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史跡コミュの左沢楯山城跡

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 山形県西村山郡大江町大字左沢(アテラザワ)字元屋敷・楯山・裏山地内

 2009年02月12日、指定。
 2010年02月22日、指定地域を拡大。

 南北朝時代の寒河江(サガエ)荘地頭だった大江時茂(トキシゲ)は寒河江城を拠点として南朝方に与していましたが、足利幕府軍の攻勢に対抗するため一族の子弟を寒河江荘内各地に配置し防御を固める戦略に出ました。即ち、嫡男茂信(シゲノブ)を溝延(ミゾノベ)城、次男元時を左沢、茂信の子政広を白岩城に配置するなどしたのです。
 元時は最上川北岸の標高222m・比高80mの楯山山頂に左沢楯山(アテラザワタテヤマ)城を築き、左沢氏を称する事となりました。
 正平23(1368)年の漆川合戦で大江一族は幕府の大軍に大敗、茂信も元時も自刃に追い込まれましたが、幕府軍が深追いしなかったため、寒河江城や左沢楯山城は維持され、元時の子氏政が左沢楯山城主の地位を継ぎました。
 その後、応安6(1373)年に大江時氏は幕府に降伏、本領を安堵されて寒河江氏を称する事となり、左沢楯山城主の座は氏政の子孫の左沢氏が世襲する事となります。
 至徳2(1385)年、陸奥国伊達(ダテ)郡梁川(ヤナガワ)城伊達宗遠の侵攻によって大江一族の長井氏が滅ぼされて置賜郡が伊達氏の支配下に入ると、左沢氏の所領は、五百川渓谷(最上川上流部)で伊達氏領と接する事となったため、戦略的重要性が増す事となりました。
 元時から7代目の左沢満政は、永正元(1504)年に山形城の羽州探題最上義定の侵攻を寒河江氏・白岩氏・吉川(ヨシカワ)氏等の同族諸氏と協力して撃退していますが、結局、寒河江氏が最上氏の傘下に入ったため、左沢氏もそれに従いました。
 9代目の左沢政周(マサチカ)は同族の吉川氏の養子となりますが、永正11(1514)年に梁川城主伊達稙宗(タネムネ)が最上郡へ侵攻して来たため、これを邀撃(ヨウゲキ)した最上義定に従って長谷堂(ハセドウ)合戦に参加し、戦死してしまいました。
 以後も系譜は不明なものの、左沢氏が左沢楯山城主を務めていましたが、次第に寒河江氏からの独立傾向を強めて行き、天正2(1574)年の天正最上の乱では最上義守に与して、最上義光(ヨシアキ)派の寒河江兼広を攻めています。
 天正12(1584)年に寒河江高基が最上義光に滅ぼされた後は、左沢氏は義光に仕えた様ですが、左沢7875石は最上氏の直轄領とされ、左沢楯山城代は日野将監(ヒノショウゲン)→里見越後→本間作右衛門と交替しました。
 慶長5(1600)年に関ヶ原合戦と連動して起きた慶長出羽合戦では、左沢楯山城は西軍方の直江兼続配下の分隊による攻撃を受けたものの撃退に成功した模様です。
 元和8(1622)年に最上義俊が近江国大森10000石に減転封されると、最上家570000石の所領は山形200000石鳥居忠政・庄内138000石酒井忠勝等の複数の大名領に分割され、左沢12000石は酒井忠勝の弟である酒井直次に与えられました。直次は庄内藩の支藩扱いでは無く、独立した大名として遇されています。
 直次が左沢楯山城に入った直後は、天領と左沢藩領が錯綜した状況になっていましたが、寛永元(1624)年に整理が行われて、左沢藩領73箇村が確定しました。直次は居城を山城の左沢楯山城から山麓へ移す事として、左沢楯山城西南の地に小漆川(コウルシカワ)城造営を始め、城下町の整備造営にも着手しました。城下町の中心は南北に走る御免町通とこれから東に延びる内町・横町の通で、楯山城周辺にあった社寺も移転させられて来ました。 この結果、左沢楯山城は廃城となりました。
 発掘調査では15世紀後半から17世紀初頭にかけて使われていた事が確認されており、 掘立柱建物・池のような遺構・曲輪・切岸・堀切等の地形を見る事が出来ます。
 指定地面積は248511.72屬如⊇飮蓋園として整備されていますが、大きく曲流する最上川や朝日連峰を望む絶景の地であるため「日本一公園」とも呼ばれ、桜の名所としても知られています。山形県の代表的民謡である「最上川舟唄」発祥の地の記念碑も立ちます。

◎城下町左沢
 https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=194642&id=88093958
・左沢城主酒井直次夫妻の墓
 https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=398257&id=88094400

コメント(5)

 整備されているのは三の丸跡のみです。
 三の丸からの眺望です。

左;本丸跡
中;左沢駅
右;朝日連峰
 最上河畔から見上げた左沢楯山城跡です。

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