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偽クリスチャンコミュの憲法九条は日本の宝

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わたしは神が宣言なさるのを聞きます。
主は平和を宣言されます
御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に
彼らが愚かなふるまいに戻らないように。
詩編85編9節

コメント(366)

日本人の知的レベルという点では、そもそも戦争を始めてしまった時点でたかが知れてしまっていると思うんだけど、戦後それはいくらか改善されたのかな?

自民党は集団的自衛権を行使したいがための憲法改正みたいなところがあるけれど、それについてはどうですか?
>>[327]

日本人の知的レベルは戦前レベルのままです。
ちなみに、集団的自衛権の行使については、実は改正など必要としません。
内閣法制局による憲法解釈なだけなので、内閣法制局長官が行使できるよ、と解釈を変更したらそれで終わりです。
また、自民党の憲法改正案は近代憲法というものを理解していない事が明白な案なので、
話になりません。論外。
近代憲法として、日本国憲法の欠陥を補う形での憲法改正以外、意味はありません。
しかし、たとえば義務規定を削除するよりは、自民党憲法改正案などのように家族尊重義務規定を入れたがる人の方が改正には熱心なのが嘆かわしいことです。

左派が率先して、より民主主義と法治主義を推し進め、自由と権利と私的自治を保障するような形での憲法改正を目指す必要があるというのに、
教条化された「戦前回帰反対」みたいな、誰にも相手にされないような事を繰り返して叫ぶのは、
つまり、右も左も知的レベルは同じだと吐露しているようなものです。
戦前の軍暴走の一因となった、明治憲法下における内閣総理大臣の権限の低さについては、
GHQやら何やらもとっくに気付いていて、割と強い権限が与えられています。
内閣総理大臣の立場が弱いように見えるのは、単に与党の党内基盤の問題であって、憲法上の問題じゃない。
そこを、たとえば自衛隊の明記程度で崩れるような、憲法の問題として「軍の暴走」だの何だのと結びつけるのは、戦前の<失敗>を左派が全く分析していない良い証拠と言えるでしょうな。
そして、これも左派について不思議に思うのですが、
集団的自衛権の不行使は、憲法上の規定によって束縛されているのではなくて、
内閣法制局という官僚機構による法解釈に過ぎない、ということを逆に何故懸念しないのでしょう?
あんなの、本気で解釈を変えようと思ったら、行使反対派の長官をクビにするだけで終わる。

また、個別的自衛権などを否定する学説はない。
憲法九条があろうとなかろうと、個別的自衛権や自衛の為の戦力の保持は国際上主権国家に認められた権利だから、憲法九条第二項の存在は、歴史的にも国際法上も自衛戦争を否定はしてません。

集団的自衛権は、よーするに、北朝鮮軍が韓国や韓国内の米軍基地を攻撃した際、韓国内の米軍を助ける為に自衛隊が出動する権利というもので、
まあ確かにそんな戦争に巻き込まれるのは嫌、どっちも好きなだけ戦争しまくれ日本を巻き込むなと思う気持ちは分かりますが、
これについては、むしろ逆に憲法九条修正第三項で、集団的自衛権の行使についての地域限定条項や行使条件条項を修正すれば良い話。

今のままだと、内閣法制局の解釈が変更となった際に、いきなり全ての地域全ての同盟国に対して集団的自衛権を発動するぐらいになってしまう。
シリアだろうがイラクだろうがアフガンだろうが、そこで友軍が攻撃されたら反撃をしないといけなくなる。
そこは憲法でちゃんと規定した方がより安全。
だから、今の憲法九条を固守しようとする方がむしろ危険。
今新しく内閣法制局長官になったのは、どちらかといえば行使可能への解釈容認派だし、
人事権は内閣つまり首相にあるのだから、文句は言えない。
つーわけで、とっとと憲法九条は改正すべきですな。
>329

× 修正すれば良い話。
○ 追加すれば良い話。

特に最近の左派は感情的に成り過ぎて、あれでは糞の自民党憲法改正案が通ってしまうくらい、
話にならない感情論を主張するので、逆に本当は改正したいのかと疑うぐらい。

尖閣諸島やら何やらの脅威があり、またPLOやら何やらで東ティモールやらイラクやらに自衛隊が派遣され、
東日本大震災でも災害救助その他で大いに軍として蓄積したノウハウを駆使しているのに、
「自衛隊の存在すら嫌。違憲」とか言い出して反対したら、相手にされなくなるのも時間の問題です。
ちょっと戻るけど、

>>[325]
>当たり前で、侵略禁止規定は大抵の国にもあるし、自衛の為の戦力そのものを否定していないのだから、表現だけ日本国憲法に倣っても仕方ないわけだ。

逆にいうと憲法9条が日本の宝だと主張する派は、これが他に例を見ないからこそ大切にしたいという思いなんじゃないですか?

多くの日本人は平和を大切だと考えていると思うけれど、それは敗戦国だからかも知れない。
例えば原爆についても日本は唯一の被爆国ゆえ非核を唱えるけれど、米国では原爆は戦争終結のために必要だったと考える人が多い。
今回、米国内でシリア攻撃に反対する国民が多いのには、ブッシュ時代からの流れがあるわけで、平和に対する考えについても、日本をストイックとするなら戦勝国側としての米国はもっと適当というか、おおざっぱな気がします。

もしもイリア・エレオスさんが
>>[328]
>ちなみに、集団的自衛権の行使については、実は改正など必要としません。

と言うホントにその通りなら、憲法改正の必要が無くなってしまうのでは?
>>[332]

集団的自衛権そのものを行使したいが為に憲法改正をしたいと主張しているわけではありません。
その部分を左派は確実に誤解してます。
わざとかと思うくらい。
僕が防衛に関して改正を必要とすると考えるのは、行使に関する地域限定条項、つまり「領土・領空・領海ならびにシーレーン海域」に限る、などの条項と、
あと防衛上の緊急事態に関する、一時的な権利の制限とその回復処置を憲法上に明記するべき、の二つです。

>米国

上に書いてますが、例を見ないと考えるのは「日本人はアホです」と言っているようなもの。
憲法九条第一項は、パリ不戦条約のコピーで、こういう侵略戦争禁止規定は、
大抵の国の憲法にあります。
第二項は、自衛の為の戦争を禁止しておらず、単に憲法解釈で集団的自衛権の行使を(勝手に)自粛しているだけ。
実際に自衛隊もあるし、また、集団的自衛権の保持は、国連加盟国なら全て持っています(国連憲章51条)

つまり、「俺達スゲー」と言っているのは、左派が誤解の上に誤解している、
一言で言えば裸の王様なんです。
更に言えば、自衛隊の明記程度は必要でしょう。
これは憲法慣習に憲法条文を合わせる程度のものです
(戦前の明治憲法では、実は内閣総理大臣の地位は明確に規定しおらず、国務大臣の一人として書かれていた。
内閣制度は明治憲法以前につくられたもので、伊藤が就任した当時は権限が強かったが、
明治憲法が公布されるに従って弱くなった。
その結果が、「閣僚の一人が内閣不一致を起こせば総辞職」「現役武官を陸海軍大臣に軍が出さなければ内閣は流産」「内閣の言うことを軍が聞かない(統帥権)」などの、
戦前の暴走につながった)。

実際のところ、人質事件で現行犯を射殺した警察官を弁護士が「殺人罪」で告訴した例が日本にあり、
もし、自衛隊が集団的自衛権の行使の際、敵兵を殺害したときに、
左派が同じく「自衛隊は軍隊ではないし憲法上の組織ではないから、これは殺人」として告訴する可能性があると、非常に鬱陶しい。
従って、自衛隊の軍としての位置づけを明記することを第二項に修正という形で加えておくべきでしょう。
一言で言えば、集団的自衛権の行使を前提とした防衛体制を憲法上に明記する形ですね。
行使する・しないは政治的判断であって、憲法上の規定の問題ではないですし、
「改憲されれば徴兵されて戦地に行く」というのはほぼ悪質なデマ。むしろ自民党案を通したいのかと思うくらい。
日本国憲法には兵役義務規定はないし、そもそも国民の義務規定を改正して削除すべきだとも思うし、
現代戦で徴兵を行うのは逆に防衛に不利。
更に言えば、イラクやアフガンなど、「戦地」には既に自衛隊が派遣されてる。

今のままだと、いつかは現行憲法のままで集団的自衛権を行使する決断がされる。
台湾などのシーレーンを守る為だのならともかく、
朝鮮半島、特に現代進行形で竹島を侵略している韓国を守る為に自衛隊員が戦死したりするなんて、
実に馬鹿げた話。
同じ民族同士とことんまで戦い合ってくれれば良い。

地域限定条項で、「極東限定。さらにはアジア大陸を除く」という限定を付しておくべき。
これなら、中東だのアフリカだのに行かなくて済むし、日本の防衛には有利。

日本の憲法は、明治憲法も日本国憲法も、領土規定条文が無いから、
これを機に、北方領土から先島諸島、竹島、南鳥島までの領土の範囲をちゃんと盛り込む必要もありますな。
徴兵は田母神が否定してる 。田母神でさえ。
ホントなら、イリア・エレオスさんだけでなく、もっと他の方のいろいろな考えをお伺いしたくてこのトピを復活させてみたんですけど・・・


自分の立場は憲法改正については今のところニュートラルというか、正直賛成、反対どちらとも決めかねているという感じです。

9条を大切にしたいという反対派の気持ちもわかります。
でも自衛隊は現状実質「軍」であり、いざ防衛が必要となればこの「軍」が出動しなければならないので、名称が「国防軍」であれ国内的に「軍」とすることに反対はないのですが、あとは近隣諸国にいかにきちんと理解を得られるかどうかって感じだと思います。
まぁ、中国・韓国は必ず何かイチャモンつけてくるだろうから、それは無視していいと思うし、むしろ対中国に対しては「国防軍」の方がいいような気がします。

ただ改憲派に疑義があるのは、先の集団的自衛権に関して。
もしこの集団的自衛権を認めるのなら、同盟国が攻撃された場合には戦争に巻き込まれるわけで、否応なく日本は戦争放棄の撤回を余儀なくされます。
せっかく(その成果は別として)日本がここまで平和を追及してきたのに、ホントにそれでいいのか? という感じです。

さらには集団的自衛権の適用範囲。
たとえば今回、見送られそうな流れになりつつあるシリア攻撃ですが、もし米国がシリア攻撃を決定していたとして、この場合一部の集団的自衛権拡大解釈派が派兵も可能になるようなことを言っているのには反対です。

また国会における憲法改正手続きをよりやり易くしようとする、「現行の2/3の賛成で成立」を「1/2の賛成で成立」とする自民党案には、もしこの案が成立してしまえば時の政府によって簡単に改憲手続きが出来てしまうという点で反対します。
よほどのことでない限り、改憲手続きは容易になされるべきではないし、だから与野党が賛成しなければ成立しないという、それだけの重みを置きたいから。
ま、一番の懸念は政治的なもので、
日本近海、特に台湾海峡などで米軍が攻撃された場合、それを自衛艦がスルーしたときに、
日米同盟の危機になるのは間違いない。

集団的自衛権は現憲法でも持っているが、改憲してそれをはっきりさせたいという右(ちなみに、自民党の部内の議論だと、「現憲法でも集団的自衛権行使に憲法改正は不要」と言う結論が出ているそうな。
その辺りはさすがに言うほど馬鹿ではない)の中には、
戦前、日英同盟と言いながら第一次大戦で欧州派兵をしなかったことで、日英同盟存続に対して英が冷淡になったこと、
米の圧力で日英同盟が廃されたこと、そして、その後の日本は上手く外交的舵取りが出来ず、
何の共同作戦も出来ないドイツや潜在的敵国であるソ連と手を結ばざるを得なかったこと、
なんかがトラウマのようになっていると思います。

どこぞの右の人の評論で、「日本はアングロサクソンと手を結んでいれば上手くいく」と書かれてましたな
(国際的な外交評論では、「日本はその時の世界最強国と手を結ぼうとする傾向がある」扱いされてますが)。

昔の左は「米と手を切って、ソ連と手を結ぶための方便として」非武装中立だの憲法九条護持なんかをとなえていて、
その辺を割り切っていたのですが、
今の改正反対派はガチそうで逆に怖い。
日本人の知的レベルを疑う要因の一つです。
改正反対派が、立場をはっきりしてくれたら良いのですけど。

1、米帝反対派+独立重武装派
日米安保条約破棄、日本は独力で日本国を防衛します。
ちなみに戦前の軍事費の占める割合は国家予算の半分ですが、それに耐えて見せます。

2、米帝反対派+違う国と安全保障条約を結ぶ派
日米安保条約破棄。アメリカを敵に回す可能性があってもロシアや中国と軍事同盟を結びます。
昔の改正反対派は大抵これ。

3、非武装中立派(ただし個人は武装するよ派)
アメリカの手先の自衛隊なんて真っ平。防衛? 一家に一丁銃を配れ(丸山真男派)。
国家の軍なんて信用出来るか。自分達の身は自分達で守る。

4、個別自衛権も日米安保も認めるよ派(単に海外派兵が嫌だよ派)
今のままでいいじゃん。米軍が攻撃されて戦死者が出てもスルーでいいじゃん。
中国が責めてきても無防備宣言出せば良いじゃん。自衛隊か米軍が奪回してくれでしょ。

5、非武装中立お花畑派
自衛隊も個人の武装も反対。敵が子供の命を奪ったら伴侶も差し出せ。
日本人は平和の為に自由も財産も権利も全て犠牲にしろ。

昔は大体1〜3辺りで、冷戦終了後ぐらいから4が増えてきた感じですが、
何故か最近5が出てきたような印象が…
5は大抵聞く耳を持たないのが特徴。
>>[339]

日本人は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」(憲法前文)

わけですから、5が正しいと思いますね。(笑)

ポツダム宣言受諾可否の際に争点となった、[Subject to]です。あえて、終戦直前及び直後を思い返して、米国の属州になろうという意見が出ないのが不思議ですね。

まぁ、気分の問題として、今の東宮が即位したときの日本なんて、守るべき国の誇りなどなさそうですし。
>>[321]

子のコミュはまだ死んでないようですな。
>>[340]

いや、「アメリカ無くして日本なし」という主張は親米保守の系統にはずっとありますよ。
まー、実際CIAから児玉(以下陰謀論

前文で書いている割には、戦後日本の教育や部活は体罰まみれですな。
何のことはない、GHQの目論見通り、奴隷育成の為の憲法なんですよね。
瓶の蓋ではなくて、思考停止の為の憲法。
自覚なしに感情で「憲法改正反対」とか言う連中がその典型。
昔の左翼は、少なくとも自衛隊が憲法第9条で禁じている軍事力の保持であり、主な任務は彼ら左翼が祖国と仰いでいた旧ソ連に対する防衛、そして原発防衛であるということくらいは理解して「反戦反核!平和憲法を守れ」と言っていたと思うのですが、今は50年以上のマスコミのバンドワゴンの残滓による、雰囲気だけで反対しているとしか思えないんですね。

この人なんかは、モロに団塊なので仕方がない面はあると思いますが、「反戦」というのは全く異論のない当然のことだと思っていたらしいんですな。
http://www.asahi.com/politics/update/0914/OSK201309130182.html

齢60歳を過ぎて、どうも必ずしも反戦運動をすることが絶対的に正しいことではないとする考え方があるのだということに気がついたのですから、いったい何十年馬齢を重ねたんだと噴飯ものです。

もちろん、戦争は回避するべきものですが、「反戦」が正しいのではなく、「平和を守ること」が正しいのです。

「平和を乱そうとする奴らがいる。戦争をしようとしている奴らがいる。そいつらをやっつければ平和になる」という発想が反戦であり、それこそが戦争の発端ですから。
>>[343]

戦争という主権国家の行いを、「力を誇示したいから」だの「戦争の悲惨さを知らないから」何だのと言う、
分析に価しない独断で捉えているから、端で見ると反戦運動が滑稽になります。

昔の左はそれこそマルクス主義で、まーよーするに資本主義が高まると独占資本が生まれ、
独占資本主義の矛盾があーだこーだとなってブルジョア国家をして、市場と資源を求めて帝国主義云々という理屈を持っていた。

その理屈は大分間違ってはいますが、合っているところがあって、
主権国家が戦争に踏み切るのは国家理性による計算あってのことだ、ということ。
反戦運動が最高潮だったベトナム戦争で言えば、アメリカ側が考えていた計算は「ドミノ理論」。
早い話、ベトナムの社会主義化がインドネシアにまで及び、東南アジア全域の「西側からの脱落」を導くのではないか、という懸念。

大日本帝国が大陸へ膨張の道に走ったのは、防衛上の緩衝地帯を、確保した地域の外に置こうとする計算。
列島の外に朝鮮、朝鮮の外に満州、満州の外に華北、華北の外に華南、そしてインドシナ云々。
今日本に膨張の意思がないのは、大陸からの脅威に対してはアメリカが肩代わりしているから。

国家理性による計算が正しいとは全く限らないし、某大日本帝国みたいに「計算の結果無茶苦茶」みたいなことにもなりますが、
そういう計算がなければ、武力行使なんて踏み切らない。
これは当たり前。

そして、大陸やら何やらへの膨張の必要性も意思もない日本に対して反戦運動するという左派の考えは、自己撞着そのもの。
今、東アジアで武力行使を踏み切る可能性があるのは、
アメリカ頼みの日本でもなければ、竹島を実効支配している韓国でもなく、大陸反抗なんて考えもしなくなった台湾でもない。
また、ロシア人人口が減りつつあるシベリアを抱えるロシアでもない。

国内での格差と社会的な矛盾を外洋への進出で糊塗しようとする中国と、
同じく矛盾を軍事的示威行為を繰り返すことで隠し、生存に全力な北朝鮮。

この二国に対する反戦運動を中国と北朝鮮で行うならともかく、
日本で日本向けに行って、日本の憲法を「宝」と見てどうするのか。

シリアやらイスラエルやらの国家理性がまともにぶつかっているような地域の紛争に反戦運動が全く役に立たないのと同様、
何もしない日本に対して反戦運動してても何の意味もない。
しかし、何故か今の左派はそんなことすら考えない。
不思議なものです。
>>[341]

死んでたよ。、

チェブが再生させた 。別に死なせたままでも良かったんだけど(。・_・。)ノ
>>[345]

あれるいや〜

コミュはふくくわつされたり。
>>[344]

>何もしない日本に対して反戦運動してても何の意味もない。
>しかし、何故か今の左派はそんなことすら考えない。

最近の労組執行委員なんかでも、労働三権とは何かすら知らない人がいるわけで、憲法第9条も、どうして死守する必要があるのかわからないまま、平和憲法普及とか寝言言っているケースが多い
ように思えます。

冷戦時代には、社会主義国を「平和勢力」、資本主義国を「戦争勢力」と呼んで、乱暴に二分割していましたので、いとも気高きプロレタリア前衛様に言われるまま、ソ連の軍隊は平和のための軍隊だから平和維持軍だと本気で考えていた人も多かったようで。

それがソ連軍のアフガン介入当たりから、平和勢力であることの説明がぐらついて、そうこうしているうちに故郷を持たないはずの労働者の故郷ソ連は消滅しました。

今は、アメリカ軍は「平和勢力」で、アラブ勢は「戦争勢力」に変わっているだけです。

ですから、オールド左派は、そもそもどっちの方角を向いてハンセンヘイワと言っているのか、自分たち自身もわからないのでしょう。
>>[347]

う〜ん、古い(生え抜きの)左翼と新左翼と、そして今の得たいの知れない人たちとは全然別の人たちですよ。
昔の左翼は、マルクス主義の薫陶をそのまま受けていて、まあ労農派と講座派なんて争いもありましたが、
民族を階級として考えて、米帝(笑)に抑圧される被支配民族・日本人というのが頭にあった。
「日本は単一民族国家だ」という神話は何も右から発祥したのではなくて、この古い左翼から。
だから、「アメリカ帝国主義と、それに利用される絶対王朝の残滓である天皇、そしての支配下たる自衛隊」を十把一絡げに否定できた。
ま、彼らの理論だと、帝国主義というのは独占資本主義の産物だから、「社会主義国家は侵略しない」というドグマがあって、だからこそ、資本主義国家のリーダーたるアメリカと、その手下の日本政府を批判すればそれで(一応)平和への道、というヤツになった。

新左翼というのは、日本が高度経済成長を経て、被支配階級としての日本人というヤツが通用しなくなった頃に生まれた人々で、
じゃあ代わりに何を「錦の御旗」にしたかと言うと、社会的に抑圧されたという人々、まあいわゆる底辺層。
ヒッピーとかルン○ンとか、あるいはマイノリティ民族集団、また当時における女性たち。
彼ら・彼女らの声を代弁する形で、ベトナム戦争とかを行うアメリカを批判した。
ま、同時にソ連に対する悪評が酷くなりすぎたので、ソ連=悪、ソ連に「侵略」(国境紛争がありました)された中国は、善。
更に、その中国に中越戦争で攻撃を受けたベトナムは「至高の善」みたいな扱いをした。
ま、今の「得体の知れない人たち」は、中国とベトナムの国境紛争でも平然とベトナムを切捨てますが。

で。
べ兵○とかに東側から思いっきり資金が援助されていたとか、小田実氏の権威体制とか、色々ありましたが、
それらが一変に完全に崩れたのが冷戦終結。
この後、ヨーロッパのマルクス主義系知識人は一斉に沈黙するという謙虚さを持つのですが、
日本の場合は、近くに冷戦構造が残っていた地域と国があったせいで、つい最近まで、
「金大中と金正日の南北会談があったから、これから戦争はなくなる」(本当にそう書いていた人もいた)とか、とにかく冷戦構造というか国家理性による利害の衝突さえなくなればどうにかなる、とか言う考えにシフトした。
ところが、今一番国家理性で動いているのは中国なので、反戦運動をするとしたら中国(と南北朝鮮)を思いっきり批判しないといけない。
それをすると、まるで日本のナショナリストを応援するみたいなので気に食わない。
だが、日本は国家理性の計算として、海洋においてシーパワーを維持しようとして、大陸には何の関わりも持とうとしない。

で、「自分でも何をやっているのか分からない人たち」の出来上がりです。
尖閣でも太平洋でも進出して来ているのは中国の艦船なのに、日本を批判するのだから、もう意味不明。
しかし、多分それを認めたらアイデンティティが崩壊するのでしょうなあ…
というわけで、感情的・非合理的・論理的、もう自分が何を口走っているかも分からない「サヨク」になったわけです。
で、非合理的な上に日本的な価値観を持っているから、
「とにかく相手が理屈の上で納得するまで自分達が痛みを伴う形で譲歩すればどうにかなる」という、
日本の歴史でも豊臣秀吉が元同僚を説得した時ぐらいしか成功した例のないやり方を提案してしまう。

李承晩ラインで竹島を侵略した韓国に対して、「竹島なんか譲れ」とか言うのはその典型。
今韓国の一部は「対馬は元々韓国領」とか言い出す人もいて、譲歩が無意味なのを示してくれてますが。
中国も尖閣諸島云々で済むはずもなく、「沖縄は中国領」とか言い始めている人たちも出始めた。

当たり前の話で。
武力衝突も強硬姿勢も示さずに勝手に譲歩してくれるのだから、
要求を強めにしたらまた譲歩してくれるだろうと思うのは当然。
しかし、「譲歩しろ」という日本人は頭が日本人なので、「相手は『空気』を読んでくれるだろう」ぐらいしか思ってない。
まあ、それ以上の論理的なことを思う頭脳もなければ訓練もされてませんが。

で、譲歩して譲歩して譲歩して、という具合に進んで、実際に被害が出ようが憤懣が高まろうがずっと「憲法九条は至高の九条」みたいな事を主張した挙句、
右が憤懣を口にし始めたら「ヘイトスピーチが発生した!!! 日本は悪!!!! 危険!!!」とか言い出す始末(某有田議員…)。

そこには筋もなければ合理性もない、まして相手のことすら理解していない、
独り善がりの、憲法九条という条文を「物神」にしたフェチシズムしかない。
クリスチャンが「憲法九条は日本の宝」と言ったら、僕は彼・彼女を「偶像崇拝者」と見なしますね。

……

……

…と、断言しようと思ったら、ここは「偽クリスチャン」コミュでしたな。
ちなみにもし日本が集団的自衛権を認めたら、日米同盟がより強固なものとなってというか日本が庇護下に置かれてるところから脱して、日米地位協定も見直されるのかな〜?

見直されるのなら、それは特に沖縄にとって一つのメリットとなるよね。
>>[350]

自衛隊員が実際に血を流してから後の話ですな。
それくらい、「血」というのは重い。
逆に言えば、「血」を流さずに対等であろうとするのは、やはり無理。
…そして、今の日本人は、自分達の流す「血」の重さに耐えられないかもしれない。
>>[349]

>しかし、「譲歩しろ」という日本人は頭が日本人なので、「相手は『空気』を読んでくれるだろう」ぐらいしか思ってない。

外交交渉では、これをやってどれだけ国益を損なったか調べれば相当出てくるんでしょうね。

そのほか、「ナカを取る」というのも不思議な慣例。
5億の予算が必要な事業に対して、財政当局は査定の結果、1億しか認めない。それでは困るというので、代議士を使って調整した上で、「ナカを取って」3億の予算を認める。

どのみち、3億でも事業は実効が出ないので、単に業者が適当に食い散らかすだけで終わります。

ところで、「宝」で思い出しましたが、北海道弁には愚か者に対して「はんかくさい」と「たからもの」という言葉があります。放言は標準語では表現できないさまざまなニュアンスを含んだ言葉なので、解析すると次のようなものです。

「はんかくさい」=思慮が浅い+世間知らず+他人の嘲弄が気にならない という愚か者
「たからもの」=思慮が浅い+世間知らず+おめでたい+地に足がついていない という愚か者

よって、9条の精神を世界に広めようなどと言っている人は、他国の人間も自分と同じ発想をするから、礼を重視して譲歩しようという人なので、上記両方に該当します。

>>[352]

今朝のニュース番組を観て思ったのですが、自民党などは、「憲法は理念法的な部分がある」として、
憲法を綱領かモーセの十戒、キリストの山上の垂訓みたいに考えている要素が強いようです。
舛添要一氏などは政治学者だけのことはあって、さすがに突っ込んでましたが、
自民党の下村氏などは、「家族による相互尊重規定という伝統的概念が共有されなくなったのを憲法に明記せざるを得ないというのは残念だ」と、
余り自覚出来ていないようでした。

多分、日本人の大多数は同じように考えているでしょうから、いざ憲法改正論議が国会ではじまっても、国民の大多数はその条文を反対せずに、通ってしまうでしょう。

そして、恐らく日本人にとって憲法九条も理念法みたいな感覚で捉えていて、
左派が改正を嫌がるのは、理念が失われると思っているからなんでしょう。
某左派の社会学者などは、「憲法九条の保持は、中国・韓国に対する(日本が戦争に対する反省をしているという)信用になる」とか書いている文章を読んだことがあります。

これほど馬鹿なことはありません。
国家に友人なし、国家理性が唯一の共通言語であることは、日本人が求める理念と何の関係もありません。
日本人は、国家理性に基づかない言動がどれほど不気味に思われているか理解していない。
鳩山が一番の例です。あれの言動を理解できた人間が他国に存在したとは思えません。
外国とは、文化も習慣も宗教も国家体制もイデオロギーも違うからこそ、
目的合理性というロジックが唯一の共通項であるとして、「話」が通じるわけです。

日本人は、あまりにも他者のことを理解して無さ過ぎる。
日本人が独り善がりに「憲法九条、反戦平和、日本の宝、私の宝物」と言ったところで、
島嶼を奪われたり、山岳で銃撃を行っている国にとっては、精々「嘘つき」(それなりに武装していて他国と軍事同盟を結んでいるわけで)か、
相手がそうやって日本政府の行動を縛るように勝手に行動してくれたら儲けもの、ぐらいにしか思っていません。

日本人というのは多かれ少なかれ、他者が違う考えと理念を持っている、などという当たり前のことをすっかり忘れてしまいます。
いや、覚えていても、コミュニケーションをとる訓練をしていないし、学校教育もそうしないし、
意見の違う人間は「空気」の下で圧殺したり排除したりして来ただけですから、
そういう頭脳が無いのです。
日本人は、外交から身近な部分まで、コミュニケーションに対して、相手が自分と同じ「本心」を持っていると仮定しています。
相手がクリスチャンであろうが南伝仏教徒だろうが、「本心」は同じ、と。

だから、全然違う価値観が提示されたとき、まずその「真意」を探ろうとし、その「真意」が自分たちと同じなら、違いは表面上だけのものと勝手に判断します。
この場合、相手が違う価値観で動けば「空気読め」と圧殺にかかります。

もし、「真意」が自分達と違うと判断すれば、それは「異質な存在」として認識され、排除に掛かります。
しかし、「異質な存在」なんて山ほどいる。
と、なると、それはソトの人間として「存在しないこと」にします。
この場合、ソトの人間が何を言おうと、相手にしなくなるか、妙なバイアスで「真意」を捏造して脳から排除します。

某右派の人間が、近代主義的価値観からの批判に対して、批判者を「白人崇拝者」と決めつけ、
それに対して反論すると、
「クリスチャンであり日本を批判するなら、それは白人崇拝者と見られるに決まっている。
それを理解しないのはお前が真性(のキ○ガイ)だ」と返したことがありました(本当にそう主張した)。
それほどこちらがアングロサクソンは嫌いだ、ヨーロッパなんざ碌でもない歴史ばっかり。
近代はヨーロッパモデルではなくて人類普遍のモデルだ、と主張しても全然聞く耳を持たない。

つまり、そうやって、「空気」を壊しかねない人間をソトの人間として自分達のウチから排除して、それで自分達の平安を保っているわけです。
これは左派も同じ。
どれだけ理論的に主張しても、たとえば集団的自衛権の地域限定条項を付加すべきだ、という主張に対しても、
「勝手に改憲を主張して戦地に行けば」
みたいな反応しか返さない。
それは、そうやって、ソトの人間だとして排除しようとしているわけです。
「陣営」という「共同体」しか見てない。コミュニケーションが下手糞なんです。

共同体のウチにあると思った人間は圧殺し、ソトにいると思った人間は排除する。
そんな価値観で、利害が衝突する、対等な主権国家群の間で外交なんて出来るはずもありません。

戦後直後、某アメリカ人の政治家が、玉音放送の英訳文を読んで驚いたそうですよ。
「まるで、天皇が全世界の支配者で、彼が平和を求めているから戦争を止める、みたいな内容じゃないか」とか。

自分たちのウチしか日本人は見ない。
だから、あの恥ずかしい憲法九条を「宝」とか言うんです。
これほどコミュニケーション下手な民族、非合理的で感情的でロジックがまるで通用しないエスニック集団が、
良く外見上だけでも近代国家の形式を取り繕うことが出来るなと本気で思いますよ。
>>[354]

>戦後直後、某アメリカ人の政治家が、玉音放送の英訳文を読んで驚いたそうですよ。
>「まるで、天皇が全世界の支配者で、彼が平和を求めているから戦争を止める、みたいな内容じ
>ゃないか」とか。

フランス人なんかは、世界の歴史上最も偉大な大帝は、ナポレオンとド・ゴールだと思っているかもしれませんね。(笑)

天皇が全世界の支配者とは思いませんが、現存する各国王朝の歴史と比較すれば稀有な存在だとは思いますね。

いわゆる「人間宣言」については、「天皇もクソやションベンをする」などという意味に思っているヒトがいるようですが、この時の趣旨は「五箇条の御誓文」再確認することだったとされていますね。

アメリカから押し付けられた民主主義ではなく、明治大帝のときにすでに宣言された日本の民主主義を復興するのだということです。

>恥ずかしい憲法九条を「宝」

憲法前文も負けずに恥ずかしいと思いますね。

「われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって(中略)信ずる。」

はて?これはアメリカ人へのあてつけでしょうか・・・?
>>[357]

天皇が生物学的に人間だということは、当時の国民は誰でも知っていることで、
まあ、明治期のちょっとイカれた国学者は、明治天皇が行幸した際に、その「御糞」を頂きたいとか訳の分からないことまで言ったりとか、
あるいは、明治天皇が死に掛けているときに、「玉体に触れるなんて畏れ多い」とか言って医者による診断がまともにちゃんとできなかったという話もありますが
(明治天皇が若い頃、女官の部屋へ行こうとしたのを、見張っていた山岡鉄舟が見つけて投げ飛ばしたというエピソードがあったり、
御前会議で居眠りしていたのを、同席していた山県有朋が軍剣の先で床をつついて起こしたりとかした話もありませんが)、
国家神道がキリスト教の代替品だったので、まあ神性を伴って考えられていたのは否定できません。

ご真影も、キリスト教系のミッションスクールなどは「丁重に奉納をご辞退させて」頂いたとか。
教職関係者はご真影を置いておく為の建物周りの予算が通り易くなるので、その意味でも重宝したそうですな。

昭和九年だったか、政府が声明を出して、「天皇は西洋的なゴッドの意味での神にあらず」という形で、
日本風のカミなんだと説明はしてまいますが、
少国民世代と言って、昭和十年代に教育を受けた少年たちは、当時の教科書が割りと「天皇=神」だと思わせるような教科書だったので、戦後に「そういう概念が大日本帝国では普通だった」という話を「体験談」として流布していたりしてます。
これは世代のギャップによるものでもあるのですが、まあ、総力戦体制の時は精神的動員というのもやるので仕方ありません。
昭和二十年の八月三十日頃には、戦地から帰還した人々がご真影に敬礼すると、子供たちが笑うという状態に既になっていたようですが。

>憲法前文

それ、集団的自衛権、相互安全保障を謳う下りで、早い話、国際連合の枠組みを意識しているわけですよ。
で、憲法九条は集団的自衛権を別に否定していないし、日本国は国連加盟国だから、
その意味では割と一貫してます。
単に、国際連合という枠組みが余り役に立たず、NATOとか集団的安全保障体制の方が「現実的」なだけで、
一応、出来た当時は、朝鮮戦争に国連軍が参戦したみたいに、国際連盟と違って期待があったのだから仕方ない話です。
>358

× >ありませんが
○ >ありますが

明治天皇の時代は、天皇という存在そのものが庶民に余り知られていないところがあったので、
「お稲荷さんがいるだろ。あれは正三位だ。お稲荷さんに官位を与えるのが天皇で、お稲荷さんより偉いんだ」みたいな説明がされたそうで、
明治天皇も、西洋風の君主を装うのに苦労したとか。
一時は宮中から薩長を排除しようとする逆クーデターを試みたこともありますが
(一応、暗殺される直前の大久保利通は、内務卿を伊藤に譲って、自分が宮内に入ることで、
宮中周りを抑えようと考えていたらしい)。

大正天皇は精神的に少しお鈍くあられたので、その期間に大正デモクラシーが発達したという逆説的な役割を演じることになったのは皮肉なものです。
昭和天皇は、だから当初は明治天皇をモデルに考えていたとか。

ただ、昭和天皇は立憲主義をそれこそ過度に考え過ぎていて、
田中内閣への叱責はともかく、二・二六事件だのご聖断だの自体は立憲主義に反するものでもなかったのですが、それ以外の政治状況では、出来るだけそういう「介入」は控えていた。
その辺りは明治憲法を絶対君主政として捉える左派も誤解していて、
戦争末期の、「戦争を止めるべきだ」という近衛上奏文を天皇は拒否した、何という人だ、という形で昭和天皇を批判する声としてありますけど、
政府と通さずに行う帷幄上奏が、統帥権・軍の帷幄上奏権と同じ「無茶」だということに気付かない。
ま、左派でも極端な左派は、近代憲法をブルジョア憲法として否定しますから、分かっていて言っているのかもしれませんが。



>>[359]

>ただ、昭和天皇は立憲主義をそれこそ過度に考え過ぎていて、

そのようですね。
内閣の輔弼に対しては異議を唱えない。対米戦決定の御前会議でも、仕方がないから明治天皇の御製を2度詠んで、反対の意を表しただけです。

226事件についても、「憲法から外れるところがあった」述懐していますが、「憲法に基づき大政を総覧する天皇に対して、天皇親政を唱えるのは大逆である。」と考えていたから、あのように一貫した姿勢を取れた。

ところで

昭和一桁生まれ。いわゆる少国民世代からもうちょっと年上(終戦時に10代後半)だった人たちは、「本土決戦が始まったら自分たちは死ぬ」と覚悟を決めていたらしいですね。

戦って死ぬのか、空襲なり砲撃なりで死ぬのかはともかくとして、自分の人生は20年に満たないものと考えていたからこそ、田原総一朗なんかは「あの憲法(現行憲法)にはシビれた」という感想を述べています。

一方、軍国主義に代わって民主主義絶対の世の中になって、団塊の世代が生まれたわけですが、父親はたいてい戦争に行ってきているわけで、どこの戦地に行ったかにもよりますが、中国大陸に行っていた人なんかは、「オレはチャンコロ何人ぶった切って」とか自慢するわけです。

もちろん、便衣兵などのことを言っているので、何ら違法性はないわけですが、学校では「戦争は人殺しに過ぎない」などと教えているものだから、「自分は人殺しの親から生まれた。」という原罪的なものを背負い込むわけです。
>>[360]

>人殺し

これは、ドイツの場合や、アメリカのベトナム帰還兵にも当てはまるから、
一概に日本だけの特色ではないでしょう。
勝ち戦は全ての汚わいを糊塗するが、負け戦はその全てに泥を塗られてしまうわけです。

…とは言え、実際のところ、「負け戦をすべきではない」という、当たり前の感情を、
「全ての戦争はいけない」に置き換えてしまったのが、こういう問題のこじれの原因でしょうなあ…
侵略者が攻めてきたらどうする? と言われた時に、絶対反戦平和主義者は、回答できないから、
「そんなことは在り得ない」と主張してしまった。
そうしたら、「在り得た」場合、何の説得材料もなくなる。
尖閣諸島に中国の艦船が来るだけで一切の説得材料が消えて失せてしまう。

だから、もう何の反論要素もなくなって、「とにかく駄目。絶対」「改憲論者は右翼。悪魔。危険。死ね」みたいな、
子供の駄々っ子的な感情的・非合理的・意味不明な反知性主義的な主張になってしまう。
何せ、「在り得ない」と言っていたものが、「在り得て」しまったのだから、
それ以外何を主張しても全く説得力がないことは、馬鹿でも分かる。

その点、同じ非武装中立論者でも、兵士となったことがある分だけ、
「自分の身は自分で守れ」(勿論、冷戦時代にそれが不可能なことは分かっていて主張してはいたのだが)と主張した丸山真男は、まだ賢明でしたな。
テロや危機に関する危機管理意識は、国家レベルだけじゃなくて、個人レベルでも、
未だに日本人の未克服の課題です。
しかし、「いつも目覚めていなさい」とか、イエス磔刑の前夜に「剣を用意しなさい」とか聖書には書かれているのに、
日本人クリスチャン(の一部)が「起こり得ない」という前提で話しているのは不可解を通り越して滑稽ではあります。
福音書には小黙示で、ローマに滅ぼされるユダヤ、崩壊するエルサレム神殿の描写があり、
「終末に生きた人は不幸だ」だの、「ノアの時代の人も、皆嫁いだり娶ったりしていたのだ」とかイエス自身が言っているのに。
ノアですら、神の声を聞いて方舟を造ったから助かったのであって、
「何かあれば神が奇跡を起こして自分達を水上から浮かせて助けてくれる」などと思ったわけじゃない。

終末に対する気構えを持てとずっとナザレのイエスは説いているのに、
日本人クリスチャン(の一部)は何故「侵略なんか在り得ない。侵略されることを想定して改憲するのは危険」とか、
極めて日本人的と主張するのでしょうなあ。
「9条教」のサイトによると
http://wiki.chakuriki.net/index.php/9%E6%9D%A1%E6%95%99

「神国思想の裏返し」だというジョークをかましてますが、意外と当たっているような気がします。

-----------------------------------------------------------------------------------------
神国思想・・・日本が攻撃されても、神風が吹いて敵を追い払ってくれる。
9条教・・・9条さえあれば何があっても攻撃されることはないし戦争は起こらない。
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元寇を追っ払ったのは、頻繁に日本に来ている台風が、たまたまそのときに当たったというだけで、これを神聖視した挙句、大東戦争末期にいろいろあった特攻攻撃のひとつをKAMIKAZEと呼んで、国際語になってしまった。

これがソ連(ロシア)だと、ナポレオン追っ払ったのも、ナチスを追っ払ったのも、あちらではごく普通の冬である「冬将軍」で、あの国は敵が弱ってそのうち冬になるのを待ってから総攻撃をかけるというのが戦術として組み込まれていますが、あちらと神風は別物です。

>「自分の身は自分で守れ」(勿論、冷戦時代にそれが不可能なことは分かっていて主張してはい
>たのだが)と主張した丸山真男は、まだ賢明でしたな。

婉曲ではありますが、自衛は必要であるという主張でしょうね。

9条はひとまず置いて、共産党の源流である「講座派」の理論によれば、日本の資本主義はまだ未成熟であり、フランス革命に倣って、まず王政(天皇制)を打倒しなければならないということなんですが、平和裏にそれを実行しようとすればやはり憲法(第1条〜第8条)を改正する必要があるんですけど、今はどうなんでしょう。

あの政党はカトリックと同じで組織トップに「エクス・カテドラ」があるようなので、いつの間にか革命は引っ込めて、「前衛」という自負だけが残ったように見えます。
ただし、東京の観光名所になったアサヒビール本社のモニュメント(通称「うんこビル)と同じで、誰も理解できなくて嘲笑のネタになっているという意味で。

>>[363]

共産党というのは日本一のブルジョア政党ですからね(笑)
赤旗の収入だけで本当にあそこまで賄えるのか、個人的には疑問ですが。
クリスチャンの言う主は、実は混沌だったりする。
神なる父の秘密の名 =プロパトール=ビュトス。
彼は永遠であり、混沌であり。

知らないクリスチャン多すぎ!ワロタ

9条は「主の平和」を実現する手段だと考えます。

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