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対ソ戦争指導計画大綱

対ソ戦争指導計画大綱 2016年11月26日 06:45
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「対ソ戦争指導計画大綱」の提出は、作戦課長就任一年後の昭和11年8月でしたが、この中で石原莞爾は、「第四部、総帥部の任務」で、「陸軍は航空部隊を活動して、敵国(ソ連)屈伏の根拠を確立する」と、航空機による作戦を打ち出しました。海軍においても、「アメリカに対して、いつでも開戦しうる態勢を保持する」と、「対アメリカ戦」への準備を強調しています。

なお、ソ連との戦争になり、アメリカが敵国(ソ連)に参加した場合は、陸軍は海軍と協力して短期間でフィリピン及びグアムを占領する、と提案しています。のちに真珠湾攻撃のとき、ルーズベルト及びアメリカ海軍は、「日本軍は真珠湾でなくグアムとフィリピン」に奇襲する(ルーズベルトの宣戦演説原稿)と決めていたのは、この石原莞爾の案を信じていたからでしょう。

石原莞爾は、この「対ソ戦争指導計画大綱」の中で、戦争の目的は「東亜平和確率のため、日満両国に対するソ連の武力の脅威を排除する」にありました。つまり、戦わずして最小限程度の講和条件に持ち込む狙いです。条件としてソ連に対して、ウスリー河黒竜江右岸地区、北樺太を割譲させること及び大蒙古国の建設を認めさせることにしています。万一、英、米がソ連側に立って参戦した場合は、アメリカに対しては、フィリピンの完全独立を認めさせる。イギリスに対しては香港ならびに租界を中国に返還させる。中国に対しては大蒙古国の建設を認めさせるとしています。

石原莞爾の満州国建設は、軍にかわり、満州人と日本民間人とがつくる協和会が中心となって、政治、経済、治安を協議することを決めています。石原莞爾の考えでは協和会の会長には満州人を当てていたが、昭和12年に再度、満州にきてみると、協和会は解体寸前でした。石原莞爾は協和会の組織を強めるため、甘粕、山口重次らと話した結果、本庄繁を会長にし、国務総理を兼任させる案を出したが、これは石原莞爾が植田軍司令官に、ケツをまくって満州を去る昭和13年8月のことです。

石原莞爾の、なんとしてでも、当初昭和7年の満州建国に戻したい執念が窺がえます。その間の石原莞爾の葛藤は続くのです。昭和12年1月7日の備忘長には、「対ソ謀綱を建て直す事」、12日の備膨張には、「戦績良好のもの。篠原少将、奈良、鈴木、酒井はクビ、四師団の減砲兵中佐、呼び返すこと。井本の件(注・作戦課長をしていた)、神田正種(注・戦略家の大家、陸大の教官)前田利偽、武部、官野正年、赤松少佐(注・東条の秘書官)とあり、また「種村に出すこと。阿倍を出すこと、憲兵の補充の件、金井(注・ほしい?)十一個師団の理由、井本に話した。多田参謀次長によろしく言ってくれ(注・十一個師団に増やしたわけを、井本作戦課長を通じて参謀本部の多田駿次長に申請している。早くも人事着手である)」とある。

飛行機の件では、「飛行団を4つに中隊を13にし、9つの飛行場に中隊16個隊を置く」「重爆10個中隊をチチハルに、軽爆16個中隊を牡丹江に、改編命令す」とある。戦史研究家の犬飼氏は、「これはすごい。石原さんは新しく飛行隊を作ろうとしている。満州はゼロだって。満州事変後、飛行学校、学校訓練をやった。長春の西と南に大きな飛行場を作ってハルピン偵察隊をつくったが、12年当時、石原さんは東と西に飛行団をつくろうとしていたんですね。これは東条さんがやる仕事なんですよ」と腕を組んだのです。

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