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宗教戦争についてコミュの十字軍

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日本人となじみのなさ過ぎる十字軍

しかし純粋な信仰心、参戦した人々のそれぞれ違う思惑、少年十字軍のような悲劇・・・

論ずるに値する出来事だとは思いませんか
え、思わない

騎士団の登場とその後なども気になりますよね

コメント(10)

どの軍事行動が第何回十字軍かっていうのは諸説ありますが、
とりあえず

第一回 ゴドブロア・ブイヨンを中核メンバーとし、最終的に
    エルサレム王国を建てた。

第二回 エデッサ伯領の失陥をきっかけとしてフランス王ルイ    7世、神聖ローマ皇帝コンラート3世を中心として
    実行された。緒戦から足並みが乱れ失敗。

第三回 エルサレム王国の滅亡をきっかけに起こされた。フリ    ードリヒ1世、リチャード1世、フィリップ2世らの
    そうそうたる面子が集まり善戦したが、結局聖地の
    回復はなされなかった。

第四回 終始ヴェネチア商人に主導権を握られ当初の目的から    脱線した。ハンガリーのツァラ、さらにはコンスタン    ティノープルを陥落させラテン帝国を成立させた。

第五回 軍勢的には少数であったが盟主フリードリヒ2世の
    巧みな外交により、アイユーブ朝のアル=カーミルに
    聖地を返還させることを認めさせることに成功した。

第六回 聖王ルイ9世が指揮を執りエジプトを攻めるが失敗。
    彼自身も捕虜となるが身代金を払い釈放される。

第七回 同じくルイ9世が指揮を執りチュニジアのハフス朝を
    攻撃。疫病により王自身を含む多くの兵が死に失敗。

・・・こんなとこですかね。教科書的には。
第1回十字軍の前には隠者ピエールなる怪しげな人物に主導された「民衆十字軍」なるものがおこりました。この計画、
なんと数万人もの兵数(殆どが農民ですが)を集め陸路聖地を
目指しますが補給計画が杜撰だったために食料がつきハンガリーあたりから略奪を開始。そのためその土地の民衆の反撃に遭い大打撃を受け、なんとか小アジアに渡った連中もセルジューク朝に全滅させられました。
どーもー。
はじめましてー、アベです。

テレビの義経を見ていて、ふと

「その頃ヨーロッパはどうなってたのか」

と、いう疑問をもとに、季節がら少し勉強してみようと思ったら。「第3回十字軍遠征」なるものが目に入りました。

まだまだ、知らないことだらけですが、このコミュニティでいろいろ勉強できればと、考えてます。

よろしくお願いしますm(__)m
アベさんはじめまして
よろしくお願いします

十字軍は雑多な集団のイメージが・・・信仰心が強い人もいれば、一旗あげたいと考える人、略奪をもくろむ人などなど

十字軍が始まったのも教皇がプロパガンダとして始めただけの気が・・・・聖地巡礼の妨害なんかなかったという話も
いずれにせよ、十字軍の失敗が強大な教皇権の失墜のきっかけになるわけで
アベさんはじめまして
よろしくお願いします

ではご要望どおり第3回十字軍から紹介してみましょう。


第3回十字軍はアイユーブ朝のサラーフ・アッディーン、通称サラディンがヒッティーンの野戦でギード・リュジニャン率いるエルサレム王国軍を大破し、エルサレムを陥落させ、さらに
アンティオキア、トリポリ、ティール、マルガットを除く諸都市を制圧したことから起こります。
 この十字軍国家の危機的状況を受けヨーロッパではおおいに
十字軍機運が高まります。
その結果、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(赤鬚王の異名をとる。レニャーノの戦いで敗北しイタリアの支配権は実質放棄したものの、ドイツ諸侯を抑え神聖ローマ帝国の全盛期を築く)、
イギリス王リチャード1世(獅子心王の異名をとる。十字軍、対フランス戦で活躍しその戦上手ぶりはおおいに恐れられた。)、
フランス王フィリップ2世
(尊厳王の異名をとる。フランス王権を大いに拡大しフランスを神聖ローマ帝国にならぶ強国に成長させた。)らの壮々たる
メンバーが参加します。歴代十字軍の中でも最も充実したメンバーといっていいでしょう。

 しかしフリードリヒ1世は陸路エルサレムを目指しルーム・セルジューク朝の首都イコニウムを制圧した後、小アジアのキリキアのサレフ川で溺死してしまいます。そのため大半の軍勢は帰国してしまい、数の上で最も多かったドイツの十字軍は早くも崩壊してしまったのです。

 その頃サラディンは順調に十字軍諸都市を制圧しており、名将コンラド・モンフェラートが篭ったティールを除くパレスチナ諸都市をほぼ制圧してしまいます。結局、十字軍国家の命運はリチャード1世、フィリップ2世の二人の手に委ねられることとなったのです。

 この二人は海路で聖地を目指していました。この二人、イングランド王家のお家争いでフィリップがリチャードを支援したことから盟友となっていたのですが、フランス王権の拡大を目指すフィリップと当時フランス西部を領有していたイングランド王であるリチャードは必然的に対立してしまい、別々に聖地を目指すこととなりました。

 フィリップはティールに到着し、コンラド・モンフェラートと同盟を結び、フリードリヒ1世の残軍を交えて要地アッコを
包囲しました。その後救援に来たサラディンの軍と睨み合いが続き、しばらくこう着状態となりました。

 一方リチャードはキプロスにたどり着きこの地でビザンツから独立状態となっていたドゥカースの軍を駆逐、占領し、リュジニャン王に売却します。こうして重要な補給基地を確保したのち、アッコに向かいました。

 フィリップらの軍勢に加えてリチャードの軍まで包囲軍に加わり、さすがの要害アッコも陥落してしまいます。
 要地アッコを落とし意気軒昂となった十字軍ですが、ドイツ軍の中心であるオーストリア大公レオポルド5世有徳公、フィリップ、リチャードの間で内部分裂が発生し、終にはフィリップが帰国してしまう事態に陥ります。こうしてドイツの次にフランスまでも十字軍から離れ、残るはイギリスのみとなってしまいました。

 しかしリチャードの戦意はいささかも衰えることはなく、サラディンがアッコ降伏時の協定を守っていないことを理由として捕虜を皆殺しにします。
 エルサレムを目指すリチャードはヤッファの攻略を目指し、またサラディンもこれを阻止すべく行動し、両者はアルスーフで激突します。この戦いは十字軍側の大勝利に終わり、ヤッファは陥落しました。こうしてエルサレムへの進撃準備を終えたリチャードですが、サラディンは大兵力を結集し万全の体制で待ち構えており遂にエルサレム攻撃は実行されませんでした。
 こうしてにらみ合いの状況となった両軍ですが、その間にも状況は変化し、エルサレム王位目前であったコンラド・モンフェラートはイスマーイール派に暗殺されてしまいました。
 またサラディンによるヤッファ奪還の軍もリチャードに撃退され、結局戦局は大きく動かないまま1192年に休戦協定が結ばれました。内容は

1、エルサレムはイスラム教徒の統治下におく
2、エルサレム巡礼のキリスト教徒の安全を保障する
3、パレスチナ諸都市の帰属の決定etc・・・

といったもので、イスラム側有利の協定となりました。

もちろんリチャードはこの内容に不満だったでしょうが、イングランドの大陸領に対するフィリップの策動、また長期滞陣による莫大な出費などの要因からこの程度の内容で妥協せざるを得ませんでした。こうして第3回十字軍は終結しました。
 ちなみにこの翌年、サラディンは病没します。またリチャードは岐路の途中レオポルド5世によって逮捕され、多額の身代金を払い釈放され、フランス戦を優勢に進めますが、リモージュの戦いで戦死してしまいます。

 結局第3回十字軍はエルサレムの回復はならず失敗に終わります。しかし、この十字軍によって滅亡寸前だった十字軍国家は大いに延命され、1294年にマムルーク朝のハリルに最後の拠点アッコが落とされるまで、実に100年もの間命脈を保ちます。そういう意味では単純に「失敗した」とは言えないかも知れませんね。
 なお、戦後もアッコに残ったドイツ人は後にドイツ騎士団となる野戦病院を設立しました。
年号を間違えました

×1294年にマムルーク朝のハリルに最後の拠点アッコが落とされる

○1291年にマムルーク朝のハリルに最後の拠点アッコが落とされる
初めましてで自己紹介させていただきました、Zeanaです。十字軍のトピックがあったので読ませて頂きました。
色々な要因が十字軍を大規模なものにさせたと言われていますが、最近気になるのは十字軍に伴う移民ですね〜。

そのころのヨーロッパは封建体制が出来上がっていて、食いっぱぐれが大量に出始めた。そこで新たな土地を求めて対外戦争を起こしたという説明は非常にしっくりくるんです。
日本の鎌倉時代の元寇前後で似たような状態になって、
恩賞としての土地が配れないから、幕府が崩壊したって勉強したような・・・。

それにしても、宗教が絡むのと絡まないのとではドロドロ度が違うのでしょうか。うーん、やはり魅力的なテーマですねw。
 大規模な外征って、背景に人口増加による食糧難や土地不足があることって、よくありますよね。
 ゲルマン人の大移動(最も、直接的な引き金はフン族ですが)やノルマン人の移動もそうと言いますし、元寇も、そういう棄民的な意味を含んだものだったらしいですし。

 >宗教が絡むのと絡まないのとではドロドロ度が違う

僕も個人的にはそう思います。ただ、宗教的な知識があまりないもので・・・。できたら宗教のこともよくしっていらっしゃる方がいらっしゃればいいんですが・・・。
はじめましてオカといいます。
第3回十字軍の参加諸侯について調べています。
英王リチャード、仏王フィリップ、独帝フリードリヒ、
シュヴァーヴェン公、ブルゴーニュ公、フランドル伯、シャンパーニュ伯程度は知っているのですが、実際の戦力はどれほどのものだったのでしょう?
詳しい方お待ちしています。
十字軍関係を扱っている日本の博物館を探しています。何か情報があれば是非教えてください。

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