーを連れて行って貰いたい。
 ドーンの持ち物とウィージーの持ち物をまとめ、
半時間かかってウィージーとベビーを送り出した、
ジャックは、通りの向こうに、人気のない庭と、同じく人気のない邸宅を見渡す戸口に残された。
 ドーンにオリジナルのプランをダメにされた。目的遂行には別の方法を考えなくてはならない。
即興で行くしかない。
 ジャックは即興が嫌いだった。
11

 最善を尽くしオドネル家を拭き掃除した後、ガレージに行って、トランクを開けた。
かき集めた全ての兵器、多分使うチャンスはなくなった。
混合爆薬オクトール、コッパーコーン・・・指向性爆薬としてすばらしかったのに。
路肩の両側から強烈な一発をお見舞いするLEDs、ダメになった。
ラサロムが自分の車で邸宅に帰ってくる気になったとしても、どんな風に帰ってかるのか、
ジャックには見当もつかない。
レンタカーだとすると、ジャックには見かけがどんなだかわからない。
爆薬の間を最初に通った車を簡単に吹っ飛ばす事はできない。
それにタクシーで来られたら、誰かが運転している・・・
ジャックはジョージには良心の呵責を感じなかったが、何も知らないタクシー運転手となると、
そうもいかない。
 ゴルフバッグを取り上げで中を調べた、クラブの中にM79が入れ込まれている。
使い方は簡単だ。
壁に立てかけて、カーペットに包まれた二つのスティンガーのうちの一つを取り出した。
カーペットを取り、調べる。ミサイルとランチャーは長さ五フィート、重さ十三ポンド。
隠しておける武器とは言えない。発射した事はないが、エイブが取説を入れておいてくれた。
使うときに備え、手順を読んでおかなければ。
 大きな、もしも。
 スティンガーをゴルフバッグの隣に立てかけ、指向性爆薬の作り方を眺めた。
これを使った大きな計画・・・ラサロムが家に入る前に排除する。
さあ、あいつが全く姿を現さなかったらどうする、ジャックは自分のショバでカタをつけたいのに。
 サイドドアから外に出て、邸宅を眺めた。
中にあいつが引っ込んでから、グレネードとミサイルを撃ち込んで、あそこは瓦礫と化すか?
それもありだ。
 だがまずはあいつを外に出さないと。どうすればいい?
疑いを持たれずに、どうしてジョージが空港に現れないかを、どう説明する?
ピンチヒッターの運転手を送り込む訳にはいかない・・・自分が行くのもダメだ。
なんか方法がある筈だ。
 ジャックはこのヤマに付随するパーツを頭の中に並べてみた・・・
ナッカテイグのラサロムの生活に関わる全ての人間と物事。
ジルダ、ジョージ、ベビー、車、家。何かの組み合わせがキーになる。
 まずはジョージがJFKに現れない事の尤もらしい言い訳だ・・・
彼とジルダが外部との接触を絶たれている言い訳。ラサロムと話をする方法が必要だ。
ラサロムは携帯を持ってるのか?そうだ、持ってない訳があるか?
グレーケンも持ってる、ラサロムが持ってない理由はない。
 忍び足でガレージに戻り、まっすぐジョージの所に行った。死体に携帯があるだろう。
やっぱりあった。ジャックは携帯を開き、アドレスブックを出し、探し始めた。
「オサラ」「ボス」、「ラサロム」まで探したがうまくいかない。
「一者」で探した。ニューヨークの局番、バッチリだ。だが絶対じゃない・・・
 ジルダを転がしてポケットを調べた。
顔を下にしてウィージーに血塗れなのを見せないようにしていた。
見つかったのはナイフ一本だった、ドーンが刺したのだとしたら、最も論理的なシナリオは、
ジルダがベビーのいないのを見つけ、ナイフ一本握り、ここへ駆けつけ、ドーンを止めようとする。ドーンはなんとしてか、武器を取り上げ、こっちからジルダに医学療法を施した。
投薬過多だったな。
 ジャックは虐殺死体に向かって首を振った。
ドーンはジルダが生き絶えた後もずっと刺し続けたんだろう。
ドーンにこんな事が出来るとは、ウィージーは信じたくないだろうな。
 コートのポケットでジルダの携帯を見つけた。今度は最初に「一者」で探したが、空振りだった。「オサラ」も「ボス」も「ラサロム」も望みなしだ。
探しているうちに、「クリス」からのメールと履歴を見つけた。
つまり、殺された老女は、同じく殺された息子とメールのやり取りをしていたんだな。
何とも心温まる話だ。家族みんなが殺された、どうだ?・・・共に冷たくなった?
・・・共に墓に向かう?・・・共に突き進んだ?・・・
瞼を切り取るお気に入りの刃物について語り合った事があったのかな?
 ジルダのアドレスには多くの名前がない様なので、一つずつ見て行った。
「ご主人様」で手を止めた。ジョージのナンバーと一致する。
 あった。
 ラサロムの電話番号・・・妙な話だな。
 しかしその時、何週間か前にグレーケンが注意しろと言ったのを思い出した。
ラサロムは人間だ。人類が通常持つ以上の装備をいくらか備えてはいるが、神ではない・・・
半神ですらない。だから普通のやり方で取り巻きどもと連絡を取る。
 二つの携帯のディスプレイで、そのナンバーが光を放っている。すばらしい。
 そしてどうする?
 ある考えが、形を成しながらジャックの脳みそをくすぐった。飛びつきはしなかった。
やめた方がいい。それは放っておいて、勝手にさせておこう。
 ある程度のラッキーが必要だ・・・質のいいやつ。今日は悪運の山盛りだった・・・
次はいくらかいいやつが来るはずだ。
ああ、ちょっとしたラッキーで山ほどご機嫌な段取りが降って来るさ、多分な、
多分、から脱却出来るさ。
12
 ある意味人間以上の男、多くから「一者」として知られ、
一部から「ラサロム」として知られている、
多数の名前を持ち、最重要な名前は自分しか知らない、
男はバゲージ・エリアに向かって空港を歩いていた。
空港に降り立ち、足元のしっかりした床が心地いい。しっかりした地面に戻るとホッとする・・・
地面はまもなく、自分、のものになる。
飛行が怖い人間ではないが、何回か飛行中に気を揉む場面を経験した、
着陸間際になって荒れた天候のせいで機体が降下し、ガタガタ揺れた。
パイロットはイーストコーストの嵐のせいだと言った。
同乗者たちより、遥かに酷い怪我でも生き残れるが、限界はある。
 何たる皮肉だろう、全ての危険を乗り越え、何千年生き延びて来たのに、
究極の勝利を目前にして飛行機事故で果てるとしたら。
 中国のミニヤコンカ山のてっぺんにいっていた。
この星の最大のネクサスポイントがそこにある。
彼は裸になってそれと一体化した、埋もれた柱の上に立った、異界と通信し、変化、に備えた。
 時は迫っている・・・近い、とても近くて、舌で味わえるくらいだ。
異界も。
それは然しながらこの世界に毒をもたらす、この現実を飲み尽くすのがたまらなく待ち遠しい。
 異界は自分のプランを知り、承認している。
この行動を命じる、他の何人もいらない、他の部下もいらない。
異界の侵入を彼だけで牛耳るのだ、今や自由に動けるのだから、
グレーケンの反撃を恐れる必要はない。
 グレーケン・・・悲しげに首を振った。
最後の誕生からこっち、いつグレーケンから攻撃が来るか、肩越しに伺いながら過ごして来た。
あの男は以前にラサロムをバカ扱いした、ラサロムが降参したと信じ、戦士の役割に疲れ果て、
戦場から離脱した。ラサロムは監視下に置かれ、
結果、五百年もの間トランシルヴァニア・アルプスの石牢で力を奪われていた。
 それから、自由になる術を見つけたと思った時に、グレーケンが現れ、
呪われた剣を使いラサロムを滅ぼした。
 だが、もう剣はない、柄だけになり、グレーケンはその不死性を引き剥がされた・・・
ラサロムをキープで滅ぼしてから年をとりはじめたのだ。
今のあいつは無力でヨボヨボの老人で、変化、を止めることなど何も出来ない。
後継者を使わざるを得ないでいるが、後継者はグレーケンではない。
前任者の知恵や狡猾さを微塵も持ち合わせていない。恐るるに足りない。
変化、の後、ラサロムが、泣きわめくちっぽけな切れ端に粉砕してくれる、
グレーケンの見守る前でな。それから奴の女房に取り掛かろう、もう少し時間をかけて。
 ラサロムが生まれ変わってから、何と物事が変わっただろう。全てに時間がかかった・・・
 しかしこの戦いを終える時が来た。全てのピースが整った。
しかるべき場所に落ち着くのを待つばかり、そう長いことではない。
 周りにいる家畜共から染み出す血の気を飲み干した。
普通、飛行場は、彼の空腹感を癒してくれるものは少ない。
休暇に向かう、目的地への期待、喜びの気・・・
休日、リラックス、楽しみなこと、美味しい食べ物、美味しい飲み物、美味しいセックス。
時たまフライトにパニックを起こしている人間とすれ違ったりすれば、
それは喜ばしいオードブルになるが、
スナック程度の価値があるものにもなかなかお目にかかれない。
 今宵は違った。
この天気と安全なフライトへの心配、天気のせいで希望の便がキャンセルになるのではないか。
そしてもっとよいのは、フライトがすでにキャンセルになり失望に押しつぶされているいる者・・・特に子供達。若い者どもの感情は強烈だ。奴らの喜びはナイフのように心臓に突き刺さる、
しかし怒り、悲しみ、恐れはブレンドされて、輝かしい味わいのあるカクテルとなる。
 だがここの感情、現在の物、変化、がひきおこす物とは比ぶべくもない。
まず悲しみと恐怖に支配される、資源が不足するにつれ憎しみ、怒り、暴力が蔓延し、
僅かな食物や水の為に、傷つけ合い、殺し合う。
普通の人間たちが毎日のように、現在は考えられないような行動に出るのだ。
脆弱な精神構造が文明と呼ばれる社会を破壊する、理性のベニヤ板は引き剥がされ、
その下に潜む獣が露わになる。
 恐れ・・・恐れは堕落への入口・・・他人、自我・・・
そして堕落はアンブロシアであり、メイン料理。
堕落は全ての鍵、異界に、つまるところラサロムに、力を与える。
 恐れは、死すべき世界を変換するルールになる、
自然界がシフトし、頼りにされていた全てが拷問の様に捻じ曲げられる。
奴らの太陽は姿を消し、夜の世界が取って代わる、全ての影の中に恐怖と苦悩に隠れ、
奴らの皮膚を焦がし、目を鱗で覆う、この一息が最期の吐息となる様祈りを捧げることだろう。
だがそうはならない。奴らは生きながらえ続け、異界は食い続けるのだ。
 わしも同じく。
 わし自身も、変化、を体験するのだ・・・新しい地球に相応しい形に変わる・・・
異界の地球に。
 変化、への準備が始まれば、ミニヤコンカの山頂に戻り、
自分自身の、変化、の種をここに吹き込む。
 その日とラサロムの間に立ちはだかるのはレイディのみ。
 だがあの女も、もうそう長いことはない。
 ラサロムはバゲージエリアに着いたが、ジョージの姿がない。雪で遅れているのか?
問答無用。早めに出るべきだったのだ。
 携帯を取り出した。フライトの間電源を切っており、まだ入れていなかった。
ディスプレイに日付と現地の時間、さらにその下に小さな封筒が現れた。
メッセージ?この小さな機器の素晴らしさよ・・・
これが利用出来れば、第一紀の戦いはいかに違ったものになっていたことか・・・
オプションの数は多すぎると感じた。メールは好かないが、明らかに一つ受信している。
 苦労してメニューを探し、二つのメール履歴を見つけた、二つともフライトの間に来たものだ。
両方ともジルダから。しばしば息子にメールしているのは知っている。
多分、空の上にいるから、メールを残すのが最善の方法と思ったのだ。

子供が病気です。病院に行かなければなりません。

 眉根を寄せた。気に入らない。子供は計画に不可欠な物になっている・・・
デリケートな計画だ、簡単に放り投げておけない。
深刻な病気なら立ち行かなくなるだろう。だがあの医者、子供から手術で触手を取り除いた・・・
ハインツェだったか?ほんの昨日家に来ていたのではないか、極めて健康だと報告していたのに?
 触手がなくなったのはよかった。ドクター・ランズマン、子供を取り上げた医者、
切断に賛成していた、子供が入院治療を必要とする様な事になれば、
とんでもない騒ぎが巻き起こる、と言った・・・
タブロイド誌の一面、医療関係のスペシャリスト、遺伝学者、テレビカメラ・クルーたち。
大騒ぎだ。
 今は聞き入れてよかったと思っている。
 もう一度メッセージを覗いた。病院については触れていない。多分次のメッセージだろう。
最初の物からほぼ三時間後に送られているのに気がついた。
 開けてみた。

大変に具合が悪いです。入院させられました。私の携帯は病院ではつながりません。
ジョージがあなた様を拾ったら申し上げます。

・・・大変に具合が悪い・・・とにかくよろしくない。これでは全て滅茶苦茶だ。
 まだどこの病院かに触れていない。
ハンプトンのどこかへ運んだのか、それともシティか?多分後者だろう。
ドクター・ハインツェが面倒を見たがる、と言うのが最もありそうな事だ。
 ジルダにかけてみたが、すぐ女のヴォイスメールに切り替わった。
電源を切っているのか、病院に止められているのか。病院ではよくある事らしい。
そうか、ではジョージ次第だ。
 誰と話している、どこにいるのだ?
 短縮ダイアルでジョージにかけたが、こらもまたすぐヴォイスメールに切り替わった。
まだジルダと病院にいるのか?言い訳にならん。
 振り返ると自分のバッグが流れてきた。行ってとって来る訳にいかない。
それはジョージの仕事だ。
 ジョージはここにいない、もっともな理由を持っているのが身のためだ。

13
 嵐のせいで暗くなるのがひどく早い。邸宅の明かりをつけるか迷った。
ラサロムは家が明るい方が入って来やすいのでは?絶対そうだ。
ジャックは最初に来た時見たのと、なるべく全て同じである様に全力を尽くした・・・
正確には、選択肢はなかったが。
明るければ、ラサロムがジャックの細工を見咎める確率が高くなるのでは?
確かに、だが、ちょっと高くなるだけだ。
 ライトはつけることにした、だがほんの少しだけ、それが賢明だ。
最終チェックに回った。全てよさそうだ。
オリジナルの計画で行ってる、時間をとって、あたり一面を写真に収めた、
確実に元の状態に戻さなければならない。だからアドリブでやるのは嫌いなんだ。
 携帯が鳴った。ディスプレイを見た。ウィージー。
「万事オーケーかい?」
「うんと、そうでもないの。道は混んでて、どんどん酷くなったけど、それはなんとかしたわ」
「それじゃ何・・・?」
「ベビーよ。どうしたらいいかわからないの。どのくらい・・・?」後ろから叫び声が聞こえた。「おお、ゴッド。起きちゃった。行かないと」
電話は切れた。携帯を閉じてディスプレイをチェックした。6:35。
ジョージとジルダの携帯を取り出した。両方からメッセージを送ると携帯を閉じた。
ジルダの着信履歴に目を走らせる。半時間前に二件の不在着信、両方とも「ご主人様」だ。
再びジルダの方の電源を切り、ジョージの方の電源を入れた。「一者」から四件。
ラサロムの留守電を聞きたい誘惑と戦った、時間が経つほどに苛立ちと怒りが増してるだろう。
ラサロムにつながる危険を犯したくない。なのでこっちも同じ様に電源を切った。
 左様でございますな・・・ラサロムは今ひどく怒っている筈だ。

14
 あの男はどこだ?
ジルダがベビーを見ていなければならないのはわかっている。だがジョージ・・・ノー。
可能性が、よくないものばかり、心の中に流れ込んで来た。
アクシデント、逮捕、死、子供に何か破壊的な事が。
この計画に関連する悲観的な展望、その結果がジョージの不在であってはならない。
 決めた。雪は降り続いている、道路のコンディションはよくないに決まっている。
今晩中にナッカテイグに着きたいなら・・・殺伐とした空港のホテルに泊まりたくはない・・・
すぐ行動を起こさないと。
 あたりをうろうろしている空港の作業員の一人にベルトコンベアからバッグを取ってくる様
合図した。男は、到着エリアでリムジンを探している一人だとサメの様に狙いをつけ、
ラサロムが車のレザー張りの椅子に腰を下ろしている間に、トランクにバッグをしまい込んだ。
「こんばんは、旦那」運転手はギヤを入れながら、お定まりの質問をした。「どちらまで?」
「ナッカテイグだ」
運転手はブレーキを踏んだ。「ハンプトンの向こうの?」
「その通り。何か問題でもあるのかね?」
「距離がありすぎるなあ。特にこの天気じゃね。
長くかかるし、帰ってくるのにタダってわけにゃあね」
 ラサロムは空港作業員にチップをやって、そのまま財布を出しっぱなしにいていた。
こう言うだろうと予想していた。
多分運転手はマンハッタンかウィンチェスターのどこかだと期待していたのだ。
五百ドルを出すと後部座席から前に滑らせた。
「これでいいか?」
男の目が輝いた。「イエッサー!」
 もっと安くても良かったのかもしれないが、この類の輩と交渉する気は無かった。それで?
人間どもがみっともなくも熱心に追いかけ回すこの紙切れが?
ラサロムは事実上際限なく手に入れる事が出来た、それが何だ?
実際には何の価値もない、溜めておいたとしてもろくな価値もない。
変化、の後には、トイレットペーパーくらいにしか使えないだろう、そのくらいにしかならない。
「どんどん進め」ラサロムは言った。「だが気をつけて行け」
15
インターコムのブザー音にウィージーは殆ど走り出さんばかりだった。トークボタンを押す。
「お役に立つわよ」
おお、神よ感謝します、神よ感謝します、神よ感謝します!
玄関の扉の解錠ボタンを押しながら思った。
「七階のCなの。上がってきて」そうなの、急いでね。
前に一度ジーアが、ベビーのトラブルを解決するずば抜けた才能があると言っていた、電話した。ジーアはベビーの世話をした経験がある・・・ヴィッキーが証明だ。
でもさらに、ヴォランティアでベビーの世話に手を貸していたのだ。
ウィージーはスヌーピーみたいにハッピーダンスしそうになるのを我慢した、
だがその衝動に身を任せたとしても、瞬間アパートメントに響き渡る金切り声がウィージーを貫き、ダンスをストップさせるだろう。
 元はスペアのベッドルームだった部屋をウィージーはオフィスにしていたが、
今はまたベッドルームに戻した・・・ベビーのだ。
そこにベビーを置いておいた、どうしていいかわからなかったからだ。
この金切り声をやめさせる方法なんてひっくり返ってもわからない。
 加えて疲れ切っていた。いや、疲れ切っていた、と言うか、知恵も出尽くしたか?
 何をしても叫び声を止めることは出来なかった。
こんなに大きな声でなかったらそのままにしておいたかもしれない。
既に隣の人がドアをノックし、変わりはないか、聞いてきた。
一晩中続くなら管理会社に電話すると言う。
 居間に行って、ジーアのノックを待った。
ノックの音がした時、覗き穴をのぞきもしなかった・・・
こういう手間を省くことは絶対しないのに。
ドアが開き、ジーアとヴィッキーが現れた、寒さで頬は赤く、ニットの帽子とふわふわしたコートに雪が光っている。
「入って!入って!」
「ハイ、ウィージー」ジーアは言うと軽くハグした。「また会えて嬉しいわ」
 ウィージーは去年の夏、まるまる秋まで、ジャックの部屋にいた。
他の女だったらあり得ないし、あったとしてもひどく気まずいことになるだろう。
だがジーアとジャックはお互いを、信用し、信頼し、尊重していた、
考え深く、気楽に感じていたので、二人の間に問題が起こることはなかった。
お互いに助けを求めてもなんの不思議もなかった。
 ウィージーの方は時に辛い日々もあって、温かい身体と抱き合いたいと思った切ない夜も確かにあったのは否定出来ない、過ぎた日の親友であり、これからも最高の友が隣の部屋にいて・・・
「ハイ、ウィージー!」ヴィッキーがニッカリ笑って言った。「覚えてる?」
 ヴィッキー・・・もしウィージーに子供がいたら・・・そんなことあり得ないけど・・・
ヴィッキーみたいな子だったらよかったな。
「当たり前よ」抱き合った。「どうしたら忘れるかしら・・・?」
また叫び声がした。
ジーアはビクッとして固まった。「何・・・?」
「あれがベビーよ」ウィージーは言って、ジーアのコートを受け取った。
「どこか悪いのかしら?」
「わからない。そうじゃないと思う。あの子・・・違うのよ」
ジーアは頷いた。「ジャックがあの子のお母さんのために、ベビーを探してた時教えてくれたわ。
何か遺伝子の事。でも・・・」
また叫び声がした。
ヴィッキーは手で耳を塞いだ。怖がってるみたいだ。
「どのくらい、ああしてるの?」ジーアが言った。
「あの子をここに連れてきて、目を覚ましてから」
「あの子・・・?」
また叫び声。
「食べさせて・・・とにかくやってみたの・・・
オムツを替えたり、抱き上げたり、揺すったり、
それから・・・」フラストレーションのあまり、ウィージーは泣き出しそうだった。
「みんなダメ。何が悪いのかわからないの。ただ立ったまま叫んでるのよ」
「立ったまま?電話ではまだ生後二週間って聞いたわ。立てるはず・・・」
また叫び声。
「あの子は立つの」
ジーアはスペアルームに向かいながら、まさか、という顔をした。
「それから食べさせようとしたって言った?」
「哺乳瓶の乳首をボロボロにしちゃうの」
「ボロボロ?」
また叫び声。
「すぐ見せてあげる」
x
部屋に入ると、ウィージーは、自分が置いてきたままの状態でいるベビーを見つけた。
オムツをして、ベビーベッドの横木を掴んで立っている。
ジーアが目に入ると、耳がつんざけそうな叫び声を次から次へ繰り出した。
ウィージーとジーア二人とも耳に手を当てた。そして・・・
・・・誰かがスイッチを切ったように叫び声が止まった。
ウィージーは子供が自分たちを通り越し、目を見開いて何を見つめているのかを見た。
振り返って何にそんなに興味持ったのか見てみた。
 ヴィッキーが部屋に入ってきていた。ウィージーは交互に二人を見た。
ベビーは魅入られたように・・・ヴィッキーから目が離せないようだ。
「ヴィッキー」ウィージーが言った。
「お願いがあるんだけど・・・ちょっと部屋を出てみてくれる?お願い」
訳がわからないという風に、ヴィッキーは母親をチラリと見た。
ジーアが頷いた。「出てごらん、ハニー」
 ヴィッキーは外に出るとすみの方を向いた。
ヴィッキーがいなくなった途端、再び叫び声が始まった。
「オーケー、帰ってきて」
帰ってくるとたちまちベビーは静かになった。
「あなたの事が好きみたいね、ヴィッキー」ウィージーが言った。
そんなの頭がおかしい、と言う風に、ヴィッキーは用心深い様子をした。
ベビーがヴィッキーを見つめ、ヴィッキーが見返す、ジーアはベビーベッドのそばまで行くと、
近くからベビーを見た。
「アイオワでは」低い声で言った。
「私が育った頃に、オタムワの婦人たちが、こう言う男の子に名前をつけてたわ。
こう言う子の事を、残念な、ベビーって言ってたのよ」
「どう言う意味?」
「お母さんが聞かれるでしょ、これはあなたのお子さん?って。お母さんは、そうです、っていう。するとみんなは、残念ね、って思うのよ」ジーアはウィージーを見た。
「厳しいのよ、オタムワの連中はね」
 ヴィッキーは後ろに下がった、落ち着かない様子だ。ベビーに見つめられているせいだ。
「この子怖いよ、マム」
 ジーアは手を伸ばし、強い黒髪をとかした。
「ただのベビーでしょ、ヴィッキー。嫌なことが続いてたのよ。とても嫌なことよ。
大目に見てあげなくちゃね、オーケー?」
「でもこの子まるで・・」
「二人でお話ししたの覚えてるでしょ。
人は見た目を選べない、だから絶対にその事を笑っちゃダメよって。
人の心を絶対傷つけちゃダメ、オーケー?」
「わかるよ」ヴィッキーはウィージーを見た。「なんて名前?」
「あの・・・知らないの」ジーアの不思議そうな顔が、ますますウィージーを困らせた。
「ドーンがこの子の名前について言ってくれてたらね、言った事がないのよ。
正直、考えてなかったんじゃないかしら」
ジーアは顔をしかめた。「自分の子に名前もつけなかったの?」
ウィージーは躊躇った、ヴィッキーがいる前で、ジーアはどこまで聞きたいかしら。
「その、事情がねユニークだから。
ドーンは自分のベビーが生きているかわからなかったし、
だからこう思うのよ、ベビーを見つけて取り戻すまで名前をつけるのが怖かったんじゃないかしら」
「取り戻したのね?」
ウィージーの喉が固まった。
「ええ、可哀想な子。ちょっとの間だけね。本当にちょっとの間だけ」
ジーアはウィージーを観察した。「あなたとドーンは親しかったの?」
「あの子・・・あの子には私しかいなかったの」すすり泣きがこみ上げて来た。「私しか・・・」
 喋れなかった。ジーアはそばに寄ると、ウィージーに腕を回した。
そうなのだ。ウィージーは泣き出し、我を失った。
悲しみ、苦悩、ウィージーは手に入れたものを失った、
聞かされた事、ドーンの血の気のない命を失った身体を見た事、それが溢れ出し、流れ出した。ウィージーはジーアにしがみつき、身体を預けると、その肩で子供のように泣きじゃくった。
 このままこうしているのご心地よかった。プレッシャー・・・自分が破裂しそうで恐ろしかった。家に帰りたくなかった・・・
後部座席に眠ったベビーを乗せてなくて、道路は酷いものでなかったとしても。
一旦帰り着いたら、ベビーは目を覚まし、叫び始めた、
食べさせようとしたり、洗ってやったり、落ち着かせようとしたり・・・
 ウィージーはコントロールを無くした、ジーアに癒しを求めた。
「ごめんなさい。私らしくないわ。私はただ・・・」
「いいのよ。ほんとよ」
ウィージーはジーアを観察した。去年会ったあの日、ジーアの中に硬い芯を感じた。
それからレイディが教えてくれた、ジーアとヴィッキーとジャックが通って来た道を・・・
昏睡状態、脳疾患、流産・・・ジーアは生き続ける為に硬い芯が必要だった。
だが今まで、その硬い芯が、穏やかさに包まれていた事に気がつかなかった。
「わかってくれてありがとう。どうしてわかってくれたの?」
「私もそういうところにいたから」
ウィージーは深く息をついた。「大分気分がよくなったわ。ありがとう」
ジーアは笑って頷くと、ベビーベッドの手すりの上をなぞった。
「この子が来るのを予測してたのね」
「どういう事?」
「どうしてこんなに早く育児室を作れたの?」
「本当言うとみんなドーンの物なの」
ドーンはウィージーに鍵を預けていたので、いつでもアパートメントに入れた。
「ホールから運んで来たのよ」
 それはウィージーが無くしていたもの、ドーンは母性の命じるまま用意していたのだ、
ベビーベッド、ベビー服、哺乳瓶、粉ミルク。
自分のベビーが生きているか確かでもなかったのに、ベビーを見つけた時のために、
母親として用意していたのだ。
 ジーアは頷いた。
「そうだったわ。彼女はホールの向こうに住んでたのね。
ジャックがひどくその事にこだわっていたのを思い出したわ」
「まだこだわってるわよ。それは確か」
「あなたは違うの?」
「そうね、私たちに対してドーンとベビーを使う計画なんじゃないかって心配してた、
でもまだ答えは出ていないの。全部まだ議論の余地がある。
あいつらはドーンとベビーを引き離すために全力を尽くした、あの子からベビーを隠した、
でももうドーンは逝ってしまった」・・・そう言うと、また喉が詰まった・・・
「そしてベビーはここにいる」
「全部計画のうちって事はあるのかしら?」
衝撃的可能性だ、でも・・・
「いくらか疑ってはいる」
 ジルダとジョージは死んだ、ジャックは今まさに待機している、
オサラを地獄にぶっ飛ばすために・・・それがラサロムの計画通りなんてあり得ない。
 ジーアは身を屈めて手すりを見た。「齧られてるわ。あるでこの子に乳歯があるみたいね。
でもそんな筈ないわね。小さすぎるもの」
「私もそう思ったの、でも乳歯以上なの」
辺りを見回し、粉ミルクを入れて飲ませるプラスチックボトルを見つけた。
瓶を取り上げると、ジーアに差し出した。「ほらね」
ジーアは噛み切られた乳首の先を見つめ、首を振った。「信じられ・・・」
「歯があるの」
ジーアはウィージーを見つめた。「何ですって?歯・・・生後二週間で?」
「見てごらんなさい」
 ウィージーは注意深くベビーの上唇をめくりあげた・・・
他の時だったらウィージーのするのを嫌がったかもしれない、
だがどのくらいの集中力かわからないが、その全てをヴィッキーに向けていた。
上の歯茎に四つの、下の歯茎にも四つの白いポイントが突き出していて、ライトに反射した。
「マイゴット」ジーアが囁いた。手に持ったボトルのゴムの乳首がボロボロになっているのを見る。「どうやって面倒をみたらいいのか想像がつかないわね」
「だからオムツしかはかせてないのよ。この子の歯があんまりとんがって鋭いから。
吸い始めると噛んじゃうからみんな辺り一面に飛び散っちゃうの」
「多分だから泣き喚くのかもね。痛いのよ」
「今は痛くないみたいね」
ウィージーはヴィッキーが部屋を横切って窓の外を覗きに行くのを見守った。
ベビーは一挙一動を追いかけている。「でも今朝早くには血が出たみたいなの」
ウィージーは顔と鉤爪みたいな指についてた赤いのを、ジェリーオーだと思い込んでいたが、
血だった。洗ってやったのでわかったのだ。歯茎から出たものとしか考えられない。
「この子におしゃぶりを与えないと」ジーアが言った。「そうすれば静かになるわ」
「でも哺乳瓶の乳首はどうするの?使い切っちゃった所なの」
「プラスチックのベビーカップ・・・手に入る限り一番固いのにしましょ」
「どうして思いつかなかったのかな?」
「子供の頃、ベビーシッターしたことない?」
ウィージーは首を振った。「一度も」
前にジャックに言ったように、ベビーに興味を持ったことがないのだ。
ジーアはにっこりした。「私は何回もあるわ。ベビーが好きだし、それに今もしてるのよ」
振り返ってドアの方に向かった。「持ってるものを見せてね、外で買い損ねたものを買ってくるわ」
 ウィージーはヴィッキーを引き連れて後に続いた。
しかし少女が部屋を出た途端、金切り声が復活した。
 ウィージーはジーアを、頼む、と言う目で見た。
「ハニー」ジーアは言うとヴィッキーの方に身を屈めた。
「ベビーとこの部屋にいてもらえるかしら?」
ヴィッキーは首を振った。「あの子こわいもん」
「でもあなたが好きなのよ・・・みんなの中であなたが一番好きなの」
「だってつまんないもん」
「そうね、ご本を持ってきたじゃない。ウィージーのデスクに座って読んであげたらどうかしら?」
「いいじゃない」ウィージーが言った。「きっと読んであげたら、ベビーもそれが好きになるわ」
ヴィッキーの顔が輝いた。「オーケー」
 何ていい子なの、ウィージーはベビーが泣きに泣き叫んでいるのを聞きながら思った。
でも急いでね。
「何を読んでるの?」ウィージーは真っしぐらにバックパックのところに行くヴィッキーに言った。
「ノクターニア。三かん目」
「このシリーズにはまっちゃったのよ」ジーアが言った。「大好きなの」
「十才よね?」
「来月で十才と半ぶん」ヴィッキーが言った。
「子供の時ジュディ・ブルームを山ほど読んだのを覚えてるわ」
ジーアはにっこりした。「私もよ。それからビヴァリー・クリアリイ。あの手の本が好きだったわ」
ヴィッキーはウィージーが大綱を置いた居間のテーブルで立ち止まった。
「ヘイ、これジャックの本だよ」
「ヘイ(干草)は馬に与えるもの」ジーアが言って目をくるくる回した。
「ママに言われるのやだったわ、それなのに自分で言っちゃった・・・」
ウィージーはヴィッキーに笑いかけた。
「そうね、ヘイ、は、馬に与えるもの、そうよ、それはジャックの本。貸してもらったの」
ヴィッキーは本を開きページに目を走らせると、肩をすくめた。「やっぱり、へんな本」
 とりわけ大きな叫び声がヴィッキーをベビーの部屋に戻れと命じた、その結果・・・
・・・静寂・・・神に感謝するほどの静寂。
 ヴィッキーが大綱を開いたページを眺めた、
ウィージーが見たのがそれほど前でもない、名付けのセレモニーのページだ。
あれからいろんなことがあったわ。
 ベビーの部屋から大きな声で本を読み始めたヴィッキーの声が微かに聞こえる。
「あの子は宝石ね」ウィージーが言った。「レンタルはやってるの?」
ジーアは笑い出した。本を読むのが好きなのよ。ここに割いた時間が、あの子の夢の時間になるの」両手を広げた。「平和が来たわね」
 平和だわ、ウィージーは思った。
けれど、ロングアイランドの東の外れの側、寂れた集落で今夜間も無く、
反対の出来事が起こるのを想像した。

16
 ジャックは瞬きして目をこすった。
 眠い。
 今日起こる事への不安、不測の事態、不確実性、昨晩の眠りは断続的だった。
監禁状態で窓から見張り続け、異界のゴドーを待ちながら、集中力が切れてきたのだ。
そんな場合じゃない。
 立ち上がって、狭い部屋が許す限り大きく輪を描いて歩きまわった。
これから目の前にあることを考えれば、自分の脳や身体が眠るなんて事があるか?
一ダース以上も頭の中で邸宅に施した設定をチェックした。
スティンガーのマニュアルを熟読し一対を組み立て、岩にセットした。
一回試してみたいが、あり得ないな。あり得ない。
 やり残した事はない、だが待機する・・・そして降り積もる雪を見る・・・
一インチ雪が積もる毎に、ラサロムが姿を現さない確率が高まる。
 街に泊まる事にしたかも、嵐が過ぎるのを待つよう。
或いは怪しんで、訳のわからない場所には来ないかも。
 そうしたらどうする?
ジャックはガレージに三体の死体を抱え、自分の車は時間が経つにつれ雪に埋もれ、
ラサロムが今夜来ない。諦めるまでどのくらい待つ?一日か?二日か?
 バカバカしい。目の前に壁を蹴っ飛ばして穴の一つ二つ開けたくなった。三つ四つかな。
だがオドネルのせいではない。彼は・・・
 外に明かりが射した。
 窓を覗きライトがデューンドライヴを下って来るのを見た。
ジャックが指向性爆薬を設置しようかと計画した場所を通り過ぎる。
リモートをクリックして、ばーーーん!・・・Rゲームオーバー。
 逆らい用もなく運転手も道連れに。
 ジャックは突然、計画通りに設定しておけばよかったと思った・・・二人ともあそこで粉微塵だ。ラサロムはあそこで終了。あいつを止める以上に重要な事はない、
突然の火の中で途方にくれる誰か・・・すまない、チャーリー。
ささやかな二次的被害は、払うには小さな代価だ・・・
 わお!どこからそんな事を考え出した?
 異界からの殺人衝動を押し戻し、目の前に集中した。
双眼鏡を探り当て、車が邸宅の正面に駐車するのに焦点を合わせた。
最新のリンカーンのタウンカーの様に見える。典型的なレンタカー用リムジンだ。
運転手が出て来て後部のドアを開けた、
それからあたふたトランクを開けてスーツケースを取り出した。
雪の中苦労してスーツケースを玄関ドアまで運んでいると、
別の男が車の後ろのスライドドアから出てきた。
ジャックは二人目の頭を双眼鏡で追いかけた、通りすがりに家からまっすぐ明かりが照らし出す。
唇を歯で噛みそうになった、顔がわかった。
 ラサロム。
 一者。
 ゴドー。
 一階に駆け降りた、コーヒーテーブルの上にM79サンパーのリモートがいくつも並べてある。
玄関扉、のラベルを貼った一つを選び、握り準備する。
玄関扉にセンサーを装備してある。指向性爆薬を扉から六フィート内部に設置したかった、
扉が開けば自動的に爆発する。爆風はノブに手をかけた者を蒸発させる。
問題があった、ジャックには誰が入るかわからない、そのプランはオシャカにした。
 それでよかった、見ていると運転手が扉を開け、バッグを中に置いた。
客に手を振り、暖かい車の中に戻ろうとしている。金を受け取った様子はない。多分前払いだ。
 ラサロムが中に入り背後に扉を閉めたら、ジャックがリモートを押す。
扉の自動装置は今度は別口のびっくり装置になる。後ろのドアも同じだ。
 一者への、おかえりなさいのプレゼント。
 すぐに全てが、なし、になる。

17
 玄関のホールに立ち、足を踏み、雪を落とす。
 家は暖かく、明かりがついている、が・・・
 電話は入れなかった。家が空っぽなのは知っている。他の存在の気配はない。
誰でもそうだが、ジルダとジョージにもそれぞれ独自の精神的なサインがある。形跡はない。
ほかに誰もいない。
 しかし・・・
 何かが違う。強い念が残っている、誰のものかわからないが、激しい念だ。
ジルダが子供の病気に気がついたからか?
 多分な。
 あの女が子供を嫌っているのは知っていた、
それを隠して子供を愛する振りをしている時の嫌悪感、
それを啜るという楽しみを常に与えてくれた。
女が子供を傷めたりしないのは確かだ。だが何かがここで起こった・・・病気か怪我か・・・
恐らく、その過失を非難され、罰を受ける羽目になるのを恐れていただろう。
 筋が通らない訳ではない。
 左様、ここの残る念の説明にはなる。
 オフィスに出向き、ジルダかジョージが出発前にメッセージを残しているか調べた。
ない・・・何もない。
エアポートからの長旅の間中、何回となく二人に電話した、
返事が来るかと自分の携帯のディスプレイを見続けていたが、何もなし。
 何が起こった?わしのベビーにどんな悪いことが?
わしのベビー・・・おかしな話だ、ひとりごちた。
 生まれてこのかた、子供の父親になった事はない。
だがこれを所有したのだから、事実上自分のベビーなのだ。
そして、計画の要なのだ。あれが死んだら、注意深く構築した新たな段取りのタイムテーブルもチャートもまるまるオシャカになるだろう。
 病院に電話する事も考えた、一軒ずつ、だがやめた。
ジルダが子供を何という名で呼ぶことにしたか知らない。
 待ってみよう。待つのは得意だ。
 喉が渇いているのがわかった。
変化、が終われば身体からの求めは無くなるだろう、だがそれまでは・・・
 ジルダがグラス類をどこにしまっているのかわからないのに気づいた。
自分の面倒を自分でみる、新しい経験だ。
キッチンに移動しながら、自分がいかに甘やかされて来たかわかった。
なんか欲しければ誰かに命じるだけだった。
 グラス類・・・カウンターの向こうのキャビネットにあるだろうと当たりをつけた。
 冷蔵庫は両開きのモデルだ。
キャビネットの扉を開けタンブラーを探し、冷蔵庫のものと思われたハンドルに手をかける・・・
・・・と、床の上に立っていた・・・部屋を飛び越えて・・・
部屋は轟音と煙り、燃え上がる炎と破片。冷蔵庫は消え失せた。扉の片方が足の上に倒れて来た。さっきまで座っていたキッチンのテーブル、椅子も同じく消え失せた、燃え盛る破片になった。
 すると、自分のコートも燃えているのに気づいた。
炎を叩いた、焼けつくような痛みが左腕を襲った。腕がなくなっているのを見て叫び声をあげた。
出血はない・・・黒焦げの切株・・・左手首から先に何もない。
 すると、残った肉体部分が生きている、と苦痛の叫びをあげた。
痛みを無視して、火を消すために転がりながら、落ち着いて、何が起こったか思い出そうとした。
冷蔵庫の扉を開けて・・・
 閃光が跳ね返った・・・扉がたわみ開いて・・・光と音と白熱の炎・・・
中から噴き出して来た炎のジェットで扉が崩壊した、掴んだ手もろとも蒸発した・・・
それから後ろ向きに吹き飛ばされキッチンを越えて壁に叩きつけられた。
 グラスを探している時に起こったのではない、冷蔵庫の前に立って扉を開けたら、
全身に傷を受け、手はなくなった。
 罠だ。
 考えるまでもなく明らかだ、だが脳みその中で高鳴る蜂の羽音が、
ごちゃごちゃの考えを引き出してくる、整理しないと。その言葉に固執した。
 罠・・・子供は病気ではない・・・ジョージもジルダも子供をどこにも連れて行っていない・・・ジョージとジルダは死んで湾に浮いている、多分・・・誰かがわしを殺そうとしている。
 必死になって頭を働かせながら、膝を踏ん張った。
 わしはずっと幸運を引き当てて来た。
冷蔵庫の爆弾が一つだけなら、いくらかまだチャンスがある、
燃えさかる家から逃げ出さなければ。
 どこへ行く?
 外は同じく危険だ。
暗殺者がわしの死を確かめよう、或いは仕事を完遂しようと待ち構えている確率が高い。
 思考が凍結した。どこ行ったらいい。どこで奴、は待っているのだろう?
 正面か、道か。
 寒さと嵐が湾側への退却を阻む、そこからは逃げられない。
 では、後ろに出よう。館の脇にある見通しの悪い茂みの中に潜り込もう。
動けるようになるまで潜んでいればいい。
 身を屈め、燃え上がる大広間の家具の間を縫うように裏口を目指した。
吹き飛ばされた窓から雪が勢いよく吹き込んだ。粉々になった後ろのガラスの向こうを透かし見た。誰かの気配はない。ノブを回し引っ張った。
・・・と、自分の周りの世界が燃え立った。
               ◆
 ジャックは邸宅の裏側から閃光が走るのを見た。
微かな轟きが夜の中を走り、風と雪の音を消した。
クソ。
 指向性爆薬はたった一つしか設置しなかった・・・冷蔵庫の中だ。
どっちにしても冷蔵庫の所で誰でもやられる、と思った、そうだろう?ラサロムでさえ。
 残りのオクトールをもう一つのトラップとして玄関と裏口に設置した。
 裏口のドアが今吹っ飛んだ。
冷蔵庫の爆発の圧力波で起こった二次的な物の可能性もあるが、確証がない。
あいつの運の尽き、とは限らない。
 ラサロムだって冷蔵庫から生き延びるのは無理だろう?
罠にかかったのは確かだ・・・家の中がミニ核兵器が爆発したように明るくなって、
ほとんどの窓がすっ飛んだ。
棚に鎮座した指向性爆薬のプラズマ・ジェットがヤツのケツに黙示録を読ませた。
灼熱の蒸気に昇華されなかった部分は、黒焦げの肉の飴になった筈。
グレーケンはタフなヤツだと言った、だがそこまでタフなヤツはいない。
 何かしくじった。
 さては、こういうのに備えてたのかな。
指向性爆薬が不発だったとして、ラサロムは罠に気づき、家から逃げ出した。
ジャックなら窓から出るだろう、何千年も生き延びたラサロムは爆薬を仕掛けたことはない、
多分ドアを選ぶ。あいつは玄関から入った、だからそこから出れば安全だと思うだろう。
だがそっちだっていつまでも安全って訳じゃないぞ・・・ジャックがリモートを使えばな。
考え合わせればラサロムは裏口を使うに違いない。
問題ない、ジャックはそっちのフレームにも同じくオクトールのラインを引いている。
 困るのは、あの手の爆薬は気まぐれで、方向性が曖昧、殺傷範囲も曖昧な事だ。
所謂、不確実。特に、不死性のやつが絡んでるとな。
 腕時計をチェック。最初の爆発の時間をマークしておいた、ちょうど三十秒だ。
それが何の爆発だか理解し、助けを呼ぶまで、時間はそうない。
 モデイフィードM79に手を伸ばした。
M406、40ミリ、ハイ・エクスプローシヴ・グレネード弾を装備してある・・・
一発を装備、三発はチューブに・・・それぞれが半径15フットの殺傷能力だ。
ジャケットのポケットに様々な口径のやつを詰め込んむ・・・念のためだ・・・
ガレージに向かう、スティンガーを用意してある場所だ。
 右のドアを勢いよく開けて中に入る。
ヴィクの開けっ放しのトランクに、スティンガーの入ったランチャーが二つ、用意されている。
M79を壁に立てかけ、片方のロケットを掴む。
冷却装置のユニットをハンドルに押し込み、アルゴンガスを働かせる。
IFFのアンテナが掴めないが、必要ないだろう。
ランチャーを肩に乗せ、正面玄関に照準を合わせ、トリガーを引く。
 ミサイルがランチャーから飛び出す。
エジェクション・チャージは固体燃料ロケットが燃え上がる前に通りを横切り、家に突っ込んだ。トップスピードであるマッハ2になる前に家に到達したが、
その加速具合はまさに惚れ惚れするものだった。

唸り声を上げ、転がった。自分の身体を見下ろした。
手足も身体も炎に包まれ一ダースもの傷を受け・・・全てから出血している。
背中にもさらに傷を受けたと痛みが語った。
 まだ爆弾があった。家中がブービートラップだらけなのか?
次のに引っかかる前にこの家を出なくては。
瞬きして裏口のドアに焦点を合わせた・・・ドアがあった所、と言うべきか。
黒焦げで煙りボロボロになった開口部。肘と膝を使い、必死でそっちに這い進んだ。 ドア口までたどり着いたちょうどその時、別の爆発が家を貫いた。
爆発は彼を開口部から雪の中へ吹っ飛ばした。
 あれは何だ?今までで一番大きな爆発だった。
最初の二回の爆発で無事だったガラスが庭のガラス片の上に滝のように降り注いだ。
破壊された家との間に少し距離を取らないと。茂みまで到達すれば或いは・・・
 ラサロムは数フィート先に行く手を塞いでいるものを見て凍りついた。
家の東側に出てきた・・・朦朧とし痛みに煙る脳のせいで、そこにある湾とドックを忘れていた。
 だが右から回ればそれほど遠くでもない・・・ガレージまで。
そこまで行かれれば、隠れる場所がある、見えなくなるし、暴風も避けられる。
中でまた爆発した。家が煙る廃墟になるのもまもなくだ。移動するなら今だ。
まだ次の爆発は起こらない、足元に集中し、ガレージ方向によろよろ進んだ、
横のドアに鍵が掛かっていないよう、異界、に祈りを捧げた。

                       ◆
 スティンガーが炸裂し、家の正面に穴を開けたが、ジャックはそれで終わりにはしなかった。
ランチャーを下に落とし、M79を手に取った。
通りを渡り家に近づいてグレネードをお見舞いしたかったが、
ハイ・エクスプローシヴ・ラウンドには、
ランチャーから数百フィート以内の爆発を防ぐ安全機能が装備されていた。ここから撃つしかない。
 サンパー・ストックを肩に置き、正面左ドアに照準を合わせた、
昨日の晩ベビーを覗き見たベッドルームがある場所だ。
 昨日の晩・・・あそこでジョージとジルダの平和な家庭的光景を見たのが何日も前に思える。
二人はちょっと先の場所で床に伸びている。ドーンと同じように・・・
 トリガーを引き、どん!と言う音を聞いた、この音がM79のニックネームになっている。
これほどの口径にしては驚くほど反動がないが、ベッドルームの壁を吹っ飛ばす威力には
何の関係もない。もしかしてラサロムが安全な隠れ場所に選んでたら・・・お生憎様だ。
 もう一つHEグレネードをチェンバーに送り込み、右のドアの部屋に狙いをつけた。
もう一度、どん!もう片側の壁もオシャカになった。
 念のためもう二発撃ち込んで、弾を使い切った。
空になったケーシングを拾い上げるため屈んだ時、邸宅の東の端に動くものを捉えた。
黒い影が家の横に浮かび上がり、ガレージに向かって行く。
 ジャックは、その男が横のドアに寄りかかると、倒れこむように中に消えるのを見て唖然とした。
 あり得るか?そんなやつがいるのか、
ラサロムと言えども、ジャックがあれだけ投入した物から生き延びられるのか?
傷ついているように見える・・・いくらかダメージを受けたのは間違いない・・・
だが動いていると言う事実、奇跡としか言いようがない。
 ジャックはポケットからとっておきの40ミリのやつを取り出し、吟味した。
二つのHEグレネード、大型のバックショットがひと組。弾を込める・・・
先にHE、続いてバックショット。
両方使う必要はないかもしれない、しかし数ある中のこいつでケリをつけよう。
実際こいつでうまくいけば、ラサロムは自分から死にに行ったようなもんだ。
               ◆
 後ろ手にドアを閉めると黒いメルセデスのボンネットの上に突っ伏した。金属が冷たい。
ここには罠はない。どのくらい前にジョージが死んだのかな、と思った。どうでもいい。
 一息つけるところが必要だった、自分を癒す時間がいる。回復力は絶大だ。
血はすぐ止まる、切り取られた手首の痛みも和らぐだろう、それから回復が始まるのだ。
新しい手が生えはしないが、他の傷は全て癒える。栄養を摂る必要もない。暖かさも必要ない。
 ゼトーにコンタクトを取るか、もっといいのはマヌケのドレクスラーか。
あの男はまだ価値があると、わしが思うように、一者のお恵みを取り戻せるように、
わしに避難場所の提供をさせる。
 出来ないだろうな。
 だがまずは、自分自身が、出来る限りここから離れたところに行くことだ。それには車がいる。
車の運転は最近になって学んだきりだ。子供の時に家を離れて・・・
非常に裕福な子供で運転手がいた・・・サウスキャロライナで暮らすまで運転する必要がなかった。雪の中を運転したことはない。
 出来るだろうか?路上には馬鹿者が溢れている。
 運転席のドアを開け、痛みを堪えてハンドルの前に滑り込んだ。
              ◆
 ジャックはガレージのドアが開き、火を噴くのを見守った。
車も続いた。一種の保険だ。ラサロムがガレージを調べてそこに車を見つけたら?
ジルダとジョージがベビーを連れて病院に行っていないのはわかっただろう。
家に入らない可能性もあった、車に飛び乗って、ここを出て行く可能性もあった。
 可能性・・・
 ありそうにないシナリオも視野に入れておこう。
やつの傲慢さと特別な能力からして、どんな状況でも死を免れることが出来ると思っているだろう。だが、ジャックはチャンスを与えない。
ジョージは、有能な運転手であっただけに、いつもタンクにガソリンを満タンにしておいた。
ジャックは車にまでオクトールを準備出来なかったが、
タンクが、間違いなく中にいるやつ全員をフライにしてくれる。
あいつはキーがささったまままだから不思議に思ったろう。
 腕時計をチェックした。最初の爆発からたった一分十秒しかたっていない。
すごく長くかかったような気がする。先を急ごう。だが何よりもまず、こいつのカタをつけないと。
 もう一度サンパーを肩に乗せ、ガレージに狙いをつける。万が一のため・・・
 人影が、炎に包まれ、横のドアを破ってまろび出て来た、前に後ろにふらふらとしながらも、
身体を斜めにして湾に向かった。端でつまずくと、水の中に落ち込こんだ。
 ジャックは引き金を引いたが、早すぎてガレージの後ろのコーナーを破壊しただけだった。
次のグレネードを込め直す。湾の方に駆け出し、水の中にぶっ放す衝動と戦った・・・
ターゲットに近すぎて、安全装置が爆発を防止してしまう。
 ラサロムは見えなくなった、向こう側、入って来た方の堤防に向かうつもりだろう。
水面に出てくれば、殺傷範囲に入る。潜ったままなら・・・ジャックにはどうしようもない。
 発砲すると、堤防が砕け散るのを気にも留めずラグーンに向かって走った。
その場に着くと、燃え上がるガレージが水面を照らし出している。ラサロムの影はない。
死んだか、水底に沈んだか?水面下に潜んでいるのか?
 散弾銃を込め直し、水に打ち込んだ。ナンバー4の散弾が水の中で二十個に弾けた。
最後の一発は二十個以上に弾けた。
やはり動くものはない。
 グロックを取り出した。二フィートおきに水の中に弾丸を撃ち込み、マガジンを空にした。
マガジンを入れ替えると、隙間なく同じパターンで撃ち込み続けた。
 やはり、生き物の気配も死体も上がらない。
 腕時計を調べた。大虐殺に費やした時間は二分半。最後の仕上げをしたいが。どうすれば?
 その時、オドネルのガレージにガスの缶を見たのを思い出した。
通りを駆け戻りながら、満タンか、ほぼ満タンなのを祈った。
水面に投入し、ガレージから持って来た火のついた薪を投げ込む、ウワァァァーン。
水が燃え上がる。
 ガレージに向かった

 ジャックはガレージで缶を見つけ、抱え上げた・・・ち。
そこの方でチャプチャプ音がしてる。あいつ・・・
・・・ディーゼルエンジンのパタパタいう音がして、凍りついた。
あれは一体・・・
船だ!ラサロムが船にたどり着いた。
どうやったのかジャックには想像もつかなかったが、止め方はわかる。
 二つめのスティンガーとBCUを掴み上げ、ドックへと駆けつけた、走りながら冷却装置をグリップに押し込む。
船のエンジンが唸りを上げ始めた、フルスロットルに入れたに違いない。
 ジャックは船尾の影を捉えたが、船はラグーンの開口部から外海へ出て行く所だった。
雪と暗闇に飲み込まれ、ターゲットは見えなくなった。
 その時見える必要のないことを思い出した。スティンガーは熱源を追う。
発射するだけで船を見つけ、排気管に突き刺さる。
 ランチャーを肩に構えた最後に船を見た場所に狙いをつけ、引き金を引く。だいたい二秒間、
ミサイルのロケットエンジンが燃え上がる黄色い縞を残して、水の上を越えて行く、
水の数フィート上空の所だ。それから手応えがあった。爆発の光が夜を照らす・・・
タンクの中のディーゼル燃料のせいで爆発が倍増する。
渦を巻く雪と霧が輝きを増し、ジャックは燃え上がる破片が回りながら四方八方に飛び散るのを見た・・・その中にラサロムの破片もあるんだろう、そう思った。願った。祈った。
 一者は無者になった。
 だがそうだろうか?
ジャックが投入した全てから生き延びた。こいつからも生き延びたなんてことがあるだろうか?
ジャックは持ってきたもの全てをぶち込んだが、満足は出来なかった。
どうすりゃいいんだ?
 ラサロムの死体いっぱいに灯油を注入し、それが燃えるのを見届けて、さらに、燃えた肉を隅々まで突き回して確認し、それから灰になるまで燃やし、飛行機から大洋に撒き散らす。
ああ。それなら満足出来るだろう。
 ラサロムの死体がどこかの浜に打ち上げられていれば、そこまで行ってそうしよう。
腕時計を見た。四分かかった。ご近所からいろんなところに連絡が行くだろう・・・
点滅するライト関係の所とか・・・あっと言う間だ。
片付けておさらばだ。
 グロックのブラスを外し水の中に投げ込んだ。
サンバーの中に40ミリのバックショットの最後の物が残っている。
その他のケースなど拾い上げ、空になったHEを並べてあるオドネル家のガレージに駆け足で戻った。
 全部まとめて、ヴィクのトランクの中、スティンガー・ランチャーとM79の隣に並べる。
ちょっとだけ母屋に戻り、ライカとコントローラーを回収。
拭き掃除をして、手袋をはめていたから、指紋の心配はなし。
 五分でガレージから撤収。ドーンの死体を見つけやすいようにガレージのドアは開けっぱなしにした。誰の死体か知らせに、後から電話を入れよう。
 ルート27を通ると誰にも出会わなかった、アマガンゼットまで半分のところで、最初のパトカーがけたたましく反対側を通り過ぎるのに出会った。
道路はツルツルしていたが、ヴィクは後輪駆動なので、楽に運転できた。
 ジーアに電話した。
「どんな感じ?」
「フォント順調よ。私達、ウィージーの所にいるの」
殴られたような気がした。「フォントなんだって? 君とヴィッキーが?」
「驚いたみたいね」
驚いた?ショックを受けた。あのベビーに一番関わって欲しくないのが、ジーアとヴィッキーだ。
あのベビーのせいで、ドーン、ジルダ、ジョージが死んだ。
あれは危険なものだ、あれは不吉で、あれは・・・
「なんでまた・・・?」
「ウィージーから電話があって、助けて欲しいって、それで来たのよ」
ウィージーが電話・・・ジャックは歯を食いしばった。もっとわきまえてて欲しかった。
 わかってたか?ベビーが母親の血を指につけて吸ってたのは見てない。
あいつにとってはドーンのベビーだ・・・気味の悪いチビのベビーだが、ただのベビーだ。
過剰反応か?そうだな。
落ち着こうとした。
「ベビーはどうした?まだ騒いでるのかい?」
「もう騒いでないわ。ヴィッキーが本を読んであげたら、十分で寝ちゃったの。 あなたは大丈夫なの?」
「ああ。無事で元気に帰る途中さ。君も帰る?」
「もうすぐね。迎えに来てくれる?」
「そこに?出来たら行く。先にグレーケンの所に寄って行きたいんだ」
「気をつけてきてね。道路がひどい状態らしいわ。え?ウィージーがあなたと話したいって」
ジャックも話したいと思ってた。話さなければ。
「オーケー。バイ。愛してる」
「終わったの?」電話に出るとウィージーが言った。
ジャックは落ち着いていた。ベビーは眠っている、ラサロムはしんだ、ジーアとヴィッキーは無事で、家に向かおうとしてる。
「そう思う。だといい」
「確かじゃないの?」
「何とも言えない。状況がはっきりしないんだ。やるだけのことはやった。あいつはお魚と一緒におねんねしてると信じてる」
「そう祈りましょう。ところで私が誰に恋したかわかる?」
「誰だ?」
「ヴィッキーよ。ククルの胸までを癒す魅力の持ち主」
ジャックだって愛している。命より。だからこそあのチビ助モンスターから離しておきたかったのだ。
「ああ。ヴィッキーは最高さ」
 ジャックは電話を切ると後ろに寄りかかり、溜息をついた。やったことはなんだったんだろう。
ラサロムをやっつけた、確証さえあればなあ。
シティに帰る道すがら、不確実さが内臓を掻き回した。

18
 エルンストはシティとロングアイランド駅の間の中を行ったり来たりしながら、ハンプトンとモントークの間のどこかで起こった事件のニュースを待っていた。
確かに事件があった筈だ、仔細はわからないが、聞いた時にわかった。
 アナウンサーが「ナッカテイグから実況」と言うのを聞いてスクリーンに飛びかからんばかりだった。美しい女性のリポーターがフード付きのスポーツジャケットを着て吹きすさぶ雪の間、消防活動の中をマイクに向かって語っていた、ライト点滅させたトラックが何台も、うず高く積み上げられた煙る瓦礫の山の前を行ったり来たりしている。
 「フォント言わせて貰えば、イヴァン、ここはまるで戦場ね。ここのウォーターフロントの邸宅は、静かで、裕福な人たちの集落なんだけど、情報によると、複数回の爆発で木っ端微塵に破壊されたの。別棟のガレージも灰塵と帰して、中に入ってた車も爆弾にやられてバラバラ。ちょっと見て・・・」
 エルンストはカメラがあたりの光景をパンするのを驚いて見つめた。数十年に渡り、オーダーがこの辺りを所有していた。エルンストは、幾たびか夏の日のウィークエンドをここで過ごしたのを覚えている。この有様は何ともショッキングである。
 ジャック、ジャック、ジャック・・・君を過小評価していたよ。
レポーターはさらに、通りを隔てたガレージで三体の死体が見つかった事に言及した・・・女性二人、男性一人、皆殺されている。
 ジョージとジルダ、間違いない。だがもう一人の女は誰だろう?
ジャックは誰も連行していない、明らかな事だ。
 だが、もっとも重要な死体はどこだ?一者に何が起こった?ジャックは跡形もない程完全に一者を葬り去ったのか?邸宅の灰に紛れてしまったのか?
 エルンストはそう願った。となれば、変化は無期限延期だ。多分永遠に。自分が生きている間は確実にない。
 自分の生きている間が何より意味がある。
19
 グレーケンからエレヴェーターの鍵を貰っていたので、
ジャックは明かりの消えたアパートメントのどこから上に行くのかわかっていた。あっていた。
雪の降り積もるシティのほのかな明かりを背景に、大きなパノラマウィンドウに彼のシルエットが浮かび出ている。
ここに来るまで三時間半かかった、恐ろしくも期待に満ちた瞬間だ。
「それで?」
グレーケンは窓から振り向かずに言った。
「彼が生きているかもしれない、と聞くのだね?」
「そうだ」
「君にはわからないのか?」
「あいつを吹っ飛ばした、火で焼き尽くし、もう一度吹っ飛ばした。
だが確かに殺したとは言い切れないんだ。ガーディナー湾の上か底かに残骸があると思うんだ」
グレーケンはため息をついた。「彼は生きている」
ジャックはソファーに座りこみ、頭を背もたれに投げ出した。「くそ」
「だがやっとのことでだ。本当にやっとのことで生きている」
「どういうことだ?」
 その時、グレーケンが振り向いたが、ジャックにはその表情が読めなかった。
ひどく深刻な顔を想像していたのだが。
「彼が誕生し、その存在がある限り、私の耳にいつも不協和音のハミングが聞こえている。
そのハミングは今も聞こえているが、ここ何時間で、感覚の端を漂う程度にどんどん弱まっている。ひどく傷ついている、多分致命傷だ。彼は死ぬだろう」
「だけど死んでない」
シルエットは首を振った。「そうだ。まだ死んでいない」
 これ以上ジャックに何が出来ただろう。沿岸警備隊に知り合いでもいればゴキゲンだがな。
カッター船を徴発し、嵐の中を捕鯨用のモリで、ラサロムの残骸を探し回るのに。
ああ、そうだよな。
「状況を説明したまえ」
ジャックはナッカテイグの運命的な四分間の出来事をもう一度数え上げた。
グレーケンは首を振った。「それ以上出来ることは思いつかない」
「もっと近づいて、サシでやれたかもしれない」
「そう、そうしていたら、ここで経緯を話すことはなかったね」
ジャックはソファを握りこぶしで叩いた。「あれ以上どうすればよかったんだ」
「待とう。君がやったあらましから見て、彼は間も無く死ぬ。少なくとも・・・」
少なくとも、なんて言葉は一番聞きたくない。
「少なくとも、なんだ?」
「少なくとも誰かが助けない限りは。だが二人の僕(しもべ)は死んだ、
嵐が何人(なんびと)の介入をも拒むだろう。
どこから助けを見つける?」
「近隣の家にたどり着くかも、レスキュー隊が見つけて引き上げるかもしれない。
心肺蘇生法を施すとか、点滴を刺すとか、お節介野郎が死の淵から連れ戻す、よくある事だ」
「確率は?」
「わかるもんか。ずっとラジオを聞いてたが、火事と三つの死体の話ばっかりで、
生き残ったものについては一言もない」
「今はね」
ジャックは頷いた。
「テレビをつけてみよう、あの酷い悲劇から唯一生き延びたやつの話に気をつけていよう。
そう言うのが出てきたら、ドクター・ジャックが昨晩の仕事を完遂するよう、
依頼してもらわないとな」

20
 もう一度目を開けた、明かりが見えた。
もう一度ぐちゃぐちゃになった出来事を整理し直してみた。
 どことも知れぬ浜辺に打ち上げられた。雪に覆われた砂に横たわっている。
前方から明かりが照らしている。そこまで行こうと、這いずった。
だが数フィート進むたび気を失ってしまう。一回毎の進む距離はほんの少しで、その度に気を失った。
 何か新しい事が起こった。
 どこかで犬が吠えている。
 明かりが消えた・・・
・・・それからまた戻って来た。何かが。近くでもぞもぞ言う声が。
 一匹の犬だ、嗅ぎまわり、ハアハア言って、唸った。攻撃してくるか?
病気の子猫から身を守る力もない、腹を空かせた犬ならなおの事。
キープの奥深くに囚われていたあの暗い日々ですら、これほど無力だった事はない。
 それから声が・・・家畜・・・雌牛・・・遠くで・・・
いや、もしかしたら遠くに感じるだけなのかもしれない。
「ロッキー?ロッキー、戻っておいで!」
 漂流物を見つけた船乗りのように、その声にしがみついた。喋ろうとしたが声が出ない。
残った方の手を上げ、そのせいでまた犬が吠えた。
「そんな外で何やってるんだい、バカ犬?」雌牛が言った。年配のようだ。
「なんだか知らないが、そんなもん放っておいて、死んじまう前に中に入っておいで」
 ダメだ!入るな!ここにいろ!そうだ!出て来い!頼む、出て来てくれ!何でもやる!
わしをお前の家に入れてくれたら、変化の暁にはわしの右手の席を約束しよう!
 もう一度手を動かすと、今度は即座に近寄って来てヒステリックな吠え声が始まった。
「お前は地球で一番バカな生き物だよ!」
 声が・・・大きくなった。「それからお前を捕まえに外に出て行くあたしはもっとバカだよ。
お前を外に置いて来たけど、入る扉も忘れるくらい、お前はバカなのかい?
お前はきっと・・・マリア様!こりゃ一体・・・?」
 何かが突っついた。つま先か?さっきした様に手を上げた。
「神さま、生きてるよ!」
 左手を何かに握られた。おそらく雌牛の手だろうが、押されている事しか感じなかった。
「助けを呼んでたんだね、ミスター」女は言った。
「年取って目が見えなくなったから決めつけてたんだよ。
あんたは随分重そうだから、あたしが運び込むのは無理だねえ」
 女が左手を掴み、男は右手で地面を押した。突然女は手を離し、男を地面に落とした。
「神さま!あんたの手!手をなくしたのかい!」
 叫んでやりたかった、見りゃわかるだろう、老いぼれのマヌケめ!
幸いな事にまだ声は出なかった。ただ唸った。
 女はもう一度傷ついた左手を引き上げた、男は右手で半ば凍りついた雪を掘りながら、
明かりの方に向いた。

21
 深夜ニュースで、ナッカテイグの破壊行為と死体についていろいろに語られていたが、
生き残った者の話はなかった。それがいいのか悪いのかジャックにはわからなかった。
仮に死にかけの身元不明者が漂っているのを見つかれば、
どこに行って仕事を完遂すればいいのかわかるというものだ。
見つかってないなら、ラサロムは相変わらず嵐の中で丸焼けで、ボロボロで、息も絶え絶えに・・・最期の息を引き取ろうとしててくれるといいんだがな、とジャックは思った。
 立ち上がるとジャケットを掴んだ。「ちょっと出かけてくる」
「レイディの所に寄っていくかね?」
「さあな。今晩のおれはあんまり楽しい仲間じゃないから」
「みんなが必要だよ」
「だがみんなはおれを必要としてない。こんな、おれはな」
グレーケンはジャックを見つめた。「大丈夫なのかね、ジャック?なんと答えるかはわかってるが」
「そうだな、わかってるなら、なんで聞くんだい?」
「理由が知りたいからだよ。今晩の事について、君が憤慨し、がっかりして、
フラストレーションを溜めてるのはわかってる・・・」
「わかってる?わかるのか?手持ちのクソッタレを全部つぎ込んだ・・・
小ぶりだけど戦術的核兵器もだ・・・それであんたはあのあんちくしょうがまだ生きてると言う」
「まだ失敗した訳じゃない。彼はまだ・・・」
「それがわからないんじゃ気が変になりそうだ」
「君を愛してくれてる人たちのそばにいたい、がその理由なんじゃないかな」
「みんなおれとずっと一緒にいたくはないさ。
特に今夜の、おれ、みたいなのは自分でもゴメンだ。
それならいっそ、愛してくれない方がいい、おれはひとりぼっちでいる方がいいのかもしれない」
老人はお節介をやめなかった。「君らしくないな、ジャック」
「ああ?そうだな、最近おれがおれじゃないような気分なんだ」
「ほお?」
ジャックは、ジョージの投げたナイフに切り裂かれた指を見つめた。今は完璧に治癒している。
「あんたにちょっとした治癒能力の話したろう?」
グレーケンは頷いた。「お互いにとってあまりいいニュースではないね」
「その通りだ」グレーケンは立ち去り、ジャックは行きたくもない方にゴリ押しされる。
「だけど、肉体的な事の他に何かあるのかな」
もう一度頷いた。「確かなのは・・・無感動になる」
「それもあるな」
「それは一部だね。君の回復力は向上し、感情の方はなくなっていく」
「おれのせいだけじゃない」
「そう、同袍のせいだ、或いは世界の中に無限の断片となって残る何物かの。
ディフェンダーになるという事は、肉体的回復力が高まるだけでない、孤独になるという事だ。
どんなに傷つこうと、同袍は我々を一人の個人として扱ってはくれない、
ここのコーナーに現実に感覚があるのを知らせる証として、我々を生かしているのだよ」
「槍には枝がない」この言葉は苦い。
「その通りだな。槍がターゲットを突く以上の事を言うなと言う訳だ」
ジャックは首を振った。
だからこそ、罪のないドライバーを道連れにするとしても、
対人地雷IEDを設置する事を考慮したのだ。
だからこそ、帰る道すがら、どうしてやらなかったと、自分をぶっ飛ばしてやりたかったのだ。
「どうやって戦う?忍び寄って、頭の中を乗っ取り、人生を変えてしまうような何かに、
どうやって対抗すればいい?」
グレーケンは溜息をついた。「大変に難しい。何故なら君は自覚していないから。
正しくて、自然な物と思っている。それが自分だと。そして、ある意味ではそうだ。
我々全ての中に暗闇はある、正当化するためならば喜んでそれを使うだろう」
「あんたが、暗闇、って呼んでるやつを、おれは脳みそって言うんだ」
「ああ、科学だね。人生からミステリーを奪って行く物だ」
「魔法に解毒剤を供給する、って方が近い」
「だが暗闇は、さらに生き生きとして刺激的なものだ」
「人間の脳みそより暗闇に満ちた物はないさ。議論の余地なしだね。
欲しい時に欲しいものを欲しがる、殆どは生き残りをかけて、自分を守るものを欲しがるんだ。
だけど、そこには心ってもんがあって・・・」
「それか我々を敏感にする、さらに大きな展望、違う視点を見せてくれるのだ。
暗闇に従うようにはならない・・・或いは君の脳みそ、と言うかな・・・君の心を越えたりしない」片手を振った。「だが容易くはない。
第一紀にも我々の仲間の大勢が、セヴンとの戦いに選ばれた・・・
ラサロムがその中に名を連ねていた頃だ。
何人かは誘惑に屈し、一つの戦いに勝利するために、罪もない村に向かって積極的に弓を引いた、戦っていて、訳がわからなくなったのだね」
ジャックは、グレーケンの妻への愛と、痴呆症になっても献身的に尽くしている事を考えた。
「あんたは成功したんだな」
「最高の対策は気づく事だ。展望と価値観に、自分から疑問を投げかているのを自覚する。
本来の自分を早めに確立する、それが成功する人間だ」
ジャックはジャケットの中に手を滑り込ませた。「今晩の事、屈したくなかった」
グレーケンはにっこりした。「ごらん。既に戦いに勝利してるじゃないか」
「今晩の戦いについて、どうなんだ?あいつの存在をまだ感じるのか?」
 グレーケンの顔から微笑みが消え、頷いた。
 クソ!
 ジャックは下りのエレベーターを捕まえると、嵐の中をとぼとぼ歩き出した。
降りしきる雪がシティの騒音を包み込む。
グレーケンの所に来る前に車をガレージに入れておいた。
トランク内の眺めはすてしゃらだし、鍵が一つしかない。
こいつらを始末すれば、ナッカテイグの証拠はなくなる。
 タクシーが通りすがったが、そのまま行かせた。ここから二十ブロックばかり行けば住まいだ。
歩けるだろう。フリオんとこに寄るか?ああ。いい時間だ。
いつも冷蔵庫にビールがある。
 歩いて疲れたかった。ないな。今晩眠れそうにない。
多分、ナッカテイグの生き残りについてラジオに釘付けだ。
これが片付かない限り、ジャックは居ても立っても居られない。終わらせ、ないと。
 携帯が鳴った。ディスプレイをチェック、ジーアだ。
「ハイ、家に落ち着いた?」
「いいえ。今晩はウィージーの家で過ごすことにしたの」
だめだ!携帯を怒鳴りつけるのを我慢した。
「よくないな」
少し間があった。「どうしてそんなこと言うの?」
「君とヴィッキーをあの子供から遠ざけておきたい」
「ただのベビーじゃない。ヴィッキーがあの子に及ぼす影響はすごいわ、
私たちが泊まってれば、みんなずっと簡単にすむって意見が一致したの」
ジャックが黙る番だった。多分泊まっても大丈夫だろう。
ベビーを連れたウィージーに、オーダーの誰かが、どう関わってくるかわからない。
やっぱりあの子供は嫌な感じがする。悪いことから、目を逸らさせる為の何かではないのか。
「寄ってって」ジーアが言った。
「多分寄るよ」
自分が感じのよくない相手だとしても、ジーアとヴィッキーのそばにいたい。
立ち寄るだけじゃ済まないかも、みんな眠ってたら、そうしよう。


22
 何度も揺すぶったり、持ち上げたり、押したりしながら、雌牛は戸口から、
なんとか暖かく明かりのついた室内まで男を引きずっていった。
少なくとも暖かく感じられた。なんの感覚もなくなっていた。
「だんな様、あんた凍えちまってるんだよ。
気にしないでもらいたいんだけどね、これからあんたの濡れた服を切っちまおうと思うよ。
どうせもうそんなに残っちゃいないんだ。ほとんど黒焦げの雑巾みたいなもんだよ」
 それから何分か右に左に転がされるのを感じた、ボロボロになった衣服を切っていると思われる。
「あたしがあんたのお尻や隠し所を見てても気にしないでおくれ。あたしゃAMDとか言う・・・
加齢黄斑変性の目でね。あんたの事は青くしか見えないんだよ」
 そん事は気にしていない。生き延びることが全てだ。
 女はいなくなって、また帰ってきた。ブランケットが掛けられたのを感じた。
「取り敢えずラグの上にいておくれ。ソファにゃ持ち上げられないよ。だけどそりゃ電気毛布だ。
すぐ温まって、体温も上がってくるよ」
 結構。温かい。もう二度と温まる事はないと思っていた。
「一体どうなさった?爆発の音がして窓の外でなんか水の上が明るくなってさ。
あんたなのかい?船が吹っ飛んだのかい?」
 その通りの事が起こった、どうしてかはわからない。男は逃げおおせたのだ。
燃える家の火がだんだんおさまったら、何か黒いものが発射され、船の後ろに撃ち込まれた、
空中を吹っ飛ばされ、水の中に落ち込んだ。この浜にうち上げられるまでの事は何も覚えていない。
「何にしろ、お医者さまと病院だね、特にこの手。見たところすっかり黒焦げになっちまったけど、よかったんじゃないかね、血が止まったからね、ただ切り口は特別な処置がいるんじゃないかね」
 ダメだ。力がなくなっている。病院では無抵抗だ。守るものもない。
「だけど今晩はここで過ごさなくちゃならないよ。
電話はダメになっちまったし、使えるようになったとしても、この嵐でだれが来てくれるかね。
二人で今晩を乗り切って、朝になったら何とかしよう。
あたしゃ外に船を持ってるから、出来るようになったらすぐ出かければいいね」
 女に助けを呼ばれるのは感心しなかったが、どうやめさせる?
意識を保つようにして、ここから抜け出す・・・すると、わきに転がされた。
「ここにね」女が言っている。頭が枕だかクッションに置かれる。
柔らかいものとしかわからない。腫れ上がった唇にストローのようなものが差し込まれた。
「ちょっと飲んだらどうだい」吸い込んだ。塩気のある液体が口に広がる。
それを飲み込みさらに貪欲に啜った。
「チキン・ブロスの缶で温まるよ。出来るだけ飲み込みな。
電気毛布が外からあっためて、これは中からあっためる、あんたをあったかくしなくちゃね」
 この雌牛・・・生き残れたら、褒美を与えよう。
 さらに飲み込むと息をついた。声を出そうとした。何とか出さねば。
「どこだ・・・?」全力を振り絞った。その声はコンクリートをヤスリでこするような音かだった。煙を吸い込んだに違いない、たぶん炎も飲み込んだ。
「おやまあ、喋れるじゃないか。いい声とは言えないがね。たぶんとっておいたほうがいいよ。
ここがどこかって言うなら、ミドルウエストのガーディナー・ベイにあるサディの島って言う
ちっぽけな場所さ。あたしかい?あたしがサディだよ。サディ・スウィック。
この小さな岩山の主さ、住んでるのはあたしだけだ。それであんたは?なんて呼びゃあいいかね?」
 どれを名乗る?沢山ある。適当に古いやつを使った。
「ローマ」ガサガサ声で言った。
「クォーターバックの?なんか関係があるのかい?」
この名前を使うと、大抵の人間がこう聞く。
最初、何を言ってるのかわからなかったが、そのうちわかった。
「ローマAH」そう言った。
「なんだか街の名前みたいだねえ。名前はなんてえの?」
「サル」
「まるでイタリア人みたい、ねえ?
イタリア人には見えないけど、あたしがどんだけのイタリア人を知ってるって言うんだい。
サディの島にようこそ。なるべくよくしてあげたいけどね・・・」
 女は喋り続けたが、意識が遠のき、声は消えていった。

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