ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

京都を楽しむ会(^O^)コミュの伊藤若冲?(^O^)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
1755(宝暦5)年、40歳になったのをキッカケに 店を弟『宗厳』に譲り、楽隠居の身になるまでの17年間 『若冲』が桝源主人でしたが その当時の 青物問屋の経営は、有能な働きぶりと 言いたいのですが 実際は、商売に不向きな性格で 始めは その感情を押し殺し 頑張ってきたのですが、次第に あらわになっていたみたいです(^_^;)
『平賀白山』の「蕉斎筆記」が伝えるには、遂には店をほったらかして 丹波の山奥へ2年ばかり 蒸発してしまい、その留守につけ込んで桝屋の株を奪おうと 策謀する者が出る程でした(^_^;)
『若冲』も そのままではマズいと、自ら事態収拾に乗り出し 事なきを得ました(^_^;)
彼が、店を弟に譲って引退したのは この後すぐだったみたいです(^_^;)
だからといって、光琳(伊藤若冲の生まれた年が、ちょうど没年にあたります)のように 親の遺産を使い果たすという風流者ぶりを発揮したかというと、そうではないみたいです(^_^;)
「凡ソ声色宴楽、人ノ娯ム所、一モ狗ル所ナク」
と、彼と因縁深かった相国寺の僧『大典』が、「小雲棲稿」の中 「藤景和画記」で証言しているところを見ると、どうやら無趣味で 稽古事はおろか、女遊びにも興味を示さぬ堅物だったと思われます(^_^;)
「楽ヲ好マズ、字ヲ能タセズ、凡ソ百ノ技芸、一モ以テスル所無ク」
というから、世間嫌いの変わり者にすぎないのですが その彼にも、仏教 とくに“禅”への思い、絵画に対する関心は 凄かったんです(^O^)人差し指
浄土宗徒の家に育った4代目桝屋源左衛門が、いつ どのような機縁で 禅に親しむようになったかは、明らかではないですが 彼が『若冲』という居士号を用いるようになった時期は、作品の署名を手掛かりに 30歳代半ばと推定されます(^O^)人差し指
居士とは、出家しないで仏門に帰依する男女に与えられる称号です(^O^)人差し指
「老子」第45章中の
「大盈(たいえい)は冲(むな)しきが若(ごと)きも、其の用は窮まらず〔最も充満したものは空虚のようにみえるが、それを用いても いつまでも尽きることがない の意味〕」に由来する『若冲』の居士号を 桝源主人が得た時期は、彼が相国寺の僧『大典』を知った時期に ほぼ相当するようです(^O^)人差し指

コメント(2)

伊藤若冲は、スーパーおじいちゃんなりよー

得意の鶏の絵、模写から始まり ワシの描きたいのはこんな絵じゃない〜 

と、行方不明にもなり
飼っていた鶏の絵を描く為に観察しまくり

ようやく開眼←ココガスゴイ
すぐに写生した訳でなく開眼するまで研究?してるし……それから写生しまくった。

綺麗な絵も好きだけどこの人の面白い絵を見つけると
ビックリするほど楽しいよ(@_@)
なるほど(^O^)人差し指
確かに 凄い繊細な線描写かと思えば、デフォルメチックな描写も なかなか素敵ですね(^O^)
襖に 京野菜トマトなすを描いたりも してますよね(^O^)

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

京都を楽しむ会(^O^) 更新情報

京都を楽しむ会(^O^)のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング