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林家ぺー&パー子コミュのプロフィール

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林家ぺー

大阪市浪速区生まれ、大阪市阿倍野区出身。ただし小学校は旧南区(現中央区)の大阪市立精華小学校(現在は廃校し大阪市立南小学校に統一)出身。また浪速高等学校卒業。幼い時から江戸っ子の粋に憧れ上京した。林家三平の弟子であるが、落語はやらず、高座ではギター漫談を主に演じる。尚、現在、日本の落語家で、ギターを使った漫談を披露しているのは、月亭可朝と林家ぺーのみである。妻の林家パー子との「ペーパー」コンビで有名。桃色(ピンク)をこよなく愛し、また好角家でもある。

1964年 - 林家三平に入門。当初は、ペー平と名乗る。改名の由来は後述。
1968年 - 林家パー子と結婚。

芸能界屈指の記憶力の持ち主で、数多くの有名人の生年月日を完璧に記憶している事で知られる。古今東西の芸能人から歴史上の人物・さらにはアニメの登場人物までの名前から誕生日を、また誕生日から名前を思い出す能力は驚異的。なお、特に記憶力に秀でた芸能人としてはジェームス・ブラウンが有名だが、2006年12月にブラウンが他界した為、現在はペーが世界一の記憶力を持つ芸能人とも言われる[要出典]。
有名人との写真を撮りまくる事でも知られる。写真の数が増えすぎたため自宅とは別にマンションを借りて写真を保存していたが、2005年よりデジカメを取り入れた。
即興のダジャレ(隣にいるパー子が爆笑するのがお約束)
「これは余談ですが...」が口癖。

大阪球場の近くで生まれ育つ。当然プロ野球は南海ファンだった。
シアトル・マリナーズのイチロー選手のファンとしても知られる。愛犬(柴犬)の名前をイチローにあやかり「幸イチロー(こういちろー)」と名づけたほどである。
また、愛犬の幸イチローがボール投げても取らない等言う事を聞かなかったので、言う事を聞くようにとどうぶつ奇想天外でドックトレーナーに指導してもらった事がある。
愛車はトヨタ・カローラを乗り継いでいることでも有名。郷ひろみがイメージキャラクターだった5代目モデル(1983年発売)からモデルチェンジの度に乗り換えている。
一度『所印の車はえらい』という番組でフォルクスワーゲンを購入するが、『天才!たけしの元気が出るテレビ』のクイズ(正解したらポルシェに交換してもらえるという企画)で不正解となり潰されてしまった。
2006年7月19日、『笑っていいとも』「知りたい正体このケータイ」に出演。所持している携帯電話はボーダフォン(日本法人、現・ソフトバンクモバイル)のV603T(ピンク&ピンク)待ち受け画面はデジタルカメラ。メモリーに登録されている芸能人は桂三枝、郷ひろみ、イチロー。
『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』の第1回大会優勝者でもある。
ビートたけしは、長らくこのペーの存在を不思議に思っていた。それは彼がテレビに出るのが、必ず当時人気〜終了間際の『元祖どっきりカメラ』しか出ていなかったから。=テレビに出るということは「どっきり」にかけられるのがわかっているだろう、という論理から。それが縁で『ビートたけしの全日本お笑い研究所』〜『お笑いウルトラクイズ』と出演するようになり、たけし番組を中心にテレビ的にもパー子共々、知名度を上げていった。
テレビ撮影中もカメラ撮影をしており、『お笑いウルトラクイズ』では、いまや「報道カメラマン」(問題によっては「戦場カメラマン」)扱いである。
『ものまね王座決定戦』の観客席で観覧していたことがある。
『人気者でいこう!』の人気コーナーだった「芸能人格付けチェック」の2択問題でパー子とともに出演したことがある。2枚2組のパー子の写真を出演者に見せてプロ写真家が撮影した2枚とぺーが撮影した2枚を当てさせる問題。ぺーが撮影した写真には独特の温かみがあり、参加したプロ写真家の加納典明はプロとしての撮り方を解説した後、「(写真の勝負としては)面白かったけどね」と感心した様子でコメントしている。
カメラ撮影が有名な反面、行き過ぎた行動もあった。たけしの母の葬儀に、ピンクのスーツに黒いネクタイをつけて参列したぺーパー子夫妻は、棺桶の遺体の写真を無断で何枚も撮影し、ビートたけしに激昂されて葬儀場から追い出されたことがある。その間もパー子は笑い続けていたという。これはたけし本人がテレビで語っている。
好角家としても知られ、両国国技館にプライベートで訪れている様子が大相撲中継でも映し出されている(プライベートであるため、当然映るだけ)。しかし、プライベートであっても、いつものピンクの派手な衣装にカメラ片手というスタイルは変わらない。また、撮影するところも放送されている。
撮った写真は後日にテレホンカードにして周囲に配る。
投稿マニアでもあるペーにはこんなエピソードもある。『土曜一番!花やしき』というモーニングワイドショーに毎週素人のふりをして川柳コーナーにFAXを送り続けいたが、同番組の構成作家をしていた親交のある小泉せつ子に見破られ、翌週番組に引きずり出されていた。その時まで使っていたペンネームは「PP砲」だった。
大阪出身であるが、当時物凄く人気が高かった三平に憧れ、思いついたギャグ(ダジャレなど)を何度も三平宛に投書し続けた。この努力が三平に認められ、入門を許された。
三平全盛期のいわゆる「三平落語」の高座で、何度かバックギタリストとして共演している。また、三平からはいくつかの珍芸も伝授されている。
林家一門の中で唯一、名前に「平」の字が付かないペー。来歴にもある通り、元々、師匠である三平から一度「林家ペー平(ぺーぺー)」という芸名をもらったのだが、昭和38年に師匠の友人である近江敏郎宅を師匠ら数人と訪れた際、そこにいた近江の友人である占い師に『林家ペー平』で姓名判断してもらったところ「素晴らし過ぎる名前だ。いずれ師匠を食ってしまうほどの大物になるだろう」と言われ、意外に小心者である三平(ペー本人がそう語っている)が弟子であるペーの台頭を恐れ、「平」を取ってしまったためである。これは以前、日高吾郎のスーパーサンデーに夫妻で出演した際、ペー本人が語ったエピソードである。
ペーにギターを教えたのは伊東四郎である。ペー曰く、「人前では見せないが、伊東さんはギターもピアノも天才的に上手い。本当はプロとして飯が食っていけるほどだ」とのこと。
パー子と並べると「ペー・パー」となり、この夫婦のことを俗に「ペーパーさん」と呼ぶ事もあるが、狙って名付けたわけではなく、全くの偶然である。パー子はもともと女流落語家として単独に活動していた時期があり、のちに兄弟子であるペーと結婚に至った。
寄席の高座も二人で務めるが、決して夫婦漫才ではない。香盤には「漫談・ペー」とだけしか書かれていない。つまり、パー子はペーの漫談の後見役として出演している。
パー子との結婚披露宴の引き出物は、トイレットペーパーだった。
名付け親の三平が他界したため、「ペー」の書体がひらがなかカタカナかは本人にも分からない。ペー本人は番組等で「横書きの時はカタカナ、縦書きの時はひらがな」と時折語っているが、あくまでネタとしての発言と思われる。
テレビ出演する際は、突然出てくることが多い。
2006年10月25日、荒川の土手を散歩中に、画像約900枚が入ったデジカメ(ペンタックス optio S6)を紛失。2007年11月28日放送の『トリビアの泉スペシャル』で大捜索が行われたものの、発見には至らなかった。

CM
レダインターナショナル・プチシルマ(研ナオコと共演)
マルハ・今日のくだもの
無限回廊

出版書籍
林家ぺーの有名人おもしろビックリ誕生日の不思議―あなたの誕生日の謎を解く本 二見文庫
林家ペーの有名人マル秘お宝写真 双葉社
林家ペーのクイズ誰のサイン? ワニ文庫

音楽
海老名の穴 所ジョージ(アルバム「僕の犬」収録)(「ボクちゃん」の合の手と、ゲスト間奏のセリフ) 



林家パー子

夫はタレントで兄弟子である林家ペー。1968年、林家三平に入門する。女弟子として一躍脚光を浴び、『パー子のエプロン寄席』などのレギュラー番組を持ち活躍する。林家ぺーと結婚してからはペアでの出演が多い。

タレントになる前は歌手を目指し、作曲家の石坂まさをに弟子入りしていた。妹弟子が藤圭子というエピソードが過去に『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』でも紹介され、番組によればミス赤羽小町であったと云う。

「ヤーダ」といいながら発する甲高い笑い声が特徴で、共演者からは「鳥がいる」と揶揄されている。また、あの声を出しすぎたせいで耳が悪くなった。

夫である林家ペーには「パーコナーになってくれないか!」と告白され結婚した(2006年7月19日放送の『笑っていいとも!』による)。子供はいない。

近年両者に不仲説・"仮面夫婦"説が浮上、果てはすでに離婚しているとの噂がまことしやかに流れてはいるものの、真偽の程は定かではない。




wikipediaから引用しました。
上記以外にも、皆さんが知っているぺーさん、パー子さんのことを書き込んでください!!!
ちょっとしたことで構わないので、皆さんからの情報をお待ちしています。

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