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シーシェパード グリーンピースコミュの捕鯨(問題) whaling:peche a la baleine 

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捕鯨問題とは、クジラおよびイルカの捕獲の是非に関する国際的な論争、摩擦問題である。
 
1 概要
2 争点
 2.1 資源としてのクジラ
 2.2 自然保護問題としてのクジラ
 2.3 クジラ知的生物論
 2.4 文化としての捕鯨
  2.4.1 食文化
  2.4.2 伝統捕鯨
  2.4.3 その他の文化
 2.5 原住民生存捕鯨
 2.6 ホエールウォッチングとの対立
 2.7 人道的捕殺問題
 2.8 国際法上の争点
 2.9 その他
 2.9.1 牛肉(穀物)との競合
3 汚染の問題
4 捕鯨問題の経緯
 4.1 世界における捕鯨の経緯
 4.2 日本における捕鯨の経緯
 4.3 捕鯨規制
 4.4 捕鯨の再開
5 捕鯨を問題としている人々の活動
 
 概要
 
基本的には、今後捕鯨を行うことに賛成か、反対かの対立構造がある。
 
国際捕鯨委員会(加盟国82カ国)の内、捕鯨推進国は34カ国あり、現在では主に食糧として捕鯨をしている国々には、ロシア、日本、ノルウェー、アイスランド、フェロー諸島(デンマーク自治領)、カナダなどが挙げられる。
なお未決定(中立)国は中華人民共和国など3カ国存在する。
また、捕鯨国でありながらアメリカ合衆国は捕鯨に反対している。
一方で捕鯨国のカナダは、国際捕鯨委員会を脱退している。
 
捕鯨反対国には、鯨油目的の捕鯨を行っていた元捕鯨国のオーストラリアをはじめ、
同じくフランスやスペインも元は捕鯨国であったが現在は捕鯨を行っていないEU加盟諸国、
ラテンアメリカ諸国(反捕鯨の立場を鮮明にしているアルゼンチンやブラジルなどが主導するかたちで、他のラテンアメリカ諸国も反捕鯨の立場で足並みをそろえている)、
ほかニュージーランド、インド等が中心となっており、これに与するNGOも多い。
各国で反対理由は異なる。
 
19世紀から20世紀中葉にかけてアメリカやオーストラリアやノルウェーは灯火燃料や機械油用の鯨油目的の捕鯨を当時世界最大の規模で盛んに行ったため、絶滅寸前に瀕した鯨種もいたといわれるが、
日本もまた常に鯨肉と併せて鯨油も重要な生産物としてきた。
 
反捕鯨の意見を表明する個人や団体にも、捕鯨全体を否定する立場のものだけでなく、
少数民族、原住民の伝統捕鯨は可とするもの、
大資本の企業による遠洋の商業主義的な捕鯨には反対だが小規模資本の沿岸捕鯨なら可とするもの、
生態系の保護を議論の中心に掲げるものから動物愛護運動として活動するものなど、
相互に異質なさまざまな立ち位置が存在する。
 
また、この問題は、欧米諸国の自然保護団体を始め、彼らに同調した自動車産業団体や、農産物生産者等によって利用され、
日本人に対しての人種偏見や反日運動ジャパンバッシングなどの一つとして、過激な運動やパフォーマンスも行われた。
反捕鯨の運動にも参入しているグリーンピースやシーシェパードといったNGOの活動船と日本やノルウェーなどの捕鯨船とのトラブル、
特にシーシェパードの暴力的な示威活動はカナダ、デンマーク、日本、ワシントン州のインディアン部族であるマカー族に対して起こされ、
近年は特に日本の捕鯨船との衝突が、オーストラリアと日本との国際関係をも左右するほどである。
 
捕鯨問題には国境を越えた環境・経済・領海・文化などの問題が内包するため、時として議論が国家間の不寛容な論調に陥りやすい。
利害団体の中には、センセーショナルな論調をわざと喚起する事で、利害関係者以外の興味を惹こうとする戦略が使われることもある。
そのような理由からか、日本においては捕鯨に賛成する人が多数であるが、捕鯨自体に積極的に賛成というよりは、
捕鯨を批判・否定するという価値観の押し付けに対する反発という側面が強い。
また日本国内にも、
捕鯨反対派NGOが存在することや、
捕鯨問題を扱う国際捕鯨委員会に捕鯨をしたことのない国家が参加していること、
マスコミでの報道と専門家の認識との差異など、派生問題は多い。
 
 争点
 
現時点での捕鯨を巡る争点は、下記の8つである。
 
資源としてのクジラ
自然保護問題としてのクジラ
クジラ知的生物論
文化としての捕鯨
原住民生存捕鯨
ホエールウォッチングとの対立
人道的捕殺問題
国際法上の争点
 
↑ Wikipedia“捕鯨問題” http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8D%95%E9%AF%A8%E5%95%8F%E9%A1%8C CP:http://zhp.jp/jPOB


捕鯨(問題)についての書きこみをここに集約します、ご自由にお書きこみください。
ただしグリーンピース(GP)や シー・シェパード(SS)による抗議活動のうち特に違法性については、相応しいコミュニティがありますから、ここでは外します。
 
cf. comment=073...096 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comment_number=073&id=31089286
 
BGM dolphinicity http://www.youtube.com/watch?v=R3uNIBANZsM

コメント(67)

>>25 ? さん

 おつかれさまです(=^_^;=)。

 オーストラリア人の中に南極を自国の領土と考えている人は、まあそれなりにいるでしょう。凍結されてはいますが、領有権の宣言もしていますし。ただまあ、南極海捕鯨への反対は、必ずしも南極の領有権主張とは重ならないような気がします。
 ちょっと古いんですが、1993年でしたか、日本海でロシア海軍が放射性廃棄物を海洋投棄したという事件がありました。あのとき、場所は公海上だったし当時は条約による禁止などもなかったんですが、日本でもけっこう「うちんちの裏庭で勝手なことをやりやがって」みたいな感じで反ロシア感情が盛り上がっていました。あれと似たような感じじゃないかなあと想像しています。
 日本は、他にも高レベル核廃棄物輸送船を猛烈な抗議にもめげずオーストラリアの近海を通したりしていますし、まぁいろんな意味で「ものすげー身勝手な国」と思われている気配はありますね。

 遠洋捕鯨が縮小したら、オーストラリア人やニュージーランド人は歓迎するだけでしょうし、シーシェパードは2年前まででしたか、日本向けのアクションをしていなかった時期に戻るだけでしょう。そのあたりは捕鯨推進側が心配してあげることではないし、別段心配するほどのことでもないと思いますよ。

 おまけですが、シーシェパードの「シェパード」は、犬種のシェパードではありません(てか、シェパードというのは犬種の名前ではなかったり。ジャーマン・シェパード・ドッグという犬種はある)。「守護者」という意味があって、なので「羊を守る犬」にシェパードという単語が使われたということらしい。
 シーシェパードは、カタカナで表記されるようになる前は『海の守護者』と訳されたりしたこともありました。
 まあどこかで蔑称としてはやっているのかもしれませんが、シーチワワっていうのはなんかしっくりこないですねえ。それにやつらを「きゃんきゃん吼えるだけのチワワ」みたいに考えるのは対応ミスなんかにもつながりかねない感じがあり、そのあたりに微妙な危惧を抱きました。
>>26 洗太 さん

 まあ、おれも全ての文化を守れとかそういう話をするつもりはないわけですが。

 捕鯨問題に関しては、「文化=守るべきもの」という思考停止が顕著に見られるということは言えるのではないかと思います。もう一方で、「では鯨食文化とはどのようなものなのか」といった点へのつっこみ(や理解)が極端に貧弱である、とも思うわけです。これはかなりいびつな構造ではないでしょうか。
 現実問題、江戸期に源流を持つ食文化を維持するという観点から言うなら、遠洋捕鯨は必要ありません。ていうかその頃は沿岸捕鯨だけしかなかったわけですから。伝統と、明治以降の工業的ともいえる近代捕鯨とをあえて混同して、「伝統」や「文化」の名のもとに保護しようとする主張は、破綻しているのではないでしょうか。おれ、捕鯨存続派の方々にも、本気で捕鯨の存続や鯨肉食文化の延命を願うのならば、真面目に捕鯨史や鯨をめぐる文化について調べお勉強をして意見をブラッシュアップする必要があるのではないか、と思っています。そういった点について反捕鯨派の者がいちいち説明をしてあげなくても対話が成立するようにならない限り、議論をする基盤が整ったとは言えないのではないだろうか、とも思っています。

 捕鯨がほんとうに支持されているのかっていう点にも、疑問があります。「欧米、けしからんな」みたいな理由も含めて、どちらかといえば捕鯨推進側に立つというひとはそこそこいるんだろうとは思いますが、果たして熱心な推進者であるのかどうかは疑問です。たとえば、沿岸捕鯨基地の代表格のひとつとされている鮎川浜を含む牡鹿町の町長選挙で、「毎年町長が税金を使ってIWCに行くのは無駄遣いだ」と主張する候補がいい勝負をしてしまった、という事例もありました(1995年の町長選挙。2389票 v.s. 2236票 でした。もちろん「IWCに行くのは無駄遣いだ」と主張した候補も、反捕鯨派だったわけではありませんが。なお、牡鹿町はその後石巻市に吸収され、消滅してしまいました。石巻市長がIWCに行っているかどうかは調べていません)。
 なんていうかな。捕鯨という産業、特に遠洋捕鯨という産業は、鯨油市場が壊滅した段階で、産業的にはもう成立しないものになってしまっていたのですよ。おれは、「あくまでも鯨肉食文化は守るんだ」というポジションに立つ人々も、そろそろその命脈が尽きた遠洋捕鯨は安楽死させ、沿岸捕鯨に転進し、かつ限定的かつ成長を目指さない水平飛行を狙う産業構造を発案するべきフェイズに来ているような気がしますけどねえ。捕鯨特区でも作って「鯨を食いたきゃうちにおいで」とか言って鮎川・和田浦・太地あたりが観光客を呼ぶネタにするとか、軟着陸店はいろいろあると思わなくもないんですが、でもまあそういうのは反捕鯨派のおれが提案するこっちゃないんで、ぶつぶつ言う程度にとどめております。

 念のためですが、鮎川は明治以降に近代捕鯨の時代になってから捕鯨がはじまった町であり、伝統捕鯨地ではありません。また、主たる捕獲対象種は食用には適さないマッコウクジラであり(鯨油目的捕鯨)、食文化として大切にされていたということもないようで、太地あたりとは微妙に位置づけが異なります。

 狐狩りについては、まあ主たる担い手と一般大衆が大きく乖離しているということは言えます。また、類似例としてフランスにおけるジビエの見直し論なんかもあるんですが、そもそもジビエ料理なんか食える階級がどんだけいるんだみたいな話はなくもなく、似た構図であると言えるかもしれません。
 シーチワワってネットで定着した蔑称なのかなあ。去年音波砲食らって逃げたときにワシが書いたような気がするが、定着した原因がアレなんだろうか。一番小さい犬と言うことでチワワと書いたが、チワワの性格からすると連中にはもっと別の犬種のほうがふさわしいかもしれんとは思ってたんだが( ・・)/

 調査捕鯨ものの鯨肉がある程度供給されていると言っても、やはり土産物とか珍味のレベルであってマグロみたいに大量に販売されるレベルまで増えるとは思えないしねえ。そういう点で持続的な沿岸捕鯨という着地点がありそうだというのは同意するが、少なくとも現状を考えると「外国人から横やりを入れられる」というのがある限り遠洋捕鯨を主張し続けるのは変わらんし。

 やっぱ、いっぺんウミチワワを全員射殺してみるというのが、捕鯨のあり方を根本的に考えるいい機会になるのかもしれんなあ( ・・)/
>nekosukiさん

 思考停止という表現が適切かどうか私には分かりませんが、鯨文化論の脆弱生は私も常々感じているところです。まあ両派が知的階層で分かれているわけでもなく、分母の大きさだけが違っているようなので、あちこちで突っ込まれながら限定的かつ的確なものに強化されていくことを期待しています。
 鮎川が石巻に吸収され行政単位が大きくなったことで、おしかホエールランド(建設条例成立2005年)ができたわけですから、今後はより全国平均に近い世論が形成されていくでしょうね。いずれにしても日本人に捕鯨支持者が多いことは事実で、しかも近年急に積極的支持者が増えたと感じられるのは、おそらく外圧によるものでしょう。今後も外圧は運動の燃料となるかも知れませんね。そんな状態は見方によっては歪かもしれませんが、時間の流れや人々の興味に逆らって何かを残すときには、そうしたエネルギーも必要かと思っています。もっとも、めちゃくちゃな理屈が大暴れすると、捕鯨推進派にとっても困った事になる可能性はあるのですが。
 また、お話の通り近代の遠洋捕鯨は、近世の沿岸捕鯨とは全く別の、近代化遺産的な価値の付加が必要ですね。そのあたりも推進派の知識として強化すべき点でしょう。おしかホエールランドも、その目的として「古代からの人間と鯨のかかわりなどを空間、体験、情報を通し、鯨文化の継承に供すること」なんてこと言ってますから、近代化遺産的な発想がちょっと弱いです。

 フランスのジビエは市場も大きく専門の流通網もあり、野生だけでは需用を賄いきれないので、かなり前から畜養や養殖ものが流通しています。フランスとイギリスでは、庶民の狩猟に対する感覚に少し違いがあるように思います。残酷であるとしてヨーロッパ各国で生産が禁止されているフォアグラも(フランス以外の生産量は極少ないですが)、それをフランスの伝統文化であるとして(勿論業者保護の意味あいが強いのですが)近年国民会議が全会一致で支持法案を可決した国ですから、日本の参考になる話はありそうです。
>>31 洗太 さん

 そろそろ寝ますので一点だけ。

 おしかホエールランドですが、石巻市の条例ができたことは存じませんでしたが、施設そのものはもっと前から存在しています(今ざっと調べたところでは、開館は牡鹿町時代の1990年10月だったようです。なお、この開館時期は「建物が新築され現在地に移転した時期」であり、先行する博物館は存在していました。旧町営鯨博物館の内部もおれは見せてもらっていますが、町の汎用倉庫になっているようでした)。
 個人的には、おしかホエールランドは、環境教育のための場所と説明されてもおれが違和感を抱かない程度に、洗練され注意深く中立を保った展示施設になっていたと判断しています。

 旧牡鹿町って、捕鯨推進派的には「捕鯨推進の急先鋒の町」のはずなのですが、おれが実見した限りではぜんぜんそんな要素がなくて。「なんだこのイメージと実体の格差は・・・」みたいに思ったりしまして、そこらへんから「捕鯨問題って、ほんっとひとすじなわではいかないややこしい話なんだなあ」なんて思ったのでした。
 そういうわけで、おれはおそらく水産庁とか鯨研とかのブラックリストに載っているであろう反捕鯨派ではあるのですが、ちゃんと話をするなら落としどころはみつけられるんじゃないかなあなんてことも同時に思っていたりするんですよね。ま、最後まで合意できない極少数のひとはいるんだろうけど(それはたとえば鯨研に天下りをした水産官僚とかのことです)、そういう例外的なひとは除外して、なんとかうまい軟着陸点をさがせればなあ、なんて思っています。
>nekosukiさん

 ホエールランドの情報ありがとうございました。とても参考になりました。
 地場産業がジリ貧になった地域社会というのは、時代の波の痛みがあちこちに染み付いていますから、もしかすると鮎川の古い住民が、日本でいちばん捕鯨の未来や水産庁を信じていないのかもしれません。
 色々考えてたら北九州の廃鉱の町が参考になるような気がしてきました。いずれにしても思ったことを現地に行って実際によく観察してみないと何も言えませんが。
 水産庁はこれまで何度も(周辺の就業人口まで含めると)万単位の人間が従事していた漁業を見捨て、効果的な補償にも失敗してきましたが、鯨もちょっとややこしい袋小路に追い込んでしまったことは確かなようですね。私は色んな漁業の衰退や消滅を防ぎたいという立場から、水産行政に人一倍批判的でありながら、最終的には何とかしてもらわんとしょうがないとも考えています。今後ともご教示のほどよろしく。
落としどころを探るときに障害になるのは、双方の原理主義者というのはどこでも同じなんだよなあ。

ただまあ、少なくとも鯨については、状況が煮詰まりつつあった時にたまたま別の所でマグロやらフカヒレで話題が奪われてるから、今のうちに双方の原理主義者を抹殺して現実的な着地点に落ち着ける機会が来てるとは思うんだが( ・・)/
多くなったり摂食行動が人間社会に不都合ならば害獣・害虫とされ
少なくなれば掌を返すように否応無く保護対象とされる
「人間」にとって丁度良ければ触れられない
どこまでいっても結局人間視点での判断なんでしょうね
絶滅と進化は表裏一体じゃないかとも思いますけどね。

文化という言葉も多く使われますがそれも凄く流動的な物ですよね
その土地土地で自発的、必然的に生まれる文化もあれば外来し長く認知された上に根付く文化もありますよね。
 
凄くくだらない例えだと「日本のおばさんはこぞって韓流ドラマを見て楽しむ」
なんてのも他国の人から見ればすでに日本の生活文化の一部に見えるかもしれませんしw

なにを「文化」とし、何を守るべきなのか難しいですね
これは国単位でなくもっとミニマムな単位で見ないといけないように思います
無いと困る土地があればその地域住民にとっては大事な文化だと思いますし
その地域を含んでいる国という概念がそれらを守ろうとするのも
当然のようにも思います。反面だからといって「日本人はこれでいい」
というような全面的に行動そのものを肯定するのも違うような気がします。
>>33 洗太 さん

 あー。「炭鉱町だったところ」というのは言い得て妙かもしれませんね。銅山町(尾小屋とか足尾とか)も似たようなものかもしれません。まあ、鉱山町の場合、完全に廃墟になって町が崩壊しているというケースが少なからずあるのですが、漁業の場合にはそこまで極端ではないため、話が余計にややこしくなっているような気もします。

 以下いくつか思ってること。

 鮎川・太地に共通するのですが、確かに以前は捕鯨で町が栄えた時代がありました。ただ、産業構造が変わってしまっていますから、もしも今それらの地で沿岸捕鯨を行なうことを認めたとして、それだけでは劇的に問題が解決するということは考えにくいように思います。太地についてはフィールド調査をしていないので断言は避けますが、鮎川に関しては「捕鯨産業に従事するための流入人口が、流出人口を上回っていたため、人口が増えた」のであって、沿岸捕鯨を認めたとしてもいまさら流入人口が増えるということは考えにくいのです。結果として、沿岸捕鯨の再開は過疎という状況の改善にはつながらないんじゃないだろうか。

 江戸時代からの伝統捕鯨地であった太地ですが、実は、江戸時代からの伝統捕鯨地であった他の場所では、すでに捕鯨という文化は途絶しています(仙崎とか、土佐とか)。仙崎や土佐では、伝統捕鯨へのそれなりの郷愁はあるようですが、特にこう、捕鯨推進のためにがんばっちゃってるような気配は感じられません。ただ、仙崎や土佐は他にも観光資源を持っていますし、太地ほどの過疎圧はないように見えます。
 ある意味、太地が「捕鯨推進」でがんばっちゃうのって、伝統の力とか文化についての誇りとかとは異なる、強烈な過疎という状況によるせっぱつまった状況があるんじゃないかみたいに思うんです。そして太地についても、もしいま沿岸捕鯨を認めたとして、太地の過疎を食い止める力にはなり得ないのではないか、とおれは思っています。しんどかろうなあとは思い第三者の立場から同情したりもするのですが、しかし改善にはつながらないだろう政策に恭順の姿勢を見せてもだめなんじゃないのかなあ、とも思うのです。

 不幸をどうすれば食い止められるのかを総合的に考え実績をあげていくこと。必要なのは、そういうこっちゃないのかなあと思う。「捕鯨」というものが、不幸を食い止めるためには全然実効性のない単なる口実として使われているように見える現状に、おれは異議を唱えたいのです。
 ついでのような言及で申し訳ないんですが、36番のウルサリさん発言で指摘されている「国単位でなくもっとミニマムな単位で見ないといけないように思います 」というのは重要な観点ではないかと思います。同じく沿岸捕鯨基地とされている「鮎川」と「太地」と「和田浦」の差みたいなものはきっちり認識しそれぞれに最適化して考えてあげなくちゃいけない。それらを「捕鯨推進」にまとめちゃったりすると、見なければいけないものが見えなくなってしまうのではないか、みたいなことを思うんですよ。

(校正のために一回削除して再掲しています。まだ誤字は残っているかもしれませんが(=^_^;=))
シーチワワで検索したら結構出てくるねえ。

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B7%A1%BC%A5%C1%A5%EF%A5%EF

> 反捕鯨活動名目で資金を調達して生計を立てている団体「シー・シェパード」を揶揄する
>ネットスラング。
> キャンキャン五月蝿くて実が無いことから、シェパードよりもチワワの方が相応しいこと、
>まぐろ油漬け缶詰の定番ブランドである「シーチキン」に名前が類似していて、覚えやすく
>呼びやすいことから広まった。

けっこう広まってたんだ( ・・)/
 メモ。

 >>31 発言で洗太さんが提出した論点はけっこう重要なんじゃないかな。重要であるがゆえに簡単には言及できず、あとまわしにしてたんですが。

 その論点てのは「近代の遠洋捕鯨は、近世の沿岸捕鯨とは全く別の、近代化遺産的な価値の付加が必要」というところ。

 おれ的には、そのものずばりでストレートに「近代化遺産的価値」というのを考えたことはなかったし、おれがこれまでに考えたことと照らし合わせれば「近代の遠洋捕鯨には、近代化遺産的価値はあんまし認められないのではないか」という結論になるんですけど、まあせっかくの新しい視点の提供なんだ、このあたりはもうちょい考えてみたいと思います。

 とりあえず今回は、備忘録として「そこには新しい観点がある」という指摘と記録のみ。
戦後の船団式遠洋捕鯨ってのは、戦争で海軍を根こそぎ失った国民のなんらかのコンプレックスの投影ではないかという気もするんだよなあ。
>nekosuki さん

返信ありがとうございます。

 仰る通り過疎地の振興策は容易ではありません。成功例は少なく、よその真似をして自爆したり、怪しい連中に掻き回されて症状が悪化した悲しい例はたくさんあると思います。
 「捕鯨の町」という肩書きは他に何も策がない地域にとって、振興につながるツールの一つではありますが、交通がもっと便利でたくさんの文化財を持った町でも、ちょっと失敗すればコケるし、鞆の浦みたいにモメてしまうこともあります。だから捕鯨推進派の各地域に対する応援が無責任では困る訳で、やはり県や国から何らかの約束をとりつけつつ、地に足付けた観光化を進める必要があると思います。
 太地町商工会は最近となりの那智勝浦町商工会と合併したそうですが、そうするとこの地域の商工会のウリは「鯨とマグロと世界遺産」の3本たてになるわけで、これぐらいの方が関心を持つ人の裾野が広がるので、鯨だけより好ましいのではないかと思っています。毎日何かして暮らさなきゃいけないですから、地元は捕鯨推進派の部外者よりはクールに捕鯨を見ているでしょうね。

 近代化遺産的な価値については、もう少し調べて研究してみます。ご指摘ありがとうございました。

取り急ぎ御礼。
 近代化遺産についての価値という観点からはまだ考えがまとまっていませんが、近接する分野でおれが考えていたことについて説明をしておかないのはアンフェアだなと思ったので、その点についての説明をします。
 おれがその近所で考えていたことは「技術の保全のための捕鯨」という観点からの、捕鯨推進論をめぐってのものです。「いったん捕鯨をやめたら、捕鯨技術は途絶える。途絶えたのちに再開しようとしても、できない。だから今捕鯨を死守しなければならない」という捕鯨推進論です。

 その観点からの捕鯨推進論に関しては、おれは否定します。捕鯨技術ってそんなにご大層なもんか、と結論したわけです。

 以下の説明に納得がいかない方はご自身で日本の捕鯨史をひもといていただきたいのですが、と。
 日本が本格的に遠洋捕鯨に乗り出したのは、第二次世界大戦敗戦後のことでした(直前にちょっとだけ遠洋捕鯨をやってはいるが、戦争に突入してから後は、遠洋捕鯨なんかできなかった)。そして、オリンピック時代なんていわれていた頃に日本の捕鯨は世界のトップレベルまでかけあがったのですが、せいぜいそれって遠洋捕鯨を再開してから15年くらいしか経過していなかったのです。
 今、文献・画像・映像のレベルで捕鯨の技術をきっちり記録しておけば、おそらく捕鯨が途絶えたとして、10年で最高水準だった頃の技術を取り戻すことができるんじゃないでしょうか。捕鯨技術を温存するために捕鯨を死守しなければならない、という主張には、同意できません。

 なお、この観点には、実は一点だけ、おれが反問してしばらく考えこんでしまったポイントがありました。操船技術やらなんやらについては全然問題ないんですが、改訂版管理体制を維持するためには必要な「ある、たったひとつの技術」を捕鯨をやらずして存続させられるのか、という争点です。
 この争点についてもおれは「存続させることは可能だ、もしも本気で遠洋捕鯨の再開を目指すつもりであるのなら」という結論を得ていますが、でもこれはもうちょい伏せさせてください。お釈迦さまだって「これは、という境地」に至ったらそのあとしばらくひとりだけでその果実を味わったのだから (=^_^;=)。
 もし、これだけのヒントからおれが何をどう反問してしばらく考えこんじゃったのかがわかったひとがいたら、『臨場』の倉石監視官なみに鋭いと自信を持っていいです(=^_^;=)。

(すみません、また誤字修正のためにいったん削除しました。なんでこんなところで誤変換をするかなぁ(ためいき))
>「ある、たったひとつの技術」

う〜む・・・・、宿題にさせてもらいます。
 すみません。フォロー忘れてました(って、おい(=^_^;=)>おれ)。

 日本の捕鯨技術の大半はせいぜい15年程度で開発されたものであり、「いったんやめたとしてもせいぜい10年くらいで技術の水準は回復できる」という主張に関して、おれ的に例外であった唯一のポイントというのは、「目視観測員の育成」でした。

 過去の、そのせいぜい15年程度で開発された捕鯨技術は、「鯨種おかまいなし、とにかくいっぱい捕ればいい」という捕鯨技術であり、「きっちり管理された捕鯨」を実現する上で必要不可欠な目視技術については、その範囲内に含まれません。もっとも、これもまあさほど長期間かけて培われた技術ではなかったのですが。
 でも、こういう野性生物の目視技術っていうのは、たとえば野性生物カメラマンとかでもそうなんですけれども、わりと個人的な技術であり、それを維持し伝えることはすごく困難なんだという思い込みがありました。「禁猟種をきっちり見分けて捕獲対象からはずす」「群れを一網打尽にしないように配慮する」などは、管理捕鯨を行う上では不可欠な技術であり、捕鯨をやめたらその技術を維持できるのかという点について、当初おれは回答を持っていませんでした。
 なので、おれは反捕鯨の意見を表明する際に、注意深くその論点を避けるようにしていました(というか「いったん捕鯨をやめたら、技術が失われ、再開できなくなる」という捕鯨推進論に対する反論は抑制的にやっていたという感じです)。

 その論点に関する今のおれの見解は以下のとおりです。

(1)
 管理捕鯨を行うにあたり、捕獲可能頭数などを策定する際には、目視調査による生息数データが必須のものとなる。目視調査は調査捕鯨とは別に行われており、「目視調査は継続し、調査捕鯨をいったんストップする」ということは、可能である。本気で商業捕鯨の再開を目指すのであれば、目視調査だけを継続するという選択肢はあるし、目視調査を続けてさえいれば、目視観測員の継代的育成は可能なはずである。

(2)
 目視調査員は、現状でも、さほど時間をかけて育成されていない。たとえば、『クジラを捕って考えた』の執筆者である川端裕人によれば、当時は鯨研に所属していた目視観測員はまだ若い研究者であり、またその後転職している。現在の目視観測員のスキルは、決して何十年も架けて個人が修行をしなければ習得できないレベルの技術ではないものと考えられる。

 捕鯨を行うにあたっての操船技術については、そういうわけで「実際に日本はせいぜい15年程度で開発した技術であり、10年程度で再習得できる程度のものにすぎない」と、おれは結論していました。しばらく考えた上で、「管理技術という点でも、いったん捕鯨を中断したらもう取り戻すことはできないというほど高度なものではない」という結論に至りました。

 そんなこんなで、「いったん取りやめたら、技術継承ができず、再開できなくなる」という捕鯨継続論には、根拠がないものと、おれは判断しました。
 いやあ。捕鯨に限らず、工芸品でも技術分野なんかでも、しばしば「いったん失われたら二度と再現はできない。だから維持する必要がある」という主張がなされます。文化保存に関する主張のかなりの部分はこれだ。しかし、過去に失われた技術がないとは言わないけれども(いや、いっぱいあるけど)、それらは一子相伝などの口実のもとに記録を残すことが禁じられていたためだったり、当時としてはあたりまえの技術だったからあえて記録を残そうという観点がなかったからだったり、経済環境の変化によって採算性が失われた結果として経済的側面から同じものを再現できなくなったせいだったり、という要素が大きいのではないのかなぁ。

 きっちり記録を残していくのならば、技術というものは、かなりの部分まで伝えることができるんじゃないんだろうか。技術継承を理由として文化をふりかざすことそのものに、もうちょっと警戒的であってもいいのではないんだろうか、とかおれは思うんでした。
 なお、この観点でいうなら、捕鯨問題なんか小さな話で、大規模土木事業なんかを技術継承を理由として公共事業などを無理やり作り出すなんてことの方が問題としては重大であるように、おれは思っています。
nekosukiさんの
<<沿岸捕鯨基地の代表格のひとつとされている鮎川浜を含む牡鹿町の町長選挙で、「毎年町長が税金を使ってIWCに行くのは無駄遣いだ」と主張する候補がいい勝負をしてしまった、という事例もありました(1995年の町長選挙。2389票 v.s. 2236票 でした。もちろん「IWCに行くのは無駄遣いだ」と主張した候補も、反捕鯨派だったわけではありませんが。なお、牡鹿町はその後石巻市に吸収され、消滅してしまいました。>>

について補則です。
確かにそういう事が有りましたが、おっしゃる通り「反捕鯨意見」として票を集めたのでは無く、むしろ「ちっぽけな過疎の町が独り捕鯨推進を唱えて無駄金使うよりももっと現実的な過疎対策や隣接する原発の安全対策に力を使うべきだと言った意見が殆どでしたね。
これは鮎川のみに限らず、宮城県全体で一部にそういった反対票が存在しました。
しかし、今でも盆と暮れには石巻市で調査捕鯨の鯨の肉の特別販売会が盛況で
1家庭で何キロまでと言った制限を設けて販売してもたちまち完売するほど鯨肉の需要が大きいのも事実です。

また、鮎川の捕鯨がマッコウクジラ主体との事ですが、少なくとも30〜40年前、僕が毎週の様に海釣りへ通った当時はマッコウは1頭も見た事がありませんでした。
何時も解体場(現ホエールランド)前の海面に係留されて浮いていたのは、鯨というイメージからは小さな10メートルに満たない小型の鯨でしたよ。
頭の形が独特なマッコウは見た事がありません。
鯨漁に直接関係しない釣り船の船頭さんや、釣具屋さん、町の魚屋さんも口をそろえてあんなの(マッコウの事)は肉は不味いし、毒が有るって言って相手にしていませんでしたね。
鮎川近辺では常識だった様です。
確かに江戸時代からとかの観点でみれば最近の事なのかもしれませんが、それでも反捕鯨って運動が起こるよりも前から、地元の様子はこうでしたね。

ここ何年かで語られている「当時の様子」にはちょっと違和感を覚えている地元近辺民です。
 歴山さんどうもです。

 いやまあ当該選挙は、新聞報道によると基本的に「争点なき選挙」だったようで、少なくとも捕鯨をめぐる是非は大勢に影響を与えてはいなかったようです。ま、反捕鯨側のプロパガンダをやるなら、対立候補を反捕鯨ででもあるかのように誤解させるべくレトリックを駆使した上で「町は捕鯨推進で一枚岩になっていない」とかいう物語を作って煽るという手もあったんですが、そういう方法論って軟着陸点を探すことにはつながりませんから、おれはそういう方向には誘導しないように注意していました。

 調査捕鯨鯨肉の販売について。
 鮎川でのヒアリングでは、おれの感覚では、「今や鯨肉は必須の食材ではないし、入手しようという熱意もない」という感じだったように受け止めました。おれはまあそれなりに狡猾だから、あたかも「捕鯨推進派側のフリーライターかなんかが取材にきた」かのような印象を与えるべく努力しつつ聞いてまわったのですが(おい(=^_^;=)>おれ)、どっちかっつーと町民の方々は「またかよ」みたいなうんざり感を全力で表明しつつ渋々説明をしてくださったという感じです。「おーい(=^_^;=)」ってのが正直な感想。
 鯨肉の販売会ですが、あれはかなり相場より安く売られるもので、「とりあえず枠いっぱい購入した上で転売して利ざやを稼ぎます」なんていう話も聞きました。改めて「おーい(=^_^;=)」って感じ。ていうか、「正しくたくましくやってやがんなー」みたいな。

 鮎川捕鯨の主要捕獲種について。
 マッコウクジラは、鯨油目的鯨種で、最盛期は1950〜1960年頃だったようで、おそらく歴山さんがご存知の時代よりも前です。1950年にはニッスイが鮎川から撤退し、1965年には極洋が撤退し、1977年には最後の大洋漁業も撤退しています。対して、1971年にはツチクジラ捕鯨を行う外房捕鯨(がいぼうほげい。千葉の和田浦に拠点を置く捕鯨会社)が鮎川に進出していますから、ご覧になったのはそのツチクジラではないかなあ。ツチクジラというのは、イルカ類とクジラ類の境界線上にある小型鯨類です。ツチクジラについては、ハクジラ類であって普通に食用にされるヒゲクジラ類とはかなり食味が異なりますし、鯨肉の範疇に入れて理解していいのかどうか疑問に思っています(ついでに、和田浦の食文化というのもけっこう独特で、基本線血抜きをしません。そういう意味でも、和田浦系の料理は、かなり独特なものです)。
 おれはマッコウ鯨肉を食べた記憶がないのですが(ていうか、鯨種ごとの食味の違いがわかるようになったのは意識して食べるようになった1990年代からですから)、確かにマッコウ鯨肉ってのは普通に食えるようなものではなかったようです。鮎川でも、「大和煮のように濃い味に煮付けてごまかして食うもの
」で、歓迎された食材ではなかったようです。
 個人的には、その「パラフィン臭がしてくそまずいというマッコウ鯨肉」をなんとか入手して、その鮎川の伝統料理を作ってもらって、一度食ってみたいとか思っているのですが(=^_^;=)。
 長くなりましたので、分けました。ついでだから捕鯨問題にかかわることになった原体験でも書いておきましょうかとか。

 年がバレるからこれあんまし書きたくないんですが(=^_^;=)、おれ、給食で出た「鯨のたつた揚げ」ってけっこう好きだったんすよね。んで、母親に「うちでも作ってくれ」と頼んだと思ってくれい。
 そしたら母親が「鯨肉なんていう下肉を食べたがるんじゃありませんっ」とか怒って、鶏肉や牛肉でたつた揚げを作ってくれちゃいまして。いやあ、なんか違うとか子供心に思ったのであります(今から考えたら、たぶん給食って「子供向けのわかりやすく強い味付け」をしてたりしましたから、そんで気に入っていたんだろうと思う)。
 んで、その「鯨肉なんていう下肉」とか言ってた母親ですが、こいつ九州の出身者だったんすよ。長崎ではありませんが、福岡県の有明海方面。江戸時代からの伝統捕鯨地ではないにせよ近隣にはそこそこ伝統捕鯨地があり、それなりに鯨肉が古くから流通していたはずのエリアの住民でした。そいつにとっても鯨肉ってのは「敗戦後にしかたなしに食った代用食の下肉」にすぎなかったということに後から気づきました。それってばけっこう衝撃的だったんですよねえ。

 ところがこのおばばは、おれが反捕鯨側としてそれなりに動き始めた頃から、「おまえ、クジラ好きだもんねえ」なんて言って鯨肉を買ってくるようになりましてね(=^_^;=)。いやあミンク鯨肉くらいならばありがたく食うにやぶさかではないのだが、和田浦の「鯨のタレ(という伝統食品)」あたりまで買ってくるようになっちゃいまして。これ、土産物としてもそこそこ売られてはいるのですが、食べなれた者以外にはたいへん食べにくいものなんですよ。しょーじき、なんでこんなものが食えるのかがわからないとか思ってます(申し訳ない(=^_^;=)>和田浦の方々)。
 でも、鯨肉が高級食材になっちまい、ついでにナショナリズムの味付けがなされたあとは、その「鯨肉は下肉」と言い放ってたやつが方向転換したくらいに捕鯨問題ってインパクトが強いものであったらしい、というのが率直な驚きでした。「時として、思考は感覚を支配することがある」というおれの考えを裏付ける根幹事例のひとつになっています(別の事例として「戦闘機は美しいか論争」なんてのがあります。おれは、あれはあれで美しいと思うのだが、今はとある大学で行政法の教授をやっている大学時代からの友人は「人殺しの道具は醜悪だ」という持論を譲る気はないようです。人道論と美学的評価は別論だろう、とおれは思うのですが)。

 いったいいつから、(江戸時代以降の伝統を覚えている地のひとは除外するとして)鯨肉が「代用食の下肉から、貴重で死守すべき伝統食文化に転化したんだろう」というのは、おれにとって、捕鯨問題を論じる際に見逃せない論点になっています。鮎川における、マッコウ捕鯨時代の「まともな食い物とは思われていなかった鯨肉」が、いつのまにか「地域の伝統として大切な食材」に転化したんだろうか、ということとも、重なる論点です。
 個人的には、とりあえず母親にそのあたりのことを問いただすべきだろうなあと思うんですよね。しかしこいつ、もうだいぶ前に死んでしまいまして、いまさら聞けないんですよねえ。生きていたとして、やたら気が強いおばばでしたから、素直な「思考の変遷」については聞けないだろうとは思うのですが、いったいどういう自己正当化をするかは聞いてみたかったような気がします。それが全てではないだろうが、ある種の典型ではある思考を聞くことくらいはできたのかもしれません。
nekosuki様

貴重な体験談ありがとうございます。


僕の体験、宮城県でですがでは鯨肉は必ずしも「下肉」ではありませんでしたよ。
鮮度と部位で大きく値段が違っていたと記憶しています。

覚えているのは東京オリンピックの前後ですが、鯨刺し等の生食できる鯨肉は高級品扱いで当時でも珍重されていました。
当時は現在と比べるべくも無く、冷凍保存の技術が発達していなかったので、生鮮鯨肉は(まぁ鯨に限らずではありますが)貴重品でしたね。
逆に塩蔵品の塩鯨等は仰るとおり扱いが違いました。
確かにこちら下肉扱いでしたね。


僕も小学校に上がるまでは鯨肉が食べられなかったのですが(生肉を食べるのに抵抗があったから)、給食で出された大和煮やしぐれ煮で味を覚えてからは大好きになりました。
それと1980年代直前ごろまでの宮城県においての話ですが、単にベーコンと言えばそれは鯨のベーコンを意味するのでした。
それぐらい一般的な食べ物でしたね。
ですから宮城県で育った40代から上の人間は今でもベーコンて言葉=鯨って連想する人は多いですよ。


まぁ山間部で育った友人達はこの塩鯨がソウルフードらしいです。
 歴山さんどうも。

 場所がわからず気持ちが悪かったので乏しい記憶を頼りに母親の生育地を探してみました。死後に同窓会からの郵便物に対して死去報告をした高校の場所と、祖母の火葬を行った火葬場のロケーション(すぐそばを久大本線が通っていて、退屈したガキんちょ時代のおれは線路で列車を見ていた)、および遠縁の親戚がやっているはずの病院の位置、実家が筑後川からさほど遠くはない川沿いの集落にあったらしいこと(葬儀をやった家から筑後川は遠くなかった)、あたりを総合すると、朝倉市ないしうきは市ではなかろうかと思います。有明海・玄界灘からはそこそこ山に入った場所ですから、江戸時代に新鮮な鯨肉を食べられたレベルの食文化があったとは考えにくいエリアです。塩蔵肉などは当時からそれなりに流通していた可能性はありました。そういう点から検討すると、「鯨肉は下肉」のイメージが刷り込まれていた可能性はあり、歴山さんの認識とも一致します。
 冷凍肉ですけど、たつた揚げ給食時代の冷凍技術と今の冷凍技術は確かに雲泥の差ではありますね。南極海捕鯨の鯨肉なんて例外なく低い技術しかなかった時代の冷凍モノだったわけで、それはそれで塩蔵肉とはまた別の位置づけで「沿岸捕鯨地における冷凍を経ていない生肉」とは格が違っていたのではないかという気がします。

 ただまあ、その40代以上くらいの年代の、塩蔵肉とかまっずーい冷凍肉とかしか食った経験がなかったはずの人々の間にもけっこうな貴重品扱いをするひとがいるっていうのが、正直よくわかんないのです。食文化がある地域の人々に供給できる程度の捕獲枠があれば十分なんじゃないのか、とも思うんですよ。流通在庫がだぶついているような状況の中で、なんで新規の料理開発とかをやってまで消費拡大をはからねばならんのか(ということをやっている水産庁外郭団体とかがあるわけよ)、そのあたりは理解に苦しみます。基本線、民主党政権には失望気味なんですが、なんだっけ時行仕分けあたりでそういうお馬鹿な団体はつぶしちゃってほしいそれまでは民主党制限がんばれ、とか思ったりします。

 ?さんどうも。
 こと捕鯨問題に関しては、いやがらせで食卓に鯨肉を載せるようなやつだったので、「こいつ」です。それ以外の分野では違う表現をします。
 ていうか、つっこみどころが違うだろ(=^_^;=)、みたいな。
 正直、経済的に捕鯨が成立するのってせいぜいローカル食材と珍味ぐらいのレベルだよねえ。ただ、外国人が茶々を入れるからそれに便乗してガイアツだと叫ぶ反動が出てきたりして話がややこしくなってるだけで。
 反捕鯨団体が消滅することが、反捕鯨のためにはいちばん良いような気がするなあ。まあそれは反捕鯨団体の目的には沿わないだろうけど( ・・)/
 
 “鯨食習慣で高濃度水銀
  他地域の4倍超
  …和歌山・太地町民
  健康被害は見られず”
 
comment=101
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  “捕鯨提訴へ
   理由明らかにせず”
 
“反捕鯨の世論を意識
豪ラッド政権、選挙対策の側面も”
 
comment=105
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このトピ全然見ていなかったんですが……。

>54
(江戸時代以降の伝統を覚えている地のひとは除外するとして)鯨肉が「代用食の下肉から、貴重で死守すべき伝統食文化に転化したんだろう」というのは、おれにとって、捕鯨問題を論じる際に見逃せない論点になっています。鮎川における、マッコウ捕鯨時代の「まともな食い物とは思われていなかった鯨肉」が、いつのまにか「地域の伝統として大切な食材」に転化したんだろうか、ということとも、重なる論点です。

これおかしいんじゃないですか?

まずこの前提。
(江戸時代以降の伝統を覚えている地のひとは除外するとして)
言葉の問題もあるでしょうが、

  『江戸時代以前』でしょ?

クジラが、食料品としての「文化」をもっているのは、
別に「江戸時代」からではないし。

nekosukiさんが大量に書き込んでいるwikipediaだって、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AF%A8%E8%82%89
(鯨肉)


  712年(和銅5年)の古事記のなかで神武天皇に鯨肉が献上された
  という記述がある。文献「古事記」

から始まり、

  室町時代末期に「四條流庖丁書」という料理書に
  食材としての魚の格付けとして最高位に鯨、
  二番目が鯉、その他の魚は鯉以下として挙げられている。


日本人の「クジラ文化」の基本には、
「最高級のおさかな」という認識があったはずです。
(だからといって、そうそう食べられるものではない、なんせ最高級だし)

そういった「文化」面を俎上に乗せないのであれば、


日本人が、大々的に肉食を始めたのは明治からであり、
近代捕鯨も、ほぼ明治からなので、
「鯨肉が、肉として扱われた」のも明治から。

  +まず、肉という感覚がないと
   「代用肉」「下肉」なんていう発想はありませんね。

「クジラ肉が日本人にとってかかせないタンパク資源」であったのは、
戦後のほんの一時期であり、
その間に一部のお金持ちや肉食を普通にしていたとりわけ関西圏の人ならば、
「代用品」という発想があるのでしょうが、
そもそも「肉食文化」は戦後まで、
日本人全般ではそれほど一般的ではありません。

だから、戦後生まれならば「代用」なんかではなく、
「クジラこそ肉」だったのです。

美味しいし。
(まずいっていう人は、そこで勝った気になるようだけど、
 美味しいのが前提です)

「まともな食い物とは思われていなかった鯨肉」

こんなのは、本当に限られた地域・時代で偏見のもとに使われているというのに、
どうしてそれが、

  「鯨肉食に対しての日本人の感覚」に一般化できるのか?


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

結論でいうと、


  そもそも、
  文献で確認できる奈良時代よりクジラは最高級食材であり、
  多岐に渡る料理文化が存在した。
  特にクジラが捕れる各地には、高度なクジラ利用文化が発達していた。

  ただし、それらが一般的に普及しているわけではない。


  戦後、クジラ肉は日本人にとって貴重なタンパク資源であり、
  一部「代用肉」として蔑視した者もいたが、
  多くの日本人は、安価で美味しい肉として歓迎した。

  捕鯨モラトリアム以来、安価で美味しいクジラ肉が供給されなくなり、
  そのころには、ウシブタニワトリなどの食肉生産が安定したこともあって、
  「クジラ肉」は逆に貴重な品となる。

  その貴重さゆえに、
  「かつてクジラが高級品」であった時代からの文化が、
  ふたたび見い出されることとなった。


人間の生きているスパンと、文化伝統をごっちゃにしていませんか?
「代用食、下肉」なんていったのは、ほんの20年程度でしょ?

その時間を、そういう感覚で生きていた人間こそがまさに「希少」なのに。
クジラが、「悪いもの」であるのは、
ほんの一時期あるいは特殊な地域でしか存在しない感覚です。
 
今夜のNHK『クローズアップ現代』、参考になりました。
 


http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/yotei/index.cgi↓
 
  『解決なるか?
   クジラをめぐる対立』
(NO.2903)
 
20年以上にわたって不毛な対立が続いてきたクジラ問題に大きな変化が訪れようとしている。
今月21日から始まるIWC国際捕鯨委員会(モロッコ)で、捕鯨国・反捕鯨国の双方に妥協を促す議長提案が示されたのだ。
ところが、その受け入れは、日本にとっては念願の沿岸捕鯨が復活する一方で南氷洋捕鯨は大幅な縮小となり、苦渋の選択を迫るもの。
反捕鯨国にとっても、クジラ絶対保護の立場の変更を迫る、厳しいものだ。
しかし、今回和解が成り立たなければ、IWCそのものが否定され、より過激な対立に陥る危険があるため、各国から妥協をさぐる動きも生まれている。
果たして、不毛な対立の処方箋は見つかるのか?
日本の選択と各国の思惑を取材し、クジラをめぐる対立の行方を追う。
 
 
comment=6...9
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“調査捕鯨母船、被災地に物資運ぶ 日新丸を支援に活用”
 
comment=115
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CP:http://m.mixi.jp/view_bbs.pl?&page=23&id=31089286&readmode=start
 
 
“日本の調査捕鯨 現状では認められない”

日本が南極海で行っている調査捕鯨が、国際条約に違反するかどうか争われた裁判で、オランダ・ハーグにある国際司法裁判所は31日、日本がこれまで行ってきた調査捕鯨は条約で認められている科学的な調査には該当しないとの判断を示し、このままの形で捕鯨の許可を与えることはできないとする判決を言い渡しました。
この判決により、日本がこれまでどおり調査捕鯨を継続することはできなくなる可能性が出てきました。
この裁判は、オーストラリア政府が4年前、日本が南極海で行っている調査捕鯨は、実態は商業的な目的を持った捕鯨であり、国際捕鯨取締条約に違反しているとして、捕鯨の中止を求めてオランダのハーグにある国際司法裁判所に訴えを起こしたものです。
これまでの裁判では、オーストラリア側が、捕獲される鯨の頭数が年間数百頭に及んでいることや、鯨肉が市場で売られていることなどを理由に、「実態は商業捕鯨にほかならない」と主張したのに対し、日本側は、捕獲する頭数は調査のために必要なもので、鯨肉の販売は条約で認められているなどと反論し、「科学的な調査が目的で成果を挙げている」と主張してきました。
この裁判で、国際司法裁判所は31日午前(日本時間31日午後5時)から判決を言い渡しました。
判決で、国際司法裁判所は「大きな枠組みで見れば日本の調査捕鯨は科学的な調査だといえるものの、裁判所に示された証拠からは、調査の計画や実施方法が目的を達成するのに妥当なものではないと考える」と述べ、日本がこれまで南極海で行ってきた調査捕鯨は条約で認められている科学的な調査には該当しないとの判断を示しました。
そのうえで、このままの形で捕鯨の許可を与えることは、認められないとする判決を言い渡しました。
今回の判決により、日本が1987年からおよそ30年にわたって続けてきた南極海での調査捕鯨を、これまでどおり継続することはできなくなる可能性が出てきました。
妥当な量とは言えないオーストラリアが、調査目的であれば鯨を殺す必要はないと主張していたことについて、国際司法裁判所は判決の中で、「鯨を殺すこと自体は条約違反ではない」としながらも、日本が捕獲するミンククジラの数が年間850頭前後に達していることなどをあげ、「調査の目的を達成するためには妥当な量とは言えない」と指摘しました。
さらに裁判所は「提出された証拠を見るかぎり、日本は殺さずに調査する可能性を十分に検討していない」として日本の姿勢を批判しました。
そのうえで、「大きな枠組みで見れば日本の調査捕鯨は科学的な調査だといえるものの、裁判所に示された証拠からは、調査の計画や実施方法は目的を達成するに妥当なものではないと考える」と述べ、日本がこれまで南極海で行ってきた調査捕鯨は「国際捕鯨取締条約」で認められている科学的な調査には該当しないとの判断を示しました。
トムカ裁判所長は判決の理由を説明したあと最後に、「日本が今後、条約に基づく調査捕鯨を行うことを検討する際には、今回の判決の内容を考慮してもらいたい」と述べ、現在の方法を見直せば、調査捕鯨を再開する道は開かれていることを示唆しました。
「深く失望している」日本政府側の代表を務める鶴岡公二内閣審議官は判決について、「深く失望している」としながらも、「日本は国際法秩序および法の支配を重視する国家として判決に従う」と述べました。
また、判決が北西太平洋で行っている調査捕鯨に与える影響については、「判決にはさまざまな論理構成が含まれている。慎重にまた丁寧に読み込んだうえで、日本の具体的な対応について検討していきたいと考えている」と述べました。
国の捕鯨政策を応援市内の港を調査捕鯨船団の母港とするよう誘致を進めている山口県下関市の中尾友昭市長は今回の判決について、「調査捕鯨は正当性のあるものだとして今まで国の政策をサポートしてきたので、大変残念な気持ちです。下関市としては、これからも国の捕鯨政策を応援していきたいです」と話しています。

2014/03/31-18:59 NHK http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140331/k10013394611000.html
 
 
〈“テキサス親父”ことトニー マラーノ氏  ファンと靖国を参拝〉

4月25日から来日していた「テキサス親父」こと、 トニー マラーノさん(65歳)が、5月3日憲法記念日に靖国神社を参拝した。

トニーさんは、2006年から Youtubeを中心に評論活動を行っている、アメリカ・テキサス州在住のアメリカ人で、2008年にはシーシェパードの反捕鯨活動について日本を擁護する意見を投稿、2013年には米カリフォルニア州に設置された慰安婦像撤去に向けた請願活動を始めた。

参拝当日は、午前10時だったものの集合場所には9時半頃から人が集まり始め、気づけば人だかりができていた。
集まったのは20代〜60代の男女約30人、男女比は半分ずつという感じであった。
参加者はトニーさんと握手を交わし、記念撮影を楽しんでいた。
トニーさんも「もう日本離れたくない!」と満足そうだ。
その後、昇殿参拝へと向かい、最後に正面に戻って拝殿前で集合撮影を行った。

「地元がイルカ漁をする地域なので、高校生の頃にシーシェパードの問題が話題になり、そこからいろいろ調べていてトニーさんのことを知った。
アメリカ人の立場から英語で反論を発信してくれるので嬉しい」(2020代女性)

「Youtube でたまたま見つけたことをキッカケに、4年前からトニーさんの講演会に参加しました。
その時も参拝したのですが、参加者は2人だけでした。
アメリカの民間人で靖国神社に参拝するということ自体驚きでしたし、シーシェパードの活動に対してハッキリNOという姿勢も凄いと思い、応援しています」(60代男性)

「昨今の中韓の日本に対する態度や慰安婦問題などに疑問を抱き、それに英語で反論を発信するトニーさんの動画と出会いました。
日本人は日本のことを知らな過ぎると思う。
トニーさんの投稿を、Facebookでシェアするなどして広めたいと思っています」(30代女性)

と、さまざまなきっかけでトニーさんを知ったファンは、思い思いに交流を楽しんでいた。

<取材・文・撮影/林健太>
2014/05/04 日刊SPA! http://nikkan-spa.jp/637664 CP:http://zhp.jp/FKLl
 
 
“調査捕鯨継続方針を説明へ 政府、IWC総会で”

政府は9月15〜18日にスロベニアで開く国際捕鯨委員会(IWC)の総会で、調査捕鯨を今後も続ける方針を説明する。
国際司法裁判所(ICJ)は南極海での調査捕鯨は国際捕鯨取り締まり条約に違反するとして中止を命じたが、政府は規模を縮小するなど判決に抵触しないようにして理解を求める。
反捕鯨の世論が目立つ欧米諸国の反発は必至とみられる。

外務省と水産庁が2日の自民党捕鯨議員連盟総会で説明した。
政府は1988年に中断した商業捕鯨を再開しようと、南極海と北西太平洋で
「クジラを持続的に利用できるためのデータを集める」として調査捕鯨を続けてきた。

ところが国際司法裁判所は今年3月、実質的な商業捕鯨だとして中止を求めたオーストラリアの訴えをおおむね認めた。
日本政府は今年度は南極海の調査捕鯨を中止。
判決の対象になっていない北西太平洋の調査は規模を縮小して実施している。

政府はまず捕獲枠を削減する。
日本は調査に必要な数量として南極海で年間で約1000頭の捕獲枠を設けていたが、実際は3割もとっていない。
それもミンククジラに偏っていて、ほかの品種はゼロに近い。
鯨の生態把握に必要な捕獲枠を改めて計算し直す考えだ。

もうひとつはクジラを殺して胃袋などを調べる方法だけでなく、生息数や種類を目視で調べる調査や皮膚の一部から遺伝子情報を集める調査を本格的に取り入れる。
「クジラを殺さないで生態などを研究する方法を十分に模索していない」との批判に対応する。
調査期限を示していないとの指摘も踏まえて、明示できるようにする。

政府は新たな調査捕鯨の計画を10月下旬にIWC科学委員会に示し、来年度から再開したい考えだ。
水産庁によるとIWC加盟国88カ国のうち、反捕鯨国は豪州やブラジル、米国など49カ国と多数を占める。
規模を縮小したり調査方法を変更したりするだけで理解が得られるかは不透明だ。
政府内からは「どうやっても摩擦は避けられない」との声も漏れている。

2014/09/02-20:32 日本経済新聞 http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS02H14_S4A900C1PP8000/ CP:http://zhp.jp/LNKM


“調査捕鯨、ミンク限定へ 政府、南極海の計画縮小をIWC総会で表明”
2014/09/02-21:32 MSN産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/economy/news/140902/biz14090221320030-n1.htm CP:http://zhp.jp/5Opk
 
どうも、多くのおかしな捕鯨反対の人達が、

   「調査捕鯨は違法であるという判決が出た」

と、ウソを宣伝しているようですが、それは違います。


確かに、ハーグではあっと驚く「異常な判決」が出ました。

   *日本は、正当性を確信していたし、
    実際国際司法に一般良識があったなら、正義を順守する覚悟があったなら、
    あの判決は出なかっただろう。
    ICJの判事で「反捕鯨国出身者」は全員「違法である」と結論付け、
    そうでない国の出身者はすべて、「違法性はない」と結論づけた。
    結果、多数決で「違法ということになった」

しかしそれは、

   「現状の」
   日本が行っている「南極海における」調査捕鯨は、
   商業捕鯨目的である点を否定出来ない。

ということが問題だったのであり、
そこを改めれば、調査捕鯨は続けることが出来ます。
(もちろん、北太平洋の調査捕鯨は議題ですらありません)

   *注 もともと、調査捕鯨そのものは「IWCが定めた正当なルール」であって、
      調査捕鯨自体に違法性は一切ない。
      やり方や運用に違法性があるのならそこを改善すれば良いだけなのだが、
      この異常な判決では、その部分は言わないことにしているモンが多い。
      「こうすれば違法ではない」と言い出すと、
      捕鯨そのものを認めることになるから、反捕鯨国の利権代表者は、
      具体的に、「何が問題なのか」「どうすべきか」ということはさけ、

      「現状の日本の調査捕鯨は、違法だ。
       だから、やめなさい」としか、言わない。


従軍慰安婦問題と根本的には同じです。
ウソを受け入れて、阿呆な流れに乗るのが正しいのか?
プライドを高く持って、正義を主張し続けるのが正しいのか?

前者を受け入れると、永遠に禍根を残すということを無視してはいけません。


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