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千載和歌集コミュの俊成の歌  その34  いたづらに古りぬる身

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俊成の歌  その34  いたづらに古りぬる身


すみよしの社の歌合とて人人よみ侍りけるに、述懐の歌とてよみ侍りける

   いたづらに古りぬる身をも住吉の
     松はさりともあはれ知るらん  (神祇 1263 皇太后宮大夫俊成)

「むだに年とっている我が身をも住吉の松(住吉明神)はいくら何でもあわれんでくれるであろう」(久保田淳、イベリコ)

 この歌の面白さは伝統的には松が古りぬるものであるのに、俊成は自分の身を古りぬるとして詠んでいることである。この歌の発想は古今和歌集の次の歌に基づくのではないか。

   住吉の岸の姫松人ならば
     いく世か経しと問はましものを  (雑歌上906 読人不知)

「この住吉の海岸に生えている姫松が、もし話のできる人であるならば、今までに何代たったのか尋ねてみようものを(人でないので尋ねることもできない)」(久曾神昇)

 この住吉の松は古木で、能「高砂」にも「岸の姫松幾世へぬらん」と言われるほどのものである。俊成は「幾世か経し」を「いたづらに古りぬる」と置き換え、そして姫松ではなく、我が身そのものをふりぬるとし、その設定で歌を詠んだのだろう。最後は古今和歌集の歌の「問はましものを」を自分の歌では「あはれ知るらん」とした。前者は松故に尋ねることができないのだが、俊成の歌では住吉の姫松故に俊成の哀れを知るという対極関係にあるようになっているのである。

 また俊成の歌は古今和歌集の小野小町の次の歌も意識したのだろう。
 
   花の色はうつりにけりないたづらに
     我が身世にふるながめせしまに  (小野小町)

 いたづらに我が身世にふる間に花の色はうつりにけりなのだが、住吉の松は常盤の緑を持つものであるから、このふりゆく身を松は理解できないのではないかという疑問も片一方にはあるようにも思える。

このように俊成の歌は非常に巧緻なものになっていると言えるのではないか。

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