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石原莞爾平和思想研究会コミュの県民性岩手県

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岩手県を一言で言うと冬が長く厳しい風土だと言います。岩手は、北上高知で内陸部と三陸海岸に分かれています。一関あたりを分岐点にして、北が南部藩、南が伊達藩で、それぞれが団結しあって対立し、仲が悪かったのです。南部の国は「山百里、川百里」といわれ、北上高知を貫いて三陸海岸と内陸地方を結びつける交易は牛以外になかった。

牛の背には三陸の海産物や塩・大豆が積まれ、帰り牛には米、野菜、衣料品などが積まれた。陸中海岸は岩手県下にありながら盛岡との接触がなく、異国を向いて生きてきた。宮古は、関東地方を通り越して京都や堺と直接交流していた。

岩手県全体としては夏が短く、冬が長い。その厳しい風土から、粘り強い、たくましい性格の県民性が生まれた。雪に覆われた冬にはじたばたせず、じっくりとものを考えて知恵を生み、冷害に見舞われながらも、毎年種をまいては実りの秋を待つ忍耐力を植えつけた。この県ほど地形が風土に影響をおよぼした例はないでしょう。

とりわけ江戸時代の天明の飢饉では、想像を絶する記録が残されています。もともと米作に不向きな土地にありながら、年貢制により開墾を強いられました。度重なる冷害に対して、藩主は実態を知ろうとせず、中央は吸い取れるだけ吸い取るという無謀な政策のため、悲劇は続いたのです。

東京23区の面積に等しい岩泉町や牧場の田野畑村では百姓一揆が続発したが、弾圧でことごとく封じられ、農民の生活は悲惨の連続でした。米作に不向きな土地柄なのに米作を強いられ、米がなくなれば、労働の主役であった馬も死に絶え、その結果、伝染病が村中に広がり、人口が激減した。

岩手北部の「チャグチャグ馬コ」は、馬を大事にする風土から生まれた祭りです。盛岡冷麺には、簡単に噛みきれないほどコシの強い黄白色の麺が使われています。冷麺はもともと朝鮮半島の庶民が好んで食べたものだといいます。

雫石の原野に日本一の大農経営が誕生した。それが小岩井農場です。11月に見学してきましたが藤原氏が奥羽の地に覇を唱え、平泉に黄金文化を打ち立てました。イーハトーヴは、宮沢賢治ゆかりの地です。37歳という若さでこの世を去りました。

岩手では、「岩手人で最も好きな人物」として宮沢賢治をあげる人が多いです。石原莞爾とも関係が深く、東京都一之江にある「国柱会」にはお二人の骨が分骨されています。石原莞爾平和思想研究会では毎年、式典を行なっております。

また、山口、東京に続いて第3位の総裁輩出県です。原敬、斎藤実、米内光政、東條英機、鈴木善幸の5人が総理大臣となっています。さらに1997年の国内の木炭生産量は2万8791トンです。このうち約25%にあたる7302トンが岩手産で、1950年から第一位を続けています。

木炭が貴重なエネルギー源だったピーク時には約20万トンを生産したが、その後は激減しました。岩手は建材として高く売れる杉などの植林が少なく、ナラなどの広葉樹が豊富なので、最近はそれらの資源を生かして入浴剤や消毒液などに使われる木酢液の生産に力を入れています。

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