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石上玄一郎コミュの追悼

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ご冥福をお祈り申し上げます。



石上玄一郎氏=作家
 石上玄一郎氏(いしがみ・げんいちろう、本名・上田重彦=うえだ・しげひこ=作家)5日、急性心不全で死去。99歳。告別式は親族で営む。喪主は妻、英子(ひでこ)さん。
 札幌市生まれ。父の郷里の盛岡で育ち、青森・旧制弘前高在学中には、同学年だった太宰治から小説への批評を求められた。1939年、「針」で文壇にデビュー。42年、人間の幸福や科学の問題を追求した「精神病学教室」で注目された。大阪成蹊女子短大名誉教授。
(2009年10月7日22時38分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/obit/news/20091007-OYT1T01122.htm

コメント(5)

神戸に長らく住んでおられたため、『神戸新聞』の記事がもっとも詳しいようです。以下引用。

小説「精神病学教室」 石上玄一郎氏死去 99歳 

 「精神病学教室」「彷徨えるユダヤ人」などで知られる作家の石上玄一郎(いしがみ・げんいちろう、本名上田重彦=うえだ・しげひこ)氏が5日午前11時22分、急性心不全のため京都市の介護施設で死去した。99歳。北海道出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。
 旧制弘前高(現・弘前大)在学中、同級の太宰治と文学や左翼運動を共にした。39年小説「針」でデビュー。43年の「精神-」が厭戦思想として当局に問題視され、終戦まで中国・上海に逃亡。武田泰淳らと交流した。
 戦後は「氷河期」「自殺案内者」などを発表。宗教研究者としての顔も持ち、幻想的で観念的な作風を確立した。56年大阪成蹊女子短大(現・大阪成蹊短大)の教授となって神戸市に移り、今春まで在住。文壇から離れて孤高を貫き、晩年は伝説的作家として若い読者の支持も集めた。
 77年に神戸市文化賞受賞、91年に本紙「わが心の自叙伝」を執筆。昨年「石上玄一郎小説作品集成」が刊行された。
(2009/10/08 08:05)

http://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/0002427539.shtml
ありがとうございます。
確かに詳しいですね。しかし……

> 同級の太宰治と文学や左翼運動を共にした。

この書き方には違和感。少なくとも運動を共にしてはいないでしょう。

> 43年の「精神-」が厭戦思想として当局に問題視され、終戦まで中国・上海に逃亡。

これも表現が強いなぁ。
いわゆる逃亡というのとは違うでしょう。
もっと精神的なものですよね。
毎日新聞
http://mainichi.jp/select/person/news/20091008ddm041060157000c.html

訃報:石上玄一郎さん 99歳=作家
 石上玄一郎さん 99歳(いしがみ・げんいちろう<本名・上田重彦=うえだ・しげひこ>作家)5日、急性心不全のため死去。葬儀は近親者のみで行う。

 札幌市で生まれ、幼くして父母を失い、盛岡市で育つ。1942年に発表した「精神病学教室」が当局の禁に触れ、44年に中国・上海へ脱出。47年に帰国し、「氷河期」「自殺案内者」「黄金分割」などを次々に書いた。矛盾に満ちた人間の姿を鋭くとらえ、戯作派と戦後派の中間に位置付けられた。60年代以後は「太平洋の橋−新渡戸稲造伝」「彷徨えるユダヤ人」「輪廻と転生」「太宰治と私」などを発表。他に「石上玄一郎小説作品集成」(全3巻)がある。

毎日新聞 2009年10月8日 東京朝刊

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産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091007-00000602-san-ent

小説家の石上玄一郎氏が死去
10月7日21時7分配信 産経新聞

 小説家の石上玄一郎氏=本名・上田重彦=は5日、急性心不全のため死去した。99歳。葬儀・告別式は近親者のみで行う。札幌市生まれ。「精神病学教室」「氷河期」などの作品で人間本来の姿を描き、戯作派と戦後派の間に位置づけられた。

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時事通信
http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2009100700958

石上玄一郎氏死去(作家)
 石上 玄一郎氏(いしがみ・げんいちろう、本名上田重彦=うえだ・しげひこ=作家)5日午前11時22分、急性心不全のため京都市の介護施設で死去、99歳。札幌市出身。葬儀は近親者で行う。
 青森県の旧制弘前高校で太宰治と同窓だった。実存主義や仏教思想に傾倒し、人間存在を深く洞察する小説や評論を手掛けた。著書に「精神病学教室」「自殺案内者」「太宰治と私」など。(2009/10/07-21:42)
>> 43年の「精神-」が厭戦思想として当局に問題視され、終戦まで中国・上海に逃亡。

>これも表現が強いなぁ。
>いわゆる逃亡というのとは違うでしょう。
>もっと精神的なものですよね。

当局からの圧力がどの程度あったのか、私は詳らかにしないので、
「逃亡」という表現の妥当性はよくわからない。
その意味では「亡命」でも「表現が強」くなるだろうし。
直接的な圧力からの逃亡というよりは、精神的忌避の面が強いのだと
言いたいのでしょうが、その辺は次の論文で詳しく論じてもらえると。

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