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史跡コミュの今治城跡

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 愛媛県今治市通町3丁目

 1953年10月09日、愛媛県が指定に史跡。

 慶長5(1600)年の関ケ原合戦に際して東軍で活躍した藤堂高虎は、従来の伊予国宇和島80000石に伊予国国分山120000石を加えられて200000石を領する事となり、国分山城に入りますが、瀬戸内海上交通の要地今治浦に水城を築いて本拠地とする構想を抱いて慶長7(1602)年に築城を開始、慶長9(1604)年に今治城が完成しました。
 今治築城奉行を務めたのは豊臣五奉行の一人増田長盛(マシタナガモリ)麾下の猛将として知られ、高虎から20000石の破格の待遇で迎えられた渡辺了(ワタナベサトル)で、普請奉行は木山六之丞です。
 今治城は、三重の堀に海水を引き入れた特異な構造で、海から堀へ直接船で入る事が出来るなど海上交通の要所らしく海が最大限に活用されており、讃岐国高松城・豊前国中津城と並ぶ日本三大水城の一つに数えられました。
 今治城には天守台の遺構が存在しませんが、五層の天守閣が存在したと伝えられています。築城の名手であった高虎は天守台を築かずに本丸中央付近の地盤に直に基礎を敷いて建てる事で、整形された矩形を造る必要がある層塔型天守の建造を可能にしたとの説が有力です。二之丸に藩主館、中堀以内に側近武士の屋敷、外堀以内に侍屋敷が設けられ、城門が9ヶ所、櫓が20ヶ所もある非常に広大な構造でした。堀は蒼社川とも結ばれており、大雨の際に川の水を海へ逃がす分水路の役目も果たす画期的な物でした。
 藤堂高虎は慶長11(1606)年に備中で20000石を加えられた後、慶長14(1609)年伊勢国安濃津(アノツ)220900石に移封となり、天守は安濃津へ移築するため解体されましたが、結局、慶長15(1610)年の丹波国亀山城天下普請の際に大御所徳川家康へ献上され、亀山城へ移築されました。なお、今治領20000石は高虎の飛び地として残り、丹羽長秀の息子で高虎の養子となっていた高吉に統治が委ねられました。この際、二重櫓の北隅櫓に千鳥破風が一つだけ付けられて、天守代用を意識した外観とされています。
 寛永12(1635)年に藤堂高吉は伊賀国名張に移り、代わって伊勢国長島から久松松平定房が30000石で入城、以後、廃藩置県まで今治藩主は久松松平氏が務める事となりました。定房は徳川家康の異父弟定勝の子で、同時に松山150000石の藩主となった久松松平定行の弟になります。即ち、今治藩は松山藩と共に西国外様大名の監視役を担う事となったため、30000石クラスの大名としては異例の城持大名であり、広大な今治城はそのまま維持されました。
 幕末動乱期に久松松平家10代藩主となった定法(サダノリ)は、今治城が異国船の艦砲射撃を受けやすい場所にあるため、内陸部の鈍川(ニブカワ)村神子(ミコ)ノ森への城の移転を決定、縄張りを開始しましたが、築城工事に入る前に天下の情勢が急展開したため、工事開始には至りませんでした。
 明治2(1869)年6月の版籍奉還に際して久松定法は、奉還の請願をいち早く行い、今治城も直ちに廃城にする決定をしたため、新政府から革新藩として認められています。
 同年10月、今治城の建造物の大半は破却され、城内の大木も入札で伐採されました。この際、二の丸北隅の武具櫓は収蔵物と共に残されましたが、明治4(1971)年に火災が発生、内部の火薬に引火したため、爆発炎上して破壊されてしまいました。残存していた塀等も明治8(1875)年頃までには全て撤去されました。城門の一つは四国八十八ヶ所第54番札所の真言宗豊山(ブザン)派近見山(チカミザン)宝鐘院延命寺に移築されて現存しています。
 昭和55(1980)年には天守閣が再建されましたが、写真の残る丹波亀山城天守とは異なった外観の模擬天守に過ぎません。
 昭和60(1985)年には東隅櫓が御金櫓として再建され、平成2(1990)年に二の丸西隅に山里櫓が再建されました。
 平成18(2006)年には日本100名城に選定され、平成19(2007)年に可能な限り江戸時代の史実に基づき、鉄御門(クロガネゴモン)が石垣や多聞櫓5棟と共に復元され、二の丸に藤堂高虎の像が建立されました。

コメント(16)

 3月28日水曜日に行って来ました。
左;武具櫓
中;山里櫓
右;三の丸搦手門
左;三の丸石垣
中;本丸石垣
右;二の丸石垣
左;山里櫓門
中;矢野七三郎(1855〜89)銅像 明治19(1886)年に織機(ショッキ)でのネル生産を開始した人物で、「今治綿業の父」と呼ばれています。
右;二の丸 蒼吹(アオフキ)の井
 天守閣最上階からの眺望です。

左;今治港・しまなみ海道方面
中;今治国際ホテル
右;吹揚神社
左;天守閣最上階から望む国分山城・世田山城
中;二の丸御金櫓
右;天守閣
左;鉄御門
中;鉄御門雛型
右;犬走
 吹揚神社〔県社〕祭神;天照大神・八幡大神・事代主大神・大己貴大神・藤堂高虎

左;神門
中;拝殿
右;本殿 
左;吹揚神社 表参道
中;吹揚稲荷神社 祭神;宇迦之御魂神
右;内堀の魚
左;多門櫓
中;鉄御門
右;大手土橋
左;今治造船会長檜垣俊幸(1928〜)銅像
中;内堀
右;中堀
左・中;御金櫓
右;外堀を利用した今治港
 今治国際ホテル17階から見下ろした今治城です。

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