ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ホーム > コミュニティ > アート > 言葉の見る夢 worqream  > トピック一覧 > 時には昔の話を? fabula...

言葉の見る夢 worqream コミュの時には昔の話を? fabula_antiqua pasintaj^o 

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コミュ内全体

コメント(17)

 
(加藤登紀子
PC:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E7%99%BB%E7%B4%80%E5%AD%90
CP:http://bbgate.froute.jp/pc2m/?_ucb_u=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E7%99%BB%E7%B4%80%E5%AD%90) 
トピずれしておりましたら、削除いたしますのでお知らせください。

自分にベクトルを与えた記憶の中で佇んでいる言葉を置かせていただきます。
トピタイトルには合っているのではないかと思いましたので。

**☆**:**☆**

昔、一生に一度と言えるほどの深く濃ゆい恋愛をして、その恋を失いました。
失ってなお、私はその恋にしがみつき、そこに囚われ動けなくなっていました。

何のアテがあるわけでもなく、穴を埋めようというわけでもなく、
ただ日々を消化するだけのためにチャットで見ず知らずの人と会話を繰り返していました。

ある日、話をすることとなった男性に、私は自分に刻まれた恋の話をし、


   とても素敵な恋だった。
   あれ以上のモノはないだろうという確信がある。
   だから、あれは私の最後の恋だったのだ。    と、語りました。


すると、相手は私にこんな言葉をくれました。


   そうなのかもしれませんね。
   それ以上の人には出会えないのかもしれません。
   いつか貴女の人生が終わる時がやって来て、
   その時、結果的に“ああ、あれが最後の恋だった。”
   そう思うことになるのかもしれません。
   でも、今 それを最後と決める必要はないのです。
   “これから先も恋はできる。”
   今は、そう信じていていいのですよ。


親しい友人だったわけでもなく、ただひと時を一緒に過ごした人の言葉ですが、
私の時間はその言葉のおかげで立ち止まることを止めたのでした。
 
comment=11
PC:http://mixi.jp/view_bbs.pl?&page=1&id=32337391
CP:http://m.mixi.jp/view_bbs.pl?&page=3&id=32337391&readmode=start
 
 


RE:俺、家を出るよ。
 
お母さんです。いつかこの日が来ると待ってました。行ってらっしゃい。
 
(一人暮らしを決断した時、女手一つで育ててくれた母からのメール)
 

大丈夫。
 
厄年じゃなくて躍年!!
 
(嫌なことが続きヘコんでいる私に、親友からの一言)
 

今はそんな事言ってても
 
その内、イヤっていうほど一緒に居られますよ
またオマエかよ
まだオマエかよ
いつもオマエかよ
さらにオマエかよ
って
 
(忙しい彼に不満を言ったところ返って来たメール。その後、結婚。10年近く経っても大切なメール)
 

絵文字で笑顔
 
いつまでもむっつりしているといいことないよ
男前の顔が台なしだね!
 
(ケンカをして、口をきかない日が続いていた時、妻からきたメール)
 

無題
 
孫はとても可愛い
でもあなたの方がもっと可愛い
よく頑張りましたね
偉かったよ
 
(出産時に母がくれたメール)
 

秋刀魚
 
家に着く10分前にメール下さい。
秋刀魚を焼いて待っています。
 
(9月7日が結婚記念日。新婚旅行から帰ってすぐのメニューが秋刀魚の塩焼きで、以来、結婚記念日は秋刀魚に。今年の結婚記念当日、主人に出したメール)
 

Re:生きてるぜ
 
家流された。船流された。でも、生きる意欲までは流されていない!家族は、皆無事だから。
 
(震災後、やっと連絡がとれた知人からのメール)
 

e-mail of love
http://ainoarumail.jp/pc/archive/index.php
 
 
field day
comment=21
PC:http://mixi.jp/view_bbs.pl?&page=2&id=63119883
CP:http://m.mixi.jp/view_bbs.pl?&page=6&id=63119883&readmode=start
 
 
われわれは宇宙に向けてメッセージを送った。
銀河には2000億個もの星があり、いくつかの星には生命が住み、宇宙旅行の技術を持った文明も存在するだろう。

もしもそれらの文明の一つがボイジャーを発見し、レコードの内容を理解することができれば、われわれのメッセージを受け取ってくれるだろう。

われわれはいつの日にか、現在直面している課題を解消し、銀河文明の一員となることを期待する。

このレコードではわれわれの希望、われわれの決意、われわれの友好が、広大で畏怖すべき宇宙に向かって示されている。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89 CP:http://zhp.jp/528o
 
John Lennon
http://youtube.com/results?q=%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%EF%BD%A5%E3%83%AC%E3%83%8E%E3%83%B3+%E3%81%95%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AA%E3%82%89%E7%A7%81%E3%81%AE%E5%A4%A2

1985/09/20、中2でビートルズに夢中だった僕は観た。
 
【 サイダー 】
 
自販機でサイダーを買った。
私には少し甘みが強すぎるそのサイダーを選んだのは
あなたが真夏にまとめ買いしたそれを
私との会話中に今でも飲み続けているからだ。
 
シュワシュワと浮かぶ小さな泡のように
あなたとのちょっとした出来事が浮かんでは消える。
 
 
ある秋の日、
やっぱりそのサイダーを飲んでいるあなたに
ふざけて、笑って、私は言った。
 
  「あなたの夏は そのサイダーがなくなるまで終わらないのかな?(笑)」
 
するとあなたも笑って、こう答えた。
 
  「僕の夏は君と一緒に飲んだ1本のサイダーで終わったよ(笑)」
 
 
9月にやってきた遅い夏休み。
終わらない夏の日差しを浴びながら
山間の茶屋に私たちは並んで腰掛けていた。
 
私が 「飲みたいけど飲みきれない」
そう言って買った1本のサイダーを、二人分け合って飲み干した。
あの時 陽にかざしたビンのように、キラキラと眩しい思い出。
 
 
シュワシュワ・・・シュワシュワ・・・
浮かんでは消えるあなたとのたくさんの出来事
 
口に含んだサイダーは
二人の甘い記憶が溶け込んで
余計に甘く感じられていた。



**☆**:**☆**


今年の夏も終わるのだなぁ・・・と最近感じました。
「暑さ寒さも彼岸まで」なんて言いますが、
今年の夏の終わりは早く感じています。
>>[912]も昔、フルタイムで働きながら保育園へ迎えに行ったら「時刻を過ぎている」と抗議されたそうです。
まあ彼女たちも労働者ですから、わかる気もします。
ところが、その最中にさらに遅れて迎えに来た女性と、仲がよいのか笑顔を交わして素通りだったので、「あの人は何なんですか」と猛烈に反撃したそう。
抗議を甘んじても、ご自分に自信をもって生活を切り盛りされたらそれでいいと思います。

母さんは僕と姉の二人を自転車に乗せ坂を上がって保育園へ通い、後輪に足を引っかけてケガをした姉を、路上で叱ったそうです。
そのとき道を往くオバサンに非難がましい目で見られたことを今でも憶えていて、姉も叱られたことを憶えていて。
でも今では、頑張って生きてたねという笑い話です。

cosmos http://youtube.com/results?q=%E7%A7%8B%E6%A1%9C+%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%99%BE%E6%81%B5

microcosmos http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%83%A2%E3%82%B9 CP:http://zhp.jp/sT8D
 
 
私は東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市大川地区で生まれ育ちました。

小さな集落でしたが、朝学校へ行く際すれ違う人皆が「彩加ちゃん! 元気にいってらっしゃい」と声をかけてくれるような、温かい大川がとても大好きでした。

あの日、中学の卒業式が終わり家に帰ると大きな地震起き、地鳴りのような音と共に津波が一瞬にして私たち家族5人をのみ込みました。

しばらく流された後、私は運良く瓦礫(がれき)の山の上に流れ着きました。
その時、足下から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、かき分けて見てみると釘や木が刺さり足は折れ変わり果てた母の姿がありました。
右足が挟まって抜けず、瓦礫をよけようと頑張りましたが私一人にはどうにもならないほどの重さ、大きさでした。
母のことを助けたいけれど、ここに居たら私も流されて死んでしまう。
「行かないで」という母に私は
「ありがとう、大好きだよ」と伝え、近くにあった小学校へと泳いで渡り、一夜を明かしました。

そんな体験から今日で4年。

あっという間で、そしてとても長い4年間でした。
家族を思って泣いた日は数えきれないほどあったし、15歳だった私には受け入れられないような悲しみがたくさんありました。全てが、今もまだ夢の様です。

しかし私は震災後、たくさんの「諦めない、人々の姿」を見てきました。
震災で甚大な被害を受けたのにもかかわらず、東北にはたくさんの人々の笑顔があります。
「皆でがんばっぺな」と声を掛け合い復興へ向かって頑張る人たちがいます。
日本中、世界中から東北復興のために助けの手を差し伸べてくださる人たちがいます。
そんなふるさと東北の人々の姿を見ていると「私も震災に負けてないで頑張らなきゃ」という気持ちにいつもなることが出来ます。

震災で失った物はもう戻ってくることはありません。
被災した方々の心から震災の悲しみが消えることも無いと思います。
しかしながらこれから得ていく物は自分の行動や気持ち次第でいくらにでも増やしていける物だと私は思います。
前向きに頑張って生きていくことこそが、亡くなった家族への恩返しだと思い、震災で失った物と同じくらいの物を私の人生を通して得ていけるように、しっかり前を向いて生きていきたいと思います。

最後に、東日本大震災に伴い被災地にたくさんの支援をしてくださった皆様、本当にどうもありがとうございました。
また、お亡くなりになったたくさんの方々にご冥福をお祈りし追悼の言葉とさせていただきます。

↑ http://www.asahi.com/articles/ASH3B6J5XH3BULBJ010.html http://sp.mainichi.jp/select/news/20150312k0000m040034000c.html
 
ペン
__TOMATO__

トマトって知らなかったけ
ど案外高いんだね。下野之
國では若殿氣分で漫然と過
していた日々を想うと青臭
いトマトが今では心に滲み
て懐かしい。

遠回りするか息せず駆けて
通るかしていたよ。機嫌が
悪い時「アソコ通るのボク
厭だよ」と毒を吐いた。翌
年畑が大胆に移動していた。

みんな御免ね。村の人たち、
いつも我儘な鬼子のように
振る舞っていたボクだった
けど來るの待っていてくれ
て有難う。ボクが帰る時に
遠いバス停まで見送ってく
れた同世代の子供たち、遥
々銀座線に乗ってやって來
たボクの云うことに終始従
ってくれて有難う。

今はこうして心底泣いて詫
びてるよ。ネクタイが真中
心に位置しているか氣にな
ってふり返らなかったけど
みんな御免ね。君らが朝か
ら晩までダンベダンベと云
っていたのって氣障りだっ
たけどすっかり大人になっ
てもう大丈夫になりました。

  **
  「ある夏の日」
茹だるような暑さだった。
額や背中から体をつたう汗は、先にがぶ飲みした
蛇口の水を思い起こさせた。

夏休みの美術部は、一枚の良作を仕上げる為に
週に2度朝からお昼頃まで活動した。
本当は、仲良し四人組で放課後に遊べればと思った地味な部だったのだけど、高校二年になって赴任してきた先生の影響で、真面目に描かなければいけなくなった。
初めて彫刻デッサンをした時、先生は誉めちぎった。
それから、あれもこれも描いてほしがるのに描くものを見ては、初めて描いたとは思えないと項垂れる。
今思えばこれは、何かの作戦だったのかもしれない。
そうなると、初心者でも必死に形にしようと、対象物の質感や量や重さを目で捕らえ、移し描くのに無言のまま三時間は容易かった。
女性の像なら尚の事、その姿や瞳に人生や愛や思いも募らせると、必死になった。時間を忘れる時だった。

そうしてお腹が空いてきて集中力も切れた頃、美術室を出て一人での帰り道、茹だるような暑さに堪らず、学校の坂を吹き出す汗をそのままに急いで降りて、交差点過ぎのスーパーで涼んだ。
田舎の女子高生必須携帯のカラータオル(ブルー、ピンク、イエロー他)で汗をふき(笑)、溜まる熱をハタハタと逃がしてった。
そして涼みついでに、スーパーで売ってる一個70円くらいのソーダアイスを買おうと手にしたら、その氷霧も出る冷たさに一瞬で口の中がソーダ味を呼び、シャリシャリと音まで聞こえて来て頬が緩んだ。

そう喜んで買ったはいいものの、外に出れば瞬時にソーダジュースになる暑さで心配になる。すぐに座ってゆっくり食べれる場所をと見回すけれど、陽に焼けて暑そうな建物ばかりだった。
ここでは駄目だと、いつもは通らないスーパーの駐車場の端の階段を降りて辺りを見回すと、道路向こうに木陰が見えた。
そこは少し窪んだバス停所みたいな場所で、誰が持ってきたのかわからない椅子らしきものも見え、もうそこがこのアイスを持つ私の天竺にしか見えなかった。

近くまで走り、息を整えながら改めて間近で見ると、椅子は思った以上に汚くて腐りかかり、後ろの木の落ち葉や雨水も手伝って土に帰ろうとしていた。
誰ももう座っていないのが一目瞭然だった。
天竺が一気に現実に返って、私はこの椅子の持ち主を少なからず頭で思った。

明かに手作りだ。
この椅子は誰かのもので、ここに来ることが習慣になってたんだろう..。たとえば、すぐそこの角の病院に通うお婆さんとか。それで、バスや迎えの車なんかを待つのにお爺さんが作ってくれたんだ。きっと。

そう誰かへの思いやりの椅子なんだと、自分の妄想を勝手に確信して、取り残されたその椅子に座る事は悪いことじゃないと思った。今は使われなくなったのを思うと、少し寂しくなるから。

女子高生必須携帯アイテムはここでも活用され、椅子を親の敵かのようにゴシゴシ拭いて、タオルを真っ黒にしながら座る場所を確保した。タオルは洗えば良い。

そうして満足気に向き直ると、2m程離れたそこに杖をついたお爺さんが立ってこちらを見ていた。私は気付かずにいたので、お爺さんと突然ふっと目が合って驚いた。
でもすぐに、横の角を曲がって来られたのかなと、瞬間移動手段の謎を解いた。

こんにちはと気恥ずかしく挨拶すると、にこっとしてヨタヨタとこちらに杖をついて来て「私も座っていいかね?」とお爺さんは私に話しかけてきた。

こんな椅子に座る人が私以外にもいるのかぁと一瞬思いつつ、どうぞと言う前に、お爺さんの分もゴシゴシ兄と弟の敵ぐらいに拭いて席を譲った。
お爺さんはありがとうと言いながら杖を置いて座り、二人して同じ方向を眺め同じ景色を見た。お爺さんからはほのかに薬のような匂いがした。

私は遠慮がちに袋からパリッと開けだし、口に含めばすぐ崩れるほど柔らかくなったアイスを急いで口に頬張った。 
お爺さんは「暑いね」とか「美味しいかい?」など聞いてくるので、(え?お爺さんも食べたいのかな?)と思いつつ他愛ない会話をしてた。
私達の歳の差の感じる話し方になにか時代の流れを感じ、お互いの時の長さは違えど何十年と生きた中で今ここで偶然私と一時話をしている事に、不思議と喜びが込み上げた。

食べ終わったのにそこから動けずにいたのは、その喜びもあったし、お爺さんが優しい笑顔でこちらを覗いて話すし、何か私が孫のようだとも思ったから。私も笑って話してた。
でも、どうやってその話になったのかは思い出せない。

そのお爺さんは、自分の大事な話をその当時は結構奔放な高校生の私に話してくれた。
ゆっくり、懐かしむように。杖を前に置き、少し体の支えにして。
お爺さんは若い頃に、戦争に召集された。
それまでお爺さんには想い人がいたけれど、戦争に行く事になり諦めようとしたのだと言う。
だが、彼女は結婚を了承してくれた。
それだけで嬉しかった。一時でも夫婦になれた。
そしてお爺さんは彼女に「私が死んだら、どうか私の事は忘れて他の人と結婚してください」と伝え、死を覚悟して戦争に向かっていった。
それから時が経ちお爺さんは戦争の渦に耐え、なんとか生きて帰ってこれた。
やっとの思いで帰ったお爺さんに、戦争は終わっても酷い仕打ちを与えた。それまでの心の支えを失った。
帰った時には、彼女の姿はなかった。
お爺さんを待ちながら、彼女は瓦礫の下敷きになって亡くなっていた。
そして、不幸にもお爺さんは亡くなったと誤報を彼女は知らされていたのだと近所の人から知らされた。
それでも、彼女は待っていた。
お爺さんは申し訳なさでいっぱいだったと言った。

私が死ぬはずだったのにとも言った..
お爺さんはそれから誰とも結婚出来なかった。
今もそれからも、彼女に会うために生きてる。
この世の土産話を持って、彼女にお礼をしなきゃいけないって。


私は静かに話を聞いて
その時のお爺さんを思い、これまでのお爺さんを思うと、涙はぼたぼた落ちてった。
お爺さんは私に謝るけれど、大丈夫だよと言うのがやっとだった。

誰かは、お爺さんはずっと幸せな思い出と悲しい思い出にとらわれて、不幸だと言うかもしれない。それでも、真っ直ぐ人を思う心は、私はとても愛しいと思った。

気が済むまで泣くと
ぐずぐずの顔を拭い、落ち着きを取り戻した頃、
お爺さんはそれから私に手紙を書いていいかな?と驚きの提案をしてきた。私はもちろん!と快諾して、住所をメモしてお爺さんに渡した。
お爺さんが彼女にする土産話の1つになれればいいなと思って。

それから、もう戻らないととお爺さんが言うので、足が悪いうえ坂道になるので送ると申し出た。お爺さんの大丈夫と言う言葉を右から左に受け流して、杖をつくお爺さんの横に並んだ。
戻る先は近くの病院だと思ったけれど、それは違った..。
その少し奥に隠れるようにある○○所という施設だった..。

看板は見たことあったけれど、施設自体は初めてみた。
昔からあったのであろう古さがそこかしこにあり、平屋建てに同じ幅で窓がいくつも設置されているので、その幅でその数の部屋があるのだとわかる。
しかし、何かそこの施設は周囲に馴染まず、古いという理由だけではなく、この建物だけ違和感を放ち、何かに取り残されたかのような雰囲気が漂っていた。


扉を開けると、すぐその表よりも中の異様さに気付いた。
ゾッとした。
暗すぎる...。節電かともおもったけれど、まだ陽は照るのに、窓もあるのに施設全体が陰鬱としている。
それに、なにより静かすぎたのだ。部屋は数多くあるのに、何も音がしない。生活の音というのが、全く無い..。空気が重く苦しい
私は..暗い死の淵にいるような恐怖を感じてしまった。
 
誰の姿も見受けられず、ドアの側には名前を記したプレートがあると言うのに、生きた人間を悲しいくらい感じられなかった。
そうして、一瞬でそこの異様さに捕らわれていると、中から施設の人らしき60代くらいの女性が出てきた。
出てきたと思ったら開口一番にお爺さんを叱責しだした...。
お爺さんに心配の声も何もなく、ただずっとなじり倒していた。
異様さに加え、このおばさんが強烈な打撃を私に打ったせいか何を言ってるのか、言葉を理解できなかった。
お爺さんは慣れてるのか、ありがとう、あなたは早く帰りなさいと横で一言言うと、無言で玄関を上がり真っ直ぐ歩いていった。
そうしたら、今度はこのおばさんは私に何か言ってる。
頭がクラクラした。
このおばさんはしきりに私に何か言ってくるけど、言葉が全く頭に入らず理解できなかった。
そしてとても嫌な臭いがした。薬でも病院のような臭いでもない、とても嗅いだことの無いような嫌な臭いだった。クラクラする上に酷い臭いで朦朧としていると、なぜかこの臭いはこのおばさんが放っているのだと思った。強い臭気はおばさんから放たれている...。

そう思うなかで、なぜお爺さんはこんなとこにいるんだと凄く悲しい気持ちになった。
何か少しでも安らげる物はないかと朦朧とする中施設を見回すと、左手少し奥から光が刺してた。異様さばかり目に行って見落としたいた。
その奥に中庭らしきものが見える。
「中庭だ!」と心の中で歓喜にも似た声をだした。少し安堵したにも関わらず、よく見ると草が腰辺りまで生えていた。

恨めしく思った。
お爺さんは私と座った枯れた椅子にも平気で座れるのに!
そこの草を刈ってどんな椅子でもいいから置いてあげれば、お爺さんは悦んで座る。そしていつでも彼女を思い出せるのに!
そう思っていると暗闇に半端同化するおばさんと目が合った。
そうなると悪寒しかなかった。言ってやれなかった。
もう嫌だった。ここに居たくなかった。失礼しますとだけ言って走って逃げた。



それから数日して、お爺さんからとても丁寧で達筆な手紙が届いた。
手紙は、拝啓から始まり季節のうつろいの話など様々で、その内容はあの時話したお爺さんのままでとてもほっとしたのを覚えている。
それから、お爺さんの手紙は3ヶ月に一度くらい届いた。
年賀状も、いつもの筆文字で明けましておめでとうと届いた。
私も毎回返事を書いた。
書いたけれど、一度もお爺さんは私の手紙の中での問いや、なげかけの言葉に返事をすることはなかった..。
いつも、お爺さんの手紙は一方通行だった。

それでも、近況や話を聞けて嬉しかった。だけど、応えられない事がとても悲しかった。
私は、初めから薄々危ぶんでいたけれど、やっぱりそうか..という思いだった。
お爺さんはきっと私の手紙を読んでいない。
ましてや、お爺さんの手に渡っていないのだと思った..。

それでも3ヶ月に一度届く手紙は、私をとても安心させた。




そして、2年目のある月....





綺麗な筆文字の手紙は届かなくなった....。




お爺さんが書けなくなったのか..書きたくなくなったのか..



もしくは、





お爺さんのずっと願っていた願いが叶ったのか..。



わからなかった。
確かめる術は、施設を訪問すればいいのだけど、あの施設にもう一度足を踏み入れる勇気がどうしても出なかった..。

臆病者の私は、後者を願った。
もう手紙も届かない話も聞けないけれど、あの施設に居てはほしくないし、何より、彼女に会えたのだと、
桃の花にふりかかる雨が好きだと言ったお爺さんと、きっと花の似合う彼女が
淡紅色の花を満身につけて立つ桃木の前で、幾年月が過ぎてやっと出会えたのだと
冷たい川の底から、彼女の生きる地表に這い上がれたのだと思った。


そう、思ったら泣きだした。


私のまた勝手な妄想かもしれないけれど、もう一通も届かなくなった手紙は、確信に近く私にそう思わせてくれた。










もう、何年も前の話だけれど
お爺さんを思い出しては唱える



いつの日か  雨上がる












手紙をありがとうお爺さん。


     あの夏の日に感謝しています。     
            





    ある夏の日、でした。 おわり。

ログインすると、残り3件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

言葉の見る夢 worqream  更新情報

言葉の見る夢 worqream のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング

mixiチケット決済