ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

感動したい・感動させたいコミュの感動した話

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント(50)

10の続き

以上、ここまで私の半生を綴ったものです。そして現在、今日はこどもの初めての誕生日だ。

昨日は母の命日でお墓参りに行ってきた。「元気に育ってます。明日で一才です」と報告してきた。
お墓を地元ではなく、こっちに建てた事と父と別々にしたことで親族は怒ってしまった。

唯一、母の妹だけが来てくれた。

母が危篤状態の時、私は陣痛に耐えていた。

私は母の墓の前で、死にたい死にたいばかりいって母を困らせたからとうとう母の死に目に会えなかったんだよねとつぶやくと
「お母さんは亡くなる前に、こんな事を言っていたよ
『凄いんだよ、あの子は一番なんだよ。嬉しかったなぁ〜』って。

何があろうと、子供は親にとって一番大切なんだろうね」そう母の妹は教えてくれた。

私はその一番て意味じゃないとすぐに分かった。だけど母がこの世で一番好きだから生きているうちに喜んでくれる事が出来て良かった。そう思った。

死ななくて良かった。私の母を知らない子供に私の母がどれだけ素晴らしい人だったか話しながら生きていけるから。

明日は誕生日。まだ何も欲しがらない子供に、沢山の愛情を与えます。ありがとう。
イギリスのある伝説です。

王の命と引き換えに、 醜くて性悪な女性と結婚した甥ガヴェインが、 覚悟を決めてその女性にキスをすると、 彼女はたちまち美しい女性に変身した。

驚くガヴェインに彼女は次のような選択をせまった。

「あなたのキスで、呪いの半分がとけました。 しかし、私は1日の半分だけしか美しくいられません。 あなたは昼の間だけ美しい方がいいのか、 夜の間だけ美しい方がいいのか選ぶことができます。

もし私が昼だけ美しくいられれば、『あなたの妻は美しい』と周りから賞賛されますが、 夜2人の時は醜くて意地悪な私があなたに辛くあたるでしょう。

昼だけ醜ければ、周囲の人から 『醜い妻をめとった』と噂され、あなたは外で辛い思いをするかもしれません。

でも、2人の時には美しい私があなたに献身的につくすでしょう。さぁ、あなたはどちらの方が耐えられますか」
と。

辛い選択をせまられたガヴェインは苦しんだ末に結論をだしました。


「もしあなたが夜の間だけ醜ければ私との冷ややかな夫婦生活に、あなた自身も辛い思いをするでしょう。

逆に昼間の間だけ醜くても、周囲の人に悪く言われて、あなたが苦しむことになります。

だから私が選ぶのでなく、あなたにとってどちらが耐えられるか、あなたが選んでください」

その言葉を聞いた瞬間、妻の呪いはとけ、一日中美しいままの姿でいられるようになりました。

あなただったら、どう答えますか?

ガヴェインのように相手の気持ちを考え、
「どちらを選んでも相手が苦しむなら、僕は選ばない」
と答えますか?

それとも、夜だけ美しいければいいと思いましたか?

女性から
「昼と夜、どちらが美しい方がいいか」
と選択をせまられ、

「夜」もしくは「昼」と選択したら、それは「醜い妻には価値がない」と言っているのと同じことであると心理学者 樺旦純氏は語っています。

とはいうものの、
「夜だけ美しいければ・・」
なんて思う男性、結構いそうですよね。

ガヴェインのように答える人は少数でしょうね…

実は恥ずかしながら私も自分にとってどっちがいいか
昼がいいか、夜がいいか…
考えてしまいました。

自分のことしか考えない人間なんだということを鏡にうつしだされたようでした。

相手の身になって考えなくてはいけないのですね
「お金より大切なもの」

私が小学生の頃、学校に住み着いていたある子猫がいました。
保健室の先生がゆうには「この猫は心臓が悪いから長生きしないだろう」とのことだったが、「私だったらきっと大事にして長生きさせてみせる!」と言って、家に連れて帰りました。

しかし、私の家は裕福といえる家庭ではなかったので、両親から大反対。
私は泣きながら「迷惑かけないから!私のごはんを少しあげるから」と強引に頑張りなんとか飼えることになりました。

しかし、数日後、先生の言ったとおり、猫が病気になってしまいました。

動物病院に連れて行きたかったのですが、両親に言えば怒られると思った私は、こっそりとある動物病院に電話をしてみました。

すると、「今すぐその猫を連れてきなさい。お金は後でいいから」と言われ、すぐに猫を連れて行きました。

とても親切な先生で、三日間丁寧に往診をしてもらった結果、すっかり猫は元気になりました。

「お金は本当に後でいいの?」
と聞くと「来年、お年玉が入ったら少しでも払ってくれたらいいよ」と、言ったので、翌年、私はお年玉の全額を病院に持っていきました。

すると、先生はそのお金をもらった後、そのお金を封筒にいれ、「お年玉」と言って、わたしに渡してきました。

私が受け取るのを拒むと先生はこう言いました。

「前の君みたいに困っている人がいるときにこのお金を使いなさい。私はお金よりも大切なものを君からもらったから」
私の夫は、百貨店のパン屋さんに勤務している。

そのため、お正月、ゴールデンウィーク、お盆・・・
一般的に連休とされる日は、お店も忙しく、休みを取れることはめったにない。
それは、結婚前から分かっていた事なので、私は夫を責めた事は一度もない。

4歳になる息子が聞いてきた。
「どうして、パパはおうちにいないの?」

私は、夫の仕事について、息子に話をした。

「私たちが何かを買ったり、ごはんを食べたり、いつでも出来るのは、一生懸命働いてくれる人がいるからなんだよ。
パパもその中の1人なんだよ。」

それでも、納得していなさそうな息子を夫の働いているパン屋さんに連れて行った。

私達には気付かないくらい、とても忙しそうで、そして、働く夫はとても生き生きとしていた。

「すごいね!お父さんが作ったパンをたくさんの人が買ってくれているね!」
息子にそう話をするが、息子はだまったままだった。


ある日、夫宛てに手紙が届いた。
差出人は、なんと息子からだった。

そこには、こう書かれていた。

「ぼくはおおきくなったら、ぱんやさんになりたいです。」

その横には、笑顔で夫とパンを作る絵が添えてあった。
妻といっしょに朝食を。


80歳くらいの年配の紳士が指の抜糸をしてもらいにやってきた。

彼は9時に約束があって急いでいたので私はすぐに診察することにした。

傷を診てみると、もうほとんど治癒状態で私は抜糸をすることにした。傷の処置をしながら、なぜそんなにお急ぎなのですか、と訊いた。


老紳士は、老人ホームの妻といっしょに朝食を摂ることになっているんです、と答えた。彼の妻の健康を尋ねると、認知症で老人ホームにすこし前から入居しているんです、と言った。

それでは遅れると奥さんが困りますね、と問うと、老紳士は、妻は数年来もう私のことが分からないのです、と答えた。
「もうあなたが分からないというのに、あなたは毎朝奥さんのところに行かれるんですか?」

紳士は私の手を軽くたたいて微笑んで言った。
「妻はもう私のことが分からないですが、私はまだ妻のことが分かるんです」
嫁さんのお父さんが亡くなった。。。

癌だった。


嫁さんは最後の一ヶ月付きっきりで看病し病院で寝泊まりしていた。


嫁さんにしてみれば、それほどに愛したお父さんだった。


葬儀が済み、四十九日も済んで納骨した後、彼女はお父さんの携帯の解約に行った。 それに俺も付き添った。

携帯ショップに到着し、書類を書いて店員さんが解約の手続きを行う。
「ではこれで解約となります。よろしいですか?」
と確認したら嫁さんが
「チョット待って下さい」
と言い自分の携帯からお父さんの携帯に電話した。

誰も出るはずがない電話。

そのうち留守電に切り替わる。
「お父さん今まで本当にありがとう。ワガママな娘だったけど、許してね。私 お父さんの娘で本当に幸せでした。さようなら」
と留守電に登録した。

嫁さん・俺・ショップの店員さん みんな泣いてました。
確実に自分を変えていく法より

それは1942年イタリアの田舎でのこと。汽車の窓からスッシ・ペンジアスは過ぎ去る村やブドウ畑を眺めていました

ナチス支配下のドイツから脱出した彼女は誰にも気づかれないようにと祈るような気持ちで一人旅を続けていました。三年前にイタリアへ入ってからは、友人の家、そのまた友人の家を転々としながら当局の追及の手を逃れてきました

今もまた、新しい町へと移動する途中なのです

突然、車両の後ろの扉が開き、二人の警官が入ってきました。スッシの胸は鐘のように打ちはじめました

政府の警官であることを示す、ファシスト党の制服を着ています。スッシが恐怖で凍りつく中、警官は座席の列ごとに立ち止まっては乗客一人一人の書類を点検しながら近づいてきます。書類をもっていないことがわかったら、その場で逮捕され、最終的には恐ろしい収容所に送られることをスッシは知っていました

そこで待っているのは、想像を絶する苦しみと、ほぼ確実な死です。警官がだんだん近づいてきて、ほんの2、3列先まで来ました。もう逃げ道はありません
あと数分で、スッシの座席にやってきます。

スッシの身体はこらえきれずに震えはじめ、涙がほおを流れました。隣の席の男性がスッシの様子に気付き、どうして泣いているのかとやさしく尋ねました
「私はユダヤ人です。でも、書類をもっていないのです」
スッシはやっとの思いで、小さくか細い声で答えました

すると驚いたことに、男性はいきなりスッシに向かって怒鳴りはじめました
「このバカ!何てことだよ!本当にお前はドジな女だな!」
騒ぎを聞きつけて、警官が書類の点検を中断し、駆けつけました
「どうしました」
と一人の警官が尋ねます

スッシはもうこれでおしまいかと、さらに激しく泣きじゃくりました。男性は顔をしかめ、警官のほうを向いていいました
「おまわりさん、こいつをしょっぴいてくださいよ。私は自分の書類をもってきたのに、女房ときたら自分の分を忘れたっていうんです!いつも忘れ物ばかりして、もうこりごりですよ。お前の顔なんか、二度と見たくもない」
警官は笑い、やれやれといった様子で夫婦ゲンカに首をふると、先へ進んでいきました

見ず知らずの乗客の捨て身の行為によって、スッシは命を救われました
モリー先生との火曜日より

波は海の中でぷかぷか上がったり下がったり、楽しいときを過ごしていた。

気持ちのいい風、すがすがしい空気、ところがやがて、ほかの波たちが目の前で次々に岸に砕けるのに気がついた。
『わぁたいへんだ。ぼくもああなるのか』

そこへもう一つの波がやってきた。最初の波が暗い顔をしているのをみて、
『何がそんなに悲しいんだ?』とたずねる。

最初の波は答えた。
『わかっちゃいないね。ぼくたち波はみんな砕けちゃうんだぜ!みんななんにもなくなる。ああ、おそろしい』

すると2番めの波がこういった。
『ばか、わかっちゃいないのはおまえだよ。おまえは波なんかじゃない。海の一部分なんだよ。』
yahoo知恵袋より

画みたいな恋!!したことありますか?あなたが体験した話やあなたが聞いた、漫画みたいな恋話を聞かせてください(●´ω`●)

切ない話、幸せな話、問いません☆女子校でそういう話に飢えてるのでよかったら教えてください(笑)




地味で絵ばかり描いていた私(当時16歳)が働くパン屋にキラキラ輝く同い年のイケメンが入ってきた。彼はジャ○ーズと東○に所属していて、間違いなくカッコいい人でした。

その彼から地味な私のところに突然電話が来て告白され付き合うことに。

初めは騙されてるんじゃないかと疑ってた。
手を繋ぐために握られても、ちょっと緩くなったら引っ込めちゃったり・・・

でも何故か本当に好きでいてくれて、いつも一番に私のことを考えてくれて、大事にしてくれて、段々ウソじゃないんだと分かった。

ご飯食べて、私が出そうとすると怒った。だからいつも奢ってくれた。

私は貧乏育ちだから高いもの欲しいと思わないのに高校生なのに10万円もする浴衣を土木のバイトして値段を言わずにプレゼントしてくれた。(値段は色々あって後から知った)

人付き合いが苦手で絵を描くことしか取り柄のなかった私にとって、唯一の希望になった。

結婚しようってずっと話してて高校卒業して、進学の推薦があったけど諦めて彼についてった。彼が大学で行った地方で同棲。

大学の長期休みは私も帰省するから短期のバイトをやっては辞める生活。

彼はこだわりが強かったし彼が嫌いな私の友達とは疎遠なってしまった。

19歳のある時、気持ちだけ浮気して他の人と遊びに行ってしまった。でもすぐ冷めてやっぱり彼がいいなと思えた。

でもそれがバレて後にも先にも一度だけ殴られた。

泣いていた・・・・本当に人を傷つけたと心底後悔した。謝って謝ってなんとか許してもらった。

彼とは年々深い深い関係性になっていくのを感じて嬉しかったし彼も同じ気持ちだっと思ってた。恋人であり、親友であり、家族であるような・・・。

付き合って8年。24歳になった。秋に結婚しようって言ってた春にいきなり振られた。他に好きな子ができたって。あっさりだった。

19歳の時の私の裏切りがずっと残っていたんだって。カッコ悪く泣きついても何しても駄目だった。

仕事も友達も学歴も何もかも持たない24歳の女は惨めで悲惨で死のうと思った。バイトも辞めて1ヶ月引きこもった。

けど・・・
その彼氏以外に、ちゃんと付き合ったことないまま死ぬのなら、ちょっと探してみるだけチャレンジしてから死んでも遅くないかなと、少し思えて、少ない友人に紹介してと頼んだ。

初めての合コンの待ち合わせ場所で待ってると、向こうから彼が来る。目が合ったのに無視・・・
ん?
よく見たら違う人だった。
だけど本当に背格好も顔も服装も身長も歩き方もそっくり。

その人に私から告白して付き合った。けどやっぱり違う人だったし何もなく2週間で振られた。

けどその人のおかげで元彼以外にも男の人は居るんだと 思えた。

元彼に振られてから2年後、他の人と結婚。

今は、あの時があるから今があるんだなと思えるけど、とても辛い時期、すごく楽しい時期、色々あったから今があるんだけど、あの時は元彼と結婚するんだと信じて疑わなかった。

今、別の人と結婚して幸せになってるなんて、夢にも思わなかった。
人生って意外とそんなものなのかも。
本当に不思議。
yahoo知恵袋より

酷く落ち込んでいて孤独だと感じてた時に、家族や誰かに言われた言葉で立ち直り、前向きに頑張る事ができたことはありますか?



今ではたくさんの子供に恵まれてますが不妊治療してもなかなか子供が出来なくて落ち込んだ時に主人に言われた言葉はずっと自信の無い私には力になってます。
「君がいるだけで良いよ。何かしてくれるとかそんなのは関係なくいるだけで良い存在でそばにいてくれるだけでそれ以上は望まないよ」と言ってくれました。

自分に対して自信がないですし生きている意味があるの?など今まで孤独感が強くていつも「人間は所詮1人なんだ」と思って生きてきた私にはずっと勇気を与えてくれてる言葉で何かあった時も私も「最終的には主人さえいてくれたらいいじゃない」って今までずいぶん救われてきました。

親の存在もそうですが何かしてもらうとかそんなの関係なく「いてくれるだけで良い存在」ってあると思います。

母が体も弱く年金ももらえなくて来年から私達夫婦の元に引き取ることになりました。母は子供達に迷惑をかけて「生きている存在価値が無い・・・」と嘆きま
すが私も母に「生きていてくれるだけで良いし子供には存在してくれるだけで良いんだよ。」って言ってます。

産まれる時も死ぬ時も人は1人ですが人間て1人では生きていけないんですよね・・・

人は生まれてくるとき、この体と一緒に、神様から1冊の本をもらって、オギャーと生まれる。

それはあなたの人生が書かれた本。

ところが多くの人はこの本を誤解しています。

あなたの本は1日ごとに1ページめくられ

死ぬときにハッピーエンドになる

そんな軽い本ではありません。

時間が経つだけでは、ページは進みません。

あなたの本は、1回チャレンジした時に、1ページ進むんです。

2回チャレンジすれば2ページ進みます。

もし、人生がうまくいってない時は?

ページをたくさんめくるんです。

そうすれば、本の最後はハッピーエンドになるよう神様が作ってくれてます。
一番下の娘が生後6ヶ月の時に障害が発覚しました。

上の二人は健常者なのに…何で?と、医者に告げられてから ショックで3日、私は泣き続けました。

私がいつもと様子が違うのを察した長男(当時10歳)が 「母さん、どうしたん?なんか 辛い事があったん?」と心配して聞いてくれました。

私はまだ10歳の息子に妹の障害を話すべきか迷ったのですが、自分がパニクってたので 泣きながら話してしまったんです。
「病院でな、○○ちゃん 障害があるって言われたんよ」って…。

その時の息子の最初の返事が「それって 死ぬ病気?」だったんで 私が 「ううん、死なんってお医者さんは言ったよ。でも 普通に学校とかにも通えんかもしれん。あんたたちも障害のある妹の事、学校でいろいろ言われるかもしれんよ」と答えました。

そしたら息子が 「なんだ。たったそれだけの事で母さんは泣きよんか。○○が死ぬ訳じゃないんなら泣くな。母さんが泣きよったら○○がかわいそうじゃなか。○○の障害が母さんに負担だったら、俺が助けてやる。○○は俺が育ててやる。誰かが○○を苛めたら俺が守ってやる。障害があったって俺の妹だって 俺は誰にでも言えるよ。しょうもない事で泣くな。」と言われました。

私も息子のその言葉で目が覚めました。

息子はホントにその言葉通り、オシメを換えたり、ミルクをやったり、お風呂に入れたり…社会人になって家を出るまで、妹を可愛がり大切にしてくれました。

娘は少し体が弱いものの、今は普通に小学校に通っています。娘は今は一緒に住んでなくても お兄ちゃんが世界で一番好きだと言います。

yahoo知恵袋より
階段の前でふと立ち止まった

駅前の大きな歩道橋の階段

ぼくは30歳になった

「お前も30歳なんだからそろそろ大人になったらどうだ
お前をみてると落ち着きがなくて、危なっかしくて、みてらんねぇぞ」

昨夜、酒場で会社の先輩に忠告された

「階段をな一度に2,3段駆け上る必要はねぇぞ。ゆっくりと1段ずつ登ったって、登るのをあきらめなければいずれは登り切ることができる」

俺な、若いときお前みたいにガムシャラやってた

仕事も遊びも何もかもだ

それで身体ぶっこわしたし、仕事でどでかい失敗もした

後悔したこともいっぱいある

あるときな、当時の部長、いまのうちの社長に誘われて初めて山に登ったんだ

そしたらな部長、いや社長がな
『おい、急いで無理に登る必要はねぇからな。ゆっくりでもいいからあきらめずに登れば、いずれは頂上にたどりつく』
っていったんだ

俺のこと危なっかしいって思っていたんだろうな

口でいったってどうせ耳に入らないだろうと思って、山登りに誘ったんだ

あ、なるほどなと思ったよ

あきらめずに1歩ずつ、人生はそれで十分だよ。

確かにそうなのだろう

1歩ずつ、しっかりと生きていく年齢になったのかもしれない

ぼくは階段に足をかけた。1段ずつ目で確認して頂上を仰ぎ見た

大人になる、か

1段ずつ階段を登りはじめた

だけど、ひとつ吐息をついた

それから先輩の忠告を背中におぶって、一気に3段飛ばしで歩道橋を駆け上がった

頂上に着地したとたん心身がスキッとした

笑顔がこぼれた

人それぞれでいいじゃないか

俺は俺

やりたいことに、自然に身をまかせたっていいじゃないか

階段は2、3段飛ばして登る必要はない

だけど2,3段飛ばして登ったっていいんだ


川上健一著 日めくり物語 小学館より
皆さんが、「あー幸せー」って思う瞬間って何でしょうか。
ほんわか面白エピソードなどもありましたら、教えてください。


本当に些細なことなのですが、昨年の震災の日の朝のことです。
パートナーより私のほうが先に出勤する朝で、玄関先でコートを着て、「いってきます」と言ったときに、
パートナーが、コートの襟をそっと直してくれたんです。
すごく嬉しかったのですが、照れくさくてありがとうと言いませんでした。
その日の午後震災があり、彼と連絡が取れなくなった時に、最初に思ったのは、
「ああ、あの時どうしてありがとうって言わなかったんだろう」でした。

幸い彼は翌日の朝9時に無事帰宅しました。

あれから朝、私たちは必ず小さなことでも「ありがとう」と言い合うようになりましたし、
毎朝どちらかが必ず玄関で見送る時にも笑顔で見送るようになりました。
毎朝そうやって「いってきます」「いってらっしゃい、気をつけてね」と言い合うだけのことがとても幸せです。



yahoo知恵袋より
 「数奇な巡り合せ」

アメリカのニューヨーク州に住むケルビン君というという男の子が、ある少年野球の試合にバットボーイとして参加していました。しかしダグアウト近くで作業をして彼は、素振りをしていたバッターの背後にうっかり近づいてしまいます。そして相手のスイングが胸を直撃。彼は地面に倒れ込んでしまいました。

 その様子を見て、スタンドにいた一人の女性がすばやく反応します。彼女の名前はペニー。試合に出場していた選手の母親であり、病院に勤める看護師でもありました。彼女はグランドに降りると、すでに心停止の状態になっていた彼に蘇生処置を施します。その結果、彼は九死に一生を得ることができました。

 それから7年後、大きくなったケルビン君は、あるレストランで皿洗いのアルバイトをしていました。ある日、そのレストランで事件が起こります。客の一人の婦人が、食べ物を喉に詰まらせて、呼吸が出来ない状態に陥ってしまったのです。周りの客の助けを求める声を聞いた店のマネージャーは、ボランティアの消防隊員をしているケルビン君を呼びます。そして彼は、、客の上腹部を圧迫する方法で、喉に詰まった食べ物を見事に吐き出させました。

 レストランには、ちょうどケルビン君の母親も来ていました。店内も落ち着きを取り戻し、冷静になった母親は、呼吸困難になった客の顔をまじまじとながめ、そして驚愕の声を上げます。なんとその客は、7年前にケルビン君の命を救ってくれたペニーだったのです。     

『ちょっといい話』アルファポリス文庫より

恋愛経験のある方に質問です

少女漫画などによくあるようなストーリーを、実際に経験したことがある方いますか?
例をあげるなら、先生と付き合ったとか、控えめな女の子がすごくかっこいい男子に告白されたとか・・・
現実にはあまりなさそうな事を経験したことがある方、教えて下さい!






高校生の頃に彼女が倒れてしまい、手術が必要だと言われていました
すぐにどうこうなるわけではないけれど、なるべく早く手術を受けなければならなく、成功率は4割程度、失敗したら歩けなくなり、最悪の場合死ぬこともあるものでした

入院前に二人でお花見をしていました
その日の日中はのんびりと桜を見たり、学校の話をしたり、喫茶店で過ごしたりしていました
もう帰らなければならない時間になり、彼女を家に送ろうと、二人乗りで桜並木の坂道を降っている時に、彼女が後ろから私を抱きしめて言いました

楽しかったなー!もうこのまま時間が止まっていいよ…
○○先輩と一緒に居るこの時間だけでいい
他に何もいらないから、ずっとずっとこうしていたい!

最初は笑いながら言っていた彼女でしたが、途中で大声で泣き出してしまいました

私も驚いてすぐに自転車を止めて、彼女を抱きしめ背中を撫でながら

来年もまたお花見しよう
そして、次の涙は嬉しいものにしよう
俺は君が生きているだけで、涙が出るくらい幸せなんだ
もし君が歩けなくなっても………考えたくはないけれど、この世界からいなくなってしまっても、来年の春にはどんなことをしてでも、また同じ場所に連れていくよ
またその次も、ずっとずっと先になっても連れて行く
約束するよ

と言いながら宥めました

彼女はしばらくしたら泣き止み、○○先輩…私のこと絶対に忘れないで下さいねと言いながらキスをしてきました


yahoo知恵袋より
「乞食の天使」


いつもよく働く靴屋のもとへ、あるとき、天使が現れました。

乞食の姿になって・・・。



靴屋は乞食の姿を見ると、うんざりしたように言いました。


「おまえが何をしにきたかわかるさ。


しかしね、私は朝から晩まで働いているのに、

家族を養っていく金にも困っている身分だ。

ワシは何も持ってないよ。

ワシの持っているものは二束三文のガラクタばかりだ」



そして、嘆くように、こうつぶやくのでした。


「みんなそうだ、こんなワシに何かをくれ、くれと言う。


そして、いままで、ワシに何かをくれた人など、いやしない・・・」


乞食は、その言葉を聞くと答えました。



「じゃあ、私があなたに何かをあげましょう。

お金にこまっているのならお金をあげましょうか。

いくらほしいのですか。

言ってください」



靴屋は、面白いジョークだと思い、笑って答えました。


「ああ、そうだね。じゃ、百万円くれるかい」



「そうですか、では、百万円差し上げましょう。

ただし、条件が1つあります。


百万円の代わりにあなたの足を私にください」



「何!? 冗談じゃない!この足がなければ、

立つことも歩くこともできやしないんだ。


やなこった、たった百万円で足を売れるもんか」



乞食はそれを聞くと言いました。


「わかりました。では、千万円あげます。

ただし、条件が1つあります。


一千万円の代わりに、あなたの腕を私にください」



「一千万円・・・!?

この右腕がなければ、仕事もできなくなるし、

可愛い子どもたちの頭もなでてやれなくなる。


つまらんことを言うな。

一千万円で、この腕を売れるか!」


乞食はまた口を開きました。



「そうですか、じゃあ、一億円あげましょう。

その代わり、あなたの目をください」



「一億円・・・!?この目がなければ、

この世界の素晴らしい景色も、

女房や子どもたちの顔も見ることができなくなる。


駄目だ、駄目だ、一億円でこの目が売れるか!」



すると、乞食は靴屋をじっとみつめて言いました。



「そうですか。

あなたはさっき、

何も持っていないと言っていましたけれど、

本当は、お金には代えられない価値あるものを

いくつも持っているんですね。


しかも、それらは全部もらったものでしょう・・・」



靴屋は何も答えることができず、

しばらく目を閉じ、考えこみました。



そして、深くうなずくと

心にあたたかな風が吹いたように感じました。


乞食の姿は、どこにもありませんでした。


中井俊已著

[幸せに気づく]より出典
父の葬儀があった。もう年だし、悲しくもなく淡々と取り仕切っていた。
数年間はずっと病気続きだったが、工務店を経営しており、たくさんの職人さんを抱えてた事もあった。

葬儀に子供の頃に見覚えのある職人さんが来てくれた。何十年も出入りはしてなかったが。
父より年上で80近いだろう。礼服ではなく、失礼だがこぎれいとは言えない格好だった。
香典袋ではなく封筒にくしゃくしゃの千円を包んでくれた。
「親方にはお世話になったんですわ。偶然聞きつけたのも縁が続いてる証拠ですわ。」
その時、心のたがが外れた。涙が止め処なく流れた。そして心からありがたいと言う気持ちになった。

改めてお礼にあがった。掛け金を払ってなくて年金は無いらしい。作業場の下働きなどで何とか家賃1万
の生活を支えていた。ずっと一人暮らしだという。失礼ながら生活保護を勧めたが、静かにこう話した。
父に会う30年前まで月50万稼いでたと、でも全てが悪銭だったという。
父は汗をかいて稼ぐ事を教えてくれたといってくれる。おかげで人間として生きる事が出来たと。
それで十分、いつか人知れず死んでしまうかもしれないが、満足のいく人生なんですよ、と。
この人の高邁な生き方に感動し、私の知らない父の生き方を知ることができた出来事だった。
ある人の日記より(転載許可はとりました)



昔(十年以上前)スイミングスクールのバイトしてたときの話です。


今思えば多分自閉症とか発達障がいと呼ばれる子だったんだけど、Kちゃんと言う女の子6歳がいました。
すべての先生が「Kちゃんは、適当に流すだけ(泳ぎを教えなくて良い)」という方針でした。
もちろん親もそれでOK。てか、できる訳ないと思いこんでるふしあり。

一緒に来てた「お守り役」のお兄ちゃんとお姉ちゃんはKちゃんには、辛く当たってた。「Kはなんにもできないのに、何故連れて来なきゃいけないのっ!」って。


私は、それにすごく抵抗があって、先輩先生に「少しだけKちゃんに教えて良いですか?」と許可を貰って、顔も水につけられないで、いつもオドオドしているKちゃんと少しずつ確実に距離を縮め、毎回毎回僅かだけど練習していました。


いつしか、Kちゃんは私を見ると「ちぇんちぇ〜!」と、よだれだらけの顔を押し付けるように抱きついてくるようになり、水に顔をつけられるようになり、けのびもバタ足もできるようになりました。
そしてオドオドしなくなってました。
子どもってちゃんと向き合えば成長する!


10級(最下位の2〜4才クラス)で適当に流されていたんだけど、ちゃんと教えれば、出来る!!

次の年は、9級に合格し、少しずつ泳げるようになってましたが、その頃には、高学年になってたお兄ちゃん、お姉ちゃんが次々に辞める事になり(ふたりともそこそこ泳げるようになって、記録のために泳ぐコースに進まず、必要なくなった)中途半端なとこで辞めざるをえなかったKちゃん。(送り迎えがいないと来れないため)
寂しかったけれど、仕方ない。



でも、私はKちゃんに出会えたことにより、心が豊かになりました。


向き合えば成長する。

それを教えてくれたKちゃんに、今でも感謝しています。

ヤフー知恵袋より

こんばんは
僕の高校時代の話です

高校1年の文化祭で同じ学年のとある女の子Kさんに一目ぼれしました
その子と少し話しただけなのですが雷を打たれたような衝撃で生まれて初めてこれが一目ぼれということが理解できた瞬間でした
でもまだ自分の状況の整理がつかず、1週間ぐらいしてから、本当にその子が好きなんだという自分の気持ちが分かりました

その子は女子だけのクラス、通称女クラで男子が入れない聖域な空間のクラスの子でした
授業も一緒になることがなければ、部活の時間も全く違う、まだ入学したての僕はシャイという面もあり、メルアドも聞くことができずに日がすぎていきました
そして好きという気持ちはあったまま約1年と少しが経って、たまたまテストで帰りが早く自分が駅に着いたときにたまたま帰り途中で駅の自販機に寄っていたKさんがいました。
もちろんこれとないチャンス、でもほとんどあれ以来話していないのも確か、でもチャンスがないままなんだかんだ1年がたっており、このチャンスがすぎればもうないかもしれない

勇気を振り絞りメルアドを聞きました

その後、メールをしだいたい自分も相手もメールをする方じゃなかったので1日1通、その日のたわいのないことや短い文でも2週間から1か月ぐらい続いて終わって、また1週間ぐらいしてから勇気を振り絞って送ってまた続く日々でした
そんな毎日が楽しくてしょうがなかったです

ある時から思いを伝えようと思いました
自分は自分で言うのもなんですがまあまあモテル方で、性格も明るく女子にもいじられもしながら人気で容姿も少しはいけてるほうだと思います(当時です。自慢のように聞こえたらすいません)
Kさんは女子クラスで男子からも目をひかない子で平凡な子でした
正直、自分は自信がありました

でも結果は友達のままがよいと言われました
ショックでしたが今まで通りメールもできましたし本当によかったです

そして3年生になってからメールの回数はほとんどなくなりました
理由は勉強に集中するためです
メールすると勉強に集中できないわけではありませんが、お互いに本気で頑張ろうと決意したからです
夢に向かって、目標とする大学をお互いに話して頑張っていきました

そして卒業式の日
自分は目標とする大学へ、Kさんも第一志望ではないもののやりたいことができる大学の進路が決定していました
地元もお互い違うところへ離れ離れです

僕はその卒業式の日が終わる5分前に勇気を振り絞ってメールを送りました

あなたのおかげで部活も勉強も頑張れた
僕の高校生活の青春でした
付き合ってとは言いませんが、僕はあなたのことが好きです
これからも夢に向かって頑張っていきましょう

次の日になりましたがメールが1通

私も○君にあえて本当によかったです

大号泣しました。以上僕の高校の青春です
ヤフー知恵袋より

中学3年の卒業間際時、クラスの不良な男の子が仲間外れにあいました。調子の良いタイプでしたが、急に1人きりになってしまい、大分堪えているようでした。
私は典型的学級委員タイプで、彼とは相容れない感じでした。元々は私の友達を虐めていた人でもあったし、同じ班であっても余り会話をしませんでしたが、仲間外れにされてからの彼が気になり、毎日話しかけるようになりました。
とはいっても、元々グループの違う2人。会話も雰囲気も床かぎこちなくて。
それでもサボりがちだった掃除を手伝ってくれるようになったり、親切にしてくれたり、少しだけ関係は近くなりました。

調度その頃、卒業文集の制作係になった私は、文集に載せるクラスメイトランキングのコーナーの為のアンケートを実施。
そのアンケート用紙を、提出物をまともに出さない彼が、クラスで1番に持って来てくれました。
そのアンケート中のひとつの『ヒーローっぽい人』という項目に、私の名前が。他にも色々な項目がありましたが、女子の名前は私のもののみ。

仲間外れが嫌いで庇っていた私の気持ちに対する彼の思いが伝わってきたアンケート用紙でした。
その後しばらく、思い出として保管していました。

言葉にしにくいのですが、伝わるでしょうか。
恋愛に発展した訳ではありませんが、あの頃の甘酸っぱいなんとも言えない関係を思い出すと、プチ青春かなと思います。
その後、たま〜に地元ですれ違ったりすると、恥ずかしそうにする彼の姿は、10年経つ今でもまだ忘れません。
yahoo知恵袋より
プロポーズされたことはありますか?



人間関係が理由で辛くて嫌になりある日突然「今日仕事やめると伝えよう」と7年勤めた会社に対して決心が付き、彼(現在主人)に相談もせずに上司に思った日すぐに言いました。「○月で辞めたい」と、(伝えた日から半年後位)

主人とは社内恋愛でしたので
主人に言わなくちゃ!と思い主人の1人暮らしのアパートに行き
お風呂に入りゴロゴロした時に報告しました。

でも私は実は次の仕事も決まってない今日とっさに言ってしまったから。。
結婚も決まってない、将来に対して不安不安で仕方なく自分が惨めになって
泣いていたところ
主人が腕を引っ張って抱き寄せて
「じゃぁ〜永久就職するか!?」って言ってくれました。
普段クールでぶっきらぼうな主人なだけ本当に嬉しかったです。
女としては、記念日やお洒落なレストランで婚約指輪を突然ケースからパカっ☆なんて夢見てたのですが、
すっぴんにパジャマ姿…布団の上
こんなシチュエーションとは夢にも思いませんでしたが
私達の一生の思い出ですね。
主人も当たり前ですがその日にプロポーズなんて思ってもみなかったらしいです。でも「お前の仕事やめるってのが後押ししくれてよいきっかけ作ってくれた!」って言ってました。

ちなみに後で聞いて驚いたのですが、私が会社を当初辞めると伝えた
○月(結局少し伸びたのですが)に主人はプロポーズの予定だったらしいです。だから辞めるなら結婚するか!と思ったらしくこの日プロポーズしてくれました。
なのでもしかしてもう少し早い予定で辞めると言っていたら
この日に無かったかもしれません。

つくづく「タイミング」ってこうゆうのだなと思いました。

久々にのろけてしまいすみません!
でも、滅多に無いシチュエーションでのプロポーズかな?と思って、気にいってるんですけどね。
山元加津子(石川県立小松瀬領養護学校教諭)

      

(『致知』1997年11月号 特集「一道を拓く」より)

きいちゃんという女の子は、手足が不自由でした。
そして、いつもうつむきがちの、どちらかというと
暗い感じのするお子さんでした。

そのきいちゃんが、ある日とてもうれしそうな顔で、
「山元先生」と言って職員室に飛び込んできてくれたのです。

「お姉さんが結婚するのよ、今度私、
 結婚式出るのよ。ねえ、結婚式ってどんななの、
 私どんな洋服着ようかな」

と、とてもうれしそうでした。

「そう、良かったね」

と、私もうれしくなりました。

ところが、それから一週間もしないころ、
今度はきいちゃんが教室で泣いている姿を見つけたのです。

「きいちゃんどうして泣いているの」

と聞くと、

「お母さんが、結婚式に出ないでって言うの。
 私のことが恥ずかしいのよ。
 お姉ちゃんばっかり可愛いんだわ。
 私なんか産まなきゃ良かったのに」

とそう言って泣いているのです。

きいちゃんのお母さんは、お姉さんのことばかり
可愛がるような方ではありません。
どちらかというと、かえってきいちゃんのことを
いつも可愛がっておられて、目の中に入れても
痛くないと思っておられるような方でした。

けれどもしかしたら、きいちゃんが結婚式に出ることで、
例えば障害のある子が生まれるんじゃないかと思われたり、
お姉さんが肩身の狭い思いをするんじゃないかと
いうようなことをお母さんが考えられたのかなと、
私は思ったりしていました。

きいちゃんに何と言ってあげていいかわかりませんでしたが、
ただ、結婚式のプレゼントを一緒に作ろうかと言ったのです。

お金がなかったので、安い晒(さら)しの
生地を買ってきて、きいちゃんと一緒に
それを夕日の色に染めたのです。
それでお姉さんに浴衣を縫ってあげようと提案しました。

でもきいちゃんは手が不自由なので、
きっとうまく縫えないだろうなと思っていました。
けれど一針でも二針でもいいし、
ミシンもあるし、私もお手伝いしてもいいからと
思っていました。

けれどきいちゃんは頑張りました。

最初は手に血豆をいっぱい作って、
血をたくさん流しながら練習しました。
一所懸命にほとんど一人で仕上げたのです。

とても素敵な浴衣になったので、お姉さんのところに
急いで送りました。
するうとお姉さんから電話がかかってきて、
きいちゃんだけでなく、私も結婚式に出てくださいと
言うのです。

お母さんの気持ちを考えてどうしようかと思いましたが、
お母さんに伺うと、
「それがあの子の気持ちですから出てやってください」
とおっしゃるので、出ることにしました。


続き

お姉さんはとても綺麗で、幸せそうでした。
でも、きいちゃんの姿を見て、何かひそひそお話をする方が
おられるので、私は、きいちゃんはどう思っているだろう、
来ないほうが良かったんだろうかと思っていました。

そんなときにお色直しから扉を開けて出てこられたお姉さんは、
驚いたことに、きいちゃんが縫ったあの浴衣を着ていました。

一生に一度、あれも着たいこれも着たいと思う披露宴に、
きいちゃんの浴衣を着てくださったのです。

そして、お姉さんは旦那さんとなられる方とマイクの前に立たれ、
私ときいちゃんをそばに呼んで次のようなお話をされたのです。

「この浴衣は私の妹が縫ってくれました。
 私の妹は小さいときに高い熱が出て、手足が不自由です、
 でもこんなに素敵な浴衣を縫ってくれたんです。

 高校生でこんな素敵な浴衣が縫える人は、
 いったい何人いるでしょうか。

 妹は小さいときに病気になって、
 家族から離れて生活しなければなりませんでした。
 私のことを恨んでるんじゃないかと思ったこともありました。

 でもそうじゃなくて、私のためにこんなに
 素敵な浴衣を縫ってくれたんです。

 私はこれから妹のことを、
 大切に誇りに思って生きていこうと思います」

会場から大きな大きな拍手が沸きました。
きいちゃんもとてもうれしそうでした。

お姉さんは、それまで何もできない子という思いで
きいちゃんを見ていたそうです。

でもそうじゃないとわかったときに、
きいちゃんはきいちゃんとして生まれて、
きいちゃんとして生きてきた。

これからもきいちゃんとして生きていくのに、
もしここで隠すようなことがあったら、
きいちゃんの人生はどんなに淋しいものに
なるんだろう。

この子はこの子でいいんだ、それが素敵なんだということを
皆さんの前で話されたのです。

きいちゃんはそのことがあってから、
とても明るくなりました。
そして「私は和裁を習いたい」と言って、
和裁を一生の仕事に選んだのです。
ヤフー知恵袋より


質問
亡くなった妻の気持ち


昨年の秋に妻が亡くなりました。
がんで闘病の末だったので心の準備はしていたつもりでしたが、やはりとても悲しく、 後悔もたくさん溢れてきます。
それでもようやく少し立ち直り始めて、一昨日友人夫婦の誘いに飲みに行きました。(妻のこともよく知っていて、励ましの意味で何度も誘われていた)
その時に、私が結婚指輪をしていないのを見て「はずしたのか?やっぱりつらいのか?」と聞かれました。

結婚指輪は妻が亡くなる直前に、『私に欲しい。○○(私)を忘れたくないから。最後のプレゼントだと思ってお願い』と言われ、最初は断りましたが、どうしても…と言うので妻の親指にはめました。
妻は私の指輪をはめたまま亡くなり、遺骨と一緒に埋葬しました。

友人夫婦にその話をすると、「いい奥さんだね。○○に新しい幸せを願ってのことだろ」と。
結婚指輪をいつまでもしていたら新しい恋人が出来ないから…ではないかと。

全然そんなこと考えもしませんでした。
本当にそうなら心が痛いです。妻に渡したこと後悔します。

第三者から、妻の気持ちはどうなんでしょうか?
どう思いますか?

補足 信じられないくらいの方に回答を頂いて、とてもとても感謝しています。
頭がぐるぐるしてしまって、どうしようもなく質問を書いてしまいました。
肝心な夫婦背景も書かずすみません。

妻は30歳、私は34歳。子どもは授かりませんでした。
私は本当に頭の回らない男で…。妻はそんなことお見通しで。

ごめんなさい。自分でも気持ちを整理できていないようです。


回答

6年前 家内が急病で突然亡くなりました。

生前からお互いに
「もし、どちらかが亡くなって
その後、好きな人ができたら遠慮なしに好きになっていいよ。」と
話してました。
どちらかが先に逝くのは、人間の必然ですので
お互いに残した相手に元気に生きて欲しいという気持ちでした。

ただ、私の場合は、子供も2人おり、
実家の世話になっている手前、
自分の思いだけで
再婚等を考える訳にはいきませんし、
又、実際、当初は、他の人を好きになると
いうこともあまり考えられませんでした。

でも時間が経過して家内が亡くなったことについて
だんだん自分の中で消化できてくると
やっぱり好きな人に出会いたいという思いが
素直にでてきたのも事実です。

連れ添った家内への情は、どうしても残ります。
でも「それは当たり前のこと」と
私の叔父が話してくれました。
(叔父も叔母を先に亡くしています。)

「いつまでもくよくよしてられんから
おっちゃんも好きな人こさえるで!」と叔父は元気です。

ちなみに叔父は叔母の7回忌を区切りに
結婚指輪を外しました。

私は、家内の49日の後、一度指輪を外し
やっぱりもう一度つけています。
今年、家内の7回忌を迎えますが
外すかどうかは決めていません。

家内のことを忘れないようにとか
そんな大層なことではなく、
つけているのが普通で
その方がなんとなく落ち着くという感じだけです。
家内ことは今は指輪と関係なしに思い出すときは
思い出します。

奥さんに自分の指輪を最後にプレゼントしたことは
間違っていません。

奥さんへの情と指輪は別と考えて
あなたもあまり指輪云々のことは、
気にしない方が良いと思います。

今、わたしが感じることは、奥さんは「あなたに元気で幸せに生きて
欲しい。」という気持ちじゃないかということだけです。

そして、指輪もプレゼントし最後まで自分の思いに答えてくれたのだから
本当の最後の願い(「あなたはきっと元気になってくれる。」)にも
答えてくれると信じて逝かれたのではないかと思います。

残された者としては、その思いにどう答えていくか?
私にとっても自分自身への問い掛けでもあります。

長々と失礼しました。

「魂が震える話」より

ダンスの振りが覚えられずに
毎回、居残りレッスンを受けていた
メンバーがいた。

グループの中では
“落ちこぼれ”だったかもしれない。

それでも、弱音を吐くことなく
レッスンルームの鏡に向かって
黙々と練習していた。

“努力は必ず報われる”と信じて・・・。

ある時、彼女が後輩のメンバーに
ダンスの振りを教えている場面に遭遇した。

「私もできなかったから
気持ちが分かるんです」

照れ臭そうに
彼女が言い訳をした。

彼女はごく自然に
AKB48のリーダーになっていった。

特別な才能が必要なんじゃない。

人の痛みがわかることが
リーダーの条件だ。

秋元康
人と会ったとき、皆さんはその人の長所と短所、どちらに目がいきますか?
また、日常生活の中でどちらの言葉を多用していますか?
30年以上前、デトロイトにある小学校で実験用のねずみが逃げてしまうというトラブルがありました。

ところが、そのネズミがどうしても見つかりません。
先生は、目の不自由な少年を呼び出してこう言いました。
「あなたは人一倍すばらしい耳を持っているわ。ネズミの鳴き声は小さいけど、きっとあなたなら聞き取れるはずよ」
そして、その少年は見事ネズミを探し出したのです。
「自分の持つ能力と才能を先生が認めてくれた初めての体験でした。
その瞬間に、新しい人生が始まったのです」

その後、彼は「スティービー・ワンダー」という名前で全世界にその名を轟かせることになるのです。

長所にスポットライトを当てるということは、時としてその人の将来や、未来の可能性までも変えていく力があります。
ヤフー知恵袋より

亡くなった元彼のこと。

何不自由ない平和な生活を今出来ている中
その時間が出来た為か
亡くなった元彼を思い出すことが多々あります。

建築業で作業中に足場から落ち 亡くなったのですが

それまでしていた約束や、交わしていたメールや、
言いたかった事 言ってなかった事 将来の夢を
一瞬にして亡くしてしまった彼を想うと 涙が出てきます。
その日仕事に行く前に 私は「頑張ってね」って言ってしまいました。
もし、言わなければ 事故を止めれたかもしれないと想ってしまいます。


もう、亡くなって7年経ち、そのことを受け止めてくれる主人を持ち
人のために出来る介護の職に就き、生活しています。


今思えば、私は 何も彼の愚痴や弱音を聞いてあげれてなかったんです。
私ばかりが、そのときの学校生活や部活、進路などで精一杯で
自分の悩みばかり言っていて、彼は一つ一つ仕事で疲れているのに
聞いてくれ どうとは言わない返事をしてくれ 頑張れとも言わず、
やってみたらいい、俺はこう想う。だけどお前はどうしたらいいかは自分で考えないとと言ってくれていました。

当時は とても助けられていました。

前はよく思い出して涙していましたが、最近は 結婚 出産 育児を経験でき
忙しさからか、精神的に安定し 涙する事も特になく常に笑えています。主人と
子供に感謝しています。

でも、元彼と同じ言葉を主人から言われると思い出したり
急に 主人も事故で帰ってこない人になったらどうしようと、手が震える事があります。
不安になったときは、子供に話しかけたりしてるとおさまります。
頑張ってねと言うと事故に遭うのではないかと思ったり
「一生家族でいよう」とか「絶対」とか言われても
うれしいと思えない自分がいます。

同じような境遇の人も絶対居るし もっとキツイ思いをした人も居る。

私だけじゃない。そう言い聞かせても、私は現実を冷静に見つめることに苦労します。

彼が「毎日毎日は少しずつ違ってるから、その分成長していってる。
昨日と違ってるかなんて気にしなくていい 絶対違うから」って死ぬ前に言っていました。

私はあの頃より成長しているのか
分らず居ます。
亡くなった後に彼の妹から渡された 机に用意していたネックレスがあります。
彼は居ないのに 彼が居た形跡だけは残っていて
「兄ちゃんの事は忘れないであげて。」といわれました。

この気持ちの整理の仕方を教えてください。
乱文で申しわけありませんでした。


考えている時点で成長していると思いますよ。
自分は、幸いにもそういう経験はありません。
あ、あなたが不幸といっているわけではないですよ。
あなたは「頑張って」と言ったから、頑張り過ぎてしまった・・・と、思っているのでしょうか?
それは、間違いだと思います。
運命という言葉でまとめてしまうのは好きじゃないですが、頑張ってと言おうが、言わまいが運命は変わらなかったと思います。
不安になる気持ちも理解出来るつもりです。
逆に彼の立場から少し考えてみてはいかがでしょうか?
今はあなたとは一緒に居られない環境にいます。
あなたは結婚し、出産、育児をして家族がいる状態です。
そして、今色々な不安の中で日常を過ごしていると知った時、彼は何を思うでしょう。
これは個人的な意見ですが、自分が死んでしまった事であなたを不安にさせてしまっていると今また考えていると思います。
彼はあなたの幸せな姿が見たいはずです。
あなたのご主人が理解してくれたように、彼もあなたの事を理解してくれていると思います。
悩んでいる姿は見たくないと思いますよ。
当事者ではない、自分に何を言われても同意を得られる事は無いと思いますが、
あなたが悩んでいると一緒に悩んでくれる家族がわれわれよりは一人多いのがあなただと思います。
一生忘れる事は無いでしょうが、彼は天国であなたの幸せを願っています。
お互いに真剣な付き合いだったからこそ、今も真剣に向き合っている感じがします。
気休めになればよいですが、不安をあおってしまったのであればごめんなさい。

あなたの幸せを願っています。
彼も天国から願っています。
家族を大切に。
「一生家族でいよう」亡くなった彼もご主人も思っていたなら本気の気持ち。
あなたにとっては、一生じゃなかったかも知れませんが、彼には一生でした。
途中で一緒に居られなくなった事を彼は後悔している(いた)と思います。
幸せな笑顔を彼にも見せてあげてください。
お幸せに。

同じく乱文で申し訳ありませんでした。

ヤフー知恵袋より



私は21歳の女性です。
実は過去に彼氏をバイクの事故で亡くしています。3年半前です。
深く話すと非常に長くなるので恋愛ができないという事だけに焦点を絞らせていただきます。

その時一生一緒に居るって言ったのに何で!?と思いました。心に大きな黒い穴があき、無気力になっていました。
時間がたつに連れて、彼の人生が終わったのだと思うと可哀想過ぎて1年間くらいは毎日涙していたのを覚えています。

あれは17歳の時でいつものように私を家まで送ってくれました。まだ親公認でなかったのでコソコソしていました。
そこで親が犬の散歩で近くを歩いていたのです。そこで私が「あ!今日はもう帰ってくれる?」と焦って帰ってもらいました。
そして5秒もしないうちにスゴイ音がして彼が道路に倒れていました。その時は意識があって「何があったの?」と言いながら私の名前をひたすら呼んでいました。怪我もあるので話すのは体に悪いと思い、今はしゃべらないでいいよと言いました。それが最後の言葉になしました。
集中治療室に入っており、彼の希望で私との面談はできませんでした。機械を沢山つけてる姿は見せたくなかったそうです。
それから2週間後に彼は亡くなりました。
私の誕生日の日がその間ありました。誕生日を祝ってくれる家族に対して元気もなく悲しい思いをさせてしまいました。誕生日の日に彼の容体が急変して誕生日の日を過ぎてすぐあの世にいったのです。
それから誕生日イコール命日という意識があるので素直に祝えません。
それだけなら良いのですが彼が忘れられなく前に進めません。
当時は若干18歳ながら本気で彼を愛していましたので一生結婚もせずに彼を愛し通すと決めていました。しかし周りの人の意見は違いました。それは私にとっても彼にとっても良い事じゃないと!!恋愛していいんだよと。
しかしその気になれなくて男性を避けるような生活をしてきました。彼が私を愛して居る状況で死んでしまって天国でもその気持ちが永遠ならば私が他の男と仲良くしてるのは残酷ではないかと思ってしまうのですが、みなさんどう思いますか??
友達に相談するには重すぎるとずっと一人で考えていました。どうか、みんさんの助言をいただきたく思います。
真剣に悩んでいます。どうか、よろしくお願いいたします。
長くてすみませんでした。ここまで読んでくださってありがとうございます。

質問にだけお答えします。

彼は、あなたが他の人を好きになることを許さないと思いますか?あなたが彼の立場だったらどう思いますか?亡くなった自分のことを思ってくれる気持ちは嬉しいでしょうが、それが原因で愛した人が幸せになれないというのは辛いものだと思います。こちらのほうがあなたの言葉を借りれば「残酷」だと私は思います。

好きな人、そういう人が現れた時には自分の気持ちに素直になって、好きになっていいんじゃないでしょうか。そのうえで彼のことを胸のなかで忘れずに生きていければ、あなたにとっても、彼にとっても幸せなことだと思います。彼の幸せがあなたの幸せであったように、あなたの幸せが彼の幸せでもあるのです。

最後になりますが、よく辛いときに「時間が解決してくれるよ」という人がいますが、時間だけではなにも解決してくれません。人とのふれ合い、出会いこそが心を癒すのに大事だと思います。

感動したホテルのおもてなしエピソードを教えてください。

昨年のこと。
入籍翌日がちょうど土日だったので、京都に一泊旅行をしました。
新婚旅行ではなく、何となく節目を二人でお祝いし

たかったので、急に思い立って決めた旅でした。

その日の夕食は宿泊ホテルで食べようと、奮発して最上階のフレンチレストランに行きました。予約はしていません。
コース最後のデザートがでてきてびっくり!happyweddingのデコレーションとキレイに盛り付けられたスイーツ、「おめでとうございます」の言葉と素敵な笑顔をお店の方からいただきました。
旅行予約時もレストランでも結婚祝いだと伝えたことはなく、主人も何がなんだか訳がわからず、「何で知ってるの??」と、二人でただ感動してしまいました。

食事が終わり、最後にお店の方とお話しました。
「実は私たち昨日入籍したのです。でもどうして分かったのですか?」
「女性の方はとてもキレイなダイヤの指輪をされているでしょう。そして男性の方はお食事会中、たびたびご自身の指に触れていらっしゃいました。私も男なのでわかりますが、男性は結婚するまで指輪をずっと付ける習慣がない方が多いので、慣れるまではつい気になって無意識に触れてしまうのですよね。あぁ、きっとお二人は新婚さんかなぁって。」

そんな温かな対応に感動し、とてもいい旅行になりました。きっと一生忘れることはないでしょう。




ヤフー知恵袋より
yahoo知恵袋より

質問
彼女が命を落としたのは私のせいでした

25歳の男です。震災で、21歳の彼女を亡くしました。

その日彼女は職場にいました。
行方不明になり、彼女の家族と一緒に捜しました。
見つかった時、彼女の指には私がプレゼントした指輪がはめてありました。
その指輪で、彼女だと分かりました。

そして数週間前、偶々彼女が亡くなった理由を知りました。
津波がきた時、彼女は職場の人達と一度屋上に逃げたそうです。ですが途中で、彼女は一緒にいた同僚に「1階のロッカーから指輪を取って来たいから、先に行ってて」と言い、急いで降りて行ったんだそうです。
その後すごい勢いで津波がきて、彼女はのまれてしまいました。
彼女のいた職場は、2階の天井まで津波がきました。

詳しいことは分かりませんが、偶々その事実を知ってしまいました。

私はずっと、ただ「逃げ遅れた」としか聞いていませんでした。


思い返してみたら、彼女は「仕事中は指輪を外してる。でもいつも持ち歩いてるよ」と言っていました。

それを聞いてから、毎日後悔しています。彼女に指輪をあげなければよかったと。

指輪をあげた時、彼女はすごく嬉しそうで、ニコニコしながら、指輪をはめた手をずっと見ていました。
その時のことを何度も思い出します。
考えると涙が出てきます。


彼女を知る人に彼女の話をするとすぐに涙が出てしまうので、できるだけしないようにしています。

ここで相談することではないかもしれません。
ですが、客観的に、色々な立場の方のご意見をいただきたいと思い、投稿しました。

彼女の分まで前を向いて生きていきたいのに、私はあの日から変わっていません。
どうしたら、前に進めるでしょうか。
どうすることが一番彼女のためになるのか、分からなくなってしまいました。



回答
とても辛いです。読んでいて涙が出てしまいました。

彼女さん、本当に質問者さんのことを愛していたんですね。

指輪をあげたことを後悔しないでください。彼女は命をかけてまで指輪を守ろうとしました。それだけ大切で大切で仕方ない宝物だったんです。
彼女さん、あなたに指輪をもらってどれだけ嬉しかったか…。
たくさんの幸せを彼女に与えたんです。

だからどうか、ご自分を責めるのはやめてください。
前に進むための一歩は、まず、ご自分を許すことだと思います。
辛い思いをして、苦しんで、傷ついていると認めて下さい。そして、もっと自分に優しくなって下さい。

彼女が愛した質問者さんご自身を、もっと愛し、大切にして生きていくことが、天国にいる彼女の望みではないでしょうか。


偉そうにすみません。
質問者さんが、幸せになれますように…
感動したらシェア〜世界の良い話〜

「赤塚先生は、毎晩、編集者たちを引き連れ、飲み歩いては、新宿の『アイラ』というバーでタモリと合流する。
キャバレーの噴水から、裸のタモリがイグアナの真似で出てきたり、新しい遊びを考えるのが日課でした」

そんなある晩、赤塚がタモリに絡み始めた。

「お前、売れ出したと思っていい気になるなよ」

タモリも色をなし、

「そんな言い方ないだろ、売れない漫画家に言われたくないよ」

とやり返す。
周りが必死に止めるが、手にした水割りをぶっかけ、ついには取っ組み合いに。
タモリを羽交い絞めにして鼻の穴に落花生を詰め込む赤塚。
すると今度はタモリがグリーンアスパラにマヨネーズをつけて赤塚の鼻に突っ込む……。

「ようやく我々も『あれ?おかしいな』と気づく。
要は、2人で綿密に仕組んだギャグだったわけです。
先生の持論は
『バカなことは本気でやらないとダメ』。
遊びの時に気を抜くと、
『ふざけるな!真面目にやれよ』
と叱られる(笑)」
(以上引用 週刊文春)

上京してまもないタモリさんに、赤塚さんは自分が住んでいた目白の高級マンションを明け渡し、自分は木造2階建ての仕事場で寝泊りしていたといいます。
その理由はというと…。

(以下引用)
「タモリは今まで会ったことのない、ものすごい才能だ。
ああいう都会的でしゃれたギャグをやる奴は、贅沢させないと。
貧しい下積みなんかさせちゃダメだ」
(以上引用 週刊文春)

その10年後。
仕事場を訪ねた担当者に、赤塚さんは1通の通帳を見せました。

(以下引用)
「『タモリがさあ、自分の会社の顧問になってくれって言うんだよ』。
そこには毎月30万円ほどの決まった額が振り込まれていました。
当時、先生は連載がひとつもなくなって、不遇の時期だったんです。
またタモリは
『先生、あのベンツ乗らないでしょ。1千万円で譲ってよ』
『キャンピングカー、500万で譲って』
と言っては、代金を払ったといいます。
先生のプライドを傷つけない気遣いなんです」

むろん赤塚もその思いを察していた。

「『タモリの会社なんてホントはあるのかどうかもわからないしさ、ああやって俺のこと助けてくれてるんだろうな』
と言っていました。
いい話だなと思って、通帳をよくみると、1銭も使っていない。
『そりゃそうだよ。芸人なんて2年で飽きられるだろ。そうなったらこの金で俺がタモリを喰わせてやるんだ』と。
赤塚先生が一枚上手だった」
(以上引用 週刊文春)
【強い優しさ】


事故にあい、
足が不自由になってしまいました。


車椅子なしでは外出もできませんし、
トイレも昔のように
スムーズに行うことができません。

そんな私からは
友人たちも離れていきました。



でもたった一人、
事故にあう前からずっと私のそばには
彼がいてくれるんです。


何度も八つ当たりしました。

物を投げつけたり、
ひどいことを言ったり、
自殺をはかろうとしたり・・・

今思うと恥ずかしいですが、
この世で自分が一番不幸だと思っていました。


でも彼は私の側から
離れていきませんでした。

リハビリ、

トイレ、

嫌な顔一つせずに介助してくれました。

引きこもりがちになっていた私を、
何度も外に連れ出してくれました。



そんな彼とこの間、
食事をしに行った時のことです。

順番待ちをしていると、ぐうぜん彼の友人達と会い、
誘いもあったので相席することになりました。


そして食事中、
彼の友人達が笑いながら話してきたのです。

「まだ付き合ってたんだ」

「○○は正直面倒だろ、まだ若いんだし新しい彼女を作った方がいいんじゃない?」

「セックスもできないんじゃなー」

「彼女ちゃんもさ、考えたら普通別れるよね」と。


その言葉に対して彼は

「うん、そうだな。」

と答えたのです。



心が痛みました。

言葉では表現できない感覚でした。

やはりお荷物だったのか、
同情だったのか・・・

涙があふれてきました。


しかし彼はそのすぐ後に
言葉を続けたんです。


「でも、俺は迷惑だとか思ったことは一度もないし、
違う彼女がほしいと思ったこともない。

お前らの彼女の基準は
セックスできるかできないか、なのか?

だったら寂しいな。


足が不自由だろうが彼女は彼女だ。
俺はこの先もずっと一緒にいるよ。」


そう言って
食事代をテーブルに置き、

「行こう。」

と私を連れ出してくれました。


店から出た後、

「そう言う事だからさ・・
もう泣くなよ。」

と笑いかけてくれる彼を見て、

ああ、この人に巡り合えてよかった
と感じると同時に、
私は幸せだと心から感じました。


人に優しくあるためには
強くならなければならない。

弱い優しさなんて存在しないよ。


大切な人を傷つけられたら
どうか全力で戦ってください。
神の祝福を信じて 後半
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=469574133&owner_id=535251

神の祝福を信じて 前編
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=469223452&owner_id=535251

私のとても大切な方が書かれた手記です。彼女の歩んできた人生が書かれてます。

彼女はボロボロになりながらでも、一つの微かな光を追い求めてました。

私も彼女ほど壮絶ではありませんが、同じ光を求めているのかもしれません。

ログインすると、残り13件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

感動したい・感動させたい 更新情報

感動したい・感動させたいのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。