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オモロイ坊主を囲む会福島支部コミュの『北朝鮮托鉢行』(24)

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第三章 『北朝鮮 やじ馬見聞記』(その十ニ)

北朝鮮の食事情

 板門店へ行った日や、九月山へ行く日など平壌市内を出て遠出する日を除いては、今日は宮廷料理店へとか、今日は朝鮮名物の冷麺店へとか、平壌市内にある通訳に言わせると『この国で一番美味しい有名店』とかで馬鹿でかい、いかにももったいぶった高級料理店らしきところで昼食とり、平壌滞在中に宿泊先の羊角島国際ホテルで昼食を取る事は一度も無かった。
そのくせ昼食の後に、その足で続いてその日の予定の観光コースに行く事は無く、必ずホテルへ戻り2時間ほど休憩してから、午後の予定コースに出かけるのだ。

 当初は何でこんな無駄な事をするのかと疑問に思っていたが、どうやら半日に一回は何処かへ報告を入れる規定になっているらしく、電話などの通信事情が悪く(街角で時々電話ボックスらしきものは見たが、実際に人が使っているのを見たことは無かった)どうやらホテルへ戻らないと報告が入れられないらしく、そのために食後の休憩と称してホテルへ戻るようだった。        

 実を言うと私は北朝鮮へ行くと決まった日から “きっと韓国と同じように焼肉料理が、それもあの韓国へ行った時に韓国の仏教徒がご馳走して下さった、ハサミで切って食べる骨付きカルビが食べられるぞ”と比丘として恥じるべき不届きな期待をし、今日こそは・今日こそは、と通訳が『今日は焼肉店へ行きましょう』と言ってくれるのを待ち構えているのに、一向に言ってくれないばかりか『お坊さんは、世界の料理の中で最高の料理だと言われている、北京ダックは食べられた事はありますか?今この国で一番人気のあるのはそのアヒルの肉です』とか『我が国の人たちは、なにかおめでたい事を祝う日や、職場のグループや家族・親族が集まって何かのパーティを開く時には、好んでアヒルの肉料理を食べています。我が国の人たちはそれほどアヒルの肉料理が好きなのです』と、何か食事の話題が出るたびに言うで『アヒル・アヒルと言うので、コリャ駄目だ!この調子だと焼肉はなしでその代わり北京ダックでも食いに連れていくのだろう』と、スッカリ骨付きカルビを諦めていたら、その日の朝に『本来なら旅の最期の夜に“お別れパーティ”として焼肉店へ行く予定でしたが、お坊さんは夜の食事を食べられないので、今日の昼食は焼肉店へ行く事にしました』と言ったので『オオー!今日はやっと待望の焼肉が食えるらしいぞ』とは顔には出さず『ソーオ、私は与えられたものなら何でも好き嫌い言わないで有り難く頂きますヨ』と聞き流しながら胸の中では『ワー・ヤッタ』と叫び早く昼食の時間にならないかと、午前の見学コースの「あれはサッカー競技場で〇万人収容できます」「こちらは卓球競技場で×万人収容できます」「こちらはetc・あちらはetc・etc」と馬鹿でっかい運動競技場の集まっている一角の説明を、自慢そうにする通訳の説明もろくに聞かず、昼食の時間が来るのをひたすら待ち望んだのだった。

 そして10時半『お坊さんは午前中に食事を取らなければならないので、そろそろ焼肉店へ行きましょう』『通常は12時にならないと店は開かないのですが、今日は特別11時に開けて貰える様に電話しておきました』と車で我々をその待望の焼肉店へ案内してくれたのだ。
 
 焼肉店の前の駐車場へ車を止め我々が降りていくと、例によってチョゴリを着た綺麗な姉ちゃんが車まで迎えに来てくれ、我々を2階の中ほどのテーブルへ案内し座るようにと勧めてくれた。

 店の中へ入った途端に、あの焼肉独特の匂いが何処からとも無くプーンと鼻に入り、私のお腹は賎しくも急に空腹を訴えだした。
 
 勧められるままに座った4人用のテーブルの真ん中には、日本の焼肉店でよくお目にかかる、焼肉の網を載せたガス式のコンロがテーブルにはめこんであり『このテーブルは日本製です』と通訳が言うので『都市ガスがあるのですか?』と聞くと『プロパンガスです』と答えた。

 席についてしばらく待っていると、先ほど案内してくれた姉ちゃんが『お飲み物は』と聞くので私は『冷たいお茶』を頼んだが、未だ昼間前と言うのに、通訳と運転手の3人は 酒(朝鮮焼酎)を注文し久保田にも勧めたが、久保田はさすが気が引けるのか『昼間から酒は』と辞退したが『じゃービールでも』と通訳に押し付けられ『それじゃー小瓶を』とビールを注文していた。

 そして、お姉ちゃんがまず飲み物と、小皿に盛ったキムチを何種類か運んできてテーブルに置き、テーブルの真ん中の網を外し、テーブルの横につけてあるガスコックをひねりマッチで火をつけた。

 『いよいよ待望の焼肉の出番だ』と、思わず生唾を飲み込み待っている私の前に並べられた肉を盛った皿の上を見ると、何時も日本で見慣れた肉と違うのだ、そんな私の訝しげ目つきに気がついたのか、隣に座っている通訳が『これが我が国の人たちが一番好んで食べているアヒルの焼肉です。今日はお坊さん達が来られると言うので、特別上等のアヒルを料理したそうです』と網の上に肉を乗せ『アッもうこれは焼けていますから食べてください』と私の取り皿に肉を乗せ『このタレを付けて食べてください』と手を取らんばかりに勧めるので口へ運んで見ると、タレの味は日本の韓国焼肉店で食べるのと大した違いはないし、肝心の肉もチョットアッサリはしているが歯ごたえもマーマーで、私のような年寄りで歯の悪いものには丁度良かった。

 『今日はお坊さんのために、店は特別食べ放題のサービスだそうなので、遠慮なしにドンドン食べてください』と次から次へと肉を盛った皿が運ばれてきて、私に食べるようにと進めてくれるのだが、最初のうちは日本の焼肉よりアッサリしていて、それなりに美味しかったのだが段々アヒル独特の臭みが気になりだし『有難うもうお腹一杯です』と箸を置くと『お口に合いませんか?』と心外な顔で聞くので『チョット私の口には』と言いにくいので『いや美味しかったです有難う』と答え店を後にしたのだ。
 
 正直言って不味くは無かったが『牛肉の焼肉と比べたらどうだった』と聞かれたら私は即座に『それや牛だ』と答えるだろう。
 
 長年、伝統的にと言っても良いほど、牛の肉に慣れ親しんで来た朝鮮の人々も、私と同じことを問われれば、キット『それや牛だよ』と答えられると私は思う。この通訳も同じだと思う。
 
 だのに通訳は何故私に『アヒルの肉は世界中の家畜の中で一番美味しい。我々、朝鮮人は4〜5年前から好んでアヒルの肉を食べるようになった。今やこの国ではアヒルの肉は最高のご馳走だ。国も国民の健康増進のためアヒル肉の普及に力を入れています。』というような事を我々にヒツコイほど言うのだろう。
 
 そう言えば、板門店への行きかえりの道中でも、九月山への行き帰りの道中でも、香山ホテルへ行く道中でも、田畑で働いているガリガリに痩せた牛は一・二度見かけたが、食用に飼われている牛は全く見かけなかった。その代わりに何処の田畑や野原でも、アヒルが放し飼い状態で飼育されている姿は嫌と言うほど目に付いた。
 
 考えてみると、幾年か前にこの国は大干ばつと相次ぐ大きな水害に見舞われ、田の畦道に生えている草はもとより、樹木の若芽や地中の根さえ食し命を繋いだと聞く。

 キットその時に農耕に使う牛さえも食べつくされ、牛は食べられるようになるまで育てるのに少なくとも5〜6年は必要で、育てるのに長い年月と手間がかかる上に、大量の餌を必要とする牛より、生後半年もすれば充分食べられる大きさに育つ上に、大した餌や育てるのに手間も掛からない、アヒルの飼育が政府から奨励される一方で、政府による『アヒル料理は世界で一番美味しい高級料理』と洗脳され続けているのでは?戦前の日本国民のように『勝つまでは欲しがりません』と同じように教育されているのではと私は思い、何故か恐ろしさを感じると同時に、この国の人たちに哀れみを感じるのを押さえ切れなく、一日も早くこの国の人たちが、飢えから逃れら心の自由を取り戻される日の近いことを祈らずにはいられなかった。

 この焼肉店へ行ったお陰で、『今日は宮廷料理だ』『今日は朝鮮名物の冷麺だ』と『この店は平壌一番美味しく人気のある店だ』と高級店へばかりに連れて行かれ、我々にはなかなか見えてこなかった、北朝鮮の食事情を垣間見たよな気がし、毎日、我々に提供している食事は国の実態を見せたくないのと、高い観光料金を取っている手前から、外国からの観光客のために特別に用意された食事なのだろう、と言うことがなんとなく判った。

 そんな我々にも牛肉の代わりに、アヒルの焼肉を食べさすくらいだから、きっと一般の人々はアヒル肉も滅多に口に出来ない、我々が伝え聞いている以上に厳しい食糧事情なのではと察しられた。
(でも何処の高級店といわれている店へ行っても、必ずどう見ても我々のような外人観光客ではない、日本人と同じような高級な背広に身を包んだ朝鮮人の紳士が、5〜6人でテーブルを囲み我々と同じ料理を食べ、昼間だと言うのにアルコールを飲んで大声で談笑されているのに、どこの高級料理店でも2〜3組出くわしたが、一体あの人たちはこの国の何者なのだろう、この国のどんな地位・立場の人間なのだろうか?と、この国の仕組みがますます分からなくなったのも事実だ。)

『飢えは最大の病であり、形成された存在(=わが身、肉体) は苦しみである。
 このことわりをあるがままに知ったならば、
 安らぎ(ニルヴァーナ)に専念するものとなるであろう』            ウダーナヴァルガ 第二十四章 7

『世の中は泡沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと 見よ。
            世の中をこのように観ずる人は、死 王もかれを見ることが無い。
 身体は泡沫のごとしと見よ。身体はかげろうのごとしと見  よ。
             身体をこのように観ずる人は、死 王もかれを見ることがない』
     ウダーナヴァルガ 第二十七章 15・16

『怨みをいだいている人々のあいだにあって怨むこと無く、わ れは大いに楽しく生きよう。
 怨みをもっている人々のあいだにあって怨むこと無く、わ れは暮していこう。
 悩める人々のあいだにあって、悩み無く、大いに楽しく生きよう。
                   悩める人々のあいだにあって、悩み無く暮そう。
 
貪っている人々のあいだにあって、患い無く、大いに楽しく 生きていこう。
             貪っている人々のあいだにあっ て、貪らないで生きていこう。
 
 愛欲にひとしい火は存在しない。ばくちに負けたとしても、
 憎悪にひとしい不運は存在しない。このかりそめの身にひとしい苦しみは存在しない。
 
 健康は最高の利得であり、満足は最上の宝であり、信頼は最高の知己であり、
 安らぎ(ニルヴァーナ)最上の楽しみである。

 愚者とともに歩む人は、長い道のりわたって憂いがある。
愚者と共に住むのは、つねにつらいことである。・・・仇敵 と共にすむように。
 
 心ある人と共にすむのは楽しい。・・・親族に出会うよう に。
 
 よく気をつけていて、明らかな知慧あり、学ぶところ多く、忍耐つよく、戒をまもる、
 そのような立派な聖者・善き人・英知ある人に親しめよ。
・・・・月がもろもろの星の進む道にしたがうように。』
ダンマパダ 第十六章 197・198・199・202・204・207・208

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