ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

考える糧ゴリーコミュの平和について考える

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
平和に関することでしたら、何でも投稿してください。
本や映画の感想、歌のリンクなど、平和に関係しているものでしたら、お気軽に何でも投稿してくださいかわいい
他のトピックに投稿したコメントも 再び、考える糧にしていきたいと思います。

20連投OKのトピックですクローバー

よろしくお願いいたします(’-’*)♪

★☆★

ぴかぴか(新しい)「憲法九条と安全保障」トピック
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=4843376&id=78603290

「暴走を止める9条を守って、国防する方法」トピックの続きです。
前トピ:
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=77762503&comment_count=1000&comm_id=4843376

運営方針、禁止事項等については
「暴走を止める9条を守って、国防する方法」トピックと同様といたします。

「暴走を止める9条を守って、国防する方法」トピックにおける管理人からの通知を
以下にリンクいたしますので、ご確認願います。

http://mixi.jp/view_bbs_comment.pl?comment_number=158&community_id=4843376&bbs_id=77762503

http://mixi.jp/view_bbs_comment.pl?comment_number=285&community_id=4843376&bbs_id=77762503

http://mixi.jp/view_bbs_comment.pl?comment_number=671&community_id=4843376&bbs_id=77762503

http://mixi.jp/view_bbs_comment.pl?comment_number=675&community_id=4843376&bbs_id=77762503

http://mixi.jp/view_bbs_comment.pl?comment_number=945&community_id=4843376&bbs_id=77762503


安保法制の是非、戦後70年の平和の意味、近隣国との緊張が高まる中でのあるべき国防政策、
2015年現在の情勢下でタイムリーな、或いは切迫した論点の多い議題です。
皆様のご意見を是非お聞かせ下さい。

★☆★
8月12日、トピックをリンクしました。これからも、トピックをリンクする可能性がありますぴかぴか(新しい)

コメント(59)

Grodek G. Trakl (グロデク  G.トラークル)

Am Abend tönen die herbstlichen Wälder(夕暮れに秋めく森にこだまして)
Von tödlichen Waffen, die goldnen Ebenen(死を呼ぶ火筒が鳴り響く 金の平地が)
Und blauen Seen, darüber die Sonne(そして青い湖が。その上を太陽が)
Düstrer hinrollt; umfängt die Nacht(いっそう陰鬱に転がっていく;夜は包み込む)
Sterbende Krieger, die wilde Klage(死にゆく戦士と,傷つき裂けた彼らの口の)
Ihrer zerbrochene Münder.(荒々しい叫びを)
Doch stille sammelt im Weidengrund(とはいえ,密かに柳の谷底に寄り集う)
Rotes Gewölk, darin ein zürnender Gott wohnt(怒れる神が住まう赤い雲が)
Das vergoßne Blut sich, mondne Kühle;(注ぎこぼれた血が,冷たい月が;)
Alle Straßen münden in schwarze Verwesung.(路はみな黒い腐敗へと続いている。)
Unter goldnem Gezweig der Nacht und Sternen(夜の金色の枝組みと星々とのもとで)
Es schwankt der Schwester Schatten durch den schweigenden Hain,(妹の影が沈黙の森をぬけてよろめいていく)
Zu grüßen die Geister der Helden, die blutenden Häupter;(英霊たちに,血をながすその顔々に挨拶を交わそうと;)
Und leise tönen im Rohr die dunklen Flöten des Herbst.(するとひくく葦の茂みの中で暗い秋のフルートが響いている。)
※翻訳は『ドイツ名詩選』(岩波文庫)を参考にしています。


反戦、平和詩ではありませんが、オーストリアの詩人ゲオルク・トラークルが第一次大戦の激戦地の一つであるグロデクについて書いた詩です。彼は戦争に従軍し、その惨状でおかしくなり、モルヒネ中毒で死亡します。いくつか詩やフレーズを思い浮かべたのですが、今夏はこれで。
>>[20]
こんにちは。はじめまして。

ご指摘の件、至極最もでいつもどっちつかずの曖昧な発言をする自分には耳の痛い話です。
最近は応仁の乱について書いて、そこそこ売れた歴史学者さんが不確かな情報を信じる危険と陰謀論に飛びつく心理を指摘しているところのを読んで、情報の取り方には十分注意しないとなあ、と他人事みたいな感想を持ったものです。その中でも学術的に検証を受けた学説の重要さが指摘されていました。私も少しばからですが、その界隈の世界を知っていますので、例えば、一つの論文が完成されるまでにどれだけの目に晒され、批判されるのかはある程度知っています。そして、その論文が新しいもの、注目を浴びるものであればあるほど、タコ殴りの検証がなされ、その信憑性が吟味されます。革新的な科学論文が瞬く間に撤回に追い込まれるのはさほど珍しいものではありません。

私たちは発信が簡単になってしまって、あのカビ臭い象牙の塔の試練を経ずして、好きなように言葉を並べることが可能になっています。いやはや、自制しなければいけない、自戒しなければいけないのは、なかなか辛いものです。こんなに好き勝手かけるメディアがあるのに、私はなぜかがんじがらめなんですよ笑
>>[19]の続きですクローバー

日本が、他の国との協力関係なしに、 国民の命と平和な暮らしを守り抜く国であり続けることは 極めて難しい国際状況であることは理解できます。 >>[12]

北朝鮮の核開発が進んできたのは、国連制裁を事実上の無効化してしまうことに手を貸してきた国や非合法の組織があると言われています。

外貨獲得、部品供与、先端技術の提供。

安保常任理事国の、中国、ロシア等が北朝鮮への制裁に消極的であったことは、ご存知の方は多いと思います。
また、懸念される過去の事実として、
中国、ロシアの軍事関連企業が製造した車両が、北朝鮮に輸入された後に改造され、多連装ロケットを搭載した車両になっていたり、ICBMの新型移動式発射台になったということは 報道番組でも指摘されていました。

それから例えば、北朝鮮の海運会社「オーシャン・マリタイム・マネジメント(OMM)のネットワークは、世界中に広がっているという記事も読んだことがあります。

国連の専門家パネル委員を務められた、
古川勝久氏の『北朝鮮 核の資金源「国連捜査」秘録』は、驚く内容です。

>>[20]
ありがとうございます(’-’*)♪クローバー
安全保障に関する情報については、難しいケースもあるでしょうが、一般市民である立場からも情報操作に惑わされることが少ないように心がけたいと考えています。
>>[21]
ありがとうございます(’-’*)♪クローバー

>>反戦、平和詩ではありませんが、オーストリアの詩人ゲオルク・トラークルが第一次大戦の激戦地の一つであるグロデクについて書いた詩です。
>>彼は戦争に従軍し、その惨状でおかしくなり、モルヒネ中毒で死亡します。
>>いくつか詩やフレーズを思い浮かべたのですが、
今夏はこれで。
★☆★

ゲオルク・トラークルという詩人が戦争に従事した後、どうなったかを知り>>[21]の詩を読むと
鋭い何かがせまってくるように感じました。
頓珍漢なことを書きます。組織をまとめる効率的で簡単な方法が、外部に敵を作ることなんです。そうすると内部に緊張が走り組織は一枚岩になります。組織を国家に置き換えましょう。自国を有利にするために敵、仮想敵国、戦争の相手を作るというのは良くあることではないでしょうか。参謀は軍需産業でしょうか。平和は祈りです。平和は願いです。しかし、そうではない人、戦争が商売の人もたくさんいます。国民国家が出来て、まだ4百数十年しかたっていません。私たちは国境を越えた連帯を模索する必要があるのではないでしょうか。今は流動的な時期です。慎重に、一歩ずつ歩みたいものです。
>>[25]
どうもです。私は詩や小説や評論を挙げるにあたって,できる限り,作者の人生や作品が書かれた背景を紹介することが好きではないのです。なぜなら,往々にして作品それ自体よりも作家の伝記的事実が前面に出てくるからです。つまり,作品の解釈に予断が入ってくるからです。

それでも何の事前情報もないと作品を共有する糸口さえつかめませんから,何かしらを記す必要があります。この匙加減がいつもいつも悩ましい限りです。

だから,私としては,トラークルの生涯と作品を結び付けて「鋭い何かがせまってくる」とすれば,その「何か」が別の言葉に変換されて初めて〇永遠さんと作品を共有することができたと受け止められます。

例えば,私はこの詩から受けた強い印象はほとんどがそのリズムに,一部は色に起因しています。この詩は描かれている内容に反して,非常にリズムか一定で静かなのです。韻律に乱れが少なくて読みやすい。

ああ,これが戦争のリズムなんだ,と。軍歌や軍隊の規律とは位相が違うけれども,戦争は一定のリズムで紡がれるもの,戦争のリズムは正気と狂気のオセロゲームみたいなものだ,と。
>>[27]
こんにちは。
私は国民国家を超えた連帯と聞いて、いつも19世紀のハプスブルク帝国を思い浮かべます。この帝国は「ヨーロッパ最後の中世」であり、古い階級と秩序に支配された、決して先進的とは言えない国家でした。しかし、ただひとつ、すなわち、かの国が最後まで国民国家ではなくて、多民族国家としてあったことによって、「国民の敵」を作らなかった点が注目すべきことだと思っています。具体的には19世紀から20世紀初頭にかけて、ユダヤ人に対して制度的な差別を禁止していたのが、制度的後進国であるハプスブルク帝国の姿でした。

このことは多民族を抱えることによる、つまり、支配階層のドイツ人が人口の圧倒的多数を占めるわけではなかったことによる、政治的な判断に過ぎないわけですが、この国が少数民族の人権に配慮した制度を敷いていたことには不思議な気持ちになります。(あくまで、「制度的」な話です。実態はいわずもがな。しかし、皇帝陛下の目の届く限りは、民族による差別は許されなかったわけです。あ、言葉遊びのレベルですが、階級による「区別」はありました笑)

ハプスブルク帝国が崩壊した後、ユダヤ系のホフマンスタールという詩人が面白いことを主張しています。この人は19世紀末から20世紀前期にかけて、「天才」の名を欲しいままにした作家です。日本では岩波文庫の「チャンドス卿の手紙」あたりで知られているか、あるいは、オペラ『薔薇の騎士』の脚本家として知られているかどうかですが。
彼は熱狂的なハプスブルク復古主義者で、独自の「保守革命」理論を展開します。

彼の「保守」は神聖ローマ帝国の復活です。この意味は、皇帝という超法規的な精神的支柱のもとに政体、民族がゆるやかにつながる連邦国家という構想です。この主張の面白さは、今のEUのように連帯の支柱を民主主義とか基本的人権とかいう近代的な価値観ではなくて、皇帝という剥き出しの実態に求めたところだと思います。実際、19世紀から滅亡までの多くの期間に帝位にあったフランツ・ヨーゼフ2世は国民から絶大な敬意を払われていたという事実がありますから、この感覚は分からなくもないです。

私はハプスブルクという名によって、進歩の持つ、後進性を超えた野蛮さを思い浮かべるのです。
>>[32]
こんにちは。
Fさんはインテリさんなんですね。面白い考察です。近代をどう捉えるのか。近代を相対化していることが凄いと思いました。
平和ですね。それは戦争の無い状態として消極的に定義されるものなのでしょうか。
私たちは常に過去と対話する必要があります。明日を生きるために。
>>[7]
それから、
広島は8月6日、長崎は8月9日に、平成最後の原爆の日を迎えたことになります。
原爆被害の悲惨さを世界に語り伝えることのできる平和教育は、とても大切なことなのだろうと改めて思いました。
>>[6]>>[8]
>>[27]
>>頓珍漢なことを書きます。組織をまとめる効率的で簡単な方法が、外部に敵を作ることなんです。そうすると内部に緊張が走り組織は一枚岩になります。組織を国家に置き換えましょう。自国を有利にするために敵、仮想敵国、戦争の相手を作るというのは良くあることではないでしょうか。参謀は軍需産業でしょうか。
>>平和は祈りです。平和は願いです。しかし、そうではない人、戦争が商売の人もたくさんいます。国民国家が出来て、まだ4百数十年しかたっていません。
>>私たちは国境を越えた連帯を模索する必要があるのではないでしょうか。今は流動的な時期です。慎重に、一歩ずつ歩みたいものです。
★☆★
ありがとうございますクローバー おっしゃる通りです。
参謀が軍需産業だという点は怖いです。各国は巨大な利益をうみだすマネーゲームにも抗えないようにも思えます。
それでも 国境を越えた連帯を模索する平和への思いは、決して無力ではないと考えています。

自国の安全と穏やかな暮らしを守り抜くこと、世界の恒久平和の希求、それが矛盾しない道は必ずあるのだと、連帯を模索していく方策を諦めないでくださいと
世界の指導者達にもお願いしたいです。
>>[34]
近代は未完のプロジェクトですから笑

さて、平和です。ロバート空間さんは、平和を「願い」「祈り」と結びつけました。私の解釈からするとそれは「平和という希望」と言い換えられていきます。私は「希望」という理念を「常に未来に、厳密に言えば、希望を抱く人々がいるとすれば、その人とは全く関係のない未来へ投射されるもの」だと捉えています。誤解を招くような言い方をすれば、希望が希望である限り、その思いは常に未来に先送りされていくものだと考えています。

ですから、平和という希望を現実に引き戻すには(極めて社会主義的な言い回しですが)「希望の政治プロセス化」が必要だと主張できます。「政治化」が希望を現実に引き寄せることだとすれば、「プロセス化」は希望を引き寄せる行為を継続的なものに変えていく仕組みです。(私が少しばかり専門的な知識を持っている文学の世界においては、)このことを最も実現していたのはギリシャ文化です。これはこれで長くなってしまいますので割愛しますが、ギリシャの民主制にギリシャ悲劇が担っていた役割が、「希望の政治プロセス化」のモデルです。

これには、例えば、広島の平和運動とか、戦争体験を語り継ぐ取組にも似た要素があります。ただ、ギリシャのようにいかないのは、私たちの世界の多様化と経験の貧困化のせいです。今の世の中では、ギリシャ人にとってのギリシャ悲劇の現実感よりも、戦争の現実感のほうが薄いのです。
今のところ、従来の「希望の政治プロセス化」は袋小路にあります。しかし、私はヴァルター・ベンヤミンという人の「経験の貧困」を読むたびに、また別の方法があるのだろうと考える次第です。

政治の話は憂うつです。ペーター・ハントケではありませんが、私もこんな憂うつな話題を後にして物語の世界に還っていきたいと思います。
ヴァルター・ベンヤミン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%A4%E3%83%9F%E3%83%B3

第二次世界大戦勃発後、原稿の散逸を恐れてパリ市内の国立図書館に原稿を隠した。このときに原稿を受け取って秘匿に協力したのは、当時国立図書館の司書を務めていたジョルジュ・バタイユである。

終戦後に発見されたこれらの原稿はほとんどが出版されており、ほかに新たに発見された原稿もある。

>>[26]

>>[23] 〇永遠さん
“国連の専門家パネル委員を務められた、
古川勝久氏の『北朝鮮 核の資金源「国連捜査」秘録』は、驚く内容です。”

>>古川勝久さん、全然知らない方なので、ちょっとググってみました

>>≪元国連捜査官が見た北朝鮮「ブラックホール」(12)≫
“「北朝鮮は、新しい安保理決議が採択されるたびに反発して、核実験やミサイル発射実験を繰り返してきました。実は既存の安保理決議だけでも制裁措置を拡充できるのです。例えば安保理本会議ではなく、その下部組織の北朝鮮制裁委員会で対北朝鮮禁輸品目リストを大幅に拡充することができます。地味ながらも、かなり強力な制裁措置です。真綿で首を絞める──。目立たないので、北朝鮮としても大々的には反発しにくい。日本政府がやってきたのはパフォーマンス重視の『見せかけの制裁』。そんなものは不要です。まずは日本政府内に制裁の『司令塔』を設けて、法律を整備し、全省庁が一丸となって協力する。海外にも積極的に出ていって、制裁履行を実務支援することです」”

>>ふ〜〜ん、そういう主張なのね

★☆★

お忙しいのに、『北朝鮮 核の資金源「国連捜査」秘録(新潮社)』の著者 古川勝久氏についてググってくださってありがとうございます(’-’*)♪

北朝鮮核開発の進み方の早さは、日本にとっても大きな脅威です。
また、日本は北朝鮮の活動の対外活動の大きな拠点の一つになっているとも言われています。

非合法の取引を実際に取り締まれないのでは、「最大限の圧力を加える」という言葉は見せかけの制裁の効果しかないように見えてしまいますね。



( ミスのため、自コメ35を削除して同じ内容をこちらに書きました。 スミマセン)

私は実際の政策に対してどうやこうや言うのが苦手です。結局、何か政治が決定をした時に、何が変わっていくのかを予想して、私自身の裁量でできる限りのことをするのみです。

ですから、北朝鮮への経済制裁とか核開発とか、私自身の生活と結び付かないか、結び付いても私の裁量ではどうしようもないことに対して批評する言葉がありません。

ただ、経済制裁をより実効的なものにする措置をとった時、より多くの人たちが苦しみ、死ぬことになるのかなあと想像するのみです。そして、北朝鮮で苦しむ人がいる限り、核開発は止まらないと朧気に思います。

昔、大河ドラマ『秀吉』で、いわゆる「三木の干殺し」「鳥取の渇殺し」のエピソードの時、秀吉の母親である、市原悦子さんの演じる大政所が、食べられない苦しさをよく知っている息子が徹底的な兵糧攻めをすることに困惑するシーンがありました。

北朝鮮国民の死に誰が責任を負うかと言えば、第一義的に金委員長に帰せられるかもしれませんが、鉛筆一つでたくさんの人を飢えさせる勇気と責任を負えますかと言われれば、私は負えませんね。
>>[45]

そういう人たちのお陰で、憲法上日本国の主権者の一人である私自身が、厳しい選択から背を向けて、良心の呵責も覚えずにぬくぬくと平和ぼけを続けられているとすれば、私と彼らは共犯者です。

そして、私は法廷で叫びます。「私は善良だった」と笑
>>[47]

アーレントが指摘した「悪の矮小さ」がスキャンダラスなのは、先の大戦の責任を戦争を経験した全ての人たちに拡散させる可能性があったからだと思います。少なくとも、人々の心に巣食う良心の呵責を激しくかきむしったのは確かでしょう。

私はアイヒマンに言及する時、彼の発言、行動を自分の鏡とするように心がけています。彼の立場だった時、同じことをやったろうか?少なくとも、ああいう破局的な状況にはないにしても、日常のなかで周囲の環境に同化してことなかれ主義を貫いたことはなかっただろうか?(お恥ずかしながらいくらでもあります)

そしてもう一つ。私たちのそういう些細な日常の積み重ねが戦争につながるとしたら、そして、それを自覚しながら生きていかなければならないとしたら、それはそれは辛い人生でしょう、と。

こういう話になると、私はいつもこう煩悶して、「人間には忘却という素晴らしい能力がある。戦争の記憶など途絶えてしまえ。原爆ドームを破壊せよ!」と(心の中で)当たり散らすのですよ。
>>[43]
Fさんとトピックを進めてくださっていて感謝します。
私は遅れてしまいましたし、私のコメントへの返信は後回しで大丈夫ですのでクローバー
そして、考える糧ゴリーにコメントしてくださるお時間の余裕がおありになるヒマジンということでしたら嬉しく有難いです。無理のない範囲で、どうか仲良くしてください(’-’*)♪

[43] ヌーボ
2018年08月22日 06:56
>>[42]
>>〇永遠さん お忙しいのに……って書かれてますが、ヒマジンです(笑)
>>そういえば、平和について語る方はよくジョン・レノンの『イマジン』を例に出しますよね……←相当、コジツケが過ぎますなww○永遠さんもお好きなような気がします(^0_0^)ご多分に漏れずアチキも好きなクチです……
★☆★☆★
ヒマジンとイマジンのダジャレが好きかという意味なら、好きなクチです(^o^)v
ジョン・レノンの「イマジン」という曲が好きかという意味なら、これも大好きです。

真面目に言いますが、深いダジャレだと勝手に喜んでいました。(もちろん、ふとんがふっ飛んだーみたいな単純なダジャレも喜ぶクチですよ)

ヒマジンとイマジン、「ダジャレ」という私の表現が適切でなかったら、訂正してくださいね。

どうしてヒマジンとイマジンを深いと感じたかというと
心が寛いだ、心が自由な「ヒマジン」の状態は、イマジンできるのではないかと考えたからです。
平和な心で、平和を想像し描けるのではないかと考えたからです。

「想像してごらん。国境のない世界を」
「想像してごらん、平和の中で すべての人が生きていることを」
ジョン・レノンの『イマジン』の歌詞のように。

『イマジン』の中には、
「夢想家(ドリーマー)だと、君は言うかもしれない」というフレーズもありますね。

「お花畑」という表現は、政治の対話では揶揄するように使われることが多いですね。
ジョン・レノンの『イマジン』を、お花畑だと思われますか?
『イマジン』の歌詞を、お花畑だと思われますか?
★☆★☆★

>で、いわゆる頭のいい現実主義者は「お花畑」を批判するわけですが、古川勝久氏もそうなんじゃないかな?

>でも、その現実を見据えたはずの主張がどれ程現実を正確に写し取っているのかアチキには甚だ疑問です。そして、これらの言説が平和に貢献するのかも甚だ疑問です。

このあたりを○永遠さんをはじめ皆さんはどう考えるのか興味があります。

★☆★☆★
コメントを分けさせてください。
>>[51]の続きです。
>>[43]より
>>で、いわゆる頭のいい現実主義者は「お花畑」を批判するわけですが、古川勝久氏もそうなんじゃないかな?

>>でも、その現実を見据えたはずの主張がどれ程現実を正確に写し取っているのかアチキには甚だ疑問です。そして、これらの言説が平和に貢献するのかも甚だ疑問です。

>>このあたりを○永遠さんをはじめ皆さんはどう考えるのか興味があります。
★☆★☆★
>>[19]>>[42]の警鐘は、有益な情報だと考えていますが、まだ、日本の国は、一触即発の大きな飛び火の危険性にさらされるのではないかという観点から考えると、
疑問を持たれるのも十分に分かります。
難しいですね、、、。

世界が、段階的にでもいいので、恒久平和に近づいていってほしいという願いを 個人的には持っています。
>>[50]

たしかに偉い人の傲慢さも看てとれますね。実際、目上の人に言われて真面目に悩んでタックルしちゃう青年もいるわけですから。


「汝ら善悪を知りて神の如くならん」です笑
誘われて、講演会に行くことにしようと思っているのです。

https://www.senshu-u.ac.jp/event/20190601-00000746.html
「混乱する世界への平和モデル: コスタリカの軍事放棄と日本の憲法9条の遺産」
マイケル・ドレイリング
(オレゴン大学社会学科教授・映画『コスタリカの奇跡 〜積極的平和国家のつくり方〜(A Bold Peace)』協同監督)

体調が整わないかも知れないのだけど、行ってこられたら、ここに感想をあげさせてください。
>>[56]
■専修大学人文科学研究所 第1回 公開講演会 「混乱する世界への平和モデル: コスタリカの軍事放棄と日本の憲法9条の遺産」■


平和についての講演会なんですね。
ぜひ、感想を投稿してください。
もしも行かれなかった時には、
ご都合がいいときに
行かれた方に聞いたお話でもいいので投稿してください。お待ちしています(’-’*)♪
>>[57]

何ヶ月も遅れてごめんなさいね。
結局、この講演会には行けなかったのですが、映画の内容と登壇した監督の活動について聞く機会があり、選挙もあり、今の社会情勢を考えるに、とてもタイムリーでした。

軍事費を教育と福祉に。

国が税金を何に使うかで、そこに住む国民の生活が本当に左右されると背筋が伸びます。
>>[57]

もう少し具体的に。

軍事予算を教育と福祉に振り分けても、国家の安全が守られるという事例がコスタリカ。映画はそのことをテーマにコスタリカの歩んできた道を描いている。で、この監督が日本の憲法9条が改憲の争点になっていることとそのことに対する国民の認識に関心を持っているというのがこの講演会の内容だったようです。

コスタリカが軍事放棄を決断し、信念を貫いた契機が、日本の憲法9条だったからだとか。

その日本で改憲の流れがある。軍事放棄ということの重み、平和への信念を、今の私たちが共有できていないということだと私は感じています。

最近、防災活動の一環で、避難所運営の考え方を学ぶワークショップに参加してきました。一番心に痛みを感じたトピックは、「排除、分断、我慢の強制、放置」が横行していく状況。避難所がきちんと機能し、復興の道に無事乗ってこられている所は、この要素を全員が信念を持って回避できたところなのだろうと痛感しました。

境遇に格差があり、苦しむ人と楽をする人が分かれてお互いが相容れないような状況に、絶対しないという信念。平和の根っこはここにあると思います。

そういうと難しいように聞こえますが、実は自分たちの普段の日常の考えにもそういうことは起きているんですよね。

違和感がある相手を下に見る、一緒にいたくないと考えてそのことを表明する、損得で考えて損だと思ったら距離を置く、大変そうな所に関わらないようにする。もちろん、すべての問題や差別、困難な人たちに、自分が関わろうとするのは不可能なんですが、ひとづきあいのスタンスとしてだけでも、「円満」に、「みんなが笑顔」を目指していけたらと思わずにはいられない。

そんな風に思った講演会の内容でした。

ログインすると、残り35件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

考える糧ゴリー 更新情報

考える糧ゴリーのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。