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もののけ姫コミュのもののけに隠れたメッセージ

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ジブリと言えばストーリーの裏に隠されたメッセージ性だよね!
ジブリの一枚一枚には必ず宮崎駿さんの伝えたい事があります。(ただ見てるだけならケロロ軍曹のがオモスレw
まぁあ一番好きなメッセージ性はハウルなんだけど…(あれは神w
もののけは分かりやすいから皆で語っていこう!
勿論、憶測でも構いません。

まず最初の場面の森、木はカシ、シイ、クスといった照葉樹で、まさに手付かずの室町時代(征夷前)の蝦夷の大自然を表現してますよね。勿論、タタリ神は蝦夷を含めたアイヌの方々を追いやる幕府のメタファーなんでしょう。ヒィー様(鹿ト占い)の占い道具は鹿の骨と角で、アイヌは鹿を神聖なものとして扱っていた(+主人公のお供が馬で無く鹿に近い動物)(+村を出るとき見送りしない風習)なのでアシタカは室町時代の蝦夷の少年と分かります。

コメント(27)

「もののけ姫」に登場する蝦夷の森は、ブナやミズナラといった落葉広葉樹林ですよ。注視していればわかりますが、樹幹は白いですし、冒頭部の遠景では残雪が残っていますよ。この蝦夷の森は秋田県と青森県にまたがる白神山地がモデルになっています。

一方、物語中盤以降の舞台であるシシ神の森が照葉樹林です。こちらは屋久島の植生がモデルになっています。私は実際に屋久島に行ったことがわかりますが、樹木や岩石にコケがむしているところなんかはそっくりです。

宮崎さんはナウシカを映画化した後も、原作であるマンガの連載を連載を続けていましたが(映画の制作の度に中断はしています)、「もののけ姫」はナウシカの連載の過程で変化していった自身の思想の変化に決着をつける作品でした。しかし、宮崎さんがナウシカの連載で挑んだテーマはあまりにも深遠であり、とても解決できないテーマでした。「もののけ姫」は結局は宮崎さん自身が「わからなかった」と吐露している作品だと思います。わからなかったけど、取りあえず今ある生を大事にして生きていこうという、ニヒリズムを通り抜けた後の妙な楽観主義がありますね。
シシ神がデイダラボッチになって首取られるとこは人間と自然と科学の関係がかなり巧妙に風刺してますよね。
人間は自然を土台にして科学を手にしたわけです。人間が最終的に力にした科学力は核爆弾ですよね。
シシ神は自然、デイダラボッチは科学(核)、火縄銃を持ったエボシは人間を表してるのだと思います。
自然と科学は表裏一体の関係で、人間は普段自然も科学も征服しています。
しかし自然も科学も時に人間の手におえない規模で暴走するんです。
シシ神の首(自然の命)が欲しいといって奪った結果、人間はデイダラボッチ(核爆弾)を手にしてしまい、それが爆発した時、人間の科学力(タタラ場、火縄銃)ではどうすることも出来ないんです。
それでも首(自然)を奪い続ける人間(ジコ坊)が描かれてるのだと思います。
サンとカヤの声はどちらも石田ゆり子さんだと最近知りました。声が似てるなぁとは思っていたんですが。

どうしてでしょうか。

わざわざ同じ人にする意味が何かあるはずだと思います。
私は残念ながら考えが及びませんが、この事実はカヤからの小刀をサンに渡してしまうアシタカの行動の説明の材料になる気がするんです。
アシタカの行動は未だに理解できないので。

みなさんどう思いますか?
カヤがアシタカに小刀を渡すときに見送らない掟の中で「乙女の変わらぬ気持ち――」って言ってた事もありますし、許嫁でもあるので相当アシタカを愛していたのは分かります。
同様にアシタカも「私もだ」的な事を言っていたのでやはりカヤを愛していたのだと思います。
髪を切って、もう二度と帰ることは無いことを覚悟した上で「私もだ」と言ったのだと思います。
その唯一の繋がり(村の人との)をサンに渡すことで村との繋がりを完全に立ちきったのだと思います。
サンに小刀で胸を刺された時、アシタカが何もせずサンを抱きしめたのは、カヤの恨み(←完璧に憶測w)を受け入れたという意味だと思います。

…よく分からんです(´Д`)
>猿さん

なるほど。
私は人の気持ちが相手にぶつかる時のメタファーとして小刀が出てくるとぼんやりと思ってました。本質的には猿さんと同じ意見ですね(^^)

ではサンとカヤの声が同じなのは一体…?
気になってしょうがないです。
物語の最後のアシタカとサンが別れる場面での台詞で、アシタカがサンに「…会いに行くよ、ヤックルにのって」と言いましたが、なぜ最後に「ヤックルにのって」と言ったのでしょうか?
リズムがいいしカッコいいからじゃないでしょうか(爆

そのセリフのコミュまでありますしね 笑

なんか意味あるのかな…?
特に意味はないと思いますけどね。
サンは結局人里には下りずに山へと帰るわけですから、アシタカはヤックルに乗っていかないと会うことができません。
あのセリフは、サンが山で暮らすことを選択したことを観客に認識させるためのものですよ。サンに「私は山で暮らすことにした」なんて説明的なセリフを言わせたら、映画の雰囲気が台無しですからね。登場人物に説明的なセリフを言わさずに観客に状況把握をさせるのは演出家の力量の1つです。
サンは最後まで人間でなく山犬として生きていくわけで(本作で山犬は猩々に対してモロ一族と知っての無礼か的な事を言ってるので、山犬はあの山で結構地位が高い)、草食のヤックルなんて食べられてしまうわけだ。
これは宮崎駿監督得意の"現代人のあり方"について説いてるのだと思います
社会的立場の高い人間、男、白人(山犬)と社会的立場のの低い人間、女、未開人(ヤックルは元々あの山、あの地域ににはいない)を表してるのではないでしょうか。
それでも平和が来れば皆いがみ合うこと無く住んでいけると言うことだと思います。

(表現の中に社会的立場の低い女性と書きましたが、もし不快な思いをされた人がいたら申し訳ございません。しかし、実際、女性の立場は良くなったとはいえ、まだまだなのが現状だと思います。)

初めて書き込みさせていただきますm(_ _)m!
「あいにいくよ ヤックルにのって」 アシタカとサンが交わす最後の会話!その時のアシタカの表情や2人の間に流れる空気に緊張がとれた瞬間だと思いました。 アシタカとサンとの会話の中で一番、人の会話らしいような気がしました。その言葉をそれほど気にした事がなかったのですがよく考えてみると、ずっと肩に力が入り見入っていた私自身も、そのセリフで“フーッ”ってなってました(^^;)
いろんなご意見ありがとうございますぴかぴか(新しい)

やはり宮崎駿さんの作品は奥が深いですねー(長音記号2)
はじめまして。
みなさんの意見を読んでいて思い出した事があったので書き込みさせていただきます。

いつかテレビで見た宮崎監督が言っていた事なのですが、アシタカが胸を撃たれてタタラ場からサンを抱えて出た後、ヤックルの背中から落ちてサンに『何故私の邪魔をした!』と咎められるシーンがありますよね。
その時にアシタカがサンに向かって『そなたは美しい』と言いサンが凄く驚きます。
私は最初アシタカはサンの事を美人だ綺麗な人だと褒めたのでサンが照れて驚いたのだと思っていました。
でも監督は【きっとモロのことだから人間でありながら必死に山犬になろうと思っているサンを醜くいと言って、サンも大嫌いな人間の身体を持っている自分自信の事を凄く醜く思っている。だからアシタカが『美しい』と声を発した時に驚いてしまう。】
随分前なので監督が言った言葉とは違うかもですがニュアンスはこんな感じでした。

確かにアシタカとモロがモロの隠れ家の崖で話している会話の中でサンの事を『哀れで醜く可愛い我が娘だ』と言っています。

監督の解説がなかったらきっと『アシタカはサンが美人だから美しいなんて言ったんだ★』と永遠に思っていたと思います。

『そなたは美しい』の意味を履き違えていた自分が哀れです…(*_*;)
>15
そなたもまた美しいぴかぴか(新しい)




いやいや深い話ありがとうございますふらふら
納得しましたぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)
ケンボウさん

ヤックルの件は13>さんみたいなイメージでした…
深い意味より
ちょっと雰囲気を明るくするためかと思ってました。
サン…ちょっと微笑んでたしほっとした顔


ラストも普通に…
しし神は生き物に命を与え 吸い取りもするから…(デイダラボッチになってましたが)与えることもあるのかなって…
軽いなぁ…私バッド(下向き矢印)バッド(下向き矢印)バッド(下向き矢印)
アシタカ様は蝦夷っこだったんかーぴかぴか(新しい)

一番最初見たイメージだと、西日本だと思っとった電球電球
めっちゃ勉強になります手(パー)


ちなみに、おっことぬしは海を渡ってきたとあるが、俺的には四国から来たのではないかと……笑


どうですかexclamation & question
ドイツさん


まじっすかぴかぴか(新しい)
ありがとうございます手(パー)


おっことぬしは激熱っすねウッシッシ
久しぶり書きます
宮崎駿は絵だけでなく名前にも意味を込めてるのは既知だと思います。
モロ→イスラム
サン→イスラム
説明しますと、イスラム教のモロ族という方達がフィリピンにいます。またサン(太陽)はイスラム教の象徴でもあります。
またサンは真理とか青春の象徴でもあります。
アシタカ→キリスト
これは名前ではないんですが、"キリスト"の語源は油をかけられた者で、腕の呪いは油の比喩かと思います
タタラ場の人々→仏教
シシ神の森を通るときナンマイダーって言ってたことから

最期に皆仲良し

これはあくまでメッセージ性なので本作とは関係ありませんので悪しからず
>タタリ神は蝦夷を含めたアイヌの方々を追いやる幕府のメタファーなんでしょう。


ぼくは、祟り神というのは、元は非常にすぐれた者だったのに、憎しみを心にいだき、それを解消できずに固まらせて死を迎えると、次の生では祟り神になってずうっと人を憎み続けて生きなければならない悲しい存在、
というふうに受け取りました。
>>[4]

はじめまして!!

わたしも、そのシーンずっと疑問に
思っていました。

いつもカヤを思うと言ったアシタカ
でも、小刀はサンにあげてしまう。

一時は私、アシタカ二股?って思ってました!笑

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