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石原莞爾平和思想研究会コミュの悲劇の総裁であったのだろうか

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終戦後、近衛文麿氏は、GHQに出頭するよう命令を受けました。その前夜、親しい人たちを呼んでお別れの晩餐を行っています。なごやかに食事をして、風呂に入りました。皆が寝てしまってから青酸カリを飲んで自殺をしてしまいます。

当時の友人で、励ます会でもあるその晩餐に出席した後藤隆之介という人は、話しているうちにどうも近衛さんが自殺する、と感じたようです。それで、「自殺なんて犬死になってしまう。堂々と裁判であなたの志、平和的信念を述べたほうがよい」と忠告すると、近衛さんは答えました。

「それはできない。自分が正しかったとか、平和工作に終始したなどと言いだせば、結局は天皇陛下に迷惑を及ぼす結果にならぬものでもない。それを考えると、事前に死ぬ以外に方法はない」だとすると、天皇陛下に大きな責任があると言っているようにも思えますが、これを聞いた後藤さんは返す言葉もなく、

「どうしてもというなら、死ぬにしても、東条英機みたいな、ぶざまな醜態をさらしちゃいけませんよ」これには、近衛さんは笑って、「その点は大丈夫」と答えたそうで、この話は残っているのですが、近衛氏の本当の気持ちがどうだったのか、いろいろと一緒だった方の日記に書かれています。

遺書が残されていて、戦後日本を語るのにそれほど重要な内容ではありませんが、戦前昭和日本の最大の責任者と言ってもいい近衛氏が何を考えていたかを知るのにはよいかと思いますので、引用します。

「僕は支那事変以来、多くの政治上過誤を犯した。これに対し深く責を感じているが、いわゆる戦争犯罪人として米国の法廷において裁判を受けることは、堪え難いことである。……しかし僕の志は知る人ぞ知る、僕は米国においてさえ、そこに多少の知己が存することを確信する。」

「戦争に伴う興奮と、激情と、勝てる者の行き過ぎ増長と、敗れた者の過度の卑屈と、故意の中傷と、誤解にもとづく流言蜚語と、これら一切の輿論なるものも、いつかは冷静を取り戻し、正常に復する時も来よう。その時はじめて、神の法廷において正義の判決が下されよう」

つまり、自分が戦犯に選ばれたのは中傷する奴がいたからだ、あるいは流言蜚語の結果である、要するに日本人のいやらしさが背後にあるのであって、自分は裁かれることには堪えられない。国民がいつか冷静さを取り戻し、正常さが回復してきた折には、私の志もわかってもらえるだろう。

だから米軍の判決など受け入れない、神の判決のみを受け入れるのだ――そう言って近衛氏は亡くなったのです。しかし、あれから時がが経ったわけですが、さて近衛氏の志は一体どこにあったというのでしょうか。国民はついに理解していません。私としては自分で確信することを堂々と弁じたほうがよかったのではないか、と思います。

近衛文麿の最大の過ちは、1937(昭和12)年7月7日七夕の盧溝橋事件のときです。そこでの戦闘は一旦収まっていたのだから、ここではっきりした命令を出せなかったことは、近衛文麿の責任です。その後は翌8月に起きた上海事変です。

上海事変の前に、近衛文麿が南京に行き蒋介石と会うというプランを石原莞爾が立てているのです。これは近衛文麿内閣の書記官長だった風見章も書いています。陸軍参謀本部側は飛行機の手配をして、蒋介石にも話を通すのですが、最終的に近衛文麿は逃げてしまうのです。最後は、12月の南京占領時です。

この前後、参謀本部は中国側に調停案を出し、これに沿ってドイツ大使トラウトマンが日中和平工作をはかります。賠償金は要求しない、華北は非武装地帯にすればいい、満州国は黙認でかまわない、日本が中国に持っている権益を放棄するといった内容です。蒋介石は1度これに乗りますが、交渉の途中で、南京が陥落したという報を受け、近衛文麿は、突如、条件をつり上げてしまうのです。結局、交渉は不調に終わりました。

以上、日中戦争を終結されることが可能だったと思うのです。実際、異論がある方もいろとは思いますが、この後になると日中問題を解決して日米の対決を避けるのは、かなり難しくなるのです。この大切なポイントを日本はすべて見逃してしまいました。今風に言えば、日本国は中国大陸という巨大な不良債権を抱えていました。イラク攻撃もそうですが、攻めるのは簡単だが、撤退する時には一番勇気がいるのです。

冷静にみると、そのやったことには、大きな間違いが多々あったのではないか、悲劇と言うには、あまりにも底知れぬ無責任さの持ち主ではなかったかと思うのです。いずれにしろ、逮捕される直前に近衛氏はこの世を去りました。これによって東京軍事裁判は大事な証人を失い、後からまた妙な人を捕まえたりするような事になってしまったのです。

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