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オホーツク文化の会コミュのアイヌ語地名

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「アバシリ」は語源的には「アパシリ」A-pa-sir(われらが見つけた土地)とか「アパシリ」Apa-sir(入口の土地)などといわれる。しかしこれらの伝説や語源説はすべてまちがいで、「チパシリ」Cipa-sir(幣場(ぬさば)のある島)が正しい語源である。「チパシリ」Cipa-sirとは網走川の川口に近い海の中にあったもので、現在では帽子岩と呼ばれて、網走港の防波堤の一部になっている。「チパ」Cipaは「イナウサン」Inaw-san(幣場)の古語であるため、その意味が忘れられた。そのため「チパシリ」Ci-pa-sir(幣場のある島)は異分析されて、「チパシリ」Ci-pa-sir(われらが見つけた土地)と解されるようになった。さらに「チ」Ci(われら)は同じような意味である「ア」A(われら)にかえられて、「アパシリ」A-pa-sir(われらが見つけた土地)となったのである。
http://www.asahi-net.or.jp/~hi5k-stu/aynu/abasiri.htm

とあるんですが、「pa」の「見つけた」と訳せないんです。一応参考にした物は知里博士の『地名アイヌ語小辞典』とアイヌ語のHPです。
どれも、「pa」は頭や崎だったりします。「pa」「見つけた」は「Ci」などのように古語なのでしょうか。それとも僕の勉強不足なのでしょうか。

また、「sir,-i」は島や岩などではなく、山や断崖と訳せてもどうにも「島」や「岩」とは約せず、「sirar,-i」ならば岩や川の中の岩と訳せました。

本来、Apashiri とは帽子岩をさしているようです。帽子岩は昔幣場であったようです。帽子岩は海の中にある岩ですが、寒冷で陸橋ができたころに命名?されたのであればあながち間違いではありません。

僕は「Apa-shir」と読んで「入り口、所」または「A-pa-shir」と読んで「われら、川下、所」と妄想しています。

間違いだらけだと思いますので御指摘して頂き、正しい表記に導いていただければありがたいです。

では、よろしくお願いします。

コメント(8)

自己解決しました。

paをアイヌ語辞典で調べた所、pa・・・を見つける。『アイヌ語辞典・沙流方言』とありました。

何故、地名アイヌ語辞典に載っていないのか。

何か釈然としませんが、勉強不足だろうと思い、卒論と平行して調べるつもりです。

しかし、網走の地名は諸説諸々なようですね。解明はされるのでしょうかね。
ゆうきさん

確かに『地名アイヌ語小辞典』には載ってませんでしたね。
しかし、『アイヌ語入門』の方では一番上に書いてあるものと同じです。

古語なので理解されなくなった・・・こんな事ってあるんですかね?
道東では祭壇のことをイナウチパと今でもいうような気がするのですが。

日高地方の辞書と若干方言が違う時もあるので、
伊藤せいち氏という方のアイヌ語地名本も調べてみて下さい。
今後の活動について。

地図にアイヌ語地名を記入していく

比較的にアイヌ語表記されている、河川を優先的に行う。

地域は地元の網走から。

他地域についてはコミュニティメンバーが自由にトピックを作成していただきたい。

と軽い気持ちで行っていきます。
> かりんぱに(とらんね)さん

レス遅くなりすみません。

伊藤せいち氏の『網走川』を先月に購入しました。

辞書については高価で購入出来ないのでwebで対応していきたいと思います。

先に書きましたが、網走から地図に地名を記入していきたいと思っています。
もう明けましておめでとうございます。では遅いと思いますが、今年もよろしくお願いします。

さて、年末年始は地元網走に帰省していました。

天候に恵まれず、予定していたことの大半を達成出来ずに終わってしまいましたが、地名を地図に落とす作業を少し行うことが出来ました。

地名研究?を行う際に一番入り易いのは河川名ではないでしょうか。

アイヌ語として残っている地名の殆どが自然地名?だと思います。

なので、実家のそばを流れる数本の川を実際に見学し、地図に落としていきました。

網走に訪れたことのある方は知らず知らずに見てると思う、鱒浦海岸沿いに広がる河川を中心に見学してきました。

潮見から海岸に向かって下って行き、漁場であったであろう場所を探しましたが、やはり雪と開発により、見つけることができませんでした。(河川名などは次のコメント以降書いていく予定です。)

車で川沿いを走りらしきものを見つけようとしたのも間違いだったのかもしれないです。

そして、地図を見てもやはり、旧名などは載っていない場合が多く、知里博士の地名考と戸部氏の地名考を参考に地名を落としていきました。

まだまだ、河川看板にアイヌ語名が記載されている場所が少なく、国道地理院などのHPや河川管理団体(正式名称忘れました)を見ても一級河川のみで近間だと網走川や常呂川などでした。

これから、網走に帰省する機会も減る可能性もあり、実際に見て回る機会が減ることを残念に思う今日このごろです。
それでは、今回調べた?地名?について

地図と照らしあわせてみていただければ、見やすいかと


(1)オショップ―鱒浦郵便局から鱒浦神社をぬけ八坂までのびている。
  (Oshop)オ・ショ・オ・プ(O-sho-o-p)。オ(川尻に)、ショ(滝)、オ(ある)、プ(渚)。
   川尻が急いで滝のように流れおちるている川。知里1958
(2)オピオショップ―南小学校の横から教員住宅をぬけ、第三中学校のうらで止まる。
  (Opi-Oshop)オピ(捨てる、別れて行く)オショップ
   オショップの所から別れて奥へ入っていく沢。知里1958
(3)鱒浦川―勇仁川の枝川
   この近郊は昔からアイヌの鱒漁の好適地として知られている。知里1958
(4)勇仁川―枝川として鱒浦川がある。藻琴までのびている。
   イチャニ。鮭の産卵場の川の名。勇仁村と称す。イチャヌニ(icha-un-i 鮭鱒の産卵場・ある・もの(川))山田1983
(5)フンペオマナイ―(Humpe-oma-nay)フンペ(鯨)、オマ(入った)、ナイ(川)
   今の駒場公園内に流れる川。現在の駒場川。知里1958

考察?

ここで考えることは、当時の川の形態が分からないこと。枝川だとか、オピオショップのように本流から分かれていく川は現在はどちらも(鱒浦川・オピオショップ)合流していない。開発が進む前の地図をなんとか入手することが理解へとつながるものとなるかも。

フンペオマナイについては港の側にある川で、上流?はおそらく人工河川になっており、現在では「せせらぎ公園」という自然公園の中を流れている。人工ではないかもしれない。公園内に流れる川として整備されているのかもしれない。

寄り鯨湾としてフンペオマモイと両地名記載されていることがある。(戸部1983)
近年でもこの周辺ではよく鯨類が打ち上げられている(http://svrsh1.kahaku.go.jp/m/mm/?s=%E7%B6%B2%E8%B5%B0)。

脱線するが、オホーツク文化人も鱒浦海岸や二ツ岩周辺で寄り鯨猟を行っていたのかもしれない。

まとめとして、鱒浦海岸に面して五つの川が流れており、いずれも漁撈に適していたと思える。そして、川の周辺には幾つかの遺跡があり、漁撈を生業とした人々が生活圏としてこの川々を利用していただろうか。
覚え書き

とあるシンポジウムで伊藤せいち氏がアイヌ語のpetとnayについて考察したことについて。

知里博士はnayは外来語で朝鮮語のナリから来ている。
と云っている。山田秀三氏は樺太アイヌから云々と知里博士説の補足

伊藤氏は違う視点から両者とは違う説を唱えている。

伊藤氏は地名のpetは線の義。nayは面の義。

前者は川自体を云い、交通などに使う川に使用。

後者は川の地帯。面。 その地域に使用したと云っている。

※記憶が曖昧なので後日補足する予定。

確かに利にかなってはいる。
氏はオホーツク海岸地域をサンプルに定義したので完全形ではない。

以下、私考

知里博士や山田氏の説では網走群の異様なnayの使用の説明不足に感じる。

対し、伊藤氏はとりあえずは利にかなう。

網走川を事例にすれば、海岸から網走湖までをリン(ル)ナイとし、網走湖から内陸部地域としては女満別、美幌、津別に渡る川名をアパシリペッとなっている。

これについて、こじつけた感があるのでこちらも後日補足予定。

網走の語源を思いついたので妄言だと思って聞き流してください。


apa-sir
apa(うき)-sir(島)

簡単に浮島ですかね。これは網走のシンボル、帽子岩のことで、この浮島には祭りの痕跡があるそうです。

この帽子岩が網走の地名語源になったんじゃないかなぁと。

ひょんなことで網針を apari というのを今日知って、網=apa って勝手に考えてひらめいてウェブでアイヌ語を検索してこのapasirにたどりつきました。

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