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オホーツク文化の会コミュのウイルタの話

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コミュ内全体

沿海州のツングース系諸語を用いている樺太(サハリン)の民族。
トナカイを飼育したり、海獣漁撈などを行っていた。

一部約30人前後が戦後日本に移り住んだが、
一昨年にウイルタを名乗っていた北川アイ子氏が亡くなられ、
現在ウイルタを名乗る方はいなくなってしまった。

網走や釧路など道東地方に移住した事が有名で、
網走には「サハリンのオタスに似ていたから」
移住したと言われている。

網走にはダーヒンニェニ・ゲンダーヌ氏(アイ子氏の義兄)が設立した
『少数民族資料館ジャッカ・ドフニ』がある。
ジャッカ・ドフニとは、「宝物を収める家」という意味で、
その名の通り、数々のウイルタや樺太アイヌの民具等が展示されている。

かつては「オロッコ」と民族表記されていたが、
現在は蔑称とされ、本来自称である「ウイルタ」となった。

コメント(60)

ちなみにスルクタは鮭鱒を桜デンブのようにした感じみたいです。
私の故郷の新潟には“鮭茶漬け”という食品がありましてそれを思い出します。
「ウイルタ語北方言テキスト : スルクタの作り方」『北方言語研究』1

池上版『ウイルタ語辞典』
・bəkkəi 
鮭鱒を三枚におろしたあと背骨の両面から残った肉を切り取ったもの。
干して食べるが、生のは煮て食べる。mauriともいう。
・bukpaa 
鮭や鱒を頭を除き、切り目を入れ、一匹のまま縦に櫛にさして焼き、
火棚に寝かせて干したもの。焼き干し。
・čaččabi
鱒を三枚におろし、皮は取らず、頭・骨を除き、尾はつけたままにし、
肉二枚が尾で繋がっているもの。
屋外でまたは屋内の火棚に掛けて干す。あだち。
・jaawu
鮭を三枚におろし、皮はそのままにし、頭・骨・尾を除いたもの。
肉二枚は切り離される、また乾きやすくするために切り目を入れる。
穴をあけ棒に通して干す。火棚に掛けて干す。
・kөpcөөnu
鮭鱒・アメマスの頭、尾、骨を除いた背開き。
切り目は入れない。皮はついている。穴をあけ棒に通して干す。
・mauri
鮭鱒を三枚におろし、čaččabiをとったあと背骨の両側から残った肉を切り取ったもの。
生のは煮て食べるが、焼き櫛に刺し、火棚に掛け、干して食べる。
・musi
鱗を取った鮭鱒・アメマス・ヨアカシ・イトウなどの皮を煮て潰し、
これと干した魚の白子をふやかして似たのやアザラシの溶けた油を混ぜ、
それが冷えて固まった食べ物。
・talaa 魚、獣肉の刺身
・təli 魚に切り身
生のも干したのもいう(čaččabi、jaawu、mauri、bukpaaなどをまとめて言う)。
「スルクタsulukta〜sulikta」

2点の辞書を引いたことでご覧のように、この語はありませんでした。
つまり、澗潟久治、池上二良両氏が調査した地域には存在しない料理でした。

それにしてもウイルタにおいては鮭鱒は様々な料理法が存在することがお解かりになるかと思います。

アイヌのようにウイルタにとって鮭鱒は主食だったのでしょう。
特にmauriはよく辞書で見受けられ、主要な食べ方だったように思われます。

しかし、スルクタは「お粥に混ぜたり、バターに混ぜたり」して使うようなので、
主食として使うよりも、ふりかけ的な使用方法だったので、主食とは異なると思います。

第一 オロツコ民潭

1 ホーチニ(人の呼び声)
 或る秋の日、男ばかり六人で川獺をとる罠をしかけるために舟に乗って川の奥へ出掛けた。この六人の中に一人薄のろで乞食の様な襤褸をまとった、人の話も禄に判らない様な男が居た。その日は一同川の奥で野宿することになった。夜になってあたりが真暗になると化物(アンバ)が出て来たので五人の男は逃げ支度にとりかかった。
 「ヨー、ヨー」
と叫ぶ化物の大きな声が聞こえた。
 薄のろは
 「アンバーハイ」(化物か何か)
と尋ねた。 
 五人の男は薄のろに舟に乗るやうにすすめたが乗らうともしないので、おき去りにして逃げた。
 次の日になって、五人の中の二人は薄のろの生否を確かめるために昨夜の場所に戻って来た。
 すると遠くに見える木の根に生きているのか死んでいるのか判らないが薄のろが蹲んで居るのを二人は認めた。近づいて見たら真青な顔をして到底人間の顔とは思はれない。そばに近寄った一人が声をかけた。 
 「アンダアンダ」(君どうした)
 しかし薄のろは何とも答えなかった。手を肩にかけて揺さぶって見た。人間は居なくて衣物だけが残っていた。手をかけた男はびっくりして腰をぬかした。
 腰をぬかした男は真夜中になって覚めた。あたりは真暗で人影一つみえない。人の通った足跡もない様である。自分の弓を片手に持って自分の家がどちらの方かを考えた。もう一人は舟に乗って待っていたのだった。この男のことを思い出したのでいい加減に見当をつけて歩き出した。
 二、三歩行くと後の方から人の呼ぶ声が聞こえた。
 「オーイ、こちらへ来い。」
 立停って振返ったが誰も居ない。又、歩き出すと
 「オーイ、こちらへ来い。」
と言う声が聞こえる。立停ると聞えなくなる。振返って見ても人影一つ見えない。そこでこの男は自分が友達の待っていることを気にかけているので、人の呼び声が聞えるのかも知れないと思ひ直して歩き出した。
 段々歩いて行く中に友人が待っている舟の所まで来た。友人は
 何処に行ったの。ずいぶん待ったよ。君はほんとうに人間かい。」
と訊いた。この男は答えた。
 「ほんとうの人間だよ。」
 続いて
 「薄のろはどうした。」
と友人が聞いた。そこで答えた。
 「俺がそばに行って肩に手をかけて揺さぶったら蛻の殻になって着物だけ残って居たんだ。俺はびっくりして気が遠くなったよ。気がついて見ると真夜中であたりには人っ子一人居なかったよ。」
 「うんそうか。君はきっと化物にだまされたんだ。もう此処に来ないことにしよう。」
と友人は言った。
 二人は村に帰った。残っていた三人の中の一人は川の奥に川獺を捕りに出ていた。そこで二人にあったことを話した。二人は帰って来た人達に
 「あの男に会ったかい。」
と尋ねた。
 その中に川獺をとりに出ていた男も戻って来た。この男は川獺を捕って来た。
 「薄のろを尋ねて見たが判らなかった。」
と言った。
 一同の中の最年長者は言った。
 「これから五人で一緒に行ったら、離ればなれにならない様にしようよ。」

2 カルヂヤメ(人さらい)
 M子は父と二人で、2里ばかり離れた人里から多蘭の川口へ馴鹿橇に乗って遊びに出掛けた。父はそこでしたたか酒を飲んで、
 「俺は帰らんからお前一人で帰れ。」
と言い出した。
 子供は
 「父ちゃんいやだ」
と言って泣き出したが、父は一向きかぬ。
 「いやお前は帰れ。俺は歩いて帰るから」
子供は仕方なくうなづいた。馴鹿は歩いたり走ったりして、M子を家へ運ぶ途中であった。
 突然 
「M、バン、ハラチロー、バン、ハラチロー」(M子、一寸待て、一寸待て)
という叫び声がきこえた。
 馴鹿は走り出した。雪が橇の上にかぶった。子供は恐ろしさの余り橇をしっかり摑んで橇の上にふせた。恐ろしい声は何処までもついて来た。橇を曳く馴鹿も早かったが、後から来る人も早かった。子供は恐ろしさのために間もなく何も判らなくなった。暫くたって目を覚ますと或る家の前についていた。子供はしばらくは家の中へは入らなかった。
 「M子、家へ入りなさい。一人で帰って来たの。」
と老婆が言った。
 子供はそれでも何も言わず黙って橇に乗っていた。老婆が傍に近づいて来て、子供を抱き上げると子供は死んだ人のように青ざめていた。
 「どうしたの、どうしたの。」
と訊かれても子供は黙っていた。老婆は
 「きっと何かに追いかけられたんだ。」
と獨り言をいった。
 男が出てきて子供を家の中へ抱へ込んだ。食べ物をだしたが子供は少しも食べ様とはしなかった。
 暫くたってからM子は漸く川口からの帰り途であった恐ろしいことをすっかり話した。
 一同は
 「きっと多蘭の向こうに居るカルヂヤメに追いかけられたんだ。」
と言った。

註 オロッコがカルメヂヤ(人さらい)と呼んでいるのは、遠くから見ると何処が手で何処が足か判らぬ、背の高さは家よりも高く、頭の先は栗かぼちゃの尻の様に尖った恐ろしい人間だと言う。頭は何故尖っているかというと、それは髪毛に樹脂を塗りつけて固めてとがらせてあるだけに過ぎないという。然し走ることは、すこぶる早い。人里離れた寂しい場所に汚い住いをしていて、昼は寝、夜になると出てきて、悪事を働いたり、物乞いをする。ギリヤークはこれを「イエー、ニクブン」と呼ぶ。この一篇の女主人公じゃ今も健在で40歳ばかり、或る日本人の妻となっている人である。

3 コヨーチ・アンバ(口笛を吹く化物)
 或る村に丸太小屋が一軒あった。そこには爺さんと婆さんが棲んでいた。この老夫婦には二人の息子があった。
 この兄弟の中で、兄の方は昼となく夜となく絶えず口笛をふく癖があった。弟は何時もこれを厭って兄に向かって叱言をいっていた。

 或る月夜のこと、二人は舟に乗って網をさしていた。弟は舵(ヤクチエーニ)をとり兄は橈(ギヨルニ)を漕いでいた。弟は兄に向かって 
 「船に乗ったら口笛吹くな。」
と言ったが兄は唯馬鹿の様になって口笛をふき続けるばかりであった。
 弟は舟が次第に上流に向かう様に感ぜられた。口笛をふいて居る人は兄の他にももう一人ある様に思われた。舟が丘に着くとそこには非常に高い樹が立っていたが、二人の乗っている舟は誰かが擔いで歩いている様に感ぜられた。
 弟が下を向くと矢張大きな男が二人の乗っている舟をかついで歩いて居た。弟は立木とすれ違うときに木に飛び移って下に降りた。そしてシンコ松(ハシキタモニ)の小さいのを折って路端に立てて坐っていた。化物から見れば、太い木は細く、小さい木は大きく見えるので、弟はこんな小さい樹を立ててその蔭から化物がいつ頃帰って来るか、又どんな姿で戻って来るかを見届け様と思って居たのだった。

 暫く経つと、
 「この辺から軽くなったんだった。」
と言い乍ら化物が帰って来た。
 見ると大きな化物で何処が頭で何処が足か判らなかった。弟は手に持っていた弓を構えて機を見て引いた。
 「アー」
と言う大きな声をたてて化物は消えた。弟は直ぐに化物のいた所まで行って見た。既に秋も終わり頃で雪が大地を覆っていた。何処にも化物の足跡は無いのに血が雪を染めていた。弟はその跡をしのび足で辿って行った。

 その様にして可成り長いこと行くと舟の先が見えた。段々に近づいてよく見ると家であった。そして煙穴から舟が出ていた。家の上にしのびあがり穴から覗いて見ると何も入っていない。唯、兄があお向けに倒れて居た。よく見廻すと白樺で作った皿(アンドマ)が真中から新しく割れて居た。手にとって見ると、自分が先刻矢で打った跡だった。
 「ああ、これが人間に化けたんだなぁ。」
と弟は合点した。
 兄をゆり起こそうとしたが、身体はなくなって衣物だけになっていた。
 弟はその辺にあったものをすっかり焼き払った。

 人間が居なくなると、こわれた器具でもぼろ着物でも化物になって人間を瞞すのだと言うことが、これまでウイルタ(オロッコの自称)にはよく判った。だから夜、口笛をふくのはよくないというのである。

4 山丹咄(マンブ・トルグーニ)
 山の中に草小屋が一軒あった。そこには年若い女が夫と共に住んでいた。二人の間には子供が無かったので、日頃、二人はしきりに子供を欲しがって居た。
 或る日、夫は遠く離れた両親の許を訪れた。その間に妻は草刈りに出かけた。妻はそこで揺籃(ウムグ)の中に入れてある赤子が泣いているのを見つけ出して拾い上げた。この女は子供が好きなのでその子を自分のものにしようと思って家へ連れて帰った子供は日益しに成長した。妻は可愛さの余り自分の出ぬ乳を含ませたりもした。
 或る日、妻は子供を独り家において水汲みに出た。水を汲んで家の傍まで戻って来ると家の中で食物をたべる音が聞えた。変だと思ったが家の中に入ると子供は相変わらず揺籃の中で泣いて居た。子供が泣くので妻は自分の乳をふくませ様としたが、よく聞いて見ると子供は、
 「ウギヤーウギヤー、ウンヌ、メーワニ、タラカーラ、ドプトウモ、ドプトウモ」(オギャーオギャー、母さんの心臓の刺身を食べたいなあ。)
と泣いて居るのだった。妻はびっくりして子供を置いて、櫛(セキヂブ)と梳櫛(モシュク)と針(キター)を急いで取り上げて逃げ出した。
 赤子は急に大きな男に早変わりをして母の後ろを追いかけた。走ることも早かった。
 母は後を振り返り櫛を投げ捨て、
 「この櫛は人が通れない様な大きな山になって呉れ。」
と叫んだ。叫び声の通りに櫛は山になったが子供は山を越えて追いかけて来た。

 そこで今度は、
「梳櫛よ叢になってくれ。」
と叫んで母は梳櫛を後へ投げすてた。梳櫛は叢になったが、子供は其処を通りぬけて母に追いつき相になった。
 
 母は針を投げすてて叫んだ。
 「この針よ、人の通れない様な棘に成って呉れ」
 矢張、その通りになったが、子供はそこを通り抜けて追いかけた。

 妻は指に嵌めて居た指革(フナプトウ)を抜いて、
 「指革よ、海になって呉れ。」
と叫んで投げた。叫んだ通りに、海になった。それでやっと鬼の様な子供が追いかけて来るのを防ぎとめることが出来た。妻は夫の両親の家に駆け込んでこの話を物語った。夫の親父はそれを聞いて
 「これから、山で拾った児などを育てるものではない。お前も苦労したんだなあ。」
と言った。
ウイルタ語の権威、池上二良さんが7月15日に91歳で亡くなられたそうです。
特に訃報記事は書かれていないようですが、ツイッターで書かれていました。

ご冥福をお祈り致します。
> アグダプセ(とらんね)さん

僕もそのツイート見ました。

心からご冥福をお祈り致します。
ウイルタ語での挨拶 (北方言)

北方民族博物館 特別展 ウイルタとその隣人たち-サハリン・アムール・日本つながりのグラデーション-
より図録のコラムにウイルタの挨拶があったので載せてみたいとおもいます。



こんにちは ソロジェー solojee
朝昼晩いつでもどこでも、人に出会ったらこの挨拶を。

ありがとう アグダプシェー agdapsee
動詞語幹agda-「喜ぶ」と関連し、広く喜びや感謝の気持ちを表すことば。たとえば次のようにも。

会えて嬉しいよ アグダプシェー バーチハプ agdapsee baacixapu
人と出会ったとき、日本語なら「はじめまして」と言いそうな場面でも言う。

お元気ですか?(どうしていますか?) ホーニー ビーシェー? xooni biisee?
イントネーションは上がり調子で。

元気です。あなたは? ウリンガ。シーケー? ulinga. siikee?

お茶を飲もうか? チャイワ ウンミスイ? caiwa ummisu?
冬の長いサハリンでは、熱いお茶で身体を温めるのが大事。お茶をしながら、会話も弾む。この一言が、相手と仲良くなる第一歩。

いいね! イーケー! iikee!
日本語で「オーケー!」というのと、音も意味も似ている。(ただし、「ケー」の母音はあいまい母音であることに注意)

さようなら(気をつけていけよ) ウリンガジ ケ゜ンプ ulingaji nennu!
去って行く人に対して言う。ulingajiは、「良く」という広い意味fr用いられる。逐語的には「良く行けよ」の意。

さようなら(元気でいろよ) ウリンガジ デレイジュ ulingaji dereiju!
居残る人に対して言う。上同様で、逐語的には「良くいろよ」と訳せる。
>ゆうきさん

「ありがとう」は、アグダプシェーでしたか。
『ゲンダーヌ』ではアグダブセだったもので。

私の名前もアグダプシェーに変えようかな?

ありがとうございました。
ん〜難しいとこですね。 資料不足でこちらでは確認できないのですが、ゲンダーヌさんの訛りというか発音や地域性、聞き取り方でちょっとかわってくるのではないでしょうか。

こんにちは を こんちわー と言ってる感じで。

言語って聞き取り手や話してでそれを文字に起こすのは難しいことだと思うので、僕としてはどちらも「ありがとう」って意味だと思います。
>ゆうきさん

発音や地域性、聞き取り方で確かに変わりますね。

アイヌの熊送り(熊祭)も
イオマンテだったり、イヨマンテや、ヨーマンデ、ヤウマンデ等など
聞き手の書き残した書物、地域でバラバラだったりします。

ですので、もしかすると北方言では「アグダプシェー」で、
南方言では「アグダプセー」だったのかも知れません。

ちなみに、『ゲンダーヌ』は田中了さんの著でして、
ゲンダーヌさんの言葉を田中さんが書いたものです。
田中さんは「アグダブセ」と聞き取ったのでしょう。
アザラシ―海の王

夏、ある川の河口で、おじいさんが魚を干していました。
そのおじいさんは1匹のクマを飼っていました。クマは5才でした。
おじいさんはクマをわが子のように育てました。
魚を獲りに行くときはクマを一緒に連れて行ったものでした。ある時、晩に網を取り付けて、魚を獲ろうとしていると、川にアザラシが寝そべっているのを見つけました。
アザラシはとても良いまだら模様、ぶち模様でした。おじいさんはそれを見て、クマに言います、「ぼうや、おまえはわしらの舟をみておれ、わしはアザラシを獲りに行く」。
おじいさんはアザラシの足を捕らえました。アザラシは激しく暴れて、水のほうに逃げていきます。おじいさんは思いました、「わしは何としてもおまえを放さんぞ。わしはおまえで服を作るんじゃ」。そのとき、アザラシがおじいさんを水に引きずり込んでしまいました。
おじいさんは放しません。
アザラシはおじいさんを水へ入れました。その深みへ。
おじいさんは、アザラシがどこにいるのか、わかりません。
朝、おじいさんはアザラシと一緒におじいさんの家のほうへ行きました。おじいさんの家には、クマが独りでいました。
おじいさんはクマに言います、「クマや、わしはおまえを海の主にささげよう」。
おじいさんはクマをアザラシに差し出しました。
アザラシはおじいさんに言います、「私はおまえにほうびをやろう。3年の間、魚とアザラシを獲りなさい、とても良いものを。私は魚とアザラシたちをおまえのところへ行かせよう」。そう言って、アザラシは帰って行きました。
本当におじいさんは3年間魚やアザラシをとてもたくさん獲って裕福になりました。

おしまい。


切り絵 オシポア=アルビーナ
民話語り ビビコワ=エレーナ
採録 山田祥子
北方民族博物館『ウイルタとその隣人たち 解説シート』より
二人の若者が姉とともに幕屋で暮らしていた

二人の若者が姉とともに幕屋で暮らしていた。
さて、男たちが遠くに見える山の方へ狩りに行く準備をした。
姉は彼らの旅支度をして言った。「お前たちの行く道に二つの小川があります。浅い小川です。一つはきれいな水、もう一つは赤い水の小川です。赤い水の小川を歩いて渡ってはいけません。きれいな水の小川を歩いて渡りなさい」。
男たちは出かけた。その小川に着いた。兄は言う。「お姉さんは私たちが赤い水の小川を渡るように言いました」。弟は反対した。「いや、きれいな水の小川を渡りなさいと、姉は言いましたよ」。
兄は聞きもせず赤い水の小川を渡った。弟も彼の後について渡った。渡って行った。夜が更けた。宿をとるためにとどまった。寝た。眠っていて彼らは夢を見た。
化け物が彼らを取り囲んで現れ、どなり、甲高い声をあげている。怖くなって目覚めた。
弟は起きてすぐに泊まっていた場所から出発した。兄も彼の後について行った。
狩りもせずに、親戚のところに着いた。
到着して、兄は死んだ。


切り絵 オシポア=アルビーナ
民話語り ビビコワ=エレーナ
採録 山田祥子
北方民族博物館『ウイルタとその隣人たち 解説シート』より
黒い犬のお話

妻の亡くなった人がいたとさ
黒い犬がいたとさ(飼っていたのか?)

その犬が朝起きてみると
たった今作られたと思われるマウリ(注1)を持ってくるんだと。
それから毎朝ヤーウ(注2)とマウリを運んでくるんだと。

それが「どこで見つけてどちらから運んでくるのか?」、
と言いながらその人は犬に皮ひもを結び付けてからついて帰ったとさ(ついて行った?)。

犬は大地の穴へ、大地の先へと入って行ったと。
その人はずーっとついて行ったとさ。

おやおや人がいっぱいいるところにずっと前に死んだ妻がいるんだと。
その手にはサケとマスをいっぱい指に通して運んでいたんだと。

(その人は)妻を「妻は死んだんだ」とつかんだと。
その女(ここで言う妻)は「夫(ここでいうその人)を夢に見たんだ」と言った。
だから懸命にたくさん助けているんだと。
(この場合マウリやヤーウを運んでいることか)

それから帰ってきたとさ。
犬につけたひもをつかんで再び帰ってきたんだと。
往った時の足跡を伝って帰ってきたんだと。

帰ってから話をしたんだと。
「あの世の人のところさ、往って再び戻ったんだ」と話をしたら、
その人は死んだんだと。

おしまい。


語り 佐藤チヨ(ナプカ)
黒田信一郎「ウイルタ(オロッコ)調査覚え書き」『民族学研究』44-3より

(注1)マウリ:サケ・マスの背骨に沿って薄く切りとった切り身。
(注2)ヤーウ:サケを開いて2つにして、皮はそのままにして身に包丁を入れたもの。
火の神

古い昔話。妻を連れた人が山へ猟に行った。
猟に行って、けだものをたくさん獲った。

その人の友達である人が遊びにきた。
御馳走するために一匹の子を産まないメスのトナカイを殺した。
(友達)「俺に先にくれるな」と言った。
(友達)「自分の火へ先にやれ(火の神に供えろ)」。
(その人)「俺はやらない」。
(その人)「自分で俺は食う。俺はおしい」。

その友達はその夜そこに泊まった。
すると、その人はひとりの老婆の夢を見た。
「何か買っても、何か獲っても、わしにくれたことがない。
やせてもう少しでわしは死ぬ。明日お前と一緒にわしは行こう。
帰ってきてあとでみろ。この家は火事で焼けるだろう。
炭と灰になって火事で焼けるだろう」と老婆は言っていた。

翌朝起きて家に帰りその翌日戻ってみると、その家はなくなっていた。
近づいてみると、炭と灰とになって、全部火事でやけていた。

それだけだった。昔の話は。

語り 佐藤チヨ
池上二良『増訂 ウイルタ口頭文芸原文集』より
虎の化け物(1)

古い昔話。ひとりのじいさんが自分の子どもと山へ罠をかけに行った。
川を遡ってその川の源に着いて罠をかけた。

子どもはどんな化け物も弱いと思っていた。「人間も俺は恐くないし、化け物も俺は恐くない」

猟小屋を彼らは作りそして寝た。翌朝彼らは起きて驚いた。
とても大きい虎の化け物が小屋の戸口をぴっしゃりと閉じていたのだ。
何とかしようとしても甲斐なく三晩彼らは閉じ込められた。

三日目の夜、じいさんはその化け物の夢を見た。
「じいさん、お前には何も悪く思うことが無い。少しだけ戸口を開けるからあとで出て来い」
翌朝起きると化け物は本当に少し戸口を開けてくれた。
じいさん、そこからやっとこさっとこ苦労して出てきた。

じいさんは出てこれたが、子どもは何とかしようとしてもどうすることもできない。

子どもはタバコ入れの袋から葉タバコを取り出し粉々にし、化け物の頭に上がりそのタバコを撒いた。タバコは化け物の目にいっぱい入った。
小屋の戸口の外に白樺の木のまたがあった。子どもはその木またの上を跳ねて飛んだ。
そのあとを化け物が跳ねて飛んだ。すると白樺の木またにきゅっと挟まった。
(虎の化け物が子どもを追い駆けて白樺の木に挟まった。とらんね註)

(続く) 
虎の化け物(2)

子どもは歌をうたいながら水を何度も汲み、食事の支度をした。

夜になり寝ると虎の化け物の夢を見た。
「お前にはすっかり負けた。俺を助けてくれ。お前を明日、自分の土地へ連れて行こう」

朝起きて子どもは虎の化け物を白樺の木から降ろし助けてあげた。

化け物は子どもの方を何度も見たり、自分の背中を舐めたりした。
(化け物は人間の言葉が話せないから、背中に乗れという意を身振りで表した。話者註)

化け物の背中に乗り、遥か遠くの化け物の家に辿り着いた。
化け物の家に子どもを招き入れたら、化け物の父親であるじいさんがいた。
「毛の生えていない人間を甘く見ていて、何しに遠い土地まで人間を背負って連れて来たか」とじいさんは言った。

その化け物は九人兄弟とのこと。
明日、別の化け物とケンカをしに行くため、それぞれ自分の尻尾を枕にして寝た。

翌朝毛の生えていない人間(子どものこと)を背負って彼らは出掛けた。
そして九人が九つの火を焚いたところ、その火の中から相手の化け物が出てきた。

槍を持って戦ったが相手の化け物に負けそうになっていた。
その時、毛の生えていない人間を呼んだ。
毛の生えていない人間は相手の化け物をみんな槍で刺して殺した。
そして化け物の家に帰って来た。

化け物は毛の生えていない人間に自分の妹をくれたのでお嫁さんにした。
そしてお嫁さんを連れて自分の土地へ帰ってきた。

それだけだったと、昔の話は。

語り 佐藤チヨ
池上二良『増訂 ウイルタ口頭文芸原文集』より
1980年版の『資料館ジャッカ・ドフニ展示作品集』を読んでいると、40、41ページにこのトピック20・21で取り上げた鮭鱒の料理について詳しく書かれていました。

・čaččabi(チャッチャビ)
 捕獲した鱒や鮭を塩水に一晩つけて(鱒はつけない)、外で乾燥させてからカウラ(夏の家と呼ばれている加工室)に入れ、キポロ(渡し木)にかける。燻製にしたり、生干しにしたりして冬期の食糧にする。

・mauri(マウリ)
 鱒や鮭の身の部分を切り取り、外で乾燥させる。乾燥させた干身にトッカリ(アザラシ)の油をつけて食用とする。

・jaawu(ヤーウ)
 チャッチャビに似た製法を取るが、切身をつけたところが違っている。
チャッチャビ、マウリとともに冬期間の保存食、携帯食にしている。

・bukpaa(ブクパ)
 鱒の頭を切り取り、内臓を取り出し、一尾のままシロプ(串)に刺して焼く。焼いたあと、キポロの上に乗せて乾燥させる。

※鮭の場合、ぶながかった鮭(産卵期間に入って、体が銀色ではなく、やや黒味をあびた鮭)の方が油が乗らず、燻製にしても、あっさりして食べやすい。

※干魚、くん製の加工品については毎年試食用として作って展示し、入館者の試食に供している。

試食コーナーがあったんですね。ゲンダーヌさんが生きていた頃に行って見たかったです。
きつね

ある村にお客がやって来た。

彼のそりにつけた犬の列は大変長い犬ぞりで、歯どめをかけながら来た。
真っ黒な彼の服はピカピカ光っていた。
「あれまぁ、人の中でもひどく立派な人だ」
彼の袴は生まれたてのゴマフアザラシの皮でできているようで模様も美しい。
「これは裕福な人だろう。大変裕福な人だ」

客の先導犬から後ろの犬には飾りがあって先導犬には鈴がついていた。
その客は村の人たちの家の外に犬をつないだそうな。

村の人たちがそんな物持ちが来たものだから外へ出て見に来た。
そして自分たちの村の物持ちの家へ招き入れたそうな。
そしてその晩まで昔話(テールグ)をしたそうな。
客は食べ物を食べたり、昔話をしたりしていた。

そうしていると、人にいつもは食いつこうとしない犬であるその村の物持ちの猟犬が客を噛み殺そうとしている。

そしてずっと昔話(テールグ)をしていて
「これはこれは、だだの人ではないな。この人の昔話から考えるとこの人は語り物(ニグマー)ができる人だろう」と思い、
「あなたは語り物ができますか?」と家の人は尋ねた。
「おおー、語り物ならこの天の下に地の下にわしほどに語り物のよくできる人はいない」と言ったそうな。
「さぁそれなら今夜は夜を明かして語り物をして下さい」

さて聞きに来た人々は家を取り巻いて座って聞いている。
「あぁ面白いなぁ、人の歌声のうちでも大変良い。その人の声は大変響きが良い。ああ面白いなぁー」
面白がって寝る人は寝たり、聞く人は聞いたりしている。

外で猟犬がやかましくしているので、家の老婆が自分の犬をよそにつなぐために綱を解いたら自分の手から綱が外れて猟犬を放してしまった。
放すやいなやそこから語り物をしている客の方へかかっていったそうな。

猟犬はその人に噛みついた―彼らの相手にしたその客は真っ黒のきつねだった。
猟犬を抑えてながら「お客さんを噛み殺しているよー!」と叫んだら人々は起きた。
彼らの犬がきつねに噛みついている。やっと捕まえて止めた。やはり真っ黒なきつねだった。

翌日、そのきつねのそりと犬の列を見たら、みんな木の葉ばかり。
犬はカツカ(エゾゴゼンタチバナ)の犬ぞりがついており、そりを置いた所には綱に吊る下がった葉がさらさらとそよいでいる。
そこまでだったと、その昔話は。

語り 北川五郎
池上二良『増訂 ウイルタ口頭文芸原文集』より
昔話(テールグ)と語り物(ニグマー)の違いについては「北方民族」トピックの8をご参照下さい。

ゆうきさんがまとめていらっしゃいます。
廃物から化した悪魔〜チャグジュ(チャグド)〜

女が他の村へ嫁に行ってから、冬、トナカイで自分の実家へ二度三度行ったそうな。
さて、いまや春近く渡り鳥のカラスの月に、後で恋しく思わぬように帰ったそうだ。
その家までは道があり、彼女のトナカイは驚くことに、実にまっすぐ走る年取ったトナカイだ。
自分の子供をトナカイぞりへしばりつけると、日がもう少しで沈む頃に実家に着いた。彼女の実家は煙が出ていて、その(円錐形の)小屋の覆いは自分の例の人の小屋の覆いだ。ガヤガヤ人が家の中で騒いでいる。
さて、自分の子供を解くとすぐゆりかごのまま家の中へ持っていった。戸口を開けると家の中から誰かがつかんだそうだ。つかまれて子供はおぎゃーっと泣いた。それから彼女が良く見ると、その家は骨組みの棒だけの家だった。子供は泣いたとたんにだまってしまった。
彼女は自分のトナカイぞりへ駆け戻り、やっとこさっとこまた捕まえて、あわてて乗り遅れそうになりながら乗ったそうだ。彼女のトナカイは早足したり、だく足したり、早足したり、だく足したりして本当に気晴らしだ。
ずっとずっと行って夜中がまだ来ぬうちに自分の実家の家に着いて、トナカイを外へつないで泣いたそうだ。
「どうしてお前は泣いているか」
「自分の子供を化け物へやって、私は来ました」
「どんな化け物へ」
「あなた達が引越しした後に、あなたたちの家へ私は来ました。私が来た時小屋は覆いのままでした。開けてそうしてすぐ自分の子供を解くやいなや私は家の中に入れました。入れたとき、子供はおぎゃーっと急に泣きました。泣いている時私が走って戻りながら振り返ってみると、家は骨組みの棒ばかりになった。そうしてすぐ怖くてこっちへ一目散に来ました。
「さあ、これはチャグジュの化け物だ。それなら今夜行けばチャグジュの化け物がいるだろう」
その家は実家の人々が引っ越して以来、三晩すごしていた。父親たちは夜行くとすぐ何度も矢を射たそうな。
「靴だったやつが死んでいく。あぶら入れ(あざらし・とどの胃袋)が死んでいく」と言ってチャグジュが家の中でびっくりしている。そのチャグジュはもとは靴だったやつと、あぶら入れの袋だったやつだ。そのチャグドを彼らは殺してすぐ自分たちの家へ帰った。
女は泣きながら帰らずにいることも出来ず、自分の村へ帰り、例の人たちは居残った。
その人らはチャグジュの化け物を殺したと、その言い伝えからはっきりわかった。
その昔話はそこまでだったそうな。

語り 北川五郎
池上二良『増訂 ウイルタ口頭文芸原文集』より
チャグジュ(チャグド)はウイルタ語辞典(池上版)によると、引越しのあと屋内に残した廃物から三晩経つと生ずる化け物で、その化け物が生じさせないためには、引越しの際、廃物を野外の木の根元や木の又に置いて行けばよいそうです。

ん、つまりウイルタにはアイヌで言うところの物送り(イワクテ)が無いということでしょうかね。
アイヌですと、廃物は一部破損させて廃物の魂を送るという儀礼を行うのです。

今回のトピック42は卯月かりんさんに協力して貰いました。
カルジャメ(おおおとこ)

さて、爺さんがある一つの湖へ魚を採りに行って、刺し網をしたそうな。どんな魚もとてもたくさん取れる。
「あーあ、とても暖かいいい日だな。あーあ、眠いなー」
と白樺の皮で出来た自分の船の中で眠ってしまったそうな。
何を夢で見たのだろうか、ざらざら自分の顔を木の葉がさわることで目を覚ましたそうだ。
あれまあ、人間のうちでもひどく丈の高い人間が例の彼をかついで連れて行く。一本の大きな木の下を通った。ひどく太い枝がある。爺さんは起き直ってその木にそっとつかまって残ったそうな。大男は古い小道があったところをまっすぐ空の船を運びながら行ってしまった。
行ってしまった後で爺さんは葉のついた枝の上に降りてきた。枝の上に腰を下ろして座っていると、大男が川上から来たそうな。
「どの辺りで軽くなったろう?」
彼の言葉だけが聞こえる。
「どこで軽くなった?」
と言って近くまで来てみれば、あれまあ毛だらけのカルジャメが来る。
ここまで来させて二つの胸の間へ矢を射たら、ばったり倒れた。爺さんはそっと降りてきて、カルジャメの道をまっすぐ行った。行ってすぐカルジャメが置いてきた船を持って引いてきた。自分の魚採りをしている湖へ来て、自分の網の魚を外すとすぐまた刺し網をするために陸へ船を着けた。刺し網を水中に固定する杭棒を切っていると、
「コエーク コエーク」
と何度も口笛を吹いている。これはカルジャメだ。
「何を採ろうとしているんだ」
と言ったそうな。
「なに、俺の採ろうとしていることが悪いことか。魚を採ろうとしているのだ」
と言って爺さんは陸へ船を着けるや否や、刺し網の棒を切った。カルジャメはその脇へ来たそうな。
「さあ、お前は俺の相棒になれ」
「ふん、お前は俺の相棒に欲しくない。俺が何に必要か。俺はお前をいらない」
爺さんはいまや一気に小刀で刺し網の棒の根元を尖らせながら削ったそうな。彼の血がドクっと出るほど切った。その流れた血はあちこちにはねて真っ赤に赤くなったそうな。
カルジャメは彼のほうを見て、血が流れるのを見ただけで仰向けに手足を伸ばして死んだそうな。爺さんはそうしてすぐ自分の船へ戻って乗り、自分の刺し網の棒を、網を抜いて戻し、網をまた畳んで帰った。そこまでだった。

語り 北川五郎
池上二良『増訂 ウイルタ口頭文芸原文集』より
カルジャメは辞書などによると「大男の怪物」や「鬼」と訳されています。

上記のような昔話に現れ、頭の上に太い角が生えていて背が高く力強いです。
人間の子をさらい、目や口・鼻へ脂を塗りつけるそうです。
河の上を自由に歩行するけれども浅い川や水溜りは渡れません。
そして上の文末でもご覧の通り血を恐がります。死んじゃったりもします。

腰には人間や動物(けだもの)の爪を入れた袋(小容器)を下げているそうで、この爪を手に入れると幸運に恵まれるとのこと。
しかし爪を触ることは悪く、死ぬそうです。

次に書く予定になっている『ナルンゲーヌ』はその小容器にまつわるお話になるようです。

今回も卯月かりんさんに協力して貰いました。ありがとうございます。
予告していた『ナルンゲーヌ』が捗らないので、tuuruのことでも書こうかと思います。

tuuru

tuuruは「シャマンの神木、神柱」と主に訳されています。
シャマンの家には必ずtuuruという木が立てられます。
この木には落葉松、エゾ松などを主に用いていたようです。

ではtuuruは何のために立てられたのでしょうか?

和田完さんのレポートではこのように書かれています。
「シャマンの巫術行為から分析される特徴的な要素に、シャマンの他界遍歴と精霊による憑依がある。ウイルタ族のシャマンも、その宗教的忘我状態で他界へおもむいたり、守護霊にとり憑かれたりする。この巫術中にみられる二つの主要な要素を実現するには、セアンス(交霊会:とらんね注)において他界への道案内となる守護霊や、シャマン自らに憑依する精霊を呼び出さねばならない。このように呼び出された精霊は、まずtuuruと呼ばれる樹木に止まる」(「ウイルタ族のシャマニズム的偶像」)
要するにシャマンにとり憑く守護霊や精霊がひと休みする木であるようです。

池上二良さんの辞典ではこのようにも書かれています。
「はじめて巫者(シャマンのこと:とらんね注)となるとき立てるが、病人のある家の前にも立てる。飛んで歩く妖怪や渡り鳥が人体に止まって休むと病気になるのでこれに止まらせる」(『ウイルタ語辞典』)
守護霊以外にも妖怪や渡り鳥を病魔の原因と考えていたことにも注意をひきますが、平たく言うと精霊も良い霊から悪霊までそこに止まらせる事を行った様子です。

更に熊祭の時も立てられたようです(澗潟久治『ウイルタ語辞典』)。
大林太良さんとパプロートさんの論文でも触れられています。
「熊は二本の柱に結びつけられているが,これらの柱は特別な形のinauで包まれている。この背の高く,先が又状に割れた柱は枝岐の先端に特別なinauが結びつけられており,その象徴的な意味からして(略)最も重要な物体をあらわしている。(略)いわゆる《熊を送り出す柱》がこれである。(略)熊の魂はここから森の主の所への道をたどって行くのだ」(「樺太オロッコの熊祭」)
熊の霊がその柱から森へ帰って行くとのことです。そしてまた,翌年以降人間の元に熊が戻って来る目印にもなったようです。

熊送り(熊祭)におけるtuuruの形状は少しだけ書かれていましたが,池上二良さんの辞典が詳しいです。
「人間の顔を東面に彫り,その上に頭のある木幣をつける。顔の下の枝は手につくり(原文ママ),これに木幣をつける。これらの上の枝葉はそのまま,手から下は樹皮をとる」
つまりtuuruの先端には人形があるということのようです。

網走において北川五郎(ゴルゴロ)さんの家の裏庭にもtuuruとして1本の松が植えられていたそうですが簡略化された形式だったそうです。

tuuruに私は日本における神社などの原型というか原風景を感じました。
日本は神様にこの土地に留まっていて欲しいのでお社を建てた。
ウイルタはシャマンの元で霊を止めるために柱を立てた。
何だか似ているような気がしませんか?

おわり
ウイルタの語り物と言われている英雄物語「ニグマー」は同じツングース語系統のエヴェンキから伝わったものではないか、と池上二良さんが報告されています(「カラフトのウイルタ族の英雄物語とその伝来」)。

日本では佐藤チヨ(ナプカ)さんから池上さんが記録した2篇のニグマーがあります。
「シーグーニ物語」と「アグジーナーシ・オモシナイ物語」です。
前者が約4時間40分で後者が約3時間10分の長編物語です。

私は『増訂 ウイルタ口頭文芸原文集』で「シーグーニ物語」の冒頭部分しか聞いたことがありませんでしたが、歌う部分と語りの部分があってその歌う部分はエヴェンキ語なのだそうです。

エヴェンキの英雄物語も歌う部分と語りの部分があったそうで、ウイルタにニグマーとして伝わる際に語りの部分だけウイルタ語として改変されたのではないだろうかと池上さんは書かれていました。
どのような形でエヴェンキからウイルタに伝わったのかまでは書かれていませんでしたが、なかなか興味深い論文でした。

・・・ようやく『ツングース語研究』から面白い内容をしょっ引いて来ることができました。
このような記事がありましたので貼っておきます。北海道新聞です。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/489585.html

閉館のウイルタ民族資料館 収蔵品を道立博物館に 北海道・網走

【網走】2010年に閉館した、サハリンの先住民族のウイルタなどに関する私設資料館「ジャッカ・ドフニ」(網走市)の収蔵品約600点が、網走市内の道立北方民族博物館に売却、寄贈されることが分かった。運営主体のウイルタ協会(田中了会長、事務局・札幌市)は会員の高齢化などで後継者がおらず、施設の維持が困難と判断。建物は4日に解体され、土地は所有者の網走市に返還される。

 ジャッカ・ドフニはウイルタ語で「大切なものを収める家」の意味。戦後、樺太から網走に移り住んだウイルタの故ダーヒンニェニ・ゲンダーヌ(日本名・北川源太郎)さんらが、北方民族の文化を伝えようと全国から寄付を募って1978年に開館した。

 ゲンダーヌさんや義妹の故北川アイ子さんが製作した儀式の道具、調理用具、刺しゅうのほか、樺太アイヌ民族などの楽器や衣服も展示していた。初代館長のゲンダーヌさんと2代目のアイ子さんの死後、ウイルタ協会が管理していたが、来場者の減少などから、10年冬に閉館した。

 同協会は収蔵品の保管策を模索。北方民族が専門の同博物館に打診したところ、「製作者や由来が分かる貴重な資料であり、北方民族が協力して開館した歴史を残すことが重要」(笹倉いる美学芸主幹)とし、収蔵品の一部は有償で、残りは寄贈の形での受け入れを決めた。同博物館の展示に活用するという。<北海道新聞9月4日朝刊掲載>
どうやら建物も昨日のうちに撤去されたようです。
最後に建物が無くなる前に行く事ができて良かったです。

北方民族博物館が今後どのように600点の資料を活用して行くか見守っていきましょう。
オロチギダ・ウーラ(山トナカイに化けた飼いトナカイ)

北樺太にコストという偉い人がいた。
このコストが南樺太のナイプト(恐らく現・テルペニヤ湾沿岸)に移り住み長く暮らしていた。
ある時、コストは女房もいない独り身だから、北樺太へ弓矢を持って遊びに行った。
コストは南樺太では弓射の名手だった。

コストが遊びに行った家には爺と媼、その息子2人と娘1人がいた。
その北の人達と一緒に1、2年暮らし、そうしているうちにその娘を女房に貰った。
2人の息子も弓射が巧みで、狩猟上手、腕自慢だった。

ある日コストは2人の兄と一緒にトナカイ橇を仕立てて山トナカイ(=野生のトナカイ)の狩猟に行った。
実はコストの腕前を知らない兄2人はコストをバカにしていた。
狩猟に出る前、コストに「山トナカイを獲った事は無いだろう。食った事も無いだろう」と。
コストはそれを聞きながらも黙っていた。

さて、山で3人は2,3回と狩猟で歩き回った末、山トナカイ3頭を発見した。
兄達はオロチギダ・ウーラ(山トナカイに化けた飼いトナカイ)を連れていたから、このトナカイをおとりに使い、山トナカイ猟を始めた。
オロチギダ・ウーラに15尋(約27.5m)の長さのアザラシ革紐をつけ、その端を長兄が持ってオロチギダ・ウーラを先頭にその影に隠れて山トナカイに近づいて行った。
コストもそれについて行き、やり方を見ていた。

オロチギダ・ウーラは山トナカイに相当近づいたので、長兄は革紐を手繰った。
山トナカイはその飼いトナカイに次第に接近してきたので、次兄が弓を構えた。
これを見てコストが「早く弓を放て」と切羽詰った静寂な間に喋った。

人間の声がしたので山トナカイは走って逃げた。兄達はコストを怒った。
そこでコストは自分の弓を片手に取り上げ、3本の矢を片手に握った。
逃げたトナカイはどんどん逃げてずっと向こうへ。
コストはあ弓に矢をつがえ、弦を引き絞り、狙いをつけ矢つぎ早に射た。
狙いはあやまたず急所に当たった。一度に3頭ともたおした。

そこでコストは言った。
「俺、1頭皮を剥ぐから兄さん達は2頭の皮を剥いでくれ。早く剥いだ方が木串を拵えて肉を焼こう」
3人は一生懸命に皮を剥いだ。皮剥ぎ競争をしたのだった。
コストが先に1頭剥いで、皮を肉に包んで雪の下に入れた(凍結して解体処理が難しくなる為)。
それでもまだ兄達は1頭の皮を剥いでいたから、コストはもう1頭の皮も剥いでしまった。
2頭処理してしまった上、木串を作って肉を焼いた。そこで最初にバカにされた事を見事に仕返しした。

(以下 略。 本文 大幅編集)
山本祐弘採集 北川ゴルゴロ口述 『北方自然民族民話集成』1968年
久々の投稿でした。
ウィルタ民族のトナカイ猟を調べてみたかったので、トナカイ猟の仕方や肉処理の仕方が解るテールグだと思います。
この物語が採録された時に“その頃は鉄砲のない時代だった”と但し書きが書かれていまして、もしかすると、18世紀以前の昔話だったのかな、と勝手に想像しております。
樺太における猟銃の歴史って、どなたか書いてらっしゃるかしら??

後半は熊祭の際に催される角力(相撲)の話でしたので、省略しました。

〔45〕で予告していた「ナルンゲーヌ」は・・・すっかり忘れてました。
機会を見ていつか更新してみますね。
〔45〕で予告していたテールグ(昔話)をようやく訳す事ができました。

『(現題)ナルンゲーヌ』〜化け物の持っている容器〜

ナルンゲーヌは毎年秋になると、熊を獲りに行くために熊がいつも通る道である川をずっと遡っていた。
真っ直ぐ登って行き、開けた平地の先端に出たのでそこで歩みを止めた。
そこからいつも熊が川を降りて行き交うのだとか。

そこでキャンプをし、その翌日に川へ向かおうとしたら“コエーク”と何度も口笛の音色が聞こえてきた。
「何だこの口笛は?小鳥だろうか?見に行ってみよう」
そこには、とても背が高く、顔は毛だらけ、頭が尖っていて、細い人がいた。手も全部毛だらけ。
その手で一所懸命にナルンゲーヌを呼んでいる・・・「これが話に聞くカルジャメという怪物かぁ」と分かった。

そのカルジャメの帯に“全ての生き物の爪”というアイテムが入っている容器があり、その爪を手に入れると幸運が訪れるのだとか。
「なんとかしてひとつ容器を手に入れる事はできないものか」とナルンゲーヌは考えてみました。

カルジャメの周りをウロウロしていたら、カルジャメが「どうしてお前は回っているのだ?」と抱きついてきた。
「いや、俺は好き勝手に回っているだけだ」と答え、すぐに相撲をとってみた。
そして、帯の容器がちぎれてしまう程強くカルジャメを投げた。
プッツリと容器が切れた時にカルジャメが仰向け、大の字に倒れた。
その際に容器を1つ手に入れた(複数容器があるらしい)。
カルジャメは身体を起こし自分の帯を探ってみると、「容器が1つ無くなった!容器が!!」と叫んだ。

そこに1本の樹の根っ子があり、その根にナルンゲーヌが抱きついた。
容器自体もその樹の細かい根に絡まっていた。その根に抱きついたままナルンゲーヌは、
「さぁカルジャメ、お前は強いのだから、この樹を持ち上げて容器を取り戻してみろ!!」と挑発した。
根を両手でしっかり抱きつき、ナルンゲーヌも容器とともに引き離そうとしたが、びくともしない。
「チクショウ!ナルンゲーヌやい!お前は俺にどうして意地悪するんだ、容器を返してくれ!!」
ナルンゲーヌは返答せず樹の根にしっかり抱きついている。

カルジャメは癪になり、ナルンゲーヌの尻を“ティク!”と音がする程平手打ちした。
樹ごと持ち上げ掘り起こそうとしても動かせず、カルジャメは帰ってしまった。
カルジャメが見えなくなった途端ナルンゲーヌは身体を起こしてキャンプしていた川へ戻った。

川に戻って座っていたら「ナルンゲーヌ〜、容器を返してくれ〜〜」とカルジャメが叫ぶ声が聞こえた。
ナルンゲーヌは黙っている。再び同じ叫び声が聞こえても無視。
暫く座っていたら、1匹の熊が川を下って来たので弓で射た。熊は身を伸ばして倒れた。
また暫くしてまた同じように熊が来たので再び熊を倒した・・・それを繰り返し、一晩のうちで7匹も獲った。

これはカルジャメの容器のアイテムを手に入れたおかげ。獲った熊を対岸まで並べた。

「ナルンゲーヌやい!どれだけたくさん獲るつもりだ!もう十分だろ!?容器を返してくれー!」
このカルジャメの返答にも応じず、翌日獲った熊を川辺から陸に上げていた。
陸に引き揚げて七匹の熊皮・肉に分け、3艘の舟で運搬し、自分のテントで熊祭をした。
熊祭をしていたら「さぁナルンゲーヌ、もう十分だろう。どれだけ熊を獲るつもりだ。さぁ容器を返してくれ〜!」と叫んでいる。

自分の村へ戻ったら、家と屋根の隙間からカルジャメの手が入って来た。
「さぁ容器を返せ!今回獲れた分でもう十分だろ?すぐ返せ!返してくれなきゃダメだー!!」と言って来た。

ナルンゲーヌは鉄のマサカリを火にくべて、赤くなるまで熱し、それを手を伸ばしているカルジャメの手の平に置いた。
カルジャメは「アチチアチチ!」と叫びながら自分の手が焼けた状態で逃げ去っていった。

そうしてナルンゲーヌはカルジャメを負かした。そんな昔話である。

(以上、大幅に意訳)

語り 北川五郎
池上二良『増訂 ウイルタ口頭文芸原文集』より
先月末にアップした「ナルンゲーヌ」に副題として「化け物の持っている容器」と付しました。

ナルンゲーヌという人物がカルジャメに遭遇し、そのカルジャメの持っている全ての生き物の爪が入っている“容器”を手に入れると幸運に恵まれるという言い伝えのテールグです。
その容器を知恵を使って手に入れたおかげでなんと7匹ものクマを得る事ができたという話です。

この訳にどうして時間が掛かったかと言いますと、カルジャメの容器の名前も“カルジャメ”というのです(!?)。
これは池上版辞典をひかなければ、「んん?どういう事??」みたいな状況のままでした。

つまり、カルジャメのカルジャメという理解するのに難しいものになっているのですね。
だって、カルジャメが「カルジャメを返してくれ〜」とか叫んでいるんですもの(汗)。

少々面食らっておりましたが何とか意味を理解して、池上版辞典を手に考察しながら無事にまとめる事ができました。
『鷹のような目―ショクショーヌ』

1人の女性が妊娠中に鷹を殺し、その鷹の目をその女性に食べさせ、更に鷹の血で身体を洗わせた。

ウィルタ民族の中ではこのような言い伝えがある。
鷹の目を食べると生まれてくる子供の目が強くなり、鷹の血を飲んだり、血で身体を洗うと生まれてくる子供が強くなるという。
その言い伝え通りに妊娠女性に実践して貰ったのだった。

そして女性は子供を産んだ。言い伝え通り普通の人間とは違う鷹の目を持った子供が生まれた。

その子「鷹の目―ショクショーヌ」は大きくなり、水中を見ればどんな深い淵の中でも濁った水でも魚を見つけて獲ることができた。
ショクショーヌを連れて大人たちはアザラシ猟に出た。
ショクショーヌは船の先端に乗ってアザラシがいないか監視していたが「水の中が濁ってきた、天気が悪くなるぞ!」と察知し、沖からすぐ陸へ引き返した。
本当に天気が悪くなり、天候が回復するのを待って再び沖へ出た。

すると、0才のアゴヒゲアザラシがウロウロしていたので、大人達は銛を構えた。
ショクショーヌは水中のアザラシの動きを見て指を差ししている。
「そろそろ水面に現れるよ」とショクショーヌが言った場所で銛を構えているとアザラシが浮かび上がり、無事捕獲した。
「やはり目が良いな」と大人達は感心した。

そのような猟を繰り返し、猟で血を見続けていると目が本来悪くなるが、そんな中でも大変強い人になった。
大人になり、一人で野生トナカイやクマ等を獲るようになった。

北知床半島(オホーツク海沿岸の細い岬)にショクショーヌを連れて行き、そこの岩で海獣猟を行った。
その岩では一面びっしりアザラシが寝ていたので早速猟を始める事にした。

内湾から自分達の船を抱えて反対側の海まで歩き、岩へ自分達の船を繋いでアザラシへ向けて銛を伸ばした。
銛の柄を長くして獲る準備をしていたら、シャチが沖の方で何頭か泳いでいた。
シャチを見ただけでアザラシ達は自ら海へ下りて、なんとシャチに獲られに行く。
獲られた際に吹き上がる水煙があちこちで立ち上り、ショクショーヌは一頭も突く事ができない。

ショクショーヌはシャチを憎らしく思い「これは俺と張り合うために来たのか!?1匹も寄こさないつもりか!?」と恨み節。
「俺のような道具も使わずに自分の歯で獲っててそれでも張り合っているつもりか?」
「銛で獲る俺のように成果も出せずに張り合っているつもりなのか!?」と罵った。

その直後、大変良いゴマフアザラシが現れた。「俺が獲ってやる、例えシャチが相手でも!!」
一所懸命に銛を柄に繋げて長く伸ばし、アザラシの近くまで迫っていた。
銛を水面に浮かせる浮きも付けて、もうすぐアザラシに届く・・・というところで・・・
なんと、赤い銛がアザラシに先に刺さって浮いているではないか!!
その銛は全て赤い・・・海神の銛だった。すなわち海神=シャチの銛だったのだ。
シャチという海神にショクショーヌは海獣猟という同じ銛猟で負けてしまったのだった。

完全にシャチという海神を甘く見ていたショクショーヌ、その日以後この水中の魔物を甘く見ることはなくなった。
しかし、彼の鷹の目は天の恵みである事を理解・意識し、その後も濁った水・深い淵でも透視し、猟をしながら生活したそうだ。

(以上、大幅に意訳)

語り 北川五郎
池上二良『増訂 ウイルタ口頭文芸原文集』より
〔54〕の題名は元々「ショクショーヌ」でした。
そもそもショクショーヌの意味が「鷹の目」なので、タイトルとして付しました。

この話には3点のキーワードがあります。
(1)妊娠女性に鷹を与える言い伝え
妊娠した女性に獲って来た鷹の目を食べさせると生まれて来る子供目が強くなる。
鷹の血で身体を洗うと生まれて来る子供が強くなる、です。
妊娠期間においても妊娠三ヶ月の時にこの呪法を行うのだそう。

(2)古式アザラシ猟
戦前には既に銃を使った猟になってましたが、それよりも前は真ん中の絵のような銛を使ってました。
銛全体をダルギと呼び、銛先はジョグボ、銛先近くにラフと呼ばれる浮きが付属していて、ダルギが沈まないようにしてます。
獲物に届くまで柄を長く繋げて繋げて届かせて刺す、という使い方です。
刺さると銛先が獲物に刺さったまま離れて、獲物が疲れたら舟に引き揚げる猟でした。

(3)シャチ=海神
シャチは隣のアイヌ民族でも海の獲物を我々に与えてくれるという意味で「沖の神」と言われてます。
ウィルタ民族においても「モーケーニェーニ(海の人、水人、海神)」と呼び敬ってます。
今回はショクショーヌがアザラシ猟で勝負しようとけしかけたら、海神であるシャチが人間と同じ猟法をしたというものでした。
どうやら全てが【赤いダルギ】をシャチは持っているという、民族の中では周知の事実のようです。
『シャラ〜鉄の人の悲しみ〜』

シャラというナーナイ人がいた。未だかつてこの人より強い人を私は知らない。
身体が鉄のように硬いので鉄、つまりウィルタ語でシャラと名付けられた。

ある時、仲間達と自分の息子を連れて鮭漁に向かうために網を舟に積んで川を下った。
毎年漁場としている岬に一旦舟を着け、淀んだ場所があり、そこで漁を始める事に決めた。

「息子よ、お前は陸の方で網をつかんでいろ、そして(漁を始める際に)一緒に川下へ下れ。
そして俺達(仲間と)はこの岬に回って舟を着けるから」と対岸に向かう準備をした。
「ここでじっとしていろ。網をここでつかんでじっと準備をしていろ」と息子に陸で網を持たせた。

シャラはその網の反対側を持って川を下り始めた。
ところが、息子の網が下らない・・・どうしたことだ?

シャラは対岸に向かって「下れー!」と仲間達と叫んだが、応答が無い。
「どうしたのだ?うちの息子は?見て来てくれ」と仲間に頼んだ。

網は息子の手から離れて水面にあり、そしてシャラの息子が川に頭を突っ込んだままの状態で発見された。
それを見た仲間が「子供が死んでるよ〜!!」と絶叫した。

その声を聞きシャラが川の浅瀬の枝に引っ掛かっていた網を回収しながら、息子の元へ。
「自分の息子が死んだ・・・どうなっているのだ、どうしたらよいのだ」息子を川から引き上げた。

「どうしたらよいのだ・・・あ、網を揚げよう、陸へ網を揚げよう」
魚の掛かった網を陸へ皆で時間をかけて全て引き揚げた。

引き揚げた後、仲間達に「お前達は少し陸へ魚を残し、少し自分達の舟へ積んで川を遡って帰ってくれ」とシャラが言った。
そして「俺の家の者が尋ねたら“自分の獲った魚を片付けている”と言え。そして子供が死んだことは知らせるな!人へも喋るな、教えるな!!“子供とあとから帰って来ると思うよ”と伝えておけ」と注意した。
仲間達は「はい」と応じて、魚を積んで川上へ帰った。

シャラは息子の遺体と残り、夜を迎えた。
真夜中になると自分の身体の上に仰向けに子供の遺体を寝かせて眠った。
シャラはその時両手に2本の小刀を握った。

更に真夜中、川の波がざぁざぁざぁと打ち寄せてきた。
波が静かになった時、1匹のトドが子供の遺体を食べに丘へ上がって来た。

トドは丘へ上がり、鼻で匂いを嗅ぎながら少しずつ、シャラ達の元へ迫って来る。
彼らの上に来て、子供に咬みつくや否やグッと息子を持ち上げた。
その瞬間にシャラは両側から持っていた小刀でトドを刺して一気に裂いた。トドから血がドッと出た。

トドは目から火を出しながら“ホー、ホー!!”と吠えつつ水辺の方へ慌ててドブンと跳ねるように引き返した。
その後子供を陸の方へ置いておき、ほんのり明るく白んできた時に彼は帰路についた。

自分の家に着いて、妻に「あー、癪だ!化け物に子供を殺された!!」と告白。
「あの世に俺より先に子供が行った。トドを刺したからあの世への道を作って先に行くがいいさ」
「俺の子供を殺したのが化け物であるのならば、タダでは生かしておけない。息子がなぜ殺されなければならなかったのか知りたいものだ」
悔しさを口にしてから漕ぎ手とともに置いて来た息子の遺体を迎えに行った。

子供の死体を目の前にして妻は泣きそうである。
「死んだものは死んだものだ。泣いて生き返方法があるからお前は泣くのか?」と妻に言い放った。

あくる日年を取ったシャマンが両側から血を流し、口から血を吐きながら死にかけていることが伝わってきて、シャラを人々が迎えに来た。
「シャマンが“人を殺した化け物を殺すためにシャラが殺した、シャラが殺した!”と訳が分からないことを喋るんだ」と人々が言った。

シャラはシャマンの元へ行き、両脇にシャラが小刀で長く裂いた傷があったのを確認し、その後すぐに帰って自分の息子を葬った。

「ねんごろに葬ってからどうして泣きたくなるのだ?生まれて来て元気になるように泣くのか?生き返るように泣くのか??」
泣いている自分の妻に言った。
「泣くな。自分の身体を壊すために泣いているようにしか思えないぞ。どうして泣くんだ」


(以上 超大幅に意訳)

語り 北川五郎  池上二良『増訂 ウイルタ口頭文芸原文集』より
シャラの話はちょっと読み手には分かりづらい内容だったかも知れませんね。

池上先生の解説を要約すると、トドがシャラに恨みを抱いていたので、シャラの子供を殺したのだそう。
そしてシャラは死んだ子供の傍にいたら、そのトドが子供を食べに戻って来たので両側から子供を刺した、トドはたまらずトドを憑神としていたシャマンにその傷を負わせてシャマンまで死んでしまった。

・・・何とも後味の悪いお話でした。

ここではウィルタの川漁のやり方が前半に書かれていましたので、佐藤チヨ(ナプカ)さんからの聞き取りと下記にも書くように参考程度に写真を含めて書き留めておきます。

・(ウィルタとニヴフによる引き網漁)写真の大勢の人々による規模の大きい引き網漁は日本人からもたらせられたものである。

・それ以前の引き網漁(ケーレック)は舟に3人乗り組み、1人がかいを取り、もう1人が舵を取り、もう1人が網を水中に入れながら川を下る。
網のもう一方の端は岸にいるもう1人が持って川を下り、舟を岸に着けてから網を引く。

あとは子供を殺されて帰って来て妻に語った「トドを刺したからあの世へ向かう道を作って・・・」の件は僅かながらウィルタ民族の死生観を垣間見るような表現です。
この辺りはいまいち調べてませんが、トドと共にあの世へ向かう道を行け、という意味合いがあるのかなぁ、と。

しかし、この死亡事故の首謀者もトドだったので、何とも言えません。
暫く更新していないので、こちらをば。

・ウィルタ民族の12ヵ月(池上二良、澗潟久治 両氏の編んだ『ウイルタ語辞典』をそれぞれ引く)

≪池上二良『ウイルタ語辞典』≫
1月  バダル ベーニ  凍れて(しばれて)ぬかる月
2月  グジ ベーニ 鷲・オオワシ月
3月  トゥワ ベーニ 渡り鳥のカラス月 ※トゥワ:3月頃来て9・10月頃去る。
4月  ホーン ベーニ 水鳥月 ※この水鳥は渡り鳥。春3・4月に来て秋に去る。食用
5月  フンニーン ベーニ 花のつぼみ月 (ヌーチ シラー 小さい花 とも言う)
6月  シラーン ベーニ 花月 (ダージ シラー 大きい花 とも言う)
7月  トゥーリマウ ベーニ 鮭鱒月
8月  ゴードゥマン ベーニ 産卵期の鮭鱒月
9月  シドゥフムベー ガダプリ ベー(シドゥフム ガタプ ベーニ) コケモモの実を採取する月
10月 プタ ベーニ (小動物を捕まえる)罠月
11月 サグジ ベーニ 年取った月(1月に使う人もいた)
12月 ギッラウン ベーニ 年をまたぐ?月

≪澗潟久治『ウイルタ語辞典』≫
1月  ギラウム ベーニ 跨いで越す月
2月  グジ ベーニ 鷲月
3月  トゥワ ベーニ 小カラス月 ※小カラス=ミヤマカラス
4月  フム ベーニ アーン鴨が来る月 (オリ ベーニ 大ガラス月 とも言う)
5月  シラーム ベーニ 鴨の一種の月
6月  フンニム ベーニ 実を結ぶ月
7月  トゥリマム ベーニ 産卵前の鮭鱒を獲る月
8月  ゴードゥマム ベーニ 鮭鱒産卵期の月
9月  シドゥフ ガタプリ ベーニ コケモモ(フレップ)を採る月
10月 プタ ベーニ 罠月 ※テン、リスを獲る罠。
11月 バダル ベーニ 鮭、獣肉の燻製の月
12月 サグジ ベーニ 年を取った月

インフォーマント(聞き取り話者)が異なると月の表現が異なったり、見解が違うのも見えますね。
特に年末年始の名称が非常にあいまいです。
池上氏の辞典の言語を優先に書きますが、バダル ベーニは1月でしたが、澗潟氏では11月。
ギッラウン ベーニは池上氏で12月、澗潟氏では1月。
サグジ ベーニは澗潟氏では12月、池上氏では11月で更に「1月に使う人もいた」と。

そもそも12ヵ月という認識がウィルタ民族にあったのかどうかも怪しく感じられます。
>>[058]

面白いですね。アップありがとうございます。

アイヌの暦を調べてるので似かよってる部分もあるなと思いました。
アイヌの暦も地方や伝承者によって違いますが、北海道は広いので地方によって植物の採取時期が少しずつずれたりするのも関係するようです。
また月の名前に対応させるのが、新暦なのか旧暦なのかによってずれるのでそのあたりも混乱の原因のようです。
>>[59]
ありがとうございます。
あまり体調がよくありませんので、上手く説明できるかわかりませんが、池上氏も澗潟氏も辞典が双方とも2月〜10月までは殆んど似たよう な表現だった筈です。
何となく旧暦を使っていた、という記憶があります。

他にも表記されている記録が無いか調べたいところです。

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