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石川啄木〜釧路時代の輝きコミュの参考資料11「日進の百年」

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この資料は釧路市内の古本屋さんで落手しました。

市子がここの学校の卒業生という記事が当時の釧路新聞に載っています。

本名も釧路新聞の芸妓登録の際に掲載されています。

小林芳弘氏氏の「啄木と釧路の芸妓たち」にも、この本から引用されています。

やっと手にに入れることができました。ほとんど出回らない本ですので、古本屋で発掘したときは、びっくりしました。

他の記事として、啄木に当時の教員(藤野)が「しゃも寅」で記事の差し止めの要請をしたことが逸話として載っています。

学校のスキャンダルとして報道されたので、当時の第一小学校も身内の職員ではないかと考えて動いたようです。

そして、一番重要なのは、「日進小学校の今と昔」のタイトルのある写真です。

どうやら、仕切りの部分です。この背景が昔の釧路の地図なのです。

 年代は、釧路市市役所がありますので、市制になってからのものです。(大正11年8月1日以降)でも佐藤国司や釧路新聞社、大正堂書店が見られます。位置を確認するには良い資料です。それから、陸軍官舎や釧路国支庁というものも見受けられるのでかなり前の地図と思われます。第一尋常高等小学校の名前がありますので、尋常科が初等科に変更になる1941年(昭和16年)以前の地図とわかります。そして、学校名が日進尋常高等小学校が昭和9年4月に変更になります。また、明治42年、私立釧路裁縫伝習所が、大正14年には富士見に移転し、この地図に載っている私立釧路女子技芸学校と改称したということです、次に、大正15年(昭和元)12月釧路警察署が現幣舞公園に移転・新築されています。釧路郵便局舎が州崎町(現南大通5丁目)に新築され、竣工する。さらに、昭和3年1月に釧路郵便局舎が州崎町(現南大通5丁目)に新築され、竣工しています。この郵便局も載っています。さらに、公益質屋が大川町に昭和5年7月に開設されます。公益質屋も載っています。地図は、昭和5年7月〜昭和9年4月までに作成されたということです。

他にも、市子の消息を辿る重要な手かがりと思われる内容も見つけました。しかしながら、釧路は遠いので、おいそれと出かけられないのです。

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