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明治神宮野球大会コミュの歴代高校日本代表

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コミュ内全体

現在カナダで高校日本代表チーム(U18)が優勝目指して戦っていますが、歴代の高校日本代表チームのトピです。

ホントは高校野球のコミュに立てれば一番いいのでしょうが、高校野球のコミュには入っていないので、唯一高校つながりということでこちらに立てました。

コメント(41)

二度目にハワイ遠征が行なわれたのは55年から4年後の59年でした。
15試合戦って9勝6敗という成績だったそうです。

59年夏の甲子園優勝校は西条、準優勝が宇都宮工、4強は八尾と東北でした。

【監督】
松井 一之(朝日新聞東京本社運動部員)

【投手】
山崎 武昭(高知商3年)
大井 道夫(宇都宮工3年)
金子 哲夫(西条3年)
永友 延昭(高鍋3年)
藤野 隆司(平安3年)
井上 善夫(日大二3年)

【捕手】
野口 元三(平安3年)
岡部 高明(八尾3年)

【内野】
村上唯三郎(西条3年)
石黒 和弘(中京商3年)
小笠原澄男(高知商3年)
浜口 隆男(松坂商3年)
朝井 茂治(静岡商3年)

【外野】
嶺岸 征男(東北3年)
塩原   均(松商学園3年)
三浦 和美(広陵3年)
中村 邦弘(倉敷工2年)

4年前の代表チームは2年生二人いましたが、今回は2年生は中村一人でした。

宇都宮工の大井は今夏まで日本文理の監督を務めた大井さんですね。

高知商の山崎は法政、中京商の石黒は慶応に進学しました。
ともにリーグ優勝、大学選手権制覇しています。

日大二の井上はプロに行ったのではなかったかな。

監督は前回と同じく朝日新聞の松井氏。
東京本社に転勤になったんですね。

三度目のハワイ遠征が行なわれたのは63年。前回からまた4年後でした(笑)。
成績は8試合戦って8戦全勝というすばらしいものでした。

63年夏の甲子園優勝校は明星、準優勝は下関商、4強は横浜と今治西。
この63年の大会は45回大会ということで一県一校が参加。甲子園と西宮の二球場併用で行なわれました。

【監督】
高野 繁也(下関商)

【投手】
池永 正明(下関商3年)
三輪田勝利(中京商3年)
井上 健仁(横浜3年)
堀川 浩伸(明星2年)
青木   稔(磐城3年)

【捕手】
和田   徹(明星3年)
高橋   博(宮崎商3年)

【内野】
岸本   智(岡山東商3年)
佐川 由衍(徳島商2年)
蓑輪   努(桐生2年)
田中 逵彦(銚子商3年)
佐野 芳徳(下関商3年)
神野 照泰(今治西3年)

【外野】
安里 陽宣(首里3年)
小笠原 一(東奥義塾3年)
小川   亨(宮崎商3年)
津村   亨(高田商3年)

3回目の代表選出になって初めて現役野球部の監督になりましたね。
通常優勝監督が務めるのですが、明星の監督は何か理由でもあって準優勝の下関商高野監督になったと思われます。

投手陣は池永に三輪田ですか。この代になるとプロ入りした選手は覚えていますね。
明星の和田もプロ入り。宮崎商の小川も立教経由でプロ入りしましたね。
桐生の蓑輪は早稲田に進学しました。三輪田とは早稲田てチームメイトでした。

また首里から安里が代表に選ばれているんですね。
まだ本土復帰前ですけどね。沖縄代表の第一号です。

下関商は春センバツ優勝して春夏連覇がかかりましたが、最後の最後決勝で地元の明星に1-2と惜敗して春夏連覇を逃しました。
【訂正】
昨日書きこんだ中で池永の学年を3年としていましたが、正しくは2年です。
確か池永は2年で甲子園優勝(センバツ)投手になっているのになぜ3年と書いたのか。

ちなみに池永の最終学年時はセンバツ連覇を狙った春は甲子園出場はしたものの初戦(2回戦)で博多工に敗れ、最後の夏はなんと山口大会初戦敗退だったとか。

なおこの年(64年)夏の甲子園を制したのは同じ山口の早鞆でした。
69年のハワイ・アメリカ遠征のメンバーです。前回からまたまた4年ですね。
成績は12試合戦い、8勝3敗1分でした。

69夏の甲子園優勝は習志野、準優勝は広陵。4強は中京と市和歌山商。

【監督】
杉浦 藤文(中京)

【投手】
宇根 洋介(広陵2年)
石井 好博(習志野3年)
川口   勉(中京3年)
野上 俊夫(市和歌山商3年)
萩野 友康(土佐2年)
河原   明(大分商3年)
前田 啓一(東奥義塾3年)
横山 晴久(小倉工3年)

【捕手】
醍醐 恒男(習志野3年)
大西   勝(報徳学園3年)

【内野】
望月   博(中京3年)
上川 真一(市和歌山商3年)
成田 義央(土佐3年)
清藤 昭一(東奥義塾3年)
村上 真二(今治南3年)

【外野】
渡辺 幸三(中京3年)
河井 昭時(広陵3年)
楢原   明(大分商2年)


この年から春夏の甲子園の新聞記事のスクラップを始めました。
ですから投手に関しては結構覚えています。

監督は優勝監督でもなく、準優勝監督でもなく、当時有名だった中京の杉浦監督。
この当時の中京高校は、現在岐阜の中京学院中京ではなく、愛知の中京大中京大です。

優勝投手の石井は早稲田に進みましたがリーグ戦で投げたことあるのかな。
萩野は慶応、横山は法政に進んでともにエースとなりましたね。
準優勝投手の宇根は近大に進学しました。
河原はプロ入りしました。野上も阪神だったかな。

野手はほとんど印象がありません。
この当時は今治西ではなく今治南が強かったんですね。

69年のブラジル遠征メンバーです(前回69年と書いてあるのは67年の誤りですね)。
4年単位で遠征メンバー結成されていましたが、今回は前回から2年後です。
20試合戦い17勝3敗という成績でした。

69夏の甲子園優勝は松山商、準優勝は三沢、4強は若狭と玉島商。

【監督】
一色 俊作(松山商監督)

【投手】
井上   明(松山商3年)
太田 幸司(三沢3年)
東   次男(若狭2年)
松島 英雄(静岡商3年)
小山 良春(日大一・3年)
西井 哲夫(宮崎商3年)
上西 博昭(三重3年)

【捕手】
大森 光生(松山商3年)
八重樫幸雄(仙台商3年)

【内野】
谷岡   潔(松山商3年)
樋野 和寿(松山商3年)
桃井 久男(三沢3年)
八重沢憲一(三沢3年)
渋谷   通(平安3年)

【外野】
小野   譲(玉島商2年)
藤波 行雄(静岡商3年)
岡本 道夫(広陵3年)

いまだに語り継がれる松山商・三沢の延長18回引き分け再試合のあった年ですね。

若狭がまだ強かった時代ですね。若狭というと神宮大会に高校の部が設置されて初代優勝が若狭でした。

井上は明治大学に進学した後朝日新聞に入社して高校野球の記事等を書いていましたね。

上西はこの年のセンバツ優勝投手。

藤波は中央大学に進学して東都最多安打となる133安打を記録。これはいまだに破られていません。
大学でも日米大学野球で代表入りしました。

71年のハワイ遠征の日本チームメンバーです。前回から2年後に結成されました。
10試合で6勝3敗1分という成績でした。

71夏の甲子園優勝は桐蔭学園、準優勝は磐城、4強は岡山東商と郡山。

【監督】
須永 憲史(磐城監督)

【投手】
大塚喜代美(桐蔭学園3年)
田村 隆寿(磐城3年)
川畑 雅洋(郡山3年)
堀   勝典(県岐阜商3年)
保坂 英二(日大一3年)
鶴崎 茂樹(筑紫交3年)
水谷 啓昭(東邦3年)

【捕手】
土屋恵三郎(桐蔭学園3年)
梨田 昌崇(浜田3年)

【内野】
先崎 史雄(磐城3年)
岡   善郎(岡山東商3年)
薮内 正彦(郡山3年)
木村富士夫(今治西2年)
池田 勝之(PL学園2年)

【外野】
佐々木富夫(岡山東商3年)
柏原 恒男(銚子商3年)
筋原 徳夫((報徳学園3年)

本来監督は優勝した桐蔭学園の奇本監督のはずでしたが「誕生間もないチームなので残った選手の面倒を見る人がいない」と辞退。その結果準優勝監督の磐城須永監督となりました。

桐蔭学園の大塚は三協精機に入社。第1回の社会人野球日本選手権(当時甲子園で開催)で優勝投手となり、高校、社会人と甲子園で優勝投手となり話題になりました。

磐城の田村は日大の準硬式か軟式に進んだと思います。甲子園ではわずか1失点でした。
県岐阜商の堀は明治、東邦の水谷は駒大に進学しました。

桐蔭学園の土屋は法政に進学。大学でも日米大学野球メンバーに選ばれました。浜田の梨田ってあの梨田ですよね。
先崎は立教進学でした。木村も立教ではなかったかな。


【参考】
70年は代表チームは結成されませんでした。そのかわり優勝した東海大相模単独チームで韓国遠征。
監督は原貢監督。
3試合で1勝1敗1分でした。

70年夏の甲子園準優勝はPL学園、4強は岐阜短大付と高松商。
72年代表チーム

前年に引き続き結成されました。このあたりから毎年高校日本代表チームが結成されることになるようです。
初めての韓国遠征。3試合で3戦全勝。準決勝に残った4チームから編成されました。

72年夏の甲子園優勝は津久見、準優勝は柳井、4強は天理と高知商。

【監督】
岸田 成弘(柳井監督)

【投手】
水江 正臣(津久見3年)
杉本 義勝(柳井3年)
益永 博之(高知商3年)

【捕手】
足立 俊二(津久見3年)
池田 雅夫(高知商3年)

【内野】
佐藤   清(天理2年)
松好 伸卓(天理3年)
山内 浩司(津久見3年)
塩田 義昌(柳井3年)
坂東 一彦(津久見3年)
岡本 裕治(柳井3年)

【外野】
吉近 寿一(津久見3年)
岡村 孝則(柳井3年)
北村   隆(柳井3年)
新谷   j守(天理3年)
宮崎 昭広(高知商3年)

準優勝の岸田監督が代表監督を務めたんですね。

優勝投手の水江はプロに行ったと思います。
この中で一番有名なのは唯一2年生で選ばれた天理の佐藤ですかね。
早稲田に進学しました。現在(2017秋現在)は城西国際大学の監督です。
「マックス佐藤」と言われたのはいつごろからなんですかね。

外野の吉近は専修大学、岡村は中央大学に進学しました。
73年代表チーム

前年に続いて韓国遠征。5試合で2勝2敗1分。
準決勝に残った4チームを中心に編成されました。

73年夏の甲子園優勝は広島商、準優勝は静岡、4強は川越工と今治西。

【監督】
迫田 穆成(広島商監督)

【投手】
佃   正樹(広島商3年)
秋本 昌宏(静岡2年)
矢野 隆司(今治西3年)
江川   卓(作新学院3年)

【捕手】
水野 彰夫(静岡3年)
小倉 偉民(作新学院3年)

【内野】
町田 昌照(広島商2年)
川本 幸生(広島商2年)
安田   孝(川越工3年)
永嶋 滋之(静岡3年)
渡部 一治(今治西3年)
金光 興二(広島商3年)

【外野」
白鳥 重治(静岡3年)
植松 精一(静岡3年)
楠原   基(広島商3年)
須永 三郎(川越工2年)

佃は法政、秋本は確か亜大、矢野は亜大、江川は法政。
水野は慶応、小倉は早稲田。
川本は後年広島商の監督になりましたよね。
永嶋は慶応、渡部は駒大、金光は法政。
白鳥は早稲田、植松と楠原は法政、須永は早稲田だったと思います。

ベスト4で唯一代表から漏れた川越工の指田は帝京大に進みましたね。

【参考】
74年も韓国遠征6試合が予定されていましたが、大統領狙撃事件等があり中止になりました。

74年夏の甲子園優勝は銚子商、準優勝は防府商、4強は前場工と鹿児島実。
優勝投手は土屋。準優勝投手の井神は専修に進みましたが辞めたのか出番がなかったのかパッとしませんでした。鹿実のエースは定岡で原のいた東海大相模と延長15回の壮絶な試合がありました。

この当時の高校野球は山口県が結構強かったんですね。
夏の大会だけですが58年柳井優勝、63年下関商春夏連覇、64年早鞆準優勝、72年柳井準優勝、74年防府商準優勝です。

75年代表チーム

71年以来4年ぶりのハワイアメリカ遠征。9試合で8勝1敗の成績。

75年夏の甲子園優勝は習志野、準優勝は新居浜商。4強は広島商と上尾。

【監督】
石井 好博(習志野監督)

【投手】
小川 淳司(習志野3年)
村上 博昭(新居浜商3年)
山村 力人(広島商3年)
今岡   均(中京商2年)
青山 久人(国府3年)

【捕手】
続木 敏之(新居浜商2年)
中村   昭(上尾3年)

【内野】
塚原   修(上尾2年)
福田 弘俊(習志野3年)
大麻 裕一(新居浜商2年)
原   辰徳(東海大相模2年)
豊平 晉一(中京商3年)
下山田 清(習志野2年)
河田 啓吾(九州学院3年)

【外野】
津末 英明(東海大相模2年)
猪口 明宏(天理3年)
玉川   寿(土佐2年)

近年はベスト4のチームから選ばれるなかで、久々オールジャパンにふさわしいメンバーが選ばれました。
また2年生から史上最多の8人が選ばれました。17人のうち8人が2年です。

監督は習志野の石井監督。
石井監督は8年前優勝投手としてハワイ遠征に参加しましたが今度は優勝監督として遠征。

優勝投手の小川は中央大学に進学して打者に転向しました。
山村は東洋大学でしした。青山はプロ入りしましたね。

内野の塚原は山村と同じ東洋大、原と津末は東海大学に進学。
下山田は専修大学。
玉川は慶應義塾大学でしたね。甲子園でサイクルヒット打ちました。
【76年代表チーム】

この年は韓国遠征。3試合で1勝2敗と負け越しました。

76夏の甲子園優勝は桜美林、準優勝はPL学園。4強は星稜と海星。

【監督】
浜田 宏美(桜美林監督)

【投手】
松本 吉啓(桜美林3年)
中村 誠治(PL学園3年)
酒井 圭一(海星3年)
小松 辰雄(星稜2年)
赤嶺 賢勇(豊見城3年)

【捕手】
渋谷   博(桜美林3年)
応武 篤良(崇徳3年)

【内野】
津末 英明(東海大相模3年)
梨本慎一郎(海星3年)
水谷 智行(PL学園3年)
片桐 幸宏(桜美林3年)
山崎 隆造(崇徳3年)

【外野】
菊池 太陽(桜美林3年)
山本 和之(PL学園2年)
黒田 光弘(小山3年)
武藤 一邦(秋田商3年)

東京・大阪の「二都決戦」となった今大会は桜美林が菊池太陽のサヨナラ打で1916年の慶応普通部以来60年ぶりに東京に真紅の大優勝旗が渡りました。

ちなみに「二都決戦」も1916年の慶応普通部と市岡中以来60年ぶり(センバツでは71年に日大三と大鉄がありました)。

松本は明治大学に進みましたね。酒井はもちろんあのサッシーです。小松は2年で代表入り。
赤嶺は沖縄の選手とすれば63年外野で選ばれた首里の安里以来の代表入り。投手とすれば史上初。

崇徳から黒田、応武が選ばれましたがこの二人はこの年のセンバツ優勝バッテリーでした。
応武はもちろん「あの」応武ですね(笑)。

東海大相模で津末は2年連続で選ばれたのに、原は選ばれていないんですね。

外野の武藤は法政大学に進学しました。

この年のPLの選手は準優勝したにも関わらず全く印象がないです。
投手の中村はその後どうしたんですかねぇ。

2年生は前年の史上最多となった8人から2人に激減しました。
【77年代表チーム】

この年も韓国遠征。3試合で1勝1敗1分という成績でした。

77年夏の甲子園優勝は東洋大姫路、準優勝は東邦、4強今治西と大鉄。

【監督】
梅谷   馨(東洋大姫路監督)

【投手】
松本 正志(東洋大姫路3年)
坂本 佳一(東邦1年)
前田 友行(大鉄3年)
三谷 志郎(今治西3年)

【捕手】
安井 浩二(東洋大姫路3年)
大矢 正成(東邦3年)
鍛冶本明典(大鉄3年)

【内野】
田村 敏一(東洋大姫路3年)
春名 幸彦(東洋大姫路2年)
森田 泰弘(東邦3年)
佐藤 資洋(今治西3年)

【外野】
松田 裕之(東洋大姫路3年)
浅井 敬由(東邦3年)
越智 欽哉(今治西3年)
川端   正(大鉄3年)

今回はベスト4進出チームから選出。

東邦の坂本は55年に初めて夏の甲子園のあと日本代表チームが結成されて以来初の1年生から選ばれました。
この段階であと4回甲子園のチャンスはありましたが、1年夏の1回だけ。
大学(法政大)、社会人(日本鋼管)に進んでもパッとしませんでした。
そうか、この時代は社会人で日本鋼管があったんですよね。

今治西の三谷は早稲田大学、大鉄の鍛冶本は近畿大学に進学しました。
三谷は高校時代は成績優秀だったらしいですね。
【78年代表チーム】

この年も韓国遠征。これで3年連続です。
3試合組まれて1勝2敗と負け越しました。

この年の夏の甲子園優勝はPL学園、準優勝は高知商。4強は中京と岡山東商。

【監督】
鶴岡   泰(PL学園監督)

【投手】
西田 真次(PL学園3年)
森   浩二(高知商2年)
津田 恒美(南陽工3年)
高松 直志(能代3年)

【捕手】
木戸 克彦(PL学園3年)
坂上 博文(高知商3年)
綾野 富夫(岡山東商3年)

【内野】
山西   徹(PL学園3年)
明神 茂行(高知商3年)
森田 洋生(高知商2年)
山中 茂直(中京3年)
北野 敏志(箕島2年)

【外野】
谷松 浩之(PL学園3年)
柳川 明弘(PL学園3年)
栗岡 英智(中京3年)
武乗   隆(岡山東商3年)

ベスト4に進出したチームを中心に編成されました。
西田と木戸は法政大学、森田は明治大学、柳川は近畿大学に進学しました。

能代の高松懐かしいですね。星飛雄馬みたいに足を高く上げて投げ込んでいました。
高知商の明神は名前にインパクトがありましたね。

この夏の甲子園決勝PLと高知商は0-2とリードされたPLが9回裏に3点をあげて逆転サヨナラで甲子園春夏通じて初優勝しました。「逆転のPL」と言われたのもこの決勝からではないですかね。

センバツ決勝でも西川がエースの時に印旛(だったと思う)相手に9回表まで0-1で負けていたのを9回裏2点取ってやはり逆転サヨナラでセンバツ初優勝したのを思い出します。
【79年代表チーム】

この年は4年ぶり7回目のハワイ遠征。6試合で3勝3敗でした。
79年夏の甲子園優勝は箕島(春夏連覇)、準優勝は池田、4強は横浜商と浪商。

【監督】
尾藤   公(箕島監督)

【投手】
石井   毅(箕島3年)
橋川 正人(池田3年)
牛島 和彦(浪商3年)
堅田外司昭(星稜3年)
佐伯 岳人(県岐阜商3年)
仁村   徹(上尾3年)

【捕手】
嶋田 宗彦(箕島3年)
香川 伸行(浪商3年)

【内野】
北野 敏史(箕島3年)
上野山善久(箕島3年)
小沢 潤一(横浜商2年)
永井宏一郎(池田3年)
山本 昭良(浪商3年)
岡崎   郁(大分商3年)

【外野】
川原 公司(池田3年)
奥原万佐紀(城西2年)
高橋 一彦(前橋工3年)

箕島は62年の作新学院、66年の中京商に続く史上3校目の春夏連覇達成。

この年のメンバーは今見ると結構懐かしいですね。
エースの石井は甲子園通算14勝。卒業後は嶋田とともに住友金属に入社。82年の都市対抗で橋戸賞を受賞しています。

橋川と上野山は同志社に進学したものの、橋川はあまり出番なかったと記憶しています。

北野は今夏の甲子園でサイクルヒット打ちましたね。
東海大相模の津末以来二人目の2回目の日本代表に選ばれました。
卒業後は星稜の堅田とともに松下電器に進みました。

大分商の岡崎も代表入りしたんですね。

城西の奥原は懐かしいです。確か背の高い打者ではなかったかと。

この夏の甲子園では球史に残る箕島・星稜の延長18回の名勝負がありました。

【参考】
80年は日韓親善高校野球が予定されていたのですが、光州事件の影響などにより未開催でした。
【参考2】

80年夏の甲子園優勝校は横浜、準優勝は早実、4強は天理と瀬田工でした。
京浜決戦と話題になりましたね。
愛甲と荒木の対戦でした。

横浜は愛甲の他に川戸(日産自動車)というサウスポーがいた分、荒木だけの早実より投手層があつかったんですかね。
この大会胴上げ投手は愛甲ではなく川戸でした。
【81年代表チーム】

3年ぶりの韓国遠征。成績は三戦全敗でした。

81年夏の甲子園優勝は報徳学園、準優勝は京都商、4強は名古屋電気、鎮西。

【監督】
北原 功嗣(報徳学園監督)

【投手】
金村 義明(報徳学園3年)
井口 和人(京都商3年)
工藤 公康(名古屋電気3年)
岡本 成司(鎮西3年)
田子 譲治(鳥取西3年)

【捕手】
石田   健(報徳学園3年)
山本 幸三(名古屋電気3年)
武田   康(今治西2年)

【内野】
大谷 晴重(報徳学園3年)
小沢 章一(早稲田実2年)
高原 広秀(報徳学園3年)
水本 啓史(京都商3年)
中村   稔(名古屋電気3年)

【外野】
西原 晴昭(報徳学園3年)
鄭   昭相(京都商3年)
加藤 誉昭(都城商3年)

原則としてベスト4のチームから選ばれました。
早実からは小沢は選ばれているのに荒木が選ばれていないのはこうした理由があったからだと思われます。

鳥取西の田子っていましたね。名前が珍しかったので覚えています。

京都商の井口は同志社に進みました。
身体の小さな投手でしたね。

しかし成績が3連敗とはちょっと意外でした。

【82年代表チーム】

これまでの代表チームは韓国、ハワイ・アメリカ、ブラジルに遠征していましたが、今回は日本で開催されました(大阪球場)。韓国チームと3試合行ない1勝2敗でした。

82年夏の甲子園優勝は池田、準優勝は広島商、4強は東洋大姫路と中京。

【監督】
蔦   文也(池田監督)

【投手】
畠山   準(池田3年)
野中 徹博(中京2年)
荒木 大輔(早稲田実3年)
新谷   博(佐賀商3年)

【捕手】
山下 和男(池田2年)
佐々木圭司(広島商3年)

【内野】
宮本 信二(池田3年)
板倉 賢司(早稲田実2年)
窪    靖(池田3年)=主将
小沢 章一(早稲田実3年)
木下 公司(池田3年)
田中   泰(東洋大姫路3年)
山口  博史(池田3年)

【外野】
水野 雄仁(池田2年)
多田 慎二(池田3年)
江上 光治(池田2年)
今井 陽一(中京2年)

池田は翌年のセンバツも制して史上4校目の夏春連覇を達成しました。
なおこの池田以来夏春連覇は出ていません。

この年の代表は池田から9人全員選ばれたんですね。
日米大学野球の島岡監督みたいだ(笑)。

準優勝の広島商から一人なのに早実(8強敗退)から3人も選ばれました。
小沢は東海大相模の津末以来の2回目の代表です。
津末は高校では2度も代表に選ばれながら、大学では一度も代表になれませんでした。

東洋大姫路の田中は東洋大学に進みました。

今大会の主将は池田の窪。校名・学年のあとに主将と記しました。
今までの日本チームは主将の表記がなかったので不明です。
【83年代表チーム】

今回はアメリカ遠征とハワイ遠征。6試合消化して3勝3敗でした。

83夏の甲子園優勝はPL学園、準優勝は横浜商
4強は池田と久留米商。

【監督】
中村 順司(PL学園監督)

【投手】
桑田 真澄(PL学園1年)
三浦 将明(横浜商3年)
水野 雄仁(池田3年)
野中 徹博(中京3年)
荒井 浩司(宇都宮南3年)
荻原   満(仙台商3年)

【捕手】
小島 一晃(PL学園3年)
井上 知己(池田3年)

【内野】
佐藤 道宏(横浜商3年)
信賀 正喜(横浜商3年)
浜口 大作(宇部商2年)
池山 隆寛(市尼崎3年)
朝山 憲重(PL学園3年)=主将
林   哲雄(岐阜第一3年)

【外野】
加藤 正樹(PL学園3年)
高井 直継(横浜商3年)
吉田   衛(池田3年)

桑田は1年で代表入り。
1年で選ばれたのは77年の東邦坂本以来史上二人目。

水野、野中は津末、小沢に次いで史上3人目、4人目の2回目の代表。

この年の横浜商は春夏とも準優勝だったんですよね。
また甲子園史上初となる3季連続優勝を狙った池田は準決勝でPLに完敗しました。

荻原は東海大、井上は同志社、加藤は早稲田に行きました。
池山が選ばれているんですね。ちょっとほほえましい。
ちょうど、このあたりから高校野球を見はじめまして、非常に懐かしいです。
荒井投手は筑波大に進んだような気もしますがうろ覚えです。
浜口内野手は地元の協和発酵だったかも。
朝山選手は本田技研ですかね。高校から即社会人だったか、大学経由したかは覚えてませんが。
朝山選手の息子さんが作新学院で甲子園でも活躍していま法政でしたかね。
Y高の三浦投手、春夏とも準優勝の悲運の投手。ドラフト指名されて中日に入団しましたがプロでは活躍できず。すごく残念でした。甲子園であれだけ良かった三浦が何故プロでは活躍できないのだろう?と歯がゆいというかすごく不思議に思ったのを覚えています。
>>[19]

コメントありかとうございます。
このあたりから高校野球見始めたわけですね。

私が高校(大学も)に興味を持ったのは67年あたりですかね。
春は津久見、夏は習志野が優勝しました。

荒井は言われてみれば筑波でしたかね。私もぼんやりとしか思い出せませんが・
朝山は大学経由していないような気がします。これもうろ覚えではっきりしたことは言えませんが。

これからもコメントいただければ助かります(大学の方も)。

よろしくお願いします。
追伸

横浜商の春夏準優勝は春夏連覇に匹敵する価値がありますよね。

最近では光星が11夏から12夏まで3季連続準優勝という偉大な記録を成し遂げました。
甲子園で3季連続決勝まで進出したのは光星しかないでしょうね。

悔しい思いをしたかも知れませんが偉大な記録だと思います。
【84年代表チーム】

今回は3年ぶりの韓国遠征。3試合で2勝1敗の成績でした。

84夏の甲子園優勝は取手二、準優勝はPL学園、4強は鎮西と金足農。

【監督】
中村 順司(PL学園監督)

【投手】
石田 文樹(取手二3年)
桑田 真澄(PL学園2年)
松崎 秀昭(鎮西3年)
水沢 博文(金足農3年)
酒井光次郎(松山商2年)
増永 祐一(鹿児島商工3年)

【捕手】
中島 彰一(取手二3年)
清水 孝悦(PL学園3年)
大久保孝昭(桐蔭学園3年)

【内野】
清原 和博(PL学園2年)
佐々木  力(取手二3年)
重松 征樹(松山商3年)
吉田   剛(取手二3年)=主将
工藤 浩孝(金足農3年)

【外野】
下田 和彦(取手二3年)
清水   哲(PL学園3年)
伊藤 博之(鎮西3年)

本来なら監督は夏の甲子園優勝監督取手二の木内監督のはずでしたが、「一身上の理由」で辞退したため、前年に続いて中村監督に。

このメンバーで覚えているのはKKや石田、吉田はもちろんですが、酒井が選ばれていたんですね。
のちに近大黄金時代を築くサウスポーです。

大久保孝昭は現在慶大野球部監督秀昭の兄ですね。

悲しい思い出としては清水哲。
同志社時代に試合中首の骨を折り車いす生活となりました。

PLと同志社は結構パイプがあったのですが、この事件を機にPLから同志社進学者は途絶えました。
今は復活していますが。

同じ清水でも孝悦の方はPLの主将ではなかったかな。
松崎は鎮西を4強に導いたアンダースローでしたね。南海にドラフト指名され入団しましたがプロでは活躍できず。甲子園では下手投げながら力強い投球だったの
ですが。
水沢も4強。準決勝でPLと対戦し金星あと一歩まで王者を追い詰めた戦いぶりは見事でした。水沢は確かプリンスホテルに進んだんでしたかね。
増永はヤクルトにドラフト指名されながらも入団せず日本石油に進みました。
中島捕手は東洋大ー住金鹿島。住金と全日本の監督も務めましたかね。
佐々木内野手はどこかの高校で甲子園出場しましたっけ。全日本ではないですが小菅選手も監督で甲子園出場。取手ニの選手の監督率?は高いんですよね。
清水孝捕手はたしか、桑田投手が「めちゃくちゃ怖い先輩」と何かの著書で触れていた記憶があります。後年、PL学園でも鬼コーチとして鳴らしたとか。怖いというか、野球に対してとても厳しい方なんでしょうね。
>>[23]

またまたありがとうございます。
言われてみれば水沢は記憶がよみがえってきました。
PLをあと一歩まで追い詰めましたよね。

私は金足農より新湊旋風の方が鮮烈でした。

私は社会人野球には疎いのでこれからも教えてください。
高校、大学が一段落したら社会人の代表チームも載せてみようかなと考えています手(チョキ)

【85年代表チーム】

過去の代表チームはアメリカ、ハワイ、ブラジル、韓国へ遠征していたわけですが(82年のみ日本開催=大阪球場)、今回は第1回日米韓親善高校野球が日本(大阪球場)で行なわれました。ただしアメリカ代表はハワイ州選抜チームでした。

親善とは謳っていますが近年のU18の選手権の第一歩になったのではないかと思います。
ということで大学同様開幕投手も記しました(笑)。
2回戦総当たりで行なわれ日本は4戦全勝で優勝。2位は韓国2勝2敗。3位アメリカ(ハワイ)0勝4敗。

85夏の甲子園優勝はPL学園、準優勝は宇部商。4強は甲西と東海大甲府。

【監督】
中村 順司(PL学園監督)

【投手】
桑田 真澄(PL学園3年)=開幕投手
古谷 友宏(宇部商3年)
福田 和幸(東海大甲府3年)
中山 裕章(高知商3年)
木島 強志(関東一3年)
秋吉 昭二(久留米商3年)

【捕手】
杉本 隆雄(PL学園3年)
田処 新二(宇部商2年)

【内野】
清原 和博(PL学園3年)
松山 秀明(PL学園3年)
佐藤 勝実(宇部商3年)
小松 一仁(高知商3年)
川村 建志(高知商3年)
佐々木 貴(鳥取西3年)

【外野】
内匠 政博(PL学園3年)
藤井   進(宇部商3年)
寺山 正博(鹿児島商工3年)
石躍 雄成(甲西3年)

主将が確認できませんでしたが、従来通り夏の甲子園優勝校主将が就任すれば松山ということになります。

中村監督は3年連続の代表監督。

エース桑田は前人未到の3年連続日本代表でした。
清原も東海大相模津末、早実小沢、池田水野、中京野中以来5人目の2度目の代表でした。

この年のメンバーは2年は田処だけだったんですね。

松山は青学、内匠は近大でした。福田は東海大でしたかね。うろ覚えです。

関東一の木島いましたね。進路は分かりませんが。
KK世代、ですね。
ただ、桑田と清原の存在感が超別格すぎるのか、他の選手は、その後の活躍としては意外と地味な感もあります。
投手では、プロ入りしたのは桑田と中山だけですね。
古谷は社会人の協和発酵に進みましたが肩痛であまり活躍できなかったそうです。
秋吉は日産自動車と日産自動車九州で長く活躍しました。
ほか、プロ入りは松山(青学大から)と内匠(近大ー日本生命から)だけ。KK世代の全日本にしては少ないと思ってしまいます。

>>[26]

そうなんですよ。
桑田清原が突出していて他の選手は今から思うと地味ですよね。

むろんプロ入りした中山、松山、内匠もそれなりに活躍しましたが、中山は例の事件で印象悪くしましたよね。

捕手の二人はあまりというかほとんど印象ないです。

当時は代表という呼称よりまだまだ全日本という呼び名でしたよね。
松山で思い出したことあります。
確か青学初優勝時のメンバーでした。神宮大会で初戦敗退してやはり神宮大会に出場していた内匠に「お前何やってんだよ」と怒られたとか。

あと息子が去年まで関大に在籍していて大学は違うものの、親子で主将と話題になりました。
【86年代表チーム】

今回は韓国遠征。5試合で3勝1敗1分でした。

夏の甲子園優勝は天理、準優勝は松山商、4強は鹿児島商と浦和学院。

【監督】
橋本 武徳(天理監督)

【コーチ】
窪田 欣也(松山商監督)

【投手】
本橋 雅央(天理3年)
藤岡 雅樹(松山商3年)
中原 耕造(鹿児島商3年)
谷口 英功(浦和学院2年)
上田 俊浩(広島工3年)
近藤 真一(享栄3年)

【捕手】
藤本 三男(天理2年)
山口 隆太(東洋大姫路3年)
山根 善伸(東海大甲府3年)

【内野】
中村 良二(天理3年)
北浦 浩志(天理3年)
中村   包(松山商3年)
坂本   隆(高知商2年)
水口 栄二(松山商3年)

【外野】
山下 和輝(天理3年)
堀内 尊法(松山商3年)
岩坪   智(新湊3年)

今回も主将未確認で゜すが天理の主将なら中村ですね。
この中村今夏の甲子園に母校天理の監督として甲子園に戻ってきましたね。
天理大でも監督やっていました。

今回のメンバーで有名なのは水口でしょうかね。
早稲田に進み主将も務めました。

松山商の中村は近大だったかなあ。鹿児島商の中原は青学だったような。
堀内は創価大を経て現在創価大のコーチだったはずです。

今回から高野連は代表チームにコーチもつけることにしたみたいですね。
前年はなんといってもPLの桑田・清原を中心にまわった年。
この年は近藤が高校球界最注目の選手でしたね。ドラフト1位で地元中日に入団し、初登板で巨人相手にノーヒットノーラン達成という伝説を作りました。体格も風貌も高校レベルを遥かに超える、まさに怪童という感じでした。甲子園では好投も打線の援護なく3回戦で高知商に敗れましたが全日本にも選出。なお高知商の投手はのちヤクルトの岡林でした。
広島工の上田も大会で注目された投手。プロの評価も高かったと思いますが確か明大に進学したと思います。
優勝投手の本橋は早大に進学も、この大会中に既に右肘を痛めており大学では登板は殆どなかったと思います。
準優勝の藤岡は確か明大進学だったと思いますが、その後カメラマンになっていまも野球などスポーツ関係に携わっています。
谷口は浦和学院で甲子園初出場でベスト4に躍進。東洋大で野手に転向し東芝でも強打を奮い全日本にも選ばれました。いまは上武大学の野球部監督として全国大会常連。大学球界屈指の名将です。

投手のメンバーが個性豊かですね。
野手ではやはり水口ですね。浦和学院で鈴木健(西武・ヤクルト)も活躍したのですが全日本には選ばれませんでした。
岩坪は新湊で春夏連続出場ですが春はベスト4で新湊旋風も夏は初戦敗退。それでも全日本に選ばれたんですね。新湊旋風はエース酒井が中心だったと思いますが、酒井は技巧派投手だったので全日本には選んでくれなかったんでしょうか。
>>[30]

谷口監督は「監督と大学野球」の著書の中で、自分(谷口)は相当なワルだったと告白しています。

高橋監督に相当迷惑かけたみたいですね。
でも高橋監督が谷口を見放さなかったから現在の谷口監督があるのだと思います。

今年の神宮大会で高橋監督に勝って恩返ししたかったでしょうね。
【87年代表チーム】

今回は4年ぶりとなるアメリカ、ハワイ遠征。
7試合戦い7戦全勝というすばらしい成績でした。

夏の甲子園優勝はPL学園、準優勝は常総学院、4強は帝京と東亜学園。

【監督】
中村 順司(PL学園監督)

【コーチ】
前田 三夫(帝京監督)

【投手】
野村   弘(PL学園3年)
芝草 宇宙(帝京3年)
島田 直也(常総学院3年)
川島   堅(東亜学園3年)
古沢 直樹(横浜商2年)
中川 秀明(伊野商3年)

【捕手】
伊藤 敬司(PL学園3年)
藤本 三男(天理3年)

【内野】
片岡 篤史(PL学園3年)
大井   剛(帝京3年)
江原 修一(常総学院3年)
大平 幸治(天理3年)
鈴木   健(浦和学院3年)
立浪 和義(PL学園)=主将

【外野】
平山   勝(帝京3年)
首藤 智男(中京3年)
藤丸 雄三(習志野3年)
桑原 高志(池田3年)

この年のPLはセンバツも制しており史上4校目の春夏連覇でした。
しかも野村、橋本、岩崎と3人も投手をそろえていたんですよね。
プロに行かなかったのは岩崎だけ。大学は青学でした。

この年は東京勢が健闘したのでよく覚えています。
センバツは関東一が準優勝。夏は帝京と東亜学園がともに4強入りして、夏としては史上初となる東京決戦かと期待が膨らみました。因みに春は72年に日大桜丘と日大三の東京決戦がありました、テレビにかじりついていましたよ(笑)。

大学に来たのは伊藤が青学、片岡が同志社、大井が早稲田、大平が明治でしたよね。他にもいたかもしれません。
2年生で唯一選ばれた古沢懐かしいです。
伊野商の中川はまったく記憶にないです。

捕手の藤本は2年連続で代表入り。
津末、小沢、水野、野中、清原に続く史上6人目。
プロに進んだのですかね。

鈴木健は今年は晴れて代表入り。
習志野の藤丸も懐かしいですね。







この年はPL学園の春夏連覇。KK(桑田清原)でも成し遂げられなかった偉業を達成。対照的だったのは、桑田清原のようなスーパースターというよりは、総合力の高さで勝ち取った優勝という印象でした。とはいえ立浪を筆頭に片岡・野村などプロでも一流の実績を残した選手がズラリといたわけですが。

投手は古沢・中川以外はプロ入り。プロでも野村・芝草・島田は活躍しましたが川島はドラフト1位で広島に入団しながらも活躍出来ず。甲子園では4強進出で圧巻の投球を見せただけに意外というか残念でした。故障の影響が大きかったそうです。

藤本捕手はプロ入りはしなかったと思います。進路も記憶にありません。

内野手は立浪・片岡・鈴木健。豪華です。プロでも一流プレーヤーとなりました。

他の選手は、その後の大学や社会人ではあまり脚光を浴びることはなかったですね。

【88年代表チーム】

この年は大阪球場で3年ぶりとなる第2回日米韓親善高校野球が開催され、日本は2勝1敗1分で前回大会に続いて優勝。試合形式は前回と同じで2回戦総当たりでした。

この大会のあと69年以来19年ぶり2度目となるブラジル遠征。
7試合行ない5勝2敗の成績で帰国しました。

夏の甲子園優勝は広島商、準優勝は福岡第一、4強は浦和市立と沖縄水産。

【監督】
川本 幸生(広島商監督)

【コーチ】
稗田 祐作(福岡第一監督)

【投手】
上野 貴大(広島商3年)
前田 幸長(福岡第一3年)=開幕投手
平良 幸一(沖縄水産3年)
星野   豊(浦和市立3年)
川崎憲次郎(津久見3年)
篠田   淳(大垣商3年)
岡   幸俊(高知商3年)

【捕手】
谷繁 元信(江の川3年)
高島   徹(宇都宮学園3年)

【内野】
山之内健一(福岡第一3年)
坂本   雄(宇部商2年)
重弘 和司(広島商3年)=主将
森下 勝也(熊本工3年)
山本 淳見8広島商2年)

【外野】
古閑 憲生(津久見3年)
上間 孝史(沖縄水産3年)
阿久津和彦(浦和市立3年)
後藤 真二(天理3年)

この年は説明無用の谷繁が選ばれていたんですね。
ただ夏の甲子園では、なんといっても「九州のバース」と呼ばれた山之内が光りましたよね。
エースの前田もいい投手でした。

この福岡第一旋風に待ったをかけたのが広島商。
エース上野は日体大に進学しました。重広はどこでしたかね。

この大会人気を集めたのが浦和市立の星野。
あれよあれよという間に4強まで進出しました。
星野も大学は首都の明学に進学。
リーグ戦でも投げ合ったことと思います。

川崎、谷繁とプロで活躍した選手もいましたが、今思うと比較的地味な選手が多かったですね。
この中から六大学、東都に来た選手っていましたっけ。

なお前田の開幕投手は日米韓親善高校野球の開幕投手です。
この年は谷繁世代、ですかね。でも前田投手もプロで息の長い活躍を見せました。この2人が双璧でしょうか。甲子園では確か準々決勝で対戦し前田が完勝。特に鋭いカーブで谷繁のバットに空を切らせていました。
投手は前田、川崎、篠田がドラフト1位と逸材揃い。ただし前田、川崎はプロでも活躍しましたが篠田は肩痛だかでプロでは活躍できませんでした。甲子園では力のある真っ直ぐと鋭いカーブで圧巻の投球だっただけに非常に残念でした。
岡も、プロでは活躍できると思いましたがプロとしては小柄だったんですかね。1軍に上がることも殆どありませんでした。
平良は確か、社会人の沖縄電力で長くプレーして27か28歳くらいで西武に入団したかと思います。リリーフで一時期けっこう投げていたように記憶してます。

捕手は谷繁。そして高嶋もドラフト外でオリックス入りしました。

内野手・外野手は、その後はあまり名前を聞くことはなかったような。プロ入りも山之内だけですよね。
重広と古閑は法政に進んだような記憶がありますが定かではありません。仮にそうだとしてもリーグ戦には殆ど出てないと思います。
山本淳は地元の三菱重工広島だったような気がします。
>>[35]

おっしゃるように谷繁世代ですが、甲子園当時は山之内世代だったかも知れませんね。プロではあまり活躍できなかったのが残念です。

篠田は確かにいい投手でした。大垣商とあまり聞いたことのない高校から甲子園出場だけでもびっくりしていました。甲子園でも好投しましたよね。

重広は法政でしたね。失念していました。

監督の川本監督はまだ若かったのではないでしょうか。
現役でも甲子園に出場していますよね。
NHKの高校野球解説もやっていましたかね。うろ覚えですが。

このテの話題はつきることありませんね(笑)。
忘年会でもこの話題で盛り上がることでしょうわーい(嬉しい顔)ビール
【89年代表チーム】

この年も前年に続き、第3回日米韓親善高校野球が行なわれました。
過去2回は日本開催でしたが今回は韓国開催。
日本は1勝2敗1分で3連覇を逃し2位でした。優勝は地元韓国。

夏の甲子園優勝は帝京、準優勝は仙台育英、4強は秋田経法大付と尽誠学園。

【監督】
前田 三夫(帝京監督)

【コーチ】
竹田 利秋(仙台育英監督)

【投手】
吉岡 雄二(帝京3年)=開幕投手
大越   基(仙台育英3年)
宮地 克彦(尽誠学園3年)
佐藤   渉(弘前工3年)
麦倉 洋一(佐野日大3年)
高平 幸司(東亜学園3年)

【捕手】
佐藤 博信(仙台育英3年)
本村 健一(尽誠学園3年)
野田 貴之(倉敷商3年)

【内野】
鹿野 浩司(帝京3年)=主将
藤野 健二(福岡大大濠2年)
田島 拓也(帝京3年)
茂木   武(仙台育英2年)
元木 大介(上宮3年)

【外野】
池葉 一弘(帝京3年)
大山 豊和(仙台育英2年)
高橋 誠一(秋田経法大付3年)
岡田 浩一(上宮3年)

時代は昭和から平成へと移り、平成初の夏の優勝校は帝京でした。ちなみにセンバツ決勝はセンバツ史上に残る名勝負と言われた東邦と上宮で東邦が延長10回逆転サヨナラで平成初の甲子園を制しています。

夏の決勝もいい試合でしたよね。大越の好投で東北勢悲願の初制覇なるかと思ったのですがね。
秋田経法大付も4強に残り、弘前工の佐藤も代表に選ばれるなど東北勢健闘しました。

残念ながら佐藤渉は名前覚えていません。
尽誠学園はこのころ強かったですよね。近い将来甲子園で優勝するなと思っていたのですが、まだ優勝には届いていません。というか甲子園にもあまり出場できなくなりましたね。

この中で大学に来たのは池葉が東洋大に進学しましたね。大越は早稲田に進学したものの退学してしまいました。
他にもいると思いますがちょっと思い出せません。

佐野日大の麦倉いましたね。懐かしいです。

このメンバーではやはり大越と元木が光りますね。
この年は元木が大フィーバーでしたね。今からは想像つかないかもしれませんが、当時はスリムでイケメンで女性ファンから大人気でした。選抜の決勝で悲劇的な逆転負けを喫したことから、悲運のヒーローとしてさらに人気に火がついた感じでした。

実はこの年は前田智徳(元広島)も熊本工で甲子園出場しているのですが、この時点では無名というか、代表メンバーには選ばれませんでした。

夏の優勝投手の吉岡、準優勝投手の大越、4強の宮地がプロ入りしましたが、3人ともプロでは野手転向しました。
麦倉もプロ入り。高平は東芝府中でしたかね。
佐藤渉はNTT北陸だったような。夏の初戦で石川(沖縄県)に勝ったのが太田幸司の三沢以来の青森県代表の夏の甲子園勝利と話題になったように記憶しています。次は仙台育英と対戦し終盤まで1-1と健闘しましたが大越に決勝アーチを浴び力尽きました。左腕から小気味良い投球を見せる好投手だったと思います。このときの弘前工は非常に力のあるチームでした。

野手でプロ入りは元木と鹿野だけでしたね。
池葉は大学から社会人まで続けたように記憶していますが、他の選手は私もその後の印象はありません。いずれも甲子園では素晴らしい活躍だったんですが。
>>[38]

私の飲み仲間&観戦仲間の知人は「18歳ピーク説」を唱えています。
確かに智弁和歌山の選手とか見ていると、高校時代は潜在能力はあるのに大学やプロに入って伸びないケースが多いですよね。

明徳もプロで一流の選手を輩出しているかというと必ずしもそうではないですし。

そこへいくと横浜、東海大相模、大阪桐蔭は甲子園でも強くて、なおかつ大学やプロでも活躍しています。履正社はもう少し様子を見たいです。

どこが違うんですかねえ。

それはともかく弘前工の佐藤渉覚えているとはさすがです。
1回戦の勝利よりも仙台育英戦の善戦が認められて代表入りしたのかもしれませんね。

元木はいい選手でした。おっしゃるようにセンバツの悲劇的な負けが一層人気をあおりましたね。

高平はかすかに覚えています。


【90年代表チーム】

第4回日米韓親善高校野球が、大阪球場、西京極球場、金沢市民球場で行なわれ、日本は1勝2敗1分で前年に続いて2位でした。優勝は韓国が2連覇。

夏の甲子園優勝は4年ぶり天理、準優勝は沖縄水産、4強は西日本短大付と山陽。

【監督】
橋本 武徳(天理監督)

【コーチ】
栽   弘義(沖縄水産監督)

【投手】
南   竜次(天理3年)=開幕投手
神谷 善治(沖縄水産3年)
中島 博幸(西日本短大付3年)
川岡 孝弘(山陽2年)
上園 達二(鹿児島実3年)
中川 申也(秋田経法大付2年)
武田   勉(中標津3年)

【捕手】
柴田 宗久(天理3年)
松岡 正樹(平安3年)

【内野】
松本 謙吾(宇部商3年)
寺川 敏春(天理3年)
内之倉隆志(鹿児島実3年)
城間   修(沖縄水産3年)
坪井 一浩(育英3年)

【外野】
小竹 英己(天理3年)
木附 貴雄(西日本短大付3年)
中野谷明也(横浜商3年)
糸林 良公(徳島商3年)

主将が未確認ですが優勝校天理の主将なら寺川でした。

この年は中川が選ばれていたんですね。
前年秋田経法大付が4強まで進出した時の原動力が当時1年の中川だったと思います。
ベビーフェイスで人気がありましたね。

中標津の武田は北海道からの初めての代表だったかも知れませんね。
メガネをかけていていかにも秀才タイプの投手でした。
大学に来るだろうと勝手に思っていたのですが社会人でしたね。

この中から大学に来たのは川岡が九国大ではなかったですかね。
確か神宮大会で明治と対戦したのを見たような気がします。

あと柴田と糸林が関大に進学しましたが糸林は辞めてしまいました。
関大がスポーツ推薦復活した一期生が柴田、糸林だったと記憶しています。

中野谷は関東学院大に進学しましたね。

この世代で一番有名なのは内之倉でしょうね。


前年に比べると少し地味な印象ですかね。
プロ入りしたのは南(日本ハム)、中川(阪神)、松岡(巨人)、内之倉(ダイエー)。いずれもプロではあまり活躍はしなかったですね。松岡は退団後に不祥事を起こして記事になるという切ない話題の主となりました。
あと松岡は、浪人だか留年だか事情は忘れましたがドラフト指名されたのは翌年でした。

神谷は沖縄電力、中島は大阪ガス、
上園は三菱重工長崎、武田は新日鉄室蘭・室蘭シャークスでしたかね。
あとは松本が立正大だったかと思います。
神谷は社会人で野手転向していたと思います。
上園は入社1年目の都市対抗で準優勝に貢献しました。ただその後は故障であまり表舞台には出てこなかったと思います。
武田は所属チームが企業チームからクラブ化しましたが、息の長い現役生活でした。都市対抗の北海道代表に補強で選ばれて東京ドームでも何度も投げてましたね。

前の年は、甲子園不出場組も含めると元木・前田・新庄・岩本などビッグネームが多くいましたが、この年は全体的にちょっと谷間な感じですかね。この年代では村松・鈴木尚典が代表的活躍した選手でしょうか。
そしてこの翌年は、今もメジャーで活躍するあの選手を含めそうそうたるメンバーが出てくる年になります。

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