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石原莞爾平和思想研究会コミュのユダヤ人は両者に立つ

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大正14年のハルビンには、ソ連の対日赤化謀略の動きが顕著だったと言います。陸軍はその背後に、ユダヤ人が暗躍していると睨んでいました。ロシア革命は世界を牛耳っているユダヤ人が裏で糸を引き、成功させています。レーニンの後を継いだトロッキーはその最たるものでした。「資本論」の著者カール・マルクスは、本名をモルデカイといい、ユダヤ人でした。トロッキーもユダヤ人です。十月革命を行ったレーニンに裏から資金援助したのも、アメリカのユダヤ人だった。レーニンの周りには、ユダヤ系知識人やトロッキーのようなユダヤ系革命運動家が集まっていたのです。

石原莞爾は、ユダヤ人が好きでした。ユダヤ人の商売は、主に紳士服地や貴金属類でした。石原莞爾がドイツやフランス、イギリスに留学した頃、ジュネーブの国連会議のためモスクワ経由で出かけた際、ユダヤ人の思想、国際性、国家意識、商売、全世界のユダヤ組織を調査したことがありました。蒋介石の周囲どころか中枢には、ソ連人のボロージャン、ガロンのほか、ユダヤ系イギリス人、ソ連の軍事顧問、オーストラリアの軍事顧問マクドナルドなどがいることも知り尽くしていたのです。そのほか主な人物に、イギリスの軍事顧問レックス、蒋介石の南京政府顧問で国際連盟の衛生保健部長のライヒマン博士などがいるが、蒋介石の顧問の多くはユダヤ人でした。

また、国際連盟の経済部長のソルター、交通部長のハース、文化開発担当者もユダヤ人でした。国連総会で松岡洋右全権大使に噛みついたスペインのマダリガもユダヤ人です。国際連盟は、当時からユダヤ人とフリーメー○ソンで組織されたと言われていました。その根拠は、各担当部長、事務局長がユダヤ人だったことです。第一次世界大戦後、9カ国条約が締結されるが、その後、アメリカ側から和平工作ブリアン条約がつくられます。発案者はシカゴに住むユダヤ人弁護士のレービソン博士でした。これをアメリカの国際法学者ショットウェール博士が条文化しているのです。

さらにロシア革命当時まで遡ると、1916年(大正5年)2月、第1回目のチンメルワルド国際社会党会議には9カ国から党員が集まるが、ロシアのレーニン以外の56名はユダヤ人です。キンタールで行なわれた第2回大会には40名が参列したが、ロシア側からレーニンのほかノーウィエフ、トロッキー、アクセルロド、マルトフが出たが、いずれもユダヤ人です。この大会には、フランスの軍需大臣アルベール・トーマも出席しました。彼もユダヤ人で、のちに国連の労働事務局長となっています。トーマはフリーメー○ソンの組織員であるフランスのビィビィアニ首相とロシア皇帝ニコラス二世を訪問しています。

しかし、日本人にとって忘れられないユダヤの恩人もいます。日露戦争資金の外債を買い、援助したヤコブ・シッフはクーン・ロエブの銀行王だが、彼は資金作りに四苦八苦していた高橋是清との間に、当時の金で2億5千万円の資金援助を約束したのです。ヤコブには日本がロシアに勝つことで、ロシアにいる6百万人のユダヤ人を解放する願いがあったからです。ヤコブは日露戦争後のロシア革命の際には、運動費として当時の金で千二百万ドルを提供しています。ただし、日本政府に貸した2億5千万の利子は高いものでした。その高利の資金で、日本はイギリスから軍艦、鉄砲を手に入れ、またイギリスの軍事顧問と共に戦って勝ったのです。

「ユダヤ人は両者に立つ」という言葉が日本軍の間に広まるのは、満州事変以後です。国連がフリーメー○ソンとユダヤ系の人たちによって発足すると、事情は大きく変わっていきます。そのことは、石原莞爾や松井石根、それに樋口にユダヤ研究者が一番知っていて、ユダヤ人の扱い方を誤らないよう、配慮していました。特にアメリカ系ユダヤ人は、フリーメー○ソンの組織員と見られていたルーズベルト大統領へパイプが太く、上海にいるユダヤ人やフリーメー○ソン、各紙特派員を敵に回しては戦争が長引くばかりか、対アメリカ戦に発展しかねないと判断していたのです。

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