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THE 感動する話コミュの4本のハブラシ

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涙そうそう。
本当に涙が止まらない。
これ読む時は人前はやめた方がいいです。ホンマに涙止まらないから。


これは15歳の女性の話です。




私には3年前からずっと会いたい人がいます。

夢の中でもゆうれいでもいいから会いたいです。

今から3年前の事です。

私の家族はいつもとても明るくって毎日笑いのたえない家でした。
幸せすぎて自分が幸せだという事に少しも気付いていなかった。

あたり前だと思っていたから。

私と弟が新しい中学生活に少し慣れてきた5月ごろの事でした。

母が腰の激痛をうったえ、救急車で運ばれました。

私と弟は家に残りました。

帰ってきた父に

『ママどうだった?』

と不安いっぱいな声で聞くと、父は

『ただの骨折だよ。』

といつもの明るい調子でいいました。

なので、私は見逃してしまいました。

そう言った後に、ぐっと涙をこらえていた父を。

次の日、私たちは家族そろって母のお見舞いに行きました。
そこにはいつもどおりの私の、大好きな子供みたいに笑う
無邪気でかわいい母の笑顔がありました。

私が

『ママッ!!』

と弟と抱きつくと

『一日いなかっただけじゃない』

とクスクスと笑いました。

そして、そんな私たちの様子を父が優しい笑顔で見つめていました。
父と弟がジュースを買いに行っている時に母が不安そうに私に言いました。

『もとくんの事、ちゃんと見てあげてね。ハルの事は頼りにしてるから』

『うん!まかせて!いつ退院できるの?』

とわくわくしながら聞くと、一瞬ためらった後に軽くため息をついて

『きっとすぐだよ。』

と言いました。


その数日後、検査の結果を聞くため家族そろって病院へ行きました。
エレベーターの中で弟に

『ママが退院したらみんなでディズニーランド行こうね。』

と言うと

『ぼく、車のやつ乗りたい。ママと乗る!!』

ととび跳ねながら言いました。

私は少しムッとして

『お姉ちゃんがママと乗るの!!』

と言いました。

そんな私たちの様子を父が悲しそうな顔で見て頭をポンポンとたたきました。

母の病室に着くと私と弟は母の元へかけより

『どっちと一緒に車のアトラクションに乗りたい?』

としつこく聞きました。

『うーん、どうしよっかなぁ』

と私たちをからかうように答えました。

すると父が

『パパとだよな!』

と自信があるような声で言いました。私たち3人は声を揃えて

『えー!!パパ!?』

とクスクス笑いました。

するとガラガラとドアが開き、白衣をビシッと着た先生が来ました。

『ママの担当の先生よ』

と母が言いました。

『ふーん』

と私と弟が興味ないようにうなずきました。

すると父が

『じゃあ、行こう』

と弟の手をひっぱり先生の後についていきました。

『ハルも行くんだよ』

と母が軽く私をたたきました。

『えー、めんどくさい』

と私が反抗するように言うと

『ママについてのお話だからちゃんと聞いてきて。お願いだから!ねっ!』

と、まっすぐに目をむけて言うのでしょうがなく父の後をついていきました。

先生は私たちを椅子に座らせた後、電気を消しました。

すると母のものとみられるレントゲン写真が映し出されました。

そして先生が少し早口で話しだしました。

『佳代子さんは腰の骨を骨折しており、手術では…』

と長い話をはじめました。

私にもわかるように説明してくれてるのですが、よくわかりませんでした。


そして

しばらくして電気がついたので立ち上がると

『まだです。もうひとつお話をしておかなければいけない事があります。』

と険しい表情で言いました。

しかたなく私が座ると

『実は佳代子さんの子宮にいくつかの影が写っていました。佳代子さんは子宮がんです。』

と言いました。

その瞬間私は体が硬直しました。

『ママがガン!?』

と頭が真っ白になりました。そして冷たい涙がツーッと頬をつたって服にたれました。

『パパともと君が見ているんだから泣いちゃだめだ』

と思い自分の手を痛いぐらい強くにぎり涙をこらえました。

私はガンは治らない病気だという事を知っていました。

でもこんな身近な人がガンになるなんて思ってもいませんでした。

そして話終えて帰ろうとする先生にむかってかすれる声で

『治りますよね…?』

と言いました。

するとため息をつき

『残念ですが今の医療では治せません』

と慣れている感じで言いました。

震える私を父が黙って見ていました。

弟は全く理解できていないようで

『ママの所に早く行こうよ』

と言いました。

『そうだな。ハルも行くよ』

と無理に明るい声で言いました。

私は急いで涙をふき顔を見られないようにドアまで行くと

『トイレ行ってから行く』

と言い残し走りました。くちびるを強く噛み、こみあげてきそうな涙を必死にこらえながら。

そして誰もいない屋上にたどりつくと

ずっと我慢していた涙がポタポタとこぼれおち、たちまち私の足元だけが雨が降ったように水玉模様になっていきました。

『どうしてママが!?ママがいなくなっちゃうの!?そんなのイヤだよ!!』

と何度も言いました。

どれくらい時間がたったでしょう。

ふと空を見るとまぶしいくらいだった太陽がオレンジ色に染まりきれいな夕焼けになっていました。

『しまった!』

と思い急いで母の病室に向かいました。

両手で自分のほっぺを二回叩き

『笑わなきゃ』

と強く思いました。

ドアを開けると母の笑顔がまっさきに飛び込んできました。

私はまた泣き出しそうになりましたが、ぐっとこぶしを握り出来る限りの明るい声で

『広いからめっちゃ迷ったよ』

と目のはれた笑顔で言いました。母と父はすべてをわかっていたと思います。

しかし

『次からはちゃんと場所覚えなよ』

とやさしい笑顔で言いました。

そのやさしさがとてもつらかったです。

なんでこんなに平気そうなの?死ぬのがこわくないの?わたしといられなくなるのがさみしくないの?と言いたいことはたくさんあったけど、本当は母が一番くるしくて辛い事が分かっていたので言えませんでした。

そのあと、私は次の日になるまで笑うことができませんでした。

そして数週間がたち、母が家に帰ってくる事になりました。

しかし骨はまだ折れたままだったので家にいてもベッドから出られないままでした。

母が生きられるのは長くてもあと5か月だけだったため、手術をしたら
退院しないまま病院で亡くなってしまう可能性がとても高かったからです。

私はなるべく母のそばにいるようにしました。

少しでも母と一緒にいる時間を大切にしたかったからです。

しかしベッドから出られない母との生活は思ったよりもうまくいきませんでした。

私たち3人は歩けるので、母の気持ちが分からなかったのです。

ある日のことです。

私がいつものように学校から帰り『ただいま』と2階にいる母にまで
聞こえるように大声で言うといつもなら『おかえり』と言う声が小さく聞こえるのに今日は何も聞こえません。

私は不安になって急いで2階まで行くと、母は泣いていました。

『ハル、おかえり』

と今にも消えてしまいそうなくらいの小さい笑顔で言いました。

『どうしたの?』ときくと、しばらく涙をふいて

『ごめんね、ママこんなでごめんね。』

と涙を流しながら言いました。

私はなんて言ったらいいか分からずに涙目で小さくうなずきました。

すると

『ママ、トイレにもいけないんだよ。お風呂にも入れないし、ハルとパパともと君と一緒に歩くこともできないの』

私はまた『うん』とうなずきました。

『それだけじゃない。ハルの花嫁姿も、高校生になったハルも見れないんだよ。

ママはあと何日ハルの事を見てられるの?ねぇ、教えてよ』

止まらない涙を流して震えながら私をまっすぐみて言いました。

その震えが、母につかまれた私の腕にも伝わってきました。

私はここで泣いたらダメだ、と思いぐっと涙をこらえ母の手を握り

『ずっとだよ』

と言いました。

本当はもう母の体力は私の半分くらいしかない事を知っていました。

すると母は

『ありがとう。そうだよね。ずっと一緒だよね。』

と自分にも言い聞かせているようでした。

しばらくすると母は眠ってしまいました。

私は母の寝顔を見ながら思いました。

『どうしてママだったの?世界中に死にたいと思っている人なんて

たくさんいるじゃない。ハルたちからママを奪わないでよ。

今の幸せ奪わないでよ。』

と。

それから時間はあっという間に過ぎ、夏休みになりました。

ハワイ旅行へ行ったり買い物へ行ったりとたくさん思い出を作りました。

一日一日を大切に過ごしました。

母も元気に笑っていてその笑顔を見るたびに私は

『こうしているうちにガンの治療方法が開発されるかも』

と思っていました。しかしその考えは甘かったです。

ある日突然、母の容体が悪化しました。母は食事もできず、話す事すら出来ませんでした。

『ママ、ママ!』

と呼びかけても少し目をあけて力ない笑顔を見せてくれるだけでした。

そしてその夜、部屋にいた私に父が言いました。

『ママはあと2日しか生きられないんだ。だからなるべくそばにいてあげて』

私はその夜は眠れずに泣き続けました。

そして朝になると人がたくさんいました。

祖母やおばさん達、母のいとこ、友達…みんなが母の看病をしていました。

私はこんなにたくさんの人たちに愛されている母がうらやましくなりました。

私は1日中母の手を握っていました。

夜中になり父が

『みんないるから下で寝てくれば?』

と言ってくれたので自分の部屋で眠る事にしました。

不思議とその日は不安がありませんでした。

そして朝になりました。

おじさんがあわてて私を起こしました。

『おねーが大変なんだ』と言い、それを聞いた私は一瞬で目が覚め階段をいっきに駆け上がると、みんなが

『かよちゃん』『かよこ』と呼びかけていました。

おばあちゃんが

『はるかも呼びなさい』

と言い私もママ!と何度も呼びました。

かすかに指が動きました。

私はもっともっと呼びました。

すると母の目から涙がこぼれました。

みんな、その涙に注目しました。

やがて母はまったく動かなくなりました。

母をかこむように人が集まり、ただ泣き声や『かよちゃん』という声だけが聞こえていきました。

父は母の頭を何度も何度もなで、私の頭をポンと軽くたたき外へ行ってしまいました。

そのあと、祖母などが【死んだ人にする事】をし始めました。

指輪をはずしたり。

私はその光景を見たくなかったので、自分の部屋へ行き思いっきり泣きました。

そして

『ハルはわらわなきゃ!みんなが悲しむから。ママにそっくりのこの笑顔でわらっていなきゃ!』と思いました。

そして3年たった今、私の家には3人しかいません。

しかしハブラシもくつもお茶碗も4人分あります。

私たち3人はお線香をめったにあげません。

死んだという事にしたくないからです。

それはいけない事かもしれないけど、私たちにとってはお線香をあげてしまったら『ママはもうここにいない』という事を確認してしまうことになるからです。

母のことを会話に出さない日はほとんどありません。

ママだったらどうするとか、ママはこの花が好きだったとか、毎日話に出てきます。

私たちは母を死んだ人と考えていません。

今一緒に生きている人と考えて生きています。

思い出の中にしか母はいない事は分かっています。

しかし毎日心の中で呼びかけていたらいつか答えてくれる気がしてしまいます。

私の家族は少し変かもしれません。

でも今幸せです。

母と過ごした、12年の日々があるからです。



ママへ

そこからハル達は見えてる?声は届いてる?ハル達は今頑張っているよ。そして幸せだよ。

でもママがいないのはさみしいよ。家に帰っても『おかえり!』って言ってくれる人がいないのはさみしいよ。ママに会いたいよ。会って話がしたいよ。

ママが中学の頃はどうだったの?パパとはどんな出会いをしたの?

聞きたい事いっぱいあるよ。一緒に買い物に行きたいよ。

あの頃はサイズがなかったけど、今なら着られる洋服はたくさんあるよ。

受験勉強も頑張ってるよ。

夢ができたんだ!

一番にママに聞いてもらいたかったな。

あの頃はわがままばっかり言ってごめんね。

心配ばっかりかけてごめんね。

でも、ごめんよりもありがとうのほうがいっぱいあるよ。

いつも励ましてくれてありがとう。

おいしいごはんを作ってくれてありがとう。

ハルを信じてくれてありがとう。

産んで、育ててくれてありがとう。

ママ、大好き。



コメント(16)

治療法が無いところとかを自分と重ね合わせてしまって、この話は余計に泣いてしまいます。
今読み返してまた泣いてしまった。

人前で読むのはやめた方がいい‥

その通りでした泣き顔

バスん中で、涙も鼻水もダラダラです‥‥

私もこんなふうに、
愛ある家族になれるよう頑張ろうって思いました。
アカン、自分で書いたのにこの話だけは何度も泣いてまう涙
子宮がんは予防できる時代になってきました。国も子宮がんについては問題になってます。ワクチンは保険適用外のため高額ですが、一人でもこのお母さんみたいな人をなくす為にワクチンの接種を…。自分も彼女と結婚する決意があるので接種代だします。
泣きました涙

私はおばあちゃんが突然死んでいました。
昨日まで普通で翌日に起きてこずでした。

全く実感がなく、しばらくはご飯の支度などはおばあちゃんの分もしていました。
おかずが余ると誰かが「食べていない」という認識でした。
1人分多いことに気づくのはその後です。

いつも座ってたところにいないとお母さんにおばあちゃんどこいったん?って聞いたり、わからないことがあれば無意識に聞きに行ったりしてました。

皮肉にも私の20才の誕生日の3日前に死んでしまいました。

おばあちゃんでこれだけ寂しいんやからお母さんならどれだけ辛いか想像出来ません。
私の住む葛飾区では、子宮けいガン検診は、年に一度だけ千円で受けられます。
今回は無料クーポン対象者だったので、受けてきました。
女性の皆さん受けましょう。
泣けますねぇ〜あせあせ(飛び散る汗)
このお父さんのように強く、優しい男になりたいですねあせあせ(飛び散る汗)今晩は、普段あんまりやらない家事をしようかなあせあせ(飛び散る汗)
注意書きがあったにも関わらず人前で読んでしまったぁ

(;_;)
スロット打ちながら号泣とか俺痛い人やわ
辛いですね。
でもそれ乗り越えておられる。
どんな手段にせよ、人生の[糧]になります。
これからの目標はママに幸せな生活を見て頂く事ですねウインク

強く逞しい心をありがとうございますほっとした顔
こういうお話は涙腺が刺激されます涙ダッシュ(走り出す様)おくりびと…、誰もが経験する別れー(長音記号1)切ない気持ちになります。
ポロポロ…涙涙涙
私の二人の子供を抱きしめたいと思います。
共に生きてる事って当たり前じゃないんだな。

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