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石原莞爾平和思想研究会コミュの開戦前夜2

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1931年9月、中国大陸で日本が経営する満州鉄道の線路が爆破されるとともに、鉄道守備隊が襲撃されるという事件が起こりました。実はこの事件は、攻撃の口実を作るために日本側が仕組んだものだったと判明したのだけど、でもその時には誰もそんなことを知らないから、国民も満州に住む中国に対する怒りに燃え上がったのです。

そして予定どおり日本軍は、この報復として中国や馬賊側に攻撃を開始し、満州各地を占領した。これがいわゆる満州事変といわれるもので、重要な歴史の転換点となったのです。翌年日本は、1911年の辛玄革命で退位させられていた清国最後の皇帝溥儀を連れ戻してきて皇帝にたて、満洲国を設立したのです。

『ラストエンペラー』という映画を見たことあるでしょうか? 石原莞爾の理想とする五族共和として国王をたてたけど、石原莞爾が去った後は、満州国の政治や行政には日本人も正式に参与し、絶対的な発言力をもつ傀儡政権となったのです。

これ以降、日本国内ではますます軍部の発言力が強まり、いまの政治じゃだめだと考える若手の急進的な将校たちが、五・一五事件(1932年)や二・二六事件(1936年)を おこして、やがて政党政治はすっかり萎んでしまいました。そして軍人が首相になって国を動かしていくようになっていったのです。

そんな中で日本はさらに中国大陸のあちこちに兵を進め、拡大していきました。1937年以降は中国全土で戦闘になってしまいました。国際都市だった上海などでは、イギリスやフランスやいろいろな国が勝手に自分たちの自由にできる空間を作っていたのです。

そんな中て日本は、アジアからフランスやイギリスなどの白人を追い出して、中国に干渉する権利を得たのです。1941年12月に、東南アジアへの侵略を開始した時も同じような発想だったのかもしれません。白人の植民地支配からアジアの人たちを解放しようと。

日本側の言い分では、アメリカが1940年に対日輸出削減を行って日本を不当に苦しめ、追い詰めていったから、自存自衛のためにやむなく戦争に突入したということだった。実は日本の中国侵攻に対して苦々しく思っていたアメリカやイギリスは、さまざまな方法で、蒋介石軍を支援していたのです。

もっとも日本が、満州国を建国した時には彼らもあまり文句を言わず、南へと拡大してきて、自分たちの権益を侵害しそうになって初めて強硬に文句を言うようになったのです。要するに列強なんてそんなものなのです。

アメリカやイギリスから蒋介石への援助物資は、東南アジアの大陸部、つまり、ビルマや仏領インドシナ(べトナム、ラオス、カンボジア、仏印とも言われた)の北部から中国の南部 へ陸路で密かに送られていた。

そのルートをなんとか切断しようと狙っていた日本は、1940年6月にフランスがナチス・ドイツに占領されたのを受けて、その後にできたドイツの傀儡政権に圧力をかけ、9月には仏領インドシナの北部(ハノイ周辺)に日本軍を進駐させることを認めさせたのです。

日本はドイツの盟友だったから、それに怒ったアメリカは7月、石油、屑鉄など日本が必要とする重要資源を「もう売ってやらないぞ」と言って脅しをかけてきた。日本側はそのことをとりあげて、列強にいじめられて、追い詰められ開戦となったのです。

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