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ハンデ戦で大もうけコミュの名馬の・・・

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皇帝シンボリルドルフ死ぬ 史上初の無敗三冠馬





 1984年の日本ダービーを制したシンボリルドルフ(10)。騎手は岡部幸雄=東京競馬場


 中央競馬史上初の無敗の三冠馬で、その強さから「皇帝」と呼ばれたシンボリルドルフが4日未明、千葉県成田市のシンボリ牧場で死んだ。30歳だった。死因は不明。牧場関係者によると2、3日前から体調を崩していた。

 岡部幸雄騎手とのコンビで1984年に皐月賞、日本ダービー、菊花賞のクラシック3冠を無敗のまま制覇。史上4頭目の三冠馬に輝いた後も同年暮れの有馬記念を優勝。85年も天皇賞・春、ジャパンカップ、有馬記念で勝ち、G1通算で7勝。

 通算16戦13勝(海外含む)で86年に引退、87年に競馬の殿堂入りした。種牡馬としてもダービー馬のトウカイテイオーなどを輩出した。

2011/10/04 14:15 【共同通信】

コメント(34)

シンボリルドルフ死ぬ=無敗の3冠馬、GI7勝
 日本中央競馬会(JRA)は4日、史上初めて無敗の3冠馬となり、「皇帝」と呼ばれたシンボリルドルフが同日午前3時に千葉県成田市のシンボリ牧場で死んだと発表した。数日前から体調を崩し、3日夜に容体が悪化した。30歳だった。

 シンボリルドルフは1981年に生まれ、83年7月の新潟競馬でデビューして初勝利を挙げ、84年には無敗のまま皐月(さつき)賞、日本ダービー、菊花賞を制し、クラシック3冠を達成。通算16戦13勝、史上最多タイのGI7勝を挙げ、86年に引退した。

 引退後は北海道で種牡馬となり、ダービー馬トウカイテイオーの父となった。 


[時事通信社]


3冠馬シンボリルドルフ逝く1985年の第5回ジャパンカップで優勝したシンボリルドルフ=JRA提供


 史上初めて無敗のまま皐月賞、ダービー、菊花賞の競馬3冠レースを制した名馬シンボリルドルフが4日、余生を送っていた千葉県のシンボリ牧場で死んだ。30歳だった。

 1983年7月、新潟競馬場でデビュー。岡部幸雄騎手とのコンビで白星街道を突き進み、8戦全勝で菊花賞を制覇。史上4頭目の3冠馬になった。ライバルを寄せつけない強さから「皇帝」のニックネームを与えられた。3冠制覇を果たした後、有馬記念(2度)、天皇賞・春、ジャパンカップのGIレースで優勝し、「7冠馬」とも呼ばれた。

 86年3月のレースを最後に引退するまで通算16戦13勝。87年には顕彰馬に選ばれ、競馬の殿堂入りを果たした。91年には息子のトウカイテイオーが皐月賞、ダービーの父子2代制覇を達成した。


asahi.com

 JRAは5日、4日に30歳で死亡したシンボリルドルフの追悼行事を行うと発表した。8日のメーンレース(東京はペルセウスS、京都はオパールS)に「シンボリルドルフ追悼競走」の副題を付して施行するほか、全国の競馬場に献花台、記帳台を、ウインズには記帳台を30日まで設置する。また、東京競馬場(フジビュースタンド1階イーストホール)と京都競馬場(ステーションゲート1階展示コーナー)で、15日から11月27日までの競馬開催日に追悼写真展を実施。全国の競馬場、ウインズのターフビジョンおよび館内モニターで史上初めて無敗でクラシック3冠を制し、G1・7勝の戦績を残した名馬の特集ビデオを放映する。


昭和の名馬がまた…サッカーボーイ死す

デイリースポーツ 10月8日(土)9時1分配信

 河内元騎手(現調教師)とのコンビで88年のマイルCSを制したサッカーボーイ

 昭和をたくましく駆け抜けた名馬がまた、天に召された。87年の最優秀3歳(現2歳)牡馬で、マイルCSを制した88年には最優秀スプリンターに選ばれたサッカーボーイ(牡)が7日午前9時25分に、けい養先の社台スタリオンステーション(北海道安平町)で蹄葉炎のため、死亡した。26歳だった。

【写真】快速馬サッカーボーイ逝く 26歳

 当時の日本レコードを樹立した88年函館記念など、現役時代は他馬を問答無用でぶっちぎる豪快なレースが売りだった。通算成績は11戦6勝(うち重賞4勝)。最後のレースとなった88年の有馬記念(3着)では、同世代のオグリキャップ、スーパークリーク、1歳上のタマモクロスと“昭和最後の名勝負”を繰り広げた。管理した小野師は「4コーナーから一気に後続を突き放すスタイル。とにかく勝ちっぷりが良かったから、うれしいというか、楽しい気持ちにさせてくれる馬だったね」と振り返った。

 現役引退後は、種牡馬としても活躍。中長距離馬を多く輩出し、ナリタトップロード(99年菊花賞)、ティコティコタック(00年秋華賞)、ヒシミラクル(02年菊花賞、03年天皇賞・春、宝塚記念)などのG1馬をターフに送り出している。

 師が最後に会ったのは今年5月。「蹄葉炎を患っていたし、もう長くはないと告げられていた。でも、思ったよりも元気そうだった」。このときに撮影した同馬の姿は、師の携帯電話の待ち受け画面となっている。「私が近づくと、うれしそうにヒヒーンと鳴いて寄ってきた。(亡くなったことを)聞いたときは寂しい気持ちもあったが、大往生でしょう。あとはゆっくりと休んでほしい」と冥福を祈っていた。


サッカーボーイ死す…26歳、88年マイルCS4馬身差圧勝

スポーツ報知 10月8日(土)8時1分配信

 88年マイルCSなど、重賞を4勝した名馬サッカーボーイ(牡26歳)が、7日午前9時25分、北海道安平町の社台スタリオンステーション(SS)で蹄葉炎のため死んだ。

 同馬は、90年から種牡馬として社台SSでけい養され、00年にブリーダーズSS(北海道日高町)へ。近年は、爪の不安に悩まされ、再び社台SSに戻って、治療しながら種付けを行っていた。一昨年、昨年は6頭と交配され、今年の種付けはなかった。

 現役時代は、栗東・小野幸治厩舎に所属。87年にデビューし、通算11戦6勝の成績を残した。87年阪神3歳S(現2歳S)で、後続を8馬身ちぎってレコード勝ち。強烈な末脚とネーミングが多くの競馬ファンの心をつかみ、88年ダービーでは、1番人気に支持された。レースは15着に敗れたが、2走後の函館記念を、1分57秒8(芝2000メートル)の日本レコードで優勝。周囲の度肝を抜いた。

 4歳時には、マイルCSを優勝したが、暮れの有馬記念(3着)のあと、骨折や脚部不安に悩まされ、そのまま現役を引退した。

 種牡馬としては、ナリタトップロード(99年菊花賞)、ティコティコタック(00年秋華賞)、ヒシミラクル(02年菊花賞、03年天皇賞・春、宝塚記念)と、3頭のJRA・GIの勝ち馬を輩出。現役の活躍馬には、アンノルーチェ(牡6歳、オープン)、スノークラッシャー(同)、スカイリュウホー(牡7歳、1600万)などがいる。

 小野幸治調教師は「今年5月に牧場で会った時は、さすがに年を取った感じでしたが、まだまだ元気という印象でした。現役の頃は、4コーナーからさらに後続を引き離して勝つというスタイルだったので、うれしいというより、本当に楽しい気持ちになったことを覚えています」と思い出を話した。

 河内洋調教師(騎手として計6レースに騎乗)「本当にファンの多かった馬でしたね。何よりも、当時の日本レコードである1分57秒8で優勝した函館記念が、一番印象に残っているレースです。競走馬として一時代を築いた後も、種牡馬として活躍しましたし、本当にすごい馬だったと思います」

 吉田勝己ノーザンファーム代表「本当に能力の高かった馬で、種牡馬となってからも、産駒がよく走ってくれました。ここ数年は蹄葉炎で苦しんでいましたが、つらい思いをしながらも種付けをこなしてくれ、本当に偉い馬でした。天寿をまっとうしたと言えるのでないでしょうか」

 ◆サッカーボーイ 1985年、北海道白老町・社台ファーム生産。父ディクタス、母ダイナサッシュ(父ノーザンテースト)。栃栗毛。競走成績11戦6勝。総収得賞金2億1940万円。主な勝ち鞍・87年阪神3歳S(現2歳S)、88年中日スポーツ賞4歳S、函館記念、マイルCS。表彰歴・87年最優秀3歳(現2歳)牡馬、88年最優秀スプリンター(現短距離馬)。馬主・(有)社台レースホース。

 ◆26歳 人間に置き換えれば、約80歳という高齢。同期のオグリキャップは、昨年7月に25歳で死んでいる。


ルドルフに続き…サッカーボーイ蹄葉炎で死す

スポニチアネックス 10月8日(土)7時1分配信


種牡馬としても活躍したサッカーボーイ

 88年マイルCSなど重賞4勝を挙げたサッカーボーイが7日午前9時25分、蹄葉炎のため北海道安平町の社台スタリオンステーションで死んだ。26歳だった。G1・2勝のほか、88年函館記念で1分57秒8の日本レコード(当時)を樹立するなど、強烈なレースぶりでファンが多かった。

 4日には初の無敗3冠馬シンボリルドルフが死んだばかり。相次ぐスターホースの死に、関係者は悲しみに暮れた。サッカーボーイは昨春まで種付けしており、吉田勝己ノーザンファーム代表は「ここ数年は蹄葉炎で苦しんでいたが、つらい思いをしながらも種付けをこなしてくれ、本当に偉い馬でした。天寿を全うしたと言えるのではないでしょうか」とねぎらった。

 11戦6勝。その数字以上にファンの記憶に残る名馬だった。87年、函館での新馬戦を9馬身差、3戦目のもみじ賞を10馬身差で勝つと、続くG1阪神3歳S(現阪神JF)も8馬身差の圧勝。1番人気に推された88年ダービーは15着に敗れたが、その後に中日スポーツ賞4歳S、函館記念、マイルCSと3連勝し最優秀スプリンターに選ばれた。

 同年有馬記念3着を最後に引退した後は種牡馬としても活躍。G1・3勝のヒシミラクル、ナリタトップロード、ティコティコタックと個性的なG1馬を送り出した。重賞3勝を含む計6戦に騎乗した河内洋現調教師は「函館記念が一番印象に残っているレース。本当に凄い馬だった」と別れを惜しんだ。

 ▼小野幸治師(サッカーボーイを管理)今年の5月に牧場であったときはさすがに年を取った感じだったが、まだまだ元気だという印象だった。現役の頃は、4角からさらに後続を引き離して勝つというスタイルだったので、うれしいというよりは本当に楽しいという気持ちになったことを覚えている。

 ◆サッカーボーイ 父ディクタス、母ダイナサッシュ(母の父ノーザンテースト)。85年4月28日に北海道白老町の社台ファームで生まれた。毛色は栃栗毛。栗東・小野幸治厩舎に在籍。通算成績11戦6勝。獲得賞金2億1940万円。


サッカーボーイが蹄葉炎で死亡

netkeiba.com 10月7日(金)15時47分配信

 JRAは7日、88年のマイルチャンピオンシップ(GI)を勝ったサッカーボーイが同日午前9時25分、北海道勇払郡安平町の社台スタリオンステーションで蹄葉炎のため死亡したと発表した。26歳だった。

 サッカーボーイは、父ディクタス、母ダイナサッシュ(その父ノーザンテースト)という血統。3歳時(旧年齢)には阪神3歳S(GI)を勝利。1番人気に推された翌年の日本ダービー(GI)ではサクラチヨノオーの15着に敗れたが、函館記念(GIII)では当時の芝2000mの日本レコード・1分57秒8を叩き出し、秋のマイルCSを4馬身差で快勝した。通算成績は11戦6勝(重賞4勝)。

 種牡馬入り後は、ヒシミラクル(菊花賞などGI・3勝)、ナリタトップロード(菊花賞-GI)、ティコティコタック(秋華賞-GI)、キョウトシチー(東京大賞典-大井)など数々の名馬を送り出し、母の父としてもマイネルキッツ(天皇賞・春-GI、父チーフベアハート)、ツルマルボーイ(安田記念-GI、父ダンスインザダーク)などを出し成功を収めた。

【ノーザンファーム 吉田勝己 代表のコメント】
「本当に能力の高かった馬で、函館記念やマイルチャンピオンシップの勝ちっぷりが強い印象として残っています。種牡馬となってからも産駒が良く走ってくれました。ここ数年は蹄葉炎で苦しんでいましたが、つらい思いをしながらも種付けをこなしてくれ、本当にえらい馬でした。天寿を全うしたと言えるのではないでしょうか」

【小野幸治調教師のコメント】
「私が今まで管理した中で、一番良く走ってくれた馬なのでとても印象に残っていますが、とにかく元気の良い馬でした。今年の5月に牧場であったときはさすがに年を取った感じでしたが、まだまだ元気だという印象でした。

 現役の頃は、4コーナーからさらに後続を引き離して勝つというスタイルだったので、うれしいと言うよりは本当に楽しいという気持ちになったことを覚えています。種牡馬になってからもGI馬を輩出するなど活躍することができて本当に良かったと思います」

【河内洋調教師のコメント】(騎手として計6レースに騎乗)
「サッカーボーイという名前のとおり、本当にファンの多かった馬でしたね。

 残念ながらダービーは1番人気に支持されながら敗れてしまいましたが、その後の中日スポーツ賞4歳Sを勝ったときは、当時の中京競馬場であのような豪脚を使う馬はそれまでにいなかったので、今でもよく覚えています。そして何よりも、当時の日本レコードである1分57秒8で優勝した函館記念が一番印象に残っているレースです。

 競走馬として一時代を築いた後も種牡馬として活躍しましたし、本当にすごい馬だったと思います」


「安田記念」制したタイキブリザードが突然死

東スポWeb 8月19日(火)19時56分配信







「安田記念」制したタイキブリザードが突然死


1997年の安田記念を制したタイキブリザード


 1997年にGI安田記念を制したタイキブリザードが18日、死んでいたことが分かった。引退馬専門のけい養施設「ホーストラスト」の公式フェイスブックが19日に発表した。23歳だった。

「ホーストラスト」の発表によれば18日朝の検温、ボディーチェックでは異常はなかったが、夕方になり突然死したという。

 タイキブリザードは96年の産経大阪杯(GII)、97年に京王杯スプリングカップ(GII)を制し、同年3度目の挑戦となる安田記念で皐月賞馬ジェニュインとの叩き合いを制しGI初制覇を果たした。

 通算23戦6勝。JRAでの生涯獲得賞金は5億6000万円。引退後は種牡馬としても活躍した。

フサイチコンコルド死す 21歳、放牧中転倒

2014年9月11日6時0分 スポーツ報知


96年・ダービー。フサイチコンコルドはキャリア3戦目で頂点に立った

 1996年のダービーを無敗で制したフサイチコンコルド(父カーリアン、母バレークイーン)が、8日に死亡していたことが分かった。けい養先の青森県おいらせ町の太田ファームでの放牧中に転倒して左後脚を骨折。その後の関係者の懸命の処置もむなしく息を引き取った。21歳だった。

 同馬は栗東・小林稔厩舎から96年1月にデビュー。わずかキャリア3戦でダービーを制した。前年の英国ダービーを2戦目で優勝したラムタラをなぞるようなローテーションだったため、「和製ラムタラ」の異名をとった。体質が弱かったため5戦で引退したが、種牡馬としてはバランスオブゲームが重賞7勝、ブルーコンコルドがダート交流G1・7勝するなど活躍。母の父としてもジョーカプチーノがG1(NHKマイルC)を制すなど優秀な成績を残した。

 同ファームの太田雅史さんは「オンとオフがしっかりしていて、種付けは上手で、普段も大人しい頭の良い馬だった。25歳くらいまでは生きて欲しかったので非常に残念。今月もファンが訪れる予定で、すごくファンの多い馬でした」と話した。今後は同ファームの敷地に埋葬され、墓碑が建設される予定。
 オグリローマン号が死亡

 1994年の桜花賞(GI)に優勝したオグリローマン号(牝・24歳)は、3月3日(火)、病気のため死亡したとの連絡がありましたので、お知らせいたします。
 同馬は、北海道日高郡新ひだか町三石歌笛の稲葉牧場にて繋養され余生を送っていました。



オグリローマン号

◆ 生年月日 : 1991年5月20日

◆ 毛 色 : 芦毛
◆ 産 地 : 三石町(現:新ひだか町)
◆ 血 統 :
父 ブレイヴエストローマン
母 ホワイトナルビー
母父 シルバーシヤーク
母母 ネヴアーナルビー


◆ 競走成績 :
JRA通算 8戦1勝
地方通算 7戦6勝


◆ 主な勝鞍 :
1994年 桜花賞(GI)



1994年の桜花賞馬オグリローマンが病気のため死亡


[生産地] 2015年03月06日(金)18時50分
注目数:103人コメント数:46件.. .



病気のため死亡したオグリローマン(写真は1994年桜花賞優勝時)
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病気のため死亡したオグリローマン(写真は1994年桜花賞優勝時)

 1994年の桜花賞を制したオグリローマンが3日、繋養先の北海道新ひだか町の稲葉牧場で病気のため死亡していたことがわかった。24歳だった。

 同馬は父ブレイヴェストローマン、母ホワイトナルビー、その父シルバーシャークという血統。アイドルホース・オグリキャップの半妹にあたり、兄同様に笠松競馬場でデビューし、その後中央競馬に移籍。中央初戦となった1994年のエルフィンSではシンガリ負けを喫したものの、続くチューリップ賞で2着に入り、本番の桜花賞を武豊騎手とのコンビで見事制した。

 その後は勝ち星を挙げられず、通算15戦7勝(地方7戦6勝)で引退。2011年には繁殖牝馬も引退し、余生を送っていた。



ブラックホークが死亡、21歳…2001年の安田記念などGI2勝

netkeiba.com 7月23日(木)21時5分配信


ブラックホークが死亡、21歳…2001年の安田記念などGI2勝


熊本の本田土寿牧場で心臓まひのため死亡したブラックホーク(写真は2001年安田記念優勝時、撮影:下野雄規)


 2001年の安田記念などに優勝しているブラックホーク(21歳、父ヌレイエフ)が22日、種牡馬生活を送っていた熊本の本田土寿牧場で心臓まひのため死亡した。

 通算成績は28戦9勝。安田記念のほか、スプリンターズS、阪急杯、スワンステークス、ダービー卿CTなど短距離重賞で活躍した。

 現役引退後は、2002年から社台スタリオンステーションで種牡馬入り。その後、ブリーダーズスタリオンステーションに移動し、12年からは九州で種牡馬生活を送っていた。

ブラックホークが死亡、21歳…2001年の安田記念などGI2勝


[生産地] 2015年07月23日(木)21時00分


熊本の本田土寿牧場で心臓まひのため死亡したブラックホーク(写真は2001年安田記念優勝時、撮影:下野雄規)
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熊本の本田土寿牧場で心臓まひのため死亡したブラックホーク(写真は2001年安田記念優勝時、撮影:下野雄規)

 2001年の安田記念などに優勝しているブラックホーク(21歳、父ヌレイエフ)が22日、種牡馬生活を送っていた熊本の本田土寿牧場で心臓まひのため死亡した。

 通算成績は28戦9勝。安田記念のほか、スプリンターズS、阪急杯、スワンステークス、ダービー卿CTなど短距離重賞で活躍した。

 現役引退後は、2002年から社台スタリオンステーションで種牡馬入り。その後、ブリーダーズスタリオンステーションに移動し、12年からは九州で種牡馬生活を送っていた。

幻の3冠馬フジキセキ

94年朝日杯3歳Sなどを制したフジキセキ(牡23)が死んだことが28日、分かった。同馬は13年に種牡馬生活を退き、功労馬として繋養(けいよう)先の社台スタリオンステーション(北海道安平町)で余生を過ごしていたが、同日午前11時ごろ、放牧地で起立不良にて横たわっているところを見つけられたという。同SSの徳武英介氏は「もともと頸椎(けいつい)に問題があって、何かの神経が狭窄(きょうさく)して、力が入らなくなったのかもしれません。残念です」と話した。


 同馬はサンデーサイレンスの初年度産駒として94年にデビュー。4戦無敗で弥生賞を優勝後、屈腱炎を発症し、引退。“幻の3冠馬”と称された。種牡馬生活4年目からは、日本初のシャトル種牡馬として積極的に海外の繁殖牝馬とも交配し、その血を広めた。徳武氏は「サンデー系の馬の名前を世界に広めてくれた広告塔でもありました。サンデーよりもスピードタイプで、多くの後継馬たちも出してくれましたからね。本当によく頑張ってくれました」とねぎらった。


 主な産駒は、ダートG1・7勝のカネヒキリ、10、11年高松宮記念連覇のキンシャサノキセキ、14年皐月賞馬イスラボニータなど。00年から16年連続で重賞ウイナーを輩出。今月には、産駒がJRA通算1500勝を達成したばかりだった。


 ◆フジキセキ 1992年4月15日、北海道千歳市生まれ。父サンデーサイレンス、母ミルレーサー。馬主・斎藤四方司氏、調教師・渡辺栄元師。JRA通算4戦4勝。主な勝ち鞍は94年朝日杯3歳S(G1)、95年弥生賞(G2)。総獲得賞金1億2965万円。主な産駒のG1馬はカネヒキリ、コイウタ、ファイングレイン、エイジアンウインズ、キンシャサノキセキ、ダノンシャンティ、サダムパテック、イスラボニータ、ストレイトガール。

イナリワン死す、有馬V柴田政人師「一世一代の競馬。根性がすごかった」

2016年2月7日19時55分 スポーツ報知

 1989年にG1・3勝を挙げ、その年の年度代表馬に輝いたイナリワン(父ミルジョージ)が7日、繋養先の北海道占冠村・あるぷすペンションで死んだ。32歳だった。

 同馬は、公営・大井でデビュー。5歳時にJRAの鈴木清厩舎に移籍すると、武豊とのコンビで89年天皇賞・春、宝塚記念を連勝した。秋は柴田政人(現調教師)に乗り替わり、毎日王冠(2着)、天皇賞・秋(6着)、ジャパンC(11着)と連敗したが、有馬記念でスーパークリークを鼻差で差し切り、見事に復活を遂げた。通算成績は25戦12勝(地方14戦9勝)だった。

 引退後は種牡馬となったが、代表産駒はシグナスヒーロー。重賞2着は5回(96年ステイヤーズS、97年AJC杯、98年日経賞、99年エプソムC、同七夕賞)も、重賞は勝てなかった。04年に種牡馬を引退してからは功労馬として余生を過ごしていた。あるぷすペンションの本田光司さんは「前日の朝に起きあがれず、安静にしていましたが、16時25分、息を引き取りました。それ以前は多少弱っているところはありましたが、高齢馬としては普通に過ごしていました。1歳馬や2歳馬たちが悪さをすると、たしなめたりと教育係みたいな存在でした。元気だった時の姿が思い出されます」と別れを惜しんでいた。

 イナリワンとともに平成の3強を形成したオグリキャップ、スーパークリークはすでに2010年にこの世を去っている。

 柴田政人調教師(騎手時代に有馬記念で勝利)「32歳なら大往生だろう。440、450キロ台の小さい馬だったが、またがるとすごく大きく感じさせた。初めてのレースだった毎日王冠は、脚を計る競馬をしたが、いい競馬をしてくれた。オグリ(キャップ)には負けてしまったけどね。有馬記念は自分にとって一世一代の競馬。年度代表馬もかかっていたし、絶対負けたくないと思って追ったよ。次の年のオグリも秋の天皇賞、ジャパンCと同じ着順からの有馬記念での復活だったことを思い出すね。とにかく乗り味のいい馬だったし、根性がすごかった。オグリも(スーパー)クリークも先に死んでしまったけど、あの頃はすごくいい思い出として残っている。どうか安らかに眠ってほしいね」



中央競馬:ニュース中央競馬


イナリワン老衰で死す…89年GI3勝で年度代表馬


 1989年のJRA賞年度代表馬イナリワン10+ 件(牡、父ミルジョージ)が7日、余生を過ごしていた北海道勇払郡占冠(しむかっぷ)村の、あるぷすペンションで老衰のため死亡した。32歳で、人間では100歳あたりに相当する高齢だった。同ペンションの本田光司さんは「前日の朝に後ろ脚が立たなくなり、獣医師に診てもらったんですが、もう年なので…。午後4時25分頃に静かに亡くなりました」と話した。

 イナリワンは2歳時の86年に大井競馬でデビューし、89年にJRA(美浦・鈴木清厩舎)に移籍。同年に天皇賞・春、宝塚記念を制し、有馬記念では1歳下のオグリキャップ(5着)、スーパークリーク(2着)を破ってGI3勝目をマーク。90年の宝塚記念4着を最後に通算25戦12勝で種牡馬生活に入った。主な産駒には重賞で2着5回のシグナスヒーローなどがいるが、2004年に種牡馬も引退し、14年から同ペンションで繋養(けいよう)されていた。






メジロライアン29歳大往生、91年宝塚記念V

日刊スポーツ 3月18日(金)9時30分配信


 91年宝塚記念などを制したメジロライアンが17日午前9時35分、繋養(けいよう)先のレイクヴィラファーム(北海道洞爺湖町)で、老衰のため死んだ。29歳だった。14日朝から起立不良となり、この日に息を引き取った。同牧場の岩崎義久氏は「つい最近まで元気だったので、残念です。牧場にはライアンの肌の繁殖もたくさんいましたし、うちのシンボルみたいな馬でした。ここまで長生きしてくれ、大往生だったと思います」と別れを惜しんだ。

 同馬は89年7月にデビュー。牡馬3冠競走は無冠に終わったが、ダービー(2着)では史上最多となる19万6517人が東京競馬場に詰めかける中、1番人気の支持を得た。4歳春の宝塚記念で念願の初タイトルを獲得した後、2度の屈腱(くっけん)炎を発症し、引退。種牡馬入り後は初年度からG1・5勝馬メジロドーベル、天皇賞・春優勝馬メジロブライトを輩出した。種牡馬引退後も函館競馬場のイベントに登場するなど、長くファンに愛された。

◆管理した奥平真治元調教師の話 昨晩、牧場の方から具合が良くないとの連絡をもらった。牧場の方では、35歳まで生きたシンザンを超えようと頑張っていたのですが、残念です。それでも29歳まで生きたのだから、本当に長生きしたと思います。

メジロライアン死す…29歳、老衰 91年宝塚記念V

スポニチアネックス 3月18日(金)7時1分配信


 91年の宝塚記念を制したメジロライアンが17日、けい養先のレイクヴィラファーム(北海道洞爺湖町)で老衰のため死んだ。29歳だった。

 同馬は通算19戦7勝(重賞4勝)。90年ダービー2着など牡馬3冠は惜敗続きだったが、翌91年宝塚記念で同期の菊花賞馬メジロマックイーンを下してG1初制覇。同レースを含め15戦で横山典とコンビを組み、競馬ブームを盛り上げた。

 種牡馬としてはG1・5勝のメジロドーベル、98年天皇賞・春を制したメジロブライトなどを出した。

 レイクヴィラファームの岩崎義久氏は「現役時代から多くのファンに応援をしていただき、ありがとうございました。種牡馬を引退して、こちらに移動してからも多くのファンが毎年合いに来てくださいましたので残念でなりません」とコメントした。

メジロライアン死す 29歳・老衰、91年に宝塚記念V

デイリースポーツ 3月18日(金)6時59分配信

 91年の宝塚記念を制したメジロライアン(牡)が17日朝、けい養先のレイクヴィラファーム(北海道洞爺湖町)で老衰のため死亡した。29歳だった。

 89年に美浦・奥平真治厩舎からデビュー。当時デビュー5年目だった横山典を背に3連勝で翌年の弥生賞を制してクラシック候補となったが、皐月賞3着、ダービー2着、菊花賞3着と無冠に。年末の有馬記念では競馬史に残る有終Vを飾ったオグリキャップの2着に奮闘するも、G1には手が届かなかった。

 翌91年の宝塚記念で同世代のメジロマックイーンを押さえて念願のG1初勝利。その後は脚部不安に悩まされ、92年の日経賞制覇後に屈腱炎を再発し、通算19戦7勝(うちG11勝を含む、重賞4勝)で現役を引退した。

 種牡馬としてG15勝馬メジロドーベル、98年の天皇賞・春を制したメジロブライトなどを輩出。07年に種牡馬を引退後は、メジロ牧場の流れをくむレイクヴィラファームで繁養されていた。同牧場の岩崎義久氏は「現役時代から多くのファンに応援していただいた。こちらに移動してからも、多くのファンが毎年会いに来てくださいました。残念でなりません」とコメントした。

“マイルの帝王”ニッポーテイオー死す

 G1・3勝馬ニッポーテイオーが16日夜、けい養されていた北海道浦河町の優駿ビレッジAERUで老衰のため死んだ。JRAが17日、公益財団法人ジャパン・スタッドブック・インターナショナルを通じて発表した。33歳だった。

 87年の天皇賞・秋、マイルCS、88年の安田記念とG1を3勝し、通算21戦8勝(うち重賞7勝)。86、87年の最優秀スプリンター、87年の最優秀4歳以上牡馬に輝き、“マイルの帝王”の異名を取った。

 マイル王VS長距離王として話題を呼んだ88年宝塚記念で、当時6連勝中だったタマモクロスの2着に敗れたのを最後に引退し、種牡馬入り。95年の大阪杯、函館記念を制したインターマイウェイ、95年毎日杯を制したダイタクテイオーなどを輩出した。113連敗で話題になったハルウララの父としても知られる。

 うらかわ優駿ビレッジAERU・太田篤志氏「多くのファンがいる馬で、全国から会いに来てくださいました。最長寿記録を更新してほしかったですが残念でなりません。応援してくださった方々にお礼申し上げます」


デイリースポーツ 8月18日(木)6時3分配信

ニッポーテイオー死す…天皇賞・秋などGI3勝

 1986、87年の最優秀スプリンターで、87年の最優秀4歳以上牡馬のニッポーテイオーが16日、繋養先の北海道浦河町のうらかわ優駿ビレッジ「AERU」で老衰のため死んだ。33歳だった。

 現役時代は87年の天皇賞・秋、マイルCS、88年の安田記念とGI3勝を含む21戦8勝。89年から種牡馬入り。産駒にGII産経大阪杯など重賞を2勝したインターマイウェイ、ハルウララなど。2000年の種付けを最後に種牡馬を引退し、AERUで余生を送っていた。

 AERUの太田篤志氏は「多くのファンがいる馬で、全国から会いにきてくださいました。(シンザンの35歳3カ月の)最長寿記録を更新してほしかったのですが、残念でなりません」とコメントした。

サンケイスポーツ 8月18日(木)9時39分配信

ニッポーテイオー死す…老衰、33歳 G1・3勝「マイルの帝王」


87年の天皇賞・秋、同年マイルCS、88年の安田記念を制したニッポーテイオー。郷原とのコンビで「マイルの帝王」と呼ばれた


 87年天皇賞・秋などG1・3勝を挙げたニッポーテイオー(父リィフォー)が16日夜、けい養先の北海道浦河町のうらかわ優駿ビレッジ「AERU」で老衰のため死んだ。33歳だった。

 85年10月に美浦・久保田金造厩舎からデビュー。郷原洋行(元調教師)とのコンビで87年天皇賞・秋を5馬身差で逃げ切り、G1初制覇。さらに同年マイルCSでも5馬身差をつけ圧勝、88年安田記念でマイルG1連覇を達成した。続く宝塚記念2着(勝ち馬タマモクロス)を最後に種牡馬入りした。86年最優秀スプリンター、87年には最優秀4歳以上牡馬&最優秀スプリンターに輝き「マイルの帝王」と呼ばれた。

 種牡馬としては95年大阪杯と函館記念を制したインターマイウェイ、同年毎日杯を制したダイタクテイオー、113連敗で話題を集めた公営・高知競馬のアイドル馬のハルウララの父としても知られる。00年に種牡馬を引退した後はうらかわ優駿ビレッジ「AERU」で余生を送っていた。

 うらかわ優駿ビレッジ「AERU」の太田篤志氏は「多くのファンがいる馬で全国から合いに来てくださいました。そういう方々のためにも一日一日を大切にして、最長寿記録を更新してほしかったのですが残念でなりません。応援してくださった方々にお礼申し上げます」とコメントした。


スポニチアネックス 8月18日(木)7時1分配信
[競馬ニュース]リンドシェーバーが死亡


 2016/10/15


1990年の朝日杯3歳Sを制したリンドシェーバーが14日(金)の朝、老衰のため、繋養されていた北海道中川郡幕別町猿別の十勝軽種馬農業協同組合種馬所で死亡した。28歳だった。

リンドシェーバーはAlydar産駒のアメリカ産。1990年の函館3歳Sで2着。1991年の弥生賞で2着にそれぞれ入っている。この弥生賞の後に故障が判明し、そのまま引退して種牡馬となった。種牡馬としては1996年のクイーンSを制したレインボークイーン、2000年の4歳牝馬特別(桜花賞トライアル)を制したサイコーキララ、2001年のファルコンSを制したルスナイクリスティ、2003年のスワンSを制したギャラントアローなどの産駒をターフに送り出している。2011年に種牡馬を引退していた。

ダンスパートナー号が死亡



第56回優駿牝馬(GI)(1995年)、第21回エリザベス女王杯(GI)(1996年)を優勝し、現役引退後は社台ファーム(北海道千歳市)において繁殖牝馬として供用され、繁殖引退後も引き続き同牧場に繋養されていたダンスパートナー号(牝・24歳)は、10月14日(金)、蹄葉炎のため死亡したとの連絡がありましたので、お知らせいたします。


社台ファーム場長 池田充氏のコメント

オークス(GI)を勝ったことはもちろんですが、フランス遠征で敗れはしたもののヴェルメイユ賞(G1)で一番人気に推されたことが、驚きとともにとても嬉しかったことを覚えています。母としても重賞勝ち馬のフェデラリストを輩出するなど、20歳を超えるまでよく頑張ってくれました。この血統をこれからも大切に育てていきたいと思います。



ダンスパートナー号




生年月日:
1992年5月25日

毛色:
鹿毛

産地:
北海道千歳市

血統:
父  サンデーサイレンス
母  ダンシングキイ
母父 Nijinsky
母母 Key Partner

競走成績:
25戦4勝(うち海外3戦0勝)

主な勝鞍:
1995年 優駿牝馬(GI)
1996年 エリザベス女王杯(GI)

総獲得賞金:
605,274,000円(付加賞含む)

馬主:
吉田 勝己

調教師:
白井 寿昭

主な産駒:
フェデラリスト(重賞2勝)

2012年
中山記念(GII)
日刊スポーツ賞中山金杯(GIII)

今なお称賛される最強馬、ミホノブルボンが死亡

2017/02/24 ニュース






22日、二冠馬ミホノブルボンが老衰のため死亡したことが23日に分かった。ミホノブルボンは1992年の皐月賞とダービーを制したマグニテュード産駒の逃げ馬。ハードな調教内容や機械のように正確なペースで逃げのスタイルなどから、「サイボーグ」「坂路の申し子」「栗毛の超特急」など数々の異名で呼ばれた名馬だ。

しかし骨折など度重なる脚部不安に悩まされ、1992年の菊花賞(2着)を最後に現役を引退し、引退後は種牡馬として生活した。2012年に種牡馬を引退してからは生産者の原口圭二の義理の息子が経営するスマイルファームで余生を送っていた。今月21日に寝たきりとなり、22日の午後に老衰のため亡くなった。28歳の大往生だった。

産駒にはオープン勝ちや地方で活躍する馬がいるが、JRA重賞勝ち馬を送り出すことはできなかった。しかしかつてのクラシック戦線を沸かせたこの馬の活躍がきっかけで競馬好きとなったファンも多くおり、JRAに大きく貢献した。

当時、"鍛えて最強馬を作る"ことをモットーとしていた故・戸山為夫調教師は坂路でビシバシ乗り込むという、例の戸山流スパルタ・トレーニングによってミホノブルボンを最強馬に作り上げた。異名の「サイボーグ」というのはよく言ったものである。

もともともって生まれた能力が極めて優れていたことも大きいが、このような道のりから強烈な印象を植え付けられたファンも極めて多いだろう。筆者はリアルタイムでこの馬の活躍を見ていたわけではないが、あの頃ミホノブルボンの活躍を生で見ていたファンで当時の鍛え抜かれたアスリート的な馬体を称賛する声は今なお多い。

「逃げて勝つ馬の中では今でも史上最強」「ライスシャワーもすごかったが、最強はミホノブルボンだ」などと皆自慢げにあの頃の思い出を語ってくれる。今の時代はインターネットでかつてのレースを見ることができるが、こういったファンの称賛の声を聞くと、ぜひこの目で一度ミホノブルボンの走りを見てみたかったとつくづく思う。天国でも元気に駆けてもらいたいものです。心からご冥福をお祈りします。ミホノブルボン号、お疲れ様でした。

1994年天皇賞・秋制覇のネーハイシーザー死す


2/28(水) 10:33配信

東スポWeb







1994年天皇賞・秋制覇のネーハイシーザー死す


94年秋の天皇賞を制したネーハイシーザー(ジョッキーは塩村克己)


 1994年の天皇賞・秋など重賞5勝(競走成績23戦8勝)、同年の最優秀父内国産馬を受賞したネーハイシーザー(セン)が26日午後、けい養先の北海道新ひだか町・荒木貴宏氏の牧場で死んだ。28歳だった。

’94天皇賞Vのネーハイシーザー死す


2/28(水) 9:33配信

サンケイスポーツ







’94天皇賞Vのネーハイシーザー死す


1994年の天皇賞・秋を制したネーハイシーザー


 1994年の天皇賞・秋を勝ったネーハイシーザーが、26日に北海道新ひだか町の荒木牧場で死んだ。28歳だった。

 父サクラトウコウ、母ネーハイテスコの牡で92年12月にデビュー。3歳時に中日スポーツ賞4歳Sを芝1800メートルの日本レコード(1分45秒2)で重賞初制覇。4歳時には産経大阪杯、コースレコードで京阪杯を連勝。秋には日本レコード(1分44秒6)で毎日王冠を勝つと、勢いに乗って天皇賞も制した。通算23戦8勝(重賞5勝)。種牡馬入りした後は、重賞勝ち馬こそ出なかったが、ヒマラヤンブルー(函館記念2着)などを送り出した。

スペシャルウィーク死す ダービー初V馬に武豊「一生忘れられない馬」

4/27(金) 18:51配信

デイリースポーツ

スペシャルウィーク死す ダービー初V馬に武豊「一生忘れられない馬」


 日本ダービーを制したスペシャルウィーク(左)=1998年


 98年のダービー馬でG1を4勝したスペシャルウィークが27日、けい養先の北海道日高町の日高大洋牧場で死んだ。23歳だった。武豊騎手にダービー初勝利を届けた馬で、種牡馬としてもG1を6勝したブエナビスタ、02年のアメリカンオークスを制したシーザリオ、14年菊花賞馬トーホウジャッカルなどを輩出した。

【写真】グラスワンダー&オペラオーと名勝負を刻んだ99年有馬記念

 日高大洋牧場代表取締役・小野田宏氏「23日の放牧中に転倒し、左腰を強く打ったため、馬房内で経過観察をしておりましたが、本日、転倒しているところをスタッフが発見し、午後4時40分に死にました。ファンがとても多い馬で現役時代に一緒に戦った世代の馬たちが種牡馬として活動しているなかで少しでも長く生きていてもらいたかったものの、不慮の事故でこの世を旅立つことになってしまいました。スペシャルウィークには感謝の気持ちで一杯です」

 武豊「突然のことで驚いています。自分にとっては、自分をダービージョッキーにしてくれた馬なので、とても特別な一頭です。素晴らしい馬でした。たくさんの思い出があり、一生忘れられない馬です」

98年ダービー馬スペシャルウィーク、放牧中の事故で死ぬ 


4/27(金) 18:45配信

サンケイスポーツ

98年ダービー馬スペシャルウィーク、放牧中の事故で死ぬ 


1998年の日本ダービーなどGI4勝を挙げたスペシャルウィーク


 1998年日本ダービー(GI)制覇などGIを4勝し、種牡馬引退後は、北海道沙流郡日高町の日高大洋牧場に繋養されていたスペシャルウィーク(牡23歳)が、27日午後4時40分頃死亡した。27日、JRAが発表した。

 日高大洋牧場代表取締役・小野田宏氏は「4月23日(月)の放牧中に転倒し、左腰を強く打ったため、馬房内で経過観察をしておりましたが、本日、馬房内で転倒しているところをスタッフが発見し、午後4時40分頃に死亡いたしました。ファンがとても多い馬で、現役時代に一緒に戦った世代の馬たちが種牡馬として活動している中、少しでも長く生きていてもらいたかったものの、不慮の事故でこの世を旅立つこととなってしまいました。スペシャルウィークには感謝の気持ちで一杯です」とコメントしている。

 引退後は種牡馬としても05年の日米オークスを制したシーザリオ、GI6勝のブエナビスタ、14年菊花賞馬トーホウジャッカルといったトップホースを送り出した。

武豊「ダービージョッキーにしてくれた馬、一生忘れられない馬」 スペシャルウィーク死の報を受けて


4/27(金) 19:16配信

サンケイスポーツ


武豊「ダービージョッキーにしてくれた馬、一生忘れられない馬」 スペシャルウィーク死の報を受けて


スペシャルウィークとのコンビでダービージョッキーとなった武豊騎手


 1998年日本ダービー制覇などGIを4勝し、種牡馬引退後は、北海道沙流郡日高町の日高大洋牧場に繋養されていたスペシャルウィーク(牡23歳)が、27日午後4時40分頃死亡した。

 スペシャルウィークとのコンビで自身初のダービー優勝を成し遂げた武豊騎手は「突然のことで驚いています。自分にとっては、自分をダービージョッキーにしてくれた馬なので、とても特別な一頭です。素晴らしい馬でした。たくさんの思い出があり、一生忘れられない馬です」とコメントした。

ダービー馬スペシャルウィーク死す 転倒した状態で馬房内で発見される


4/27(金) 19:03配信

スポーツ報知

ダービー馬スペシャルウィーク死す 転倒した状態で馬房内で発見される


98年6月の日本ダービーを制し、優勝馬スペシャルウィークの背でガッツポーズを決め、声援に応える武豊


 現役時代は98年日本ダービーなどG1・4勝を挙げ、種牡馬としても活躍したスペシャルウィーク(牡23歳)が27日午後4時40分頃、けい養先の北海道日高町・日高大洋牧場で死んだことが分かった。JRAが発表した。

 同馬は今月23日の放牧中に転倒。左腰を強く打ったため、馬房内で経過観察していたが、27日に馬房内で転倒しているところをスタッフに発見されていた。

 同牧場の小野田宏代表取締役は「ファンがとても多い馬で、現役時代に一緒に戦った世代の馬たちが種牡馬として活動しているなか、少しでも長く生きていてもらいたかったものの、不慮の事故でこの世を旅立つことになってしまいました。スペシャルウィークには感謝の気持ちで一杯です」とコメントした。

テイエムオペラオー号が死亡



2000年天皇賞を春秋制覇するなどG気7勝し、顕彰馬に選出され、種牡馬として北海道新冠郡の白馬牧場に繋養されていたテイエムオペラオー号(牡・22歳)は、5月17日(木曜)に心臓麻痺のため死亡しましたので、お知らせいたします。


竹園 正繼オーナーのコメント

以前会った時もすごく元気だったので、今回の知らせを聞いたときは本当に驚きました。やはり8連勝した2000年が一番印象に残っています。前の年に最優秀3歳牡馬に選ばれて、翌年は恥ずかしいレースは出来ない、負けるなと言ったらそのとおりになりました。
産駒に関しては、JRAではテイエムトッパズレとテイエムエースが障害重賞を勝ってくれましたし、他の産駒も頑張ってくれています。亡くなった日にも栗毛でそっくりの馬が生まれたと聞いていますし、これから見るのが楽しみです。凄い馬でしたし、本当にありがとうという気持ちです。



岩元 市三元調教師のコメント

初めてのG犠〕をプレゼントしてくれた皐月賞が今でも一番思い出に残っています。調教では、乗り手を落として一頭で厩舎に帰ってきたりと、やんちゃなところを見せていましたが、レースでは決して大崩れしない、とにかく強い馬でした。昨年会いに行ったときは元気な姿を見せてくれていました。
非常に残念ではありますが、今は感謝の気持ちでいっぱいです。



和田 竜二騎手のコメント

突然のことで驚いており、大変ショックです。元気そうなうちに会いに行きたかったのですがなかなか機会がなくて…。同世代の馬が亡くなったというニュースを耳にするたび気にはなっていました。これからは天国から見守ってほしいと思います。



株式会社白馬牧場 長浜 和也氏のコメント

突然のことで残念です。ファンの方がお見えになったときのために献花台を設けました。また、石碑も建てる予定です。


テイエムオペラオー突然死、22歳 放牧中倒れる


5/21(月) 9:19配信

日刊スポーツ



テイエムオペラオー突然死、22歳 放牧中倒れる


00年天皇賞・秋を制したテイエムオペラオー


 00年の年度代表馬でG1・7勝のテイエムオペラオー(牡)が17日に北海道新冠町の白馬牧場で心臓まひのため死んでいたことが20日、分かった。22歳だった。02年から種牡馬生活を送り今年も元気に過ごしていたが突然、息を引き取った。総収得賞金18億3518万9000円は、昨年にキタサンブラックに抜かれるまで1位だった。同牧場にはすでに献花台が設けられ、銅像や記念碑の設置などは今後検討される。

 突然の悲報だった。テイエムオペラオーは、けい養されていた白馬牧場で17日の放牧中に倒れ、同日午後2時20分ごろ息を引き取った。竹園正継オーナーは「本当にびっくりして。病気も異常もなく、元気にしてましたから。気候も良くなって、馬にとってはいい環境になってきたのに、あまりに急で。獣医師に『心臓が強い』と言われていた馬が心臓まひなんて…」と言葉を詰まらせた。

 記憶にも、記録にも残る名馬だった。200万円の追加登録料を支払って出走した99年皐月賞では大外から豪快に差し切った。クラシックレースを追加登録馬が制したのは初めてで、最優秀4歳(現3歳)牡馬に選出された。

 00年は天皇賞・春、宝塚記念に勝つと、秋は天皇賞・秋、ジャパンC、有馬記念を完全制覇。史上初めて秋の古馬王道G1・3連勝を飾り、年間無敗で年度代表馬に輝いた。接戦に強い勝負強さ、ケガをしない丈夫さ、そして20代前半だった和田騎手とのコンビでG1通算7勝。総収得賞金18億3518万9000円は、昨年末に引退したキタサンブラックに抜かれるまで歴代最多だった。

 02年から種牡馬生活を送り、今年も予定していた5頭中2頭に種付けを済ませていた。多くのファンに愛された名馬だけに、白馬牧場にはすでに献花台が設けられ、今後は銅像や記念碑の設置も検討される予定。竹園オーナーは「22歳までよく頑張りましたよ。ありがとうという気持ち。残された産駒の活躍を楽しみにしたい」と話した。17日夜には、まるで生まれ変わりのような、栗毛でそっくりな牡馬が北海道日高町のテイエム牧場で誕生した。同時期に活躍したスペシャルウィークが先月27日に死んだばかり。春G1の佳境を迎えた時期に、また1頭の名馬が天国へと旅立った。

テイエムオペラオー死ぬ=天皇賞などGI7勝―競馬


5/20(日) 14:34配信

時事通信



 日本中央競馬会(JRA)は20日、2000年の年度代表馬で、同年の天皇賞を春秋制覇するなどGI7勝のテイエムオペラオーが17日に心臓まひのため死んだと発表した。22歳だった。通算成績は26戦14勝。北海道新冠郡の牧場で種牡馬となっていた。 

競馬のテイエムオペラオーが急死 賞金王、殿堂入り


5/20(日) 15:17配信

朝日新聞デジタル



競馬のテイエムオペラオーが急死 賞金王、殿堂入り


2000年の有馬記念を制したテイエムオペラオー。和田竜二騎手、右端が岩元市三調教師


 競馬GIレースで7勝し、キタサンブラックに破られるまで中央競馬の賞金王だったテイエムオペラオーが17日に心臓マヒで死んだ。22歳だった。20日、日本中央競馬会が発表した。4歳だった2000年にGIレース5勝を含む年間8戦8勝の記録を残し、競馬の殿堂にも入った。通算26戦14勝で獲得賞金は18億3518万9千円だった。
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朝日新聞社

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