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元気な本棚 ほっこりコミュの〈日本の文学 ー その4〉

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コミュ内全体

やや欠け月日本の文学(評論・短歌・俳句なども含む) − 〈その3〉に続き、〈その4〉を作りました。

「日本の文学」とありますが、評論・短歌・俳句なども含めた、大ざっぱなくくりになっています。

引き続き、よろしくお願いします。
どんどん書き込んでくださいねハート達(複数ハート)

 [目次]
 1 『川端康成 瞳の伝説』 伊吹和子・著   PHP研究所

 2 『会津武士道』 中村彰彦・著  PHP文庫

 3 『幕末会津の女たち、男たち』 中村彰彦・著  文藝春秋

 4 『鹿鳴館の貴婦人 大山捨松』― 日本初の女子留学生
                 久野明子/著 中央公論社

 5 『鉞子』― 世界を魅了した「武士の娘」の生涯
                   内田義雄・著 講談社
        (ハート『武士の娘』は〈日本の文学・その2〉に紹介しています)

 6 『絶望の隣は希望です!』  やなせたかし・著  小学館

 8 『ランドセル俳人の五・七・五』  小林 凛・著   ブックマン社
 
 9 『冬の薔薇 立ち向かうこと恐れずに』  小林 凛・日野原重明 (第2章)  ブックマン社

10 『思い出の編集日記』  柴崎俊子・著   阿見みどり・装画   銀の鈴社

11 『六花落々 りっかふるふる』  西條奈加著  祥伝社

12 『10月4日 104歳に 104句 』  日野原重明・著  ブックマン社

13 『 流星ひとつ 』  沢木耕太郎   新潮社

14 『「気」の日本人』  立川昭二・著  集英社

15 『 京都ぎらい 』  井上章一・著  朝日新書

16 『ジョン・マン』(全5巻)  山本一力著  講談社

 

                
                    

コメント(19)

 『川端康成 瞳の伝説』 伊吹和子・著
             PHP研究所(1997年)2400円

ペン著者は、中央公論社出版部の編集者として、昭和36年から逝去までの10年余、川端康成氏と深く関わってこられました。 
〈逝去から25年を閲した今、生前の先生にゆかりのあった方々と、先生の在りし日のことを語り合い、われわれの感じた現身(うつしみ)のぬくもりを再現することによって、あたら宝の山とも言うべき遺産に眼を背けているいわゆる「活字離れ」の世代の人たちに、川端文学の魅力の一端を伝えることが出来たら・・・・・・・と企てて、私の編集者時代にご厚誼を得ていた9氏にお願いしたところ、快諾と賛同を得て、この一本が出来上がった。〉 (まえがきより)
                             
もみじまず、「瞳の伝説」として伊吹和子さんが、次に「縁ある人とともに」として、故人の生涯の年月を追う形で、9人の方々と著者との対談が進められます。その中でただ1人、生前の川端氏をご存じない荻野アンナ氏とは、現在の若い作家の代表として、この遺産をいかに受け継ぐかを語り合われています。

ハートさきさんが、「こんなかわいい人だったとは」とコメントされていましたが、まったく同感でした。魅力ある人間像が浮かび上がってきて、私も、いろいろ作品を読んでみたいと思いました。

 
 9人の中のお1人、精神科医の栗原雅直氏は、昼夜逆の生活の状態から身体のリズムが狂って不眠症になり、睡眠薬に頼るようになった川端氏の治療を担当された方です。
 川端氏は、電気毛布を愛用されていたとのことですが、不眠症の原因の一つは、それが犯人だと言えるとおっしゃっています。

 私も以前、その話を何かで読んだことがありました。現在、電磁波の害について取りざたされるようになってきましたが、当時の電気毛布は、今とは比べ物にならないほど電磁波が強いものだったということです。  


クローバーさきさんより

まっちゃんのおかげで、引き続き川端康成がマイブームです。
今東光夫人や高見順夫人のお話も良かったですね。
晩年の不可思議と思われた行動も、魅力的にさえ思われます。

2007年の芸術新潮2月号「おそるべし!川端康成コレクション」が手元にあり、またそれも引き出して、伊吹さんの本に出てくるお宝と照らして再確認。
ノーベル賞のときも、賞金の5倍くらいの骨董品を買ったようですね。
(下世話なことですがそしたら5億円!?)

伊吹さんが、初めてお宅を訪問した折、床の間の「2歳の聖徳太子像」が気になって・・・というお話、象徴的なシーンだと思いました。
クリスマスイブの日に川端家に来たと言う太子像(鎌倉時代のもの)を、いつも身近に置き「うちのぼっちゃん」と呼んで愛玩されていたそうです。
伊吹さんは、あれで川端さんに認められたのだと思いました。
 『会津武士道』 中村彰彦・著
        PHP文庫(2012年)629円

 中村彰彦さんは、長年に渡って会津史に携わられ、著書も多数出版されています。本書では、著者が“武士道の神髄”と信じる、「会津武士道」について、語られています。

やや欠け月江戸中期に成立した『葉隠れ』には、〈武士道と云うは死ぬ事と見付けたり〉と書かれています。『葉隠れ』は、まだ戦国の時代感覚をひきずっていたともいえ、日本をどうする、日本人としてどう生きる、という大きな視野はまだ育っていませんでした。

ぴかぴか(新しい)著者は、会津武士道は、よくいわれる「死の哲学」ではなく、おのれを生かし他者をも生かす「生の哲学」であったと書かれています。

 会津藩の精神の柱は神道でした。会津藩の初代藩主・保科正之から9代目の藩主松平容保までの9人の藩主のうち、8人が神道によって祀られているということです。
 初代藩主・保科正之の業績、名家老・田中正玄(まさはる)、5代〜7代藩主に仕えた名家老・田中玄宰(はるなか)、そして、藩士たちの生きざまにとても感銘を受けました。

ぴかぴか(新しい)会津武士道の精神は、明治維新後の旧会津藩士とその子弟たちの生き方をも貫く姿勢となりました。
 戦死者を埋葬した「最後の会津武士」・町野主水
 鬼官兵衛と呼ばれたリーダー・佐川官兵衛
 山川兄弟として知られる、山川浩、山川健次郎、山川捨松。
 ドイツ人俘虜を愛国者として待遇した軍人・松江豊寿
 ラフカディオ・ハーンに「神のような人」と評された人格者・秋月悌次郎
 池上四郎 ― 四郎の娘・紀子(いとこ)は、秋篠宮妃紀子様のおばあさまにあたります。

ハート『山本覚馬』− 知られざる幕末維新の先覚者(安藤優一郎・著)も合わせて読みましたが、この2冊を通して、勝者の側から描かれただけではわからない、見落としていた幕末から明治にかけての歴史を知ることが出来、眼を開かされた思いがしました。





 『幕末会津の女たち、男たち』 中村彰彦・著
                文藝春秋(2012年)1400円

 会津関連の本が続きます。本書を読んで、また、たくさんの気づきをいただきました。

もみじ第1章「白虎隊140年目の真実」では、日向内記という人について書かれています。今まで、白虎隊19士が自刀したのは、敵前逃亡した隊長・内記のせいだ、とされてきましたが、会津史を研究する何人かの人たちにより、そうではないことが最近になってやっとわかってきたのです。
 そして、日向内記は、会津藩が滅ぼされ、斗南藩へ移住した生存者の困窮を救うために、ひそかに米や金を送るなど『会津の地下工作の一つ』を担当した、というのです。
 日向内記は、維新後の自身の功をいっさい語ることなく人生を終えました。しかし、粘り強く研究を続ける人たちによってその功徳を知ることが出来ました。
 真実尊い行いをした人の功績や、立派な業績、芸術を残した人が、後年になって認められるということは他にも例がありますが、すごいことです。

 著者・中村彰彦氏は1949年生まれ。昨今の殺伐とした世相の中、戦争を知らない世代の方が、日本人の心を伝える数多くの本を執筆されていることも、とても心強く感じました。

もみじ他に、「西郷一族二十一人、自刀の真実」「消えた女 神保雪子」「松平容保を慕った美貌の姫君」「日英同名を結ばせた男 柴五郎と北辰事変」など。

 『鹿鳴館の貴婦人 大山捨松』― 日本初の女子留学生
             久野明子/著 中央公論社(1988年)1350円

 大山(山川)捨松といえば、鹿鳴館の貴婦人と謳われた華やかな一面にだけライトがあてられ、捨松に関する資料も非常に少なく、長い間、詳しいことはあまり知られていませんでした。

 山川捨松は日本初の女子留学生として渡米した5人の子女の中の一人で、帰国後半年して大山巌と結婚することになります。大山は死去した前妻との間に3人の娘があり、その3女にあたる留子が、著者・久野明子さんの祖母にあたります。

メール著者は、捨松の卒業したアメリカのバッサーカレッジから資料を取り寄せたり、アメリカに渡ってさまざまな資料を探しました。

 ニューヘイブンの町のベーコン家が、捨松を家族同様に受け入れたのですが、牧師であったベーコン氏の孫にあたる、アルフレッド・ベーコン氏との出会いもありました。ベーコン家のアリスと捨松は、年もさほど違わず終生親友の間柄で、捨松が日本に帰ってからもずっと、手紙のやりとりが続きましたが、その手紙も大切に保管されていました。
 本書には、そのアリスへの手紙が何十通も紹介され、捨松の素顔と真摯な生き方に触れる思いがしました。

 帰国した捨松は、日本における大学卒の女性第一号でしたが、日本では結婚していない女性を一人前として扱うことはなく、働く場はありませんでした。
 捨松が選んだ道は、18歳も年上で3人の娘がいる大山巌との結婚で、しかも大山は会津の宿敵ともいえる薩摩の軍人でした。

 捨松はよく津田梅子と比較され、梅子に比べれば、余り際立った活躍をしなかったなどと言われることもありますが、本書との出会いで、いろいろなことを知ることができました。
 我が国初の慈善バザーを開き、成功させたこと。また、自らの望みはかないませんでしたが、津田梅子を助け、華族女学校や女子英学塾設立と運営に尽力し、日赤篤志看護婦人会理事として救援活動を活発に行うなど、制約の多い境遇でも出来うる限り、人のために役立つことを成そうと努められてきたのです。

ハート捨松は、派手なイメージから想像していたのと全く違い、浮ついたところは微塵もない、ひたむきでどんな時も地味な努力を続ける人だったのです。
 捨松の兄 −山川浩・健次郎も、逆風にもめげずに生きた人でしたが、山川家の人々の素晴らしさをあらためて知った思いで、感銘を受けました。

 

『鉞子』― 世界を魅了した「武士の娘」の生涯
           内田義雄・著 講談社(2013年3月)1600円

 『武士の娘』は以前、この欄でも話題になり長く印象に残った本でした。
 本書は、その『武士の娘』の著者である杉本鉞子の生涯をたどったもので、新聞の広告で知ったのは約3か月前。京都市全館の所蔵数が5冊に対し、予約数は29名。多くの方が、この『武士の娘』の作者について書かれた本を心待ちにしておられることがうかがえ、気長に順番を待つことにしました。

クローバー杉本鉞子は、明治5年、旧長岡藩筆頭家老稲垣平助の娘として生まれました。本書の第1章・〈幕末維新に翻弄される父と娘〉では戊辰戦争などの時代背景や稲垣家の家族のことなどを、より詳しく知ることが出来ます。

 鉞子は、アメリカに暮らす杉本松雄と婚約後、英語を学ぶべく東京へ出ます。海岸女学校(のちの青山女学院)で2年間、東京英和女学校で4年間学んだ後、『武士の娘』では、卒業後すぐにアメリカに渡ったことになっていますが、実際には5年間を小学校の教師として働いていたことを知りました。奨学金(生活費と学費の全額)を支給されていた生徒は支給額に応じて、卒業後、一定期間働く義務が課せられたためです。

 終生鉞子を助け、支え続けた、フローレンス・ウイルソンとの出会いと友情についても、詳しく知ることが出来ます。フローレンスなくして『武士の娘』は書かれなかっただろうとあります。


 鉞子は、第2次世界大戦で、最も愛していた2つの国が相戦うという悲しみに打ちひしがれます。

クローバー最後に著者は、『武士の娘』の最終章「黒船」の文章を引用して語られています。
「赤ら顔の異人さんも、神國日本の人々も、今尚、互いの心を理解しおうてはおりませず、この秘密は今も尚かくされたままになっておりますが、船の往来は今なお絶えることもございません。絶えることもございません。」

 “「西洋も東洋も人情に変わりない」のに、大方の人たちにはそれは理解されていない。本当は秘密でも何でもないのだが、言語の違いや文化の違いという壁にさえぎられて、わかりあえないのである。そのためにお互いに疑心暗鬼を生み、誤解を生む。
 鉞子の「黒船」の章は、いまだに不変の章であり、未完の章なのである。”


『絶望の隣は希望です!』 やなせたかし・著 
                小学館(2011年)1400円

 やなせたかしさんが亡くなられたのは、2013年10月13日。あれからほぼ1年になるのですね。
 やなせさん個人については、詳しいことは何も知らずに来ましたが、図書館で自伝を見つけ、ぜひ読んでみたいと思いました。

えんぴつ著者が5歳の時に父が亡くなり、小学2年生の時に母が再婚。弟は、父親が亡くなった時に、すでに叔父夫婦の養子になっていましたが、やなせさんも叔父夫婦にひきとられ、そこで暮らすことになります。医者をしていた叔父夫婦は、とてもよくしてくれ、東京高等工芸学校にも入学できます。ですが、戸籍には彼一人の名前しかなく、孤独でした。

 「奇跡の一本松」のこと、戦争体験や、ガンで亡くなられた奥様のこと、アンパンマンにまつわる話、晩年お1人になられてから病気と闘いつつせいいっぱい明るく生きられたことなど、人間味あふれる著者のお人柄の一端にふれることが出来、生きる元気をいただけました。

ハートちょうどこの本を読んでいる時、買い物に行く道の途中にあったお寺の入り口の黒板に、アンパンマンのうたの一節が書かれているのが、目にとまりました。

 なんのために 生まれてきたのか
 なにをして 生きるのか
 こたえられないなんて
 そんなのは いやだ!

 また、木曜日のお昼にテレビをつけたら、「サラメシ」という番組で、やなせたかしさんの愛したお店の昼ご飯というのを、ちょうど紹介しているところでした。
「からすみ」と「とんぶり」がトッピングされた、シンプルなスパゲッティで、店に来られた時はいつもこれを食べられたということです。さまざまな病気をされ、食事に気をつけておられたというやなせさん。お昼は麺類ときめておられたそうです。
 偶然が二つ重なり、驚きました。            (9月20日の日記より)

クローバー『ランドセル俳人の五・七・五』 小林 凛・著
                 ブックマン社(2013年4月)1200円

 気になっているけど読めない本が多く、本書も後回しになっていました。それが、小林凛君の2冊目の本(『冬の薔薇立ち向かうこと恐れずに』)が出たことを新聞で知り、のん気にしてはいられないと、まず1冊目を読んでみました。

芽超未熟児で生まれた凛君は、何年も続く病院への通院・入院の日々を過ごしましたが、幼稚園の時に俳句と出会い、自分の思いを五・七・五の十七文字で表現するようになりました。
 小学校入学時から、ひどいいじめに遭い、ついに不登校を選択せざるを得なくなります。
 毎朝お祖母さんに連れられて、自然の中を散歩しながら、俳句が生まれていきました。
 お母様やお祖母様の懸命な支えや、祖母と20年来手紙のやり取りをしてきたカニングハム久子先生(ニューヨーク在住の教育コンサルタント)の応援、朝日俳壇へ投句し何度も掲載され、撰者からの心強いはげましもありました。そして、カニングハム久子先生のブックマン社への熱心な働きかけがあり、本書が出版されることになりました。

芽凛君の生い立ちから本が出版されるまでの年月のことが、お母様、お祖母様によって語られていて、とても胸を打たれました。
 また、カニングハム久子先生のアドヴァイスで描くようになった絵も、句とともに掲載されています。
ハート達(複数ハート)たくさんの素晴らしい句に出会い、感動しました。何句かここに紹介しようと思いましたが、迷ってしまいます。季節でもあり、秋の句を選んでみました。

 ススキのほ百尾のきつねかくれてる

 実石榴の音たてて割れ深呼吸

 無花果を割るや歴史の広がりて(無花果は世界で最も古い果物の一つ)


 怒りを感じるのは、学校でのいじめです。先生が平気で見てみぬふりを続けるという神経は、考えられないことです。いじめがなくならないのも当然です。先生が人間らしい心を失ってしまうほどに、今の教育現場はゆとりがないというのでしょうか?
 「思いやりを持ってみんな仲良く」ということを育めない学校教育というものを、根本から改めることが何よりも必要ではないでしょうか。

 写真・右は、2冊目の本(『冬の薔薇立ち向かうこと恐れずに』)を手にした、6年生になった凛君。

クローバー『冬の薔薇 立ち向かうこと恐れずに』  小林 凛・日野原重明
                             ブックマン社(2014年9月)1300円

 2013年に出版された『ランドセル俳人の五・七・五〜いじめられ行きたし行けぬ春の雨』は、多くのメディアで取り上げられ、感動の嵐を呼びましたが、その凛君の2冊目の本が出版されました。
 題名ともなった俳句から、たくましく成長した凛君がうかがえます。

 「羽化したる天道虫や我に似て」
 (生まれたてのてんとう虫の成虫は、柔らかくて未熟で弱くて、小さいころの僕のようです。でも、今の僕はもう弱くはありません。)

 凛君は、祖父が亡くなり、現在母と祖母と犬と暮らしています。
 「もろこしの髭白ければ祖父思う」「茄子の馬祖父乗せ来たる枕辺に」
 「送り火を消して家族はまた三人」

 感性の光る素敵な句がたくさん! 一句一句からイメージが広がります。
 「バッタ捕り跳ねて逃げれば跳ねて追う」「柿若葉自ら光エメラルド」
 「筍をむきて螺旋の塔となる」

揺れるハート第2章の、日野原重明さんとの90歳差の「往復書簡」(俳句のやりとりも)は、とても心温まり感動しました。
 また、『ランドセル俳人の五・七・五』を読まれた全国の方たちから、数えきれないほどの応援メッセージや俳句が届き、その一部が感謝の気持ちとともに紹介されています。
 朝日俳壇の撰者でもある金子兜太さんは解説を書かれ、長谷川櫂さんが色紙を寄せられています。

双子座三重県松坂市の小野江小学校の6年生の俳句の授業では、凛君の『ランドセル俳人の五・七・五』を教材に使い、その感想文集と担任の先生からのお手紙が届き、ぜひうちのクラスに遊びに来てほしいと書かれていて、それが実現しました。
 朝からクラスの皆といっしょに授業を受け、給食も一緒に食べた凛君は、初めて本当の小学校生活に出会えた気がして涙が止まらなくなった、と書かれています。そして2月に再び小野江小学校に訪れた凛君に、クラスのみんなが卒業式をしてくれました。手作りの卒業証書とともに。

ふらふらしかし、猛勉強して合格した中学では、またいじめが始まりました。
 <あとがきにかえて 母・史>よりには、こう書かれています。
 “管理職から返って来た言葉は、「相手の子はしてないといっています」「西村君(凛君の本名)、することが遅いので周りの子がイライラしています」。
 私は耳を疑った。敏捷性のある子、スローな子、色々な子がいて、集団の中で違いを認め合い助け合いながら成長していくのが学校ではないのか。(中略)
 
 「天国の雲より落ちて春の暮れ」

 息子は今、市内の公立中学校に通い、先生方の理解を得て生き生きと学んでいる。”

ハート達(複数ハート)あたたかい心がいっぱいつまった一冊。是非多くの方に読んでほしいです。


本『思い出の編集日記』  柴崎俊子・著   阿見みどり・装画
                    銀の鈴社(2012年)1000円

 最近、銀の鈴社から出ている<鈴の音童話シリーズ>を初めて知り、地味だけれどもキラリと光る作品に心を打たれました。銀の鈴社といえば図書館の児童書の書架に並んでいるジュニアポエムシリーズが思い浮かびますが、それ以上のことは何も知らずに今まで来てしまいました。銀の鈴社についてもっと詳しく知りたくて、この本を図書館で予約しました。
 図書館のカウンターで司書の方が手渡して下さった本は、今まで読んだ中では(豆本は除いて)一番小さい本でした(測ってみるとタテ11センチ余り、ヨコ8センチでした)。素敵な装丁は著者自身によるもの。

クローバー≪著者プロフィール≫
 1937年生まれ。銀の鈴社の創業者。現在は代表を娘さんに任せて編集長。ペンネーム阿見みどりで万葉の花の画を描き、万葉びとと野の花のメッセージを伝えている。
 
  感性を磨く詩心の基盤こそ、子どもの人生を左右すると信じ、少年詩を柱とした「良質なことば」に心をくだいてはじめたジュニアポエムシリーズは、約40年に渡って刊行を続け、小・中・高校の教科書にも掲載されているということです。

ハート小さな本の中身は濃く、著者が出版を通して出会ったさまざまな作家、画家、出版の背景、著者の出版への思いなどが語られていて、広い世界へと私を誘ってくれました。

ハート 鈴の音童話シリーズの中の本は、<日本の児童書・その4> <世界の平和を願って・その4>に掲載しています。
雪『六花落々 りっかふるふる』  西條奈加著 祥伝社(1480円)

教科書で見たことがある、渡辺崋山の肖像画「鷹見泉石」(古賀藩家老・茨城県)
この人が登場する、幕末のほぼ100年ほど前の、物語でした。

若い、西條奈加さんの物語は、面白いです。

六花落々は、雪の結晶に魅入られた下級武士・小松尚七(なおしち)が、蘭学を学ぶ機会を与えられ、殿様の学問相手として懸命に雪の結晶に取り組む物語です。
その彼を見出したのが、古河藩の家老「鷹見泉石」です。
この物語は、若き研究者尚七の目を通した、「鷹見泉石」像でもあるのです。
予備知識なしに読み始めたところ、蘭学者の集まりの中で、渡辺崋山と出会う場面があり、あれっ、すると、あの絵のモデルは、あの人なんだと、気が付きました。本を読む楽しさですね。
 ハート達(複数ハート)『10月4日 104歳に 104句』 日野原重明・著
                 ブックマン社(2015年10月4日)1200円

 日野原重明さんは、この10月4日で104歳の誕生日を迎えられました。
 本書は『百歳からの俳句創め』(2014年富嶽出版)に続き、2冊目の句集になります。

 
 「もう歳だから新しいことにチャレンジできないと思ったら、そこから人は老いていく。人間は、幾つになっても何かを創められる自由を持っている」

 老いの日々、奥様のこと、自宅の庭の植物のこと、平和への想いなどが詠まれ、俳句の合間のページには、日野原さん自作の自由詩や絵画も掲載されています。
 104歳にして、この自由さ、前向きさに感嘆します。奥様も亡くなられ、また、昨年5月には心臓に大動脈弁狭窄症が発見され、移動の際は車椅子となられましたが、なお、プラス思考で生きる喜びを見出され、明るく日々を送られている。

 私よりも40歳も年上の日野原さんに、元気をいただき励まされました。60代で「年やぁ〜、だめやぁ〜」と言っていたら、へなちょこですね。
『流星ひとつ』 沢木耕太郎 新潮社


朝日新聞に連載中の小説。沢木耕太郎の「春に散る」が面白くて、朝刊が楽しみです。
私たちとほぼ同年代と思える、主人公(元ボクサー)の心情に、感情移入します。

それで、久しぶりに沢木耕太郎の本を読みたくなって、図書館で見つけたのがこの本です。

2013年、藤圭子がなくなって直後に出版されています。

若き頃(28歳)の、藤圭子へのインタビューで構成されています。
インタビューは、1979年秋、東京・ホテルニューオータニ40階のバーで。
インタビュー後、原稿が出来上がり出版を目前に、芸能界を藤圭子さんが引退表明し、その後、紆余曲折があり、結局、沢木耕太郎の意思で出版しなかったようです。
出版しなかった理由と、今になって出版した理由は本文あとがきで。

読み始めて、沢木と藤の会話がかみ合わず、つまらない…と何度もやめようと思いながら、根気よく最後まで読んでしまいました。
途中から、少しづつ興味を惹かれていき、最後は納得しました。
読み終わって、無性に藤圭子の歌を聞きたくなりました。
ききたくなったら、ユーチューブ。いくらでも出てくるんですね。うまい!
沢木耕太郎も、藤圭子も二人が好きな「新宿の女」を一番に聞きました。

藤圭子が一番好きだった、認めていた歌手が、前川清。
それは生涯変わらなかったようです。そのことは印象に残ります。

いい人だったけど、内向的で、すぐ家に帰って鯉と遊ぶ、そんな退屈な人生…と思ったそうで、そこは笑えました。
 『「気」の日本人 』  立川昭二・著
             集英社(2010年)1300円

曇り私たち日本人は常日頃、「気」のつく言葉を無意識に使っています。「今日のお天気は・・・」「お元気?」「気をつけて・・・」「今朝は気分がいい」「血圧が気になる」「忘れ物に気がついた」「気が遠くなる」など。

 著者は、≪これほど「気」のついた言葉が多いということは、日本人は「気」という言葉がよほど好きな国民といえます。無自覚に用いられることも少なくないことから、意識の深層にまで浸透していると思われます。それだけに日本人について考えるとき、この「気」という言葉を抜きにしては考えられないのです。≫と語られます。

 ≪日本人は「心」と「気」を微妙に使い分けています。
 社会評論家の赤塚行雄さんは『「気」の構造』で、「『心』というものは、本来、内に向かって閉ざされているものだが、『気』は外に向かって、一種の目にみえない触手のように動いているものなのである」とし、「相手の閉ざされた『心』の中に入る方法は、相手の『気』に働きかけるよりほかに手がない」といっています。
 心も気もどちらも目に見えないもので、どちらも揺れ動くものですが、心はどちらかというと揺れ動きながらも内側にわだかまっているものです。それに対し、気は外に向かって動いていくものであり、それによって心は外部とつながっていくのです。≫


ハート長年当たり前のように使ってきた、「気」という言葉について、私が初めて意識したのは、貝原益軒の養生訓(工藤美代子・自由訳)でした。辞書を引いてみても、「気」のつく言葉が実に多いことに驚かされました。それ以来ずっと、日本人と「気」について、もっと詳しく深く知りたいと願ってきたのですが、思いがけず本書と出会うことが出来、喜びで一杯です。
 まず、平易に書かれていることがありがたかったです。そして、短歌や文学作品など、多彩な文献から、様々な「気」のつく言葉を引用しながらの味わい深い話に、心の栄養をたっぷりいただいたような「気になりました」。

 いろいろ興味は尽きません。ぜひお薦めの一冊です。
 『 京都ぎらい 』 井上章一・著
             朝日新書(2015年9月)821円

 著者は嵯峨に生まれ育ち、今は宇治在住とある。「洛外」育ちの著者は、何かにつけ、京都と呼べるのは「洛中」のことで、著者の住む嵯峨は、「洛中」の人からは京都とは認められていないと思い知らされてきた。山科も宇治も嵯峨と同様であるという。

 私が京都で暮らし始めたのは33歳の時。それから31年近く京都で暮らしているが、私の根っこは丹波にあり、根っからの京都人ではない。だから、この本に書かれている、「洛中」が京都であり、嵯峨などの「洛外」は京都ではないという考えもない。むしろ、近代化したビルが立ち並んでいる京都の中心部より、嵯峨などの自然の残っている場所の方が、京都らしいというイメージすらいだいている。生まれてからずっと京都で暮らしている主人は、私を田舎の人と思っているし、たぶん私は京都のことをよくわかっていないのだろうが。

本のっけから杉本家住宅に行った時の出来事が書かれている。山科に嫁ぐことは、東山が西に見えるからと受け入れられない女性のことも出て来る。
 「お坊さんと舞子さん」「仏教のある側面」「歴史の中から、見えること」「平安京の副都心」など、著者独自の視点から語られる“京都論”は、とても面白かった。

 なかでも、<あとがき>に書かれていることは、根っからの京都人ではない私にも、とてもよくわかる気がした。
 「七(しち)」を、京都人は「七(ひち)」と呼ぶ。「七条」と書いて、「ひちじょう」と呼ぶ。「上七軒」は「かみひちけん」と言う。しかし、今の決まりでは東京中心に合わせることを強いられる。「七」は、「ひち」ではなく「しち」で統一されてしまい、従わざるを得ない。
 「上七軒」は私の住んでいるところから、自転車ですぐのところにある。「上七軒」は、まさに「かみひちけん」で、「かみしちけん」と呼ぶのはちょっと違う、というのはよくわかる。
 著者はこのことについて、この本の出版社の朝日新聞社にも、「しち」で押し切られたと書かれているが、最初に「上七軒」という言葉が出てきた一箇所だけは、「上七軒」と書いて「かみひちけん(ママ)」とルビが打ってある。泣き笑いしそうなたった一つの譲歩。あとがきまで面白く読めた本だった。

 なお、先日読み終えたこの本が、2016年の新書大賞の第1位を受賞したことを、新聞で知った。快挙である。さぞかし著者も溜飲が下がったことだろうと想像する。
 
『ジョン・マン』  山本一力著 全五巻  講談社

ジョン万次郎さんのことは、以前、まっちゃんが紹介されていたな・・と、先ほどから探して探して・・
たどり着きました。
外国文学のところでした。マギーブロイス著。
たぶん次はこれを読んで、それから、万次郎さんの子孫が書いたものも読んで・・と、この夏は、ジョン万次郎で乗り切るぞ!とワクワクしてきました。どれも図書館に在庫。
まっちゃん、高知出身の山本一力さんの「ジョン・マン」も、面白いですよ。
彼の運命を好転させたのは、素晴らしい船長さんとの出会いのようですね。

以前、竜馬を読んでいた時に、ジョン万次郎と出会うシーンがあって、
とても面白いじいさんだった…と、印象を語っていたように思います。
鎖国から開国への日本の大きな転換期に、大型船舶を操縦する技術を身に着け、アメリカ東部仕込みの訛りのない美しい英語が話せる日本人が出現したと言う、巡り合わせ。
勝海舟に引き立てられ、咸臨丸に乗り込むなど、幕末の歴史に深くかかわってきます。
船長さんの子孫と、万次郎の子孫は5代にわたって交流が続いているそうです

全5巻ですが、読み終えるのが惜しい。ちょうどいま3巻目。4,5が楽しみですが、貸し出し中。
この夏も、素敵な日本人男を発見!です(笑)
『無私の日本人』 磯田道史・著
            文藝春秋社(2012年・のち文春文庫)


 テレビでお顔はよく存じ上げているのですが、著書を読んだのは本書が初めてでした。
 本書には、江戸時代に生きた「無私の日本人」の物語が三つ収められています。

複数本まず、武士にお金を貸し、利子で郷里を潤す、という前代未聞の大事業を八人の同志とともに成し遂げ、貧困にあえぐ仙台藩吉岡宿を救った『穀田屋十三郎』。
 つぎに、荻生徂徠に学び、日本随一の儒者になるが、仕官せず極貧生活を送り、万巻の書を読んだ末に掴んだ心理を平易に語り、庶民の心を震わせた『中根東里』。
 そして、三人目は『太田垣連月』。絶世の美人だったが、不幸な結婚を経て出家。歌を詠み、焼き物を作って生活し、内戦を早く終結させるよう西郷隆盛を諌める歌を送ったことでも知られています。のちの文人画家、富岡鉄斎との出会いについても書かれています。連月なくしては鉄斎の大成はなかった。ここでも感動しました。


ペンあとがきの中で、こんなことが書かれています。
 ≪若いころは、お金がなければ、それなりに偉くなろうと試みなければ、ちゃんと暮らせないのではないか、と不安にとりつかれやすいものである。しかし、ここでとりあげた三人とつきあうにつけ、なるほど、このように過剰な清浄を生きても人間は幸せでいられるのか、と思い、ほっとした。 (中略) 本当に大きな人間というのは、世間的に偉くならずとも金を儲けずとも、ほんの少しでもいい、濁ったものを清らかなほうにかえる浄化の心を宿らせた人である。この国の歴史のなかで、わたしは、そういう大きな人間をたしかに目撃した。その確信をもって、わたしは、この本を書いた。≫
 本書は、著者にお子さんが生まれ、いつか読んでくれたら、という思いをこめて書かれた、ということです。

 この地味な本に出合えたことを、心から嬉しく思いました。
ハート達(複数ハート)『季語、いただきます』 櫂 未知子・著
                  講談社(2012年)1500円


 俳句は大好きですが、もっぱら鑑賞するのみの私。NHK俳壇、朝日新聞の俳句は毎週楽しみにして必ず見ていますが、そのNHK俳壇でお馴染みの、櫂未知子さんの著書を図書館で見つけ、肩のこらない内容に、私のようなものでも読めそうだなと借りて帰りました。

もみじさまざまな季語を中心にして、随所に散りばめられたユーモアが楽しいエッセーです。
 「ルーツ雑煮」からはじまって、「俺に気があるな季語」「ダイエット季語」「悪夢の季語」「風にのる季語たち」「調達する男」など、各章の題名が個性的で、はて?どんな内容かなと入っていくと期待を裏切らない内容で、楽しみながらたくさんの発見をさせてもらいました。こわばった頭を柔らかく揉みほぐしてもらい、リフレッシュできた気がします。

芽著者は、このたび「櫂未知子句集『カムイ』」(ふらんす堂)で、第57回俳人協会賞を受賞されたということです。
 『ここ過ぎて』― 白秋と三人の妻 ―
            瀬戸内寂聴・著
            瀬戸内寂聴伝記小説集成・第一巻 文藝春秋社(1989年 第一刷)

 
複数本≪白秋は生涯に三人の妻を持ち、二人と離婚している。俊子,章子、菊子。俊子は隣家の人妻で、白秋は俊子との恋のため、姦通罪に問われ入獄の憂き目を見た。白秋の人生の最初の蹉跌であり、生涯の大事件であった。出獄後、白秋は俊子と正式に結婚するが、一年余りで離婚している。めぐりあってからの歳月を数えても、足かけ四年でしかない縁であった。章子は、俊子の去った後の白秋と結婚し、五年の歳月を共有している。俊子と同じく白秋から離縁された。菊子は章子の去った白秋の許に嫁ぎ、二十二年の歳月を共に暮らし、二児を儲け、内助の実を挙げ、白秋の最後を看取っている。≫ (本文より)


 クローバー『北原白秋ものがたり』(楠しげお・著)がきっかけになり、本書へと導かれました。本を読む時間が取れなくて、一日2〜3回に分けて少しづつ読み、3週間かかって読み終えることが出来ました。
 素晴らしい作品に出会えた感慨を、具体的に言葉で表すことはとても難しいです。
 三人の妻の中で、いちばん詳しく書かれているのが章子についてです。章子は白秋と別れたあと、あちこちを転々とし、故郷の香々地の酒蔵の一室で、病みほうけ、糞尿にまみれて亡くなります。著者はその足跡を丹念に追い、章子が暮らした地もあちこち訪れて入念な取材をされています。
ここまであちこち転々とし、心さまよい、悲惨な人生をおくった女性は知りません。 大神幸男氏(NHK福岡のディレクター)の「情熱過剰でいつでも進路が狂っちゃうんでしょうね」ということばを思ったりします。


 巻末の膨大な参考文献にも圧倒されました。悲惨な面が多く描かれているにもかかわらず、作品には一貫して、爽やかな秋の空気のような凛としたものが感じられ、その空気の中にある自分を感じながら読み進められたことは、喜ばしい体験でした。作家の力とはすごいなあと感じました。天才であることの禍福を受け止めて生きた白秋の人生も浮かび上がってきて、感慨深かったです。


芽私は、図書館にある、瀬戸内寂聴伝記小説集成・第一巻 文藝春秋社に収められているものを読みましたが、新潮社からも文庫本(上下巻)が出ているようです。

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