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JCPと国民統一戦線の建設コミュの【数年経っても今も変わらぬ芝田進午氏への共感】

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芝田進午『実践的唯物論への道 人類生存の哲学を求めて』を読む〜人類生存の哲学の構築の礎〜
2016-08-27
2013/3/13 櫻井 智志
(*この文章は以前書いたものである。思うところあって再掲した。)

 『実践的唯物論への道 人類生存の哲学を求めて』(青木書店)は、著者芝田進午氏をめぐり、三人の編者―平田哲男・三階徹・平川俊彦の諸氏が対談と聞き取りをもとに、一冊の本にまとめたものである。
 芝田氏が2001年3月に胆管がんで逝去されたのは、この著作をまとめている途上であった。それゆえこの対談集は、後半からは芝田氏自身が手をいれる作業が中途で断たれ、後半では芝田氏の構想がやや不十分なままで出版されざるを得なかった。それでも、極めて本質的な課題に触れているため、読み応えのある遺著となっている。
 冷戦は、軍備拡張競争を政策方針としたレーガンらアメリカ支配層のもと、軍事産業の畸形的発展により、国内社会に大きな歪みを生じさせたソ連の決定的ダメージにより、アメリカ一国覇権主義の圧勝で終焉した。この結果は、アメリカの繁栄というよりはその後の世界的停滞と紛争多発を招き、深刻な世界的政治・社会情勢となって今に至っている。

 ソ連邦共産党は解体し、国際共産主義運動は瓦解した。スターリンのみならず、レーニンやコミンテルンについての否定的論潮が出ている。最近日本共産党の元議長不破哲三氏は機関誌『前衛』誌上でスターリンとコミンテルンの批判的連載を執筆している。日本でもかつてのようなマルクス主義に対する知識人の信頼は縮小し、あるいは崩壊し て、既にマルクス主義社会科学は戦前の多くの進歩的知識人から集めた栄光とは縁遠い。なにをいまさら、芝田進午だ、という声もきく。マルクス主義は問題解決能力を喪失したという発言さえ出てくる時代となった。

 だが芝田氏の学問は、いつでも時代が解決を要する切実な問題を解明するために、自らが主体として問題との緊張関係に立ち、その矛盾を解決する実践的姿勢に立脚していた。金沢の商家に生まれ軍国主義少年として、陸軍幼年学校で十五歳の八月十五日を迎えた。四高から東大哲学科に進んだ芝田氏は、ドイツ古典哲学と社会科学方法論を深く学ぶ。出隆教授のゼミナールであった。
 芝田氏がいかに実践的唯物論を自らの学問的方法として形成し展開していったか。一人の若い知識人が戦後日本の激動に関わり続けた誠実な軌跡をたどることができる。芝田は五〇年勤続の共産党員であり、スターリニストの最たる者だ、という為にする非難を口にする人もいる。しかし、芝田氏は日本の正統派社会主義が陥りやすい傾向に、たえず理論家として少数派に立った。そのことにより日本共産党がまともな運動を推進する為に尽力した。日本共産党の官僚的な傾向や組織的問題に、全面的な反対の政治的立場はとらなかったけれど、痛烈にその誤謬を理論的に指摘し、その克服の展望さえ示した。たとえば、民主集中制についても社会主義の問題についても、民主集中制や社会主義擁護の側に立ちつつ、それらが官僚集中制や帝国主義が存在する限りは、〈対立物の相互浸透〉によって歪められざるを得ない必然性をあきらかにし、克服の手立てを示した。
 そればかりではない。民主集中制を根拠として、中央指導部によって排除されたり除籍されたりした人物に対しても、温かい励ましや言葉かけを惜しまなかったことは、共産党から排除された人間に、共産党員が無視したりあいさつさえ交わさなかった中では際だっていた。そのような党員たちとは全く異質な対応を示した芝田氏には、自らの生活態度においても民主主義を貫いた根本がうかがわれる。

 一九五〇年代。日本の大衆社会的状況をどう把握すべきかという論争に加わった芝田氏は、労働の現代的形態として精神的労働の実態を分析し、そこから労働運動論を構築していった。著しい戦後技術革新は、朝鮮戦争以来の戦争特需で潤い、五〇年代から六〇年代と高度経済成長と資本の高度蓄積過程へと進んでいった。芝田氏は、この経済成長と技術革新の向こう側に、本質論として「科学=技術革命」を想定して、「科学=技術革命」が達成しうる潜在的可能性を積極的に擁護するばかりか、実体論や現状分析としては、高度管理情報社会の危険性や「地球破局」の危険性をも見通していた。
 例えば、生命科学に関する国家の研究が「自主・民主・公開」の原則から大きく逸脱して、国立予防衛生研究所(後に改名し国立感染症研究所)が東京都新宿区の住宅密集地で文教地区に強行に移転した。芝田氏を「生産力主義」と批判する学者は、実験差し止めに芝田氏が原告団長として裁判闘争に長年にわたり取り組み続けたことの理論的意義をどう説明しうるのか。
 芝田氏の科学方法論において、分析的悟性と弁証法的理性とを峻別し、その分析と総合の意味を強調したことは、つとに有名である。たとえば大工業理論についても、歴史的過渡期における機械制大工業の意義を過大評価し過ぎるという批判もある。改訂も構想していた『人間性と人格の理論』で、芝田氏は早くから自然史的過程と人類史的過程とを統一的に把握した。人類史的過程においても、人類は労働の技術的過程と組織的過程において人間として発達する契機を得たとする。労働の技術的過程と組織的過程の統一の概念は、芝田氏の哲学を把握するキイワードである。大工業と労働過程の本質的関連も、本質規定・歴史的分析・実体分析・現状分析による相違と関連の把握が欠落すると、ラッダイト 運動のように本質を見失った闘争形態に陥りやすい。

 このことは、すぐれた政治学者である加藤哲郎氏でさえ、自らのホームページにおいて社会主義の原理において労働からの転換を訴えている。人間発達の契機や言語や認識の形成とも絡めて考察していたことをふりかえると、労働概念の芝田氏の把握を批判するためには、もう少し丁寧な自然史的哲学的批判が必要である。

 遺著に、対談の相手を務めた三人の編者たちは、「実践的唯物論への道」と意図していた。しかし、芝田氏は、「人類生存の哲学」を主張していた。晩年の芝田氏が「実践的唯物論」という名称よりも、「人類生存の哲学」を重視したことについて、私はこう考える。かつての東ドイツに大学教授時代に留学した氏は、東欧社会主義の限界を見極めていた。氏は、アメリカ独立宣言に結集する民主主義人権思想に、社会主義再建の重要なカテゴリーを見いだしていた(大月書店国民文庫『人間の権利』参照)。その芝田氏が、マルクスやグラムシ、国内では片山潜や戸坂潤から再発見した実践的唯物論「だけ」にとどまらず、広く多くの思想と哲学、宗教にも目を向けて、核兵器とバイオサイドとによる人類 皆殺し瀬戸際の時代に、「人類生存の哲学」を遺著のタイトルにすることを病床から切実に願った。今日の社会的政治的現状のなかで芝田氏が切実に考えていた思索と情熱とがひしひしと感ぜられる。芝田氏のご逝去後に二〇一一年に大震災のために起きたチェルノブイリ発電所事故レベルの福島原発事故の発生は、まさに「人類生存」が日本から浸食されているいまこそいっそう重要なテーマとなっている。

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