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哲学厨コミュのセーレン・キルケゴール著『死にいたる病』を読む

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今こそ読まれるべきです。いったい何が書かれているのか。何がそこから受け取れるのか。

自由にコメントし合いましょう。

コメント(14)

読み始めて最初に飛び込んでくるのはキルケゴールが人間というものをあくまでも〈精神〉の面から見ようとしているということですね。
この〈精神〉という概念がまた考え物ですね。
果たして身体と対立して、心すべてを表した概念なのか。
それとも、心を多層構造のように考えて、あるレベルのものを〈精神〉と呼んでいるのか。
キルケゴールの言う〈精神〉とは、たとえばヘーゲルの言う〈精神〉に似ているのか。
さらに〈自己〉とは何かという問題をキルケゴールは取り上げるが、その答え方が極めて特異なものだ。
それはヘーゲルの影響なのか。
ヘーゲル批判の書じゃなかったっけ。
>>[3]

批判できるほどヘーゲルを読み込んでいるということは、前時代の巨星ヘーゲルから受け継いだもの、無意識に影響されたものも大きかったのではないでしょうか。
質的弁証法とか具体的思考とか対立概念つくっていることをそう捉えるのであればそうかもしれませんが、私としては(ハイデガーの意見も含みますが)キェルケゴールはヘーゲル弁証法を否定することで実存的思考を描いた人ですね。そういう読み方出ないと、読めないとすら思っています。
>>[5]

もちろんそういう面は確かにあります。
しかし、カール・マルクスもまたヘーゲルを批判することで自分の思想を築きながら、ヘーゲルから最もよく学んでいると思います。
『死にいたる病―――教化と目覚めのためのキリスト教的心理学的な論述』

扉には次の詩が引用されている。
「主よ、何の役にも立たないような物事についてはわが眼を霞ませ、あなたのすべての真理に対しては透明な冴えた眼をどうぞお与え下さい!」

序文より
「キリスト教の立場からすれば、あらゆることは教化に役立たねばならない。最終的に教化的でないような学問のあり方は、それをもって非キリスト教的だと言える。」

最後の言葉は、哲学は決して教化的であってはならないとしたヘーゲルに痛烈なパンチを与えたものだという。
序文より

「あらゆるキリスト教的な認識は、その形式がどんなに厳密でも、気づかわれたものでなければならない。
この気づかいこそが教化的である。
気づかいとは人生に対するものであり、また人格の生きた現実性に対するものだ。キリスト教の用語で言うなら、厳粛さがそこにあるということだ。」
序文より

「救いとは死ぬことであり、死んだ者として生きることである。」

現在の自分を死ぬこと。死んで生きること。
ヘーゲルへのリスペクト(尊敬)度合いは、その気持ち部分を数値にすると、キェルケゴールの場合は0%、マルクスの場合は75%くらいだと思います。

ヘーゲルを想定して断片的にそれを拾い上げて度々批判している時点で、縁があるというか、関係が強い…と言えばキェルケゴールの思いはかなり強いとは思いますけどね。

私のキェルケゴール観でした。
>>[10]、どうもありがとうございます。


>ヘーゲルを想定して断片的にそれを拾い上げて度々批判している時点で、縁があるというか、関係が強い…と言えばキェルケゴールの思いはかなり強いとは思いますけどね。


ヘーゲルが直前の時代を支配し、ヘーゲルを壊すことがキルケゴールにとって自分を彫り出すことでもあったのだろうと思います。そうした仮想的ライバルがいてこそ、人はより厳しく自分を構築してゆくことができる。自分になることができる。
キルケゴールは自分になった。
キェルケゴールが哲学者になっていなかったかもしれないけれど、ヘーゲルがいなくても、キェルケゴールは十分キェルケゴールそのものだったと私は思いますけどね。
>全力を挙げて、自分の力で、ただ自分だけの力で、絶望を排除しようとするなら、そういう時、彼は依然として絶望のうちにとどまるばかりで、自分では全力をふるっているつもりでも、もがけばもがくほど、ますます深い絶望の泥沼に沈み込むばかりである。
絶望によるアンバランスは単純なアンバランスではなしに、このアンバランスに関係しながら、神により定立された関係自体のアンバランスでもあり、したがって自己の内部のアンバランスは常に自己を定立した神に対する関係に無限に反響することになる。


キェルケゴールは自己の深い所で真剣に神と向き合っていたこと、あるいは向き合おうとしていたことが伺われますね。
鯨キェルケゴールの〖死に至る病〗はヘーゲル批判の書ですね。
形式的な哲学書そのものを批判しています。
「実存哲学の元祖」みたいに扱われていましたね。
とにかく「イエスキリストを信じなさい」という主張だったような気がしますね。鯨魚

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