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大相撲コミュの【追悼】元大関大麒麟関、逝く

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元大関大麒麟、引退後は押尾川親方として活躍した堤隆能氏が去る4日にすい臓がんのため東京都内の病院で亡くなったことが6日に明らかとなりました。

http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2010/08/07/14.html

ここでは、かつて一世を風靡した大麒麟関そして押尾川親方の思い出話を寄せていただきたいと思います。


http://sumo.goo.ne.jp/kiroku_daicho/mei_ozeki/daikirin.html

1942(昭和17)年6月20日 佐賀県佐賀郡諸富町(現在の佐賀市)生まれ
1958(昭和33)年5月場所 初土俵(二所ノ関部屋)
1962年7月場所 新十両
1963年9月場所 新入幕
1966年11月場所 新三役
1970年11月場所 新大関
1974(昭和49)年11月場所 引退⇒押尾川親方
1975年9月 二所ノ関部屋から独立し、押尾川部屋を創設
2005年4月 押尾川部屋閉鎖
2006(平成18)年6月 日本相撲協会を退職

現役通算成績 710勝507敗69休
三賞受賞 9回
金星獲得 3回

コメント(18)

私は二所ノ関部屋から独立した時のことをなんとな〜く(幼かったので)覚えています。
昔は麒麟児という四股名だったんですよね?

ご冥福をお祈り致します。
自分は福岡なんですが、地元出身の元益荒雄(現錣山親方)の師匠としてのイメージが強いですね。
温厚そうな人柄にもいい印象を持っておりました。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。
大横綱大鵬に「天才」と言わしめた力士。
ご冥福をお祈りします。
残念ですね。
学業優秀で、相撲界に入らなければ東京大学に進学していたかも、と聞いたことがあります。

>>4
はい、大麒麟の前は麒麟児という四股名でした。

>>5
錣山親方は元寺尾で、阿武松親方ですね。
私は現役時代を知らない世代ですので審判としてのイメージが強いです。
とにかく分かりやすい説明で好感をもっていました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
> のぴ082(おやぢ)さん
ご指摘ありがとうございます。益荒雄が寺尾とごっちゃになってしまってました…
現役時代のリアルな記憶はないのですが、
「押尾川騒動」は鮮明に覚えてます。
金剛が平幕優勝した昭和50年名古屋場所、
同じ二所ノ関部屋の青葉城も大活躍し、12勝3敗の準優勝でした。
二所ノ関部屋は、日の出の勢いの麒麟児もいて、まさに「わが世の春」でした。
その直後、親方が急死し、後継者争いが勃発、
後継に名乗りを上げたのは大鵬親方、押尾川親方でした。
すでに独立していた大鵬親方が、まずリタイアし、
押尾川親方有利?と思われましたが、
先代親方の娘との婚約が突然発表され、金剛が後継者に急浮上、
押尾川親方は、内弟子16人を引き連れて独立を宣言、
すったもんだの末、青葉城ら6人の移籍が了承されましたが、
移籍が認められなかった天竜は廃業し、プロレスに転向します。
プロレスラー天竜を生んだのも、事件の副産物でした。

有望な弟子が、怪我で挫折するのも多かったですね。
益荒雄は、ケガが無かったら大関は硬かったと思いますし、
騏ノ嵐は大怪我が無ければ横綱を狙えたかも知れません。
そういう意味では、不運な部屋でした。
部屋の後継者がいなかったのも、残念でした。
謹んでご冥福をお祈りいたします。


押尾川部屋の親方の時に小さい時、抱っこしてもらった記憶がありますがく〜(落胆した顔)

亡くなったなんて悲しいですねがく〜(落胆した顔)
二所ノ関騒動の時は、心の底から心配しました。
二所ノ関部屋と押尾川部屋の、その後の関取数を比較すると、どちらが指導力があったのか、歴然としています。

金剛の事も嫌いではありませんが、私は大麒麟に二所ノ関を継いで欲しかった……
あの騒動のとばっちりで、将来有望だった力士が何人も辞めています。(天龍は、結果的にプロレス界に行って正解だった気もしますが、勝ち越していながら廃業したのは、可哀相でした)


大麒麟にとっても、金剛にとっても、あの騒動は悲劇だったと、今でも思います。

大鵬だって、相手が大麒麟だったから、あの時、争いから降りたのに。
(貴乃花グループに肩入れした何%かは、理事になった金剛に対するある種の抗議じゃないのかな…なんて勝手に思ってます)
あっ、ご冥福祈らなかった。すみません。

改めて、ご冥福をお祈りいたします。
あの横綱玉の海の急死後の混乱期に
次期横綱かと思われたこともありましたが
「ここ一番」に弱く、チャンスを逸してしまいましたね。

結局、一度も賜杯を抱くことはなく
終わってしまいました。
大関の座を維持するのに汲々としている
晩年の姿は、見ていてつらいものがありました。

頭脳明晰なゆえ、親方になってからの
解説はわかりやすくて好きでした。

ご冥福をお祈りいたします。
恵那櫻、大至を輩出したのを覚えてます。
ご冥福をお祈りいたします。
現役時代はリアルタイムで知らないのですが、横綱になる素質も十分ありながら、大事な場面で中々勝てなくて優勝も果たせなかったようなので、残念に思います

大関になってからも最高で11勝(3度)止まりのようですが、骨折してからはさらに二桁勝ちもままならなかったようですね

ただ、あの大鵬を苦しめた柏戸に強かったんですね

そんな大麒麟が、大関昇進を果たした場所の横綱大関の成績と大麒麟の星取、大関時代最後の11勝を果たした場所の横綱大関の成績と大麒麟の星取を載せておきます
(大麒麟が大関時代に11勝したのは、71年1月、71年7月、72年5月)

1970.9
東横綱 北の富士11-4 西横綱 玉の海14-1
東張横 大鵬12-3
東大関 清國9-6 西大関 琴櫻8-7
西張大 前乃山 全休

大麒麟 東関脇 12-3
○栃王山○高見山○和晃○戸田○福の花○長谷川○大受●玉の海○二子岳○北の富士○藤ノ川○貴ノ花○三重ノ海●清國●琴櫻

※優勝は玉の海
戸田は後の羽黒岩

1972.5
東横綱 北の富士3-6-6休
東大関 琴櫻1-2-12休 西大関 清國8-7
西張大 大麒麟11-4

大麒麟
○長谷川○琴櫻○長浜●北瀬海○前の山○福の花●貴ノ花○三重ノ海●魁傑○琉王○栃東○富士櫻○大受●清國○輪島

※優勝は輪島
長浜は後の豊山


あなたの記憶は永遠と語り継がれる事と思います

ご冥福をお祈り致します
オイラの師匠です。中学2年の時に地元の駅から突然自宅に電話が入り、初対面を果たし、その後押尾川部屋に入門しました。
葬儀に参列できないのが残念でなりません。
自分に厳しい方で、体調管理に気を遣い、体重が増えると絶食をされていました。一番の思い出は歴史の好きな自分に書斎の本をいつも貸して頂いて、感想を聞かれていたことです。
心よりご冥福をお祈りします。

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