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石原莞爾平和思想研究会コミュの異民族から見た天皇観

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この一文は新橋善隣会館において石原莞爾平和思想研究会・最高顧問・椎柱先生の「最終戦争論解説」をお話しされたもので、当時の録音テープより記録しました。先生はお亡くなりになり原稿をお見せする機会のないまま記載しますので、文責は筆記した父である仲條立一にあります。

それではここで「国体思想」について一言申し上げます。今、日本に於ては天皇なんてという風潮があり、天皇がどうのこうのと言うと何か副作用があるかのように思えてなりません。だけれども私から見たら、ということは異民族の一人としてみた場合、世界で日本の天皇程冠たるものはない。例えばイギリスとかローマ法皇をみたらよく分る。

人間とは妙なもので精神的なよりどころがないと安心できない。だから思想でどうのこうのと言ったところでどうにも出来ない。皇帝というものがあり乍ら、ちゃんと精神のよりどころとして、カトリックの中心人物であるローマ法皇があるのです。ローマ法皇の所へ行って冠を頂いて皇帝は満足するのです。

人間というのは人間的な、ある偉大な一人の中心体があって、それに依存することによって満足するのが人間であって、案外人間というものは弱いもんです。英国の皇帝は姓名もあるし、株も持っているし、広大な土地、莫大な財産もある。日本の天皇には名前はあっても姓なんかありません。昔から大御親といわれる位に何も私心が無い。

ただ武家政治時代には武家に利用され、明治維新後には官僚に利用され、大東亜戦争に前後しては軍閥に利用され、近くは経済人に利用される。その時代々々によって利用されてきております。利用されるというと何か力が無いぢゃないかと思はれるが、そういう意味ではなくて、利用することによって国民を引張っていくのにその当時よかったから、武家が天皇を利用した。官僚も軍閥も財閥もそうだ。

このように天皇を連れてきて利用すると国民を総括するのに非常に便利であったから利用した。そういうふうに利用されながらも、国民全体の為によければと、いつも泰然としていたのが日本の皇室である。別に日本に皇帝があるからといって搾取して皆さんをいじめたりする訳でも無いし、皆さんの生活を誰かの話ではないが、お前達は麦を喰え我々だけが米を喰べるというようなことを話される訳でもない。

つまり私は外の国と一寸違う点があることを言いたいのです。私の若い頃、紀元二千六百年祝賀といって、日本の皇室は連綿二千六百年と、連綿たることを誇りにしてたが、そんなものは私にはピンとこない。連綿たる歴史を良しとするならばエチオピアなんか三千年以上のちゃんとした連綿の歴史である。

連綿それのみを比べてどうのこうのと言うより、天皇、皇室そのものの今迄の生き方、在り方が如何に超然たるものであったか、それが一番価値あるものであって、又もう一つは「聖断信受」ということです。終戦時を顧みて見なさい。

あの当時は殆んどの人が戦争をやろうと言い、国民の半分位殺されても戦い抜くんだと言って、御前会議では軍部が戦争遂行だ、本土決戦だと唱えるのを、陛下がいかんといって、阿南陸軍大臣が陛下の膝にすがって泣いたりしたというが、あの頃は軍部中心の政治であり、その中での軍部が強力に戦争をやろうというのに、陛下は、「駄目だ。国民をこれ以上殺すことはいけない」といって終戦に踏み切った。

これは普通の人間ぢゃとても出来ないです。つまり何か国難があって右すべきか左すべきかという時、はっきり決断する場合、我々には私心があるから、なかなか右しようか左しようかと決断がつきかね一寸困る。それが私 心の無い者は非常に公平に言える。

即ち右すべきか左すべきかがどうも多数決でうまくいかない場合に、誰に依存すべきかということになると、「聖断」つまり私心の無い人である陛下に、「これどうですか?これでは?」「それはこうすべきだ。」とやった方が一番早いんです。又私心が無いから若しやってみてうまくなければ、すぐこれは変えようじゃないかと変えるのも実に簡単に変えられる可能性がある。

私心のある人間は一度自分が決定してうまくいかないと、それを何とか押し通うそうとする。それで失敗すれば、ああでもない、こうでもないとつまらない理屈をつけて弁解してみたりする。そういう点で皇室は心配が無い。国民全体の事を考えているから、やってみてうまくいかなかったら、これはこういう点で悪かった。

この点を直しましょう、或はこうしましょうと、実に政治を持って行く、変転と言いましょうか、君子豹変ということもあるけれども変えることが素早い。このような事からも、どうして天皇家を皆さんが最大限に利用しないのだろうと私は不思議でならないのです。

韓国では大統領制度というものがあるが、朴大統領なんかを天皇みたいに我々は拝む訳にはいかない。彼も我々も同じだ、何も変りないんだから、そういう点私ら異民族からみれば日本という国は実にうらやましい。だが反面今の日本人の風潮は一寸意外なような気がする。この頃は前の軍人の悪口を言うと、天皇に全部責任があるかのように言っているが、天皇は何も関係が無い。

その辺をよくわきまえて、やがて必ず来る世界の未末社会を考え、日本が本当にその未末社会を目前にして日本らしい日本を造り上げようとすれば、よりどころとして、精神的なある依存者を持たなければならない。その為にはもう一寸「国体」に対しての研究をすべきだ。如何に「国体」を光り輝やかせるかということを研究しなければならない。

それ無しに個人個人で動いていたのでは何にもならない。この前皆さんが平民宰相、田中さん田中さんと一所県命になって、自介達の指導者総理大臣として仰いでいたのに今では金の問題でどうのこうのと騒いで結局指導者の地位を引きずり下ろした訳です。私心のある者はたとえ皆さんがよかれと思って迸んでも駄目なんです。

ですから世界に愛される日本人たるには世界の人々に無いある精神力を持たねばなりません。それが為に強力な政治、強力な精神力、物質文明から精神文明、それをやる為の精神の一つのよりどころを持たねばならない。今みてみなさい、防衛庁なんかあるけれども昔みたいなカなんてある筈が無いと思う。

それは天皇の為に、とかはっきりしたものが確立してないからです。又私は、昔のような武力、思想、経済人を利用して、軍閥を利用して金を儲けるという、そういう偽の国体主義者はすぐ何かと言うと「天皇恐れ多くも天皇陛下の為」といって悪い事をやる。私ら戦時中、東亜連盟の運動をやっていた頃にも、そういう奴に限って必ず悪いことをやった。

例えば裏へ廻って軍部を利用して、三井、三菱とか住友へ行って、脅迫して金を取って来る。上御一人の為とか何とか称して、それでいて天皇の事は何も知らないくせに・・・そういう事がいつしか外国人を始め、日本の今の若い人達にも天皇を誤って印象づけた。天皇そのもの皇室そのものの存在は、そんなものではない。

私は日本の皇室は外国の皇室とどう違うか?歴史はどうであったか?又これを巧く利用した場合にはどういう点に外国よりも極めて合理的でありうるか?又私は合理的に解釈するけれど、最も威力を発揮する政治になり国民統一も出来る可能性があるかということを、昔みたいな天降り式に考えないで、皆さんが一つ一つ批判することと、批判しながらそういう恐れあるものは無いようにするにはどうすればよいか?真摯な気持で真摯な研究をする必要があるのではないかと思う。

私は日本の皆さんが、精神的に世界人に信頼される光輝く精神人になる為には、先づ皇室のことを考えることであると思う。どうももったいないような気がしてならない。私はわが韓国民に皇室のようなものがあるとすれば、それこそ最大限に活用する。

無いから仕方がないが、アメリカなんて何も無いからせいぜい国旗を掲げて敬礼してやっとフロンテア精神、移民精神をもってとか言っている程度で、中心をしている一人がいないからピンとこない。そとでリンカーンがどうのワシントンがどうだと歴史をひもといてああのこうのと言っているだけで大したことがない。

日本の天皇は皆さん国民とは宗教的に結びつく可能性があるんですから、そういう点をよく研究して欲しい。私は日本の政治は今後そういうふうになるものと思っております。以上

甞て石原将軍の云われた事に、「国難に際しては、必ず天皇論議が盛んになる」。「日本の維新はすべて王政復古である」。と。只今綜合雑誌、月刊誌、単行本等、昭和初期の天皇機関説論議以上に賑やかである。再び石油ショックが襲い金権政治がまかり通ったらその議論は結着に向って雪崩うつだろう。

民主々義をお題目の如く唱える輩は天皇制を認める発言をすると、「あれは右翼だ」の一言で片づける 右翼とは天皇の名を大上段に自分の私利私慾を満たす輩のことであろう。今や正しい天皇即ち国体の把握こそ新日本の建設の大きな支柱とならねばならない。

外国での革命は常に王制を倒すこと皇帝をギロチンにかけることだった事実と、日本の維新が常に王制の復古にあった事実をもう一度確かめる必要がある。ということは、日本の皇室は常に権威はあっても権力を持たなかったということである。

幕府、官僚,財閥は権力を持ち、その行使者だったが、権力はどこまで太っても権威の風下でしかなかったことを歴史は如実に示している。彼等の力をもってすれば天皇家等ひとひねりで連綿は途絶えていた訳である。沈萓犬妨世錣譴襪泙任發覆もっともっと勉強しなくては宝の持ち腐れとなるだろう。

我々は犠牲なき維新を夢みて今まで努力して来た。しかし現在の日本は常識で割り切れぬ事態に追いこまれている。昭和維新は平和革命を以ってしては出来たのであろうか?.それ程日本人上下共に堕落し切ったのだろうか?不可能とすれば我々はここで決心する必要があろう。全人類の為に犠牲となることを.金権亡者の全てのみでなく労働と奉仕を忘れた一般大象の中のニセブロレタリアート共を力で葬り去る

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