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短歌点コミュの短歌点785△お題「花」

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コミュ内全体

お待たせしました。
720△「注」より引き継ぎました@貴です。

季節は春、ということで、今回のお題は「花」です。
*過去に三度、お題にあがっている言葉です。


  ひきがねをひけば小さな花束が飛びだすような明日をください(笹井宏之)

  てのひらの傷いたみつつ裏切りの季節にひらく十字科の花(塚本邦雄)


よろしくお願いします。


ルール

1:出題者が、お題を出します。
2:お題は、何でもありで面白そうなもの。
  50題以前に出されたものであれば、既出のお題でもOKです。
3:出題者じゃない人はお題を詠み込んだ短歌を書き込みます。(1人1首のみ)
4:一週間以後、出題者が(独断で)もっとも素晴らしいと思った短歌を1つ選
び、その選出理由を書きこみます。
5:次のお題は、最優秀短歌をつくった人が出すことになります。
 (新トピックの番号は「自分が選ばれたトピック番号+5」)
6:その後は、みんなでワイワイ感想をかわします。

※2012年4月17日一部改定(基本ルールに「特定の単語・文字列を指定してください。」を加筆。

コメント(47)

花の丘をちょうちょの影がわたる午の手紙を読むには眩しすぎます

(はなのおかをちょうちょのかげがわたるひるのてがみをよむにはまぶしすぎます)
いつだって澄んだ綺麗な花色であなたをつつんでいたかったのに
花冷えをわすれてほしいきみはまだ煙草のにあう人じゃないから
全身に花湧きいでて百頭の蝶にまつはりつかれてをれば
帰るまで見ていた花を水底に なだれなき路つづく春夜は
店先のブロッコリーの花ひらく共鳴するや僕のリビドー
ご投稿いただきました皆さんありがとうございます。
当トピックの締め切りを4月20日(金)といたします。

未投稿の方、推敲・改作をされる方、よろしくお願いいたします。

@貴
ありがとう慰めないでいてくれて 歪な花も咲かせてられる
ビニールのなかに桜の花びらをたくさん詰めた幼女が笑う
ご投稿ありがとうございました。締め切ります。
それでは少しずつ感想を投下してゆきたいと思います。

今回は僭越ながら批評めいたこともしていますが、あくまで私見ですので、「何言ってやがる解らないやつめ」と突っぱねていただいても構いませんし、素直に受け止めていただいたのならそれはもう恐縮です。

途中すこし間があくかもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたします。

@貴
■花びらを糸で繋いで眺めたらたちまち腐る魔法がとける(ユッコさん)

「花びら」は若さの象徴だと読みました。花びらを糸で繋いで眺める。花の自然な生の姿である花びらをちぎって糸で繋げる行為は、自然な若さへの憧憬と希求の表れ、そしてそれがゆえ人為的にでも若さを保ちたい欲求の表れのように思います。そう言うと身も蓋もないですが、つまりは美容意識ということ。「腐る」とまでは思いたくないものの、「魔法がとける」からは、生きている以上いずれ訪れる老いへのペーソスが感じ取れました。歳を重ねてゆくと、十代二十代の若さが年々眩しく映ってくるようになって、身につまされます。少し紛れがあると思ったのは、四句から結句にかけての箇所。「たちまち腐る/魔法がとける」のように切れると思いますが(「腐る」が終止形)、もうひとつの可能性として「腐る魔法がとける」とも読めてしまう(「腐る」が連体形で、「魔法」に掛かる)という点が気になりました。正反対の歌意となり、誤読される恐れがあるため、そこは推敲の余地がまだあるかと思います。
■踏んでるの雨で道路にべっとりの桜の花をあたしごときが(カニパンさん)

開花時季はもちろん散り際も美しい桜の花びらが、「雨で道路にべっとり」と貼りついている。もはや見向きもされないようなそれを見下ろし踏みつけながら、作中主体は「あたしごとき」と卑下し、自分の方が劣っていると自認しているようです。掲出歌で注目すべきは、倒置法を多用したその独特な語順でしょう。倒置法は語勢を強める働きがあるので、作中主体の自虐性をより高める効力を得ています。また、述語から展開してゆく構造のため、「誰が」「何を」という謎を最後まで残しつつ、先へ読み進めてゆくと情景の全体像が見えてくる仕掛けとなっています。結論から入るこの英語的な文法構造はなかなか前衛的であると思いますが、何でしょう、ひたひたと迫りくる狂気のような演出が歌意と合っていて(「狂気」と「桜」は文学的にも調和しますし)、これはこれで成功していると思いました。
■トリカブト貴方くらいは殺せます花の悪意と美しさ見た(*星詠*さん)

「美しい花には棘がある」という諺がありますが、それよりもっと性質の悪い女性を詠んだ歌と解しました。トリカブトと言えば有毒植物として有名ですが、その花は紫や白・黄・ピンクなど、美しい色形をしています。その落差に、作中主体は「花の悪意と美しさ見た」と言います。注目する点は「くらいは」という限定表現でしょうか。トリカブトは例外なく誰に対しても有毒の筈のところ、「(その他大勢には効くかわからないが)貴方くらいは殺せます」と、少しおかしなことを言っているわけです。常識に当てはめればこの文章は訂正対象だと思いますが、短歌表現としてはその捻れが効果的に働くこともあるんですね。掲出歌の場合は後者だと思います。つまり、作中主体が「貴方」だけに向ける歪曲した関心がここに読み取れるのではないか、そう読みます。それはそれで良いと思いますが、このように露悪的に詠むのであれば、「悪意」や「美しさ」などの抽象表現は避け、もっと突き詰めた表現をした方が、より詩へと昇華できるのではないでしょうか。それから、結句の助詞の省略は少々窮屈な気がします。字数合わせのようにも映りますので、字余りでも「美しさ“を”見た」と助詞を補った方が良いでしょう。
■眠剤にくわしいけれど花の名を知らぬ主治医と海の話す(izumiさん)

モチーフの取り合わせが面白く、一見まったく類似性のないと思われる言葉同士の組み合わせで、化学反応が起こっています。眠ることと花と海には親和性があって、いずれも目には見えない何か大きな力に抱擁されているような感覚があるというか、深いところで三者は繋がっている気がします。その三者の取り合わせに、詩は感じます。しかし、すこし要素過多のため、焦点のブレた落ち着きのない歌となってはいないでしょうか。一首の中で取り上げるモチーフは、せいぜい二つくらいまで。それ以上は、モチーフ同士が喧嘩してしまい、互いの味を殺してしまいかねないからです。俳句や短歌の世界ではいわゆる「二物衝突」といって、二つの全く関連性のない事物同士を取り合わせ、詩情を生み出す手法があります。掲出歌は、たとえば「眠剤にくわしいけれど花の名を知らぬ主治医の歌」「眠剤にくわしい主治医と海の話をする歌」「花の名を知らぬ主治医と海の話をする歌」など、数首に分けて歌を作れそうです。そうした整理をしてみると、より良くなる歌だと思いました。繰り返しますが、モチーフの取り合わせは詩があって良いです。
■現国の正岡子規の横顔に白い花散る桜さくらと(薊さん)

「正岡子規」といえばあの横顔の肖像が第一に思い浮かぶほど有名ですね。学校の国語の授業の風景でしょうか。作中主体はおそらく窓際の席に座っていて、開け放された窓から白い花びらが舞い込んできた。それは「現国」の教科書に掲載されている正岡子規の横顔に舞い落ちて、何かしら感じるものがあったのだと読みます。その情景を掬い上げる感性と観察力は良いと思いましたが、下の句が少々残念に映ります。「白い花散る」と言った傍から結句でその答えを言ってしまい、読み手に想像の余地を与えません。よって、「白い花」か「桜」のどちらかを削る必要があると思います。ここは言葉を濁さず「桜」とはっきりそのものを言ってしまった方が、「正岡子規」と「桜」の取り合わせも際立ち効果的だと思うので、「白い花」の方を削りたいところです。そうして余った字数分で、正岡子規の横顔に桜の花びらが舞い落ちる情景をゆったり詠めば、より趣のある読後感の歌になるのではないでしょうか。
■路端に健気に咲きしはなたちは忘れられてたオキザリスとか(コアランさん)

オキザリスは、八〇〇種以上もあるカタバミ属の一年草、または多年草の総称。花言葉の「決してあなたを捨てません」は、引き抜いても雑草のようにすぐ生えてくる生命力の強さが由来です。掲出歌の「オキザリス」は、作中主体の懐深くに捨てずに仕舞いこみ、いつしか忘れてしまっていた物事のメタファではないか、と読みます。ある日、「路端」に健気に咲いているオキザリスを見つけて、記憶の奥底に眠っていた大切なものが呼び起こされた。そういうある種の気付きを歌というかたちに残してゆくというのは、とても大切なことだと思います。数点、気になる箇所があります。ひとつめは「健気に」という表現です。道端に咲いている花が健気なのは言わずもがなでしょう。それを直截に言わないで健気さを表現してこそ、より伝わるものだと思います。ふたつめは「とか」という曖昧表現です。「たち」と複数形にしてあるので後ろを「とか」と表したくなるのも解りますが、そうすると主題に据えた「オキザリス」がややぼやけてしまっている風に映るんですね。また、「咲く」と「オキザリス」の情報があれば、わざわざ「はなたち」と言わなくても分かることなので(お題のワードなので致し方ありませんが)、そこも推敲の余地がありそうです。「オキザリス」と「置き去り」を掛けているその可否はよく判りません。
■花の丘をちょうちょの影がわたる午の手紙を読むには眩しすぎます
(はなのおかをちょうちょのかげがわたるひるのてがみをよむにはまぶしすぎます)(石@AYAさん)

滞空時間の永い歌です。六・七・六・八・七。各句がほぼ字余りなのは、意図してのことでしょう。一頭の蝶の影が、まどろむような昼の花の丘をゆっくりわたる。その時間経過が、度重なる字余りの間延びによってよく表されています。上の句は写生的に見たままの風景を引きの視点で切り取り、下の句は一転して視点を手元に引き寄せる。この上下の句の遠近を自然なかたちでさり気なく繋げ、違和感のないところに巧さがあります。何だろう。主述に若干の捩れがあると思いますが、そこが詩情。「眩しさ」を導き出すための序詞のような前置きとして、上の句の情景が据えられていると読みます。この形容により、「眩しさ」が具体性と独自性を帯びました。作中主体は、極小の蝶の影さえくっきり映し出されるほどの陽を浴びているんですね(心象風景だとしても)。その中で読む「手紙」ですから、内容は明示されていないものの、明るい話題と貴い相手の存在がここに暗示されているんじゃないでしょうか。花の丘をわたる蝶の影。「午」の陽射しの眩しさ。そして、作中主体が慕情を抱いている手紙の相手の眩しさ。若々しく爽やかな相聞歌だと読みました。
■いつだって澄んだ綺麗な花色であなたをつつんでいたかったのに(りなさん)

別離、そして未練の相聞歌と読みました。「つつんでいたかったのに」には含意があります。反語ですね。包んでいたかったけれどそれはもう叶わない、訪わぬ未来であると読めます。端正な歌の佇まいがこの一途な恋心と合っていて良いと思いますが、要素が少なく、また口語短歌であるため、一首としての味が薄く感じます。「花色」のところ、お題のワードなので致し方ないのですが、ここに何か具体的な花の名を入れてみると、歌の土台がしっかりとするのではないでしょうか。また、「澄んだ」と言えば「綺麗」なのは当然なので、そこは削れそうです。全体的なひらがな表記のやわらかさが女性的で、良い意味でこの歌の情念と響き合っていると感じました。
■花冷えをわすれてほしいきみはまだ煙草のにあう人じゃないから(みやま@メガロドンさん)

作中主体は「きみ」に対して呼び掛けているようです。「花冷え」とは、桜が咲くころの一時的な冷えこみのこと。それを忘れてほしいとは、どういうことでしょう。桜花はまだ純真無垢なこころを持ち合わせている少年少女を表していて、そこへ一時的な冷えこみ、つまり何かしら反抗心のともなう成長が兆したのだと読みます。「煙草のにあう」は、ある意味で大人が板についてきたことを意味しているのでしょうか。若気の至り、という言葉がスッと頭に降りてきました。若いころは背伸びしたがるもので、大人への憧憬というか理想像というか、そういうものが変にこじれて尖ってしまう時期ってあると思います。「きみ」の場合それが「煙草」だった。親がわが子を心配しつつ見守るような目線・お節介かもしれないけれど一言言わせてほしいという声を感じます。「まだ」という箇所に、「そんなに焦って背伸びしなくても良いんだよ」と優しく諭すような愛情を読み取りました。二句切れ・倒置法のスマートな構成や、印象に残りやすい上の句のフレーズが、読み下したときに心地好かったです。
■全身に花湧きいでて百頭の蝶にまつはりつかれてをれば(nero.さん)

全身に花が湧き出るという心象が強烈に脳裡に焼きついて、さらに読み進めると、それは百頭の蝶に纏わりつかれているからだと言います。もちろん心象風景ですから、それぞれの景が何かを象徴しているのでしょう。「纏わりつかれる」という表現には、厄介なものに絡まれる鬱陶しさのようなニュアンスが無きにしも非ずですが、掲出歌においては、僥倖の擽ったさみたいなものが感じられました。「百」は実際にきっちり百頭いるわけではなく、「八百万の神」などのように、非常に数が大きいもの・たくさんのものの喩だと読みます。掲出歌で特に着目したのは、上下に分けた句の因果関係、ひいては歌全体の構成です。結句「をれば」の已然形接続のため、下の句が原因・上の句が結果と解ります。しかし、上の句の最後が「いでて」と連用形接続となっているため、上二句の事象を受けて三句目以降が展開してゆく因果関係が、ここでも結ばれています。つまり、先ほどとは逆に、上の句が原因・下の句が結果となっているわけです。よくよく考えてみれば不思議な構造で、「上の句」という事象が起こったから「下の句」という結果に繋がり、そしてまた「下の句」という事象が起こったから「上の句」という結果に繋がり……を延々と繰り返してゆく歌なんですね。「鶏が先か卵が先か問題」を思わせるこのループには、ある種の中毒性があります。世界はこのように僥倖に満ち溢れていて、それらを繰り返しながら廻っているんだなあ、と感じ入りました。
■帰るまで見ていた花を水底に なだれなき路つづく春夜は(とみいえひろこさん)

震災詠を思いました。作中主体はとある花を見ていて、帰る間際にそれを水底へ沈めたようです。一字あけの(恐らく)感傷と祈りがあって、下の句に続いてゆく。「なだれなき」は「傾れ(=斜めに傾くこと。傾斜)なき」として読んでみると、かの年に起こった東日本大震災が思い起こされます。当時衝撃的だったのは、甚大な被害を受けた高速道路の、終末を見ているような光景でした。至るところで路面が暴力的にうねり狂い、亀裂が入り、分断され、路肩の崩れによってガードレールは損壊し、あまつさえ道路そのものが崩落するなど、壊滅的ともいえる悲惨な光景がそこにはありました。しかし、その大損壊からわずか六日間で、東日本の高速道路会社が夜を徹して大復旧を完遂したのは、改めて衝撃的でした。七年という月日が経ちましたが、今でも憶えています。そうした歴史を顧みながら読むと、この下の句には、名付けられない様々な感情がこめられているような気がします。「花を水底に(沈める)」行為は、その人のことを忘れるわけではなくて、過去に縛られて身動きがとれない自分への訣別と、前を向いて生きてゆこうという意志の表れではないかと読みました。
■店先のブロッコリーの花ひらく共鳴するや僕のリビドー(こん竹showさん)

スーパーや八百屋の店先に青々と並んだブロッコリーの中に、花が咲いているものを見つけた。日常の何でもない風景の中に混じった特異点、そのひとコマを切り取り焦点を当てた感性がまず面白いと思いました。アブラナ科アブラナ属のブロッコリーは、花を食用とするキャベツの一種が品種改良されて出来たもの。和名を「芽花野菜」や「緑花野菜」と言い、頭のあの緑の部分はすべて花の蕾らしいです。それが黄色くなれば花開いた状態で、栄養価や味は落ちるものの、毒などはありません。作中主体は「店先のブロッコリーの花ひらく」様を見やりながら、自身の「リビドー」との共鳴を覚えたのでしょう。ここで言う「リビドー」とは、フロイトの定義する「性衝動」の意味でなく、ユングの定義する「生欲」の意味だと解します。性欲に限らず、食欲を始めとする生存欲求。生きたいと願う欲望。全ての行動の根底にある、本能が持つ心的エネルギー。店先に並び、後はもう誰かに買われ食されるのを待つだけの運命のブロッコリーにも、まだ花を咲かせるほどの生命力があった。もしかすれば作中主体は、このところ精彩に欠けた自身の生活ぶりと何か重なるものを見出していたのかもしれません。ブロッコリーが花を咲かせていることを単に珍しいと思うのでなく、そこから発想を「リビドー」に飛ばしたのが良かったと思います。
■ありがとう慰めないでいてくれて 歪な花も咲かせてられる(蜜柑さん)

慰めないことが却ってその人にとっての慰めになる時もある、という捩れがとても短歌的に映える表現で、作中主体のある種の強みとも魅力とも言える性格だと思いました。相手の人は作中主体の良き理解者なんでしょう。明るくて素直な一面もあれば、そうでない時もあって、その時々で様々な色形の花を咲かせるけれど、彼(彼女?)は全てを余さず受け入れてくれる。「花も」の「も」は、そういうことだと読みました。距離を詰めすぎも離れすぎもせず、本当に心が駄目な時はもちろん傍にいて声も掛けてくれるし、掲出歌のように慰めが要らない時はそっと後ろからただ見守ってくれる、そんな貴重で無二の存在であることが窺えます。また、花の形状の表現、他にも色々と言いようのあった筈のところを、漢字一字で「歪」と引き締めたことで、確信的で一本筋の通った意思と芯の強さが感じられました。一点、気になった箇所があります。腰の句の後の、半角スペースの一字あけ。心の余白の表現とするなら半角では狭いような気がしますし、むしろ掲出歌の場合は、字あけ無く一息に結句まで言い切ってしまった方が、ストレートに伝わるように思いました。
■ビニールのなかに桜の花びらをたくさん詰めた幼女が笑う(きじまっちさん)

印象的な一枚の絵画作品を観ているようです。ビニール袋の中に詰めこんだ桜の花びらは「幼女」の幸福度指数のようで、きっとこの後も熱中した彼女はビニール袋からこぼれるくらい桜の花びらを詰め続けて溢れさせるんだろうな、という情景がありありと思い浮かばれます。下の句、特に結句がやや弱いかなと思いますが、「花」と「笑う」には親和性があって、これはこれでバランスが取れているので、下手に触らない方が良いでしょう。と言うのも、「笑う」の古い言い方で、「えまう」というものがあります。漢字で書くと「笑まう」ですが、もうひとつ、「咲まう」とも書くんです。「ほほえむ」や「花が咲く」という意味があったかと思うので、まるでほほえむ幼女が桜の花と一体化して咲き始めたような美しい景が、脳裡に立ち上がります。ここはまだ「幼女」であることに意義があって、やがて恥じらいある少女(おとめ)へと成長してゆくだろうことの示唆、その移ろいの予感の美を切り取った歌なのだと読みました。
以上、十四首の感想とさせていただきます。
的外れな読みばかりかと思いますが、ご容赦ください。

これより選歌にうつりますが、少々お時間をいただきます。
今しばらくお待ちください。

@貴
おきにいり。六首選です。



■眠剤にくわしいけれど花の名を知らぬ主治医と海の話す(izumiさん)

モチーフの取り合わせが好みでした。

■現国の正岡子規の横顔に白い花散る桜さくらと(薊さん)

永きにわたり病床に臥していた「正岡子規」のその横顔に「桜」が舞い散るペーソスが映える。しかし、だからこそ「散る」があまりに直截なのでその表現は避けてほしかった。しかしこの取り合わせは良い。

■花の丘をちょうちょの影がわたる午の手紙を読むには眩しすぎます
(はなのおかをちょうちょのかげがわたるひるのてがみをよむにはまぶしすぎます)(石@AYAさん)

心に余白を作って読むことのできるおおらかさ。世界が見えました。

■花冷えをわすれてほしいきみはまだ煙草のにあう人じゃないから(みやま@メガロドンさん)

「花冷え」の触覚から「煙草」の嗅覚(あるいは喫煙のシルエットの「視覚」)へ移る流れ。

■全身に花湧きいでて百頭の蝶にまつはりつかれてをれば(nero.さん)

強烈で美麗な心象。永続性のある文構造。

■店先のブロッコリーの花ひらく共鳴するや僕のリビドー(こん竹showさん)

「店先のブロッコリーの花ひらく」という目の付け所と、そこからの「リビドー」への飛躍ぶり。
決めました。


次点


■花冷えをわすれてほしいきみはまだ煙草のにあう人じゃないから(みやま@メガロドンさん)




最優秀


■花の丘をちょうちょの影がわたる午の手紙を読むには眩しすぎます
 (はなのおかをちょうちょのかげがわたるひるのてがみをよむにはまぶしすぎます)


石@AYAさんのこの歌を最優秀に決めたいと思います。
やはりこのゆるやかな時間経過と眩しさの表現ですかね。字面で読む分には簡単そうに見えますが、これ、実際にこの滞空時間と光を詩に乗せて詠めと言われたら、かなりの苦労と確かな表現力がなければ凡作に終わってしまうところですよ。それをここまで昇華されたのですから、これはもう秀歌と言って良いでしょう。

というわけですので、石@AYAさん、良い歌をありがとうございました。次のバトンをお受け取りください。



それではこれにてお題「花」トピックの選評を終えたいと思います。
これより後は皆さんのご感想等お聞かせくださればうれしいです。

ご清聴ありがとうございました。
おつかれさまでございました。

@貴
選歌講評お疲れ様でした。
次点ありがとうございました。
>>@貴さん
講評選歌お疲れさまでした。
楽しく興味深く読ませていただきました。豊かな時間でした。
おきにいりに入れていただき嬉しかったです。もっと精進しないと…ですね。

>>石@AYAさん
最優秀おめでとうございます。
次回、よろしくお願いいたします。
>>[33]
ご講評ありがとうございます。
選歌お疲れ様でした。

ごもっともな意見で、未熟な歌のまま出してしまい反省しておりますあせあせ(飛び散る汗)精進いたします。
石@AYAさん
最優秀おめでとうございます!
今の時期にぴったりのお歌で、キラキラとまぶしい素敵なお歌だと思いました。

>>[42]
こんにちは。
講評と選歌をありがとうございました。
のんびりしていて、バトンにやっと気が付きました。
素敵な評をいただいて喜んでおります。@貴さんの評込みで近作の中でもお気に入りです〜。感謝いたします。

バトン、ありがたく受け取らせていただきます。
遅くなり申し訳ありません。

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