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石原莞爾平和思想研究会コミュの戦勝国に向かって言った

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アメリカは太平洋戦争を起こした人間を裁こうとしていた。石原莞爾は絶対に戦争をしてはいけないと弾圧されても反対の態度をとっていました。しかもその時、石原莞爾は予備役、退役ですから、太平洋戦争にはまったくかかわっていないのです。

だが、極東軍事裁判酒田法廷で検事の質問から「戦犯の中で誰が第一級犯罪人」と訊ねられると、石原莞爾は「トルーマン」と答え、大統領就任の時ばらまいたビラを見せ、そのビラには「老人、子供、婦女子を全部爆殺する」と書いてある点を示して、「これは何だ!!国際法では非戦闘員は爆撃するなと規定があるにもかかわらず、これは何か!!」と。

検事は「あれは脅しだ」と答えると「そうではない、このビラの通りに実行しB29が民衆すべてに爆撃し、広島や長崎は一体どうしたことか?トルーマンは、このビラの通り実行したトルーマン大統領の行為は戦犯第一級のそのまた第一級に価するものである」と言った。

次の検事の言葉では「日本の戦争責任を日清、日露戦争までさかのぼって調べる」と言うと、石原莞爾は次のように言う「それではペリーを呼んで来い、日本は当時徳川鎖国時代で、どこの国とも付き合いたくないと言って、堅く外交通商の門戸を閉ざしていた。」

「それを米国からペリーが黒船でやってきて、門戸開放、通商交易を迫った。もし実行しなければ、大砲をぶっ放すと脅迫した。徳川政権は、結局米国の脅迫外交に屈して開国を決定し、列国と外交通商関係を結んだ。外国と付き合ってみると例外なく侵略主義の恐ろしい国だということを知らされた。」

さらに石原莞爾は言う「貴国らを大先生として、日本は侵略主義を習い覚えたのだ。いわば貴国らの弟子である。もし日清、日露戦争が悪いというならばペリーを証人としてあの世から連れてくるのだな」と米国への批判を行なったのです。

なぜ極東軍事裁判が、酒田市において行なわれたかというと、石原莞爾を東京で訊問すれば、東京裁判と連合軍側の権威の失墜を招くことを恐れがあった。酒田法廷に出廷する石原莞爾をリヤカーで駅まで曳いた側近である私の父が当時の状況をこう語っているのです。

日本人が萎縮している時に戦勝国に向かって言ったので、日本人にも人気がありました。石原莞爾は魅力ある人です。あの時期の軍人で、思想家といえるのは、石原莞爾ぐらいしかいないでしょう。『世界最終戦争論』は今でもよく売れています。戦争は線から面へ拡大してきた、次は体に至るという戦争史観は鋭いです。東亜連盟・現在は石原莞爾平和思想研究会でも問題提起として大きいのです。

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