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名勝コミュの旧山寺常山氏庭園

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 長野県長野市松代1493−1

 2008年07月28日、文化庁が名勝地関係登録記念物に指定。

 江戸時代に真田氏の城下町として発展した松代には、町割とともに一連の水路が良好に遺存し、生活と密接に関連して多様な役割を果たして来た。旧山寺常山氏庭園は、一つの泉水路により連続する一群の庭園のうち、中級武士の質素な生活を物語る事例として意義深い。
 山寺家は松代藩で知行160石の中級武士の家で、幕末に出た山寺常山(ヤマデラジョウザン;1807〜78)は、佐久間象山・鎌原桐山と共に松代三山と称えられる儒学者であった。常山は号で、諱(イミナ)は久道、後に信龍と名のり、通称は源太夫と言った。
 常山は若い頃、江戸に出て儒学者佐藤一斎や中村敬宇らと親交を深め、8代藩主真田幸貫の信認を受けて藩政にも尽力し、寺社奉行や郡奉行を務めたほか、藩士に兵学を教授し、また藩主の側にあってその政務を補佐した。
 維新後は中央政府の招きを固辞して藩に留まり、晩年は長野に塾を開いて門人の教育に努めた。
 現在、山寺常山邸には、江戸時代終わりから明治初期にかけて建てられたと推定される表門と、この表門の南側に大正時代終わりから昭和初期にかけて建てられたと推定される書院(対竹廬)が残されている。但し、屋敷内の主屋等は大正時代には失われており、その規模等を知る事は困難となった。
 表門は長屋門形式で、その全幅は約22mあり、松代城下に残る門のなかでは最大である。また、書院も近代和風建築の秀作であり、背後の象山との調和もよく、時代差を感じさせない優れた意匠性を見る事が出来る。
 屋敷北寄りに建つ山寺常山の頌徳碑は、孫で司法大臣や逓信大臣を歴任した塩野季彦(1880〜1949)等が、長野城山に建つ碑文の磨耗を憂いて、昭和15(1940)年に建立したものである。
 庭園には神田川の水を引き入れている池(泉水)があり、そこから下流の屋敷へと通じる泉水路が残されている。
 平成17(2005)年に無料休息所として公開された。

*城下町松代
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=2359021&comm_id=194642
*松代城跡
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=65736457&comm_id=398257

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